凍るように冷たく冴える月

霞むように白く輝く月



知らなかった


思いもしなかった




つきとはこんなにも美しく





恐ろしいものだなんて

























魔法戦国群星伝・異聞





< Dispair Dead ― 3>








一陣の風が舞った。

聳えるように佇む男の長髪が、光を纏うようにたなびく。

男は身動ぎもせず見下ろしている。
その光月のような黄金の瞳で。

ただ見据える。

それだけの事。ただその視線に晒されるだけで、少年は射竦められる。
少年は、まともに言葉も出せずに自らが呼び出した者を仰ぎ続けた。

余りに巨大な存在の印象を裏切るような痩身を、華美ではなく、だが質素とは間違っても云えない白銀の衣裳を身に纏い、夜を縫い止めたかのような外套でその身を包んでいる。
何より、目を止めざるを得ないのがその髪と瞳。
白く、冷たく下界を睥睨する月を背に、その黄金の髪と瞳は畏敬を覚えるほどの輝きを放っている。

その輝きに、少年はただ恐怖した。


「うっ…あ」

意味の無い言葉を漏らす少年をジロリと見た魔族は、その金色の瞳を細めながら告げる。

「さあ、人間の小僧よ。我に何を望む? 云うが良い。それとも告げる口すらも持たぬのか?」

その透き通るような低い声に色は無い。
だが少年はビクリと身体を震わせた。喪失しかけた心神を弾く強制力を持つ力ある響き。
その力に促され、少年は震える唇を開け、言葉を発しようとする。
だが、喉が凍り付いてしまったかのように何も云う事が出来ない。
何より、云うべき言葉が思いつかない。

固まったまま何も云おうとしない少年に、魔族は薄くせせら笑いを浮かべた。

「先ほど告げたように、我と結ぶ契約の代償は貴様の魂だ。我に恐怖したか、魂を惜しんだか。どちらにしろ、要求が無いと云うなら我はこのまま帰るとしよう」

嘲るようにそう告げて、何の躊躇も無く魔法陣に消えようとする魔族に、少年は金縛りを解かれたように呼び止めた。

「待て! 待ってくれ! アンタは力をくれるって聞いた、本当か?」

魔族は閉じた瞼を開き、その金色の眼差しを再び少年へと向け、感情の色無く答える。

「ああ、本当だ」

月が自分を見つめている。
そんな錯覚に慄きながらも、少年はもはや止まろうとはしなかった。
全てを捨てるように訊ねる。

「相手が何人いようと倒せるような力か?」

その狂気を感じさせる眼光に、魔族の金瞳の輝きが一瞬収縮する。
先ほどとは違い、魔族の声音にどこかしら感情が混じる。

「相手が与えた力より強ければ負ける。人数が多すぎたらやはり苦しいだろう。だが、大概の人間を圧倒できる強い力、百人程度の雑魚なら簡単に蹴散らせる力を与えよう。だが、その力を何に使うというのだ? 何故に強さを求める?」

…何故?

刹那、薄らと現実から遠ざかっていた少年の瞳に激情が宿る。

…何故だと? 決まってる。
そんな事は決まってる…決まっている!

「復讐だ」


ココロが…壊れるほどに

少年は狂気の混じ入る感情のままに魔族に向かって叫んだ

「復讐だ!」


魔族は嗤う。蔑むように、哀れむように

「……云ったはずだ。代償に魂を貰うと。魂を失うということは、全てを永遠に失うという事だ。いつの日か、輪廻により転生し、新たな刻を刻むこともない、絶対の喪失。その復讐は、お前にとってそこまで行う価値のあることなのか?」

少年は沈黙した。
だが魔族は急かす事もなく無言で待ちつづける。
月もまた、無言のまま少年を見つめる。

何かを奪い去るような冷たい夜風が、駆け巡った。

やがて少年は重い口を開いた。

「価値なんてない。そんなもの…有るもんかよ。でもな、それでも俺は……」

食い縛った歯が軋む。歪められた眼差しが、絶望を宿す。

「村を、家族を、そしてアイツを殺したFARGOの連中を許さない。ヤツらを根絶やしに出来るなら何も惜しくねえ。全てを捨ててやる…魂すらもだっ!!」

決して揺るがないであろう決意を込めた言葉。
決意…それこそ、絶望に彩られた狂気の発露だ。

それを聞き届け、それでもなお魔族は言葉を重ねる。

驚くほどに優しげに…

「新たな刻において、お前の失った家族や女と再会する可能性もあるのだぞ」

少年の双眸から絶望は消えようとはしなかった。
怯えはいつしか消え去り、微笑みすら浮かべて少年は魔族の金色の瞳を見つめる。

「家族やアイツと暮らしたのは、今、この刻だ。それが俺の世界の全てなんだよ。もし、次の世界でアイツと再会したとしても、全てを忘れたアイツはアイツとは別の人間だし、俺も俺じゃない」

「確かに、輪廻転生は以前の形を消し、全く別の存在になるということでもある。だがそれでも魂は幽かに覚えているものなのだぞ」

「それでも…俺は」

魔族は諦めたように眼を閉じた。
そして、自分がいつの間にかこの少年を諭そうとしていた事に気付き、苦笑する。

心に宿った何かをあっさりと振り切り、魔族は淡々と少年に告げた。

「いいだろう、そこまで言うのならこれ以上忠告する義理はない」

魔族は自分の現れた魔法陣に少年を立たせると目を閉じるように促した。

「お前に、オレの力の一端を分けてやろう。敵を噛み砕き、切り裂く、魔狼王の力を」

語尾が大気に混じり去った途端、魔法陣から光が迸る。
吹き上がる光の渦に少年は飲み込まれた。刺し滑らすように光が身体を貫いていく。
凄まじい圧迫感に、少年は咆えるように絶叫した。
体内に…いや、心の中に何かが刻まれていく感触が少年に恐怖と言う感情を思い出させる。

それが最後の恐怖だとでも云うように…

魔族は告げる。

「お前が死ぬ時、お前の魂は浄化の海に飛び立つことなく、オレの手元へ捕らわれる」

少年は薄れゆく意識の中で魔族の声を聞いていた。

「お前の死は、お前という人間の存在の消失だけでなく、お前の魂が生まれてから繰り返した輪廻の終焉を意味する。覚えておけ。さあ、復讐を果たすがいい。俺はその観客となろう。復讐に踊らされるお前の哀れなる演舞…楽しませてもらうぞ」

最後に感じたのは、全身を侵食する灼熱感だった。





















――赤い。

何もかもが赤く染まる。空が赤い。地も赤い。世界が赤い。
ならば…自分もまた赤いのだろうか…

――赤い。

それは炎の赤か。それとも血の赤か。
すべては炎に焼かれていくのだろうか。
すべては血に濡れて沈みゆくのだろうか。

夕陽が沈むが如く、それは必然だというのだろうか。


ただ、彼女の微笑みだけが白い。




その情景は……








「う…あああああああああああ」

猛り狂ったような悲鳴。
その凄まじい轟きに、少年は飛び起き、それが自分が発し続けている声だと遅まきながら理解して強引に口を閉じた。
嫌な汗が滝のように流れている。
少年は、いつの間にか頬を伝っていた涙を拭い、周囲を見渡した。
そこで、ようやく自分がベッドに寝かされていた事に気がつく。

「どこだ? ここ…」

雰囲気からしてさほど大きい家ではないようだ。いや、家というより掘っ立て小屋に近いような作りに見える。

とりあえず、歪む意識を頭を振ってハッキリさせようとする。
夢…悪夢を見ていたような気がする。内容は…覚えていない。どうでもいいことだ。

「目を覚ましたようだね」

唐突に掛けられた声は、理不尽なほどに涼やかに聞こえた。
驚いて振り向いた少年は、盆に水差しと湯飲みを乗せた人影を見つけた。
見れば自分とさほど変わらぬ年齢に見える男だ。

酷く…存在感に乏しい気がする。

「なんだ…あんた?」

どこか事態についていけず、かすれた声で訊ねる少年に、彼はどこか青みを帯びた瞳を和ませると笑いを滲ませる。

「なんだとは酷い言い草だね。森で倒れていた君をわざわざ拾ってきてあげたのに」

そう云いながら、彼は手に持った盆をベッドの傍らにあるテーブルに置く。そして水差しから水を湯飲みに注ぎ、少年に向かって差し出した。
少年は無言で受け取り、一気に飲み干す。正直に云えば、喉が焼けるほどに熱かったのだ。いや、喉だけではない。身体全体が熱を帯びている。

「森で…倒れてた?」

「妙な気配を感じたんでね。ちょっと見に行ったら君が倒れていたという訳だ」

落し物でも拾ったかのような気軽さで、彼は云う。

そうか…あのまま俺は気を失って、そのままにされてたって訳か……

何か、訳もなく馬鹿馬鹿しくなり少年は歪んだ笑みを浮かべて額を抑える。そして、気が付いたように自分を見つめる彼に視線を向けた。

「あんた…こんな誰もいない森の中で住んでるのか? 何者だよ」

「僕かい? ただの世捨て人だよ」

飄々と答える彼に、少年は不信げに眉を顰める。
そのすべてを見透かしたような眼差しが不快に思えた。

「その…歳で世捨て人かよ」

フワリと口元に笑みが宿った。

「その歳というのがどれくらいかは想像できるけど、あまり見た目は信用しない方がいいかもね。それよりも…」

もう一度、湯飲みに水を注ぎ、少年へと手渡しながら、彼は詮索する風でもなくただ少年の瞳を見据えて。

「…君の方が不思議だね。こんな森の奥で傷だらけ…しかもこの大陸では見ない金の髪と金の瞳…明らかに人間でありながら、魔の匂いがする君こそ何者だい?」

「へ? 金髪? 金の瞳?」

少年は目を丸くして自称世捨て人の云った言葉を鸚鵡返しに繰り返した。
その様子に世捨て人はふむと頷くとどこからともなく手鏡を持ってきて、少年に手渡した。
少年は渡されるがまま鏡を覗き込み……手から湯呑みが零れ落ちた。

鏡の中にいるのは紛れもない自分。だが、見たこともない自分自身。
金色だ。すべてが黄金へと染まっている。
薄茶色だった髪の毛も…焦げた茶色の瞳も……
すべてが輝かんばかりの黄金へと変じていた。

そう…

それはまさしくあの金色の魔族と同じ…
あの魔族と同じ様な金の髪と金の瞳を持った自分の姿。


「あ…はは…ククッ、ハハハ」

呆然と鏡の中の自分を眺めていた少年の唇から、いつしか笑いが零れていた。

「くっ、は、はははは、これが証ってわけか! これが力を得た…復讐を果たすための力の証かよ! あは…アハハハハハハハ」

深淵から湧き出すように笑いが溢れてくる。
これが証。これが証左。そして…拭えぬ刻印。
そうだ。これは悪魔との契約…その刻印だ。

嬉しいのか、恐ろしいのか、それすらも分からない。
ただ、笑う。
笑いながら、少年は自分が決定的に変わった事を理解した。自然と力を内に感じる。今まで感じた事のない、想像すらした事のない力の鼓動。
もはや、自分が人でありながら人で無くなってしまったのだと……理解し、狂喜した。

狂ったように笑う少年を前に、世捨て人は怯えもせず、動じもせず、ただじっとその青い眼差しに狂笑を映し続けた。
やがて、笑い声が途絶えるのを見計らうように告げる。

「あの時感じたのは魔界の風。君から漂うそれは魔より得られし、力の残滓。その影響がその金色の髪と月の瞳というわけか……君は、魔族と契約を結んでしまったんだね」

「そうだ、俺は魔族と契約した」

何故か哀しげに云う彼を前に、少年は笑みを消さず、だがその事実を噛み締めるように応えた。

「馬鹿なことを……」

「馬鹿なことだと? いや、違うね、こいつは俺に与えられた最大の幸運だ!」

狂笑が引き裂かんばかりに深まる。

「……君は契約の意味をちゃんと理解しているのかい?」

「してるさ…懇切丁寧に俺と契約した魔族が教えてくれたよ。永遠の断絶…輪廻の終焉…どうでもいい事だ! ……くく、よく考えりゃ、あの魔族なんか考え直せみたいな口調だったな」

「ならば何故、君は……」

「何もなくなったからだよ」

ぼそり、と乾き切った声で云う。
困惑に満ちた世捨て人の声を遮るその声は、直前までの狂喜の欠片は微塵も無く、糸が切れたように感情の色が消えていた。

「家族も、知り合いも、故郷も…繋がりも…絆も何もかも…なくなっちまったから……もう、俺の名前を知るやつすらいなくなってしまったから」

彼は少年のその気配に言葉をなくした。
長く時を流れて、様々な人々を見てきた彼にとっては馴染みの気配。
よく知っている、だが決して慣れることのない絶望という虚無の気配に……

「だから俺は復讐するんだよ。俺からすべてを奪ったヤツラに……俺は、ヤツラがノウノウと生きてる事を許さない。その存在を許さない。そして、そいつらを殺す力を…今、手に入れた。手に入れたっ!!」

薄っすらと、感情のなくなった表情に再び壊れた笑みが浮かぶ。
物事に動じる事のなくなって久しい世捨て人の青年に、怖気を走らせるほどの薄ら寒い笑み

「それは破滅への道だ……他に道はないのかい?」

答えはなかった。

青年は唇を噛む。
解かり過ぎるほどに、解かってしまったのだ。
この森で倒れていた少年が、もはやある意味この世の者ではないことを

もはや…墜ちてしまった人間なのだと。

青年はふう、と諦めたように吐息を落とした。

「関わるべきじゃなかったかもね」

「…悪い」

青年は微風を纏うように踵を返す。

「君に宿った力に身体はまだ慣れてはいない。それでは戦う事は出来ないだろう。しばらくはここで休んでいくといいよ」

そう言い残し、彼は部屋を後にしようとして…振り向くと静かに呟いた。

「僕の名前は氷上シュンだ。君の名は?」

蒼と金の瞳が交錯する。
刹那、揺らいだ金色の瞳は瞼に伏せられ、その虹彩を絶えさせた。
明確な拒絶。
その意思を見極め、氷上はそれ以上何も云わずその場を去っていった。

「名前なんて…必要無い。俺の名前を知るヤツはみんな死んじまったんだからな。もう…必要無い」

窓辺から吹き込む風は、少し冷たく…熱を宿す身体には心地よかった。























――数ヵ月後



…街都<七海>
ここは御音王国でも有数の大都市だ。王国の東南に位置し、海に面した港町。広大な巨海<遠大洋>を望んでいる。
この街の外れの方に、一つの建物が存在する事をこの街の者の殆んどが知らない。
ましてや、それがかつて魔法王国期に途絶えた零細宗教組織の布教拠点…即ち『教会』だった事を知るものなど絶無に等しかった。

ただ…

今現在、素性の知れない者たちが二十名ほど出入りしている事は、近所に住む住人たちの間ではそこそこ有名ではあった。
しかし、『教会』の主と思われるいつも紅の法衣を纏った男性が、物腰穏やかで付近の住人とも良好な関係を続けていたため、不信がる者たちはまず存在しなかった。
法衣の男が、彼の地元特有のささやかな信仰の集まりであると説明していた部分も大きかった。住人たちは、勝手に『教会』に集う人々を法衣の男と同郷の者たちなのだろうと考え、特に追及する事はなかった。

それは特に真実を違えていたとは云えないだろう。

ささやかであるかはともかく、その集いは信仰上のものであったし、ある意味彼らはみな同郷と云えたからだ。



礼拝堂と呼ばれたそこで、紅の法衣を纏った男は厳かな口調で彼らに伝わる聖句を紡ぐ。
神聖にして、高潔なる意思の発露を…
眼を伏せ、心を閉じ、その言葉に耳を傾ける者たちの数は二十三人。その全てが彼らの前に立つ男と同様の紅に染められた長衣を纏っている。
それはさながら何かの僧服。
紅は浄化の色。不浄を清める血潮の色。
その紅の服を、さらに血で染め上げる事こそが彼らの使命。

礼拝堂の壁に掲げられていたかつての偶像は完膚なきまでに砕かれ、床にばら撒かれている。
当たり前だ。彼らが自らの信じる神以外の偶像を許すはずがない。存在は抹消されなければならない。


やがて、聖句は終わり、法衣の男は囁くように告げる。

「すべての仕掛けは施し終わった。後は決行するのみ。夜が来る。それは静寂の時間。静謐なる時。浄化の刻。我らが宿願のため、今宵、務めをまっとうせん。今一度告げる。此度の祝福者はこの街の領主 佐久間――」


 キキィィィ

かすれたような木の軋む音が、彼の言葉を遮った。
法衣の男は唇を結び、眼をかすかに見開く。座していた他の者たちも首を傾け、振り返った。
二四対の視線が集まる先で、扉が此方に向けて開かれていく。

時は夕刻。

光と闇が別たれる別離の時間。

幽玄の時。


朱に染まった光が、礼拝堂へと差し込んでくる。
その光を背に、コツリ、コツリと足音を立て、一つの人影が礼拝堂へと現れる。

静謐な空気の中、ただ足音だけが鳴り響く。

やがて、コツリ、と足音が止まった。
同時に、パタンという軽い音とともに人影の背後で扉が閉まる。
そして世界が変わる境界の朱光もまた閉ざされる。

沈黙が過ぎった。

再び薄暗い闇に閉ざされた礼拝堂。
佇むのは一人の男。
陽が沈み、そして来る夜の闇をくり貫いたような漆黒の外套で全てを包んだ男が一人。

誰も、身動ぎひとつしない。出来ない。
ただ、視線だけが男を穿つ。

やがて、永久にも等しく感じられる刹那が流れた。 静寂が守られる中で、男はゆっくりと伏せられていた瞼を開いていく。

幾つもの、息を呑む音が鳴った。

まるで、闇夜に月が浮かぶように、薄闇に金色の瞳が静かに冴えた。

誰もが言葉を失う中、金色の瞳の少年は被っていたフードをゆっくりと左手で脱ぎ払う。

零れ出た金髪は、一瞬闇を照らしたとさえ錯覚させるほど、柔らかく輝いた。

そこで、漸く法衣の男が口を開く。

「何用かな? 若者よ。今、我々はささやかな神への祈りの最中なのだが…」

その穏やかで敵意の欠片も無い声音に、少年は口元に微笑を浮かべた。

「それは失礼しました。なに、用事は端的で、単純で、しかも簡単です。お手間は取らせませんよ」

そう云うと、少年は音も無く、外套を切り裂くようにして、なにか銀色のものを外界へと抜き出した。

「すぐに終りますから」

 ゴトン、という鈍い音が静まり返った礼拝堂に響いた。
重なるように、何か液体が噴き出す音がその場を犯しつづける。

…雨?

不意に、天井からシャワーのように何かが降り注ぎ出し、礼拝堂に居た内の一人が濡れた頬を拭った手の平を見て唸り声を上げる。

声の響きはその場の呪縛を解き放った。

現実が姿を現す。

金色の髪と瞳を持つ少年が右手に持つのは銀色に輝く一振りの刀。
その脇で、天井まで鮮血を噴きださせている物体は断頭された首の無い体。
少年の足元に転がるのは閃光に断たれた首。首はしばらくパクパクと驚いたように口を動かしていたが、やがて動かなくなった。

弾かれたように、座していた者たちが立ち上がる。
闇に紅の波が滲んだ。
そして一斉に抜剣。白い輝きが乱立する。その身のこなしは明らかに素人とはかけ離れていた。

法衣の男が再び口を開く。
その表情は先ほどと変わらぬ陽光のような穏やかさ。ただ、眼差しだけが凍てつくような酷薄な色を湛えていた。

「なるほど…近頃、我々FARGOを付け狙い、幾つかの支部を全滅させた一人の少年がいるという話を聞きました。輝く金色の髪と、静かに狂う月の瞳を持つ少年…あなたがそうでしたか、若者よ」

血の滴る刀身を提げながら、少年は金色の瞳を薄らと細める。
三日月のように。

「男、女、老若男女を問わず、一人の例外も無く皆殺し。その所業はまさに狂気と殺戮の使徒。故に殺戮者の名で呼ばれる者。とても、とても恐ろしい話です。
ですが、此度は相手が悪かったようですね。我々はこれまで貴方が始末してきたような馬鹿どもとは訳が違う。採血部隊『クリムゾン・エアー』…FARGO教主直属の暗殺部隊。増長もそこまでです。自惚れもそこまでです」

窓から幽かに差し込んでいた朱の光が途絶える。
礼拝堂を照らすのは、ただ燃える灯火の光だけ。

夜が訪れた。

月の時間が訪れた。


「さあ、この愚か者に祝福を与えなさい!」

感極まった叫びを引き金に、紅長衣の暗殺者たちは一斉に動き出す。
一瞬にして、少年は周囲を囲まれた。長椅子が置かれ、極端に動き辛いはずのこの礼拝堂の中で、異様なほどの素早い動き。

ユラリ、と唇も三日月を象る。

それを見計らったように、少年を囲っていた八人が一斉に少年に飛びかかった。

上段・下段からの斬撃に加えて刺突。狙われた者は防ぐ事も、逃れる事も敵わぬ集団殺法。
だが、その鉄壁の布陣は、少年の一歩であっさりと霧散した。

腹腔を突き破り、背中から内臓を引っ掛けながら飛び出しているのは左の貫手。限界まで開かれた口から血塊が、内懐に飛び込んだ少年の背中越しに床にぶちまけられる。
人間離れした速度で、剣を上段に振りかぶった暗殺者を貫き、包囲を潜りぬけた少年は、既に死骸と成り果てた物体を左手を差し込んだまま無造作に振り回した。
直後、死骸に次々と斬撃が食い込んだ。死骸に残っていた血液が飛沫を上げる。
少年は楯とした死骸をあっさりと放り捨てると、右手の刀を振り回した。
そこには型も何も無い。洗練さなど微塵も無い。
だが、妖しい光を宿した刀は、間合へと侵入していた二人の男の胴体を一太刀で薙ぎ断った。

爆発したように真っ赤な鮮血があたりに飛び散る。

そのあまりの人間離れした殺し方に、流石に追撃も途絶え、残る者達は慎重に少年から間合を取った。

金色の髪に紅色の彩りを添えながら、少年は法衣の男を振り返った。
この上無く凄惨。されど震えるほどに眼を離せないその幽遠なる仕草に誰かの喉が鳴った。

乾いた声が響いた。

「おまえたちのような者たちですら、流す血が赤い。人の皮を被った化け物のクセに…赤い血を流す」

法衣の男の顔に、既に笑みは無い。
引き攣った表情には恐怖が宿る。
少年は続けた。

「この世はとても理不尽だ」

闇をそよぐように、銀光がゆらりと光跡を残し掲げられる。

「おまえたちは、この理不尽な世を浄化するんだそうだが……」

凍った闇の中で、ただ金色の瞳だけが哄笑していた。

「なら、オレは貴様らを根絶やしにする事で、この世を浄化するとしよう」

――ダンッ、と一人が緊迫を破るように飛び掛る。
少年は刃を烈風へと変じ、男の膝下を切断した。上体だけが勢いのまま体当たりするように倒れこんでくる。
それを手の甲で弾き退ける。
男は頭部を圧壊させながら床板を突き破り、絶命した。

「貴様らが神に仕える者たちと名乗るのなら、俺は悪魔に魂を売った殺戮者と名乗ってやろう」

少年は、血に塗れた手を広げた。
指先を伝い、赤い赤い血の雫がポタリポタリと音を奏でる。

月と血の奏でを供として、金色の悪鬼は高らかに紡ぐ。


「神の僕と称する者たちに告げる」


少年は宣告する。


少年は宣告する。


闇すら慄く禍けき笑みを、その眼に宿して宣告する。






「死ね」





















――殺戮は迅速に執行された。


























月夜が照らす闇の奥で、おぞましくも長々と轟き続けた断末魔も、やがて尽きるようにしてその響きを絶やした。
やがて…白く仄かに浮きあがる『教会』のうらぶれた扉が静かに開く。
現れるのは黒衣の少年。
差し込む月光が、僅かに開いた扉の隙間より、神への祈りを捧げる神聖なる場を照らし出す。
ただ、紅に染め上げられた惨劇の場を照らし出す。
その死界もまた、扉が閉ざされる事により再び静寂の闇へと帰っていった。

『教会』を後にし、歩き出す少年の傍らに、闇から浮かび上がるように一つの人影が現れた。

「もう…それでは血の匂いは染み付いて取れないだろうね」

「構わない。それだけが俺が生きて、そして殺してる証だから」

その淡々とした答えに、人影――氷上シュンは哀しげに蒼瞳を揺らめかせた。
止まらない少年の少し後ろを歩きながら、氷上は少し調子を上げて問いかける。

「『五月雨龍征』…『絶・龍征』はどうだった?」

少年は少し歩調を緩めると、外套の外側に刀の鞘を指し示す。

「人間を豆腐みたいに両断できた」

その表現に幽かに眉を傾けながらも、氷上は納得したように云う。

「普通の武器なら、君の力に耐え切れないからね。折れるか砕けるのが関の山だ。その点、その刀は稀代の妖刀。僕が知る限り、最高の刀匠が打った最高の一品だ」

「御託はいいさ。だが、気に入った。貸してくれるのか?」

「あげるよ。それを君の牙にするといい」

少年は礼を云うように、刹那視線を氷上に向け、外套の奥へと鞘を収めた。
それから、しばらく二人は無言で歩いた。

やがて、少年が宿をとる旅籠の近くまで来たところで、氷上の足が止まる。
それを耳に留め、少年もまた足を止めた。

「三華がFARGOの連合討伐軍を編成している。今夜の連中は、その中心人物であるこの街の領主を暗殺するつもりだったらしい。彼らも切羽詰ってきたようだね」

別に暗殺を防ぐつもりだった訳ではない少年は、詰まらなそうに一度だけ瞼を上下させた。
氷上は続ける。

「FARGOも長くは無い」

その言葉の意図に、気付かなかったはずはない。だが、少年は何も云わず、意思を込めた氷上ですら彼に届かぬ事を確信していた。
少年が血に濡れた外套を脱ぎ捨てる。外套は地面に広がり、次の瞬間灰へと変じた。
少年はそれに振り向きもせず、歩き出そうとする。その背に、氷上がポツリと告げた。

「君は…殺す時、笑うようになったね」

ピクリ、と刹那、少年の身体が凍った。
ゆっくりと振り返る。無言のまま視線が交錯する。
輝きの失せた金色が、闇に滲んでいた。
やがて、視線が途切れる。
そして一言だけ氷上に言い残し、彼は歩き去っていった。

「『ブラディ・ムーン』を見つけてくれ、それで全てが終るから…か」

氷上は、彼が歩き去った闇を見据えた。一瞬、何もかもが虚しくなる。

「僕は…何をやってるんだ?」


あの後、結局氷上は少年の行動を助ける事になった。
別に彼に頼まれた訳ではない。ただ、一度助けてしまった以上、あのまま行かせる事が出来なかったのだ。
いや、破滅の道へと突き進むあの少年を見捨てる事が出来なかったというべきか。

そのクセ、やっている事は何かといえば、彼の復讐を助ける事。魔族から得た人外の力以外、何一つ持たない少年に、武器を与え、情報を与え、FARGOを殺戮する手助けをしている。
まさに、破滅の道を行く手助けをしているという訳だ。

もはや、彼に新たな道を行く術も、意思も、魂も無い事は理解している。だからこそ、心が軋む。
自分に出来る事は、彼の行く末を見続ける事だけ…ただそれだけ。

そもそも、人に指針を示す事を自らに縛める氷上シュンに、いったい何が出来ると言うのか……

「…馬鹿げた…話だ」

吐き捨てるような囁きを残し、氷上もまた闇へと溶け込んでいった。














世に一人の少年の名が知れ渡る


<FRAGO殺し>
<金色の修羅>
<月の殺意>


FARGO教団員を見境無く殺戮し続けた彼の名を、歴史書はこう記す


殺戮者(スレイヤー)>と



ただ、歴史書の何処にも



彼の本名は記されていない






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