眠れ

眠れ

安らかに眠れ


汝はもはや苦痛なる世界から解き放たれた

輪廻は終わり

夢幻の儚き泡となる

無は汝を消したもう


眠れ

眠れ

死は汝を優しく包みたもう



安らぎを

安らぎを


汝は得る事を適うのだ





眠れ

眠れ




安らかに眠れ


























魔法戦国群星伝・異聞





< Despair Dead ― stage5>




















今日、俺はここで死ぬ。





















唇が無意識に引き裂かれんばかりに笑みを象った。
凍えんばかりの冷たい風が吹き荒び、少年の纏う漆黒の外套を荒ぶる神のごとく猛々しく翻す。
少年は無言で襟首に手をやり、留め金を外した。
風に舞い上げられ、漆黒の外套ははばたくように空へと消えていく。










今日、俺はここで死ぬ。









震えるほどの快感が、身体の奥底から湧きあがってくる。
少年は嗤う。
堪え切れぬまでに湧き上がる愉悦に、嗤う。


――嗤う。

――嗤う。












少年は黙々と開かれた山道を登り、中腹へと至った。
呆れるほどに平坦に広がる裾野が見える。数ヶ月前、8万もの人間が、焼き殺された場所。
遥か視野の先に、おぼろげに岩盤をくり貫いた巨大な門が、小さく見えている。
あまりに遠いが故に、陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。冬の最中、大気は澄み渡っているというのに。

少年は少しだけ満足した。

墓場は広い方が良い。
誰にしても、自分にしても。


少年は薄く開いた目を、ゆっくりと周囲に巡らした。

少年の周囲を完全武装した集団が囲んでいる。
紅の長衣を纏ったおよそ千を超える者たちが自分を囲んでいる。

元FARGO採血部隊『ブラッディ・ムーン』

血塗られた月の名を持つ悪魔の部隊。


「クックククッ、ハハハハハァッ! 貴様、頭がどうかしてるんじゃねえのか!? 俺たちが待ち構えてると分かってて、正面から来るなんてよう!!」

金色の視線が、虫唾が走る甲高い声で喚きたてる男の姿を捕えた。
人として、もっとも邪悪なる階梯へと至った男……狂犬の高槻。

「いくらスレイヤーだろうと、千人もの歴戦の兵士を相手に勝てると思ってるのかぁ!?」

嘲る、ヤツは自分を嘲っている。
だが、どうと言う事は無い。
魂が擦り切れるほどに切望し、待ち望んだ事実。
遂にやつらを殺せるという事実を前にして、そんな事など、どうと云う事は無い。
それにヤツの言葉は真実だ。幾ら魔族に力を与えられようとも、所詮は自らの力ではない。借り物の力。千人もの相手を前に、勝てるはずなど在る訳がない。

だが…

「勝てなくても…別にいいんだ」

少年を取り囲んだ男たちの嘲笑が、訝しむように止まる。
その彼らを前にして、薄く開かれていた少年の瞳が大きく、地獄の幕を開けるようにゆっくりと見開かれた。

狂月瞳(ルナティック・アイズ)


――鮮やかに
――艶やかに

金色の光が妖しく閃いた。


大気が、慄く。
風が怯え、空が目を閉じ、大地が戦慄いた。

世界が――震えた。


「貴様ら全員、殺し尽くせれば、勝てなくてもいいんだよ」


空間がざわめき、少年の姿を歪ませた。

それはまるで死を纏う黒と金色の悪鬼。


誰もが意識を焼ききれんばかりの恐怖に立ち竦む中で、鈴が鳴るように、刀が鞘から抜き放たれた。

嗤う。
嗤う。

すべてを受け止めるように、両手を広げ、空を仰ぐように高らかに

嗤う。
嗤う。





今日、俺はここで死ぬ





それは確定された未来。

それは待ち望んだ未来。




「今日、俺はここで死ぬ」



小さくひとりごちる。


なんと、心地よい響き
これこそが、待ち望んだ結末。
快感が、湧き出す歓喜が、心を震わせる、躍らせる、滾らせる。

そうだ、あの時以来……あの名を失った瞬間以来、どれだけ待ち望んだ事だろう。

時は今。

狂喜する。



それだけではない。

理由はそれだけではない。


結末を用意しなければならない。
生き残ってはならない。

少年は自分を嗤った。


もはや、自分は仇名の通りの殺戮者。
殺す事に執着し、殺す事に快楽を見出し、殺す事で生きていく。

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す

ただ、それだけの存在。

今はまだいい。
殺すべき相手がいる。
だが、FARGOの残党は目の前にいる千人が最後。それがいなくなってしまったら?

誰よりも自分の事は分かっている。自分の事などまったく理解できないが、ただこの事実だけは否応無く解かっている。


自分は……いずれ悦楽のままに見境無く人を殺しだすだろう事を。


怖かった。

もし、自分が生き残ったら……
それを想像し少年は恐怖に震えた。



殺すために殺す悪鬼。出来るだけ残虐に、凄惨に、惨たらしく殺し続ける悪魔の化身。
それのどこがFARGOと変わるというのだろう。




故に……ピリオドは必要だった。


結末を此処に

終幕を此処に


終わりにしよう…最後の仇を討って…自分自身を終わりにしよう。



少女の声が響いた気がした。



だが少年は寂しげに首を振るう。




「もう、いいだろ?」



答えは返って来ない。返事は聞こえない。

刹那、泣きそうに顔を歪め、少年は狂眼を閉じた。

「こ、殺せぇぇ!!」

高槻が叫ぶ。
呪縛が解かれたように、周囲を囲む敵たちが襲いかかってくる。

少年は再び狂気を開いた。

もはや、留まる術は無い。

そして……

金色の魔なる少年は、嗤いながら最後の舞台へと踏み出した。
























殺戮





















ダンという踏み込みを奏でながら大地を踏み割り、敵の懐に潜り込む。
技ではない。スピードだ。
そのまま空いた左手を振り上げた。
グシャリと音を立てて、顎が潰れる。自分の歯でぶち切られた赤黒い舌が黒々と舞った。
下頭部を破砕され、既に息の無い倒れゆく骸に向かってそのまま刀を突き入れる。
骸の背中を突き出た切先が、その後ろにいた敵の喉を貫き通す。
そのまま脇にいた男に向かって左手を貫手に突き出した。鳩尾を抉り、そのまま左手を体内で広げ、かき回す。

  絶叫―――絶叫

骸に足をかけ、『絶』を引き抜き、勢いのまま振り回す。鉄をも易々と切り裂く妖刀が全周を閃き、少年を囲んだ四人の胴を両断する。
内臓をぶちまけながら倒れる男たちの中心に、スクッと少年は立ち上がった。
薄らと嗤い、流し見るようにして唖然と立ち尽くす高槻を見据える。

「最初は七人」

クククと嗤いが漏れ出でる。





















殺戮























大きく、高く一閃した蹴りが、敵の頭部を捕え、衝撃のあまり引き千切れた首が遥か遠くまで転がっていく。
トン、と軽やかに着地したところを、魔導士たちが魔術をぶつけてくる。
少年は避ける事すらせず、光弾の嵐の中に突撃した。一弾が、少年の左の脇腹にぶち当たり、そのまま肉を抉り取り後方へと突き抜けた。盛大な血飛沫と肉片が飛び散る。
だが、少年は構う事無く魔導士の一団へと飛び掛った。逃げようとした一人の後頭部を掴み、そのまま地面へと叩きつける。グシャリと音を立てて、頭蓋が破裂した。
そのまま『絶』を一閃させ、もう一人の足を切り飛ばす。倒れた所を、右足で胸を踏み潰す。魔導士は血反吐を吐いて事切れる。
そして残る魔導士たちもまた、刀で腕を、首を切り飛ばされていく。
最後に残った魔導士の首を左手で掴み、少年は食い千切るように喉を引き裂いた。

飛び散った血潮に顔を真っ赤に染めながら、彼は云う。

「これで二百」



















殺戮




















膝を踏み折ると、関節が砕け、血と肉と骨とが膝の裏側から飛び出した。
苦痛に絶叫しながらその男は手に持った剣を振り回した。それが少年の左胸を斜めに切り裂き、真っ赤な血がしぶく。
少年は男の剣を持った手を掴み、握り潰すと右手の刀を腹へと突き刺した。絶望的な激痛に、男は腹を貫かれながら悶え苦しむ。刀はそのまま横へとすり抜け、傷口から中身がこぼれ出す。
赤と黄色の泡を吹いて倒れる男にもう見向きもせず、少年は振り返った。その目の前には一斉に降り注ぐ五振りの閃光。内の三太刀を切り払うも、残りの二太刀が少年を傷つける。
一つは頬を切り裂き、血を滴らせる。そして、もう一太刀は……少年の右の太腿へと突き刺さった。
剣を突き立てた男はそのまま引き裂くように剣を手元に引き寄せる。刃が肉を切り裂いて、血が溢れ出す。
だが、その行為はあっさりと断絶させられた。
すぅ、と伸びた左手が、剣を持つ男の顔に近づく。
次の瞬間、阿鼻叫喚の絶叫が響き渡った。
少年の人差し指と中指が、男の両目を貫いている。少年は遊ぶように指を動かし、弄んだ。
この世のものとは思えぬ咆哮が響き、響き、そして途絶えた。
両の眼孔を空洞と化した男が仰向けに倒れていく。その向こうに現れた少年の手には二つの眼球が……

「五百人目だ」

そう云って、少年は手の内にある白いものを放り捨てた。

クルクルと神経繊維を棚引かせ、眼球が宙を舞う。






















殺戮























そこで少年が対峙した長髪の男は、明らかに練達の剣術者だった。
力、速度ともに圧倒的に上回る少年を、技量で圧倒していく。
それまで、一方的に殺戮を繰り広げてきた少年の苦戦に、周囲は沸き立った。
その歓声が最高潮に達する。

白い一閃が疾る。それは精密に、線を切るように、少年の手首を切り落とした。
ボトリ、と血を流しながら地面に転がる左手首。
一瞬、少年がそれに眼を落とす。そして視線を上げた。
剣を振りぬいた長髪の男が、侮蔑と喜悦に満ちた笑みを浮かべた。
致命傷だ。人間が手首を落とされて、まともに生きてはいられない。激痛にのたうちまわり、戦えなくなる。
だが、勝利の確信に歪んだ男の笑みは、すぐさま凍りついた。

少年の狂った笑みは微塵も歪んでいなかった。

「生憎と、なかなか死に難い体になってるみたいでさ…これじゃまだダメだわ」

衝撃が側頭部を襲い、少年の手首を切り落とした男は、両の眼球を衝撃に飛び出させながら脳髄を破壊され倒れた。
残った右腕に刀を握ったまま、手近な男を殴り殺した少年は、ケラケラ笑いながら血の吹き出る左手を振り回す。


「さあ、八百人目だ」

























そして

血と殺戮の狂宴の果てに



















高槻は…呆然と見ているしかなかった。
顔色は紙のように真っ白だ。
ガクガクと膝が、身体全体が、魂すらもが恐怖に震えている。

人は何人も殺してきた。
人の尊厳を踏み躙ってきた。

それでも……

断言できる。


自分はこれほど惨たらしい虐殺まではやっていないと。


「あ…きさきさきさ貴様はははは」


恐怖に竦んだ身体は一歩たりとも動こうとはしない。
呼吸すらまともに出来ない。
あえぐように空気を肺に取り込む。そしてむせた。
あまりにも濃い血の匂いに。
大気に塗り込められた赤い血液の鉄に似た味に。

その赤い空気の中を、彼はゆっくりと近づいてくる。
悪夢だ。狂気の産物だ。

半月のように赤い唇を歪め、嗤いながら近づいてくる。
その姿は紅だ。
他人の返り血、自分の血。全身を血で染めながらヤツは近づいてくる。

まともな人間ならば、絶対に生きているはずのない姿で。

左腕が無い。
一度、手首を切り落とされた少年の左手は、さらに根元から断ち切られ、赤い肉と骨を見せびらかしている。
左の脇腹は抉られたように消失し、金色の瞳が輝いていた右目は、突き立てられたナイフによりその輝きを失っていた。
身体中には切り刻まれ、突き刺された傷痕が巡っており、そこからは尚も血が流れつづけている。

致命傷に塗れた体でありながら、それでも尚、少年は嗤う。
嗤いながらゆっくりと近づいてくる。赤をブレンドした黄金の髪を血風に振り乱し、狂気に染まった左の月瞳を輝かせ、残った右手に妖気漂う刀をぶら下げ…
少年はゆっくりと引き裂かれたような笑みを浮かべながら、高槻へと向かって揺らめくように歩を進める。


「999人殺した。あと一人…残りは一人。最後の一人………お前だ、高槻」

「あが…がががが」

憐れなほどに震えながら、高槻は持っていた剣を引き抜いた。鞘を叩きつけるように放り捨てる。
絶望的なまでに心もとない。
黒く染まっていく。恐怖に心が染め上げられている。
あれは死だ。
死が形を持て、悪意を持って自分に向かってくる。

怖い、怖い、怖い

イヤだ、イヤだ…こんな馬鹿げた話がある訳が無い。千人もいた俺の部下たちが、一人残らず…一人残らず殺戮された。虐殺された。
夢だ…悪夢だ。悪夢が俺を殺そうとしている。

「イヤだアアアアアアア!!」

半ば、錯乱しながら高槻は剣を掲げ、駆けた。
そのまま切先を少年に向け、突進する。



 ド――――――ッス



「あ…え?」


良く馴れ親しんだ、肉を切り裂く感触が両の手の平から伝わってくる。
手元を見れば、流れ出る血。埋め込まれた剣身。

高槻の剣はあっさりと、少年の胸を貫いていた。


「あは……あははは…なんだ…なんだ、こけおどしか!? 死にかけのぼろくずじゃねえか。そんなのが、俺様を殺そうなんて…あはは…殺そうなんて…ははっ、はははは。殺したぞ! 殺してやったぞ!!」

「まだ早いよ」

「わっわぁあああああ」

高槻は間近から聞こえた低い声音に、思わず握っていた剣の柄を離して後退った。
そして見る。剣を胸に突き立てられながら、まったく動じていない少年の姿を。
嘲りと、深い深い激情に塗れた憤怒を宿した金色の月瞳を。

「わあ…ああああああああ」

豚のように悲鳴をあげ続ける高槻を見下しながら、少年は擦れた声で告げた。

「ずっと…考えていた。想像し続けてた。どうやって殺してやろう。どれだけ、惨たらしく殺してやろうかと。生きてる事を後悔するぐらい、痛めつけて殺してやろうと……。何の罪も無い人たちを傷つけ、殺し、踏み躙ってきたお前を…同じように殺してやろうと」

少年は刀を逆手に持ち替えながら、ゆっくりと噛み締めるように告げた。

「だけどもう良い。俺はこれ以上、お前が呼吸をしてる事に耐えられない」

「やっ…やあああ…やだ、やめろ! やめてくれ」

ヘタリ込み、あまりにも卑小な姿で命乞いをする男。
少年はゆっくりと右手を振り上げた。
耐えられない。
こんな男に……こんな男にすべてを奪われた。
何もかもが……耐え切れない。


「もういいよ。黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れぇえ! 黙ってこの世界から消えろぉぉ!」


ザ――――クッ


白銀の閃きが、深々と埋め込まれた。
自分の死を信じないとでも云うように、表情を驚愕にゆがめながら高槻がゆっくりと倒れていく。
少年はゆっくりと右手を『絶』の柄から解いた。
バタン、と終わりにしてはあまりにもあっさりとした音を立て、高槻は仰向けに倒れ伏した。
その心臓に、深々と妖刀の刀身を埋め込まれて……




何かが途切れた音がした。


一瞬にして、張り巡らされていた力が解かれ、少年はよろよろと後ずさりし、倒れるように地面へと座り込んだ。
血が身体中に纏わりつき、とても不快だ。だが、それ以上に、信じられないほどの激痛が全身を駆け巡っている。痛覚を言語を絶する乱暴さで引き裂きつづけている。

ケホン、と出た小さな咳とともに、溢れるように血塊が喉の奥から飛び出してきた。
その赤色に、思わず苦笑を浮かべ、少年は空を見上げる。

「終った……なあ」


全てが干上がって、乾ききってしまった声が漏れ出た。無意識に残った左眼を細める。


「全部、終ったぜ」


聞く者は無い。だが、彼はそれでも告げねばならなかった。


約束を破った懺悔でもない。
あまりに多くの血を流した咎でもない。

ただ、結末を告げるのみ。

贖罪は無い。

ただ消え去るのみ。



過去が脳裏を巡る。
懐かしい過去。暖かい過去。
もはや戻らぬ哀しい過去。




終ったのだ。

何もかも


復讐も


殺戮も


終ったのだ。



すべてが――


終った。





鼓動が…弱い。
意識が、重くなってくる。

嗚呼、と思わず嘆息する。
これが死というものなのかと…実感する。

それは、想像どおり、穏やかなものだった。
身体中を駆け巡っていた殺戮の余韻も、消え去っている。
狂気も、血に酔った激情も、殺意の奔流も……すべてが失せてしまっていた。


虚ろ、虚ろ。

何もかもを無くしてしまった自分にとって、虚無とは安息、死とは安寧。

そして――

魂を売り渡した少年にとって、死とは完全なる消失。
魂の喪失。


だが、それもどうでも良い。すべてが終ってしまった今となってはどうでもいいことだった。


少年はごそごそと右手を懐に突っ込み、一つの小さな塊を取り出した。

銀色の小さな指輪。

それを手の平の上で転がす。
そして、指輪の内側に刻まれた名前を見て、少年は穏やかに微笑みを浮かべた。


「もう、会えないけど、きさとやあいつには次に生まれ変わったら幸せになって欲しいよな」


瞼が重い。
とてつもなく重い。
だが、逆らう所以は無い。
暖かなまどろみが、身体を包んでいてくる。

眠い。

とても眠い。

ゆっくりと、瞼を下ろしていく。
もはや、二度と見る事の適わぬ世界の情景を…地獄と見間違わん凄惨な、だが彼が生きた世界の情景を独眼に焼き付けながら、少年は永久なる眠りへ至るため、瞼を閉じようとし…………






カッッ、と限界まで、開ききる限界まで見開いた。



「な…んだと?」




ゆっくりと立ち上がる。




自分ではない。自分はもはや動く事すら適わず、死に逝こうとしている。

自分ではない。
なら、誰だというのだ?


目の前の光景を、感情も、理性も否定する。
それでも現実はそこにある。

無慈悲に、残酷なまでにそこにある。




自分と同じ様に…いや、心臓を貫かれ即死したはずの死体が…高槻の死体が立ち上がろうとしていた






「くっ……くくく…くはははははっ!!」





未だ心臓に少年の刀を突き立てたまま、高らかに狂笑を浮かべながら。






「素晴らしい……素晴らしいぞおおおお!! 生きている! オレは生きてる! ハハッ! ハハハハハハッ!!」





高槻は、実に愉快そうに咆えながら、笑い続けていた。
そして、座り込んだまま呆然と此方を見つめる少年を見下ろして告げる。


「はははは、死んだと思っただろう小僧!! 殺したと思っただろう!! バカめ! ハハッ! バカめッ!」

「ふざける…な、心臓を潰されて死なないだと?」

驚愕に声を振り絞る少年に、高槻は見くだすように魂の奥底から歓喜と愉悦の交じり合った快楽の叫びを響かせる。

「死んださ、殺された。俺はお前に殺された。ははっ、そうだ、俺は死んだ。そして生まれ変わったんだぁ!!」

もはや力が全く入らない体を動かそうとしていた少年は愕然とした。

「知ってるぞ、知っているぞ小僧! お前が魔王と契約したことをな。だがな、俺も契約したんだよ、我らFARGOが崇めた神と、教主どもは神を召喚しようとして結局失敗しやがったが、俺は神とコンタクトを取ることだけに絞ったからな、契約を交せたんだ。俺をあんたの同族にしてくれってな、ひ弱で愚かな人間をやめたいってな。俺はまだまだ、殺し足りない、壊し足りないんだ!」


目の前の男の、存在が変わっていくのがわかる。
黒く、紅く、魂が変質していく。
纏う気配が汚れていく。
邪気へ――
瘴気へ――


「そしたら神はこう言いやがった。お前が死を迎えたとき、敵に殺されたとき、お前は新たなる存在として生まれ変わるだろうってなぁ!」

高槻の背中からメキメキと皮膚を破る音とともに黒き翼が生えてくる。

「そして俺は人を超えたぁ!!」

バサリッ、と邪翼を打ち広げたその姿はまさに狂魔。
あまりに禍々しいその存在は、人にあらず。人などでは在り得ない。

一頻り狂ったように笑った高槻は、狂気に酔いしれた視線を少年に向けた。

「そうだ、俺はさらに殺し、壊す力を手に入れた。これからも、ずっとずっと永遠に遊び続ける事のできる力をだ! でもなあ」

眼差しが尖る。怒り、怖れ、恐怖、絶望…それらが混在化した歪んだ眼差し。

「痛かったぜえ、お前が俺に突き刺した刀。死ぬってのは痛えんだよぉ。無茶苦茶痛ぇんだよ! たかが、人間の分際で、この俺様を傷つけやがった。この俺様を殺しやがった。それだけじゃねえ! この…このオレ様を心底恐怖させやがった! 許せねえ! 貴様に殺されるのをオレは望んでた! それなのに、貴様はオレを恐怖のどん底に落としやがった! 許せねえよなあ、おい。絶対許せる事じゃねえ」

理不尽な、だが煮えたぎるような怒りを湛え、高槻は伏す少年を見下した。
その怒りが擦れ、変わりに蔑みきった侮蔑に変わる。

「この新しい力で貴様をぶち殺してやろうと思ってたんだ。でもなあ、お前はもうダメだな。全然ダメだな。もう死んじまう寸前じゃねえか、つまらねえ。だが…笑えるなあ…ハハッ! お笑いだ!」

自分の胸に突き刺さっていた『絶・龍征』を抜き捨て、座り込んでいた少年を蹴飛ばし踏みつけ、嗤い捨てた。

「そのまま這いつくばって死ねぇ」

「くっ」

体がもう動かない。
絶望的なまでに動かない。
死は少年の全身を侵食していた。

「だがそれだけじゃあつまらねえ。オレ様が受けた恐怖は償えねえなぁ。へへ、そうだいい事を思いついたぞ。小僧、お前の事は調べさせてもらったよ、俺たちが潰した村の出身だってな、あの村はよく覚えてるよ、お前の妹も、女もな。はは、楽しませてもらったからなぁ」


擦れる意識に火花が散った。
殺意が…狂気が膨れ上がる。
残った生命を上回る、極限の殺意が爆発する。

殺す……そう思った。

それなのに……

それなのに……

体は動かない。

まったく動こうとしない。

悔しくて、ただ悔しくて。

「お前に飛びっきりの絶望を与えてやるよ」

高槻は嗤った。

「人間じゃなくなった俺様は、とてつもなく長く生きれるんだぜ、羨ましいだろ。だからな、殺してやるよ」

高槻は可笑しくてたまらないとまた笑う。いやらしい甲高い声で。

「何を?って顔してやがるな、分かってねえよなあ」

その腐れ切った魂の、腐臭を吐き出すように、高槻は下卑びた嗤いを漏らしながら、その言葉を吐き出した。

その悪夢のような言葉を吐き出した。


「そうだ、お前の女だよ。オレが殺したお前の女だ。ククッ、分かるか? 転生だよ。生まれ変わりってヤツだ。クククッ、そうだ、お前の女が生まれ変わるたびに、俺が殺してやる。犯し、辱め、苦しめて苦しめて殺してやる。そう、生まれ変わるたびに…だ!」


意識が…白く染まった。
何も見えない。思考できない。

すべてが染まった。



「貴様ぁぁぁぁぁぁ」

踏みつけていた高槻を吹き飛ばし、少年は立ち上がった。
邪翼を広げて宙に浮いた高槻は嘲笑を投げかける。

「お前はこの俺様を殺した。心底から恐怖させた。傷つけた。許せねえよ、ゴミクズみてえな人間の小僧にそこまでされたんだ。

だからだ、だから殺す。

お前の復讐が、お前の女を、生まれ変わっても殺す。 ハハァ、お前のせいだ。お前が復讐なんか考えたからだぜ。お前の所為でお前の女は生まれた瞬間からいつか俺に殺されるってな素晴らしい運命を手に入れたんだ。
そうだ! 何度でも、何度でも、お前の女は、オレに犯され、殺されるために生まれてくるんだ! 永遠に!
ギャハハッ、お前は死ぬ、何もできずにな。そしてお前には来世はない。魂を売り渡して魔王と契約したんだから当たり前だよなあ、くくっ、ぎゃははははははははは」

「高槻ぃぃぃぃぃ!!!」

呪い殺さんばかりに濡れそぼった憎悪の絶叫。
だが、それはただ高槻を喜ばせただけだった。
高槻は哀れむように口元を吊り上げると、恍惚とした声で……云った



「絶望にまみれてのたれ死ね、小僧」




そして…
凶なる男は邪翼を翻し
虚空に消えた。


跡形も残さず……


ただ、さらなる絶望を少年に残して……



「俺の…せい?」

狂笑の残響が耳打ちに響く。
悪魔の言葉が彼を容赦なく打ち据えた。

少年は膝から崩れ落ち、力なく倒れた。
体から体温が抜けていくのがわかる。生命が抜けていくのがわかる。
視界が薄れてきた。同時に涙でぼやける。
あの時以来、初めて流した涙。
だがそれは更なる絶望。
真なる絶望。


「お前、このまま死ぬつもりか?」


いきなり声がかけられた。
もはや思うように動かない左眼を苦労して動かす。
力をくれたあの金の魔族が立っていた。

「いや…だ、死に…たくな…死ね…ない」

その搾り出すような声に、魔族は淡々と感情を混えず答える。

「無駄だ、お前は死ぬ。このまま死ぬ。それは変えられない」

死ぬのだと、魔族は言った。

「俺…まち…がって…いたのか」

「さあな」

魔族の答えは素っ気無い。死のうとしている少年に対して、何の答えも与えない。
それは無情か、それとも……


「いや…だ」

少年は喘ぐ。

「いやだ…死ねない……いや…だぁ」


意識が沈んでいく。底なし沼に沈んでいくように、幾らもがいてももがいても、無駄だというように沈んでいく。
逆らって、抵抗して…それを粉微塵に粉砕しながら、死は少年を圧し包んで――


「いや…だぁぁ、たまし…いを…生まれ変わ…あいつを…かお…りを…まも…る……………か…り…あい…い」




少年の金の瞳から一滴の涙が零れる。


その最後の雫が、大地へと染み消えた時、


静かに…命の灯火が消えた。








それは―――

全てを終わらせた虚無の中の死ではなく

最悪の結果を残した絶望に包まれた死。





あまりにも――

――悲惨な末路





魔族は少年の死を確認すると小さく舌打ちをした。

「いきなり横からゲームを邪魔されたような感じだな。面白くねえ、ガディムめ」

少年の体からボンヤリとした光の球体が浮かび上がる。
契約を交した魔族にしか見えない魂の光。

「哀れだな。それにこれで終わりってのはつまらんしなぁ………折角の契約した魂だがどうしたものか」

魔族の間では契約を交し、手に入れた魂は非常に高価なものとして扱われていた。
食べては古今天地に並ぶものない美食の頂点として、また強力な魔道具の原材料としても重宝されている。
だが魔族の男は掌の上に浮かび上がった少年の魂を大事に懐に収めた。

「まあいい、考える時間はある。時が来るまでそのまま眠れ」

そう呟き、姿を消そうとした魔族はふと屈み込むと、少年の握り締めた拳をほどき、握っていたモノを取り出した。

それは銀の指輪。

少年と少女の約束の指輪。

その裏にただ一言、小さく刻まれた名前があった。

魔族は暫くそれを眺めるとそっと懐に入れた。そして小さく何かを口ずさむ。
笛の音のような囁きが漏れるにつれ、少年の亡骸が光を帯び、そして消失した。
やがて大地につむじ風が吹き、魔族の姿が消える。






残されたのは、血の色をした静寂。




そしてどれだけの時が流れただろう。


やがて死で満たされた静寂の中に独りの青年が姿を現した。


青年は何かを探すように周囲を見回す。


そしてそこに目的のものを見つける事ができず、少し哀しげに目を細めた。


「また…一つ失ってしまった」


独白が、


悔恨が、


全てが風の中に消えていった。






ふと青年の視線が止まる。


その先には、大地に突き立てられた刀があった。


まるで墓標のように……









殺戮者(スレイヤー)と呼ばれた少年の名を知る者は誰もいない。





時に盟約暦985年の冬の日。



物語が終わった日



そして……物語が再び幕を開けるのは百年後の夏の日

あの暑い夏の日の森の中で



    ―end of the first stage―


    ―restart of the second stage is the 100th summer.












そして――

――百十一年後

盟約暦1096年――冬





虚空から滲み出るように、一人の男が大空の裾野へと姿を現した。
遥か高見を巡る清涼なる風が、男の長き金色の光髪をかき乱す。

「再びこの地に立つか、小僧……いや、北川潤」


男――魔狼王ヴォルフ・デラ・フェンリルは、その月にも似た金色の瞳を眼下へと向けた。
その瞳に映るのは、自らが息子と呼んだ一人の青年の姿。
ヴォルフの金瞳が幽かに揺らいだ。


「すべてを選ぶのはお前自身だ。また再び破滅の道を行こうというのなら、それもまた一つの真理。だが願わくば……」


ヴォルフはそっと、青年の背後に立つ少女の姿を見据える。


「願わくば、我が息子の夢の果てが虚ろに在らざる事を。お嬢さん、それは貴女の……」


最後の言葉は、斬り払われるようにして風へと紛れ、魔狼の姿と共に消え去っていった。















始まりの幕は絶望の死により開かれん


次なる幕は、再会を以って幕開け、約束により閉じられる


そして至るは終なる幕


そも終焉の章へと差し掛からん


その物語が如何にして幕を閉じるか未だ定かにあらず


再び悲劇か、それとも……










  ―started of the Final stage.

  ―Endless Despair or Never Tomorrow.









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