―――卒業式会場 父兄席

 卒業生が入場し、式が開始されて既に30分。プログラムは来賓による祝いの言葉だか説教だか判別できない、退屈な演説へと差しかかっている。喋ってる本人はご満悦なのだろうが、この手の演説に欠伸を催すのは老若男女の区別無く、講堂全体に緊張感の欠けた弛緩と苛立ちが入り混じった空気が流れ始めていた。むしろ、日頃から教師による指導と行事毎の説諭に馴れている生徒達の方が我慢が利くらしく、普段からお喋りするに抑制の無い主婦層が多く座った父兄席の方からより大きなざわめきが伝わってきていた。
 その中でも特に目立って挙動に落ち着きの無い女性が一人。

「なーなーお父ちゃん、うちもう飽きたぁ。家に帰りたいぃ」
「お前な、デパートで喚いてる女小学生やあるまいし」
「哲さん、女小学生って微妙にエロい」
「アホな事言うとらんと、黙って座っとれ」
「そうすると眠なる」
「寝るな」
「寝ないと退屈で死ぬ、死んでしまう」
「死ぬな、生きろ」

 凡そ父兄席で繰り広げられる会話ではないのだが、紛れも無く父兄席での会話である。
 小声ながらグダグダと駄々を捏ねているのは、見た目は凛然としたキャリアウーマン風の整った容姿、中身はやる気と根気と我慢が欠如した自堕落ダメ主婦という外見と内面が見事に乖離している女、北川功刀。その隣でパイプ椅子の似合わない貫禄充分な傲然とした態度で腰掛け、ともすれば内面の方が外見を圧して溢れ出して来そうになってる功刀を容赦無く上手い具合に制御している初老の男性、北川哲平。
 所謂、北川潤の伯父夫婦である。

「あかんわ、昔から私こういう学校の行事すっごい苦手やねん」

 ぶちぶちとかったるそうに不平を垂れる妻を横目に見やり、哲平は15年近くも前の事を思い出し、思わず笑いを噛み殺した。

「そういえば高校の卒業式の時、お前が証書を受領する順番になっても出てこうへんからどないしたんや思ったら、熟睡しとったいうのがあったな」
「ああ、あれかぁ。コモちゃんがなんぼしても起きへんからってぶち切れて椅子ごと蹴り倒してくれよったから、大騒ぎや」
「見てて胃が痛ぁなったわ、ほんまにあれは」
「私はおでこが痛かったけどな。ちうわけで、今回は晴れて大っぴらに眠れる立場やねんから、眠らせてもらうわ。おやす…イタいイタい」

 カクンと夢の世界へと行こうとした功刀であったが、哲平に耳を引っ張り上げられ涙目で悲鳴をあげる。

「何が大っぴらに眠れる立場や。あかんに決まっとるやろうが」
「うー、だって暇なんやもん。潤やって寝とるやん」
「いや、あれ寝とったんか?」

 卒業生の入場の際に、数人に担ぎ上げられて入ってきた甥っ子の姿を思いだし、哲平は額に指を当てた。
 どういう趣向だったのかは未だ分からないが、何か異変があったのなら学校側で何らかの対応を見せたはず。だが、今のところ特に変わった様子も無く淡々と式は進行している。

「ん?」
「なん? どないかしたん?」

 哲平に怒られ、仕方なく眠そうな眼をしながらも黙って腰掛けていた功刀だったが、良人があげた不審げな声に、億劫そうに顔をあげる。
 式はようやく在校生の送る言葉へと差しかかっている。在校生代表と思われる癖っ毛の少女がマイクの前へと向かっていた。哲平の注意がどうやらその在校生代表の少女へと向かっているのに気付き、功刀は目を細めて少女を注視した。

「なんかおかしい事でもあるのか、あの娘に」
「いや、何処かで見た覚えがあるような気がしてな」

 顎に手を当て頻りに眉根を寄せている良人に、功刀はぼそりと口ずさむ。

「指名手配犯?」
「それならすぐに思いだせる」
「じゃあ意表を突いて隠し子」
「しばくぞ」

 戯言に一言吐き棄て、哲平はブツブツと頭を捻っている。

「逢った事があるんなら覚えてるはずやし、写真かなんかで見たんやったか、うーん」
「思い出せへんのやったら、別に気にする事違うんちゃうん」
「いや、でも気になるやないか」
「職業病やね」

 これだから元刑事、現公安課長というのは気が休まらない。
 やれやれと嘆息し、功刀はぼんやりと祝辞を述べている少女を眺めた。
 喋り方や立ち姿から実直さや生真面目さが滲み出ているような、好感を持てる少女だ。

「もしかしたら、同業者かもね」
「なに?」
「歩き方に澱みが無かったんよ。隙も無く、さりとて余計な力も篭ってなく。あの子、なかなか腕の立つと見たね。16、7で、となると……」
「なるほど、その歳で出来る口となると拝み屋と考えるのが自然か。じゃあ神祇の登録者ファイルか何かで見たのかもな」

 それで納得したのか、哲平は居住まいを正すと背筋を伸ばして式へと集中し始めた。
 真面目やなあ、と呆れながらも、功刀はもう一度少女へと目を向ける。

「……んー?」

 ふと何かを思い出しかけたような気がしたのだが、まあいいかと功刀は背もたれに身体を預けて欠伸を漏らした。






「あー、緊張するな」
「なんだ、相沢でも緊張するのか」

 何度も草稿を繰り返し、既に頭の中に焼きついてしまった文面を、それでも何度も見直している祐一を見て、石橋教諭は小さく笑った。

「先生、俺の事なんだと思ってるんですか。緊張ぐらいしますよ、人前で喋るの苦手なんだから」
「それでよく生徒会長になんぞなろうと思ったもんだ」
「きっとどうかしてたんですよ」
「お前がどうかしてるのは日常茶飯事だったがな」
「それ、担任が言う台詞ですか」
「担任だから言える台詞だよ。まあ、今年はどうかしてない奴の方が少なかったがね。いったい誰の所為だか。ほら、送辞が終わったぞ」

 トンと背中を押されて、一礼して下がる美汐と入れ替わるように、祐一は壇上へと立った。
 引退したとはいえ元生徒会長。三年生代表として祐一が卒業式の答辞を担当しなければならないのは必然の流れであった。
 散々嫌がった挙句に、本番時に香里か北川に押し付けようとすら目論んでいた祐一だったが、当の香里と北川が人事不肖に陥ってしまっては逃げる事も出来なかったわけだ。

 ったく、堅苦しいのは苦手なんだけどな。

 選挙の演説の際は好き勝手喋っただけだったので気楽だったが、今回はそうもいかない。去年の久瀬といい、今年の天野といいよく平気そうにやるよな、と少し羨ましく思いながら、色々と頭を捻って考えた文面を頭の中で暗誦する。そして、祐一は乾いた喉に唾を流し込みつつ、壇上へと立った。
 スピーカーから『三年生代表相沢祐一君による答辞』とプログラムが流れる。祐一はマイクがオンになっているのを確かめて、声を発した。

「えー、ご祝辞どうもありがとうございました。それから、本日は在校生の皆様初め、多くの方々にお越しくださいまして、まことにありがとうございます。それではさっそく本日の一曲目『お礼参りは突然に』を歌わせて――」
「唄わないでください!!」

 舞台袖から罵声と共に卒業証書を収める筒が飛んできた。
 それを軽くスウェーして躱し、反対側に立っていた放送部員の女子生徒の側頭部に直撃したイイ音を聞きながらコホンと一つ咳払い。

「――貰おうかと思ったのですが、現生徒会長からダメ出しを食らったので止めておきます。生徒会長に逆らうと卒業証書の代わりに退学届けを渡されそうなんで」

 ドッと会場が沸く中でチラりと袖を見ると、真っ赤になった美汐が恨めしそうな顔で此方を睨んでいた。

「さて、本日を以って我々三年生はこの学校を卒業するわけなのですが」

 美汐の怒気を受け流しながら、祐一は大きく息を吸いながら、講堂を見渡した。手前の三年生の席では名雪たちが未だ昏倒しており、奥の二年の席では此花春日が無理やりおすわりをさせられた子犬のようにキョトキョトと首を巡らしている様子が良く見える。父兄席に秋子さんの姿を見つけ、彼女の穏やかな視線と自分の視線が交差するのを感じた祐一は気持ちがほぐれるのを感じながら口を開いた。

「えーご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこの学校には約一年間しか通っていません。二年の冬に転入してきた転校生でした。長々と演説する気はないんで、要点だけ言うとこの学校で過ごした一年は本当に楽しかったです。これまで過ごして来た中で最高の一年でした。
 これまで私は日本中色んな所を引っ越して回ってきました。でも、卒業するのが惜しい、離れたくないと思ったのはここが初めてだと思います。私の風評なんか聞いてる人は信じないかもしれませんが、以前の私は生徒会長なんかやるような人間じゃありませんでした。教室の隅っこで友達と駄弁ってるだけの目立たない、人畜無害の影の薄い生徒でした。まー、それも過ごしやすくて悪くはなかったですけどね。ただ、そういった過ごし方を楽しむわけではなく、毎日が詰まらないという感覚で時間が過ぎるままに一日一日を繰り返していくだけの人間だったと思います。何処に言ってもこれは変わらなかったので、本来の私はそういう人間なのかもしれません。でも、この学校、この街はそんな自分をそのままで居させてくれるような場所じゃなかったみたいです」

 一旦言葉を区切り、ニヤリと口端を吊り上げて、祐一はマイクを握った。

「私が断言します。この学校は滅茶苦茶面白い所です。加えて変です。
 誰だ、変なのはお前だとか言ったやつ!
 違います、私が皆さんが思うような変なヤツになった原因の一つには間違い無くこの学校があります。そして、私がこの学校に通った一年、そして皆さんがこの学校で過ごしであろう残り一年と言う月日は、この学校の面白さや変さを味わうのに充分な長さを持っていると思います。これは、経験者の言葉ですから間違い無し!
 まったく、皆さんが羨ましいです、あと一年、この学校で過ごせるんだから。受験や就職で楽しんでる暇なんて無いと言われるかもしれません。尤もです。でも、折角ですから、偶には楽しんでみてください。もしかしたら気付いていなかった面白さに巡り会うかもしれません。当たり前の繰り返しの中にある変なものに出くわすかもしれません。それを見つけてみるのも、いいんじゃないでしょうか。
 それに出くわしてしまった時、どうするか。まあ、自分で考えてください。俺は知りません。文句があったら、生徒会長に言ってください。全部彼女の所為ですから」
「んなっ、ちょっと何を言ってるんですかぁ!」
「でも文句を言いに言ってもこんな風に怒鳴られて逆に説教される可能性もあるので、全部自己責任でお願いします」
「相沢さん!!」
「それでは、そろそろ答辞を終わらせて貰います。先生方、俺は一年だけですけど、他のやつらは三年も迷惑掛けっぱなしで大変お世話になりました。え? 誰ですか、お前の一年のほうが大変だったって言ったのは、失敬な。まあいいや、とにかくありがとうございました。そして在校生の皆さん、残り一年の学校生活を充分に謳歌してください。特に天野。あ、でもお目付け役の俺達が卒業するからって羽目外し過ぎるんじゃないぞ。まったく天野と来たら、俺達が見てないと一体何を仕出かすか分かったもんじゃな――」
「どっちがお目付け役ですかっ! どっちが何を仕出かすか分からないですかっ! 公衆の面前で出鱈目を言わないでっ! あ、あなたという人は、最後の最後までっ……さ、さっさと卒業してしまえぇぇ!」

 前代未聞の破天荒な答辞に講堂中がどよめく中で、ぶち切れた美汐の投じる大小硬軟様々な物品に追い立てられるようにして、卒業生代表は舞台袖へと退場した。





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