失われた聖地 聖殿内最奥 孤聖の間





静謐の具象――

淡くも儚げな光が、その暖かげな印象とは正反対の寒々とした空気を、この広大な空隙の中に満たしていた。
白大理石のように白い壁。そこには隙間の無いほどに美麗な紋様が描かれていた。
そして無数の装飾が掘られた壮麗な柱が無数に連なっている。
天井は、ここが山中に穿たれた空洞の中である事を忘却させるほどに高い。
また、広さそのものも、幾千人もの群集を収容できるのではと思わせるほどに広大だった。

その寒々とした空隙の中で、ソレはただ黙したまま身動ぎもせずに蹲っていた。

一戸建ての家に匹敵するかのような巨体。
深淵の闇をくり貫いて染め上げられたかと見間違うような、光すら飲み込む黒色の皮膚と毛並み。
さながら、竜とも獣とも、もしくは人とも表現し得、また当てはめることの出来ない異形の姿。
幅広い肩口には、双方に巨大な蛇と獅子の首が植え付けられており、また中央の頭部には背中にまで伸びた一対の角が栄え聳えていた。
そしてその背中には、麗しいとしか言いようの無い八対一六翼の漆黒の翼が―――

やがて、身動ぎ一つしなかった異形の、丁寧に折りたたまれた翼が、ゆっくりと花開くように広がっていく。
重たげな頭が持ち上げられ、閉じられた瞼から真紅の宝石の如き双眸が光を放った。


――我が願いは何処――


言葉は大地を揺るがす震動となり、波となって広がり往く。


――我が眼差しが先は何処――


言霊が溢れんばかりに≪孤聖の間≫へと満ち満ちて、空気が怯え縮こまる。


――我が迷走の征途に立ち塞がるは、誰ぞ――


静謐を破壊するけたたましい炸裂音。
大聖堂≪孤聖の間≫の門が打ち破られ、8人の小さな人間達が雪崩を打つように飛び込んできた。


「ガディムッ!!」


それは白翼の如き剣を振り翳した少年の魂からの咆声。

混沌の王、浄化たる破壊と新たなる創世の神――ガディムは天と地を震わせながら、その身を起こし、睥睨する。

雄雄しく、荘厳に睥睨する。


――運命に逆らうは、誰ぞ――



広大なる空隙にこだまする、それが最後の戦いへの導きの鐘であった。
















魔法戦国群星伝








< 第八十一話 孤高なる神の征途 >





幾多の戦場を駆け巡り、幾多の地獄を渡り歩いてきた。
その経験を踏まえてなお、見渡す視界の内側は絶えがたいまでに酸鼻を極めていた。

上泉伊世は血臭と腐臭の入り混じった吐き気のする空気に、顔を顰めながら鼻を襟元で覆いつつ毒づく。

「ひどいね、こりゃ」

子供ばかりでなく大人が見たとしても、一月は悪夢に魘されるであろう惨状が拡がっていた。
何処を見ても、眼に焼きつくのはおぞましい血糊。元々、体内のようなこのホールの壁から天井にいたるまで、べったりと血液を主力とする体液の跡が塗り込められていた。
また、元はどこの部位であったかも定かではない肉片が、辺り一面に散らばり、張り付いている。猟奇的…とはこの事を言うのかと得心せざるを得ない情景だった。

ここに居た生命体の中で原型を保っているのはこれをやった本人と自分、それと中央の柱に埋め込まれている月宮あゆだけだった。
上泉伊世は肩にこびりついた臓腑の破片を嫌そうに剥がしながら、溜息をついた。

「まったく、運が悪かったね。本気で怒った奈津子の前に立っちまったんだから」

盛大に飛び散った鮮血に汚れた自分の着流しを、情けない視線で眺めながら独りごちる。

『蒼の決壊』――『蒼天の羽衣』とも呼ばれるそれは、人類種族の特異点たる神室の一族に備わる異能の中でも最も凶暴な力の一つだ。
触れるだけで全身の体液が沸騰し、内部から惨たらしく爆散する蒼い光帯。
まるで天女のように光を纏うその姿から、羽衣の名を冠するこの力。その身震いするほどの美しい見た目とは裏腹に、その力が過ぎ去りし後は阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される。
不意打ちに近かった事もあり、魔族たちは何事が起こったのかも理解する間も無く、するするとフロア中に広がった蒼帯に撫でられ、絡み取られ、原形を留めぬまでにバラバラに爆ぜ飛んでしまった。

相沢奈津子…普段は傲然としながらも実際はなかなか感情を激しく揺るがさない彼女は、滅多に怒る事も無い。
旦那や息子などを怒鳴りつける事は多々あるが、それだとて本気で怒っている訳ではない。あれは一種の愛情表現であるのだし。
それだけに、彼女が真に怒った時ほど恐ろしいものは無い。付き合いの古い伊世はその事を嫌と言うほど身にしみてよく知っている。
完全に見境を無くし、破滅と暴虐の具現と化すその姿はまさに災厄の名に相応しい。
彼女を怒らせるより怖い事と言えば、それこそ水瀬秋子を怒らせる事ぐらいだろう。
幸いにして、伊世は秋子が怒るところを見たことは無かったが。

伊世は、何か柔らかいものを踏みつけた感触に、自分の草履の裏側を見て不機嫌そうに唸る。
潰れて底に張り付いた眼球を、脚を振って引き剥がし、薄く水辺のように鮮血が溜まった床を歩いた。

気持ち悪いね。こっちは草履なんだよ、アンタはブーツだから気にならないだろうけどさ。

伊世は足袋に染み込んでくる最悪な感触に胸中で毒づきながら、当の惨劇の当事者を少々恨めしげに見やった。

「気は済んだかい?」

佇んでいた奈津子が振り返る。ムスッと顔を顰めている。まだ怒りが晴れていないのか、それとも自分が巻き起こした惨状に自戒しているのか。見た目ではどちらか判断できない。

「その言い方だと、私が八つ当たりでもしていたかのようだ」
「違うのかい?」
「違わない」

無感情にそう言い捨てると、奈津子は血臭も気にならない様子であゆの元へと歩み寄り、下から見上げる。
阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている最中にも、あゆは目を開かずに深い昏睡の中にあった。
それは少女のオブジェのように。
だが、肉塊さながらの柱に埋め込まれている姿は、彼女の白さ、そしてその背から柱へと磔にされている一枚の翼の色と相まって、余りにおぞましく退廃的だった。
とてもではないが、このままの姿で居させるには耐え難いものがある。
奈津子は心持ち瞳を細め、眠るあゆを見上げたまま振り返りもせず問い掛けた。

「老師、斬れるか?」
「斬れと言うならね」
「じゃあ、斬ってくれ」

あっさりと言う奈津子に肩を竦め、上泉伊世は背中の肩を抜き放つや、床に溜まった血溜りに飛沫も立てずにフワリと飛び上がった。

「シャッ!」

短い呼気が迸ると同時に太刀の姿がブレ、刃が疾る。
血溜りの上に音もなく着地する女剣客。
芸術的な太刀筋は、刃に血糊一滴も残さない。
曇り一つ無い刀身を、軽やかに振り払い、背中の鞘にカチリと収める。

―――ブシャァァァ

恐らく、その柱は何がしかの生体型機関だったのだろう。網目状に走った線から青褪めた液体が溢れるように周囲へと噴出した。
次の瞬間、肉の柱は幾多の肉片へと姿を変え、崩壊した。
あゆの白い裸身もまた、柱からずり落ちるようにして、床へと落下する。
そのあゆを受け止める女が独り。
相沢奈津子は降り注ぐ青い液体や肉片を振り払いつつ、落ちてくるあゆを抱きとめた。

素早く状態を確かめ、外傷が無い事を確認する。そして、心音や呼吸から彼女が正常なことを確かめ、ホッと安堵の吐息をつく。
そして、ずり落ちそうになる少女の身体を抱きなおし、奈津子はそっと微笑んだ。
昔、遊び疲れて眠ってしまったあゆを、ベッドまで運んだ事を思い出す。

「昔はあんなに小さかったのに…重くなったものだ。八年か…その年月は長かったんだな」

「奈津子、とりあえずここを出るぞ。正直たまらないよ」
「分かった。あゆちゃんに見せられるものでもないからな」

皮膚まで染み込んできそうな濃密な血の臭いに顔を顰める伊世に、奈津子もあゆを抱きなおしながら頷く。

血と肉片だけになったフロア、あゆの囚われていた部屋を出た奈津子と伊世は、しばらく来た道を戻り 通路脇に開いていた小さな居室を見つけ、誰も居ない事を確かめて入り込んだ。
伊世は敵がいきなり侵入してこないように、入り口付近に見張りに立つ。
奈津子はあゆを抱えたまま、部屋の中を見渡した。特に装飾も無く、だが幾つかの家具が置かれた部屋。
かつては教団員の寝室だった部屋を、誰か人型の魔族が使用していたのだろうか。埃があまり溜まっていない部屋の状態を眺め、奈津子はふとそう思った。
幸いにも簡易的なベッドらしきものを見つけ、あゆをそこに運び入れる。

「う…ん」

ベッドに寝かせたその時、それまで一定のリズムで呼吸を重ねるだけだったあゆの呼気が乱れ、表情が苦しげに歪められる。

「お…かあさん、おとう…さん……ゆういち…くん」

魘されているのか、擦れた声で呟くあゆ。奈津子は彼女を無理に揺り起こさずに、そっと右手を握り、もう片方の手であゆの手を覆った。
そして、ふと思い出したように瞳を細める。
昔…そう、あゆが一週間だけ相沢家に逗留していた時、こうやって魘されている彼女の手を握った事を思い出して。
あゆの手が、強く求めるように奈津子の手を握り返してくる。

奈津子は改めて、瞼を閉じる少女の寝顔を間近から眺めた。
そっと、片手で乱れた栗色の前髪を梳き整える。

「しばらく見ない間に、こんなに綺麗になって」

子供はその姿を見失っても、絶えず成長を続ける。
珠のように可愛らしかった女の子が、こうして一端の美少女へと容姿を変貌させている。
奈津子はそんな現実に寂しさとも感動ともつかない思いを抱きつつ、微苦笑を浮かべた。

「ただもうちょっと大人っぽくなってると思っていたんだが……」

月宮あゆ、18歳。少しばかり成長は遅めのようだった。













月宮あゆは夢を観る。
まどろむ意識の奥底で、失われた過去を視る。
歪み、擦れる景色の中で、色あせた写真の様に。
ただ、通り過ぎる人たちの姿と言葉、表情だけは鮮明に。

月宮あゆは夢を観る。




「おとう…さん」

『私がお前を守ってやれるのはここまでだ。すまない、あゆ。無責任な父親を許してくれ』
『さらばだ、我が娘よ…願わくば、お前の行く末に幸の多からん事を……』

それは、身体を貫く激痛を、内に渦巻く哀しみを微塵も表に現さず、ただ微笑みをもって自分を守り、そして送り出してくれた父。



「ゆういち…くん」

『お前、その羽根って飛べるのか?』
『お前こそさっさと逃げろ…あゆ……あゆっ!!』
『そうだな…こういう場合は…久しぶりっていうべきなんじゃないか?』

それは運命のように出会い、別れ、そして再会した大切な想い出の人。



「…お母さん」

『お母さんはね、お母さんだから……』
『あゆ、強く在りなさい。これからも、きっとあなたは何度も辛い目にあうわ。でも、強く在りなさい』
『こんな下らない運命に負けないで、あゆ。頑張ってね……』

永遠に失われた温もりの感触。誰よりも大好きだった母。



それは過去の記憶。
戻らない時の果て。
霞みの中のアルバム。


それはもう、変えられない過去の夢。



「………ああ」

一滴の涙を零し、あゆはゆっくりと瞼を開いた。
見知らぬ天井。身体に被せられた薄いシーツ。光の無い暗がり。
そこは、久方ぶりの現実の世界だった。

途切れ途切れの記憶。水瀬の城から連れ去られ、それからの出来事がつぎはぎのように浮き上がり、消えていく。

「……夢?」

ずっと、夢を見ていた気がする。
哀しい夢を。
辛い夢を。
それは過去にあった現実。自分が歩んできた道。
そして自分を誘い導いてくれた人たちとの思い出。

ゆっくりとゆっくりと澱んだ吐息をつき、息苦しさを逃がしていく。
忘れられない悲しみを、心の中に満たしていく。
それが夢だとしても、もう一度触れ合えた事が嬉しくて。
それがただ切なくて、哀しくて。

でも、涙は流さない。
哀しさを嘆くための涙は流さない。

強く在れ、とお母さんが言ったから。

そして…涙はもう、一度流し終えたから。

過去の夢は、ただ哀しいだけじゃなく、忘れられない温かな想い出がある事を教えられたから。


ああ…そうだ。

ボクに泣いていいと言ってくれたのは誰だったのか。
ボクに想い出を大切なものと気付かせてくれた人は誰だったのか。

あゆは、それを思い出そうとして、ようやく自分が誰かの手を握っている事に気がついた。
いつの間にか、ヒヤリと心地よい誰かの手の平が自分の額に当てられている。

瞬きを一つ。
もう一滴、涙が零れた。

そして、忘れられない想い出の一ページが新たに紐解かれる。
まるであの時そのままの情景に。
八年前、自分が母を失った悲しみを、こらえ、心に無理やり造りあげた堰を砕いてくれた、あの時そのままのあの人の微笑みに。


「…お母さん」

その言葉は鍵のようなもの。
自分の傍らで、そっと寄り添っていてくれる人が母でない事を知りつつも、あゆはその言葉を言わずには居られなかった。
あの時をもう一度繰り返したい、そんなささやかな望みを適えるために。

「悪い夢でも見たのか?」

その優しい声は、表情は、その言葉は、あの時とまったく同じようにあゆの心に染み入ってきた。
変わらぬ暖かさ。この理不尽なまでの暖かさを、あゆは決して忘れる事は無いだろう。

「ううん、その夢は過去の夢。でも、悪い夢じゃないんだよ、きっと。だって、それは想い出だから」

あゆは、そう云って、少しだけ不安そうに微笑んだ。

「でも、これは夢じゃないんだよね。ボクを手を握っていてくれてる人は、奈津子さんなんだよね」

恐る恐る力が篭もる握った手。
奈津子はそっと握り返し、小さく笑う。

「まだ寝ているなら、キスでもしてあげようか? そうしたら起きてくれるかな、お姫様?」

泣きそうな眼で、あゆは微笑んだ。

「もし、目が覚めて奈津子さんが消えてしまったら、凄く嫌だから、キスはしなくていいよ」

その代わり、とあゆは口ずさみ、込み上げる何かに言葉が詰まる。

それは劇的な変化。
穏やかとも言えたあゆの相貌が、クシャクシャに崩れる。
胸の奥から湧き上がる、激情の奔流が叫びとなって溢れ出る。

「ボクを抱きとめてッ。幾ら抱き締めても、消えないように。ボクを、ボクを抱き締めてッ!」

あゆは涙と鼻水に顔中を濡らしながら、飛び掛るようにして奈津子に抱きついた。
奈津子は我が子を抱くように彼女を胸に抱きとめ、包み込む。

抱きついても消えない、抱き締めても逃げないその思い出と同じ温もりに、あゆの心は決壊した。

「うぐぅ、本物だ! 夢じゃない。奈津子さんだ! 奈津子さんだッ!! 奈津子さん奈津子さんッ、うああああ――」

あゆの心に刻み込まれた、あゆの記憶に焼きついた、それは想い出。
愛する母親を亡くした自分に、再び母の温もりを与えてくれた女性。
それは、もう一人の母とも言うべき大切な人。

あゆは、溢れてくる思いそのままに、子供のように泣きじゃくった。

「久しぶり、あゆちゃん。相変わらず泣き虫だね。でも……大きくなった、ホントに大きくなった。いつかまた会えると信じてた」

限りないまでの優しさをこめて呟く奈津子。その穏やかに伏せられた双眸には、あの八年前の喪失以来流した事の無い涙が、静かに輝く。

八年前の冬の朝。
まるでこれまでも、ずっとそうしてきたみたいに、「いってらっしゃい」と彼女は少女を送り出した。
夕暮れ時、夕食が出来上がるその頃に、遊び疲れて帰ってくる事を疑いもせずに。
少女が、もはや我が家に帰る事の無い事を知らずに。

ずっと、八年もの間言えなかったその言葉。
言う事が適わなかったその言葉。

相沢奈津子は、我が子を出迎えるように、そっと囁いた。

「おかえり、あゆちゃん」















§ § §




















〜さあ、心せよ彷徨いし者たちよ 全ての終焉の刻は来た〜
















その存在の使命は再生のための破壊

その存在の使命は汚れた者たちの浄化

されどその存在の意思は暗闇に塗れ、姿を見せない

幾多の無垢なる魂を喰らいし異形の神よ

汝の果てはいずこにぞありや



















――運命に逆らうは、誰ぞ――



空気が戦慄くように響いたその言葉に、答えうるものはいなかった。
誰もが一瞬、息を呑むようにして硬直する。
その圧倒的な存在感に無意識に飲み込まれる。
誰一人の例外も無かった。
かつて、当のガディムと相対し、退けたはずの者たち。藤田浩之、来栖川綾香、柏木耕一の三人ですら、言葉無く立ち尽くしている。
それほどまでに、3年前に彼らが戦ったガディムとは姿以外の何もかもが変わっていた。
あの3年前の激戦が、子供の遊戯だったとでも思わされるほどに。


漆黒の闇を身にまとい、遥か壇上から此方を睥睨する。

その異形の名をガディムという。






――何時か、我が前に立ちし人間たち。そして新たに我が前に立ちし者どもよ――


王のごとく睥睨し、神のごとく存在しつつ、ガディムは告げる。


――何故(なにゆえ)に、我がもとに来たるか――


鉛のような重さを宿したその問いかけ。
その問いに答えるは折原浩平。
闇の威圧の呪縛を振り解き、彼は普段と変わらぬ能天気な仕草で肩を竦める。
世界の子供(チャイルド)はおどけたように言ってのける。

「そりゃ、お前さんをぶっ倒すためだな」


沈黙――瞑目するように紅の双眸が閉じられ、そして開かれる。


――何故に、我を討ち果たそうとするか――


「俺たちの住まうこの大陸を、貴様が滅ぼそうとするからだ」

そう告げたのは藤田浩之。国の長たる皇帝は、轟然と言葉を叩きつける。

「貴様が破壊を止めない限り、俺は、俺の仲間と国と、そして国民を守るために貴様を滅ぼさなけりゃならない。何度でもな。それが皇帝としての義務であり、人としての生きる意思だ」


ガディムは揺らぎもせずに問いただす。


――何故に滅びを甘受しない――
――何故に新たなる世界を生み出すための滅びを受け入れない――


「新しい世界だと!? そんなもの、俺たちは必要としてないんだよ。俺たちはこの世界で生きてるんだ。この世界の中で精一杯生きてる。そしてそうする事に何の不満も持ってない。
ガディムッ、生きてるやつらは死ぬまで生き続けようとするもんなんだよ。滅びだと!? 新たなる世界を生み出すためだと!? 迷惑なんだよ! 余計なお世話だ馬鹿野郎!
俺たちが生きる邪魔をするなら、徹底的にぶっ潰してやるッ!!」

魔剣の切先を突きつけて、祐一は吼えるように絶叫する。

「お前のために泣いたやつがいる。それはお前の所為じゃないかもしれないけど、そいつはお前の存在のために両親を失った。そして、お前はそいつを俺たちから奪いやがった。俺はお前を許さない。ガディム、お前をぶっ倒して、俺はあゆを連れて帰るぞ。
あゆは返してもらうっ!」



ガディムはしばし、沈黙を守りつつ、炯々と輝く双眸を細めた。
音も無く、広がりきっていた一六の黒翼がはためく。


――我が使命は破壊――
――汚れし世界を新生のために破壊し尽くすが、我に与えられた役目――

ガディムの巨体がフワリと浮く。
見上げる八人を見下ろしながら、ガディムは粛々と告げる。

――されど、いつしか我は思う――
――破壊の後に我に残されしものは何か――
――破壊の後に我は如何とする――
――我に在るは破壊のみ――
――我に破壊以外の意味は無し――


倉田佐祐理はまんじりとせず、語る巨体を凝視し、思う。

なんて、空虚な言霊でしょう。



――我は思う 幾星霜の刻を経て思い至る――
――生きるとは何か その意味とは何か――
――破壊は我、破壊こそ我――
――だがそれは我が存在なれど、望みにあらず――
――ならば我が望みを得ん――

――それが創世――

――我が世界を滅ぼすならば、我が世界を創造せん――
――それが我の生きるという意味――
――それが我等の選択なれば――


一六の翼が、踊るようにはばたき、巨体が地響きも無く彼らの前に降臨する。


「…破壊と、創世。それはすべてに背を向けること。それ以外にはなかったの?」

川澄舞は悲しげに囁いた。ガディムは黙する事で答えを示す。

「馬鹿じゃないッ! そんなの自分の事しか考えてないじゃない。あんたのその選択で、どれだけの命が失われるってのよ!!」

憤怒という言葉を体現しつつ、来栖川綾香は髪の毛を逆立てながら、怒声をあげる。
だが、ガディムにその怒りは届かない。


――我は唯一にして、無二なるもの――
――我以外の我は無し――
――我は我等以外を認めず――
――我は他者を望まず――
――我は生命を望まず――
――すべての命は、我が新たに生み出すが故に――



「つまり…貴様は自分以外の生命体を全部抹殺するつもりなのか」

歯軋りするように、柏木耕一は唸りをあげた。

「無茶苦茶だ。狂ってやがる」


――例え我が狂気だとしても、それが唯一になればそれが正気と相成らん――
――我が唯一となれば、我が狂気を証明する者無し――
――狂気こそが真理とならん――


「あなたが自分以外の生命を根絶させるつもりならば、あなたの配下の魔族たちはどうなるのです?」

ふと、疑問を抱いた天野美汐は、半ば答えを予想しつつ問いただす。
ガディムは何の感情も交えずに、呼吸するように平然と答えた。


――いずれ、我が創造の糧として、我の内に抱き止めん――


「…彼らも、最悪の相手に仕えたものですね」

予想通りの答えに、美汐は憮然と吐き捨てた。



ガディムはユラリと紅眼を巡らせ、自らの前に立つ人間たちを見定めた。
その瞬間、祐一達は全身の肌が泡立つ戦慄に身を震わせた。
それまで、ただ巨体であるという以外に何の特徴も無かったガディムの気配が一変した。

「……くッ」

祐一は思わず呻き声をあげた。
身体の芯が冷え固まる。
まるで重力が加算されたかのように、膝を付きそうになる。

ただ在る――存在するという事が、これほどまでに体躯を流れる血液を凍らせるモノがあるのだと、相沢祐一は初めて知った。

吹き寄せる力の波動は、もはや物理的な力となって祐一達へと襲い掛かった。

滾る気配とは裏腹の低く抑揚の無い音階で、ガディムは宣告する。


――我等の生と汝等が生、そこに交わる道は無し――
――互いの生存と存在を賭けて滅ぼしあうも運命なれば――
――我は汝等の抗いを享受し、それを打ち破らん――


「なるほど、こいつはお互いの生存競争ってわけか。どちらかが滅びる以外の決着は無し」

浩之の瞳が凶獣のようにギラギラと窄まった。

「上等じゃねえか」


ガディムの身体が一回り膨れ上がったかのように波動が吹き荒れる。
焼けつく炎の如き苛烈な戦気。
クワッと血の双眸が見開かれ、冥府の如き顎を高らかに開き放った。


――幾星霜の時を経て、我は我を手に入れる――
――我等は我たるを知る――
――我等は聖魂統合体『世界浄化代行者』ガディム――
――だが、今や我に代行者の文字は不要――
――我等こそが浄化の意思 創造の神――
――汝等小さき人間たちよ――
――我が浄化の征途、その始まりの贄とならん――


それは静かなる咆哮。
それは滅びの宣告。

それまでの雄大な動きが嘘の様に、黒翼が荒々しく渦巻くように広がった。
叩きつけるような衝撃に、空間を覆う岩盤が、悲鳴をあげてひび割れる。
その瞬間、コンマ数秒も掛からずに、ガディムの巨体に匹敵する巨大な光球が現れた。


――我が願いと眼差しの先を遮る汝等を、我等ガディムは滅ぼさん――


「ま、マヂかよ!!」

明らかに絶対魔術クラスの破壊力を宿した輝きに、浩平が引き攣りまくった大声を張り上げる。
とてもではないが、屋内で使うような代物ではない。
辺り一帯が消し飛びかねない威力があることは、多少魔術に精通する者ならば一目見るだけで理解できるほどの光芒だった。
これほどの大威力魔術。避ける避けないどころの話ではない。

「野郎、こいつを潜伏呪唱してやがったのか!? 神様のくせになんてせこい!」
「みんな、術者の後ろに入れ!」

喚き散らす浩平の非難を無視し、浩之は皆に指示を出しつつ『エクストリーム』を振りかぶる。
振り翳した漆黒の大剣の柄元に埋め込まれた虹色の宝玉が、駆動音を響かせながら光り輝く。

「契約に基づき法を司る役目を与えられし汝に命ず! 
顕・強制/現・侵入/結・分解――外印術式侵入・開始!」

珍しく正式な手続きを踏みながら、魔術への強制介入を開始する浩之。
絶対魔術クラスの術式ともなれば、ラルヴァが使うような下級魔術を蹴散らすようにはいかないという事か。
一方、咄嗟に防御魔術を編み始めた祐一、佐祐理、美汐の後ろに、魔術を仕えない耕一たちが慌てて隠れる。

その瞬間、巨大光球が氷の上を滑るように放たれた。

「ちくしょう、術式が複雑過ぎる上に構成が全然違いやがる! 間に合わねぇ!!」

外部から、光球への浸食干渉を試みていた浩之が罵声を上げた。
その叫びどおり、光球は多少輪郭をぶれさせた程度で揺るぎもしない。
その進行上に、突如虹色の壁が生まれ出た。
祐一たちが作り出した彼らが知る上の最高強度の魔術防壁。それが三重の壁となって光を遮る。

祐一が、佐祐理が、美汐が生み出した最高レベルの魔術防壁に光球は接触した。
空気が帯電し、空間が軋みをあげる。

「いけるか!?」

剣の切先に魔力を収束させ、壁を支えつつ祐一が声を上ずらせる。

「ダメッ! 突破されます!」

佐祐理の切羽詰った悲鳴が迸った瞬間、三重の結界は砕け散った。
些か威力を減じつつも、未だ僅か八名の人間を蒸発させるに余りある力を維持したまま、光球は鷹揚に前進を再開する。

「どけぇぇ!」

視界全体を覆い尽くすようにして、光が迫る。
誰しもが、一時呆然と立ち竦んだその瞬間。
飛びつくように皆の前へと飛び出したのは折原浩平だった。

浩平はバネをきかし、高々と跳躍すると、両手をめり込ませるように虚空へと突き入れた。

「隔てろ世界! 『絶界障壁ッ!!』」

叫び、そして渾身の力を込めて両手を叩き落しつつ、床へと身体を沈み込ませながら着地する。
さながら壁紙でも引き剥がすようにして、彼らの手前、一面の空間が引き裂かれる。
陰よりも深く黒い無明の壁が、光と彼らを厳然と隔てた。

――接触。

人も、魔王も、何もかもが輝く光と轟音に飲み込まれた。











§ § §











大地震のような激震は、奈津子たちの下へも届いていた。
咄嗟に、奈津子はあゆに覆い被さり、頭上から降り注ぐ岩石の欠片から彼女を守る。
蒼の光が迸り、奈津子を直撃するかと思われた岩片の悉くは粉微塵に粉砕された。

「うぐぅ、何これ!?」
「どうやら、ド派手にやらかしているようだな」

震動が収まったのを見計らい、奈津子はあゆの手を引いて立ち上がった。
ちなみにあゆは、部屋にあった白いシーツを誂えて、即席の衣裳にして身に纏っている。少々危ない格好ではあったが。

「大丈夫かい、二人とも」
「ああ、此方は。それよりも此処を離れよう。ヘタをすれば崩れかねない」

顔を見せた伊世に、天井に走った蜘蛛の巣状のひび割れを見上げつつ、奈津子は言った。
この様子では、この部屋だけでなく聖殿内部全体が危うかったが。

「ねえ、奈津子さん。これからどうするの?」

ちゃんと調整して切り裂いたものの、まだ少々裾が長いのか、スカート状のシーツを踏みつけないように摘み上げて歩きながら、あゆが問う。
奈津子は一瞬だけ考え込むように沈黙し、意図的にそっけなく答えた。

「あゆちゃんを助け出し、安全な所まで逃がす…というのが私たちの目的だったのだが」

言葉を切り、チラリと横目であゆの表情を一瞥し、奈津子はフムと吐息をついた。

「本人には逃げるつもりはなさそうだな」

決意と強き意思を双眸に湛え、月宮あゆはコクリと頷いた。
バサリ、と空気を叩くように彼女の白き一翼が大きく広がる。

「ごめんなさい、奈津子さん。でも、ボクはいかないと。これはボクたち翼人の咎だから。ボクはそれと対決しないといけないんだ。それに…」

あゆははにかむように言う。

「祐一君たちが戦ってるんだ。ボクだけ逃げる訳にいかないよ。それに、ボクの回復の力は役に立つと思うよ」
「だそうだ。どうするね?」

楽しそうに口端を歪める伊世に、奈津子はジロリと斜めの視線を投げかけつつ、肩を竦めた。

「あゆちゃんに頼まれて、私はイヤと言った事が無いんだよ。仕方無い、裏方としては、黙って舞台を整えるだけだ」

左手で柔らかなあゆの髪の毛をクシャクシャとかき混ぜ、気持ちよさそうに目を細めるあゆに揺るぎの無い声で告げる。

「私たちは君を確かに送り届けよう。でも、無茶はしない事。私はあゆちゃんがもう二度と居なくなる事を許さないから」
「…うん」

ほんのりと嬉しげに涙を浮かべ、あゆは頷いた。
それを見て、奈津子は小さく口端を吊り上げる。

「それからウチの馬鹿息子をよろしく」
「うん、頼まれたよ」

バサバサと翼をはためかせながらあゆは破顔して勢い良く頷く。

そして、一転眼差しに真剣な光を宿す。
此処に連れてこられ、強制的に眠りにつかされていた。そのまどろみのような時間の中で、あゆは何かを見たような気がした。
それが何かはどうしても思い出せない。
まるで濁流の中に飲み込まれていたかのように、その中での事を整理出来ない。
それでも、あゆは自分が大事な何かを見たのだと言うことを誰とも無く確信した。
そしてそれは、月の宮の巫女である自分が向き合わなければいけないという事を。
そのために、自分は行かなければならないという事を。
それが何かを確かめるために。

そして――その思いを正すために。

「ボクは止めるよ。ボクたちの罪と、あなたの抱く哀しみがもたらした願いを。そしてボクは帰るんだ」

あゆは、前を向き、白い素足を踏み出した。

「みんなが居る世界に」





 …続く




  あとがき


八岐「苦節81話、ようやくラストバトルへと突入しました群☆伝」

栞「約一年と二ヶ月ですか。でも、気を抜いてはいけませんよ」

八岐「分かってます、最後なんですから最後なりの盛り上がりを見せないと」

栞「気合入ってますけどぉ、前座での盛り上がりを上回れるのかという危惧が一般化してますよ」

八岐「うーん、前座の戦いは色々因縁あったからなあ。でもこっちだってただのバトルだけで終わらないぞ」

栞「終わらないんですか?」

八岐「終わらないのだ」

栞「じゃあ、真の主人公たる祐一さんは大活躍なんですねー!」

八岐「……い、いや、むしろあゆあゆの方が」

栞「……マヂですか?」

八岐「お、恐れがあるという事です」

栞「…………」

八岐「…………」

栞「…本気で刺されますよ」

八岐「……あー、何となく最終回の俺の末路、想像出来ちゃったなあ」

栞「……(汗)」

八岐「という訳で、八岐的にもカウントダウン始まったような気もしますが、次回の激戦、お楽しみに」

栞「ではでは〜」


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