「こ、これは……陰謀だ、何らかの大いなる陰謀の影を感じるぞ」

それは戦慄であり、恐怖であり、メフィストフェレスの誘惑だった。
心のどこかで望み、だが得られぬものだったはず。それが、目の前に存在する。
張り出されたクラス発表を見上げながら、相沢祐一は慄いたように唇を振るわせた。
そう、これが陰謀でなくてなんなのだろう。偶然というにはあまりにも都合が良すぎる。

祐一の視線は校舎の壁に張り出されたクラス名簿、その「三年四組」へと向けられていた。
名簿の一番上には当然のように相沢の名がある。この位置は小学校の頃から一度も譲っていない。
問題はその下だった。出席番号6番には北川潤の名が。
そして美坂香里と水瀬名雪の名前も女子名簿の方に並んでいる。

見事なまでに美坂チームの全員が揃っていた。

「あうー、あたしの名前がなーい」

当たり前だ、真琴よ。

不満げにぶーたれる真琴を無視して祐一はオロオロと視線を泳がせた。

「ぐ、偶然だ。そうだ偶然に決まってる。決まってるが…そんな偶然があるのか? や、やはり陰謀か、陰謀なんだな。 だ、だれの仕業だ。久瀬か? いや、ヤツがわざわざこんな事をする理由が分からんし、そもそもそんな事ができるはずが……ま、まさか佐祐理さんか!? …あ、ありうるぞ。あの人はやりかねないぞ」
「祐一祐一」

冷や汗をダラダラ流しながら頭を抑えて苦悩している従兄弟の袖を名雪はクイクイと引っ張った。
なんだ、と振り向く祐一に、名雪は狂乱に流されぬ平穏さで一言。

「大袈裟だよ」
「おう、自分でも思った」

あっさりと同意してシャキっと背筋を伸ばす。汗も引っ込め、顔色も戻す。
色々な意味で自由自在な男だ。

「しっかし、美坂チームが全員一緒のクラスだとは、偶然ってのはあるもんだな」

感心しきりといった風に腕組みしてクラス名簿を眺めている祐一に、名雪は苦笑を浮かべた。

「祐一、これって別に偶然でも陰謀でもないよ」
「あん、なんで?」
 
訝しげな祐一に、名雪は屈託無く答えた。

「だって二年から三年まで大体クラス持ち上がりだもん。良く見てよ、他の人もみんな二年の時と一緒だよ」

云われて祐一は見た。
じっくり見た。
なんと、斉藤の名前があった。

「あ、ホントだ。なんだ、斉藤までいるじゃないか。なるほど、持ち上がりかよ、詰まらんオチだな」
「おい、相沢。今、なんか微妙に失礼な納得のしかたしなかったかい?」
「いやー、だってクラス替えがあったなら斉藤と一緒のクラスのはずないもんなー、ってあんた誰?」
「三年四組出席番号11番、斉藤啓17歳だ」

振り返ると今期も晴れてクラスメイトになった斉藤君(17)が爽やかな微笑みを浮かべつつ佇んでいた。
相沢祐一、慌ててネクタイの位置を直し、身なりと整えると、にこやかな愛想笑いを浮かべて云った。

「やあ、はじめまして」
「いやあ、此方こそ……って、相沢てめえいい加減にしないとシメるぞ」

グリグリグリ、と斉藤君の両拳が祐一のこめかみを挟み込み、ねちっこく抉る。

「ぐおお、頭が割れるぅぅ」

在る意味男二人組ず解れずという退廃的な光景を気にする風もなく、名雪はいつもの通りぽややんとクラスメイトに挨拶した。

「斉藤君おはよー」
「あ、水瀬、ういっす。君も大変だねぇ、こんなのと毎朝一緒で」
「うん、大変だよ〜」
「ま、待て名雪、何平然と、いつも大変なのは俺の方…いぎゃぎゃ、斉藤、ロープロープ!」

そろそろ男に密着しているのが嫌になったのか、斉藤は蹴り転がすように祐一から離れた。

「おおお、頭がー頭がー」
「さらに悪くなったと」
「うむ、正解……なわきゃないだろうが!」

余計な注釈をつける真琴を捕まえ、今度は祐一が真琴にグリグリ。

「あうー! 頭がー頭がー」
「さらに悪くなれー!」
「祐一より良いもんッ、あっイタイイタイぃ」

ピョコピョコと跳ねるツインテールに混じって、狐耳が出たり入ったりしている気がするが気のせいか。

「だれ、この子」
「あ、わたしの妹」
「へー、水瀬に妹居たんだ……あんま似てないね」
「あははは」

笑って誤魔化す名雪。
特にそんな笑いの意味を詮索もせず、斉藤はひたすら邪悪に顔を歪めながら年下の女の子に悲鳴をあげさせている祐一を見ながら、カバンを肩に担ぎ直した。

「お前ねー、そんなんで大丈夫なんか? 生徒会選挙に出るんだろ」

周りが聞き耳を立てていないか確かめて、斉藤は小声で囁きかけた。

「あれ? なんで斉藤君知ってるの?」

祐一が思わず真琴の頭を離して顔をあげ、名雪が不思議そうに訊ねる。
そんな二人に斉藤はヒョイと肩を竦めて見せた。

「知ってるも何も、今の生徒会から冷や飯喰わされてる部活の部長やら副部長にはだいたい情報回ってきてるぜ。お前の政策方針だとか個人情報とかと一緒にな」
「そ、そうなのか? いったい誰が」

政策方針ってなんだったけ、と危ない自答をしつつ問い掛けると、斉藤は目を瞬いて即答した。

「ああ、北川だよ。あいつ、お前の味方なんだろ? ま、事前工作じゃないか。予算的に文句あるところも多いからな、相沢が出るなら応援してやろうって所も出てくるだろうし。
斯く云う我が映研も、予算毎年碌に回してくれないもんで困ってんだ。予算優遇してくれるなら、映研あげてお前に投票してやってもいいぜ」

ケケケ、と嫌らしく笑ってみせる斉藤に、祐一は嫌そうに眉を顰めた。
ヨロヨロと逃げ出す真琴の頭を掴みながら云う。

「斉藤な、そりゃ無茶ってもんだろ。それじゃあもろに収賄じゃねーか」
「あー、ムリか」
「あうー、離せー」
「ムリムリ。まあ、予算は公平に分けるから、お前の部活が変に予算削られてたら増えるかもよ」
「はは、言い方次第だなぁ、相沢」
「うるせ」

拗ねる祐一を一しきり笑い、斉藤は云った。

「まあ何にせよ、お前さんが生徒会長なったら面白そうだし、票ぐらいなら入れてやるぜ。多分ウチのクラスの連中は大概そうじゃないか?」
「だから離せぇ!」
「そうなのか?」
「祐一自覚ないんだね」
「なにが」

名雪に呆れた風に云われて祐一は少々ショックを受けながら問い返すと、従姉妹はあっさりと返答する。

「祐一ってとっても変だから、みんなの人気者なんだよ〜」

祐一、しばし黙考。考える。考える。

とっても変だからって何? どういう意味?

そして結論は出た。

「なあ、それって俺が珍獣扱いされてる風に聞こえたんだが」
「あはははッ、祐一って変態珍獣なん、ひぎゃぁ!」

祐一の掴んだ指がギシギシと食い込み、真琴がバタバタと溺れてるみたいに悶える。
そんな恋人と妹を眺めながら、名雪はのほほんと云った。

「あはは、わたし珍獣の彼女」
「自分で云って喜ぶなー!!」

水瀬名雪、少々常人とは神経が異なっているようである。
彼も変なら彼女も変。
まさに珍獣カップル。

「相沢が生徒会長になったらクラスの珍獣から学校の珍獣にクラスアップか」

しみじみと呟く斉藤。
ふと、なにか身内の恥を晒すような気がして、少し憂鬱になる斉藤君であった。

「やっぱやめとこうかな、こいつに入れるの」



相沢祐一が選挙委員会に立候補登録を済ませたのは、それから三日後であった。




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