「えっ、ええ!? よ、四人で行くんじゃないの?」

 オロオロと可哀想なくらいに青ざめているあゆに、小太郎は少々罪悪感を感じながらも念押しするように告げた。

「ダメです。ペア一組ずつって言うのが決まりですから」

 平然と大嘘をこく小太郎。そんな決まりは当然ない。だが、情緒不安定になってるあゆにそれを見破る判断力は残されていなかった。

「大丈夫だ、あゆ君」
「か、要さん」

 肩に手を置かれ、頼もしげに見上げたあゆを、雪村は力づけるように言った。

「皆で行くより、二人きりで行く方がより恐怖が増す」
「……それが嫌だって言ってるのにぃぃ!!」
「ふむ、今から怖がる気が満々だな。頼もしい」
「うぐぅぅぅ」

 なんだか絶好調の二人である。
 笑うべきなのか呆れるべきなのか複雑な表情を浮かべている真琴の耳元に囁いた。

「今気付いたんですけど、マスター、あれ、浮かれまくってますね」
「え、そうなの? あぅ、そうだったんだ」

 妙に納得。

「いつもよりテンション高いですし、多分」
「傍目からじゃ全然わかんないのよね、てんちょーって」

 浮かれてるならちょっとはそういう顔をしろってんだ。

「あのー、それじゃあ僕ら、先いってきますね」
「えっ、えー! も、もう行っちゃうの!? って、ボクらがあとなの? 先に行ってあとの二人が来るのを待ってるという作戦が使えないじゃないか!」
「いや、逆ギレされても」
「ほらほら、あんたたち、さっさと行ってきなさいよぅ」
「はーい、それじゃあ……って真琴さぁん」

 そのまま爽やかに小太郎と雪村を見送ろうとした真琴に、小太郎、半泣きで縋りつく。

「あうぅ、冗談よ、冗談」
「キツ過ぎですぅ」
「だってあんた、変なこと考えてるでしょう」
「はい♪」
「あうぅ」

 即答だし、こいつは。
 さすがにいい加減慣れてきたが、このあからさまな態度には正直参る。下手に迂回しない分、回避が難しい。

「はあ、もう。ほら、もう分かったから、さっさと行こ」
「はーい」

 額に当てた手を投げやりに下ろし、真琴は纏わりつく小太郎を振り払いながら暗幕の奥へと消えていった。
 その背を見送り、雪村は気難しげに眉間にしわを寄せ、ボソリと一言呟くのだった。

「そして、これ以降、水瀬真琴の姿を見た者は誰一人いなかったという……了」
「変なナレーション入れないでー!」








「わ、ワンショットカップインだとぉ!?」
「えへへ、三連続アルバトロスぅ。ぶい」

 と、パターゴルフに勤しんでいるお二人。
 そして青い人工芝へと膝を着き、もはや決定的とも言える敗北に打ちひしがれる男が一人。

「に、二十五打差。んなあほな」
「うふふ、どうする祐一。このままだとイチゴサンデー25杯奢りだよ」
「ふぐぐぐ」
「ここで負けを認めてもいいんだよ。わたしは別に前に言ってたバッグでもいいんだから」
「そ、そうか? って、それ2万7千円もするやつだろうが! そっちの方が高いだろ!」
「あらあら」
「秋子さんの真似するなっ」
「お、怒ることないのに」

 マジで激怒する祐一に、名雪はびびりながら仰け反った。
 何やら祐一なりに譲れない一線があるらしい。

「でもさ、祐一。あと八打差ついたら33杯奢りで、その金額上回っちゃうんだけど」
「おまっ、おまえ、鬼だろ!?」
「うー失礼だよ。だいたい賭けようって言ったのは祐一でしょう。わたしはやめといた方がいいよって忠告したのに」
「だからってこれだけ上手いなんて反則だろうが! お前、陸上部だろ!」
「雨の日は筋トレの合間とかに体育館のスロープとかでよく遊んでたから」

 テニスラケットとボールで。

「練習しろよ!」
「集中力を研ぎ澄ます練習だったんだよ」
「嘘つけっ!」
「本当だよ。部長さんだって効果的だしOKだって言ったもん」
「マジかよ…………って、部長はお前だっただろうが!」
「……あらあら」
「だから秋子さんの真似をするなぁぁ!!」
「だからなんで怒るのー!?」

 譲れない一線は譲れないから譲れない一線なのである。

「ああ、畜生。なんで俺はもっとこう素直に人の言う事を聞けないんだ!」
「いい加減反省しないと道踏み外しちゃうよ。これからは心を入れ替えて、ちゃんとわたしの言うこと聞こうね」
「……くっ、わかったよ」
「うん、よろしいよろしい」
「じゃあ、賭けの方はチャラということで」
「却下」
「即答ですかい」
「ルールはルール。祐一に残された道はただ二つ。ここでギブアップしてわたしに二万七千円のバッグをプレゼントするか。最後まで続けてわたしに一か月分のイチゴサンデーを奢るかの二つに一つ」
「一ヶ月で食いきるつもりなのかイチゴサンデー」
「分けた方がいいかな?」
「いいと思います」
「うーん、考慮しておきます、うにゅ。それで、どっち?」
「そこには俺が逆転勝利、もしくは小差で敗北という選択肢はないの?」
「ないです」
「恋人に対するちょっとした憐れみとかもないわけ?」
「恋人には油断を見せるな、と今日のお昼に言ったのは祐一だよ。憐れみなんて、そんな大きな油断を見せるわけにはいかないよ」
「いや、こういう場合はいいんだぞ。油断最高! 油断最適! 油断・イズ・ビューティフル! 皆さん、油断してますかー!?」
「で、どっち?」
「スルーですかい」

 どちらに転んでも苦行の道。祐一、涙涙の人生の岐路であった。
 ちなみに現在の財布の中身は525円!
 帰りの電車賃にだけは足りそうであった。












 今時漫画でも使われない、と評されるお約束は沢山ある。
 女の子と二人きりで肝試しやお化け屋敷などに参加して、怯える彼女に抱きつかれてウッハウハ、なんてシチュエーションはその最たるものの一つだろう。
 勿論、小太郎もそんな事は最初から期待はしていない。何しろ彼女は去年の夏に本物の怪奇現象に巻き込まれている言わば経験者だし、何より本人が怪奇生物だ。作り物のお化け屋敷でそうそう「きゃー」などと叫んで抱きついてくれるなんて期待する方が虚しい。
 小太郎としてはとりあえず二人きりになる事が先決で、隙を見てそれなりにいい雰囲気というものを構築するのが目的だった。
 の、だが。

「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
「ひゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 絶叫、絶叫、喉が枯れんばかりの大絶叫。
 入ってからこっち、小太郎も真琴も叫びっぱなし。ちょっと半泣き。

「こ、こた、こたろ、あうっ、あうう」
「だだだだだいいじょうぶでですす、僕がつつついてぇぇぇぇ!!?」

 声が裏返ってます。
 元本職の拝み屋が形無し。
 抱きつくどころか腰を抜かけてしがみついてくる真琴だったが、小太郎もそれを喜べるような精神的余裕はまるでなく、逆に抱き返してガタガタ震えている始末。真琴のやわらかさとか温もりとかに鼻の下を伸ばすなんて余裕一切なし。

 しゃ、洒落になってないくらい怖いぃぃ!

 天野小太郎一生の不覚であった。本物じゃないから怖くない、というのは盛大な勘違い。本物じゃないからこそ怖いのである。本物の超能力よりただの手品の方が見た目は物凄いのと原理は同じ。お客に最悪の恐怖を与えるためだけに計算し尽くされあらゆる技術と心理的効果を考慮して作り上げられた芸術とも呼び得る――しかも東洋最恐とすら謳われる――ホラーハウスだ。中に入った人の恐怖心を煽り、予期せぬ事態を巻き起こし、冷静さを吹き飛ばす仕掛けの数々は、はっきりいって本物の怪奇現象など眼じゃないくらいに怖かった。
 気絶したり動けなくなったお客の為に医療班が待機している、とか出口の横にシャワー室と衣服下着を売っている店があるという噂はどうやらマジらしい。

「あうっあうう、あうう」

 真琴もさっきから言語野が退行したのかあうあうしか言えてないし。

「まままことさん、さ、先に進まないと、っとおおっおおおっ、おおお!!」
「あうー! あうー!」










 真琴と小太郎の劈くような悲鳴は、入り口付近で待っていたあゆたちの所へも届いていた。とてもふざけているようには思えないその切羽詰った叫びに、ただでさえ青ざめていたあゆの顔色が青を通り越して白くなっていく。
 パクパクと口を開きながら、墓場の門を模した入り口を見上げていたあゆは、涙目で雪村を見つめた。

「か、要さん。やっぱりやめない?」
「何故だ?」
「だ、だって、ボク怖いよ」
「ふむ、実を言うと俺も怖い」
「な、なら!」
「これぞまさに怖いもの見たさというものだな」
「ボクは見たくないの!」

 傍目から見れば滑稽なのだが、あゆ本人は至って真剣だ。悲壮ですらある。
 そんなあゆの様子に「ふむ」と目を伏せ黙考していた雪村だったが、やがてパニックに陥った被災者を宥める救急隊員のような口ぶりで告げた。

「まあ待て、あゆ君」
「うぐぅ?」
「さすがに俺も独りで行くのは腰が引けるのだ」
「うぐぅ!」
「うむ、だがな。せっかくエネミーランドに来た以上、やはりぜひ一度はこのアトラクションを経験してみたい」
「う、うぐぅ」
「そうなのだ。となると、どうしても一緒に中に入ってくれる人が欲しい」
「うぐっ!?」
「そうだ、あゆ君。君がいてくれると心強いのだ。お願いできないだろうか、この通りだ」
「で、でもボク」

 目上の人にここまで真摯に懇願されては、あゆの性格では拒みきれるものではない。それでも、未曾有の恐怖を前にして躊躇うあゆに、雪村はおもむろに左手を差し出した。

「大丈夫だ、俺が付いている」

 あゆは一瞬戸惑いを覚え、だがそれを押しのけるようにして彼の手を握った。
 彼の手は思いのほかひんやりと冷たくて、硬いものだった。
 そしてようやく、初めて雪村と手を繋いだのだと思い至り、あゆは一瞬恐怖を忘れて、憧れていた先輩と偶然帰り道が一緒になってしまった時みたいな、そんな照れくささを覚えて、思わず顔を伏せてしまった。

「では、行こうか」
「あ、は、はい」

 自分が、死刑台へと押し上げてくれる執行人の手を握ってしまったのだと気付いたのは、墓場の門を潜ってしまったあとだった。

「うぐぅぅぅぅぅぅ!!!!」

 デッドエンド。







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