明日に控えた卒業式のリハーサルを終えて、在校生と卒業予定者たちは既に帰宅の途についている。
 未だ学校に残っているのは教師たちと事務員を除けば、式の実行委員を仰せつかった現生徒会の面々と、前生徒会の面々だけだった。とはいえ、実行委員がするべき事はもうあまり無い。後は最終調整のためのうち合わせのみ……のはずだったのだが、これが妙にフラフラと横道に逸れてしまい、解散と相成ったのは既に正午を二時間半ほど過ぎた頃だった。
 丁度、皆が昼食を取っていた昼の休憩時に教師連中に捕まっていた北川は、生憎と昼食にありつけておらず、お陰で先程から腹がきゅーきゅーと鳴いている。手っ取り早く腹を膨らませようにも、この時期には学食も購買も開いていない。
 北川は腹を擦りながら独りごちた。

「相沢誘って、どっかで喰ってくか」

 ちょっと、自宅に辿りつくまで我慢が出来そうもなかった。あいつも自分と同じく昼抜きだったし、誘えば話に乗るだろうと祐一の姿を探した北川だったが、生徒会室には祐一の姿は見当たらない。
 そういえば、打ち合わせが終わってからすぐ出て行ったような……。
 美坂や春日と喋っていて特に気にしてもいなかったが。
 北川はまだ教室に残っている連中の中に天野美汐を見つけて、声をかけた。

「なあ、美汐ちゃん。相沢、どこ行ったか知らない? トイレ?」
「……なぜ私が相沢さんがトイレに行ったかどうかを知っていなければならないのですか」

 わら半紙をとんとんと机で揃えながら、美汐は目線もあげずにブスッとした口調で答えた。

「いや、トイレに行くなら美汐ちゃんにちゃんと言ってから行くかなって思って」

 急に不機嫌になった美汐に戸惑いながらそう言うと、美汐の動作がハタと止まる。

「それは……いったいどういう意図からの申し様なのでしょうか?」

 どこか押し殺したような声に、北川は不思議そうに頭を捻った。

「どういう意図って……別になにも」
「……ふう」

 一瞬、グッと何か重たいものを飲みこむような仕草を見せた美汐だったが、深深と憂鬱げに溜息を落とし、顔をあげた。

「もういいです」
「あ、うん」

 なにが?

「相沢さんなら学食前の自販機だと思いますよ。飲み物を買いに行くと仰っていましたから」
「そ、そっか。サンキュ、美汐ちゃん」
「どういたしましてっ」

 ギロリと睨むやえらく不機嫌な口調な美汐に、北川は慌てて「それじゃ」と言い残し、ほうほうの体で生徒会室から逃げ出した。

「な、なんで怒ってたんだ?」

 トボトボと歩きながら何度もクビを捻るが、どうしても理由がわからない。
 きっと相沢が悪いのだろうと独り納得し、その祐一を探して北川は学食に向かった。


「いないじゃん」

 人気のない学食。見渡せど、祐一どころか誰の姿も見当たらない。
 人のいない学校は、どこか世界から隔離されたかのような静けさが満ちている。それが不気味で居心地が悪く、だが逆に何故か安心する気持ちも何処かに在る。孤独とは、そもそもそんなものなのかもしれないと、北川はふと思い、柄でもないと苦笑を浮かべた。
 
 喉が乾いていたので、自分も自販機でジュースを買い、さてどうしようかと頭を悩ませながらプルタブを開けたとき、視界の端に人影を見つけた。


「なーに、こんなところで黄昏てんだ?」
「――っ、なんだ北川かよ。誰も黄昏てなんていないだろう」

 いきなり背後から声を掛けられて吃驚したように振りかえった祐一は、相手が北川だとわかると途端にやる気なさげに元の姿勢に戻った。学食の裏の花壇を囲っている煉瓦に腰掛け、チビチビと紅茶の缶に口をつけながらグラウンドをぼけーっと眺めている。
 ただ、それだと素っ気無さ過ぎると思ったのか、付け加えるように呟いた。

「ただ、ちょっと切なさボンバーな感傷に浸っていただけだ」
「それを黄昏てるってこの地方では言うんだよ」
「切なさボンバーが?」
「感傷の方だ、ぼけ」

 一蹴して祐一の隣に立つ。ジュースを飲みながら祐一と同じ光景を眺めるが、生憎といつもと変わらぬ運動場にしか見えない。

「まっ、明日でこことはオサラバってわけだ」

 そう考えれば感慨深いものもあるかもしれない。

「だなー」

 やっぱり気の抜けた調子で祐一が相槌を打つ。

「なんだ、相沢。ホントに黄昏てんな。お前、卒業式じゃ泣く方?」
「いや、全然」
「そうかぁ?」
「なんだよ」
「だって……」

 今のお前、妙に浮ついてるじゃん、と言おうとして何となく口に出すのが面倒になってムニャムニャと北川は誤魔化す。
 それをチラリと横目で見やり、祐一はかったるそうに口を開く。

「別に卒業式とかで泣きそうになった事は無い。皆無。泣くほど思い入れのある学校、無かったしな」
「そうなのか?」
「だって俺、引越しばっかだったし」
「あ、そうか」

 忘れていたけれど、こいつは一年しかこの学校に通ってないのだ。
 という事は、ちょっと信じられないけれど、まだ相沢とは一年しか付き合ってないわけだ。

「大方他人事だ。卒業した小学校は二年いたけど、やっぱり他人事だったかなあ」
「ここより長いじゃないか」
「そうなんだけどな。……俺さ、友達いないヤツだったし」
「……はぁ?」

 素っ頓狂な声をあげる北川に、祐一は苦笑しながらパタパタと手を振った。

「いや、マジで」
「そうなの?」
「そうなのだよ、北川君。ま、そりゃ遊んだりする友達は普通に居たけどな。引越ししたらもうそれっきり。前に居た学校の連中だって全然連絡取ってないし。だから、友達っつーより単なるクラスメイト」
「はー、そうなんだ」
「最初からやる気みたいのがなかったんだと思うけどな。離れ離れになってもずっと友達でいようねぇ、みたいなのになるの、面倒だったし」
「それって結構嫌なやつだよな」
「酷いな、俺みたいな引越しばっかしてるヤツには在りがちな傾向だと思うぞ」
「うーん、まあそりゃそうか」
「それに、ちゃんと表面的には普通に仲良かったぞ」
「前言撤回、やっぱりそれは嫌なやつだ」
「そういうなよ。あからさまにお前ら適当に仲良くしましょう。でもそれ以上近づかないでください、みたいな態度取らないだろ、普通。まあ、さすがに其処まで嫌味な事考えてたわけじゃなかったし、波立てるほど尖がった性格でもなかったし、適当に世渡りしてただけじゃないか」
「ふぅん」

 軽くなった缶の中身が残ってないかプラプラと振りながら北川はだるそうに言った。

「まっ、考えたらさ、別にそういうのって今時珍しくもないか」
「だろ?」
「でも、お前のそれはちょっとやる気無さすぎだと思うが」
「……それはまあ、そうだったかもしれない」

 でも、いいんだよ。と祐一は素っ気無く言った。

「別にやる気無くたって、友達なんて出来る時は出来るんだから」
「……それってオレのことか?」
「なははは」
「オレかよ」

 なんとなくげんなりする。

「まあ、それだけハマったんだろ。悪く考えるなよ」
「別に努力しろとは言わないけどさ。相沢って、結構社会不適合者っぽいところあるよなぁ」
「失礼な。俺の何処が社会不適合者だ」
「うーん、人嫌いな所とか?」
「…………」

 祐一は鉛を飲みこんだような顔になった。

「北川って、時々キツい事言うよな」
「キツかったか?」
「わりと」
「そうかぁ、オレって時々思いつきで喋ったらすっげー嫌な顔される時あるんだよな」
「自覚ないところが特にキツい」
「そうかそうか、それで人、嫌いなの?」

 別に、と祐一は興味無さげに口ずさんだ。

「嫌いっつーほど他人に興味ないし。勿論好きでもないけどな」
「それって普通だな」
「普通だろ? まあ、こっち来てから他人じゃないって範囲がだいぶ広くなった気もするけど」
「前が狭すぎたんだろ?」
「かもなあ」

 首をグリグリと揉みながら、祐一は立ちあがった。

「まっ、どうでもいいこった」
「そりゃそうだ。で、明日は泣くのか?」
「泣くかっての。そりゃ、この学校は楽しかったから、感慨はあるけど」
「ほー、あるんだ」
「わりとな。んー、そうだな、初めて卒業するって気分かもな。なかなか良いもんかもしれないな、こういうのも」
「そうかそうか、うんうん、オレもそんな風にグラウンドを眺めて感慨に耽れる叙情的な感性が欲しいもんだ」
「え? いや、別に感慨に耽ってた覚えはないんだけど」
「照れるねぃ、若者よ」

 バシビシと笑いながら背中を叩く北川に、思わず反論しかけた祐一だったが、慌てて口を噤む。
 言えるはずがない。
 別にぼんやりしてたのは卒業の感慨に耽ってたなんてこっ恥ずかしい理由なんかではなく。
 ただ、明日卒業式の後、学校のどこかで袴姿の名雪とナニが出来る所はないものだろうか、と思い悩んでいたなど。
 言えるはずもないわけで。

「にゃ、にゃはは、そ、そうだろう。お前も多少は心の雅というものを育まないと、女の子にモテないぞ」
「はっはっはっ、余計なお世話だこの野郎!!」




目次へ



inserted by FC2 system