「なあ」
「ん?」
「なんでボクのこと産んだん」

 幼い頃、そう訊ねたことがあった。
 まだ今みたいに多少なりとも身体の中に巣食った異物と折り合いが付くようになる前の、事ある毎にのた打ち回っていた頃のこと。
 まだ可愛らしくも、アレのことをお母さん、なんて呼んでいた頃のこと。
 口に出して聞くには少しばかり無神経すぎる問いだと、幼心にもなんとなく分かっていた。
 でも、苦労するのが分かってて、どうして産む気になったのか、純粋に疑問に思ったのだ。
 純粋に。いや、恨んではいなかったけれど、恨めしく思っていた側面もあったのだろう。あの頃は一番辛い時期だったから。
 枕もとでうつらうつらと舟を漕いでいた母は、目を擦るとしばらく天井を見上げて考え込み、

「嫌やった?」

 と、逆に問い返してきた。

「……そうでもない、と思う」

 しばらく考え、正直に言うと、母は眠たそうに欠伸を漏らし、なんでやろうなあ、と寝言みたいに呟いた。

「人間の真似事をしたかったんか、自分が人間やって証明したかったんか。意地もあったんやろうけど、まああれよ、結局のところ単に欲しかったんやと思うわ」

 なんや悪かったなあ、付き合わせて。そう云いながら悪びれた様子もない母の面差しにちょっと呆れ、良く分からない理由にやっぱり恨めしさが募り、でも何となく嬉しくもあって、

「まあええよ、別に」

 素っ気無く、そんな風に答えて布団を鼻まで被った。

「そうかぁ」

 そう言って、母は少し喉を鳴らしてクククと笑った。

「ならもうちょっと付き合ってな」
「ちょっとって、どれくらいやのん」
「そやなあ、出来るだけ長い方がええなあ」
「お母さん、わがままやわ」
「老後、ちゃんと養って欲しいし」
「しかもどーきがりこてきやし」

 なんやガキんちょの癖にややこしい言葉知ってるなあ、と母は困ったように顔を顰めた。
 そんな横顔を見ないように、ボクは言う。

「まっ、それまで生きてたら、養ったるわ」
「生きとるよ。大丈夫や。私が保証する」

 そう穏やかに呟き、母はボクのおでこに手を乗せて、前髪を無造作に掻き回す。
 髪をくしゃくしゃにされながら、ボクは本当にちょっとだけ、出来るだけ周りに分からないように泣いていた。

「しゃあないなあ。お母さんみたいなぐーたら、放っていかれへんもんな。頑張るわ」
「うん、期待しとるよ」


 まだ今よりもさらに背が小さかった昔の話。
 十日意識が戻らずに、ようやく目覚めた夜の話。
 まだ生と死の境界がずっと身近だった頃の話。



 でもまあ、なんとか。
 今でも、どーにかこーにか生きてます。











§  §  §  §  §












 美坂栞は現在進行形で途方に暮れていた。
 迷子の経験なら無くはなかったが、あれは地元の街でのこと。歩いてさえいれば見覚えのある場所にたどり着けるし、街角の地図さえ見ればどちらの方角に歩けば良いかくらいは分かる。迷ったと言えど、幾許かの安心が心の何処かに腰を落ち着けている。
 でも、こんな故郷からも遠いまったく見知らぬ土地ともなれば、そうはいかない。
 そもそも何故、迷子なんぞになる羽目になったのか。

「……私が余所見してたからだよね」

 ガックリと項垂れる。
 この大坂のなんとかという場所で、北川薫という少年と合流する予定だったので、JRの駅を降りて皆で其処に向かっていたのだが、なにぶん田舎者の上に病弱であまり遠出どころか外出さえ侭ならなかった身分である。この街の駅ターミナルの巨大かつ複雑で物々しい装いはあまりにも物珍しく、東京では乗り換えで急いでいたため落ち着いて周りを見られなかった分、余計にキョロキョロと余所見をしながら歩いていたのだ。壁からアーチ型の天井にまで編み掛けられた豪勢な電飾や、デパートのウィンドゥの中で動いている人形やカラクリ、初めて見てしまった客引きしている本物のホスト。それらに目移りしている間に気がつけば、ただ独り。慌てて周りを見渡しても前後左右に行き交う人の壁が視界を塞ぎ、横を歩いていたはずの両親たちを完全に見失い、はぐれてしまっていた。
 それだけなら、まだ待ち合わせの場所にさえ向かえばいい話だったのだが。

「ううっ、思い出せないよー」

 頭を抱える。
 皆に付いて行けばいいと気楽に考えていたから、待ち合わせの場所なんぞさっぱり覚えようともしなかったのだ。仕方ないのでJRの駅に戻ろうとしたのだが、いつのまにかデパートの中に紛れ込んでしまっていたり、地下鉄のホームに出てしまったりともうわけのわからない状態になってしまっていた。

「はぁ、まいったなあ」

 噴水の脇にあるベンチに腰掛け、携帯電話の液晶画面を睨んでいた美坂栞は観念したように電話を折り畳んだ。地下からではやはり電波が届かない。
 動揺していた所為か、地上に出てから掛けなおせばいいという事は思いつかなかった。両親か北川の誰かが地上にまで探しに出ていれば通じないことはなかったのだが。

「……ううっ、落ち込む」

 小学生じゃあるまいし、まさか迷子になるなんて。
 これでは姉にまだまだお子様とからかわれても反論できない。
 栞は、未だどうにも慣れない、忙しなく行き交う人の波を遠い目で眺めた。

「いやいや、落ち込んでいても仕方ない。遭難してしまった以上は助けがくるまで生き残る算段を付けなくては」

 ググッ、と拳を握り気合を入れる。
 さりげなく迷子が遭難に格上げ中。

「と、なるとどうしないといけないのかな? んー、まずは現地人とコミュニケーションが取れないことには寝床どころか食料すら手に入らないかぁ。よし、まずは言語をおさらいしないと」
「なあ、ちょっとちょっと」
「えー初めは挨拶っと。儲かりまっか? ボチボチでんなー…………むぅ、イントネーションが難しいな。これじゃあ何言ってるか通じないかな」
「おーい、ねーちゃん、ねーちゃんてば」
「ああ、そうだ下手に出たら足元見られちゃうかも。此処はまずガツーンと一発かまして主導権を握らないと。えーっと、脅しめいた言葉は……ワレいてこましてまうぞぼけー」
「な、なんやねん、このねーちゃん」
「うーん、もうちょっとドスを効かして、なんやワレ、奥歯ガタガタいわすぞ」
「けけ、喧嘩か、喧嘩売ってんのか?」
「しばいたろかこらー…………で、君、さっきからなにか用?」

 目一杯凶悪な顔をして脅し文句の練習をしていた栞は、ベンチの傍らで怯えた犬みたく牙を剥いている少年をねめつけた。
 小柄で痩せぎすな少年だ。栞よりも背丈が小さい。小学生か中学生になったぐらいの年頃だろう。どこか斜に構えた雰囲気を纏っていて、薄い唇はへの字に固まっている。首筋にある勾玉みたいな奇妙な痣が目に付いたが、それよりも色素が薄いのかやや茶色掛かった瞳の色と、すぅと目尻で細く切れた眼差しが印象的だった。
 背中にはリュックを背負っていて、ちょっと遊びに街に出てきたという雰囲気ではない。その癖、辺りに親どころか連れの姿もなく、どうやら一人の様子だった。

「よ、用って言われても」

 いきなり態度を豹変させたのに面食らったのか言うべき言葉に迷っているらしい少年に、とある可能性に至った栞はやや腰を浮かせた。

「悪いけどナンパは受け付けてませんよ。付いていかないからね。年下は嫌いじゃないけど、チビッコは趣味じゃないし」
「だ、誰がチビッコやーっ!」
「君」
「ぎゃーす!」

 即答されてのけぞるチビッコ。なかなか愉快だ。
 なんとか元の姿勢に立ち直った少年は、憤りを静めようとしているのか何度も深呼吸をしたあと、口許をピクピクとひくつかせながら嘯いた。

「み、見損なわんで欲しいな。オレはもっと普通の女の人が趣味やもん。誰がおまえみたいなロリ女、ナンパするか」
「だ、誰がロリ女ですかーっ!」
「おまえ」
「ぎゃーす!」

 即決されてのけぞるロリ幼女。なかなか痛快だ。
 よほどチビッコ扱いされたのが癇に障ったのか、ここぞとばかりに畳み掛ける。

「やーい、幼児体型。つるっぺたん。寸胴おんなー」
「きーっ、なんで見ず知らずの通りすがりのガキんちょにそこまで言われないといけないのーっ」
「先にチビッつったのそっちやろー」
「な、生意気な、小学生のくせに」
「しょ、小学生ちゃうわい。これでも中学生やっ。もうすぐ14歳やぞっ」
「なんだ、やっぱり身長足りないじゃない。おチビちゃんだ」
「ま、また言うた。貧乳に言われたないわっ」
「貧乳言うなーっ」

 ハァハァと二種類の荒ぶる息が交錯する。
 ふと我に返り、栞は周りを見回した。顔の筋肉が引き攣った。
 数十を超える生暖かい視線が自分と少年を舐めまわしている。
 無数の人が行き交う中で、あんな大声でこんな低レベルな口論を繰り広げていたのだからまあ当然。
 二人は顔をカーッと赤くしてあたふたと両手で宙を掻き回す。

「あわわ、失礼しましたーっ!」
「あっ、ちょっと待て、ねーちゃんてば。おーい」

 一目散に荷物を掴んで逃げ出す栞を、少年も慌てて追いかけた。



「あーもうめちゃくちゃ恥ずかしいじゃない。こら、君のせいだぞ」

 ワンフロアほど走り抜け、あまり人気のない売店の裏の階段に腰掛け、るのは下がちょっと汚いので壁に寄りかかり、栞はやっと息をつき、同じく一息ついている少年を睨みつけた。
 少年は元からひん曲がってる口をさらにへの字に曲げて鼻を鳴らした。

「なに言うてんねん。ねーちゃん、オレが話し掛ける前から変なこと口走ってたやんか」
「ちゃんと小声だったもん」
「めっちゃ聞こえてたよ」
「うー、そんなことないっ。だいたいね、なんで君、付いて来るの?」

 生意気な口振りにただでさえ膨れていた頬が、さらにむくれる。
 少年は心外だと言わんばかりに眼を見開き、此方は此方でむくれ返す。

「あそこにあのまま居れって言うの? 恥ずかしいやないか」
「だからって私のあとについてくることないじゃない。そもそも、なんの用なのか、まだ聞いてないんだからね」

 少年はやれやれと言わんばかりにこれ見よがしに鼻を鳴らし、参ったねと言わんばかりに頭を掻いた。
 ムカーッを通り越して頭の奥でプチーンと音がする。

「き、君、なんか私のこと馬鹿にしてない?」
「えー? 馬鹿になんかしてないよ。気のせい違うのん。ねーちゃん、それ自意識過剰やよ、自意識か・じょ・う」

 プチーンが濁音になってブチーンに変わる。

「ただちょっと、頭ヤバイんちゃうかこのアホねーちゃん、て思ってただけやって」
「うなっ、なっ、なっ」

 あほ? 言うに事欠いてあほ?

「オマケに、えらい困ってそうやったから親切に声掛けたったのに、いきなりチビジャリ扱いやもんな。まったく、礼儀ってもんを知らんのと違うか、いい歳してからに。やーいロリ年増」

 挙句にロリ年増? ロリ年増?

「なんや? 怒ったんか? なるほどなあ、人間ほんまのこと言われたら怒るって言うけど、ほんまやねんなあ。ごめんな、胸ぺったんのチンチクリンとか言ってもうて。あ、また真実を言ってもうたわ、あははははははは……って、ねーちゃん、なんで靴脱ごうとしてるん?」
「うーん、お子様には分からないかな」

 美坂栞は、引き攣りまくった挙句に笑顔みたくなった顔をピクピクと痙攣させながら、底がなかなか固そうな革の靴を右手に持つと、勢い良く振りかぶった。
 少年の視線が吸い込まれるように上を向き、ぽかんと口が開く。

「生意気で年上のお姉さまに対する礼儀の一つも弁えないようななガキんちょはね、こうやって躾るものなんだって」

 薄々何が起こるか察知しながら、少年は聞き捨てなら無いキーワードを耳にして、唖然としながらも反射的に鼻を鳴らした。

「綺麗なおねーさんならともかく、おまえみたいなチンチクリンになんでへーこらせなあかんねん」
「誰がチンチクリンだーっ!」
「あだーーーっ!!?」







「あうー、痛いよー。酷い、めちゃめちゃや、ほんまにポカスカ殴りおった」
「あははは、顔に靴跡ついてるよ、赤くなってる、ほら。変なかおー」
「ちょっとぐらい悪かったって顔しろやー」

 ちくしょう、勝手にスッキリした顔しやがって、と半泣きにブツブツ呟きながら、栞に渡された濡らしたハンカチで顔を拭う。

「はいはい、ごめんねぇ。ちょっと大人げなかったよねえ、悪い悪い、うぷぷ、ダメ、その顔面白すぎ」
「こいつ、こいつ絶対いつか泣かしたる、泣かしたるねん」
「おー、チビッコのくせに吼えてますねー」
「ムカーッ、おまえ性格悪すぎや。友達おらへんやろ」
「たくさんいますよーだ」
「あかん、そいつらきっとみんな騙されてるんや。可哀想に、どーじょーするわ」
「いい加減失敬なおチビちゃんだね。そろそろその口噤まないとまた泣かしちゃうよ」
「またとか言うな、泣いてへんもん! ってか、さっきからチビチビ言い過ぎやぞーっ」

 栞は詰め寄ってくる少年の頭を右手で押さえ、やれやれと嘆息をこぼした。

「はいはい、叩いてごめん、それから悪口言ってごめんなさい。君こそあんまり口が悪いと友達いなくなっちゃうから気をつけなさいね。っと、そろそろ私行くね。あんまりブラブラしてられないし。あっ、そのハンカチは君にあげるから」
「ちょ、ちょっと待てって。ねーちゃん、迷子なんやろ。何処に行ったらええか分かってるんか?」

 バイバイと手を振って立ち去りかけた栞は、思わず足を止めて少年を振り返った。

「あれ? 私、君に迷ったって言ったっけ? いや、言ってないはず。なんで知ってるの?」

 少年はまだ痛むのかおでこを摩りながら、ニヤリと笑った。

「独りでポツーンとベンチ腰掛けて、捨て猫みたいな顔しとるんやから迷子に決まってるやん」
「き、君ね、デートの待ち合わせで彼氏が遅いなあ、とか憂いてる女の子とか、なんでそういう風に見ないかな」
「……いや、そのシチュはねーちゃんじゃ無理やん」
「な、なんで」
「だってちんちく――」

 皆まで言わせず、閃光の右正拳突きが少年の鼻っ柱に炸裂した。





「だからなんでそんな手が早いねん、この暴力女!」
「ティッシュ鼻に詰めてそんな事言っても説得力ないと思うよ、ボク」
「めっちゃ説得力ありまくりやん!」

 丸めたティッシュが鼻から吹き出そうになって、涙をチョチョ切らせながら慌てて詰め直す少年。

「ごめんごめん、まさか鼻血が出るとは思わなくって」

 えへへへ、と笑って誤魔化そうとする栞。

「んー私の拳も捨てたものじゃないかも」
「捨てろ、すぐさま捨てろ」

 少年はトントンと首筋を叩きながら、目だけは恨めしそうに栞をねめつける。

「いまだかつてこれほど盛大に親切を仇で返されたことないわ」
「慣れないことするからだよ」
「オレは常日頃から親切なの!」
「うんうん、そういうことにしておいてあげるね」
「こいつ、こいつむかつくぅぅ」
「お互い様だよ」

 ピンとおでこを指で弾き、栞は少年の鼻に詰められたティッシュを引っこ抜く。

「わっわっ」
「大丈夫、もう止まってるよ」
「うー」
「はい、こっちはウェットティッシュだから、これで鼻の下拭いて」
「うん」

 一々生意気な口を利くのはさすがに疲れたのか、素直に言われた通りにしている。
 長い病院生活で、小さな子ども触れ合うのには慣れているせいか、元々栞は年下の子どもは嫌いではない。こうして黙って素直に言うことを聞いている分には、この男の子もなかなか可愛いものじゃないか。

「なに? 気色悪い顔して」
「優しく微笑んでるんです」

 前言撤回。
 こいつ、ぜんぜん可愛くない。

「ううっ、鼻血ちょっと飲んでもうた。喉が鉄っぽい」
「トマトジュース買ってきてあげようか?」
「いらんわい! もうええわ、はよ行こうや、ねーちゃん。ねーちゃんの連れ、待ってるで」

 うんざりした調子で言うや、突然手を掴んで引っ張るように歩き出す少年に、蹈鞴を踏みながら栞は面食らった。

「ちょ、ちょっとどこ行くの?」
「ねーちゃんが行きたい場所。オレが案内したるから」
「あ、ありがと。え、あ、でも私、どこだか覚えて無くって。えっと確かなんとかって駅のなんとかって店の前で」
「ああ、うん、分かった分かった」
「って、これで分かったの?」
「凄いやろ」
「……変な店とかに売らないよね」
「オレ、中学生って言うたよな。ってか、ねーちゃんじゃ売れんと思う。特殊な店でないと」
「き・み・も・しつこい・ねー」
「いたたたた、耳、耳引っ張るのは無し、無し」
「無駄口叩いてないで、早く連れてってよね」
「な、なんでそんな偉そうやねん」

 飽きもせず丁丁発止を繰り返しているうちに、けっこうな距離を歩く。気が付けば地下街から外に出て、知らない駅ターミナルの中に入っていた。何機も連なっている自動改札機が窺える。

「ほら、あそこ」

 不意に手を引いていた少年が、空いた手で壁に設置してある巨大なテレビ画面を指差す。否、その下だ。

「じゅ、潤さんだ」

 唇を噛み締めながら妙に落ち着かない様子で辺りを見回している、兄とも言うべき青年の姿を見つけ、思わず栞は駆け出した。
 必死で栞の姿がないか見回していたのだろう。北川はすぐさま栞の姿を見つけ、跳ね飛んだ。

「栞ちゃん!」
「うわーん、潤さーん、もう一生会えないかと思いましたー!」
「んな大げさな」

 そう云いながらもワッと抱きついてきた栞を確かめるようにポンポンと背中を叩き、北川は深々と安堵の吐息をこぼした。

「ったく、心配したんだぞ」
「ごめんなさい。あの、お父さんとお母さんは?」
「おばさんはJRの方。おじさんはまだ探し回ってるよ。マジで警察かどっかに駆け込まないとマズいんじゃないかってあせったぜ」
「ううっ、本当にごめんなさい」

 項垂れながらも大事にならずに済んでよかったと、栞は大きく息を吐いた。

「首に縄つけてもらっといた方がいいんとちゃうの」
「よけいなお世話!」

 からかうように笑い声を立てられ、栞は男の子の方に首を向け、イーッと歯を剥いた。
 そして、ようやくキョトンとしている北川に気付き、この子のことを紹介していなかったのを思い出す。

「あ、あの潤さん、この子……いや、あの私としてはとてつもなく不本意で認めたくないんですけど、一応私を此処まで連れてきてくれ――」

 と、栞の言葉をあっさり無視して、男の子は北川に話し掛けた。

「此処に来る途中で迷子になってんの見っけてん。見間違いかな思ったけど、前から功刀に写真見せられとったからな」
「なんだよ、そうだったのか。いや、しかし助かったぜ。サンキュ」
「うん。まあ良いって」
「……え? ええっ?」

 なんだか顔見知りみたいなやり取りに、栞は二人の顔を見比べて目を白黒させる。
 それを見て、北川は呆れたように少年を見下ろした。

「なんだ、お前栞ちゃんに自己紹介してなかったのか?」
「……あっ!」
「あ、じゃねえぞ」
「だ、だって潤ちゃん。こいつ、話し掛けた瞬間から訳分からんこと言いよんねんもん。そんなん忘れとってもしゃあないやん!」
「何があったか知らないけどだな、栞ちゃんお前より4つも年上なんだぞ。こいつ呼ばわりしない」
「……はーい」

 そこまで親しくされてしまえば、栞にも大よそこの子が誰なのかは察しが着く。それでも栞は泡を食って目を丸くしたまま、右往左往と両手を掻き回す。

「って、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。あれ? え? もしかしてこの子があれですか?」
「アレ言うな」

 噛み付こうとする男の子の頭をぽかりと叩き、北川はそのまま頭を押さえつけて、まっすぐに栞の方に向き直らせた。

「ほら自己紹介」
「……チッ、わーったよ。北川薫ですっ、よろしく、栞おねえさま」

 実に厭味ったらしい口振りの自己紹介に、栞は一言簡潔に感想を述べた。

「ぎゃふん」




第七幕目次へ





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