この街を離れていた三年という月日は、長くも無く短くも無く中途半端だ。
 強い日差しに陽炎が湧き立ち、景色が揺れる。この地域にはあまり多くないはずの蝉の声が街中を圧している。
 ふと溶けいく幻の中を歩いているのではないだろうかと思うほどの真夏。だが、揺らぎと蝉の鳴き声の向こうに見える街の姿は、記憶にあるものと所々違うものの、その大半が変わっていない。少しだけ装いを変えた見知った街が続いていく。
 実家を出た御門和巳にとって、この街こそが我が街だ。帰ってきたんだという安堵感にくすんだ心を慰められながら、気のむくままに足を向ける。
 とはいえ、そろそろ炎天下を目的も無くうろつくのも辛くなってきて、和巳は涼めそうな場所を目で追った。クーラーの利いた建物にでも逃げ込めばいいのだろうが、和巳はあの冷房というやつが苦手だった。あの人工的な冷たさの中にじっとしていると鼻水が垂れてくる。挙句にくしゃみもしたくなる。慣れていないのだ。少年時代を過ごした実家では冷房などという高尚なものは子供には使わせて貰えなかったし、天野の家にはそもそも冷房が設置していなかった。

「みーちゃんが嫌いやもんな」

 帰ってきて調べたら案の定、三年経ってもあの家には扇風機しか置いていなかった。家具や電化製品も和巳が住んでいた頃のものと変わっておらず、まるで時代に置き去りにされたような旧家のままだ。
 その中でテレビだけが最新型の薄型ワイドビジョンに変わっていて、これまた最新型のゲーム機が(多数のゲームソフトと別売りのはずのゲームパッド付きで)添え付けてあるのは驚いたが。
 小太郎のものやろうけど、みーちゃん嫌がらんのやろか。
 ゲームに熱中する小太郎やその友達たちを、渋面で見やっている美汐の顔が思い浮かび、思わず上唇がつりあがる。

「まあ今度触らしてもらお。ファミコンなんて何年もやってへんしな」

 微妙に世代のギャップと世情の疎さを感じさせる単語を含ませながら、フラフラとさまよっていた視線が停止する。

「公園か、ここは変わってへんな」

 元々多く出入りしていた場所ではなかったが、八雲が現れてから何度か彼を連れて遊びに来た事がある。キャッチボールなんて似合わない事をして、お互いに途中からムキになって全力で剛速球を投げつけあった挙句に噴水に設置してあるオブジェを粉砕、なんて事もあったっけ。
 覗いてみると、夏休みのためか子供の姿が多い。ボールを追いかけて走り回ってる子供たちを見て、暑いのにご苦労なことや、と思ってしまう自分がなんだか年寄りくさくてため息が漏れてしまった。

「ええねんええねん、二十歳越えたら人間みな草臥れたおっさんや」

 世の成人男性に喧嘩を売る文句を吐きながら、和巳はフラフラと公園の中に入った。木陰よりも噴水の脇にあるベンチの方が涼しそうだと見当をつけて腰掛ける。見えないくらい細かくなった水の飛沫が冷たい空気と化して噴水の周囲の熱を和らげていた。風呂上りに扇風機の前に陣取るような心地よさに、ぐってりとクラゲのようにベンチに持たれかかり、首を逸らせて逆さまに噴水を眺めて涼を取っていた和巳は、ふと視界の端に奇妙なものが移ったのに気付き、慌てて身体を起こしてベンチの背凭れ越しに噴水を覗き込んだ。
 噴水の中に水死体が沈んでいた。

「うわぁ、公園の噴水で溺れ死んどるやつなんて初めてみたわ。成仏せいよ、南無南無」
「勝手に殺して弔うにゃーっ!」

 海から出現するゴジラのように水しぶきをあげながら復活する水死体。

「ああっ、春日っち発見!!」
「にょわっ、しまったじゃないか!」

 林の方を辺りを見回しながらうろついていた小学生と思しき少年が、噴水から起き上がったヤツを見つけて叫びながら公園の広場へと走り出す。それを見て慌てて水死体もボタボタと全身から水を滴らせながら同じ方へと走り出した。二人が駆け寄る先の地面には空き缶が立てて置いてある。

「缶蹴りか」

 どうやら春日なる子は噴水の中に隠れていたらしい。幾ら真夏とは言え服を着たまま水の中に隠れるとはたかが遊びに手段を選ばぬ物凄いやつだ。見れば遊んでいる小学生より明らかに年上。中学生か高校生だというのに。
 春日と呼ばれた水死体は、長時間水中に居た所為か酸素が足りなかったらしく、あえなく走り負けて缶を踏まれて名前を呼ばれてしまった。どうやら、隠れていたのは春日が最後だったらしい。先に掴まっていた子供達が木陰からぞろぞろと現れて、なにやら春日を中心にわいわいと騒ぎ出す。と、突然春日が此方を指差し、一斉に子供達の目が和巳へと集まった。

「な、なんや?」

 昔、薄暗い路地裏で二十匹近くの野良猫に囲まれた挙句に襲われたのを思い出してしまい、何となくビビる。と、子供達の輪が崩れ、中心にいた春日がビシャビシャと濡れた靴を鳴らしながら和巳の元に走りよってきた。

「ちょっとお兄さん、来て来て」
「な、なんやねん!」
「いいから!」

 と無理やり腕を掴まれて引き摺られ、和巳は子供たちの所に引っ立てられた。

「というわけで、あたしが負けちゃったのはこの人の責任だから、この人が責任を取ります!」

 おおおおーーっ、と歓声があがる。

「ちょ、ちょっと待て! なんや、責任って!? ちゅうか、なんであんたの負けがオレの責任になっとんねん」
「ふっ、みんな説明してあげてちょーだい」

 腕を組んだ春日が得意げに顎で差す。打ち合わせしていたかのように子供達が唱和した。

「「あんたが悪いからーー!」」
「って、説明になっとらんやんけっ!!」
「ねっ、大人って往生際が悪いでしょ」

 まったくだ、大人って汚いねー、と子供達は口々に蔑みの目で和巳を見ながら春日に同調。

「な、なんやねん、なんでそんな鳥のフン背中にくっつけたまま気づいてへん人に向けるような目で見られなあかんねん。オレなんもしてへんやんけ!!」
「あたしの居場所バラしたじゃん」
「知らんわーっ! お前、勝手に現れただけやないか、オレ関係ないわい!」
「いいからいいから。文句はあとで聞くよ。それじゃあ、鬼をお願いね」
「鬼?」

 キョトンとなった和巳に子供の中の生意気そうな男の子が、缶蹴りの鬼だよ、と鼻を膨らまして告げる。

「オレがやるんか?」
「どーせ暇なんでしょ。いいじゃん、やろやろ」

 パシパシと濡れた手で背中を叩き、春日は結局人の答えなんか聞かずに両手を広げて子供達を追い立てた。

「ほら、スタート! みんな逃げろーっ!」

 わーきゃーと歓声をあげながら散らばっていく子供達の勢いに飲まれて、今更無視して逃げ出すわけにもいかず、慌てて和巳は数を数え始めた。その和巳の耳に春日の甲高い声が飛び込んでくる。

「ちなみに最後まで逃げ切った子にはあのお兄さんが焼肉セット奢ってくれるぞーっ!」
「ちょいまてぇ! こういうケースはジュースとか違うんか!!」
「しかも関西人だけに銘柄は神戸牛だーっ!」
「「わーわーっ、やったーっ!!」」
「がぁぁぁぁ! 人の話を聞けぇぇ!!」









 ―――15分後

「くかかかかっ、てめえらチビジャリごときがこのオレ様から逃げ切れると思うとったんか」
「あ、あんた大人げなさすぎだ〜〜」

 片足を缶に乗っけて偉そうに大笑する和巳の周囲には悔しげに地団太を踏んでいる子供たち。その半数近くが土塗れなのは、和巳が缶の近くに仕掛けたトラップに足を取られて転倒する子が続出したからだ。あろう事か幻術の類まで駆使したために、現場の惨状に気が付かず、機関銃の前に横隊突撃していく兵士の如く皆バタバタと捕まってしまったのだ。
 特に酷い目に合わされたのが、和巳を引き込んだ張本人である……

「っていうかさ、缶蹴りに落とし穴まで作る、普通!? それ以前にどうやってこんな短時間にこんなどでかい落とし穴作ってるのさー!?」

 和巳のまん前にポッカリと開いた穴の奥から聞こえてくる春日の泣き声。

「ぴーぴーうるさいなあ。そんなもん企業秘密にきまっとるやろ。テレビにリモコンがなかった世代を舐めるなや」

 缶の手前にポッカリと飽いた穴の底から聞こえてくる喚き声に、和巳はウリウリと砂を蹴り入れていびる。

「わっぷ、や、やめてー」
「ほれほれ、泣け、喚け、のた打ち回れ」

 なかなか陰険である。

「ほれ、ガキども。お前らもやってええぞ」
「えー、可哀想だよ」
「かすがー、大丈夫かー」
「ううっ、みんな、ありがと、おっ? おおっ、いた、あいた、痛い、いやっ、やめてーー!」

 優しい台詞を投げかけつつ、実際にはみんなして石を投げつける子供たち。

「おいおい、最近の子供は残酷やのう」
「とか他人事みたいに言いつつどこからともなくスコップを取り出してるあんたはなんだーっ!」
「あほう、公園にこんなでっかい穴開けっ放しにしてたらあかんやろうが。ちゃんと埋め戻さんと」
「その前にここから出してーーっ!」
「どあほう、お前出してもうたら埋め戻す土の分量が増えてまうやないか」
「ぎゃーっ! その程度の手間を惜しんで人を生き埋めにするなーっ!」
「まあええやん」
「まあええやん、で済ますとは、あんた鬼かーっ!」

 半泣きで怒鳴りつけられ、和巳は何を言ってるんだという顔をして言い返した。

「鬼かーって、鬼なんやけど」
「……しまったーーっ、指名したのはあたしじゃないかーっ!」
「自業自得やな。分かったらあきらめて埋まれ」
「ひぇぇぇぇぇ!!」












「お兄さん、あんた半分本気で埋める気だったでしょ」

 恨みがましい視線を和巳は涼しげに無視して退けた。子供たちの姿はもう公園から消えている。焼肉の代わりに全員に振舞ったジュースを手に、別の場所へと遊びに行ってしまった。近くに彼らの秘密基地があるらしく、そこへ行くのだとか。こんなご時勢になってもまだそういう子供たちだけの場所が存在するとは、なんだか愉快な気分だった。

「ちょっと、無視しないでよー」
「なんやねん、まだおったんか。お前は秘密基地とやらへはいかんのか?」
「行くわけないじゃん」

 二人ベンチに腰掛けて、ジュース片手に子供たちの消えた公園を何とはなしに並んで眺める。

「秘密基地みたいな場所は、ほんとに親しい仲間だけのものなんだから、あたしみたいな部外者を連れては行かないわよ」
「なんや、あの子らと仲間ちゃうかったんか」
「今日初めて会った子たちだよ」
「初めて会ったにしては仲良かったやん」
「一緒に遊んでれば仲良くなるなんてすぐでしょ。お兄さんだってそうだったじゃない」
「まあ、そうやな」

 かなりムキになって遊んでしまった自分を思い出し、頭を掻く。あれこそが大人気ないというやつだろう。
 和巳が何を考えたのか顔を見て分かったのか、春日は口を尖らして缶を和巳に向けた。

「手加減して遊んでもつまんないよ。子供相手だろうと思いっきりやらないと。楽しかったでしょ、実際」
「……んん、まあな」

 そう言えば鬱屈していた気分が少し晴れている。

「モヤモヤした気分の時はねえ、こんな風に頭を空っぽにして走り回るのが一番いいのさ」

 内心を言い当てられたのかと驚いた顔をする和巳に、春日は太陽のような笑顔をニパッとひらめかせた。

「昼間っからなんか重たそうな顔してベンチ腰掛けてるからさ、気を利かせて誘ってあげたのさ」
「……なんやそれ、見ず知らずの人間に気ぃなんて利かすなや」

 苦笑がこぼれる。

「いやね、あたしも今日はあんたみたいな顔してたからさ。ご同類かと思うとちょっと気になってね」
「なんか悩み事でもあるんか?」
「大した事じゃないけどね。恋人との関係とか、まあそんなの」
「恋人なんかおるんか……」

 そうは見えんなあ、とジロジロと舐めるように見回され、春日は嫌そうに身を捩って視線から逃れようとした。

「な、なにさ、視線がえっちいぞ」
「失敬な。お子様には興味ないわい」
「ふんだ、あんたなんかにあたしの魅力が分かってたまるか。これでもモテるんだから」

 えっへんとない胸を張る春日。

「まあ最近はペチャパイでもいけるって輩も多いみたいやしな……」

 難儀な世の中や、としみじみする和巳であったが、なにやら春日がピシリと固まっているのに気づいて目を瞬く。

「……?」
「ねえ、やっぱりあたし、女の子っぽく見えるよね」
「は? んー、まあ女の子っちゅうよりガキっぽいけど、まあ可愛く見えることは見えるんちゃう?」
「……そっか」

 それとなく褒めたつもりだったのに、反応は逆に落胆したようで、和巳は混乱を深めた。

「なんや、なんか悪いこと言うたか?」
「ううん? そういうんじゃなくて。ただ、やっぱり初対面の人だとあたしって女に見られるのよね。まあ、これがあたしだから今更変えようとか思わないんだけど、どうして澄はこんなあたしがいいんだろうって、分かんなくなるんだよね」
「は?」

 言ってる言葉の内容がよく分からず眉を顰めた和巳に、春日は慌てて「ううん、こっちの事」と言い放って立ち上がった。

「さて、あたしはそろそろ帰るわ。ごめんね、お兄さん、無理やりつき合わせて」
「あー、大迷惑やったわ」
「いやいや、感謝されると照れるねえ」
「何気にお前さん、人の話聴かないね」
「じゃ、バイバイ。縁があったらまた会おうよ」
「いや、なるべくならもうええわ」
「今度はケーキご馳走してよね。ティラミスがいいな、ティラミス。覚えとけ、お兄さん。んじゃねー」
「だから人の話聞けっちゅうねん、って結局聞いてへんし」

 まるでスキップを踏むような能天気な足取りで去っていく春日の背中を見送り、和巳はげんなりと肩を落とした。

「変なやつ。まるっきり謎の生物やな」

 言いながら、和巳はトントンと自分の肩を軽く叩いた。げんなりと落としたこの肩が、公園に迷い込んできたときに比べて幾分軽くなっているのを確かめて、苦笑を浮かべる。

「確かに、難しく考えても仕方ないことやなあ」

 気分転換になったのだろう。不本意だが、多少はあの春日という変な子に感謝してもいいのかもしれない。

「それにしても、なんやったんや?」

 和巳は苦笑を収めると、首を傾げながらパチンと指を弾いた。公園に仕掛けていた結界が解ける。途端、制御を微妙に狂わされて右往左往していた術式端末、恐らくは使い魔か式神の類が慌てて四方へと散っていく。缶蹴りに混じる直前、どうも妙な気配を感じて結界を張っておいたのだが、案の定だ。はてさて、一体何をしようとしていたのか。
 いっそ一匹捕まえて元を辿ってみても良かったかもしれないが……。

「所詮はオレもよそ者やしなあ」

 この街に帰ってきたばかりの和巳には与り知らぬ事情があるのかもしれないし、いちいち式の類を見かけたからと言ってチョッカイを出すのもどうかというものだ。喧嘩を吹っかけて回る不良でもあるまいし。だいたい変に先走って首を突っ込んでは天野家に迷惑が掛かるという事もありうる。なにより、つい先日大変な労を費やしたばかりの和巳には、これ以上の面倒は勘弁して欲しいというのが本音だった。

「走り回って疲れたし、オレも帰ろ」

 折角凝った澱を幾分でも払えて気分がいいのだ、何の関係も無い事に頭を悩ませるのも馬鹿らしく、和巳はそれ以上考えるのを放棄して、背筋を伸ばしながらベンチから立ち上がった。
 あれほど重たく胸を圧していたというのに、今は無性に美汐の顔が見たい気分だった。




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