「いやだなぁ、ロータリーじゃなくて改札の前だって言ったのに」
「知らない、聞いてない、覚えてない、記憶にない」

 ガタゴトと快調にレールの上を走る電車の中に、真琴のえらく拗ねきった声音が流れている。
 平日の午前中。通勤時間はとうに過ぎてしまっているので、先頭車両に乗客の姿はまばらにしか見当たらない。真琴たち四人で全体の五割を占めている。

「あゆ君、彼女は健忘症なのか?」

 と、眉根を寄せてあゆに訊ねてくるのは、吊革を掴んで彼女の前に立っている雪村要だ。
 この人が言うと冗談なのか真剣なのかいまいち分かり辛いので非常に困る。せめて冗談を言う時は冗談だと分かる口調や表情にして欲しいのだが、この人の場合まったく見分けがつかないので大変困る。
 とりあえず、どちらにせよ本人に聞こえないように訊ねるという配慮が欲しいあゆであった。

「あうーっ、それどういう意味よ、てんちょー!」
「真琴ちゃん、どうどう」

 放って置くと比喩ではなく噛み付きそうだったので、慌てて宥めるあゆ。

「だいたい、来ないならさっさと電話ぐらいしなさいよ!」
「女性に早く来いなんて電話まで掛けて急かすほど野暮じゃないですよー」

 朗らかに、何の衒いもなく言ってのける天野小太郎。

「デートの待ち合わせなんてものは、待たされるのが醍醐味みたいなものですし」
「……うきーっ!」
「あっ、髪型乱れちゃいますよ、真琴さん」
「うるさい、黙れ!」

 こりゃダメだ、とあゆは顔を抑えた。
 相手の方が一枚上手だ。吶喊でマニュアルを頭に突っ込んだだけの自分達ではいささか抗しがたいようである。
 まあいいか、勢い込んでるのは真琴ちゃんだけだし。変に肩張って初めての遊園地を詰まらなくするのも勿体無い。ボクは普通に楽しもう。

「ところで要さん、なんで立ってるの? 座席こんなに空いてるのに」
「あゆ君、マスターたるものは常に直立を心がけなければならないのだよ」
「へぇ、そうなんだ」

 なるほど、と深く感心しているあゆの様子に雪村は少し困ったように目を瞬き、仕方なさげにカーブで傾く自身の身体をつり革を持つ手を引き寄せることで支えなおした。






「うぐぅぅ!!」

 絹を引き裂くような、と言うには些か珍妙な悲鳴が良く晴れた空へと響き渡る。
 入場門を潜った所で待ち構えていたそのマスコットは、そんな反応対応に慣れているのか特に動じた様子もなく、長く伸びた舌をベロンと揺らしながら雪村と真琴にパンフを渡し、ノソノソと歩き去っていった。
 雪村のズボンにしがみ付いていたあゆが、恐る恐る顔を覗かせ声を震わせる。

「な、なにあれ」
「このエネミーランドのマスコットキャラですよ。名前は確かリドリー・エイリアン君」
「そのまんまなネーミングねぇ」
「あれは着ぐるみか? なにやら体表面から粘液が滴ってるが」
「本物っぽいのがウリだそうですよ」

 嫌なリアリティである。

「うぐぅ、なんなのこの遊園地」
「エネミーランドの名前の通り、古今東西の敵キャラをマスコットに、という奇抜なコンセプトが特徴なんだそうですよ。あ、ほら、あっちで家族連れがバタ○アンの群れに追いかけられてますよ」
「うぐぅ!」
「あはは、楽しそうですねー」
「子供泣いてるわよぅ」
「版権は大丈夫なのか。あそこで風船を配っているのはどう見てもピッ○ロ大魔王とデスザ○ラーなのだが」
「僕らが気にしても仕方ないんじゃないですか、それ」
「それもそうか」
「うぐぅぅ!!」
「ねぇ、どうでもいいけど早く行こう! ほら、あゆもうぐうぐ言ってないで」

 先ほどまでの不機嫌は何処へやら。遊園地に到着した途端、真琴は目をキラキラと輝かせて子供のようにキョロキョロと落ち着かなくなっている。初めて訪れる遊園地を前にして、事前に色々考えていたことは全部頭から吹き飛んでしまったらしい。

「ぼ、ボク、うぐうぐなんて言って無いよ!」
「そうだぞ、真琴君。あゆ君はうぐぅうぐぅと言っているのだ」
「……うぐぅ」

 手を掴まれ真琴にズルズルと引きずられながら、あゆは何も言えずに涙を流した。







§  §  §  §  §








「やってきました!」
「遊園地!」
「今日も一日!」
「愉快に楽しくレッツゴー!」
「…………」
「……びよよ〜ん」

 無意味にポーズまで取っていたその二人は、やがて周囲の冷たい視線に耐え切れず、いそいそと晴れ晴れとした空に掲げていた手を後ろ手に降ろした。

「名雪、恥ずかしいからこういう馬鹿はやめてくれ」
「それはこっちの台詞だよ」
「……最近俺達、芸風変わったな」
「芸風とか言ってる時点でダメダメだと思うんだけど」
「それもそうか」
「それ以前に、わたしたちって恋人だよね」
「当然だろ。だってラブラブだし」
「なにか時々路線間違えてないかなーって思うんだけど」
「時々なら大丈夫じゃないか?」
「そうかなぁ」
「ところでさっきの最後のびよよ〜んってなんだ?」
「前に朝の情報番組でレポーターしてた夫婦漫才の人のネタ」
「……やっぱり何か間違えてないか、俺達。何かこう若さが足りないというか、有り余る性欲を全面に展開した爛れた生活を醸し出すべきというか」
「うー、た、爛れてるのは爛れてると思うんだけど」
「そ、それもそうか」

 一日と置かずやる事はやってるわけで、頻度だけで考えるなら同世代のカップルでも上の方になるだろう二人。

「じゃああれだ。今日は恋人らしく普通にイチャイチャと遊園地を楽しもうか」
「うん♪」

 そして二人は腕を組み、

「ってちがーう!! 今日はそういう目的で来たんじゃないだろう!」

 腕を振り解いて頭を抱え、絶叫した祐一は、またまた周囲から冷たい視線を浴びせられ、すごすごと小さく身を縮めた。
 その冷たい視線筆頭、というか一人極寒の視線を恋人に浴びせていた名雪が、無表情に冷たく告げる。

「今日の朝までわたしはそのつもりだったんだけどね」
「勘違いも甚だしかったな」
「凄く楽しみだったから、朝なんて自分で起きたんだよ」
「偉いな。でもいつも自分で起きるのが普通だぞ」
「今日着る服だって昨日からずっとじっくり選んでたのに」
「そりゃご苦労さん」
「……なんでこんな格好しなきゃなんないの?」
「勿論、俺たちの正体がばれないように決まってるじゃないか」

 そう自信満々に胸をそらした祐一の姿と言えば。下からカーキ色のボトムパンツにダボダボの服。頭にはニット帽を被りフィットタイプのサングラスを装着すると言う、どう頑張っても似非っぽくしか見えないラッパースタイル。
 対して名雪は、ジーンズにディープグリーンのスタジャン。さらに長い髪をキャップへと押し込めて、目深に被せている。

「名雪、お前けっこうそうしてると格好いいな」
「そう? えへへ……でも祐一は全然似合って無いよ」
「そうか?」
「全然というより深刻に似合ってないよ」
「そ、そうか」

 ちょっと落ち込む相沢祐一18歳。

「で、でもまあ変装にケチつけても仕方ない。バレなきゃいいんだ、バレなきゃ」
「バレないかもしれないけど」

 遊園地に遊びに来るカップルとしては不自然すぎるような気もする。いや、遊園地に限らず。

「あ、怪しすぎる」
「さて、真琴たちは既に中だ。追いかけるぞ」
「あっ、待ってよ祐一!」

 威風堂々と入場口へと向かう似非ラッパーを慌てて名雪は追いかけた。

「お客様、チケットの方を拝見させていただきたいのですが」

 追いかけるまでもなく、入り口で従業員に捕獲されてる相沢祐一18歳。

「え? チケットってなんだ?」
「入場券のことでございます、お客様」

 営業スマイルの向こうに当然だろコラ! という台詞が透けて見えてる従業員(女性)
 さぁっと青ざめる祐一の顔。

「……祐一?」

 名雪はこそこそと背を向けて何やらゴソゴソしはじめた祐一を、肩越しに覗き込んだ。
 カタカタと小刻みに震える両手。そこには大きく中身を開いた財布の姿が垣間見える。そして、悲壮感溢れる表情で料金表と財布の中身を見比べている相沢祐一18歳。

「祐一、まさか入場料のことすっかり忘れてたの?」

 コクリと小さく頷く祐一。

「えっと、足りる?」

 一瞬ためらい、辛そうに、本当に辛そうにコクリと頷く相沢祐一。

「……わたしが出そうか?」

 しばし黙考。
 そして次の瞬間、ハッと我に返ったように祐一はキッと顔をあげた。
 其はまさに(オトコ)(カンバセ)

「……て、てやんでいばーろー! 男の甲斐性を舐めるんじゃない! おい、おばちゃん、入場券二枚! の、乗り物フリーパス券付きだ!」
「はい、大学生二枚ね」
「……こ、高校生でお願いします」

 涙目で平身低頭する恋人の姿に、さらなる愛情を感じるべきか、憐れみを感じるべきかいささか迷う水瀬名雪であった。






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