「随分と回り道をしてしまったな」
「誰の所為だ、誰の」
「少なくとも君の所為が8割以上なのは間違いない」

 眼鏡を指先で押し上げながら久瀬はキッパリと言い捨てた。
 その言に得も知れぬ説得力が感じ取り、祐一は思わず救いを求めるように他の面々へと視線を巡らした。他の人といってももはやこの場に残った人間は、自分と久瀬を除けば舞と佐祐理しか居ないのだが。
 あゆは争乱の当初にノックアウトされたまま、自室へと運ばれ、今も目を回している。
 真琴はといえば、何故かカステラの食べ過ぎでダウンした小太郎の看病にかこつけて、この場にはいない。小難しい話は聞くつもりはないらしい。
 残る二人も手を差し伸べてはくれそうもなかった。
 舞は関心なさげに、欠伸を一つ。佐祐理ですらそっけない態度で「あははー」である。
 実際、リビングを大暴れして回ったのは自分で、その後片付けを手伝わされた身とすればフォローする気にもなれないのだろう。
 そう考えて、祐一は諦めたように嘆息した。

 尤も、ぶち切れて正気を失っていた祐一は気付いていないが、この惨状を齎した半分くらいの原因は佐祐理さんである。
 お茶目さんとはこういう事を云うのだろうか。違う気がする。

 さて、アグレッシブなまでの惨状だったリビングは、皆の魂の篭もったテキパキとした片付けで、元の小奇麗な姿を取り戻している。
 元の位置へと戻されたソファーへと座り込み、小一時間前とまったく同様の形で仕切りなおしと云わんばかりに、カップを手にした久瀬は、向かいに座る祐一に向かって再度告げた。

「さて、それでだ相沢君。君は生徒会長をやるつもりはあるのか?」
「いきなりそんなこと言われてもだな」

 祐一は憮然とした表情で卒業生たちを見やった。

「そもそもあんた、なんで俺に生徒会長やれ、なんて云うんだよ。ついこの間までのあんたとの関係を考えたら不自然すぎるだろう。もしかして嫌がらせか?」
「君を見込んでのことだよ」
「み、見込んで!? おまえが? 俺を?」

 どこか得たいの知れない気持ち悪いものを飲み込んだように顔を顰める祐一。
 無理も無いかと久瀬は思った。自分だって唐突にこの男に面と向かって同じような事を云われたら気色悪くて吐き気がする。
 まあ、ここで意図を見せても仕方が無い。敢えて祐一の態度を無視して先を続ける。

「君は、自分が通う学校についてどれほど知っている?」
「はぁ? さぁ、俺は転校してきたばっかりだから殆んど知らないぞ」

 知ってるのは学食の隠しメニューぐらいだな、と祐一は唐突に話を変える久瀬に面食らいながらも律儀に答える。
 その言葉に今度は久瀬が面食らった。

「……隠しメニューなぞ僕は知らないぞ」
「はぇぇ、そんなのあるんですか? 佐祐理も知りませんでした」
「……隔週の金曜日に4人分だけカツ丼が出るの」
「おお、舞も知ってたか。通だな」
「常識」

 久瀬は無言で眉間を摘むように揉むと「まあ、学食は置いておいてだ」と云い、居住まいを正した。
 そして、上目を遣うように仇敵を見やった。

「妙なところは別として、君はまだこの学校のことはあまり理解していない、それは確かだね」
「まあ、その通りとしか云い様がないよな。クラスではそれなりに馴染んでるつもりだが」
「うん、馴染むことと理解することは別だと思う。だからその認識で構わない。ところがだ、実際は転校してきたばかりの君と、他の生徒の学校に対する認識度は実はさほど変わらないのさ。いや、無関心度といったところか」
「…?」

 云っている意味が分からず、キョトンとする祐一を気にするでもなく、久瀬は続けた。

「ウチの学校の生徒会というのは実に俗なものでね、正直フィクションにもならないような奇形なのさ」
「どういう意味だ?」
「この街の権力構造の縮図と化しているというべきか。学校の外の力関係が持ち込まれてるんだ。生徒会のメンバーはほぼ例外なくこの街の有力者に連なる子弟だ」

 僕も含めてね、と呟く久瀬。
 ちなみに彼の家はそれなりの規模の会社を経営している。一族経営というカタチだ。
 久瀬の家の事は知らないものの、祐一は眉を顰めつつ訊ねる。

「ふーん、貴族のサロンみたいになってるんだな。何時の時代だよ、まったく。でも、それがどうかしたのか?」
「まあ、確かにそれがどうしたって話だろうね。生徒会がマトモに運営されてたならば」

 当の生徒会の長であった人物の皮肉げな云い様に、祐一は少し驚いたように瞬きして、思わず佐祐理たちへと視線を送る。舞はそれを無視し(というか気が付いてない)、佐祐理は少しだけ微笑みを浮かべて答えなかった。

「相沢君、君は知らないだろうが、ウチの生徒会役員の三年には無条件で某大学への推薦枠が貰える。まあ、生徒会に入れたら大学までのルートを確保できるって訳だね」
「それは……随分とえこひいきな話だな。でも推薦枠出すのは学校だろ、なんでそんな形になってるんだよ」
「当然の疑問だな。だがその答えは陳腐なものだ。何故そんな風な仕組みになっているかといえば、生徒会の父兄関係から学校への設備投資に金が行ってる見返りといったところだろう。まあ十五年ぐらい昔からの慣例になってるらしいよ。尤も、今じゃ学校側もあまり面白く思ってないらしいけどね。親の力を背景にした生徒会勢力なんてものは学校側にとっても目障り以外の何物でもないだろうしな」
「親の力って…親が口出すかね」
「出すんだよ、これが。設備投資といっただろ。これは言わば公共事業の斡旋みたいなものなんだ。生徒会を通じて学校側に提示する。相手はそれなりに力を持った土地の権力者だから学校も無理には逆らわない。喧嘩するほどの意味もメリットも無いからな。事なかれ主義というヤツだ。そして実利が得られるから親の方もそれなりに積極的なんだよ。
転校間もない君にもちょっとはおかしいと思うような設備があるだろ?」
「……ああ、あのダンスホール紛いの体育館とかか?」
「あれもそうだな。他にも視聴覚室が三つもあったり、ネット環境に繋いでいないパソコン室なんかだな。それに君は知らないだろうが、校舎や体育館の修繕をこの十年間に何度やってると思う?」

 久瀬があげた数字を聞いて、建築物には素人でしかない祐一も流石に困惑した。
 思い出してみれば、あまり他では見かけないほどの汚れの無い、また豪奢な校舎という第一印象だった気がする。

「それであんな小奇麗なのか」
「でも、その割に中身は大した事無いんですよね。この寒さの厳しい北国で、教室には暖房も無いですし、セキュリティシステムなんかも皆無ですし」
「スプリンクラーなどの消防設備も旧式のままだ」

 そういえば、祐一自身は遅刻寸前に駆け込んでくるので、体も火照ってるし既に教室が人の熱で温もってるのであまり気にならないのだが、人の少ないウチに登校する香里などは教室が寒くていけないと嘆いていた。
 それに…。
 祐一はチラリと我関せずとばかりにそ知らぬ顔をしている舞を横目で見る。

 夜の学校にああも無防備に侵入できたのは、確かにセキュリティが褒められたものではない証だろう。

「でも、生徒会にそんな旨みがあるんだったら、別にそういうお公家グループでなくても立候補するんじゃないのか?」

 どこか気乗りのしていない祐一の口調に、久瀬はトントンとリズムを取るようにテーブルを指で叩いた。

「ところがそうでもない。推薦枠といっても、地元の学校だしわざわざ地元の名士連中を敵に回して手に入れるほどのものでもないという計算が働く場合が多いんだろうな。君が想像している以上に此処は田舎で、また名士とやらが幅を利かせてるんだ。
それに、もし立候補しても相手はある程度組織票を有してる。しかも選挙は4月末という他の学校からみれば非常識な時期で準備期間というものがろくにない。ノウハウのない者が多少思い立った程度で選挙に出ても勝てないようになってるんだ」
「うーん、でもなあ、それなりにちゃんと学校のことを考えるヤツが選挙に出馬したら勝てない事ないんじゃないか」

 他の生徒だって特権のある生徒会に反感はあるだろうし、と云う祐一に、久瀬はどこか酷薄な笑いを浮かべて見せた。

「君は、学校全体の事を考えて滅私奉公するような生徒が今時そうそう居ると思ってるのか?」
「………むぅ」

 思わず唸った祐一に、久瀬はニュースキャスターのようなわざとらしい口調で云った。

「一般民衆というものは実に自分を取り巻く状況に無関心なものなんだよ」
「そういう、ものなのか」
「少なくとも、自分から動こうとはしないね。それが自分の生活に影響が無い次元の出来事であればあるほど。普通の生徒にとって、ダンスホールが出来ようが校舎を建て替えしようが関係無いし、暖房が無いという程度でわざわざ何かを面倒を抱え込むもんじゃないのさ」

 久瀬の滑らかな語り口は、どこか自嘲の響きを含んでいるようで、それが何かが分からず祐一は一瞬口篭もった。
 そして、ふと彼といざこざを巻き起こしていた時に会ったグループを思い出す。

「そういえば、反生徒会ってのがあったよな。あれはその動いてる連中じゃないのか?」

 違いますよ、と一言で切って捨てたのは佐祐理だった。
 彼女の表情には既に微笑みは浮かんでいない。真剣味を誤魔化す効果を持つ微笑みを消した彼女の面差しは、それでもなお柔らかく穏やかで、どこか真摯な気配を覚える。

「あの反生徒会っていうのは生徒会と表裏の存在です。この街では権力構造は二極あるんですよ。昔からこの土地に基盤を持っている名士の関連系統と、新興の企業グループの対立構図です。
現生徒会グループが新興の一派、反生徒会が守旧派といったところですか。生徒会選挙は主にこの二グループが争います。でも、どちらが生徒会となってもやる事は変わらないんです。ある意味、悪い形での二大政党制みたいなものですね。
尤も、最近ではずっと現生徒会が勝ってるみたいですけど。反生徒会は事ある毎に生徒会に文句をつけて、あわよくばリコールを狙ってる訳です」

 そういや、反生徒会の連中って佐祐理さんを味方につけたがってたっけ。単に生徒会の運営方法に反発する連中にしたら妙にやり方がねちっこいと思ったらそういう事情だったのか。

 祐一は無意識に渋面となった顔を草臥れたように左右に振った。

「はぁー、何ともはや、たかが学校の生徒会に随分とまた……」

 あまりに自分の常識からかけ離れた学校の形に眩暈すら覚えた。
 学校とはもっと平坦な日常が繰り返される仄かな居場所、もしくは退屈な箱庭としか思っていなかったのだが。

 祐一は何か精神的な疲れを覚えて、右手で顔を抑えた。
 慣れない運動をして、普段使わない筋肉が疲労したような、そんな感触。
 普段使わない方面に頭を使わされて、脳味噌が悲鳴をあげているのだろうか。
 沸々と低温発酵する脳味噌。その思考がふと一つの事実に思い当たる。というか、最初から気付いてなければいけなかったことだ。

「なあ、あんたはその訳の解からんことになってる生徒会グループの一員だったんだろ?」

 祐一は顔をあげると久瀬のどこか鋭角的な面差しを見据えた。

「それだってのに…」
「何故、当事者である僕が批判めいた事を口にしているか、という事かい?」

 祐一はそうだと頷く。

「しかも生徒会長にまでなったんだ。それこそ生徒会の中心じゃないか。それが今こうやって学校のオカシイ部分を指摘して、挙句には俺を生徒会長にならないかって薦めてきやがる」

 おかしいと思うのは不思議じゃないだろう。
 そう探るような目つきになる祐一を、久瀬はどこか乾いた目で見返した。
 そして、再び自嘲するような口調になる。

「ねぇ、相沢君。君は何故僕が生徒会長になったか分かるかい?」

 問われて祐一は露骨にフリだけにしか見えない考え込むフリをして、おもむろに言った。
 
「夜郎自大(世間知らずで、狭い仲間の中で威張っていることby国語辞典)な性格だったからチヤホヤされやすそうな生徒会長になりたかった」
「違う」

 即答で答えに赤点をつける久瀬。

「ふふふ、相沢君。君が僕のことをどういう人間だと思っていたか良く解かったよ」
「うむ、解かったならよろしい。他人を深く理解する事は実に有意義なことだと思うぞ」
「君が言うのか、君が」

 レンズごしの尖った眼が半眼へと移行する。

「まあ、他人に対する理解に関してはこの際どうでもいい。僕が生徒会長になろうとしたのはね、このふざけたシステムをぶち壊したかったからなんだ」

 成り行きからして久瀬のその言葉は想像できた。想像できてなお、思わず鼻で笑ってしまった。

「なるほど、今流行りの改革ってやつかよ。つまり、あんたは自分で云ってた学校全体を考えた生徒だったわけか?」
「それは違う」

 まるで祐一が吐くであろう言葉を予測していたかのように、久瀬は間髪いれずに否定した。

「そんなつもりはなかった。別に高い志なんてものを持ってた訳じゃない。でも、変えたかったのは確かだよ。内側から変えるつもりでいろいろとやってみたけどね…」

 結果は何も変わらず、だ。

「だが、結局僕は何も変える事は出来ず、何もする事が出来なかった。自分で何とか出来ると自惚れていたんだろうね。味方はおらず、敵を作っただけ。それで何一つ変えることができないまま、三年の終わりを迎えてしまった」

 ――焦ってたんだよ。

 と、久瀬は酷く疲れたように呟いた。

「焦っていたんだ、自分も周囲も見えなくなるほど。時間も何も無い…そんな中で、一般生徒に人気があって、親の力から大きな影響力を有する倉田さんを僕の味方に引き入れることで、最後まで足掻こうとしたんだ。
そこには倉田さんたちの事情や感情を考える事はまるで無かった。むしろその事情や感情を利用しようとしたという訳だ。評判の悪い川澄さんが倉田さんの側に居る事が目障りで、折り良く大問題を起こしてくれたのを利用して排除しようとした。本来なら生徒会長としては川澄さんを庇わなければいけなかったんだけれどね。
それどころか川澄さんの進退を利用して、乗り気じゃない倉田さんを引き込もうとした訳だ。
結局僕は自分の嫌だったやり方と変わらない、というよりそれよりあくどいやり方だよ、これは。我ながらよくもまあ、臆面も無くやったものだと思うよ」

 それは久瀬を色眼鏡でみる祐一にもはっきりと認めざるを得ない、深い自嘲だった。
 自分が嫌悪していた構造や考え方。だが、いつしか自分がそれを非難できないようなやり方へと手を染めていた。それを認めた時の彼の自尊の崩落は如何ばかりだったのだろう。

「私たちはもう気にしてないから」

 それは舞なりの気遣いだったのだろうか。
 脇から滑り込むように放たれた素っ気無い一言に、久瀬は苦笑いを浮かべた。

「改めてそう云って貰えるとありがたいな」
「あまり落ち込みすぎると、ハゲる」
「ぼ、僕はまだ二十歳にもなってないんだが…」
「……若ハゲ?」
「だからハゲてないって! それにまだハゲない!」
「…そう」
「なんでそこはかとなく残念そうなんだ!?」

 クスクスとこぼれる笑い声。
 ハッと我に返った久瀬は、口元を抑えて笑っている佐祐理と、何ともいえない顔つきで呆れている祐一に気がつき、コホンと咳払いをして場を誤魔化した。

「まあなんだ、僕が生徒会長になったのはそう云う訳だ」
「ふーん」

 祐一は何となく薄ボケた意識のまま、ポリポリと頭を掻いた。
 久瀬の語った言葉、多分本音だろうし、真実だろう。久瀬が佐祐理さんたちに何故ああいう形で接触したのかも分かった。彼がそれを反省している事も。
 ただ、まだなんとなくぼかされてる部分があるような気がした。気に入らないというわけじゃない。でも、少し引っかかる。小骨が刺さったような気分。
 
「まあ、あんたの言いたい事は何となく分かったよ。つまり俺に自分の出来なかった事をやって欲しいって事だよな」
「結果的にはそうなる事を期待している」

 祐一は思わず唸った。結果的には…また、真意の分からん捻くれた言葉だ。肯定の言葉なのか、それともまた別の意図があるのか。何だかまともに話をしている気にならない。
 ジリジリと湧き上がる不貞腐れたような感情をとりあえず抑えて、

「だいたいだな、なんで俺なんだよ」

 何故、わざわざ俺を指名するのか。それがどうしても理解できない。

 そう告げると、久瀬は実に性根がひねくれ曲がった表情を浮かべ、云った。

「理由は幾つもある。
 君が転校生であるという事。この街に対してのしがらみが無いのは一つの利点だ。
 また君の人脈だ。倉田さん一人を例にとっても、彼女が君を支援するという事は、学校外からの要らないプレッシャーを黙らせる事が出来る。
 そして何より君の無茶な性格と行動力だ。君ならばこの岩盤並みに固まったシステムを破壊してくれる。そう思ったんだ」

 祐一は小さく一つ嘆息した。沈み込むようにソファーに背中を預ける。
 納得、いかない。まだ、納得いかない。何かが引っかかる。何かが信用できない。いや、久瀬が言葉とは裏腹の事を目論んでいるという事を疑っているのではない。
 ただ少し、生々しさが感じられないのだ。表層を撫でてしかいないような感覚。肉感が感じられない。まだ、本当の触感が得られない。
 上手く言葉に出来ないのだが、そんな感覚を覚える。
 だが、自分でも意見のまとまらない考えはとりあえずおいて、祐一は当座の疑問を久瀬にぶつけた。

「さっき、思いつきで立候補しても当選できないようになってるって言ったよな。ついこの間、俺は転校してきたばっかりだぞ。知り合いだって少ないし、とてもじゃないが選挙に勝てるとは思えないぞ」

 それを聞いて久瀬は面白い話を聞いたように小さく笑った。

「確かに君は知り合いは少ないだろうが、君の名前は下級生にまで知れ渡ってるぞ」
「は? なんで?」
「自分の行動を振り返ってみろ。転校そうそう目立つ事ばかりやってるんだ。良くも悪くも知名度は高いんだぞ」
「ま、マジかよ」
「まあ、その知名度を票に生かすには色々と方策がいるんだかな。準備も色々と必要なわけだが…」

 一息つくように、湯飲みで唇を濡らした久瀬は、チラリと壁の時計を見やった。

「さっきも云ったが、君の人脈は大したものだ。君を生徒会長に祭り上げるための両腕には当たりをつけておいたよ。快く了承してくれたよ、二人とも。彼らがやる気になってくれた以上、君が選挙で勝つ事は難しく無い」
「は? 誰のこと云ってんだ?」

 それを偶然というには少々恣意的過ぎるような気もする。
 ともあれ、祐一は疑問符を頭上に散りばめたその瞬間、まるで見計らったかのように来客を告げるチャイムがなったのは事実であった。
 パタパタと台所から玄関へと赴く足音が聞こえ、またドアが開く事もリビングに響いてくる。

『いらっしゃい。もうすぐ出来るから、リビングで待ってて』

 壁越し特有のくぐもった声だったが、それが名雪の声なのはすぐに分かった。
 間をおかず、聞き覚えのある話し声とともに足音が近づき、無遠慮にリビングのドアが開かれ、彼女らは現れた。

「よう、相沢」
「相沢さん、こんにちは。あ、川澄先輩に倉田先輩も」

 能天気に挨拶をしてきたのは、北川潤に美坂栞。その後ろには美坂香里もいた。
 この三人は、一旦自宅に戻ってから水瀬家へと遊びに来る予定だったから現れても別段不思議ではない。
 だが、次の瞬間の北川の一言に、祐一は思わず目を剥いた。

「お、久瀬の旦那、やっぱり来てたのか。もう、相沢には話したのか?」
「話してたんじゃないの、たった今」
「話してたって、お前ら、何のことだよ」

 上ずりかけの祐一の声に、香里と北川は何を言ってるんだと云わんばかりに口を開く。

「何って、相沢祐一生徒会長化計画だろ」
「生徒会長化って、北川君……なんかそれ怪しいわよ」
「改造人間にさせられそうですね、微妙に」
「あははーっ」
「……祐一、変身するの?」
「するか!! ってか、そんな期待に溢れた眼で俺を見るな!」
「……残念」
「川澄さん、そんな露骨にがっかりしなくても……」

 詰まらなそうにジュースをストローでかき混ぜだした舞はさて置き。祐一は、香里と北川に食って掛かった。
 
「おい、二人とも。久瀬になに吹き込まれたんだよ!」
「なにって…」
「相沢君を生徒会長に祭り上げたいんだが協力してくれないか、って云われたわよ」
「な…なッ……。そ、それで何て答えたんだ、お前ら」
「オーケー」
「即答ね」
「なんでーっ!?」

 香里と北川は思わず顔を見合わせ、祐一に顔を向けると

「「なんか、面白そうだったし」」

 と、云った。

「うわ、お姉ちゃんと潤さん、またピッタリと…」
「お前らなぁー!!」

 泣きそうになるやら、怒りたくなるやら、何か複雑そうな声を荒げる祐一の肩をポムとたたく北川潤。

「いや、だってな。生徒会長相沢祐一だぜ。想像して思わず笑っちまったぞ」

 美坂香里もやれやれといわんばかりに腰に片手をあてながら云う。

「相沢君が生徒会長なんて悪趣味だと思ったんだけどね」
「お姉ちゃん、それ自分で悪趣味って認めてるよ」
「う、そうかしら」

 妹につっこまれたじろぐ香里。

「まあ、そういう訳だから相沢、俺たちがサポートしてやるから生徒会長になりやがれ!」
「なりやがれって気楽に言うなぁ!」
「まあ、所詮他人事だしねえ」
「香里さん、それを言ってしまっては……」
「祐一さんが生徒会長ですかぁ。よくわからないですけど、確かに面白そうですね」
「みんな、なんか嫌いだぁー!」

 来客が来た途端、なにやら騒がしくなったリビングで、久瀬は再び時計を見上げ、腰をあげた。

「とりあえず、今回のことは考えておいてくれ。君にとっても悪くない話だと思う」
「あら、久瀬君。帰ってしまわれるんですか? 折角、夕食ご一緒にしようと思ってたんですけど」

 ちょうど支度を終えたのだろうか。エプロンで手を拭きながらリビングへと姿を現した秋子さんが、帰り支度を始めている久瀬に気がつき声をかける。

「ああ、すみません水瀬さん。生憎とウチの親と約束があるもので。今後機会があれば是非ご相伴に与ります」
「そうですか、それでは仕方在りませんね。またいらっしゃってくださいね、約束ですよ」
「……はい」

 かすかに口元を綻ばせ、久瀬は小さく頷いた。

「それじゃあ倉田さん、僕は失礼します。後は頼みますね」
「佐祐理の言葉では納得していただけないと思いますけど」
「そうでしょうか。ともかくお願いします」
「佐祐理に出来る限りでしたら」

 俯くように頷き、久瀬はリビングを出て行った。

「あ、ちょっと待て!? 云うだけ云って帰るのかよ!」

 もはや祐一の言葉は誰も聞いていない。
 かすかに開いたドアの隙間から外の声が聞こえてくる。

『あれ!? 俊平帰っちゃうの?』
『ああ、今日は予定があるからな』
『あうー』
『唸るな、また今度付き合ってやるから』
『ホント?』
『ウソはつかんよ。それより小太郎君は目を覚ましたのか?』
『あ、そうだった。水欲しいって云うから持ってくとこだった』
『それなら早く持っていってあげなさい。それじゃあな』
『うん、じゃ―――あ、美汐! いらっしゃい!』
『こんにちは、真琴。……? お帰りですか』
『ああ、ちょうどね。それじゃあな、真琴』
『うん、バイバイ』

 ガチャンとドアが閉まる音。

「ったく、完全に懐いてやがるな」

 祐一は何ともいえない面持ちで、ポリポリと頭を掻いた。






 あゆと小太郎も元気に復帰し、役者も揃ったところで、佐祐理さんと舞の卒業パーティーに託けた宴会は始まった。
 秋子さんが気合を入れて製作した料理の数々は、いつもにも増して絶品で、普段から彼女の料理には慣れているはずの名雪や真琴たちですらその味を評する言葉もなく舌鼓を打っている。
 自然と口も滑らかとなり、皆はどこかテンション高く宴会を楽しんでいた。


 そして宴もたけなわとなった頃、年下の友人達との会話を楽しんでいた佐祐理は、ふと視界の端に映った表情を見咎め、彼の方へと向かった。

「どうしたんですか、祐一さん。浮かない顔して」
「ああ、佐祐理さん」

 声をかけられてようやく気がついたのか、ソファーへと腰を降ろしていた祐一は顔をあげた。

「横、いいですか?」
「あ、どうぞ」

 では、と一言断わりをいれ、優雅さをあまり感じさせない形でポムと祐一の横に座る。

「佐祐理は悲しいですねー。せっかく招いていただいた卒業パーティーで、祐一さんが祝ってくれないのは」
「え!? いや、その、そんなつもりは…」

 ――冗談ですよ。

 慌てふためく祐一に笑いを含みながら落ち着かせ、佐祐理は相手を慈しむような微笑みを浮かべて、下から覗き込むようにして祐一を窺った。

「久瀬さんのことですか」

 祐一は頷くでも無しに、手に持っていた炭酸を一口あおる。

「腹が膨れたら思い出しちゃって……」

 そう云って、祐一はフラフラと視線を天井へと向けた。

「佐祐理さん。俺、正直あんまり乗り気になんないんですよ」
「生徒会長になるのがですか?」
「そう、生徒会長になることとか、選挙とかがです」

 祐一の目はどこかやる気なさげで、昼間から昼寝に勤しむ猫を思わせた。

「久瀬のやつは色々と言ってましたけどね、学校の悪い所。でもなぁ、はっきり云って俺には他人事なんですよ。別にどうだっていいとしか思えない。やりたきゃ勝手にやってろって感じです。
わざわざそれを正すために頑張ろうって、全然思わないんだ。別に生徒会の連中のやり方が良いとは思ってないですよ。それをなんとかしようというヤツがいるんだったらそれなりに応援だってしてやりますよ。でも、俺がやろうとは思わない。関係無いとしか考えられない。青臭い話だとしか感じられないんですよね。生憎と正義の味方なんてのには憧れた事もないですし」
「そうですか」
「あいつの言い分も分かるんですけどね……でも、わざわざ俺がやらなくても、って考えちまう。面倒くさいと思ってる。学校を良くしようなんてこれっぽっちも思わない。こういう考え方ってろくでもないですかね」
「褒められたものではないかもしれないですけど、でも他人に非難されるようなものでもないと思いますよ。久瀬さんも言ってましたけど、普通の人はみんなそういう考え方なんですし」

 佐祐理だって同じですよ―、と小さく付け加える。

「ねえ、佐祐理さん。佐祐理さんはなんで久瀬と一緒に俺を生徒会長なんかにしたいと思ったんだ? やっぱり自分の居た学校を変えて欲しいから? 俺だったら変えれると思ったから?」

 さあ、どうでしょう。と茶化すように佐祐理は言った。

「それは祐一さんのご想像にお任せします」
「……はぁ」
「ねぇ、祐一さん。迷ってます?」
「え?」
「やる気がないと言う割に、やらない、やりたくないとは言わないじゃないですか」
「それは……そうかな。なんか、しっくりいかないんですよね。自分の中の意見がまとまってないというか」
「なら、もう一度久瀬さんと話してみてはどうですか?」

 祐一は傍らから向けられる、どこか笑みを含んだ視線の方へと顔を向けた。

「今日はあまり時間もありませんでしたしね。ご自分が納得されるまであの人とちゃんと話してみてはどうでしょう。やってみるか、それともやめるか。どちらにしろ自分なりに決着をつけることが出来るかもしれませんよ」
「久瀬と、ね」

 思索に耽るように、祐一はぼんやりと動かなくなる。
 佐祐理はそっと席を立ち、その場を離れながらほくそえんだ。

 ――さて、どうなりますことやら。


「出来れば、楽しい事になって欲しいですね」


 なんとなく、その願いは外れないような気がした。



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