< 11:48 公園 噴水広場 >




「総統、歩けます!!」
 とりあえず一発吼えてみた。
「ばーい、ザ・ドクター・ストレンジラブ・ワールド!」
 行き詰まったときに必要なものは、なにより気合と勢いである。内容、種類は問うものではない。野暮である。
 なんとなくすっきりした気になって満足げに首をコキコキと回した栞は、ふと連れのことを思い出して二人の反応を伺った。
「――ッ!? ――ッ!?」
「あははは」
 あからさまに腰が引けてる北川薫と、何故かウケてる氷上シュン。
「栞……その、大丈夫? 脳とか、脳とか」
「失敬ですね、どういう意味? というか脳脳繰り返すな」
「いや、だって」
 おろおろと狼狽している薫の様子にどうやら正気を疑われているらしいと気付き、栞はぷーっと頬っぺたを膨らませた。
「でも栞さん、ここを地下世界というには男女比率が違うんじゃないかい?」
 栞はパッと表情を輝かせて、氷上に向き直った。
「それもそうですねえ。では、密室卿の犯行という線ではどうでしょう」
「その推理は色々な意味で危険すぎると思うんだけど」
「ちょ、ちょっと。なんよ? 二人してなに話してんの?」
 声にちょいと半泣きの卦が混じり始めている。栞は仕方ねえなあ、と溜息をついた。ここはちょいと小粋なトークで緊迫した場を和ませようとしたのだが、お子様には伝わらなかったらしい。やれやれである。
 栞はパンパンと手を叩いた。
「はいはい、落ち着いて。仕切りなおし、状況を整理しよう」
「栞が仕切るのかよ」
「君がやる?」
「……いい」
 スゴスゴと引っ込む薫。自分でも仕切り屋的才覚は無いと自覚しているらしい。身の程を知るというのは良い事である。
「では氷上さん、司会進行をお願いします」
「丸投げかよ!」
「いちいち横からうるさいなあっ、さくっとぶった斬ッちゃうぞ!」
「だぁぁ、抜くな抜くな。ってか、いい加減返せや、オレの刀!」
「返せと言われると返したくなくなるのが淑女の嗜み乙女の涙」
「意味わかんねえ!」
 刀を頭上に掲げて「ほれほれ」と薫を玩んでいる栞。どうやら自分の持ってる物に薫の手が届かないのがよほど嬉しいらしい。
「くぅ、重たい。う、腕が疲れた」
 でもすぐに疲れてヘロヘロと刀を取り落とす。急いで薫は刀を引っぺがして、後生大事そうに抱え込んだ。
「へんっ、刀ってのは重いねんぞ。栞みたいな枯木みたいな腕じゃ持っとるだけでポキッと折れてまうわ、あほー」
「にゃにおー」
「はいはい、遊んでないでそろそろ真面目な話をしよう」
 仕切る柄じゃないんだけどなあと頭を掻きながら、氷上は二人を制止した。
「お、お前が仕切るなよ!」
 気に入らないのか、薫が敵愾心むき出しに噛み付いてくる。
「じゃあ君に任せるよ」
「…………」
「だからそこですごすご引っ込んじゃだめでしょう」
「うー」
「話、進めていい?」
「はいどうぞ、氷上さん♪」
 胸元で手を握り締めて眼をキラキラさせている栞と、その影で刀を抱きしめてガルルルと牙を剥いてる薫、二者二様の視線に晒され、氷上はやりにくそうに頬を掻く。
 僕は脇から意味深なことを言って茶々を入れてる方が好きなんだけどなあ。
 わりと世の中舐めてることを考えている少年であった。

 公園は噴水広場。立って話すのも疲れるのでと、噴水の脇に設置してある木製のベンチに氷上と栞は腰掛ける。胴太貫を地面に突き立てて立っている薫を除いて、周辺には人気は無い。三人は既に二十分以上掛けて公園や周辺の民家を調べ回ったものの、自分たちを除いて人間を含めた生き物の姿は忽然と消え去ってしまっているのが確認できただけだった。
「みんなで調べたから分かっていると思うけど、どうやら僕ら以外は綺麗サッパリ消え去ってしまっているみたいだ」
「はい、マリー・ヘベレケ号事件みたいです」
 それを言うならマリーセレスト号である。
 氷上はナチュラルにスルーして先を続けた。
「忽然と人が消えた、という意味なら似ていると言えるけど、今回の場合、目の前で消えちゃったからね」
「確かに。結果だけじゃなくその瞬間を私達は目撃してしまったわけですね」
 腕を組んでウンウンと頷いた栞は、一転その双眸に小悪魔めいた鋭さを滲ませ、氷上と薫を比べ見た。
「それに関してなんですけど。ぶっちゃけ、二人ともこの怪奇現象の原因に心当たりがあるんじゃないですか?」
「――え?」
「……どうしてそう思うんだい?」
 ピッと指を立てて栞は言う。
「お姉ちゃんが消えちゃったあの瞬間、二人とも何か私が見えないものを目撃してたみたいじゃないですか」
 ほう、とばかりに氷上は笑みを深くした。
 それを見て、栞は得心を新たにした。やはり彼には心当たりがあるようだ。皆が消えてしまった後、とにかく周辺を調べてみようという事になったのだが、
「いなくなった人を捜していた私と違って、二人は何かを私とは別のことを確認しているように見えたんですけど。違いますか?」
「ふむ」
「……し、栞がなんか切れ者みたいなセリフを言っとる」
「なにゆえそこで脳にエイリアンの卵を産みつけられてしまった人に出逢ってしまったみたいな顔をするのかね、薫くんや?」
 怯える薫のこめかみにウメボシを喰らわして黙らせる。
「氷上さん、何かわかったのなら聞かせてほしいです。さすがにこの状況……」
 グルリと物音一つしない無人の公園を見渡し、栞はブルっと身体を震わせた。
「何もわからないままじゃ居心地が悪いですよー」
「うん、そうだね。いいよ、憶測でよければ話す。ただ、ちょっとエキセントリックな話になるよ」
「あ、多分それは大丈夫です」
 ペロっと栞は舌を出した。
「実は友達に魔法使いの人がいたりするので。そっちに関しては詳しい詳しくない以前に殆ど全く知識はないですけど」
「なるほど。道理で」
 氷上はなにやら納得したようだった。
「?」
「いや、突然こんな訳のわからない事に巻き込まれているのに、随分落ち着いているなと不思議に思っていたからね」
「そうですか? 恥ずかしいぐらい慌ててたと思うんですけど」
「慌てる事とパニックになる事は全然違う事だよ。普通なら、突然僕ら以外の人間が消えてしまうような状況に置かれれば、現実から逃避してしまうか身柄を取り押さえなきゃならないような錯乱状態に陥ってしまっても不思議じゃない。何しろ、現実にはありえない状況だから、精神の均衡を保つのは難しい。でも栞さんは魔術という存在を認知しているから、この異常事態、怪奇現象の原因が魔術によるものではないかと考える事が出来る。原因を推察できるという事は理性を働かせる余地がある、という事と連結しているからね」
 それでも、と氷上は肩を竦めた。
「その余裕っぷりは畏敬に値するよ。たとえ原因がわかっていても取り乱さずにいられるのは大したものだと僕は思う」
「……それって神経が図太いとか肝が座ってるとか思われてますか?」
「表現の方法は人それぞれ、という事だね」
「ぶー」
 しかしまあ、氷上の言うことも良くわかる。こういう状況でなかなか平静を保っていられるものじゃない。なら、自分はどうしてこうも落ち着いていられるのだろうか。
 と。疑問に思うまでも無い事に栞は思い至った。
「ほれ、薫くんや。ちったあ君も私を見習って落ち着きたまえ」
「うるさいな。オレは落ち着いとる。ほっとけ」
 反論しながらも、薫の視線はひとところに落ち着かず左右を行ったり来たりしている。さっきから肩にも力が入りっぱなしで、ピリピリと緊張しているのが丸わかりだ。何かあればすぐに動けるように、と周りを警戒しているのだろうが、そのうち疲れてくるんじゃないだろうか。元々体力あんまり無いのに。
 まったく、傍でこれだけ緊張だの警戒だのされた日には、こちとらリラックスして御大人よろしく大仰に構えるしかないじゃないか。
 栞は周囲からは見えないように押さえた手の裏側で、小さく唇をほころばせた。
 まあ結局なんだ。この子が一緒にいてくれた事で、自分は安心しているらしい。勿論、頼りにするなら氷上の方だが。
「年上なんだからみっともないところは見せられないしね」
「なんやねん、人の顔見てニヤニヤして」
「いやー、精神的優位を再確認していたところ」
「……なんやようわからんけどむかつく」
 ムッとする薫を宥めているのかからかっているのかいまいち判別できない言動で大人しくさせ、栞は氷上に話の続きを促がした。
 氷上ははっきりとしたことはわからないが、と前置きした上で、この状況は自分たちが結界に引き込まれた結果ではないか、という見解を、結界の大まかな説明とともに栞たちに開示する。
「一つ質問」
「どうぞ」
「氷上さん、もしかしたら魔法使いの人?」
「いや、それは違う。僕は魔術式と呼ばれる技術の類は一切使えない。去年から今年に掛けてなんだけど、療養で欧州に行っていた時に、そちら側の人と知り合う機会があってね、その人に色々と知識を教えてもらったというだけだよ。だから、今の見解も初心者の見地によるものだから、あまり信用しないほうがいいのかもしれない」
 間違いないと思うけどね、と付け加える。
 栞はうーんと頭を捻り、ややあってツンツン頭に目を向ける。
「薫くんの意見は?」
「……」
 ふてくされているところを見ると結界に関してはほぼ同じ見解らしい、と判別して栞はなるほどなるほど、と頷いた。氷上は何も言わない。ただ、栞と薫の様子から、少なくとも薫の方は魔術方面に通じているらしい事は察したようだった。
 訊ねてこないのか? と栞は少々不可解に感じる。てっきり薫に関して問い質してくると思ったのだが。いや、と思い直す。
 薫くんにこれだけガリガリ頭から齧られそうな眼で睨みつけられたら、聞きたくても聞けないか。強烈な敵意を発散している相手に対して、氏素性を問い質せば場は一気に険悪化するだろう。氷上はその点を気を使っているのかもしれない。
 というかだ。この子は何をさっきから氷上さんに敵意丸出しにしとるのだ?
「栞さん?」
「え? えーっと、はい。なんでしたっけ」
「これからどうしましょうか、という相談です」
「あー、そうでしたね、はい。で、どうするんです?」
 薫はあとで窘めておこうと思いながら、栞は氷上との会話の内容を再整理していく。
「私たちが置かれている状況はだいたいわかりましたけど……」
 栞はムムムと眉間に皺を寄せた。
「わかったようで、実はさっぱりわかってないんじゃないですか、これ?」
「それはその通りなんだけど」
 困ったなあと氷上は苦笑する。
「それでも、何もわからないよりはマシだと思う。結界に引き込まれた、というのが事実だというのが前提条件としてだけど、幾つか疑問は整理できるよ。まず誰が結界を敷いたのか。何のために結界を敷いたのか。どうして僕たちが引き込まれたのか。他にも僕たち以外に引き込まれている人はいるのか、など疑問は尽きないけど、重要なのはそこらへんじゃないかな」
「それより、まずどうやってこの結界から出るのかが先決ちゃうの?」
 これまで口を挟まずにいた薫がボソリと告げた。
 氷上は一瞬キョトンとして、自分自身に呆れたようにポリポリと頬を掻いた。
「なるほど、君の言う通りだね。今提示した疑問はここで僕たちが話し合っていてもわかる事じゃないし。申し訳ない、どうも僕は物事の真相を見たいという方向に意識が行ってしまうみたいだ」
「でも氷上さんの疑問も注意すべきだと思います」
 おべっかやフォローのつもりは……多少はあるが、栞はそう答えた。
 何しろ、その疑問の答えは自分たちの置かれた立場、その危険性に直結している。気にしておいて損は無い。
「結界から脱出するのは賛成として……具体的にどうすればいいの?」
 意見を出した薫に向かって気軽に訊ねた栞であったが、薫はウッと言葉を詰まらせ視線を泳がせた。それについては何も考えていなかったらしい。
「うわっ、役に立たないし」
「…………」
 此方にはフォローも世辞も何も無い。というか突き飛ばされてるし。
 ズドーンと凹む薫少年。まあ少なからず好意を抱いている女性に、ケッと地面に唾吐きそうな顔で幻滅しましたといわれたら、普通は泣く。
「あ、もしかして泣かしちゃった?」
「な、泣くかあほっ」
「チッ、可愛くないなあ。ここで『うぇぇぇん、栞ちゃんのあほー』とか言って泣きついてきたら頭撫でて慰めてあげるのに」
「そんなんするぐらいやったら切腹して果てるわ!」
「それは止めておいた方がいいんじゃないかな。切腹は介錯してくれる人がいないと死ぬまで随分苦しむというし」
 氷上が止めに入るが、彼の口振りは本気なのか惚けているのかいささか判り難い。逆に馬鹿にされてるような感じがして、薫は、
「だああ、もううるさいうるさい! あほな事言うとらんで本題進めろや! あんたこそなんか考えないんか!」
 癇癪を飄々と受け流し、氷上は微笑のまま小首を傾げる。
「結界の脱出法となると。基本的には結界を敷いた術者に解かせるのが一番早いんだけど」
「じゃあその人を見つけて私たちを出してくれるように説得したらいいんですね♪ …物理的に」
 ギョッと薫は一歩後退った。
「い、今平和主義的なコメントに隠れてぼそっと不穏当なものが聞こえたような」
「む、何か文句でも? 説得実行者の人」
「オレ、物理担当!?」
「ほら、得意の辻斬りでバッサリと説得するとか」
「それは説得とは言わへん! ってか、辻斬りとか勝手に人の得意技を捏造するな!」
「えー、夜な夜な刀持って外に出てったのって辻斬りに行ったんじゃないの?」
「あれは型の練習と素振りのため。家の中で振り回すわけにいかんやん」
「ちっ、ああ言えばこう言う。生意気、おまけに可愛くないときた。こりゃもう帰ったら調教だよ、ちょう……ん?」
 栞はふと視界に映った違和に気付き、そこに焦点を当てた。
 氷上が微笑を消していた。
 常時浮かべている柔らかな微笑も素敵だな、と思っていた栞だったが、キリッと引き締まった無表情もなかなかどうして捨て難い。などと思わず見惚れていた栞であったが、そこで氷上の視線が自分たちから微妙にズレているのに気付いた。視線は自分たちを通り越して僅かに上方に向けられている。どうしたんですか、と訊ねる声を一旦飲み下し、栞は氷上の視線を辿った。
「……なんや、あれ」
 薫の呆けた声が隣で聞こえる。
 それは、巨大な雲塊であった。山の尾根から湧き立つようにその雲は空へと立ち上り、丁度墨をぶちまけてしまったかのように天頂に広がり埋め尽くしていく。
 その色はまったき漆黒。
 民家を捜索していた際に雷の音が聞こえたのを思い出す。あれはそのもととなった雷雲だろうか。
 だが、あの雲はまるで。
 うねるようにその規模を広げていく雲の姿が、まるで脂ぎった黒い甲虫の大群が空を埋め尽くしていくような光景に見え、栞は込み上げる吐き気に口を押さえる。
 そう、あの雲はまるで――――蟲の大群みたいじゃないか。
「主が、お前の名は何かとお尋ねになると、それは答えた」
 ハッと我に返り、栞は声のした方を振り返った。険しい顔で蠢く黒雲を見据えたまま、氷上は語る。
「我が名はレギオン。我々は大勢であるがゆえに」
 ズシン、と地面が揺れる。
 足元を縺れさせ、栞はその場に尻餅をついた。
「あいたっ、な、なに?」
 突然、機関車の唸りのような排気音が辺りに響く。お尻の痛みに反射的に閉じてしまった目を栞はこじ開けた。目の前で、薫が立ち竦んでいる。その背中越しに蒸気が吹き上がるのが見えた。栞は目を瞬いた。違う、あれは蒸気じゃない、排気音なんかじゃない。
 それは空から墜ちてきた。
 着地の衝撃から身体をほぐすようにしてブルブルと全身を震わせている。コールタールを思わせる粘ついた黒色が波打ち、蝙蝠のモノとも羽虫のモノともつかない四対の皮膜の羽根が翻る。羊とトカゲの爪先が入り混じったような良く判らない脚での二足歩行、やや前傾に傾いた毛むくじゃらの胴体に、節が四つある熊手に似た長い長い腕がついていた。顔は鰐のようにも鴉のようにも見える面長でヒレとも角ともつかない尖った触手が首の後ろから靡いていた。口は耳まで裂けていて、そこからシュウシュウと真っ白な蒸気を吐いている。
 それはこの世の生き物を捏ね回してデタラメに繋ぎ合わせた生き物のようにも、この世のどこにもありえない生き物のようにも見えた。
 ただ、ひたすらにおぞましい。これはこの世界に決して存在してはいけないものだと本能にて理解する。
 栞は、そうした生き物をなんと呼ぶのか知っていた。
「…あ、悪魔」
 風を切る音とともに影が顔を過ぎっていく。栞は空を見上げ、絶句する。
 目の前で身じろぐ怪物と同じ、何体もの黒い影が頭上を悠然と旋回していた。



















 その時、結界内にいた生きとし生ける者のすべてが天を仰いだ。
























< 同刻  帝都千代田区神祇省地下七階・中央指揮所 >


 その瞬間、管制員たちの罵声がコーラスのように唱和した。
「七号作戦区に接近中の部隊との通信が途絶しました! ……ダメです、通じません!」
「周波数、変更していますが……くそっどうなってる!?」
「衛星回線も通じないぞ!」
「警察の緊急対策本部からも七号作戦区域と連絡がつかなくなったと報告が」
 朽木は衛星から送られてきているリアルタイムの現場の映像に目を走らせた。街の様子を見る限り、少なくとも一瞬にして七号作戦区域が壊滅するような事態は起こっていない。物理的に連絡が取れない状況になっているのではないとすれば、これは原因は通信状況によるものだ。太陽からの磁気嵐によるものではない、そんな観測は出ていないし範囲が局地的過ぎる。他国からの電子戦攻撃? 論じるにも値しない。あらゆる側面から可能性を否定できる。肯定する材料を探すほうが難しい。
 となれば、原因は一つだ。
 世界法則の変質によって伝播法則が発狂寸前に陥っている。電波の伝播状況が極超長波でようやく通じるか通じないかという深海レベルにまで減衰してしまっているのだ。あの地域の異界侵蝕が一定量を越えた事を示す明確な徴候だ。そして、この現象が発生した場合何が起こるのか、我々は既にそれを十九年前に確認している。
 西暦1982年。富士樹海……現世に降臨した魔界。
 なんてことだ。朽木は血の気が引いていくのを感じた。<奴ら>が存在を確定できるのは日没後から日の出までだ。太陽がある限り、奴らはこの世に何の影響も及ぼせない。だから猶予はまだ六時間以上あるはずだったのに。あの領域ではそんな制限は無いも同じだ。
「部隊の展開と結界師の招聘を急がせろ!! 超広域電波障害は【恒常魔界圏】が構築された事を示す 現象だ。このままだと昼間だろうとなんだろうと関係なく現象生物(フェノメノン・クリーチャー)の【軍団(レギオン)】が現出してくるぞ!!」
 住民の避難命令は発せられているが、現地の無線通信が使用不可能となった今、現場で誘導に当たっている警察はパニックに陥っているだろう。前回の羅喉変の教訓から、状況に応じたマニュアルは作成されているが、実行できるか期待する方が難しい。
 幸い、次元界溝の現出地点は位相差空間内。結界が維持されている限り、レギオンが現出してくるのは結界内だ。だが、もし結界が解除されれば、現実世界にレギオンどもが溢れ出してくるだろう。そうなれば、血みどろの市街戦…あの仙台の地獄の再現だ。
「漣、頼む」
 朽木は祈るような思いで現場に急行している紫旗の長の名を呟いた。









< 11:54  市郊外新興住宅地 >


 住宅が立ち並ぶ滅多と車の通らない四つ辻、その中央に紫色をした人影が立っていた。男とも女ともつかないその姿は鬱陶しいまでの装飾品と毒々しいまでの化粧で彩られていた。その立ち姿は蛇のように艶かしく色香を漂わせている。
 神祇省特務集団・征夷八色の紫を束ねる男、月城漣。
 普段は性差の区別無く見るものを蕩かすような淡い微笑を浮かべているはずの美貌には、今は険しい牙が垣間見えている。蛇のまなこはじっと何も無いはずの四つ辻の先を睨んでいる。
「どうやら間に合わなかったみたいね」
「だが、手遅れではない。そうだろう、リーダー」
 声がした。
「来たわね、理子」
 漣の背後のアスファルトが俄かに盛り上がり、ボタリボタリとコールタールのような粘液がこそげ落ちていくにつれて人の姿となっていく。現われたのは女だ。この灼熱の日差しの中、漆黒の外套を隙無く纏った年若い娘が、片眼鏡(モノクル)を閃かせ不敵に告げる。
「【無機奏者(マテリアルプレイヤー)】加東理子、推参した。ちなみに、到着したのは私だけではないようだ」
 十字路の東より、巨大な唐傘を担いだ少女を肩に乗せた、顔の右半面に奇怪な刺青をした巨躯の男が歩いてくる。西側の民家の屋根を飛び越えて、黒いセーラー服を着た娘がブロック塀の上へと降り立った。足を組んで塀の上に腰掛けた彼女の脇には、いつの間にかカマキリを連想させる遮光グラスを掛けた男が腕を組んで塀にもたれかかっている。
 これで五人。
 最後に、電柱の上に忽然と現れた白い道服姿の女が、衣擦れの音もさせずにフワリと綿毛のように漣の傍らに舞い降りる。
 道服の女が腕の鈴をシャランと鳴らした。
「征夷八色紫極が六名、ここに罷りこしてございます」
 背中越しのその声、その気配を漣は頼もしく受け止めた。
 この者ども、漣を含めた紫旗の下に集いし総勢七名。数を厭わず怪力乱神蹴散らかす、一騎当千の化け物どもだ。
 化粧の裏に隠した月城漣の根っこの気性、鉄火の気質がビリビリと弾けていくのを感じながら、漣は揃った仲間に応えるように大きく頷……、

「ギャハハハハ、おい、ビリケツで来やがった癖に偉そうにカッコつけてるやつがいるぜ。何気にハズい、ハズすぎじゃんよ!!」
「き、きゃあきゃあ、そういうことはわかってても言っちゃだめーー! 紅葉ちゃんのあほー!」
「というわけでここは戦隊モノらしく背景に爆発をともないつつ一人ずつ名乗りをあげるの」
「誰が戦隊だ、オイ」
「儂、レッドがいいぞなもし、レッド」
「儀輔さんは明らかに黄色だと私は思うぞ。ちなみに私は桃色を所望したい」

 背中越しに聞こえてくる、かなり自分を無視した感じの騒ぎ声。

「あ、あんたたち…」
 武者震いのはずだった体の震えが、いつの間にやら別の何かに変わってる。
「決定稿を伝えるの。赤はモミジで、ブルーはトオル、ギスケは黄色で、ピンクはフーカなの」
「むっ、私のピンクは却下か」
「リコは綺咲的に緑が妥当な線だと思うの」
「うむむ、納得し難いが仕方ない、妥協しよう」
「そして綺咲は、みんなを後ろから叱咤激励してコキ使う戦隊のボスなの! 名づけてちびっ子隊長なの。みんな、綺咲を崇め奉るのー」
 おおっ、と何故か全員納得した風に首肯する。
「あれ? じゃあ漣さんは?」
 と、一人名前の出なかった漣について風花が首を傾げた。意を得たり、とばかり綺咲は大きく頷き、プルプルと震えている漣の背をビシィィィと指差した。
「レンは勿論…………敵の妖しくてタカビーで気位ばっかり高くて、ちょっと間抜けで頭が弱いナルシストなのがチャームポイントのオカマっぽい女幹部なの!」
「………………………………ぷ」

 総員、腹を抱えて大爆笑。

「ギャハハハハハハ、やべえ、それ似合いすぎだって」
「ぷぷぷ、やだぁ、漣さんてばもう、いい歳して」
「く……くく」
「いやー、こりゃまた適材適所もあったもんぞな、カカカカ」
「リーダー、良ければ衣裳を用意しようか。なかなか良い見映えになると私も思うぞ」




 ――ブチッ。




 ややあって、漣の前には頭にタンコブを拵えた一騎当千の化け物たちが横並びに立たされていた。
「あんたら、次は目玉の水分抜いてやるわよ、覚悟しときなさい」
「「はーい」」
「チッ、舐めんなばーろー」
「なんでオレまで」
「ドメスティックバイオレンスなの。いつか訴えてやるの」
「シャァラップ!!」
 ブチブチ文句をたらしていた連中もなんとか黙る。
「よろしい! さて……」
 腕組みをとき、漣は踵を返して四つ辻の向こう側へと向き直った。特に変わったものがあるようにも見えない普通の住宅街を通っている道路。だが、ここはほんの十歩も進めば位相がずれた空間の溝が穿たれている……つまりは、隔離結界の壁が張り巡らされている境界地点であった。
 すなわちここは、煮立った地獄の釜の縁。
 壁一つ、越えればそこは悪魔の宴の真っ只中。
 悪夢に続く境目だ。
 だが、隔たりの前に立つ者たちの横顔に、怯えの影は一片足りとも存在せず、そこに浮かぶは不敵の一途。
 ここに居並ぶ者ども。ただ一人の例外無く、人の姿をした化け物であった。
 艶めかしく指を舐め、月城漣は皆に告ぐ。
「さあみんな、こっから先は休む間もないお祭り騒ぎ(カーニバル)よ。(ダンス)の準備は整ってる?」

 折紙紅葉が哄笑する。
「ギャハハハハ、敵をぶっ殺すのに準備なんざいるかよボケが!」

 綿貫風花がパンと高らかに拍手を打った。
「はい、準備万端、忘れ物はありません!」

 渡万里徹はおもむろにサングラスの弦を押し上げる。
「…応」

 元塚儀輔は鎧のような胸板をグイとそらせた。
「呵々呵々、儂のフリークスどもも早く檻から出せと囀っておるぞな」

 御神楽綺咲は無表情のままパチパチと目を瞬いた。
「お代は見てのお帰りなの」

 加東理子は皆の返答を聞き終えて、小さく口端を吊り上げた。
「だ、そうだ。リーダー」

 よろしい、とばかりに月城漣は指を鳴らした。
「ならば征くわよ」

 軽やかに漣の脇を抜けて飛び出した風花が、四肢の鈴を鳴り響かせて踊るように地を踏みしめる。

「我ら、道を外れし防人なり」

 その大地の響きと鈴の音にあわせて正面の景色がぐにゃりと歪んだ。

「我らが敵は、世に仇を為す朝敵なり」

 綺咲が唐傘をクルクルと回転させながら歪んだ景色に傘を突き立てる。

「我ら、その奸賊どもをば悉く――」

 バンッ、と傘が開かれ、歪んだ景色がガラスのように砕け散った。

「――疾くと討ち捨て滅ぼさん」

 ぽっかりと開いた異空間の穴を前に、紫色の怪人は高らかに宣言した。

「これより、征伐を開始する!」









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