まずは結論から述べよう。
 橘ヶ原学園――祐一たちの通う高校――の第9回生徒会選挙に相沢祐一は圧勝した。
 有効得票数の五分の四を取得したのだから、これは圧勝と言っても構わないだろう。

 勝因については幾つか要目すべき点がある。
 一つは美坂香里、北川潤という二人の幕僚の存在。
 一つのグループに属さず、それでいて孤立せずに多方面に顔が広い。学校という狭い世界の中では特異とも言える立場の二人。
 この同級下級問わずに影響力の強い彼らが精力的に動いた結果、かなりの浮動票が祐一へと流れたと目される。
 同時に、相沢祐一というつい数ヶ月前に転校してきたばかりの生徒を、彼らはあらゆる手を使ってPRし、祐一という人物がどういう人間なのかを時に真実を暈したりもしながら宣伝していった。
 その手腕たるや、彼らの活動を後方から支援していた久瀬俊平に「まるでゲッベルスだな」と呆れさせた程であるから押して知るべし。

 二つ目は現生徒会と反生徒会グループに対する一般生徒の嫌悪感。
 自分たちの殻に収まったまま、勝手に抗争を繰り広げているこの両グループに、関わりの無い生徒は無関心であると同時に『目障り』と映っていたらしい。
 そこに颯爽と現れた第三勢力、相沢一味。
 これまでも前記の両グループとは一線を引いた第三勢力は何度か生徒会選挙に出馬した過去はあったものの、そのどれもがPR・計画性・カリスマに欠け、その悉くが大して注目もされずに敗北した。
 それに対して相沢一味は新聞部を利用する事で選挙戦の初っ端に、生徒たちに名前と顔を知らしめる事に成功し、新勢力出現を印象づける。
 それは、生徒会選挙に無関心だった一般生徒たちに、選挙について多少なりとも興味を抱かせる事に繋がった。
 そして、同時に生徒会の恣意的な予算配分に不満を抱いていた各部活を味方に引き入れる事となった。これは、祐一が早くに予算配分の公正化を公約にあげた事も大きい。

 そして三つ目は、水瀬名雪の存在。
 体育系クラブの雄である陸上部の部長を務める水瀬名雪。その気配り上手であり笑顔も絶えずおっとりとして温厚清廉、多少変なところもあるが、それも愛嬌。それでいながら意思が強く真っ直ぐな性格である(と他人には思われている)名雪は、陸上部だけではなく体育系クラブ全体に人望が厚く、彼女が応援する相沢祐一に生徒会が優遇しているクラブ(女子陸上部含む)からも多数の票が流れていた。
 これには、底辺に不当なほどの優遇に対して肩身の狭い思いをしていた生徒が実際、かなりいた事が関連している。信頼厚い名雪が祐一を応援する事で、彼が謳った予算公正化が名目通り信じられ、これまで生徒会派とされたクラブへの弾圧には繋がらないと考えられたのだ。
 それでも、この結果は学園の生徒のモラルが非常に高かった事を示している。不当であろうと、優遇を蹴る事は生半難しいものなのだから。

 四つ目は水瀬真琴、美坂栞、天野小太郎たち一年生トリオの存在。
 否応なく目立つこの三人。
 どうしようもなく高飛車で元気良く、同時に引っ込み思案で精神的に幼いというアンバランスな魅力を醸し出す真琴。
 死病から復活し、執念で留年ながら復学したという大柄な過去を持ちながら、そんな事を微塵も感じさせず明るく年下の同級生たちに可愛がられる栞。
 屈託なく能天気でそれでいて健気という女心を擽るにこれ以上ないほどの要素を秘めたショタ少年、小太郎。
 この入学式から目立ちまくっていた三人が相沢一味に組していた事で、入学し立てで選挙について何も分からない一年生たちの眼が自然と祐一の方に集まっていくという結果を齎したのだ。

 そして極めつけは、物部澄、此花春日の二人であった。
 厳然として生徒会派に属する立場の彼女たちが公然と祐一たちの選挙活動を手伝いだした事は、生徒会派、反生徒会派に強烈な衝撃を与えた。
 澄が危惧した通り、裏切り者扱いする者たちはいたものの、だがそれはごく限られた人間に過ぎなかった。両派に属する生徒の多くが、互いの顔を見合わせ始めたのだ。
 それも無理はない。生徒会派、反生徒会派といってもそれは親の立場から勝手に区分けされたものでしかなかったし、現実に生徒会に所属できる生徒はごくごく一部でしかなかった。結局の所、彼らも他の一般生徒と同じく選挙に対しては酷く無関心だったのだ。
 だが、自分たちと同じ立場の澄と春日が祐一達に味方し始める事で、これまで惰性で所属するグループに票を投じていた生徒たちの中に自分たちが何か下らない事をやっているのではと考える者たちが出てきたのだ。
 相沢祐一出馬の画策者が前生徒会長の久瀬俊平と倉田佐祐理であるという噂もそれに拍車をかけた。


 それらの下地があったにせよ、最後に勝利を決定付けたのは相沢祐一本人のキャラクターである事は間違い無い。
 その本領が発揮されたのは、全校生徒を前にした演壇での選挙演説であった。
 生徒会派、反生徒会派から出馬した生徒の退屈な演説。欠伸混じりに座り込んでいた生徒たちの前に現れたのは最後の出馬者相沢祐一。
 そして、後に名高い『学内政治壟断演説』―――俗に『王朝開幕宣言』と呼ばれるそれが開始された。

 相沢祐一は呆れた事に、生徒会長を学校の支配者になぞらえ、自分がどれほど権力を振り翳したいかを力説し始めたのだ。
 それは以前、彼が久瀬と交した本音のやり取りの焼き増しとも言えた。
 そして、さらに呆れた事に、なんとその演説は面白いほどに生徒たちにウケてしまった。
 熱弁というよりも漫談に近いコミカルな祐一の演説に、講堂内は絶え間ない爆笑に覆い尽くされる。
 『腐った民主政治よりも優れた独裁者を』
 どこかのスペースオペラじみた標語を生徒に刷り込み、相沢祐一の演説は満場の拍手とともに終了した。
 この演説により相沢祐一という人物は実に楽しいヤツだという認識が生徒間に生まれ、投票の際にはタレント議員に票が流れるように浮動票が祐一に集まっていったのである。

 一方、今日まで類を見ない規格ハズレな演説を終えて演壇から降りた祐一は、幕間にいた此花春日に『はははは、この学校の生徒たちはよほど俺の支配を受けたいみたいだな』と実に愉快そうにのたまったという。
 恐るべき事に、相沢祐一は本気であった。
 祐一が会長の座を引退するまで、この演説の内容を生徒たちがネタだと勘違いし続けたのは両者にとって幸いの一言であろう。その原因として祐一の施政が破壊的であったとしても壊滅的ではなく、また適切であった事による。最底辺の部分で相沢祐一が良識的な人物であったのと、彼とその周囲の暴走を必死で食い止め、奔走した真面目な副会長の苦心のお陰であろうか。
 尤も、彼をこのような演説を喝采と共に認めてしまったツケは、数年後の後輩たちが浴びるはめになるのであったが。

 ともあれ、斯くの如き要因により圧倒的な支持を受けつつ、相沢祐一は橘ヶ原学園第9代生徒会長へと就任した。
 三代に渡って栄華を誇る【相沢王朝】の開幕であった。








§  §  §  §









「だーまーさーれーたーーーっ!!」

 悲痛な咆哮が広々とした生徒会室にこだまする。
 念願の生徒会長の椅子(革張り)に座りながら、相沢祐一は天を仰ぎ、罵声をあげた。
 その面前のデスクの上には高々と未決裁の書類が聳えている。

「久瀬の野郎、何が学校を好き勝手できるだ。下らん雑務ばっかりで何も出来ないじゃないかっ! しかも死ぬほど忙しいし!!」

 今更といえば今更の嘆きに、サラサラと会議のスケジュールを記入し、パソコンに打ち込んでいた物部澄が冷たく告げる。

「だから、生徒会の仕事なんてろくなもんじゃないって言ったのに」
「ううっ、だってだって、久瀬とか佐祐理さんが楽しいって、お前は学校の支配者であーんな事やこーんな事が好き放題やれるって言ってたんだよぅ。騙されたよぅ」
「何が、あーんな事や、こーんな事よッ!」

 いきなりガラガラと引き戸が開かれるや、ゴジラのような足音を響かせ会長席に突進してきた少女が怒声をあげた。
 4月末に行なわれる緊急予算会議の詰合せを行なうために、クラブ周りをやっていた美坂香里である。彼女は帰ってくるなり青筋を立てながら泣き喚く祐一の机をバシンと叩く。

「相沢君は自分で望んでなったんだから自業自得でしょ! あたしたちは無理やりじゃない、なんでこんな面倒な事やらなきゃなんないのよ!」
「そうだよ、なんでオレたちまで生徒会役員になんなきゃいけないんだ?」

 実に楽しそうに選挙戦を戦っていた頃と比べて、格段に疲労し切った面差しのまま、香里の後に続いて生徒会室に帰ってきた北川が、呪うように言った。
 祐一は香里の剣幕に少々椅子を引きながらも、ふふんとせせら笑い。

「なんでって、俺を会長に祭り上げたのはお前等だろうが。楽しむだけ楽しんで、やり逃げされてたまるか」

 ちなみに生徒会役員に関してはすべて会長の指名によって抜擢される。基本的に指名された方に拒否権はない。といっても、固辞されたらそれまでなのだが。
 断らなかったのは、香里、北川両人にも祐一を担ぎ上げた事に対し、責任を感じる部分はあったのだろう。それでも、今の彼女等の態度を見れば不満タラタラなのは明らかだったが。

 先んじて記しておくならば、他の役員には物部澄、此花春日。そして一年から美坂栞、水瀬真琴、天野小太郎が引き込まれている。
 他に香里などの推薦で数名が参加しているが、このメンツを見るに完全な派閥人事である事は明白であった。
 尤も、彼らが優秀な人材であることは間違いなく、この後この点をついて相沢生徒会にたてつく旧生徒会派に対して彼ら傲然と意見を蹴散らしている。旧生徒会勢力が既に四分五裂状態でまともに存続していなかった事も相沢生徒会に味方した。


「くそっ、このままじゃやってらんないぜ。なにか生徒会に入って良かったな的特権を作りたいもんだ」

 ふーむ、と行儀悪く両足を机の上に乗せて腕を組んだ祐一であったが、ふと明暗を思いついたかのように拍手をうった。

「そうだ! 生徒会役員は学食全部無料ってのはどうだ」

 スパコーンと見事なほど響きのイイ音が鳴った。

「血迷った事を云わないでください!!」

 何処ともなく現れ、何故か生徒会室に常備してあった『ハリセン』を、生徒会長のドたまに叩きつけた天野美汐は落ち着いた相貌を今は夜叉の如く爛々とギラつかせて、沈没した会長以外の生徒会の面々を見回した。
 皆が皆、一様に曖昧な笑顔を浮かべてクビを振り、手を振る。

「揃いも揃ってこのボケ会長のボケた台詞に賛意を示そうとしましたね。ちょっとは常識というものを弁えてください」
「でも……タダは美味しいわよ、美汐ちゃん。見返りぐらいいいじゃない」

 権力は乱用してこそ華という信条でも抱いているのだろうか。良識派と目された美坂香里が目尻を引き攣らせながらも抗弁するのを目の当たりにし、美汐は大きな失望と落胆、そして絶望とともに覚悟を決めた。
 この生徒会、私がいなければ果てしなく暴走してしまうに違いないという哀しい確信が突きつけられる。覚悟を決めるより他なかった。今後の学園生活を多少なりともまともに過ごしたいのであれば。

「私の目の黒いうちは、そんなバカな真似はさせません」
「うー、でもミッシー生徒会関係無いじゃん」

 春日が不満そうに唇を尖らした。
 彼の云う通り、美汐はこれまで生徒会に入るのを固辞し続けていた。此処にいるのも無理やりに近い形で手伝わされてるに過ぎない。
 だが、彼女は生徒会発足以来一週間、現実の生徒会の危険性をこれでもかというぐらい見せつけられてしまった訳で。責任感の強い彼女が成立に自分も一端を絡んでいるこの生徒会を見過ごす事など出来る筈もなかった。

「分かりました、分かりましたよ。やります、やらせていただきます。生徒会の副会長、謹んでお受けいたします。これでいいんですよね!!」

 歓声と拍手の中、半ば自棄になりながら宣言する天野美汐。
 後に相沢王朝最後の良識として学校の信望を一心に集める【静嵐の副会長】その誕生の瞬間であった。
 そして、同時に天野美汐、苦悩と苦心と苦労の学園生活の始まりである。





 斯くして、相沢祐一を中心とする生徒会はここに完成を見、橘ヶ原学園激動の時代へと乗り出すのであった。







――第二幕『卯月は雪解けの季節にて』 これにて閉幕


後書き


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