最近良く夢を見る。
それがどんな夢だったか。楽しい夢なのか、心踊る夢なのか、それとも悪夢なのか。
まったく覚えていないのだけれど。

それでも、夢を見たということだけは。

覚えている。



















夕暮れ時のまどろみの中で


















突然カクンと頭が落ち、あたしは目を覚ました。
ふと気が付くとそこはキッチンの机の上。どうやらぼんやりしている間にウトウトしていたらしい。
頬杖をついていた感触が、右頬に熱く残っていた。恐らくは赤くなっているだろう。
あたしは熱の篭もった頬を擦りながら、壁にかけられた時計を見上げた。
時間は午後四時。
日も傾いてくる時間だろう。
昼と夜の狭間。太陽と月の重なる時。光と闇の交じり合う時間。
時計を見たからだろうか。時を刻む針の音だけが耳に飛び込んで来る。
家の中には誰の息遣いも響かず、人の気配は途絶え、あたしはただ沈黙の中に取り残されていた。

「栞も出かけたのか」

確か、つい先ほどまでテレビを見ていたはずの栞の気配も無い。
多分、アイスでも買いに出かけたのだろう。先ほど、最後に冷凍室に残っていたカップアイスを頂いたはずだから、この家にはもはや一つも残っていないはずだ。

「ふう」

イスを引いて立ち上がると、思いのほか大きな音が響く。
あたしは思わずドキリと心臓を跳ね上げ…溜息をついた。
特に意味は無い。ただ、自然と漏れ出ただけだ。
ふと視線を向けた窓からは、真昼とは少しだけ色合いの変わった光が差し込んでいる。

あたしは少し外を歩く事にした。休日に一日中家に篭もっているのも何かと不健康というものだ。
別に家の中で転がっていることは嫌いではないのだけれど、今は少し外の空気を吸いたい気分だった。

決して綺麗とは口には出来ない薄汚れたスニーカーを足に引っ掛け、外へと出向く。
目的地は無い。ただ、ブラブラと歩くだけ。
寒くも無く、熱くも無い心地よい風があたしの横をすり抜けていく。

予感はあったのだろうか。
あたしは知らぬうちに川の方へと足を向けていた。
いつも良く行く商店街とは反対方向なだけに、あまり足は運ばないところだ。
だが、何となく今日は人の波の間を歩きたくなくて、喧騒とは無縁の場所へと向かっていた。


風が強くなる。
川辺ともなれば当たり前か。
あたしは乱れそうになる髪の毛を抑えながら、ブラブラと河川敷を歩いた。
青々とした叢と、サラサラと流れる河の水。
人の気配は微塵も無く、だけれども自然という生きた世界の匂いに満ち溢れた世界。
だからだろう。
あたしはすぐ側を通りかかるまで、彼にまったく気がつかなかった。

「…あら」

堤防の草むらに覆われた坂の途中で、緑に溶け込む様にして眠りこけている少年が一人。
実に気持ちよさそうに寝息を立てている。

「寒くないのかしら」

雄々しく葉を伸ばしている緑が風から彼を守っているのか。このやや強めの風にも彼はさほど冷たさを感じていないようだった。

あたしは眠っている彼の横に座り込み、その寝顔を覗き込んだ。

「ホントに寝てるの? 北川君」

言いながらその頬っぺたを突いてみたが、ムニャムニャという幸せそうな反応しか帰ってこない。
その触り心地は柔らかいようでどこか固く、栞のどこかそのまま指が混ざり込んでしまうのではないかという感触とはまた別のものだった。
これが男の人の感触なのだろうか、とあたしはぼんやりと北川君の寝顔を見ながらふと思った。

サラサラと風が凪ぐ。

歌を奏でるような草の音と、肌を愛でるような風の感触にあたしは思わず気を取られ、傍らで彼が身動ぎするのに気がつくのが遅れた。
クルリと寝返りをうち、あたしの膝の上に転がってくる北川君。

呆気に取られているうちに、彼は幸せそうな顔のまま「うへへ」とにやけて膝枕を決め込んでしまった。

「ちょっと、起きてるんじゃないでしょうね」

呆れながら頬っぺたを引っ張ってみるものの、ただ無抵抗に伸びるだけ。
むしろムズがって、反対側の頬をあたしの太腿に擦り付けてくる。

「…もう」

あたしは小さく溜息をつくと、彼の鼻先をピンと指先で弾いた。
擽ったそうに表情を変える北川君。けっこう見ているだけで面白い。

「ま、いいか」

ふっと笑って、飽きるまで寝顔を眺める事にする。それぐらいは役得だろう。
まあ、男の寝顔なんか眺めても、役得って言うほどでもないだろうけれど。

いつの間にか、眠る彼の頭を撫でていた自分の手を見やり、だがその手を止める事無く彼の柔らかい髪の毛の感触を味わい続ける。
穏やかな吐息をリズム良く奏でている彼の寝顔は、ただでさえ童顔の彼の面差しをさらに幼くしている。
それは、いつも教室で居眠りしている北川君の寝顔とはまた、少し違っていた。

「…あなたは、本当はそういう顔をして眠るのね」

人は他人の顔を良く知らない。
その人のすべてを知っているつもりでも、その人が持つ表情のどれほどを見たことがあるというのだろう。
彼の事は良く知っているつもりだけれど、でも知らない顔を沢山持っているという事も自覚しているつもりだ。

「あなたの知らない顔を見つけた時、嬉しいって思うことはどういう事なのかしらね」

それは彼が大切な友人だからだろうか。
それとも……気がつかない内に抱いていた想いの所為だとでも言うのだろうか。

「LIKE or LOVE、か」

きっと、こうしている事を許している時点で、それは明らかなのかもしれないけれど。
でも、あえて自分を偽りつづけるのもいいかもしれない。
それが甘えだとしても、もう少しだけ彼との間の心地よさに浸っていたい。
二人の距離が変わるその時まで。

「あなたは、今どんな夢を見ているの?」
「へ…うへへ」

答えは返ってこない。
でも、その寝顔を見れば一目瞭然だろう。
幸せな夢・楽しい夢・満ち足りた夢……えっちな夢?
果たしてその夢の中にあたしは居るのだろうか。

「ああ、思い出した」

あたしの夢の中には、いつも…は言い過ぎだけど、大概あなたの姿があるわよ、北川君。

「その内の九割方はギャグキャラだけどね」

残り一割については、記憶の片隅に置き忘れておくとしよう。




「さて、起きた時あなたはどんな顔をするのかしらね」

それは自分の見覚えのある表情なのだろうか。
それとも、初めて見る表情なのだろうか。

待ち遠しいような、でもこのままずっと待ち続けていたいような。
そんな不思議な夕暮れの河川敷。


それは夏の終わりの夢の跡。
優しい風が見守る二人の、ある午後の一幕。







inserted by FC2 system