足音も軽やかに小太郎は階段を降りる。
久方振りの親戚の家と言うものは、どこか浮ついた気分にさせられるものだ。
良く遊びに行く親しい友人の家というのも同じと言えば、同じに思えるかも知れないが、やはり違うといえば違う。
友人には家族があり、やはり間には礼儀が必要なのだから。
尤も、親戚同士にも礼儀は必要なのも確かな訳で……
「微妙だなあ」
口ずさみながら階段を降り切る。
ただ、くつろげる他人の家と云うべきか、親戚もまた家族というべきか……
まあ、それも親戚とのそれまでの付き合い方もある訳で……
「……やっぱり微妙だなあ。良く解かんないや」
フラフラとそれとはなしに家の様子を観察する。
少なくとも、彼が覚えている内装とは変わっていないし、建て替えをしたという話も聞いていない。
古くて、でもしっかりとした木造の家だ。
実家と同じように木の香りがして、でもやはり違った香りでそれが心地いい。
来たんだなと実感が湧く。
記憶のままにとりあえず、台所の方に歩いていく。
入り口に掛かる簾を潜り、何となく首だけ覗かせて台所を窺った。
今時のシステムキッチンなどではなく、年輪の刻まれた味わいのある台所というヤツだ。
「うーん、変わってないなぁ」
「そうですか?」
返事が返ってきた。
先ほどの服装のまま、特に飾り気の無い白いエプロンをした美汐がコンロの前で此方に振り向いていた。
「ええ、全然変わってないです」
「特に何かを移動した覚えもないですしね。でも冷蔵庫は変えましたよ」
「あ、ホントだ。でかくなってる」
「そろそろ寿命だったので、去年買い換えました。どうにも前の方が好きだったんですけどね」
「なんで?」
「何となくです。元々古いモノが好きなので」
「……もしかして、美汐姉さん。骨董好き?」
「いえ、まったく」
「あ…そうですか」
ポリポリと頭を掻いて、何となく間を誤魔化しながら小太郎は視線を彼女の後ろに向ける。
「なに作ってるんですか?」
「蕎麦です」
「へー」
「引越しには蕎麦が定番です」
「あっ、そう言えばそうですね。あ、もう湯掻いてるじゃないですか。美味しそう」
「それはそうです。今朝は頑張って打ちましたから」
パチクリと目蓋が上下する。
「はい? 打ったって何を?」
「蕎麦です。他に何かありますか?」
「ああ、確かに……って、マジですかぁ!!」
素頓狂な声があがる。
凝り性だとは知っていたが、そこまでだったとは。
だが、美汐の方は澄ました顔で。
「冗談です。さすがにそこまで手間隙は掛けられないです。市販のものですよ」
目元と口元を柔らかく緩ませながら、美汐は目を丸くしている従兄弟の様子をそっと眺める。
「さあ、居間の方で待っていなさい。すぐに用意しますから」
「あ…は、はい」
ちょっとだけ、ぽかんと間を抜かしていた小太郎はコクコクと頷くと、クルリと身体が勝手に動いたように後ろを向き台所を出て行った。
それを見送った美汐は、長箸で鍋の中の蕎麦を一本摘みあげると、それを口に含んだ。
「もう少しと云った所でしょうか」
小さく頷きながら、彼女はとなりで暖めていた汁を取り上げ、鉢へと注ぎ出した。
何気に汁の方はオリジナルだったりする。
彼女なりの拘りだ。
「お、来たね…と、どうしたんだい? 間の抜けた顔して。まるで君の親父みたいだぞ」
天野家の居間というと、和室だったりする。
その上座で新聞を広げていた天野父こと愁衛は甥の顔を見るなりそんな事を云ってきた。
仄かな畳の香りが漂っている。
小太郎は愁衛の傍らに座布団を敷いてちょこんと正座しながら叔父に云った。
「親父みたいって、あんな頭の固いのと一緒にしないで下さいよ」
「そうかい? 思い込みの激しい所なんか、良く似てると思うけどな」
「…叔父さん」
どことなく溜息を吐くようなその声に、愁衛はニヤリと笑う。
どうやら散々云われ切った言葉らしい。
「まあ、それは置いておいてだ。さっきはどうしたんだい? えらく変な顔してたよ。何か変な物でもあった? ここしばらくはそう云うの持ち帰ってないんだけど」
「あ、いえ」
少し躊躇うように、小太郎は視線を叔父から外した。
そのまま、真正面に向く。
障子が開き、廊下の向こう。引き戸のガラス越しだが庭…もとい、神社の境内に立ち並ぶ樹木の梢が眺められた。
それで、少しだけ混乱していた心が沈まる。
小太郎は叔父に視線を戻すと、おずおずと、
「美汐姉さん、笑ってたんで……聞いてたのと違うなと思って」
「…そうか」
愁衛は新聞をたたみ、漆塗りの木造のテーブルの片隅にそれを置くと、両手を袂に差し入れた。
「本家の人間も何度か家に寄ったものな。で? なんて聞いてた? 輪を掛けて無愛想になったとか?」
「え…ええ」
肯定しながらも、小太郎は少し苦しそうに俯いた。
それを見て、愁衛はポリポリと右手を袂から出し、ポリポリと頬を掻いた。
「そうか…そういえば君は彼と特に仲が良かったね。……聞いたのかい?」
「…………」
沈黙を同意と受け取り、愁衛は薄っすらと眼差しを細くして庭を見やった。
「……あの娘はね、何とか立ち直ったよ。傷はまだ色濃く残っているがね。でも、今は前を向いて歩いている。良い…友人たちに出会ったんだ」
親である私が何もしてやれなかったというのは情けないがね。と愁衛は自嘲深く呟く。
小太郎は、その一瞬浮かんだ悔恨を目の当たりにして小さく息を飲む。
その音を感じ取った愁衛は苦笑を浮かべ、再び頬を掻いた。
「まあ、何だ。そういう訳だから、小太君は何も気にする必要はないよ。だいたい、まだ受験の方は先なんだろ? どうなの、手ごたえは」
小太郎は移り変わった雰囲気に素直に従う事にし、声も軽やかに答える。
「大丈夫ですよっ。伊達に実家を飛び出してませんって」
「反対押し切って飛び出してきたんだ。そりゃ引き取るこっちとしても合格してもらわないと」
とりあえず、小太郎は「へへへ」と笑って見せた。
これで不合格なんて事になったら……あの親父がなんというか。
ま、まあ大丈夫だよねえ……
受験前の受験生というものは、どれだけ合格の自信があったとしてもやはり不安は付き物だ。
妙なプレッシャーを掛けられ、たらりと嫌な汗を流す小太郎であった。
ちなみに彼が受ける高校は、従姉妹と同じ所だったりする。
「おーい、美汐まだかー?」
叔父のその声にふと柱に掛けられた時計を見れば、ちょうど二時と十分を指したところ。
お腹も空くわけだ。
そして、その声に呼ばれたように美汐が盆に三つのお鉢を載せて現れる。
たゆたう湯気と漂う香りがまたさらに空腹を自覚させた。
「お待たせしました」
さてさて、遅いお昼とあいなりました。
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