薄々とは感じていたけれど、どうも自分は場の空気に容易に流されてしまうタチらしい。いや、決して他人に迎合してしまいがちな人間というわけじゃない。むしろ自分の意見をしっかりと保って見失わない方のはずだ。ただ、気を許した人たちが相手だと、どうしても乗せられてしまいガチというか、いつの間にか取り込まれてしまっているというか。

「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ、美坂?」
「うるさい、ベタベタ触ってこないでよ」

 馴れ馴れしく手を握ってくる北川を、その度にペシペシとはたいて追い返しながら、美坂香里はお猪口に注いだ辛口の日本酒をチビチビと舌に湿らせていた。
 温泉からあがってしばらく渓谷沿いの遊歩道を散歩してから旅館へと戻ってきた四人を待っていたのは、女将が約束したとおりの美味しそうな猪鍋であった。
 先ほどまで卓の上でおいしそうな湯気をあげていた猪鍋は、色々と運動したために空きっ腹だった四人のお腹の中にすっかりと収まりきってしまい、既に取り皿の類いとともに仲居さんたちの手で片付けられている。
 心地のよい満腹感に、ちょっとお酒も加わって、幸せな気分に浸る四人が寛ぐ食後のまったりとしたお座敷には、今、ややてんぽの外れたアカペラが流れていた。重ねた座布団の上で振りまでつけながら上機嫌に歌っているのは、いい感じに酔いの入った水瀬名雪だ。祐一の合いの手に合わせて、ひらひらとたくし上げた浴衣の裾を摘んで翻している。
 チラチラとひらいた裾から垣間見える白いふとももが眩しい。

「ううっ、美坂がつれない」

 いい加減たたかれすぎて赤くなってきた手の甲に息を吹きかけ、北川は情けなそうに嘯いた。

「なんだよ、香里。ちょっとぐらい触らせてやれよ。さっきまで裸で触りっこしてた仲なんだから今更だろ」

 合いの手を入れながら祐一が入れてきた茶々に、香里の頬が酒気とは別の意味でじんわりと赤くなる。
 必死に意識の隅に追いやっていた温泉での記憶が間欠泉のように溢れ出してきて、香里は羞恥のあまり頭を抱えて押入れの中にでも逃げ込みたくなるのを必死で我慢した。
 そう、つい先刻まで自分たちは口に出して言えないようなハレンチ極まりない事をしていたのだ。しかも四人で。全員で。裸、生まれたままの姿で。身体中のあらゆるところを、それこそ隅から隅まであますところなく触りあって。もう、入れるの入れないの、というところまで。
 いまさら、ちょっと肩を抱かれたり、ふとももを撫でられたりするくらいどうってことはないのかもしれないけれど。

「あの時はあの時、今は今。さっきはまあしょうがないわよ、あの場合、拒否するのもどうかと思ったし、お風呂だったんだから裸なのは当然だし、発情しちゃったあんたたちにお預けくらわすのも可愛そうだったし。でもだからといって二度目も三度目もって馬鹿みたいに涎垂らして迫られて黙って受け入れるほど、あたしはやすくはないの」

 ぶっきらぼうに言い放つ香里だったが、逆に北川はにやにやと相好を緩めた。

「あらら? 風呂のとき、このあとなんでもする、なんでも言うこと聞くって言ったのはオレの聞き違いか?」

 あれは人生最大の失敗であった。香里は悔しげに歯軋りすると、

「…………言ったわよ」

 顔を正面に向けたまま、憎たらしげに目線だけを北川に向けて、ふてくされたように呟く。

「言いました。美坂香里と水瀬名雪は北川くんと相沢くんの言うことをなんでもききますって、確かに言いました。でも、黙って受け入れるとは言ってないわよ」
「……名雪、この負けず嫌いをどうにかしてくれ」
「えー。べつにいいんじゃない」

 座布団のステージから飛び降りて、ふらふらと覚束ない足取りであるいてきた名雪が北川の隣に腰を下ろす。

「男の子って、女の子が口では嫌がりながら言う事聞いてくれるってシチュエーション、けっこう好きでしょ?」
「大好きです!」

 拳を握って全力で同意を示す北川。

「ちなみにー、私はなんでも素直に言うこと聞いてあげるからね」

 ニコニコと微笑みながら、名雪は北川の肩に身を摺り寄せ、上目遣いに見上げてきた。

「ううっ、それも大好きかも」
「北川くん。香里が触らせてくれないなら、わたしの方を触っとく?」
「え?」
「いいよー」

 アルコールの入ったとろんとした目つきでじっと北川の目を覗き込みながら、名雪はスルッと浴衣の襟元に指を引っ掛け、ひっぱった。襟元が緩み、はじけそうなふくらみの谷間があらわになる。

「うおっ、やっぱりすげえな、水瀬の胸」

 温泉で網膜に焼き付いて消えなくなるほど見た名雪のおっぱいだったが、こうして座敷の上で薄い浴衣の生地一枚にだけ覆われている煽情的なラインはまた別の意味で暴力的で、北川は目を見開いてゴクリと唾を飲み込んだ。

「あれ? 名雪、ブラしてないのか」
「してないよー。下は履いてるけどね」

 祐一に尋ねられ、屈託なく名雪は半ばあらわになった胸元の先端部に指を這わせた。クリクリと指で弄るうちに、硬くなった先端が浴衣の生地を押し上げその位置と形を主張し出す。

「香里はー?」

 話を振られ、ムスッとお猪口を舐めていた香里は、

「してるに決まってるでしょ」
「じゃあ外そう♪」

 即座に祐一が無邪気にのたまう。香里はブーッと口に含んでいた日本酒を吹きだした。

「なんでそうなるのよ!!」
「いや、俺としてはなんでこの期に及んでブラなんぞまだつけてるかの方が疑問なんだが」

 心底不思議そうに首を傾げる祐一を見て、香里は真剣に頭を抱えた。

「そうだぞ、美坂。このシチュエーションでブラ着用なんぞもはや不謹慎だ」
「北川くん、ちょっとあんた不謹慎の意味を辞書で調べてきなさい」
「なあなあ、オレが外してみていい? オレ、女の子のブラって外したことないのよ」
「聞きなさいよ」

 端から話を聞く様子のない北川の頭を、香里はムッとしてポカリと殴った。

「痛いぞ」

 不本意そうに頭を摩る北川に、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「知らないわよ、バカ。やりたいなら勝手にやれば?」
「お許しが出たぞ、良かったな北川」
「あれえ? 色っぽく迫ってみたわたしの立場は?」

 触っていいよー、なんてことまで言っておきながら放置され、名雪は苦笑しながらただでさえ緩んだ襟元をひらひらと広げてみせる。
 浮き上がった襟元から、たぷんと柔らかそうな曲線と、その先端のピンク色がチラチラと垣間見え、ウキウキと腰を浮かせて香里に迫ろうとしていた北川も、男の性でついついそちらの方を振り返ってしまう。

「……む」

 素知らぬ顔をしていた香里だったが、手をワキワキさせて身体だけこちらに乗り出しながら、首の方は後ろに向けたまま固まっている北川の姿に、目元をピクピクと戦慄かせた。

「おい、名雪。反応があったぞ。もっとやってみれ」
「だね。ここから引き寄せられるかな。ほれほれー」

 面白がって茶化す祐一に乗っかって、名雪が広がった浴衣の合わせ目を下にひっぱり、生地をぴったりと肌に合わせて、ふくらみを強調なんかしたりしている。ただでさえ半分以上曝け出されている白い胸元を、さらにジリジリと左右に広げて見える範囲を広げていく。

「お、お、お」

 バカのように引き寄せられていく北川。
 段々と逆放置の状況に置かれつつあることに、目元の痙攣を激しくしていく香里。
 突如、留め金が外れたように香里がお猪口に残っていた酒を一気に煽って、テーブルに叩きつけた。
 思わずみんながギョッと香里を振り返った。

「ああもう、暑いわね!」

 やけくそのように香里が叫ぶ。自棄になったような乱暴な手付きで、浴衣の上から装着していたブラジャーの留め金を外し、胸元から引き抜いて背後へと放り投げた。
 そして、腰の帯を緩めると、気だるそうに肩を揺らす。すると、帯が緩んで留めが弱くなった浴衣がずるりとずれて、肩が肌蹴た。肩から滑り落ちそうなところで辛うじて止まる香里の浴衣。眩しいくらいのもろ肌が、おへそまで見えそうな三角形を描く。
 凄まじいほどの煽情的な姿で香里は卓にほお杖をつくと、やや背を曲げて前屈みになりながらお銚子からお猪口に酒を注いだ。そうして、ほお杖をついたままお猪口を口に持っていく。
 ほのかに勝ち誇ったような笑みを向ける先は、ぽかんと目を丸くしている名雪だ。
 北川だけでなく、高みの見物を決め込んで面白がっていた祐一まで、むしゃぶりつくように香里に目を奪われている。
 なにしろ、香里ときたら無防備に卓に圧し掛かるような姿勢でほお杖をついているものだから、ただでさえひらいている浴衣の胸元がたわんで奥まで見えてしまっている上に、おっぱいが卓の上に乗っかってふにゅん、とけしからん形になってしまっている。
 もう先っぽだって見えている。というか、わざと見せている。
 いや、もう嫌というほどわかっていたことだけど、名雪は思わず喚いてしまった。

「こ、この負けずぎらいーー!」

 ふふん、とそんな名雪を鼻で笑い、実に不本意そうな口調で香里はぶっきらぼうに言った。

「相沢くん、北川くん。どうしても、って言うならしょうがないから胸くらい触ってもいいわよ」
「い、いいのかー!」

 ブラを自らの手で外す事に執着していたはずの北川だったが、そんなことはすっかりきっぱり忘れてしまったらしく、興奮しまくった様子で鼻息を荒くする。一方で、祐一の方はそんな無駄なリアクションに時間を浪費しなかった。

「じゃあ遠慮なく」

 一瞬、ためらいというか、高級な食器に触れるときのような迷いを見せる北川と違って、祐一はいつも使っている茶碗にでも手を伸ばすような無造作さで、香里の背中越しに襟元に手を差し入れた。

「やっ、ん。この、あなたって人は。ちょっとは遠慮しなさい、んっ」
「俺はもらえるものはもらえるときに確実にもらっておく主義なんだ」

 祐一の手は、たゆんとテーブルに乗っている乳房を、熟れた果実でも触るように力を込めずに瑞々しい肌を撫でまわす。

「ああ、相沢、てめえ抜け駆けを」
「ぐずぐずしてるあんたが悪い」
「そんな、美坂ー」
「おいおい、落ち着けよ。北川、おっぱいってのはちゃんと二つあるんだぜ」
「なによ、それ」

 馬鹿にしたみたいに吐息をつきながらも、その息には敏感な胸の突起を手のひらで何度も擦られている甘い痺れが紛れていた。

「もう、指なんか咥えないでよ。ほんと、男っていつまで経っても赤ちゃんみたいで成長ないんだから。恥ずかしいとか思わないのかしら」

 正座してもの欲しそうに胸をまさぐられる自分の姿に見入っている北川に、香里は呆れたような表情をして見せた。
 そうして、北川の方の浴衣の胸元をそっとひろげる。ぽろん、とまろび出た乳房。もう片方の乳房をまさぐりながら、思わずと言った様子ではだけた胸の方にも伸びてくる祐一のもう一方の手をはたいて追い払い、香里は強調するように乳房を下から持ち上げて見せた。

「触る? それとも、吸ってみる。自分の指よりは、愉しいんじゃない?」
「い、いいのか?」

 香里はふん、と鼻を鳴らした。

「知らないわよ。でも、今夜はあたしはあんたたちにどんな風に好きなようにされても文句言えないんでしょう?」
「お、おうおうおうおう!」

 シャウトしまくるヘビメタのボーカルのように首を上下に振る北川の顎を摘み、顔の近くまで引き寄せると、香里は啄むように唇にキスをした。

「相沢くんも」

 祐一の首に腕を絡めて口元まで引き寄せ、ちょっと驚いている祐一の唇を無理やり塞ぐ。
 くちゅくちゅ、と濃厚に舌を絡め、息継ぎをするように離れると、もう一度顔を反対に向け、今度は北川の唇に自分のそれを重ねる。
 最後に、理性が千切れそうな目つきで鼻息を荒くしている北川の鼻先に、チュッと口付けして、後頭部に回した手で彼の口を胸元へと誘う。
 すぐに、子供のように敏感な胸の先端を口に含んでチューチューと吸い付かれる感覚が、香里を襲う。
 両方の胸から伝わってくるそれぞれ違う痺れるような快感に意識をたゆたわせながら、香里はさっきから置いてけぼりを食らっている親友に流し目をくれた。
 ぼーぜんと少し離れたところから、男二人が香里に絡め取られるのを眺めていた名雪は、香里のどーだ、と言わんばかりの挑発的な目線に、ハッと我に返った。

「や、やってくれるじゃない」

 見ようによっては、祐一と北川の二人を傅かせて放置された自分を見下したような女王のような香里の振る舞いに、名雪は引き攣った笑みを浮かべた。
 どうやら此処に至って、香里は同じ女のはずの自分に助けられるどころか、散々良いように弄ばれたことへの逆襲にでたようだった。その逆襲のやり方ときたら、どう見ても自爆的なのだけれど、香里はいつだって自爆的な行動に突っ走ってしまう人だから、ある意味とても香里らしいと言える。
 今だって、冷静になれば自分がどれだけ恥ずかしい事を仕出かしているかを思い出して、七転八倒するに決まっているのだ。
 でも、一度暴走しはじめれば、香里はもう止まらない。負けず嫌いで頑固で一途。それが、美坂香里なのだから。

 いいよ、受けて立とうじゃない。
 ぺろりと上唇を舐め、名雪は腕まくりして立ち上がった。

「水瀬の女をなめてもらったら困るよ、香里」




 温泉卓球――

 夜祭篇→篭絡篇








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