腕を掴まれた時、あたしは振り払う事が出来なかった。
彼は必死だったし、あたし自身混乱していたんだと思う。
逃げられない。
あたしが出来る事はいつだって逃げる事しかなかったのに。

「あ、あたしは……」

逃げられなくなって、あたしは途方にくれてしまった。
いったい、どうすればいいんだろう。
分からない。分からない。

さざなみの音色が、あたしの心を色を覆い隠していく。

「あたしは……」
「美坂は…遠いよ」

あたしは思わず口篭もった。元々、云うべき言葉も持たないのに、何を云えばいいというのか。

「こんなにも近くにいるのに。こうして、触れているのに。遠く感じる。なんでだろうな」
「北川くん」

水平線の向こうに沈む赤い夕陽。その疲れた赤に照らし出された彼の横顔は、泣きそうな顔をして笑っていた。

「ごめん」

首を振る。何故、謝られるのか分からない。

「ごめん」

首を振る。哀しまないで欲しい。

日が沈み、赤が消え、彼の顔が見えなくなる。

彼が遠くなっていく。

こんなにも側に居るのに。
こうして腕を握られているというのに。

光とともに、あたしは孤独になっていく。

それは、冷たくて、哀しくて、心が締めつけられて。


ああ、そうだったのか。


あたしは、いまさらのように気が付いた。


「あたしは、馬鹿だ。あたしが、馬鹿だ」
「美坂」

彼は、力無く掴んでいた腕を離してくれた。
あたしは振り返りもせず、堤防から砂浜に飛び降りる。
寄せるさざなみ。
潮風が髪をなぶり、ワンピースのスカートを翻す。

あたしは靴を脱ぎ、波間に足を浸す。
海と地上の境目に、我が身を置いて、近づいてくる夜を見上げた。


「遠ければ、あなたから走ってきてよ。今みたいに」

届く事の無い、海と空の狭間を見ながら。

「あたしは此処に居る。もう、逃げない。だから、あたしの居る所まで走ってきて」

そうすれば……。

「もっと近くに感じられるから」

あたしも、あなたも。
もう、すべてを彼方に感じなくて済む。


背中に感じる彼の鼓動。
抱き締めてくる腕を撫でながら、あたしは告げるべき言葉をようやく見つけた。


「もう、離さないで」
「……うん、絶対に」


一緒に行こう。歩いていこう。
あなたと一緒に。

幸せになろう。幸せになってやろう。

そう、決めた。決めたんだから。

だから、あたしはもう、逃げない。


誓約を胸に、
温もりを両手に

果て無き途は、此処に一つに交わりて
それが何処に繋がろうと、
彼女は彼は、もはや迷わず



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