果たして自分が寝起きが良い方なのか、悪い方なのか。
相沢祐一は最近分からなくなっている。
理由は簡単。これまでの比べる対象が極端すぎた所為だ。
名雪は云うまでも無く起こさなければまさに冬眠といっても過言ではないほど寝続ける女であり、片や秋子さんに関しては寝ている姿すら見たことがない。
実に極端である。
この水瀬家に来る以前はどうであったか。もはや記憶の彼方である。

「ほらー、起きろー祐一!」

豪快に開けられる遮光カーテン。
豪快に引っぺがされる掛け布団。
強引に引き抜かれるMY枕。

相沢祐一は深海から急浮上させられたような不快な意識の覚醒に低く唸りながら思い出した。

……そういえば、ここに来る前はベッドから蹴り落とされてたような覚えが。

無論毎朝ではない。毎朝ではないが、ちょっとでも寝過ごせば容赦なく。母よ、あなたは酷かった。
さて、四月とはいえ此処は北国。早朝ともなるとまだ恐ろしく寒い。天国の如き温もりからいきなり外気に晒された肉体が悲鳴をあげた。
流石にこのままじっとしている事にも耐えられず、祐一は「ガルルルル」と唸り声をバージョンアップさせながら身を起こす。

「まーこーとー」

開けた視界、朝日に照らされた自分の部屋の中には見慣れた制服を着込んだ少女が仁王立ちに立っている。
見慣れた制服では在るが、目の前の少女がその制服を着こなしている姿はまだ見慣れない。まあ、すぐにでも慣れるのは間違い無いが。
高校の制服に身を包んだ水瀬真琴は、プンスカと腰に両手をあてて叫んだ。

「ほら、はやく起きて名雪姉を起こしてよ」
「お前…その言い草がなんか理不尽だと感じるのは俺が寝ぼけてる所為か?」

祐一は不機嫌に釣りあがった双眸でギロリと真琴を睨みつけるが、彼女は動じた風もなく、

「だって、アタシじゃ名雪を起こせないんだもん」
「やる前から諦めるなよ」
「無駄なことはしない主義なのよー」
「嘘つけ」

行動・思考の半分以上が無駄で埋め尽くされているクセに。

半眼になった祐一に、だが真琴は白けたように云った。

「それに、アタシが起こしたら名雪に悪いから」
「……お前な」

何とも云い難い感覚に、祐一は右手で顔を押えた。

「わーったよ、起こすからお前は朝飯でも先に喰ってろ。一緒に出るんだろ?」
「うん♪ じゃあ、先に食べてるね」

パタパタと二本の尻尾を振り乱して真琴は部屋を飛び出していった。
間をおかず、階段を駆け降りていく音が聞こえてくる。

「ったく、変な所ばっかり気を使うこと、覚えやがって」

それは悪い気分ではない。姉の気持ちを考えて行動する妹など実に良い感じな話ではないか。
望むべくは、その気遣いの十分の一でもこっちに回してくれることだが……まあ、無理だろう。

「さて、結局三年になっても変わらずか」

乱れた髪の毛を掻きながら、名雪を起こさんと部屋を出る。
まだ、あのけたたましい騒音は発動していない。例の起床効果バツグンの目覚ましに関しては条例により使用を禁止しているから、やっぱり発動しない。
つまりは結局、自身の手で彼女を起こさねばならないというわけだ。

「もしかして、これからもずっとこうな訳かね」

半ば諦観のような境地に至りつつ、祐一はノックもせずに名雪の部屋へと踏み入った。











「……う、うにゅううううう!?」


あ、起きた。








「ふぁぁぁぁ」
「眠そうだね、祐一君」

朝の涼しい風を一身に受けながら伸びをした祐一は、両手をあげた体勢そのままで答える。

「名雪があれだから目立たないけど、俺もあんまり朝強くないんだよ」

糸が切れたように両手を下ろし、祐一は幽かに涙の滲んだ目を開いて傍らの少女を見やった。

「そういうお前は、けっこう朝っぱらから元気だよな」
「ボクは早寝早起きの健康的な生活してるからね」
「単に遅くまで起きれないからだろう、お子様め」
「うぐぅ」

不服そうに唇を尖らせ、あゆは少しずれた背中のリュックを背負い直す。今、彼女が背負っているリュックは例の羽根つきではなく、どこにでも売ってそうな黒のスポーツリュックだ。
並んで朝の通学路を歩いている二人の前では、足取りも軽やかに真琴が先行し、逆に二人の後ろでは一度は起きたもののまた夢の世界へと片足を突っ込んでいる名雪が、フラフラと蛇行しながら付いてきている。車が通る道では危なっかしくて見ていられない動きだ。

「さて、じゃあボクはこっちだからお別れだね」
「おうよ、お前も頑張れよ」
「うん、じゃあ名雪さんに真琴ちゃんもいってらっしゃい」
「だおー」
「また後でね、あゆー」

通学路から逸れて、テクテクと商店街の方へと歩いていくあゆ。
無論、あの森の中の切り株―二人の学校に向かうわけではなく、目的地は小菅病院だ。病院内にある特別教室へと勉学に励みに行くというわけだ。
しばらくはそこで勉強だよ、とあゆは笑って云っていた。
少なくとも義務教育程度の修学はするつもりらしい。その後どうするのか、彼女はまだ決めていない。

焦らずに考えるよ。

そう云って微かに微笑んだあゆの面差しは、祐一の目にもどこか大人びて見えた。


先日のやり取りを思い出しながら、遠ざかっていくあゆの背中を眺めていた祐一の袖がクイクイと引かれた。
顔を向けた祐一の顔が苦笑に緩む。

「よう、やっと目が覚めたか」
「うー、ずっと覚めてたよ」

先ほどまで横線だった眼を不満そうに傾けながら、名雪は唇を尖らす。
嘘つけ、と呟く恋人の言葉をスルーして、

「ほら、早くいこ。真琴に置いてかれるよ」
「へいへい」


スカートを翻して前を行く真琴の背中を見ながら、祐一はひとつあくびを漏らして名雪に続いた。







「で、いったいどこへ行けばいいんだ?」

校門を潜り、漸く見慣れはじめた白い校舎を見上げながら、祐一はハタと足を止めた。

「3号棟の連絡通路のところだよ」
「そこに何があるんだ?」
「なにがって……新クラスが張り出されてるんだよ」

キョトンと大きな目を丸くして名雪は答えた。
祐一は「おお」と声をあげてポムと左手に右拳を落す。

「そういえばそんなイベントがあったな。忘れてたよ」
「祐一って覚えてる事の方が少ないんじゃない?」
「はっはっは、失礼だぞ真琴。人をボケ老人のように」
「あうー、髪の毛掴むなー!」

じゃれ合う二人を何事かと登校してくる生徒たちの視線が通り過ぎていく。

「とはいえ、クラス替えか。せっかく慣れてきたところだったんだけどな。チッ、お前はいいよな、真琴」
「何がよ〜」

祐一に引っ張られて乱れたツインテールを直しながら上の空に応える真琴に、祐一は幾分かの羨望を篭めて言った。

「お前、栞や小太郎と一緒のクラスだろ」
「えへへー、そうよ」

何故か胸を反らして鼻腔を膨らませる新一年生。

「最初は成績順なところもあるからね」
「ふーん……って」

名雪の言葉にハッとある事実に思い至った祐一は、ジト目で勝ち誇ったように鼻を高くしている真琴を見やった。

「小太郎のヤツ、頭良いんだろ。なら、コイツも入試の成績良かったのか?」
「あー! なんかその言い方むかつく!」
「真琴はこれでも記憶力抜群なんだよ」
「名雪ッ、これでもってなにー!」
「あ、ごめん。えーっと、こう見ても?」
「あうー! それってどういう意味よぅ」

今度は姉妹でバタバタとじゃれ合い出す二人を、やれやれと眺めながら少年は呟いた。

「見た目でいうなら、二人とも黙ってすましてりゃお嬢様なのに」

とはいえ、おしとやかな真琴も、ぽやぽやしてない名雪もあまり想像できないのも確かな話ではある。

「おーい、そろそろ見に行くぞー」
「あ、うん、分かったよ」
「あー、あたしも行くー」
「おー、こいこい」

パタパタと駆ける真琴をあしらいながら、祐一と名雪は生徒たちの流れに乗りながら、校舎の奥へと歩き始めた。





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