もうすぐ学校の春休みも終わろうかという四月の頭。
 北国の冬は長く、この時期では春の匂いもまだ遠い。ひと時の温もりを求めて、この喫茶店のドアをくぐる人も多かった。
 だが、今日は珍しく客の姿が店内に見当たらない。
 店主である雪村要とウェイトレスの月宮あゆの二人だけ。
 コトコトとコーヒーメイカーが心地よいリズムを刻んでいる。天井で緩やかに回転するアンティークフィンが暖かな空気をかき混ぜ、静かなクラシック音楽が店内の隅々にまで染み渡るようにたゆたっている。
 長閑な午後のひととき。
 店主である雪村要は黙々と洗い終わった食器を綺麗に拭いては、食器棚へと並べている。
 ウェイトレスの月宮あゆはカウンターにちょこんと腰掛け、フォークを操っている。前に置かれた花柄の小皿には、イチゴの乗ったケーキが添えられている。雪村が作った新作ケーキを試食だった。
 マロンクリームをふんだんに使用したストロベリーケーキ。
 なんだか理不尽な組み合わせだった。  理不尽だが、何故か美味しかった。
 世の中ちょっと間違ってる。
 そんな静かな午後のひとときであった。

「今度から店内に流す音楽はこれにしようと思うのだが」

 寛いだ雰囲気の中、不意に雪村がそんな事を口にした。
 目の前に置かれたCDを見て、あゆは「うぐぅ」と唸る。
 ハードロックだった。

「や、やめておいた方がいいと思うよ、要さん」
「何故だ?」
「お客さんが落ち着いてくつろげないし」
「先輩と同じ事を……やはりそうなのか」

 俺は此方の方が落ち着くのだが、と残念そうに零しながら雪村はCDを引っ込めた。
 グラスを拭く音色とカチャカチャと食器の鳴く音が戻る。
 微睡みに沈んでしまいそうなまったりとした静やかさ。

「平和だねぇ」

 至福のあゆが、眼を糸のように細めて云った。

「うむ、ラブアンドピースだな」

 雪村は頷き、思慮深げに意味不明なことを云った。

 チリン――と、ドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 鳴ったときにはもうカウンター席から姿を消した月宮あゆが、笑顔で客の案内へと向かっている。

「女給の鏡だな」

 神経質そうな面構えに僅かな満足を湛えて、雪村は云った。

「あの、こんにちは〜」

 キョロキョロと店内を窺いながら入ってくる童顔の少年。
 雪村やあゆもよく知る常連にして友人の一人。天野小太郎だった。

「だれも……いません、ねぇ……っと」
「どうしたの、小太郎くん」

 店内に見知った顔がいないのを確認した小太郎は、某方面で年上殺しと恐れられる笑顔をひらめかせると、あゆに向かってピョンと人差し指を立てて見せた。

「ちょーっと、込み入った話をば」
「うぐぅ?」




§  §  §  §  §






「デート?」

 鸚鵡返しにあゆは繰り返した。

「つまり、真琴くんをデートに誘うのに協力して欲しい、と?」

 注文のメロンソーダを小太郎の前に置きながら、雪村は怪訝そうに顔を顰めた。そうすると、自然と雪村の表情は険悪なものへと変わる。別に怒っているのではないと知ってはいてもたじろいでしまいながら、小太郎はコクコクと頷いた。

「ええ。真琴さん、ガード固いんですよ。どう誘っても逃げられちゃって。それで最終手段として、これ入手したんですけど」

 と、チケットを二枚取り出して見せる。
 覗き込んだあゆが、あっと声を上げた。

「これって、エネミーランドのペアチケットだよね」

 エネミーランドとはこの街から車で40分ほどの場所にあるテーマパークであった。豊富なアトラクションと凶悪奇抜なマスコットで有名で、最近低迷しているテーマパーク業界でも勝ち組として名前のあがっている遊園地であった。

「ふっふっふ、事前の調査で真琴さんはまだ遊園地に行った事がないと判明しています。しかもこの手の楽しげなアトラクションには興味津々という事実も。これをチラつかせれば……」
「なら、それで誘えばいいのではないのか?」

 雪村が言った途端、鼻を膨らませて意気揚々としていた少年は、ヘナヘナとカウンターに突っ伏してしまった。

「でも二人っきりだとですねぇ。ちょーっとばかしバッサリ玉砕風味になるんでないかいなと僕の勘が訴えてるわけですよ、これが」
「うーん、真琴ちゃんて意外と引っ込み思案だからね」

 いざとなると腰が引けてしまう傾向のある親友の性行を思い出すと、あゆにも「やっぱりいい」と耳をパタンと伏せて呟く真琴の姿がありありと思い浮かぶ。

「だからぁ、真琴さんもみんなで行こうって事になったら、OKしてくれるんじゃないかなぁと考えたんですよ、僕ぁ」
「……それは分かったけど、じゃあなんで此処に来たの? 栞ちゃんとか一子ちゃんに――」
「あー、ダメですよ。それじゃあデートにならないじゃないですか」
「……なるほど。ダブルデートか」
「うぐぅ?」

 ボソリと呟いた雪村の言葉の意味が一瞬分からず、あゆは目をぱちくりさせた。雪村は二枚のチケットを小太郎の手から摘み上げて言う。

「ペアチケットが二枚。そういう事なのだろう?」
「正解です」

 ニパッと笑い、小太郎は頷いた。

「え? でもそれだったら祐一くんに――」
「あーゆーさーっん!!」
「う、うぐぅ?」

 小太郎は頭を抱えてデンプシーロールのように上半身を揺さぶって「ダメダメダメダメですよー」と連呼した。

「相沢先輩なんかに頼んだら嬉々として邪魔されるに決まってるじゃないですか。あの人、すっごくシスコン&性格破綻者なんだから」
「そ、そうかな?」
「そうですよぉ」

 あゆはフォローを求めて雪村を上目見た。

「……シスコン、か。なるほど」

 なんだか凄く納得していた。

「じゃっ、そういう事でお願いしていいですか、マスター。あゆさん」

 そう言うや、小太郎はピッと雪村の手からチケットを一枚抜き取る。マスターの手にはもう一枚が残されていた。

「……?」
「うぐぅ?」

 思わず二人は顔を見合わせた。

「我々に、か? ふむ、俺は不都合ないが」

 チラリと視線をよこされ、ようやくあゆの頭に小太郎の言ってる意味が浸透した。
 した途端、ボンと顔面が上気する。

「え……ええっ!? ちょ、ちょっと待ってよ。で、デートってそんなだって、えええ!?」

 パニクってるあゆに対して、雪村はいつも通りの不景気な面をしたまま、顎を撫でている。
 しばし思案し、彼は云った。

「あゆくん。真琴くんを誘うからには友人の君は外せまい。他にデートに誘える男性がいるのなら――」
「そ、そんな人、いっ、いません!!」

 顔に朱を散らし、叫ぶあゆ。
 差し出そうとしたチケットをピッと眼前に立て、雪村は淡々と問うた。

「そうか。だが、俺としては協力してやってもいいと思ってるのだが」
「いや、その、ボクも別に小太郎くんの力になってあげたくないってわけじゃなくて、むしろ応援したいと思わないでもって、その――」
「ではあゆくん、恋人でも何でもないが、俺などでも構わないか?」
「それは勿論!! …………うぐぅぅ!?」

 直立不動で即答したあゆは、自分が何を口走ったかに気づき、その顔色を赤から紫、紫から蒼、そこからまた赤へと目まぐるしく変化させ、あたふたと慌て始めた。
 その愉快な様子を横目に、雪村はあくまで表情一つ変える事無く、にこにことメロンソーダを飲んでいる小太郎に向かって云った。

「と、云う事で纏まった」
「はい、ご協力感謝します」
「なに、偶には遊びや息抜きは必要だからな。最近根を詰めていたし、いい機会だ」
「そうですね、いい機会ですよ。お互いにね」
「……?」

 意味深に微笑むショタ少年に一瞥をくれ、顎を撫でながら雪村要は奇怪な踊りを踊っているウェイトレスを見やった。

「……ふむ」





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