独り、空を見上げる

白く滲む月がヒトツ

夜には星も無く、ただ月だけが独り浮かぶ


嗚呼そうなのだ、と少年は悟りえる

これが孤独と云うモノなのだと

少年はココロに刻む



視野には何も映らず

何も聞こえず

触れる指に心地は無い


過去は焼け果て

今を失い

未来を奪われた



知らなかった、と少年は呟く


死というモノはこれほどまでに甘美なものなのだと


死とは平穏なのだと



だが、少年は優しく身を包もうとする死の誘惑を

払いのけた

それが彼女の最後の願い故


ただ只管に少女の言葉に縋りつき、縛り付けられ



少年は無明の闇霧を歩み往く




















魔法戦国群星伝・異聞





< Despair Dead ― 2>











ある村の消滅から半年後





闇に閉ざされた森の隙間から光が漏れている。
夜空には半分に欠けた月が光を注ぎ、夜は穏やかに流れ行く。

森を照らす光源。そこは切り開かれた地に佇む仮初めの砦のような建物だった。
中からは笑い声、嬌声といった声に混じり女の悲鳴のようなものも聞こえてくる。
かなり多くの人の気配が漂うと同時に、森の奥深くに位置するのと相まって怪しげな雰囲気を湛えていた。

砦の周囲には幾人もの人影が一定の間隔で歩いている。
その手には槍や剣などが携えられ、完全に武装されており、それがこの砦に剣呑な雰囲気をも加えていた。


砦の中から聞こえる嬌声に、見張りの一人は不機嫌そうに壁を見上げた。
見るからに、見張りに回された自分の待遇に不満を抱く表情。
その羨むような眼差しから、光が消えたのは一瞬だった。

何かが噴き出す音が静寂の闇と声音響く灯火の狭間に流れる。
クタリ、と見張りの身体が倒れ込もうとするのを、彼の後ろに影を伸ばした男が抱え込み、音を立てないようにそっと横たえた。
その見張りに既に息は無い。いつの間にか掻っ切られた首筋からは、最後の鼓動が押し上げた血泉がしぶいていた。
見張りを殺した男は静かに周囲を窺う。そして瞳に満足そうな光を湛えた。
声を出さず、辺りからは合図が返って来る。数居た見張りは先の一瞬で、森の奥から襲い掛かった一団に全滅させられていた。それこそ、異変を訴えるヒマも無く。
見張りを全滅させた男たちは、手を振り翳す。それに促されるように、森からぞくぞくと武装した集団が現れる。
一目に異様な集団。眼光は狂的に研ぎ澄まされ、静かだが押えきれないような激情の気配を滲ませている。
その中には女やまだ大人になりきれていない子供すら存在した。
だが、その表情の奥底に澱む感情はすべて同一……暗い激怒



ゆっくりと砦の門が開いて行く。
それを前に、先頭に立つ一人の浅黒い肌の男が静かに宣告した。

「…皆殺しだ」

返事は返らない。
なぜなら自明であるが故。
ヤツらを殺すために、彼らは集ったのだから。


やがて、扉が開ききり、彼らは喚声も無く武器を振り翳し砦へと飛び込んでいく。
完全な不意打ち。
いきなりの事態に、砦の中で饗宴に耽っていた者たちは訳も分からず殺されて行く。
抵抗する者も、逃げようとする者も等しく惨殺されていく。

やがて、砦の者たちも、襲撃に気付き武器を手に抵抗を始めるが、奇襲に加え、襲撃者たちの狂的な猛攻を前に徐々にその数を減らしていった。







振り下ろした剣が空を斬り、地面へと突き刺さる。

「くそっ!」

罵声を上げながら彼は剣を引き抜きながら後ろに跳んだ。その眼前を剣風が薙ぐ。
その勢いに彼――薄茶色の髪を振り乱した少年は思わずよろけ、地面へと尻餅をついた。
少年の目に映ったのは嘲りの笑いを顔面に貼り付ける男の姿。
男は剣を振りかぶり、振り下ろす。
だがその切先が少年に届く寸前、閃きが闇を切り裂く。
悲鳴が響き、男は剣を放り出した。見れば肉厚な小刀が男の手の甲に見事に突き刺さっている。
少年は無我夢中で右手の剣を前へと突き出した。

肉を切り裂く、不気味な感触。
一拍の間を置き、蟇蛙のようなひしゃげた絶叫。
少年は剣を男の腹に突き刺したまま立ち上がり、自分もまた大声を張り上げながら体当たりするように剣を押し込む。
傷口から細く迸る血潮に胸を濡らしながら、少年は男を押し倒した。
涙を流しながら苦痛の悲鳴を上げる男。だが、少年はそんな事に構うことなく、男に馬乗りになり、剣を引き抜き、何度も何度も突き立てる。
吹き上がる血が顔を、髪を、身体中を濡らして行く。染め上げて行く。

「おい、もうやめとけ」

唐突に、肩に手を置かれ声をかけられる。
そこでようやく少年は、相手が死んでいるのに気付いた。見るも無残に成り果てた骸と化した男。これを自分がやったのだと今さらのように意識する。
少年は沸きあがる何かを振り払うように首を振ると、肩に手を置く誰かを振り返った。
大柄な髭面の中年。恐らく、先ほど小刀を投じ自分の危機を助けてくれた男。

「まったく、殺すのに慣れてねえからそんなんになるんだ。無様だぜ」

少年はチラリと一瞬だけ視線を交錯させると、無言のまま踵を返して走り去っていった。

「ふん、相変わらず愛想のねえヤツだ」

髭面はグチャグチャの肉片になった死体を爪先で蹴りながら、周囲の様子を窺った。
すでに剣戟の音は途絶えつつある。

「おい、その娘らは?」

髭面は、顔見知りの双剣使いの女が二人のマントに身を包んだ少女を抱き抱えるように連れているのを見て声をかけた。
双剣使いは答えず、避難がましい視線を髭面に向けた。

「いや、悪い」

自明の事を聞いてしまったと、髭面は顔を歪ませ謝罪を口にする。
分かりきった事だ。この少女たちは生き残り…この砦の連中が襲い全滅させた村から連れてこられたに決まっている。
彼女たちの表情を見れば分かる。それは全てを失った絶望の面差しだ。自分たちと同じように

髭面は右手の槍を地面に叩きつけるように突き刺し、人が持ちうる最大の激情を込めて呟いた。

「畜生…絶対ぶっ潰してやる…殺してやるぞ、FARGOめっ」







――FARGO教団

つい数年前まで名前どころか存在すら知られていなかった小さな宗教組織。
それが、今やこのグエンディーナ大陸で知らぬ者はいない。

良き意味での名声ではない。限りないまでの悪名だ。


無名の宗教組織だった彼らが、急速に勢力を伸ばしていくのを、当初、大陸の人々は無関心に見守った。
特に自分たちに関わりのある事だとは考えていなかったのだ。
だが、その無関心は教団が本格的な活動を開始するに当たって、見事に恐怖にとって変わる。

彼らの教義は世界の浄化。
いずれこの世界に降り立つであろう天の御使いを招く事。
世界の汚れを清める事

神聖なる言葉に彩られたその教義の意図は、即ち滅亡――終末思想/破滅信仰。

人々が気付いた時、FARGOは強大な破壊集団と化していた。

大陸中、幾つもの村や街がFARGOの尖兵に襲われ…全滅した。
情け容赦のない殺戮。
彼らはそれを浄化・生贄と称し、喜々として各地を荒らしまわる。

そんな連中の中ですら特別視される集団がある。
FARGO採血部隊『ブラッディ・ムーン』
FARGOの中でも特に凶悪で、戦闘力に優れ、暴力的で、残虐さを知られた彼らこそ……


少年の住む村を壊滅させた張本人だった。



その事実を、少年が知るのに大した時間はかからなかった。

そして、復讐に思い至る時間も……


少年は最初、死ぬつもりだった。
全てを失い、生きる意思を失った少年が、死を思い留まったのは少女の「生きて」という最後の願い。
その最後の願いを破ることなど、少年に出来る筈もなかった。

例え、明日を信じなくなったとしても
どれほど、絶望に染まろうとも

彼は生き続ける。

まるで、彼女の言葉に呪われたとでも云うように…

もはや、彼は笑うことすら出来ない。

彼の生きる糧は復讐…FARGOを根絶やしにするという血に濡れた復讐。
かつての少年を知る者なら言葉を失っただろう。それほど少年の様子は変貌していた。常にふざけて周りに笑いを振り撒いていた少年は、今や闇に閉ざされ、感情を無くし、ただ殺意と死の気配を振りまく凶ッ人。


もっとも、過去の彼を知る者はもはや誰もいないのだが…。





何もかもを失い、死人のように彷徨い歩いた少年が行き着き、身を寄せたのはとある傭兵団だった。


大陸各地を荒らしまわるFARGO教団に、当時の三華大国―≪東鳩帝国≫≪カノン皇国≫≪御音王国≫は有効な対抗策を取れなかった。
当時、この三国は通商政策の拗れを端に発した三つ巴の緊張状態に陥っており、三国を自由に行き来するFARGOの採血部隊に対して積極的な行動を取れなかったのだ。
同時に、彼らの本拠である総本山が、大陸の中心部―三華の国境を跨いだ土地に存在した事も、直に手を出しかねる状況を招いていた。

だが、跳梁跋扈すFARGO教団の被害が急増するに至り、三華はFARGOに対し莫大な賞金を賭け、傭兵団を編成する。

金目当てに集まった者も多かったが、家族を殺され、復讐のために傭兵隊に入った者もまた多くいた。
少年もまた…それらの一人だった。



「ちゃんと喰ってるか、小僧」

傭兵団が駐屯する野営地。その隅の方で配給された食事をもそもそと口に運んでいた薄茶髪の少年は、唐突に降り注いだ大声にチラリと澱んだ眼差しを上目を向け、何も答えず視線を落とし、また黙々と食事を口に運び始める。
声をかけた髭面は、機嫌を害するでもなく、どっかと少年の横に座り込むと、ぬいっと右手に持った瓶を差し出す。

「喰ってばっかじゃ詰らんだろ。呑め」

少年はしばらく目の前に差し出された瓶を見詰めていたが、引っ込めようとしない髭面の様子に諦め、瓶を受け取り、あおる。
そのまま、ゴクゴクと飲み干し、無言のまま差し返した。

「………」

髭面はなんともいえない表情で、受け取った瓶を逆さにし、一滴も残ってないのを確認して呆れたように呟いた。

「ぬう、てっきり一口飲んだ途端、ブハッと吹き出して「酒じゃねえかっ!」と叫ぶ展開を予想してたんだが……いける口だったとは」

少年はといえば、再びもそもそと作業の用に食べ物を口へと運ぶのを再開していた。
髭面は苦笑を浮かべて立ち上がる。

「ま、いいか。また今度酒でも付き合えよな」

「おっさん」

立ち去りかけた髭面は驚いたように振り返る。
この少年は自分に対して返事はしても、呼び止めるような事をしたのは初めてだったからだ。
少年は暗い焦げ茶の眼差しを髭面に向け、ぽつりとかすれた声で呟いた。

「今日は…助かった。ありがとう」

「ふん、礼でも云ってるヒマがあったら腕をあげろ。何時までも素人だと死ぬぞ」

口ぶりは荒っぽいが、その表情がにやけていては迫力もあったものではない。
髭面は来た時よりも上機嫌に、少年の居る場を離れた。


「えらく、あの子を気に掛けるんだね」

いきなり横合いからクルクルと宙を舞う酒瓶とともに声がかけられる。
髭面は酒瓶を掴み、飛んで来た方に顔を向けた。すると、濃紺にすら見える黒髪が眼に飛び込む。
顔見知りの双剣使いの女。
髭面はフンと鼻を鳴らし酒瓶をあおる。

女はチラリと食事をしている少年を振り返り、呟くように云う。

「まともに喋りはしない。反応もしない。感情が無いみたいな陰気なガキじゃないか。なんだってそんなに相手をするんだい?」

「息子に歳が近いんだ」

髭面がぼそりと云う。
憮然とする女に、髭面は酒をあおりながら続けた。

「だいたいよ。ここにいる連中は大概、あの坊主と似たようなものじゃねえか。どいつもこいつも腐った魚の目だ。まあ、オレもだがよ」

自嘲するように笑う。

「どいつもこいつも死に急いでて、それでいてヤツラを皆殺しにするまでは死んでも死にきれないって狂人ばかりだ。多少、酔狂な真似したって大したこっちゃねえだろ?」

「ま、そりゃそうだけどね…」

女は肩を竦め、髭面から遠ざかっていった。
髭面は少年を振り返り、独りごちる。

「…全てを失い、復讐に生き、復讐に野たれ死ぬ…か。あの坊主は…どうなるのかね」

そういや、アイツの名前も知らなかったな、と髭面はふと思い至り…苦笑した。










客観的に見て、彼ら傭兵団が、歴戦の部隊であったかといえば、疑問符をつけざるを得ないだろう。
構成メンバーで技量レベルの高い者は極少数であり、その過半数は素人に毛が生えたようなものだったからだ。
だが、三華が最優先で回した情報、ユーリカ大陸流れの傭兵隊長の指揮能力、そしてメンバーの狂的な士気の高さがこれを補っていた。
敵であるFARGO採血部隊の多くもまた、ただの無頼集団に近い程度のレベルに過ぎなかったのも、傭兵団がかなりの戦果をあげた理由になるだろう。

だが…勇猛と狂奔で知られた傭兵団にも終焉の時が訪れる。


FARGO最悪の武装集団『ブラッディ・ムーン』による奇襲である。






それは、傭兵団がFARGOの隠れ支部。即ち各地の村々を襲撃するFARGO採血部隊の秘砦の一つを発見したとの情報を受け取った事から始まった。

傭兵団は、その支部へと向かったものの、先行した偵察部隊からの報告で、そこがもぬけの殻だと知り、進軍を停止する。
幾度か、少数の偵察を砦に向かわせたが、その結果完全にそこが無人と判明する。
既に放棄された支部だと判断した傭兵団の隊長 グエン・ラン・フーが最後の確認と、残された資料を手に入れるために砦に足を踏み入れた時、それは起こった。


突然巻き起こった凄まじい震動が森を揺るがす。
砦から少し離れた広場で待機していた傭兵団の一隊。その集団の端で木の幹に寄りかかってウツラウツラとまどろんでいた髭面は、その震動と爆音に弾かれたように飛び上がった。

「なんだ!? 何事だ!?」

「わかんねえっ!!」

髭面のすぐ隣で瞑目するように陰を纏い佇んでいた少年が、怒鳴り返す。
普段のボソボソとしか喋らない彼からかけ離れた反応。それだけ動揺していたのか。
周りの傭兵たちも、かなり混乱したようすで口々にざわめき立てている。

そこに、まるでタイミングを計っていたかのように一人の人影が駆け込んでくる。
砦の方に先行していた部隊の一人だった。
その彼が蒼白となりながら絶叫する。

「大変だ! 砦が爆発したぞ!!」

誰もが一様に絶句した。


それは完全な罠だった。
砦の各所に仕掛けられた膨大な量の火薬が、外部からの操作により一斉に爆発したのだ。
この爆発で、傭兵団隊長 グエン・ラン・フーは爆死。
素人集団を良く纏め上げ、歴戦の部隊に勝る戦果を上げさせていたユーリカ大陸流れの外国人傭兵隊長はこの瞬間をもって歴史の舞台より退場する。
同時にそれは、この傭兵団が烏合の衆へと成り下がってしまった瞬間でもあった。


いち早く、事態を悟ったのは髭面だった。
彼は呆然とした表情を一変させ、羅刹のような凶悪な面差しになり咆え叫んだ。

「てめえら! すぐに武器を取れ! 敵がきやがるぞぉ!!」

その絶叫と重なるように、南の方から悲鳴と怒号が鳴り響いた。
髭面は怒りも露わに罵り声をあげた。

「畜生! もう始まってやがる!」

事実、南側に布陣していた傭兵団の一隊は完全な奇襲を受け、この時点で既に壊滅していた。

髭面は、事態に付いていけず呆然としている少年の襟首を捕まえるとその顔を覗き込み、叱り付けるように言い放った。

「おい、坊主! 俺から離れるなよ。ここはもうすぐ地獄にかわる。いつもみたいにフラフラしてやがったらすぐに殺されるぞ、分かったな」

「うるさい!! 俺は殺すんだ! FARGOのヤツラをころ―――」

「いいから…聞け」

一瞬、吹き上がりかけた殺意は、髭面の押し殺したような低い唸りに掻き消された。

「わか…った」


そうこうしている内に、南の方から大勢の人間が駆けて来る気配が押し寄せてくる。
髭面は、既に南側にいた部隊が全滅したのを否応無く理解した。

そして、少年が属する部隊もまた、混乱に犯されたまま戦闘へと移行した。















何もかもが蹂躙されていく。

紅に染め上げられた長衣を纏い、武器を携えた男たちが凄まじい勢いで殺戮を繰り広げていた。
傭兵たちも、狂ったように反撃する。その誰もが、このFARGOに身内を殺された者たちだ。降伏を考えることなどありえないし、同時に逃げる事すら考えない。
ただ、ひたすらに武器を振り翳し、一人でも多く殺そうと、道連れにしようと紅長衣の男たちに襲い掛かり……殺されていった。

幾ら傭兵達の多くが、ついこの間まで一般人だった素人とはいえ、あまりに一方的な展開。
指揮官を失った事を考慮しても、このFARGOの武装集団の強さは桁違いだった。
一人一人があまりに強すぎる。

そして、紅長衣の集団は、その末端に至るまで、冷酷で、残虐で、人の情など欠片も持ち合わせていなかった。
復讐に煮えたぎる傭兵たちを嘲笑い、その無力を貶し、踏み躙りながら虫けらのように殺していった。



目の前で繰り広げられる殺戮に、少年は熱に犯されたように血の滴る剣を引きづりながら飛び込もうとして…
いきなり太い腕に首元を抱きこまれ、木陰へと引き摺りこまれた。

「離れるなっつっただろう」

顔の陰影を濃くしながら髭面が疲れたように少年に言い放つ。
だが、少年は暴れるように首を振ると、泣きそうになりながら、

「殺されてるじゃねえかっ! みんながっ! 畜生、離せよっ! みんな殺されちまう! 離せよぉ、離せって言ってんだろ!!」

幾ら、誰ともまともなコミュニケーションを取らなかったとはいえ、数ヶ月の日々を共に過ごした連中だ。
それが次々に殺されて行く様子に、少年は正気を保てない。狂ってしまいそうになる。

それは…少年にとっては村を全滅させられた情景…その再現そのままだった。
彼が見る事の無かった、そして現実に行なわれたFARGOによる殺戮がここに繰り返されている。
そんな光景を見せ付けられ…耐え切れるはずがない。

だが、狂ったような叫びは、いきなりの頬への殴打に無理やり黙らされた。
その加減の無い拳に、少年は地面に叩き伏せられる。
髭面は面倒そうに殴った拳を振りながら、無感情な声で言い降ろす。

「自惚れるなよ。てめえ如きが何しようともうダメなんだよ。もう手遅れ、お終いだってーの。まったく…頭の悪いガキだぜ」

「取り込み中かい?」

余りに無責任な言い草に、怒りに任せて怒鳴り返そうとした少年だったが、唐突に横合いからかけられた涼しげな声に思わず押し黙る。

「よう、アンタか。まだ生きてたか」

「生憎とね」

そう素っ気無い表情を浮かべて、双剣使いの女は一つに纏めた長い黒髪を揺らしながら首を竦めた。

「アイツら…例の噂の部隊みたいだね」

「ケッ、あれが…『ブラッディ・ムーン』か。最悪だな」

その名を聞いた途端、駆け出そうとした少年は、髭面に足を払われ転倒した。そのまま上に圧し掛かられ暴れるも身動きが取れなくなる。

「どうしたんだい? この子」

「さあな、どうせヤツらがコイツの直接の仇なんだろうよ」

「なるほどね」

アタシのご同類か、と小さく呟いた女は、慎重に剣戟が繰り広げられている戦場を覗き見た。

「やあ、みつけたよ」

その声に、髭面もゆっくりと顔を伸ばす。

「ほう」

そして、押さえつけた少年の首を持ち上げ、苦しげに唸る様子にも頓着せず、少年にも見えるように無造作に動かす。

「見ろ、そして覚えておけ。あれが高槻だ」

その名に、暴れていた少年の動きがピタリと止まる。
少年は、限界まで目を見開き、双眸に焼きつけるようにその男を見た。



嗤っている――

楽しげに嗤っている――


馬上から、殺戮を睥睨し、死にゆく者たちを嗤っている。

甲高く、虫唾の走る声で

――嗤っている。


「狂人揃いのFARGOの中すら怖れ忌み嫌われている採血部隊『ブラッディ・ムーン』 その隊長であり、狂犬の名で知られる人の形をした悪魔…高槻だ。覚えろ、そして忘れるな。あれがお前の仇だ」

髭面は云う。
少年は無意識のまま、小さくしっかりと頷いた。

その二人をチラリと視線を送った双剣使いの女は、立ち上がりながら問いかける。

「さて、アンタ…どうするんだい?」

「こいつを連れて行く」

「そうかい。じゃあ、ここでお別れだね」

「ち、ちょっと待てっ! いったい何云ってるんだよっ!?」

女は混乱を浮かべ叫ぶ少年に向かって、ニコリと微笑んだ。
これまで、まともに微笑一つ浮かべなかった女が、初めて見せた笑みだった。
そして、それはとても綺麗だった。この世のものとは思えないほど……

「アタシにもさ、アンタぐらいの歳の弟がいたんだわ。ま、あんたより可愛かったけどね。だからかな、嫌いじゃなかったよ。じゃあね、ボク」

そう口づけを交わすように言い残すと、女は軽やかに身を翻し、背中に括りつけた鞘から剣を抜き放ち両手に携える。
そして、戦場に向かって獣のように走り始めた。

「待て! 待ってくれ!」

置いていかれる。

何故か少年はそう思った。

何もかもから、置き去りにされる…と、何故か少年はそう思った。

その頭がぐっと押えられる。

「さて、逃げるぞ」

「あん…たはぁぁぁ!」

湧き上がる怒りは憤怒となり、少年は意識を真っ赤に染め上げ、髭面を跳ね飛ばした。
そのまま、髭面に飛びかかろうとして…硬直した。

「なっ……あ、あんた…」

「ケッ、相手の具合にも気付かない未熟者が特攻したってな、そりゃ無駄死になんだよ。そんなんじゃ、連中を殺すことなんざ出来ないぜ」

髭面は、血の滴る脇腹を押えながら、そう云って笑った。

「いつ…から」

「ま、けっこう最初の方だな。ったく、だってのに暴れまくりやがって」

少年は呆然と、髭面の傷を凝視する。僅か半年近くしか戦闘経験の無い少年だったが、その傷が間違いなく致命傷なのは否応無く理解できた。

その時、背後で喚声が上がる。
振り返った少年が見たものは、数人のFARGOの連中を道連れに、切り刻まれて行く双剣使いの女の姿だった。

少年は双眸に焼き付ける。女の凄まじい眼光を…
自分が殺されて行く様を恍惚と見下ろす高槻を、呪い殺すように睨みつける女の眼差しを…

それが、先ほどの笑みと彼女の重なり、少年は悲鳴とも怒りとも付かない唸りを漏らした。

「行くぞ」

「逃げる…のか? 嘘だろ? 何でだよ…俺は…俺はヤツらを皆殺しにする…ヤツラを殺してやるんだッッ」

涙混じりのその声を、髭面はあっさりと斬り捨てた。

「だったら逃げろ。ここで死んだら意味が無い。それともお前はむざむざ高槻の野郎に殺されたいのか?」

少年の脳裏のあの言葉が過ぎる。
「生きて」という少女の言葉が……

まだ死ねない。
こんな所で、まだ死ぬ訳にはいかない。

少年は心を掻き毟るような苦痛を覚えながら、小さく髭面に向かって頷いた。

「そうか、なら行こう。彼女がヤツらの目を引いてくれた。こっちにゃ気付いてないだろう」

「畜生…畜生ぉぉ…」

FARGOへの怒り、仲間が殺されていく事への悲しみ、そしてその殺戮の場から逃げ出すという屈辱と悔しさ。
そんな涙を流す少年の頭を、髭面はポンポンと叩いた。

歩き出した彼らの背に…


高槻の甲高い笑い声が鳴り響いていた。











森の奥へと歩き続け、既に五時間近くが経とうとしていた。
追っ手は無い。
どうやら、彼らの逃亡は見つからなかったらしい。
もし気が付いていたなら最後まで追ってくるはずだ。ヤツラは全員を皆殺しにするまで執拗に全てを追い詰める。
それが来ないという事は、気が付かなかったという事だろう。
だが、彼ら二人が逃げ延びたとはいえ、傭兵団は壊滅した。もう再生する事はないだろう。
あの浅黒い肌の外国人の隊長が死んだ今となっては、傭兵団を纏める事の出来る人材は在野にはいない。
FARGOを狩る傭兵たちは、ここに名実ともに終焉を迎えたのだ。


突然、それまでしっかりとした足取りだった髭面がよろよろと木の幹に腰を降ろした。
それに気付いた少年が慌てて駆け寄る。そして声をかけようとして、自分が彼の名前も知らない事に今さらのように気が付いた。

「おっさん」

「へへっ、流石にここまでかぁ」

髭面は未だに出血の止まらない脇腹を押えながら、天を見上げて楽しげに笑った。
男の下半身は流れ出た血に染まり、色黒く変色している。
森を辿れば、足跡が血に濡れている事が分かっただろう。

「なんでおっさんは…俺のことを――」

「さあなあ。理由は特にねえよ。強いて云うならヤツラに殺されたガキに歳が近いってぐらいか。別にお前に似てはいないぞ。もっと理知的だったしな、息子は」

「…………」

「だがな、別にお前を助けた訳じゃねえぞ。お前の眼を見りゃ分かる。お前はもう、まともに生きられない。もう、普通に生きる事が出来なくなったヤツの眼だ。俺はお前に更なる地獄を見せるためにあの場を連れ出したんだろうよ。きっとあそこで死んでた方が幸せだったんだろう。それを分かっていながら俺はお前を連れ出した」

「…おっさんは…おっさんはどうなんだよ! 家族、殺されたんだろ!? 復讐するんだろ!? こんな所で…」

「無責任だがよ…ははっ、俺はもう疲れちまった。恨むんなら恨んでいいぜ」

その力ない笑みに、少年はかける言葉を無くしてしまった。
髭面はそんな少年をどこか悲哀をこめて見詰める。

「小僧、良い物をやろう」

そう云うと、髭面の男は懐を弄り、一枚の呪符らしきものを取り出して見せた。

「これは?」

少年は受け取ると、訝しげに眺める。

「偶然手に入れた代物だ。ククッ、何でも魂と引き換えに、すげえ力を与えてくれる魔法の札だそうだ。知り合いの魔導師はよく分からんが本物だとか抜かしてたよ」

髭面は息を荒らげながら、自嘲するように笑った。
死相が急速に濃くなっていく。

「嘲笑え…俺は使えなかった。ビビッちまった。魂を失うのが怖かったんだ。家族を…何もかもを失ったくせに、自分の魂を惜しんだんだ…俺は」

「おっさん」

「使うか、捨てるかは、お前が決めろ」

男はそう言うと苦しげに閉じた瞼を薄く開け、少年の泣きそうな顔を見上げた。

「そういや、お前の名前…聞いてなかったな。何て云うんだ?」

少年は一瞬迷ったように息を呑むと、決然と自分の名前を告げた。

「そう…か。悪くない名前だな。覚えといてやるよ。冥途の土産って訳じゃないがな」

そう云うと髭面は静かに目を閉じて深く息をついた。

「おっさん! おっさん!」

「お前にそんな代物を残して云えたセリフじゃねえがよ」

泣き喚く少年の叫びを聞きながら、髭面はもう瞼を開く事無くどこか寂しげな笑みを浮かべた。

「俺は…家族に会いに行くよ」



それが最後の言葉だった。












夜の闇に閉ざされた森を彷徨う一人の人影。
面差しを虚ろに染めた少年が、森を歩く。

独り、孤独に森を彷徨う。


あの髭面の骸はそのまま捨て置いた。
そうしてくれと、云われたような気がしたからだ。
右手には、あの男から貰った呪符が握られている。

また、失ってしまった。
新たに得たかもしれなかったモノを、また完膚無きまでに失ってしまった。
いや、奪われたのだ。
奪い、壊され、粉々に砕かれたのだ。

やったのはFARGO。
そして高槻という悪魔。


一週間近く、少年は森の中を彷徨った。
彷徨いながら、少年は考えた。
ただひたすらに考えた。

考えるまでも無い事が一つある。

自分が無力だと言う事。

やつらを皆殺しにする力どころか、ヒト一人殺す力すらまともに持たない事。

所詮は、つい半年まで争いごととは縁の無い、ただの一般人でしかなかったのだ。
まだ、僅か十七歳の少年に過ぎないのだ。
限界が見えてしまった。

ヒトとしての限界が……


「魂…か」

少年は男の残した呪符を取り出し、虚ろな眼で見つめた。

「あの世なんてあるか知らないけど、魂をなくしたら、もうあいつにも会えないんだよな」

あの男が云った最後の言葉が耳の奥で奏でられる。

――家族

そう、家族だ。

両親の顔が、妹の笑顔が
そして、彼女の偉そうに自分を叱る姿が脳裏に映る。

少年は、薄く笑みを浮かべ呪符を掲げた。


そうだ……ヤツらはみんなを殺したんだ。
なら、俺はヤツらを殺し尽くさなければいけない。
生きている限り、ヤツらを殺し続けなければいけない。
許せないからだ。ヤツらが生きているのが。みんなを殺してのうのうと生きているヤツらが…
そして、今なお自分と同じような人間を生み出し続けているFARGOが……

これは義憤ではない。
ましてや正義などではあるはずがない。

――歪み、壊れ、闇と狂気に染まった復讐だ。

なら、魂ぐらい売り払ってやろう。
すべてを失った自分に最後に残されたモノを、捧げてやろう。

それで、力を手にいれられるのならば…安いものだ。

自分の魂など…本当に安いものだ。

例え、二度と再び最愛の人たちに会えぬとしても……
この世で無い場所での再会など、未練は無い。

後悔は……無い



少年は呪符を掲げると、呪符に書かれていた呪文を読み始めた。

「天を…切り裂く…牙持ちし…狼、我…汝との…契約を結ばんと…欲す。門は…開かれた。今…今、ここにその姿を現せっ!」


その瞬間、呪符から凄まじい光芒が閃く。
少年は思わず、顔を背け後退った。

目の前の地面に光り輝く魔法陣が描かれて行く。

突風が巻き起こり、風塵がすべてを覆い隠して行く。


一陣の風が舞った。

呆然と立ち尽くす少年の前から、すべてが薙ぎ払われて行く。


そこに…それは佇んでいた。

金色の長髪をなびかせ、爛々と輝く黄金の瞳を愉快げに細めた一人の魔族が。

「うっ…ああ」

魔族は白い牙を剥き出し、立ち竦む少年を見下ろしながらおもむろに告げた。


「我を召喚せし者よ。汝が望む欲望を告げるがいい」

そして、嘲るように小さく笑った。

「魂を代価として、汝が浅ましき望みに、我は応えようぞ」


静かに冴える月光が、無言で夜闇に二人を照らしていた。








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