人通りの少ない夜道を天野美汐と小太郎は無言で歩いていた。冷たい夜気に覆われた静寂に、二人の足音が響く。
沈黙が肩に圧し掛かるように重い。だが、美汐はあえてその沈黙を甘受していた。
何より声を出すには唇を開かねばならない。今はその動作こそが一番重たい。
やや斜め後ろを歩く小太郎は、夜闇に浮かび上がるほどに顔を蒼白にしていた。噛み締めた唇が見るからに痛々しい。
夕方、彼が大荷物とともに帰宅してすぐに美汐は今朝あった出来事を在りのままにすべて話した。
その時の愕然とした表情はある意味見ものだったと言って良いかもしれない。不謹慎だが。
何も知らなかった彼がどれほどのショックを受けたものか…その時から今に至るまで一言も口を開いていないことがすべてを表している。

時折、光の篭もる民家から、テレビの音や家族の会話が響いてくる。今は、それすらもが二人の間に横たわる沈黙に重苦しさを加味していた。


やがて、望むと望まざるとに関わらず、これまで何度も訪れた水瀬の家の前に到着する。
美汐は何も語らぬ扉を見やり、思わず逡巡してしまう。気持ちがさらに落ち込んでいた。
呼び鈴を押すのにも多大な勇気を必要とする。
だが、美汐が思わず立ち尽くしていたその脇をすり抜け、小太郎が躊躇無く呼び鈴を押した。

「こた…」

思わず名前を呼ぼうとして、その語尾は掠れて消えた。意味は無い。何の意味も無かった。
小太郎は答えない。扉の上に灯っている明かりに顔を白く照らされながら、小太郎は唇を真一文字に絞って俯いていた。

やがて、間を置かずして玄関のドアが開かれる。そして見えた玄関口には眉間に皺を刻んだ祐一が立っていた。

「待ってた」

彼は一瞬迷ったように開いた口を閉じると、それだけを告げた。
結局、この場で何を云うべきか解からなかったのだろう。自分たちに対して、何を言えばいいのか…。
美汐は無言でペコリと一礼すると、動きの硬い小太郎を促し、水瀬家の敷居をくぐった。







「秋子さんはいらっしゃらないんですか」
「ああ、生憎とな。どうやら今日は遅くなるらしい」
「…そうですか」

既に夕食は済ませたのだろう。リビングには食事の残り香のようなものが漂っていた。名雪が作ったのか…他に作る者はいないからそうなのだろう。
美汐は思わず嘆息した。秋子さんのいない水瀬家は何か落ち着かない。いや、自分自身が落ち着いていないだけか。
美汐は自分が秋子さんの存在に何かを期待していたのを自覚した。彼女のどんな時でも周囲を温かく包み込んでくれる雰囲気に期待していたのかもしれない。そんな自分に自嘲する。
ソファーへと並んで座った美汐と小太郎の正面には、腕組みした祐一、そして困惑を瞳に宿した名雪。その彼女にしがみつくようにして小さくなっている真琴の姿があった。
そして、一人座らずに、壁際に寄りかかるように佇んでいる川澄舞。その右手には鞘に収められた西洋剣が。一旦、自宅に帰り、取ってきたのだろう。

「とりあえず…」

祐一は一旦その固い声を途切れさすと、小さく息を吸い込み、続けた。

「真琴と舞から、大体の事は聞いた。真琴がスーツ姿の連中に攫われそうになった事、そいつらがどう考えても普通のヤツラじゃなかった事、そして天野とそいつらが知り合いらしかった事…」
「それから、真琴の正体も知ってたって…知ってて真琴を狙ってるみたいだったって…川澄先輩から聞いたよ」

名雪が付け加えるように、云った。姉としての思いからか、それとも自身の不安からか、彼女の手は真琴の手を握り締めている。
祐一はチラリとその二人を一瞥し、身を正すように身体を震わせると、乾いた唇を舌で濡らした。

「兎に角、こっちは訳が解からない…天野、知ってる事があるんならちゃんと説明してくれ」

それは押し殺した、そして有無を言わさぬ意思の篭もった言葉だった。その根底に怒りにも似た感情が見え隠れするのは決して錯覚ではあるまい。
美汐は膝の上で、拳を握りこむ。
本来なら祐一たちは警察に駆け込んでも可笑しくはなかった。明らかに真琴は狙われているのだから。それをわざわざ自分たちが説明に来るまで待っていてくれたのは、ある種の不信を抱きながらも信頼してくれている証しなのだろう。
それが美汐には嬉しく、そして申し訳なかった。

乱れてもいない呼吸を整え、美汐がしゃべり出そうとした時、隣で彼が引き絞られた弓が放たれるように動いた。

「すみませんッ! 僕の…僕の所為なんです!!」

それは額を打ちつけんばかりの勢いで。
天野小太郎は重苦しい空気を叩き破るように、テーブルに両手をついて頭を下げた。
いきなりの行動に、皆が思わず言葉を失う。誰しもが、かけるべき言葉を見失うその中で、小太郎は悲痛極まりない声で叫んだ。

「真琴さんを襲ったのは、ウチの…天野の者たちなんです!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!? そりゃどういう意味だ? 訳が解からんぞ」

混乱したように立ち上がりかける祐一に、美汐は静かに告げた。

「真琴を狙った者たちは、小太郎の実家の家人…つまり、天野本家に仕える者たちなのです」
「仕える…って」

名雪は舌の上で反芻するようにその言葉を繰り返した。無理も無い、家に仕えるとか仕えないとか、戦国時代や江戸時代ではあるまいし、現代の世の中ではあまり耳にしない言葉だ。
だが、それは紛れもない現実でもあった。

「何故…小太郎の所為なの?」

一人、間を空けるように無言で佇んでいた舞が、隙間に通すように疑問を挟んだ。
真琴が、どういう表情をしていいか解からず、ただ不安そうに眉を寄せながら小太郎を見やる。
その視線に、張り裂けそうなほどの自責を感じながら、小太郎は肺から押し出すように云った。

「いったい、家の連中が何考えてるか全然解からないですけど……そもそも僕が真琴さんと関わらなければ、真琴さんが目をつけられる事はなかったんです。勝手に好きだって言い寄って、勝手に付きまとって、挙句の果てにこんな身の危険に晒してしまうような迷惑を呼び込んで……僕は…僕はッ!!」

顔もあげず、小太郎はうめく。それは慟哭にも似ていた。
自分の所為で惚れた相手を危険に巻き込み、その上その危険を与えたのが自分の家の者たちであり、恐らくその命令を下したのは彼の身内…。
その忸怩たる思いや如何ばかりか。

リビングに横たわる重苦しい雰囲気。
恐らく、彼の云うことはまったくのその通りなのだろう。それだけに、当の真琴自身も慰めていいのか、怒っていいのか解からず助けを求めるように祐一を見上げた。
難しい顔をして、じっと頭を下げたままの小太郎を見つめていた祐一は、チラリと真琴のその視線を受け止め、一つ嘆息を落とした。
思わず彼に視線が集まる中、祐一はスッと立ち上がると滑るように小太郎の脇へと回り込み、ソファーの縁に腰を降ろす。
そして小太郎の頭を抱え込むように捕まえると、その頭をワシャワシャと掻き回した。

「あー、もう良い。小太郎、お前あんま考えるな」
「相沢…先輩?」

祐一の大きな手の下から、戸惑った震え声が聞こえてくる。
祐一は手を止めず、小太郎の頭を押さえつけながら溜息混じりに云う。

「俺はさ、これでもかなり怒ってたんだぞ? アイツは…真琴はあれでも大事な家族だからな。それが危ない目に合わされて…そりゃ頭にくるだろ? 普通…。
だから、その連中とお前や天野がなんか関係あるんだったら、それなりに云いたい事云わせてもらうつもりだったんだぜ?
でもなあ……」

ジンワリと、苦々しい笑いが浮かぶ。

「そんな風にされちゃ、何にも云えなくなるじゃないか、このバカたれ」

かき回していた手が拳を象り、ゴン、と軽く小太郎の頭を揺らす。小太郎は思わず「うっ」とうめきを漏らした。

「ったく、そう云う訳だから、もう俺は云うこと無いよ。だから、謝らなくていい。お前が原因かもしれないけど、だからってお前が悪いんじゃないからな? 真琴、お前はどうだ?」

問われて、真琴はパチクリと眼を瞬かせると、あまりご機嫌のよろしくない表情を浮かべて口を尖らせた。

「別に…あたしは小太郎にも美汐にも謝ってもらっても嬉しくない。それに、小太郎が悪いとも思ってない。だから、その、そんな事されると…凄くイヤ」
「…だ、そうだ」
「ぜんばい…まごどざん」

感極まって言語が定まっていない小太郎の震え声が響く。
「あー、こらこら、男が泣くな」と言いながら、祐一は小太郎の真っ直ぐな髪の毛をぐちゃぐちゃに掻き回す。

「何が起こってるかさっぱり解からんけどな、お前も真琴に惚れてるんなら、ちゃんと責任とって守ってやれよ。まっ、お前なんぞに任せるつもりはこれっぽっちも無いがな」
「はい…はい…」

小太郎の返事はどう聞いても獣が唸っているようにしか聞こえなかった。
美汐は言葉も無く、瞼を閉じた。何となく、それを瞳に映していられなかったからだ。
だが、自然とそれまで重く圧し掛かっていた何かを取り除いてもらえたような気がした。
そんな美汐に、祐一は小太郎の頭を押えたまま顔を向けると、仕切り直すように表情を締めて訊ねた。

「まあ責任だとかそういうのはもういいや。でも、解からん事は聞かせてもらうぞ。天野本家ってのはいったい何なんだ? 家に仕えるとか普通聞かないぞ? それにやってる事はまるでなんかどっかの特務機関みたいな感じじゃないか」
「ある意味…特務機関のようなものかもしれませんね」

勿論全く違うものですが、と続けて、美汐はおもむろにポケットから一枚の白紙を取り出すと、無言のままそれを折り始めた。

「美汐?」

真琴が不思議そうに眉を寄せて、美汐の名を呼ぶ。他のものも何をやり始めたのか理解できず、困惑したように美汐の手元に視線を集めた。
美汐は真琴の声にも応えず手を動かし続け、やがて一羽の鶴を完成させる。
そして、それを手の平の上に乗せると幽かに唇を震わせ、何かを呟いた。

次の瞬間、誰しもが驚愕に目を見張る。紙の翼をユラリと羽ばたかせ、リビングの宙を漂いはじめた折鶴を目の当たりにして。

「わっわっ!? 祐一! と、飛んでるよ!?」
「わ、わ、解かってる! ちゃんと見てる、飛んでるぞ!」

ワタワタと両手を振り回して驚く名雪に、祐一が鶴に視線を吸い寄せられたままカクカクと首を上下に振る。

「…凄い」
「あうー…」

舞と真琴もおもしろいように口をポカンと明けて、宙を漂う折鶴を見つめていた。

「美汐ちゃん!? ななな、なにこれ!? 手品じゃないよね!?」
「これは式というものです」

声を裏返させる名雪に、美汐は必要以上に落ち着いた声音で答えを返した。

「これは手品ではありません。解かりやすく言うなれば、魔術の一種と言っていいでしょう」
「魔術だぁ!?」
「そうです、正確には陰陽道を基盤とした種類の術式……天野とはこの手の秘術を現代まで継承してきた組織であり、退魔師・拝み屋・祓い師と云った呼称で表現されるものたちの集まりなのです」
「あうー、漫画みたい」
「…いや、ある意味お前も漫画みたいな存在なんだが」

思わず祐一が半眼になってツッコミを入れた。
そして、自分で云ったセリフで、とりあえず美汐の言葉に納得する。真琴みたいなのが現実に居るのだから、美汐の云うような集団も居てもおかしくないだろう。

「でも…陰陽道ってなんか安倍清明の話みたいだね。もしかして、美汐ちゃんたちのご先祖さまがそうだったりして」

笑顔を貼りつけて何の気のなしに有名な平安時代の陰陽師の名前を出した名雪は、何ともいえない美汐の面差しを目の当たりにして固まった。

「も、もしかしてその通りとか?」
「当たらずも遠からず、と云ったところです」
「おいおいおいおい」

途端、祐一の双眸が胡散臭いものを見るような光を宿し、片手でまだ飛んでいる折鶴をとっ捕まえて、手元のそれと美汐を見比べた。

「ねぇ、安倍清明って前に漫画で読んだわよ」

言外に凄いという言葉を滲ませて、真琴がピョンピョンと主張した。

憂鬱そうに嘆息を落とし、美汐は祐一以外の興味深々と云った面々に顔を向けて続ける。

「我々天野家は安倍と賀茂という二つの陰陽師家の流れを汲む家柄です。賀茂という一族はご存知ですか?」

そちらは知らないらしく、皆は顔を見合わせる。真琴だけが「漫画に出てたような」と呟いている。
それまでずーっと祐一に頭を押さえつけられていた小太郎が、ようやく彼の手から逃れて固まって痛みの走る首筋を押えながら云った。

「賀茂というのは、平安当時に安倍とともに陰陽寮を仕切った一族です」

美汐がコクリと同意を示し、後を引き受ける。朗々とした語りに皆は口を噤み、耳を傾けた。

「清明当時の陰陽師たちの役所である陰陽寮は、安倍清明が出るまでは大方、賀茂という一族によって纏められていました。賀茂は清明から見ても、師匠筋に当たります。
清明以後、安倍家が台頭し、これ以後の朝廷の陰陽師はこの安倍と賀茂によって占められて来たと考えてもらって構いません。尤も、平安後期には陰陽頭(うらのかみ)は大体賀茂家に占められていたようですけど。安倍家からは平安末期に九尾の狐<玉藻前>を調伏した安倍泰親が陰陽頭に就任した程度ですし。
この安倍と賀茂のニ家は鎌倉・室町と時代が変わる中も土御門家・勘解由小路(かこのこうじ)家と名称を変え、陰陽寮の中枢となり続けます。
ですが、戦国期から桃山期に至るまでの動乱の中で貴族社会は力を失い、両家も弾圧され、土御門家は没落、勘解由小路は断絶の憂き目にあいました」

「…無くなってしまったの?」

舞がホンの幽か、眉を傾げて問う。
美汐は小さく首を振った。

「確かに陰陽寮としての表の力は失いました。ですが、秘術を伝えるものたちはこの後も生き続ける事になります。そして、それは大きく二つの流れに分かれたそうです」
「ふたつ…?」

祐一が問うともなしに呟く。
美汐は一拍の間を置き、コクと喉を動かすと、いつの間にか伏せがちになっていた眼差しをあげて続けた。

「一つはさらなる影へ。表舞台から完全に姿を消す事。彼等は鎮護国家のみを目的とし、即ち皇家の守護を司るために歴史の裏へと潜りました。現代の神祇省などの原形です」

「神祇省? そんなのあったか?」
「…さあ、聞いたことないけど」

名雪が困惑しながら首を振った。艶やかな髪がサラサラと流れる。
そんな二人に小太郎がボソリと告げた。

「一般にはまず知られていませんから」

むぅ、と一言唸り、祐一は口を噤んだ。どうやらこの世界にはまだまだ知らない事が多いらしい。
祐一が黙り込むのを見て、美汐は再び先を続ける。

「そして、もう一つは市井に身をやつす者たち。鎮護国家に限らず、世間に蔓延る澱みや歪みを正す事を生業とする事で生き残り、秘術を伝えようとした者たちがいました。その者たちは、四つの家に分かれたと云います。その内の一つが天野家です」

ほう、と溜息が漏れた。それが本当なら美汐の家は少なくとも戦国時代から続く家柄な訳だ。
と、舞が少しだけ不思議そうに訊ねた。

「…なら、美汐の家以外にも同じような組織が三つあるの?」

美汐はいいえ、と淡い赤にも見える髪の毛を揺らして否定した。

「天野以外の家…桐木家、滝本家、御門家という三つの家がありましたが、この内、桐木と滝本はそれぞれ桃山時代の末期と天保年間に血筋を絶やしたり、術式を喪失したりして家名を途絶えさせたそうです。御門は……」

一瞬、美汐の瞳が揺らいだ。だが、それは誰にも気付かれずに消え去り、美汐は何事もなかったかのように続きを告げる。

「…御門は関西に居を構えて、東の天野とともに近世まで残っていましたが、明治政府の陰陽道廃止令の煽りを喰って弱体化し、昭和初期には組織としての力を失いました」
「そして…天野は今なお残ってるって訳か」

祐一の呟きは、滑るように沈黙の狭間に響き渡り、思いのほか大きく聞こえた。

「天野家が何の目的で真琴を狙うのかは解かりません。ですが、非常にこの状態は危険です。現在の天野家は日本でも五指に入るほどの大きな呪術集団であり、それなりの権力をも有する組織ですから」
「権力って?」

特に明確な意思があって訊いたものではなかった名雪の問いに、美汐はその双眸を真っ直ぐ向けた。

「人…一人が突然姿を消してもまったく騒ぎにならない程度の権力です」

名雪の顔がみるみる引き攣る。他の面々が思わず息を飲むのを、美汐は肌で感じる事が出来た。

「今の天野家の当主である天野道武…小太郎の父であり、私の叔父である人物は、決して非情な方ではありませんから、ムチャな事はなさらないと思いますけど、兎に角、何故真琴を狙うのかが解かりませんから…。
一応、連絡は取ってみたのですが、どうしても取次いで貰えなくて……。天野家の側近頭である嵯峨原という人が直接出張ってきている以上、叔父様の命令である事は疑いようが無いのですが…」
「美汐や小太郎では止められないの?」

舞の問いに、美汐と小太郎は疲れたように首を振った。

「ウチは当主の命が絶対ですから。後継ぎである事を拒否した小太郎は元より、単なる親族に過ぎない私などでは実務の中断を命令しても聞き届けてはもらえません。今朝、退いてくれたのは完全に嵯峨原さんの好意に基づく独断ですから」

云いながら、美汐は嵯峨原の人の良さそうな顔を思い出した。昔から嵯峨原という人はよく自分を可愛がってくれたものだ。最近はろくに顔も見せずにいたのに、譲れなかったとはいえ此方の意思を無理に押し通して、今回はとても迷惑をかけてしまっただろう。
もし、機会があるならちゃんと謝っておかなければならない。機会があればだが。

「兎に角、この件に関しては私と小太郎で直接当主に掛け合って何とかします。ですから――――」

その瞬間はまさに唐突に訪れた。
美汐の言葉が突然、空気が無くなったように途切れ、舞が反射的に剣の柄に手をやる。真琴の髪が逆立ち、小太郎が跳ね上がるように立ち上がって、辺りを窺った。

「な、なんだこりゃ!?」
「あ、あれ? なんか変だよ? 空気が変な風に…」

混乱したように叫ぶ祐一と名雪に、美汐と小太郎が驚いたように顔を向けた。

「相沢先輩、水瀬先輩、それから川澄先輩まで!? 結界に包まれたのが解かるんですか!?」
「結界? いや、良く解からんがいきなり部屋の中が変になって」
「うー、なんか凄く違和感あるよ…別の世界に紛れ込んじゃったみたいな…」

顔を顰めて応える祐一と名雪。舞は特に反応する事無く、油断無く辺りを確かめている。
美汐は内心で困惑とささやかな驚きに見舞われた。

普通は結界の存在は一般の方には感じる事すら出来ないのに…。
真琴は妖狐ですし、川澄先輩は以前なんらかの『力』を持つというお話を耳にしていましたから別段驚くに値しませんけど…相沢先輩と水瀬先輩、才能がおありなんでしょうか?

今、この家を中心として周囲一帯に張られた人払いの結界は、対象と定めた者を、それ以外の人間から認識できなくする結界だ。
かなり複雑な術式なので、多少の霊的な力を持つ者には通じない。明らかに真琴のみを対象とする霊波の方向性が窺えるのに、祐一や名雪が結界の影響を受けていないのは……。

いえ、それよりも、と美汐は思索に陥りかけていた意識を振り払い、スクッと立ち上がった。

「まさか今日の内に再度動くなんて…」

現場の指揮官が嵯峨原なら、少なくともこんなに早く動くはずがない。それが、一日とたたず動くという事は…

「…まったく、あの方は息子と一緒で思い込んだら一直線なんですから」
「な、何か言いました? 美汐姉さん」
「…別に何でもありません」

素っ気無く小首を傾げる小太郎を振り払うと、美汐は外へと赴くべく玄関へと歩を向けた。
兎に角、こうなったら直談判あるのみだ。




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