スラリと伸びる長い足が、高々と振り上げられる。一旦マウンド近くまで降りた左足は、地面スレスレを滑るように進み、抉るように地面を噛んだ。豊かな胸がグイと反らされしなやかな弓のように引き絞られる。そしていっそ芸術的とすら表現できよう完成された力の流れが終極された。豪腕が唸る。縦ロールが軽やかに跳ね踊る。
 往年の大投手、西本聖や村田兆治を髣髴とさせるダイナミックな投球フォームから繰り出された剛球は、胸を透くような快音とともにミットへと吸い込まれた。

「ナニモノデスカ、アノヒトハ」

 初めて軟式野球同好会の会長、柊琴夜のピッチングを見た北川潤は目が点になっていた。これでも近所のバッティングセンターでは「兄ちゃん、また来たのかい暇だねえ」と感銘を受けられるほど通った身だ。琴夜の球が130キロはゆうに越えているのは見れば分かる。しかも、派手さばかりに気を取られて最初は気付かなかったが、あのフォーム、打者からは非常に球の出所が見難いように工夫されている。あれでは打者が感じる球速は130キロどころではないかもしれない。

「甲子園でも通用するんじゃねえの、あれ?」
「うん、でも軟式と硬式はやっぱり違うみたいだからね」

 バットコントロールの練習と称して、野球用具のCMでやっているボールを落とさないようにバットでコツンコツンと打ち合ってラリーする遊びをしていた名雪が北川の独り言を聞きとがめ、顔はボールを追いながら口を挟んでくる。

「それに本人は野球は趣味だって言い切ってるしな、っと」

 同じく祐一。こちらは名雪と比べて必死そうである。
 やっぱりこいつら遊んでるんじゃないのか、と思いながら北川は意見した。

「でも、そのわりには熱心じゃないか」

 聞くところによると、この軟式野球同好会を自治会に捻じ込んで創設したのは柊琴夜であるそうではないか(そのためか、同好会には二回生と一回生しかいない)。趣味というには熱意に溢れすぎているんではないだろうか。

「先輩はやる事為す事熱意に溢れてるんですよー。野球に限ったことじゃないんです、よーいしょっと」
「あ、涼子ちゃん」

 でっかいヤカンをえっちらおっちらと両手でぶら下げながら現れたのは谷本涼子そのヒトだった。体のラインが出やすいユニフォーム姿な所為か、先ほどまでのパーカー姿と違って胸の大きさが良く分かり、北川は思わず目を泳がせた。それにしてもデカい。他にいる女性のメンバーは程々に慎ましいだけに、涼子のそれは異様に目立っていた。対抗できるのは名雪くらいだろう。ただ、この同好会にはそれ以上にド派手に目立つ女性がいるので自然とその威光に隠れるようになっているようだったが。

「ちょっとちょっと重いでしょ! 手伝うって」
「えー、だいじょーぶですよぉぉっと」

 フラフラと斜めに蛇行してそのままフェイドアウトしそうになる涼子を慌てて追いかけ、北川はヤカンを涼子の手から奪った。途端、ズッシリとした重量が圧し掛かる。

「お、おも。何入ってるの、これ」
「液体ですよー」
「いや、そうじゃなくて」

 涼子はホワホワとした笑顔を浮かべたまま、グラウンドに向かって大きく手を振った。

「皆さん、麦茶が到着しましたー。おやつも持ってきましたから休憩にしましょー!」

 液体という単語から謎の物質を連想してしまっていた北川はなんだ麦茶かと息をつく。
 休憩宣言にわーい、と歓声があがるより先に、マウンドの上から雷が落っこちてきた。

「ちょっとお待ちなさい谷本さんっ!! 練習はたった今始めたばかりではありませんかっ!」
「はーい、ですが会長、私はまだはじめてもいませんー。ですからバッチOK?」

 なにがOKなのかさっぱり分からない理屈である。案の定、瞬間沸騰湯沸し器で知られる会長の優雅な造作にビシリとヒビが入った。

「谷本さん、おふざけも大概になさってはどうなのですか? あまり舐めた口を利いてばかりいらっしゃるなら――」

 その瞬間、ギラリと琴夜の形相が一変した。

「そのうちテメェ奥歯ガタガタいわすまで泣かすぞコラァッ!!」

 それを表現するならば、まさに風光明媚な静かな湖畔から突如ゴジラが出現したかのようだ。
 あまりの豹変と迫力に、間に入って取り成そうとしていた北川は引っくり返り、逃げ惑う民衆のように這いつくばって後退った。

「な、なにー!? いったいなにーっ!?」

 仰天しているのは北川だけで、周囲は慣れているらしく、此方に見向きもしないで各々の練習を続けている。マウンドではいつの間に現れたのかキャッチャーをしていた副会長の柴崎丈臣が暴れる琴夜を羽交い絞めにして抑えていた。これも慣れているようで、押さえつけ方にも無駄がなく、表情はあくまで普段と変わらぬ笑顔だ。ちょっと不気味。

「大丈夫ですよー、間欠泉みたいなものですからーすぐ収まります」

 自然現象のように言う谷本涼子。
 噴出させた張本人のはずなのだが、暢気なものである。

「放せ、放せってばよタケちゃん、放せーっ!! ああいう生意気なやろうは、殴って言う事きかしてやんだよオラーー!!」
「…………」

 鬼のような形相で怒号をとどろかせていた琴夜であったが、不意に戸惑ったように表情を緩めた。

「んだと? え? で、でも、だって……」
「…………」
「う、うん……わ、わかったよ。タケ……コホン、丈臣がそう言うならわたくしも短慮はしませんわ」

 それこそバットを振り回して暴れ出し兼ねない剣幕だった柊琴夜であったが、羽交い絞めにしていた柴崎に何か言われたらしく、何故か大人しくなっていく。それを見計らっていたのか待っていたのか、そろそろいい頃合でしょうかー、と呟いて、涼子が落ち着いたらしい琴夜に声をあげた。

「先輩、ごめんなさいー。準備が整ったら私も入りますー」
「コホン、ええ、そうしてくださると助かりますわ。あまりうるさく言うつもりはありませんが、真面目にお願いいたします……あ、あの丈臣、そろそろ放してくださいませんか」
「…………」

 羽交い絞めにされたままだった琴夜が恥ずかしそうに訴える。解放された琴夜はいそいそと乱れたユニフォームを調えながら、柴崎に感謝の言葉を呟いた。
 その優雅な立ち振る舞いに、ついさっきの凶悪なレディースじみた言動を連想させるものは欠片と残されてはいない。性格の表裏で済ますには激しすぎる、あれは真夏の悪夢だったと思いたくなるくらいの変わりっぷりだ。
 呆気に取られている北川の後ろで、麦茶を飲みに来た祐一が呆れたように涼子に話し掛けていた。

「涼子、お前も面白いからってあんまり会長をからかうなよ。そのうち本当にぶっ飛ばされるぞ」
「あらー、本当にぶっ飛ばされても全然懲りない相沢くんにそういうこと言われても、説得力がありませんー」
「あははは、だって面白れーんだもん」

 確かに説得力などどこにもなさそうである。

「でも涼子ちゃん。あんまり良くないよ、面白いからってヒトを怒らせるのは」

 良識的な意見を発するのは当然のようにこの場には名雪しかいない。
 涼子は応じるように素直に頷きながらも、

「ですけど、ただ面白いからというだけでこんな事をしてるんじゃないんですよー、私」

 言いながら、ほらほらと涼子は目立たぬようにクイクイとマウンドの方を指差した。マウンドでは何やら琴夜と柴崎が顔をつき合わせて話し込んでいる。と言っても、話し声が聞こえてくるのは琴夜の声ばかりなのだが。伏し目がちな琴夜の表情は遠目にも少々赤らんでいるのが見て取れる。

「先輩がー、暴れ出すと柴崎先輩が必ず止めに入りますからー」
「それがどうかしたの?」

 良くわかっていない北川が不思議そうに納得している他の三人を見回した。
 苦笑しながら名雪が説明する。
 
「羽交い絞めって見かたを変えたら、抱きついてるみたいなものでしょ?」
「? 男に抱きつかれた普通、女って嫌じゃないのか?」
「好きなヒトなら別だよ」
「……ああ、そういうこと」

 ようやく何の事か理解して、したり顔で頷く北川であった。つまるところ、あの二重人格の縦ロールお蝶婦人は、あの無口な先輩に好意を抱いていると、そういう事。

「回りくどいことしてるんだ」
「先輩はー、いつもグズグズしててはっきりしないんですよー。他の事に関しては機関車なのに、この件に関してだけは尺取虫なんです。だから偶にこうして煽ってあげてるんです」
「余計なお世話だけどな」
「余計なお世話なんですけどねー、ニヒヒ」

 要らない祐一の口出しにそうなんですとニヒルに頷いてる涼子。でもやっぱりニヒルというよりケンケン(マットレイ)にしか見えない笑い方である。

「でも、無口先輩の方はどうなんだ?」
「まんざらじゃないはずですよー、明後日の方に走ってく琴夜先輩の傍に昔からいつだって付き添ってましたしー。あ、私二人とは同じ学校だったんです」
「ふーん……って、昔から?」
「あの二人、幼馴染なんだよ」

 どうやら名雪は今回は補足説明役らしい。

「幼馴染ってお前らみたいな?」

 名雪と祐一の関係のような従兄弟か遠い親戚を連想した北川に、そうじゃなくて、と名雪は憧れらしきものを滲ませた相好を緩めた顔つきになった。

「家がお隣同士の幼馴染だよ」

 北川は奇妙な顔をした。上手く想像できなかったのだ。柊琴夜の自宅といったら、勿論広大な敷地を持つお屋敷だろう。果たして隣近所とそんなに気軽に付き合うんだろうか。

「そうか、わかったぜ。無口先輩は琴夜お嬢様に子供の頃から仕える執事見習いなんだろ!?」
「……熱すぎて脳が茹ったか、北川」
「ち、違うのか? 自信のある仮説だったんだけど」
「貴方達、いつまで休憩なさっているのかしら」

 棘のある声が背後から突き刺さる。振り返ると、額から汗した琴夜が腰に手を当てながら練習もせずだべっている名雪たちを吊りあがった目で睨み据えていた。あと少し血圧があがればまた豹変しそうな領域だ。

「よし、そろそろ行くぞみんな、気合だぁっ!!」
「はいー」
「頑張るよ、おー」

 白々しく気合を入れながら走り去っていく祐一達。当然のように会員ではない北川は一緒に走り去るわけにも行かず眉根を寄せた琴夜の前に取り残された。

「あ、う……」
「お茶、いただけませんこと?」
「は、はいはい、ただいま」

 何故か完全にマネージャー扱いとなっている北川だったが、今更逆らうわけにも行かず(なにより怖いし)、言われたとおりに紙コップに麦茶を注いで、恭しく琴夜に差し出した。
 美味しそうに一息に飲み干す姿も、妙に気品があって、思わず北川はぼーっと見惚れてしまう。琴夜はもう一杯いただけるかしら、と北川に紙コップを手渡し、荷物置き場から柴崎が持ってきたタオルを手渡され、汗を拭った。

「…………」
「ああ、柴崎さんもお茶ッすね」

 あくまで口を開かないのだが、言いたい事は何故か分かった。まったくと言っていいほど喋らないこの男と、皆がどうして普通にコミュニケーションを取れているのか不思議だったのだが、なるほど相対してみると何となく理由がわかる気がした。ニコニコと笑っているだけで特に表情が豊かと言うわけでもないのだが、この柴崎さん、何故か何となく言いたいことがわかるのだ。テレパシーというわけでもないのだろうが、謎である。

「ふう、美味しかったですわ。ありがとう、北川さん」
「…………」
「いえいえ、どういたしまして」

 やったといってもお茶を注いだだけだ。別に感謝されるような事でもない。

「でも北川さん、マネージャーをやってくださるのもありがたいのですけど、わたくしとしましては選手として本会員になっていただいた方がありがたいんですのよ。なにしろ選手の数が少ないものですから」
「え、あのオレ、無理やり連れてこられただけで、マネージャーになった覚えないんすけど」
「あら、そうなんですの? でも、相沢さんが」
「…………」
「ええ、その通りですわ、丈臣。確かに相沢さんは今回の合宿から貴方が同好会のマネージャーとして加わったと」
「いや、あいつの発言の八割はいい加減だからまともに聞いちゃいけませんぜ」

 まあ、と絶句した琴夜の顔が一瞬ギラリと残虐さを閃かせ「あとで百本ノックだな、あの小僧」と血を見そうなドスの利いた囁き声が聞こえてきた。
 こわい、やっぱ怖いよこのヒトっ!
 ちょっと泣きそうになりながら逃げ腰になる北川に、あくまでも優美なしなやかさを失わない微笑が注がれる。

「相沢さんには後で厳重に注意しておきますわ」
「そ、そうですか。お手柔らかにお願いします。あれでも一応友達なんで」
「まあ、心外ですわ。その言い草ではわたくしがまるで手加減も知らないケダモノのようではありませんの」

 おほほほ、と朗らかに笑い、彼女は付け加えた。

「大丈夫ですわ、どこにも殺しても死なないしぶといゴキブリのような野郎はいらっしゃるものですから」
「…………」
「なんです、丈臣。え? 混じってる? あ、あら、これは失礼」

 いやですわ、と口許に手を当てて恥ずかしそうにはにかむお嬢さま。
 普通なら思わず見惚れてしまうのだろうが、照れた理由が理由だけに北川に浮かぶのは辛うじて愛想笑いだけ。
 コホン、と咳払いで仕切りなおすと、琴夜は風格ある態度となって北川に語りかけた。

「貴方がここにいらっしゃるのはアクシデントと理解しました。ですが、わたくしたちはいつでも貴方の入会をお待ちしていますわ」
「は、はぁ、考えておきます」
「ひとまずこの合宿中、お世話になりますわね。よろしくお願いいたします、北川さん。ではそろそろわたくしたちは練習に戻りますわ。ごきげんよう。行きますわよ、丈臣」
「…………」

 じゃあ、とばかりに手を挙げる柴崎。これからセレブの夜会にでも出向くような足取りでグラウンドへと去っていく琴夜を見送った北川は、張りつめていた緊張をようやく解き放って、胸に溜まっていた空気を一気に吐き出した。

「あー、緊張した。どこのご令嬢だよ、まったく。柊なんて大金持ち、この近辺に居たっけな」

 多少人よりこの地域の情報に精通している北川だったが、柊などという大金持ちや大地主は聞いたことがない。自分達が通う大学は、大半が地元の人間だ。幼馴染で同じ大学に通っているとなると彼らも地元の人間のはずなのだが。
 不思議そうに頭を捻っていた北川は、ふと小柄な小動物めいた女の子が自分の方を見つめているのに気付いた。セカンドのレギュラーで、確か御子柴浅霞(ミコシバアサカ)という名前のこれでも一年先輩だ。艶やかな黒髪をサイドテールにした見るからに可愛らしい、後輩からも浅ちゃんと呼ばれる気弱な少女は、北川の独り言を聞いていたのだろう、「あの、あの」と何度か躊躇ったように言いよどむと、思い切ったように北川に囁いた。

「琴夜さんのウチはお金持ちなんかじゃなくて……」
「……じゃなくて?」
「えと、その前にお、お茶くだあい…………舌、噛んじゃったです」

 いきなり話しかけてきていきなり勝手に舌を噛んで、涙目になって痛そうに蹲ってしまった浅ちゃんに、北川はなんだこの娘はと目を白黒させながら、とりあえず麦茶の入った紙コップを手渡した。静静とそれを飲んだ浅ちゃんは、

「……染みました」

 目をウルウルさせながら恨めしげに北川に訴えた。

「いや、どうしろと」
「い、言ってみただけなのです、ごめんなさいごめんなさい」

 そのまま謝りながらパタパタと逃げ出そうとする浅ちゃんを慌てて捕まえる。先輩なのに襟首を掴まえてしまったのはご愛嬌だ。

「謝らなくていいから、いいですから。言いかけたまま行っちゃわないで」
「い、言います、言いますから放してー」

 言われた通り解放すると、浅ちゃんはふぅふぅとあがった息を整える。運動部なのにこんなに体力なさそうで大丈夫なのだろうか。

「ま、マネージャーさんがどうしても聞きたいというから教えちゃうんです」

 オドオドと周りを気にしながら声を潜める浅霞の様子に、もしかしたら聞いてはいけないことなのだろうかと不安になる。

「……もしかして秘密なのか?」
「ううん、全然まったくそんなことないです」

 ただのノリだったらしい。

「お、教えるから、ちゃんと教えるから怒らないでください〜」
「いや、怒ってないから。全然怒ってないから」

 慌てて怯える浅ちゃんを宥める。別段怖い顔をした覚えはないのだが。
 長引くとエンドレスになりそうなので、さっさと本題に入ることにする。

「こ、琴夜さんの家は全然お金持ちでもなんでもないんです。皆さんよく勘違いなさるんです。何故でしょう?」
「……見た目じゃないの?」
「き、奇抜な意見です」
「ごく真っ当な意見だと思うけど」
「ヒントその一です」
「いきなりクイズになってるしっ!!」

 思わずあげた大声に驚いて、パタパタと逃げ出そうとする浅ちゃんを慌てて捕まえる。

「ごめんなさいごめんなさい」
「いや、いいから。クイズでもいいから」
「い、いいですか?」
「いいですいいです」
「で、では改めてヒントその一です」

 ピロリロリン、と効果音を自分で口ずさんで、浅ちゃんは第一ヒントを公開した。

「西側の人は多くがこっちなのだそうです」
「……それ、ヒントなの?」
「ひ、ヒントです。統計学的なのです」
「さっぱりわからん」
「ご、ごめんなさいわからなくてごめんなあがっ」

 三度、逃げ出そうとする浅ちゃんの襟首を掴まえる。

「逃げるなーっ!」
「ごめんなさい。あの……舌また噛んじゃったです」
「ま、またですか。お茶、飲む?」
「し、染みるのでけっこうです」

 気を取り直して第二ヒント

「漫画にもなっているです。ゲームにも登場しています。アニメにもなるかもしれないのです。でも、ドラマでは見かけたことはあまりないです」
「それだけ? む、難しいな」
「……ま、マネージャーさん」
「なに? 追加ヒント?」
「ななな、なんだか口の中が物凄い鉄っぽくなってきたのです。トロトロです。浅霞、微妙にピンチのようです」

 眉間に皺を寄せて唸っていた北川は、アーンと開けた浅ちゃんの口の中が真っ赤に染まっているのを見て仰天した。

「って、血だらけじゃないかっ! しょ、消毒消毒!!」

 慌ててベンチの隅に置いてある救急箱へと駆ける北川。幸い、派手な出血のわりに傷は浅かったらしく、消毒液に浸した脱脂綿を当てるとすぐに血は止まった。

「だ、大丈夫か? ちゃんと病院とか行った方がいいんじゃ」
「こ、この程度なら全然大丈夫です。舌は噛みなれているです。わりといつものことなのです」
「……いつもなんだ」
「……いつもなのです」

 自分でもドン臭いと自覚しているらしく、しょげ返る浅ちゃんであった。

「では気を取り直して最終ヒントです!」
「わっ、立ち直るの早っ!」
「ご、ごめんなさいごめんなさい」

 なんかもうタイミングになれてしまったのか、大声に驚いて駆け出そうとする浅ちゃんの襟首を北川は難なくグラップルした。

「うう、己の優れた反射神経が憎いです」
「いや、反射神経じゃなくてこの場合条件反射でしょう」
「ひ、人をパブロフの犬のように言わないのです。先輩に対して失敬なのです」
「はいはい、ごめんなさいよ。で、最終ヒントは?」
「言うです。い、いいですか?」
「いいですよ」
「で、では、最終ヒントです」

 声を潜め、連綿と隠しつづけた秘め事を吐露するかのように、浅ちゃんは最終ヒントを口にした。

「実はあの髪型は伊達や酔狂ではないのです……というか伊達や酔狂の類のような気もするのですが意味があるです」
「……意味? あの縦ロールにか?」
「はいです。琴夜さん本人は自分の好みであの髪型をしているつもりなのですけど、柴崎くんによるとあれは琴夜さんのお父様の陰謀なのだそうです。でも柴崎くんは教えてあげないのだそうです。意地悪です。でも、わたしも言わないのです。誰も言わないのです。言ったら絶対血を見そうで怖いのです。浅霞は君子なのです。危うきには近寄らないです。ともかく、あのロールをじっと見ていれば、おのずと答えは見えてくるです」

 北川は言われた通り目を凝らして、グラウンドにいる琴夜の縦ロールをじっと睨んでみた。

「……さっぱりわかんないんすけど」
「もちろん、あれだけではなく他にもたくさん種類はあるのです。でも、わたしはあれが一番好きです。中が黒い方が特に好きなのです。ヒントはこれにてお終いなのです」

 ご清聴ありがとうございました、とペコリと浅ちゃんは一礼したのであった。

「琴夜さんの家はなんなのか、答えはまた明日教えるです。当たったらご褒美を進呈するですから、誰にも聞いてはいけないのです」
「ご褒美って賞品あるの、これ?」
「く、クイズですから」

 もう一度深々と一礼して、浅ちゃんこと御子柴浅霞はパタパタと足音を響かせながら練習へと戻っていった。

「…………謎だ」

 クイズの内容もそうだが、この同好会のメンバー自体が謎だと実感する北川であった。



 謎を残したまま次回へと続く!!


















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