「ごちそうさまでした、うっぷ」

口を開けば中身が出てきそう。
そんな気配に北川は思わず口元を押えた。

頑張った。
北川潤は頑張った。
重箱五つ重ねがけ。
果たしていったい何人前かも分からぬ弁当一個旅団の攻略に、北川潤は見事成功したのだった。
あっぱれ!

「うわっ。全部食べちゃいましたよ、この人」

「マテッ!!」

さり気になんか酷い事を言われたような気がして北川はバネ仕掛けの人形の如く彼女の方に振り向く。
その眼の端にちょっと涙まで滲んでるのを見て、云った本人――美坂栞も流石に慌てて引き攣った笑みを浮かべた。

「あは、あはは、冗談です、冗談ですよ〜、だから泣かないでください」

「…………」

「あーーー、ごめんなさいごめんなさい」

いきなり地面にかがみ込んで泥団子なんか作り始めてしまう北川。
その惨めな姿に栞もちょっと拙かったかなと反省しつつ、一生懸命謝り慰める。

端から見れば、何をやってるのかさっぱり分からない光景。
公園に他に人影がなかったのを幸いと言うべきか。




とまあ、そんなこんなをしている内に、色々な意味で打たれ強い北川潤。 あっさりとイジケモードから復活してたりする。

「まあ、問題は色々あったが味は中々に美味かった。誉めてあげよう」

なでなで

しばしその心地よい感触に、はにゃーんと浸っていた栞だったが問題と云う一言に気がつき、眉を上げたり下げたり。
怒るべきか、悲しむべきか、はたまた申し訳なさそうにするべきか。
まあそういうのがごちゃ混ぜになったような表情をしながら云う。

「問題ってなんですか?」

「量」

あっさり一言。
見事に一言。
この上もなく単純な漢字一文字で、北川は斯く在る問題を処断して退けた。

「でも、北川さん全部食べたじゃないですか」

それをあっさり小手返しに返す美坂栞。

なかなかに侮り難しと北川は唸った。

ってどこが侮り難しなんだ! と自分の思考に突っ込みを入れつつ、彼は声に捻りを効かして云った。

「栞ちゃ〜ん、さっきの言葉、忘れたとは言わせねえぜ」

曰く――うわっ。全部食べちゃいましたよ、この人――

何ともはや、幾度聞いてもディープに黒い言葉だ。

そして動揺も露わに一歩退き、戦慄とともに呟く少女。

「はうっ、た、ただ一度だけ漏らした一言から全てを引っ繰り返すなんて……やりますね、北川さん。わたしとした事が油断していました」

全てというほどの積み重ねもなかったとも思うのだが、それはそれとして。
フッ、と斜め左下を向いて俯きながら、不敵且つ寂しげな笑みを浮かべて栞は意外と素直に敗北を認めた。

「分かりました。今度からは考慮します」

「うむ、聞き分けの良い子は好きだぞ」

「イヤですよ、北川さん。それ口説き文句ですか?」

ペシペシと背中を叩きながら顔を背けて照れる彼女にまたも一言。

「いや、全然」

「そうですか。まあ、別に期待したわけじゃないですけど」

あっさりと一瞬前まで赤く染まっていた顔を素っ気無くも幽かに微笑みを口元に湛えた表情に戻してしまう。

まるで百面相だな。

そんな彼女のコロコロ変わる面に純粋な笑いとも苦笑ともとれないモノを感じ、北川はポリポリと頭を掻いた。














「という訳で決めました!」

はあ、決まったんですか…って何事ですかい?

空となった弁当箱など、ささやかな(?)昼食の片付けも終り――どこに片付けたかは相も変わらず定かでは無いが――今日の所は解散と相成ったその時を見計らうような栞の宣言。
唐突といえば唐突なその一言に、あんぐりと口をあける北川に振り返り、

「北川さん、学校ではお昼どうしてるんですか?」

「はい? 学校? いや、学食だけど」

「ナイスです! オッケーです!」

だからなに!?

ビシッと親指を立てる少女の姿に、頭の中が真っ白けの北川。
そんな彼の様子にまったく頓着する栞はララララ〜♪とばかりに語り出す。

「独り暮らしのみすぼらしい青年のみすぼらしい食生活――」
「マテ」
「彼が毎日食べるのは、不味い学食で一番安い素うどんばかり」
「だからマテ」
「それを哀れんだ一人の美少女が恵み与える豪華十段重ねスペシャル弁当生姜付き!」
「おひ!」
「感涙の涙を流しながら美少女の前に膝をつき、足を舐めるみすぼらしい青年…ああっ、なんて感動的な話でしょう」

 ガシッ!

「えぅっ! 北川さん、女の子の顔にアイアンクローは極悪人です」

「ふっふっふ、あれだけ好き放題言われたら、極悪人にもなろうかな」

「あれ? わたし何か変な事いいました?」

「最初から最後まで。端から端まで変だぁー! 俺はみすぼらしくないし、別に学食は不味くないし、いつも素うどんなんて食べてないし、オマケにさっき量は考慮するとか言って弁当増えてるし、生姜は要らないし、誰が君の足の指を舐めるわけ!?」

「舐めたくないですか?」

「ちょっと舐めたいです」

即答。

「…うわっ、変態さんですね」

 ガシィィィ!!

「えぅぅぅぅ! ロープですロープロープ!!」

指が頭に食い込むエグゼクティブな感触にわたわたと栞の両手が宙を泳いでいた。



「つまり簡潔に云いますと、お昼お弁当入りませんかと云う事です」

「最初からそう言いなさい」

「えぅ」

ベンチの上で正座させられ――さすがに地面の上ではアレなので――俯く栞。別に落ち込んでいる訳ではなくまだ頭がガンガン響いているらしい。
めげない娘だ。
その前で腕組みして引き攣った笑いを浮かべているのが北川。

変態さんのクセにぃ大人げないです。

聞こえないはずの心の声に、目の前の青年の笑みに狂気が増したような気がして栞は首を竦めた。
その仕草にやれやれと組んだ腕を解いてワシャワシャと自分の髪をかき乱す。
その顔に浮かぶのは呆れやら苦笑やら。

気配の変化に敏感に動き、栞がちょこんと正座を解いてベンチに座り、北川を見上げる。

「細かい事は云いとして、北川さんお弁当いらないですか?」

「栞ちゃん、学校休学中なんだろ? どうするんだ? お昼に届けてくれるとでも」

「はい、一緒に食べましょう」

あのさぁ、と笑みに一筋の汗を垂らしながら北川は問う。

「学校を休学してるのに、学校に来ちゃ拙いんじゃないの?」

「いいんです。別に授業を受ける訳じゃないんですから。学校、即ち授業は休むようにとお医者さまに云われてますけど、学校に行くなとは云われてませんから」

「なんか、普通反対なような気もするんだけど」

栞はすくっと立ち上がると、苦笑を貼り付けている北川の前に回りこみ、顔を覗き込むようにしながらぷーっと頬を膨らませた。

「北川さん、私のお弁当美味しくなかったですか? いらないですか?」

「いや、そんな事は――」

「ならOKですねっ?」

すぅっと彼女の小さな顔が離れる。
見上げる北川の前で、栞は勝ち誇ったようにニッコリ笑った。

クルクルと回転して計算する北川脳。
まあ、女の子が作ってくれるお弁当はやっぱりこの上なく嬉しいわけで…
加えて、そんな笑みに逆らえるはずもなく。

「ははっ、ありがたくいただきますよ〜」

「よろしいです」






「あ、そうだ。北川さん」

「うん? なに?」

「……足の指…舐めます?」

「……あ、アホかぁ! いらん!」

「今の間はなんですか?」

「べ、別になんでも…」

「…………」

「…………」

「…変態さん(ぼそっ)」

 ガシィィィィ!

「えぅぅ! ロープロープ!!」



「し、栞ぃぃぃぃッ!?」

悲鳴、金切り声、まあそんな感じの絶叫が轟く。
なんだ? とばかりに思わず掴んだ栞の頭から手を離して振り返る北川。
続いて「えぅぅ」と一瞬掴まれてた頭を振って一テンポ振り向くのが遅れた栞はまともに見てしまった。

スローモーション。

目の前で、声のした方に振り向こうとする北川の顔面に、銀光閃くメリケンサックが輝いた鉄拳がめり込むさまを…

ピカソみたいですぅ。

実に写実的な表現であった。

次の瞬間、重力を無視したような錐揉みで、地面に溝を穿ちながらすっ飛んでいく北川を見送った栞は、パチパチと二度目蓋を瞬かせ、ようやく荒い息を付きながら必殺パンチを撃ち抜いた体勢で固まる女性を認識した。

「あ、お姉ちゃん」

その驚きも喜びもない冷静な声に、女性は振り返ると、ワシッと栞を抱き締めた。

「栞、大丈夫よ。暴漢は私がやっつけたからね」

その言葉に栞はようやく今見た光景が現実だった事を知った。

「あの、お姉ちゃん?」

「なに? 栞」

お姉ちゃんこと、美坂香里は思わず漏らした涙を拭きながら、暴漢に襲われ恐怖に震えている―――ように香里には見えている―――にそっと笑いかけた。

「殴っちゃった?」

「殴ったわ」

冷汗らしきものをダラダラと垂らす妹のようすに小首を傾げる美坂姉。

「もしかして、蹴っ飛ばした方が良かった?」

「そ、そそそう云う問題じゃないよー! き、北川さーん!」

慌てて男が吹っ飛んでいった方に駆け出していく妹を、香里は茫然と見送った。

「あ、あれ? 北川って? 北川君? え? え? も、もしかして拙かった?」




「し、死ぬる」

と言いつつ死んでない北川は凄いと思う今日この頃。

あっぱれ!









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