扉は閉ざされた









もしくは開かれたと――


云うべきなのだろうか














魔法戦国群星伝





< 第七十八話 Eindringling >






失われた聖地 聖殿内





失われた聖地――グエンディーナ大陸の最中央部に位置する山岳地帯。さらにその最央にある死火山の裾野の奥に、それは在った。
FARGO教団という狂信者たちの神聖なる神殿にして最後の地。
彼らはその建造物をただ『聖殿』と呼んだ。固有名詞など存在しない。彼らにとってそれはただ唯一にして無二のものであったがゆえに。
元来は盟約歴が始まるよりさらに千年以上昔の者たちにより造られた古代遺跡だというこの巨大な空間は、この地域一帯を睥睨する剣山の岩盤を刳り貫いて存在していた。

FARGO聖殿――それはかつて盟約によって消え去りし者達の残り香が漂う虚ろの地。
そして今は、彼ら消滅せし者たちの神が舞い降りたる、降臨の地。

それ即ち、異界である。








最後に折原浩平がラルヴァの大群に向かって放った攻撃の爆煙が視界を覆い隠す中で、柏木耕一の手により開かれた聖殿への正門は再び彼の手で閉ざされた。
重々しくも猛々しい閉門の轟音の余韻が消え去った時、つい数瞬前までの戦いの喧騒が嘘の様に冷えびえとした静寂が彼らの元に訪れる。
外に残った仲間たちの様子ももはや窺えない。後は彼らの健闘と生存を祈り、信じることしかできない。
ただ、彼ら聖殿へと突入した面々は視界を遮る靄が晴れるのを息を殺して待つのみだった。
やがて、ぼんやりと視界が開けてくる。
誰かの息を飲む音――いや、全員かもしれない――が孤独に閉ざされた空間に反響した。

岩盤を刳り貫いて造られたとは考え難いほどに磨き上げられた黒く照りかえる床や壁。
ただの通路に過ぎないのにあまりに巨大な空間。そして、遥か高みに微かに見届けることの出来る天井。

巨大にして豪奢な城の内装に対する経験には事欠かないはずの彼らが、圧倒されずにおれないほどの、それは偉容であった。

壁には等間隔に魔術灯が配され、闇に閉ざされた空間を仄かに浮かび上がらせている。いや、仄暗さに沈んでいるというべきか。

禍々しいまでに神聖な此処は、まさに神殿以外の何物でもなかった。

誰しもが自然と押し黙り、その静寂に身を任す。
時が自重を増したような硬質で冷めた空気。
それは、直前までの戦闘に高揚した精神には少しばかり差異があり過ぎた。祐一は眩暈にも似た感覚にきつく瞼を閉ざし、右手に握った『メモリーズ』の柄を強く握り締める。
そこに現実がある事を確かめるように。
そして、小さく吐息を抜き、乱れた心を落ち着けると、他のメンバーへと視線を巡らせた。

自らが閉ざした門に右手を付き、最後尾から皆の様子を静かに見守っているのは柏木耕一。鬼と呼ばれる血族、柏木家最強の個体。
物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しているのは【笑う恐怖(ラフィング・フィアー)】倉田佐祐理。カノン皇国最大の貴族 倉田公爵家令嬢にして、宰相である魔法少女。
その傍らで彼女に離れる事無く佇む黒衣の女剣士。【剣舞(ソード・ダンサー)】川澄舞。【魔物を討つ者(デモン・スローター)
】と呼ばれる古の血族の末裔。
何か不満があるのか、口をへの字に結んで腕をその豊かな胸の前で組んでいるその少女はレオタードのような衣裳に神々しい輝きを秘める手甲と足甲を装っていた。彼女は【神拳公主(ゴートリク・ファウスト)】来栖川綾香。素手でベヒーモスタイガーをも捻じ伏せる女傑だ。
その綾香の視線の先で凶眸ともいえる目つきの悪さで通路の奥に目を凝らしているのが東鳩帝国の若き覇帝、魔の理を征するという司外の聖剣『エクストリーム』のマイスター。【聖剣契約者(エンハンスド)】藤田浩之。
そして、素早く所持している残りの呪符を確認している白衣に緋袴という一際目立つ装いのくすんだ赤毛の少女。【ザ・カード】天野美汐。
その横で何かを感じるように双眸を閉じ、ゆるやかな空気の流れに白い法衣を揺らめかせている【狂える妖精(クレイジー・フェアリー)】姫川琴音。
独りポツンと離れた場所で、頭を掻きながらなにやら不思議そうに片眉を下げているボケ青年【空間支配者(スフィア・クエスター)】折原浩平。これでも御音共和国の軍最高司令官であり、字名通り空間を自在に操るという異能者である。
最後に自分、【魔剣(エビル・セイヴァー)】相沢祐一。
これがこの場にいる最後の九人であった。

祐一はふと、浩之の視線を辿るように通路の奥へと目線を向けた。
オレンジ色の魔術の灯りはあまりにか弱く、通路の向こうは漆黒の闇に潰され、その奥を望む事は出来ない。
だがそれでも進まねばならないのだ。
敵を打ち倒すために。そして、一人の少女を連れて戻るために。
祐一は改めて自らの決意を確かめる。

あの8年前の雪の日――無力に打ち震えた日。
つい数日前の凍りの夜――絶望に打ちのめされた日。

それを経てなお自分はここにいる。
取り戻さなくてはならないからだ。月宮あゆという大切な家族を。
それが自分に刻んだ決意の形。そして、自分を立ち上がらせてくれた名雪との約束。

帰るべきは、誰も何も失わない、当たり前の日常なのだから。


そんな焼きつくような決意を胸に、前方を見据えていた祐一の横を、一人の少年がヒョコヒョコと通り過ぎて前にでる。
折原浩平だった。
彼は両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、5、6歩皆の前に歩き出ると、ポケットから右手を抜き出し、壁を二、三度叩いた。
石の壁は低く逆らうように音を放つ。

「こりゃまた、やっかいなところだぞ、こいつは」

祐一は剣に戻した『メモリーズ』を腰に差しながら、浩平を見やる。やっかいと云う言葉とは裏腹の飄々とした表情。
そして、その言葉の意味は良く分からない。

「どういう意味だ? 折原君」

同じく意味が分からなかったのだろう、柏木耕一が説明を求めて浩平に訊ねる。分からないのはどうやら全員のようだ。
笑みとも嫌味ともつかない風情に顔を歪めて虚空を仰いでいた浩平は、首だけを器用に捻り、皆を振り返る。

「意味ねえ…うん、意味かぁ。難しいなあ。分かんないか?」
「だから何よ」

あやふやな言い方に、気が張り詰めているのか綾香が普段以上の短気さで目を吊り上げる。
浩平は肩を竦めると再び虚空に薄めた目を向けた。

「入った途端、空気が変わっただろ。匂いでも、肌の感触でも何でもいいけど、なんか違うって感じなかったか?  こりゃ、俺風に言わせてもらうと空間がひどくぐちゃぐちゃになってやがる。いや。空間じゃないな、これ」

上手い言葉が見つからず、大仰に苦悩してみせる浩平。祐一はふと思い出す。云われてみれば、ここに入った途端眩暈のようなものを感じた。戦場の狂騒から突然静寂の中に飛び込んだせいだと思っていたが、確かに違和感といえば頷く事が出来る。
同じ事を考えたのだろう、藤田浩之が大剣を肩に引っ担ぎながら浩平が見ていたように上に視線を巡らせた。

「云われてみれば、入った途端に世界が変わったような感じがしたな」
「それだ!」

浩平がビシィと浩之の鼻先に指を突きつける。驚いて仰け反る浩之を他所に、浩平は難問を解いたように晴れがましい顔で告げた。

「まさしくそこの兄ちゃんが云ったとおりだぞ、ここは」
「世界が変わったってやつか?」

腑に落ちないという風に問い掛ける祐一に、フムと大仰に頷く浩平。

「まさしくその通り…ってな訳じゃない。もっとややこしいな、ここは。在る意味、俺らが入ってきた門を境にこの聖殿の中はもう正確な意味での『大盟約世界』じゃなくなってるって言っていいかもな」
「『大盟約世界』ではない?」

訝しげに眉を顰めた天野美汐は意見を求めるように傍らの姫川琴音を振り返った。姫川琴音は各種の魔道研究や学術探求が行なわれている大陸最高峰の学舎『深き蒼の十字(ティーフブラウ・クロイツ)』のナンバー2だ。その博識さと明晰さは大陸でも有数の才媛である。
だが彼女は美汐の視線に気付くと首を横に振った。情報が浩平の直感的な話だけなのでさすがの彼女にも説明しようにも判断材料が少なすぎて分からなかった。しかし、彼女らの疑問も浩平の次の言葉で氷解する。

「例えばだ、紅茶に長森の好きな牛乳を入れたらそれはミルクティだ。ミルクティは紅茶と牛乳という二つの液体である事には間違いなく、その二つの属性を持っているが、そのどちらでも無い。分かる?
今のこの中は『大盟約世界』とどっか他の世界が混ざっちまってる。今の所『大盟約世界』の色が濃く残ってるから外と大して変わらんだろうけど、気をつけてないと何がどうなるか分からないぞ」
「なるほど。それは確かに厄介かもしれませんね」

ようやく浩平の言いたい事を理解した琴音が眠りに落ちるかのように瞼を伏せた。

「よく分からないんですけど、いったい何が問題なんですか?」

佐祐理の問いに琴音は微かに首を上下させ、いつの間にか全員の注目を浴びている事に気付くと、コホンと咳払いを一つする。

「世界が変わると言う事は法則が変わるという事なのです」

その一言だけで数人の顔色が変わる。

「なるほど。そりゃ確かに厄介だな」

すべてを理解した祐一は、険しい顔で思わず唸った。 同意を示すように頷いて見せた琴音は先を続けた。

「世界を構成する法則には二つのものがあります。一つは物理法則――即ち物の(ことわり)、もう一つは魔道法則や幽世律詩(かくりよのまつろわぬうた)理魔律(アストラル・リーズン・リズム)などで総称される魔の(ことわり)です。
この内、物理法則は不変にして確固たるもの。よほど異質な世界でない限り、これが覆ることはありません。ですが、魔道法則の方は違います。此方は世界の裏の特性であり特色とも言っていい則であり、同時に希薄であやふやなものなのです。それはつまり世界が変わってしまえばこの法則も変わってしまう可能性があるという事。 尤も、異世界というものの存在がこれまで確認できていない以上、世界によって魔道法則が異なるというのは仮説に過ぎませんけれど」
「異世界って…魔界なんかは異世界じゃないの? だいたい世界が混ざってるってのは、魔界との間に穴が開いちゃったからじゃないわけ?」

訝しげに問う綾香に、琴音はゆっくりと首を横に振った。

「魔界と大盟約世界との魔道法則の差異は無視していいほどのもので、ほぼ同一と云っても構わないものです。これは創世段階での起源が同一故と思われますが、とにかく魔界と大盟約世界が混ざっている訳では無いようです」
「じゃあ、なんの世界と混ざってるっていうんだ?」

藤田浩之の独り言じみた疑問に、祐一は意図せず言葉を口に出していた。

「ガディムが原因だろうな」
「ほう、その意は?」

断言とも取れる声音に浩之が興味深げに問い重ねる。祐一はチラリとその視線を受け止めると、ピロから聞いた翼人の知識を脳裏でまとめ、言葉とする。

「ヤツの力の根源は翼人の魂だ。そして翼人が持つ力は再生と創造。ヤツはその翼人の巫女の魂を無数に取り込んだ化物だ。世界を創造する力を持ってたっておかしくないと思う」
「世界を創造する力、その一端が滲み出してる…と、考えるべきでしょうか」

祐一の口ずさんだ言葉から現状を考察する佐祐理の推論に、琴音が同意を示すように頷いた。

「世界を創造、ね。神様みたいなヤツだな」

耕一の呟きに、浩之はフンと鼻を鳴らした。

「神様だろ、FARGOの破壊神だ。おまけに創造神も営業してるとは知らなかったがな」

今から自分たちが相手にする敵が魔王であり、さらには神にも称される存在だということを、彼らは改めて確認する。
尤も、だからといって動じるような面々ではなかったが。
萎縮の欠片も無い他のメンバーを見渡し、琴音は注意を付け加えるように告げた。

「魔道法則が変化してしまう意味は分かりますね。我々の魔術が起動不全を起こしかねなくなるという事です。現状ではまだ大盟約世界の要素が色濃く残っているようなので問題は無いでしょうが……」
「一応確認しといた方がいいかもな」

大剣を掲げて見せる浩之に、舞が両手をニギニギと開閉してみせる。彼女自身にだけ分かる力の胎動。

「…大丈夫、使える」
「鬼の力も影響無いみたいだ」

耕一もジワリと鬼気をはみ出させながら答える。
魔術師たちも、簡単な術を起動させてみることで不具合を確かめていた。

「おい、折原。お前は?」

魔剣『メモリーズ』の作動状態を確認した祐一が、一人ボケ―っと突っ立っている浩平に首を向ける。
浩平はヒョイっと肩を竦めると、傍らの壁ににゅぅっと右手を突っ込んで見せた。
空間をある程度自在に征服下に置く彼の能力――空間支配(スフィアクエスト)

「俺は…ほれ、この通り――」

言いながら肩口まで、まるで水面に手を入れるように壁の中にめり込ませると、浩平は右手を仰け反るように勢い良く引っ張り出した。

「力の方は万全みたいだなっと。おまけに向こうさんもッ――!!」

壁の表面に波紋が生じる――否、壁では無く壁前の空間に波紋が生まれた。
それを見て、全員が一斉に戦闘態勢を取った。

「俺らの出迎え、始めたみたいだぜ!!」

叫びながら壁から引き抜いた浩平の右手には、濁った錆色の禍々しい角が握られていた。浩平は力任せに角を引っ張る。
ズルリ、と引き摺るような音を立てて、巨大なグレーターラルヴァの身体が壁から引きずり出された。

同時に、浩平の叫びがスイッチとなったように前方の通路の床や天井、そして壁から滲み出るようにして、黒い魔物の姿が現れ出す。
満を持して待ち構えていたのか、侵入者に反応して自動的に呼び出されたのか。
つい数秒前まで空虚なほどに静寂に包まれていた通路に、一瞬にしてグレーターラルヴァたちの荒々しい呼気が満ち溢れた。

「ひょう、そう簡単には進ませてくれねーみたいだ」

お気楽に叫ぶ浩平の右手の先で刹那、光が歪み、グレーターの頭部が幾重にも裁断される。
のたうつグレーターの首なし胴体を隅に蹴りやりながら、耕一が一歩前に出た。
両手の袖が内側から硬質化し膨れ上がった両腕の筋肉に引き裂かれる。
闇に浮かび上がるように赤みを帯び始めた双眸を細めながら皆に告げる。

「蹴散らすぞ」
「賛成。さっさと突っ切りましょう」

ガキィンと手甲を鳴らし、綾香が笑みを引き裂く。
呼応するように、グレーターラルヴァたちの咆哮する。血に飢えた嬌声が、聖殿の中に響き渡った。










§ § §











「始まったようだな」

広く空虚な空間に木霊する戦いの咆哮。聖殿内のほぼ全域に轟き渡った嬌声を聞きとめ、その女は立ち止まると遥か頭上にある天井を見上げた。
深き蒼空をそのまま絹糸へと梳いたようなブルーの髪がサラサラと流れ落ちる。行く先から微かに吹く空気の流れが、彼女の纏う闇色のタイトなワンピースの踝辺りに位置する裾を揺るがした。服と同じ色のブーツがその無骨な装いを覗かせた。

彼女のすぐ後ろを歩いていたもう一つの人影も足を止める。
此方は濁った白色の着流しを着こなし、銀にも似た白髪を一つにまとめて後ろに流した初老の女性。
その小さな背には身の丈にも匹敵するような長大な野太刀を背負っている。

「やはり正面から突っ込んだようだね。派手な事だ。お陰でこっちは目立たずに動けるだろうけど――」

チラリと、初老の女は蒼い女を一瞥した。

「あんた、良くこんな抜け道を知ってたね」
「昔、一度四人で来たことがある。玉藻前の依頼で性質の悪い魔物が巣食ってたのを仕留めにね。その時に見つけたものだ。中の構造もだいたい覚えている」
「ふん、以前と構造が変わってなきゃいいけどね」
「そこまでは保証は出来かねるな」

素っ気無く言葉を返すと、彼女――相沢奈津子はスタスタと再び歩き始めた。その後を、上泉伊世もついて歩き出す。

「それで、連中と別行動を取ってどうするつもりだい?」
「秋子の城で云ったでしょう、老師。我々はジョーカーであり、ナイトだと」

伊世はさも可笑しげに口元を歪めた。

「なるほど、確かに囚われのお姫様を助けるのはナイトの役目だね」
「敵の親玉の目が祐一たちに向いている間にあゆちゃんを助けなければならない。あゆちゃんはガディムの贄。さらにヤツに力を与える供物だ。下手をすれば今この瞬間にもあの子の命が奪われかねない」
「それは急がないといけないね。尤もここは敵の本拠地。此方も誰にも会わずって訳にはいかないようだ」

云うや、伊世の眼光が鋭利となり、歩足から余分なものが消え去る。
前方には侵入者に気付いて走り寄って来るグレーター・ラルヴァが十数鬼。ここが敵の本拠地である以上、幾ら祐一たちの方に敵が集まっているとはいえこうした遭遇戦闘は避けて通れないだろう。
伊世は背中に手をやり、刀を抜こうとして―――やめた。
敵の出現にも関わらず、まったく歩速を緩めず進み続ける相沢奈津子。その後姿にゆらりと陽炎のように揺らめく波動を感じて。

「誰と会おうが関係無い。立ち塞がるなら駆逐するのみ。老師、壁にもならぬ雑魚に刀を抜く必要はありませんよ」

フワリ、と風とは別に彼女の蒼い髪がなびいた。
グレーターたちは獣そのままの動きと戦闘機械さながらの正確なコンビネーションで奈津子を半円形に取り囲み、一斉に襲い掛かった。
だが、彼らは奈津子に触れることすら出来なかった。
爪が彼女にかかる寸前、何の前触れも無く虚空からそれは現れた。
幾つもの高速回転する蒼い角。上下左右、あらゆる方向から生まれたそれは一瞬にしてグレーターたちの全身をハリネズミにした。
断末魔すらあげられずに骸と化し転がるグレーターを一顧だにせず、奈津子は前に立ち塞がるグレーターたちに向かった。いや、その存在すら鑑みていないのだ。ただ、進むべき道がそちらだというだけで。
肢体の滑らかな線を浮き立たせるタイトなワンピースを翻し、ブーツの硬質な足音を響かせながら、彼女は悠然と進んだ。
彼女の能力を解析できず、慎重に隙を窺う残り5体のグレーター。だが、そんな行為などまったくの無為でしかなかった。
進み往く奈津子のブーツが石床を踏みしめ、カツンと弾かれたような音を立てる。
その瞬間、グレーターたちの体内から内臓を貫き、背や腹、喉や頭部を突き破って蒼角が飛び出した。
蒼角は数秒も経ずに消失し、穿たれた穴より様々な体液と内臓の破片を噴出しながらグレーターたちは崩れ落ちた。
灰と化していくグレーターたちを一瞥すらもせずに通り過ぎる奈津子の後を歩きながら、上泉伊世は皮肉げに唇を歪めた。

「一定の近接距離を侵犯した敵性物体を自動的に殲滅する完全滅攻領域か。名前はなんだったっけかね?」
「……≪空蒼世界(くうそうせかい)≫」

そう、そんな名前だったね、と女剣客は呟いた。
神室(かむろ)の女が持つ異能の一つ。【蒼の災厄(レディ・カラミティ)】の異名を持つこの女の力の一端。
少なくともまともな人間や魔物では近づくだけで完膚なきまでに殺戮される。彼女を近接戦闘で倒すには、せめて自分レベルの体術を備えていなければ話にならないだろう。

「木偶人形あいてじゃアタシも刃が乗らないからね。面白そうなのが出てくるまで楽させてもらうよ」

完全に四肢から力を抜ききった緩い足取りで伊世は蒼の女の背中に語りかける。
高位魔族でも出てこない限り、自分の出番は無いだろう。尤も、それでは無理やり連れ出された甲斐も無いというものだが。

「ご随意に」

振り返りもせずに奈津子は答えた。









§ § §










滑るような体捌きで爪を振り回すグレーターの側面へと回り込んだ耕一は、流れるような動きのままに合わせた両手の掌を脇腹へと叩き込んだ。
骨が砕ける音と柔らかい肺腑が破裂するくぐもった音が内部から弾ける。グレーターは半ば胴体を引き千切られながら、くの字になって吹き飛び、数鬼の同類を巻き込みながら壁に叩きつけられた。
手の届く範囲のラルヴァを片付け、耕一は周囲の味方の様子を窺おうと首を回す。
ちょうどそこに、右膝と両腕を関節とは逆の方に折れ曲げられて倒れたグレーターの胸郭を踏み潰す綾香の姿が飛び込んできた。
耕一の視線に気づき、綾香が乱れた髪を右手で跳ね上げながら小さくウインクを返してくる。
苦笑いのようなものを浮かべて、耕一は他のメンバーに眼を向けた。

ざっと40メートル四方の巨大な円形のホール。それが彼らが通路に立ち塞がるグレーターたちを蹴散らしながら辿り着いた先だった。
FARGOが健在の頃は、この場で説法でも催したのであろうか。戦いながら確認した出入り口は二つ。一つは正門への通路。つまり入ってきた側の巨大な通路。つまり行くべき道は一つだけ。そちらは来た通路と違い天井も低く横幅も7,8メートル。威圧感と荘厳さを与えるホールまでの通路と比べたならばまさに文字通りの通行用でしかないといった風情だった。
どちらにせよ、結局は一方通行という事。複雑なダンジョンを想像していた耕一としてみれば、意外という感想すら覚える。だが、考えてみれば日常的に使用していた神殿内が迷宮だったなら、さぞ教団員たちは困ったことだろう。だから、内部構造が簡素なのも当たり前なのかもしれない。
尤も、ここを造ったのはFARGOでは無く、記録にも残っていない古代の人間――もしくは人間以外――なのだが。
もしかしたら、隠し扉か通路でもあるのかもしれない。が、この状況では悠長に探索している暇もなさそうだった。

視野の隅で光芒が閃く。耕一は咄嗟に背後に身体を滑らせた。石床に溝を穿ちながら一条の光線がすぐ眼前を通り過ぎた。
思わず冷汗を感じる。この人間の身体でマトモに受ければ身体に穴の一つや二つ開きかねない一撃。さすがに並みのラルヴァとは違うと云う事か。
耕一は続きて飛んできた赤色光球を捌きながら、飛んできた方向に首を捻る。
随分と減ったはずのラルヴァがまた増殖していた。両の入り口から湧き水のようにラルヴァたちが現れてくるのだ。これではキリが無い。
耕一がやや苛立ちが滲んだ思考を走らせた瞬間、少し離れた場所で幾条もの稲妻が降り注いだ。
何事かと見やった時、天野美汐の高らかな呪が聞こえた。

「死と雷を司りし神将達よ 今此処に其の御身をば降ろしたもう」

途端、辺り一帯を金色の雷撃が走り、密集していたグレーターたちが消し飛ぶ。
グレーターの巨体に遮られ見えなかった美汐の姿が現れた。周囲に七体の見知らぬ鎧を纏った武将たちを従えて。

「符法術奥伝式法≪神武招符 北斗星君招来≫」

全身に雷気を駆け巡らせた武神たちが、一斉に手にした武器を打ち鳴らした。

「命ず 掃討/壊乱/罪来/祓悪  討ち払い、堤となりて刺し留めん」
『『諾』』

生物的なものを一切感じさせない無機質な声が、美汐の凛とした御呪に応答する。

「征けッ」

その言葉とともに、武神たちは弓から放たれたように四方に散り、グレーターたちに襲い掛かった。
降り注ぐ魔術の束をあっさりと吹き散らし、方天画戟と呼ばれる長柄武器を振り回し、ゴミ屑のように黒魔たちを叩き潰す。
その暴れっぷりを見届け、美汐が叫んだ。

「後方から来るグレーターたちはこの式神たちで押し留めます。我々は先に――」
「了解ッ、ほい佐祐理ねーさん」
「ふぇ、佐祐理と浩平さんは年齢変わりませんよ」
「いや、そんなのどうでもいいからやっちゃって」

浩平の弾むような口調に促され、佐祐理はハイと能天気な声で応えると、鈴のような唄声で呪を紡いだ。

「粛々と制すべし 炯々と焚くすべし 山氣冥動し、点ずる如く集うべし あまねく力 爆ぜたる炎の形を具さん」

フワリと掲げた両手の上に、朱の光が生まれ、集う。
少女の唇が滑らかに揺らめいた。

「≪爆縮煉華(フランベルジュ)≫」

花束を持つように眼前へと掲げた両手の上に、焔の華が咲いた。
極限まで凝縮されたエネルギーの焔。
だが、それは放たれる事無く、ゆっくりと両手に乗せられたまま差し出される。
その朱色のエネルギー体に、浩平は無造作に右の掌を添え、普段の緩んだ眼差しを刹那だけ切り上げる。研ぎ澄まされた双眸が焔華を絡み取る。
次の瞬間打ち抜くように浩平の左手がホールの出口の方に突き出された。

「よっしゃ、領域確保・励起安定」

言うや、浩平の首が左手の方を向く。その眼差しは見えざる何かを捕えた。

「位置座標は適当っと。喰らいなッ」

ペットに餌をやるような声で浩平が鋭く告げた瞬間、佐祐理の両手の上のエネルギー体が掻き消えた。
続いて聞こえたのは遥か遠距離から響くと思われる轟音、そして床自体が揺らぐような鳴動。
耕一は思わず眼を見張った。浩平が左手を向けていた通路の方から吹き込んでくる風の流れを感じ取って。
まるで、通路の奥から空気が押し出されてくるような凄まじい対流。
その時、浩平が高らかに叫んだ。

「総員、バックファイアーにご注意ぃ!!」

その声にホールの出口付近にいた浩之が通路の方を覗き込むや血相を変えてその場から横っ飛びに飛び退いた。
次の瞬間、通路の奥から押し寄せてきた爆炎が、中や入り口付近に居たグレーターたちを巻き込みながらホールへと噴き出す。
やがて間を置かず火炎の舌は消え、通路へと消費し尽くされた空気が流れ込んでいった。
覗き込めば狭い通路の中は焼き尽くされ、そこに雲霞の如く蠢いていたはずのグレーターラルヴァたちは残らず焔流に飲み込まれ、黒焦げという無残な姿を晒して焼き果てていた。

「な、なにやったのよ!?」

凄まじいとしか言いようの無い惨状に、綾香が上ずった声をあげる。浩平は飄々と答えた。

「佐祐理ねーさんの極大爆裂呪をあっちの通路の奥に転移させてドッカーンと爆発させたのよ。狭い場所だったから爆発エネルギーも拡散せずに通路に蔓延ってた雑魚どもを一掃したって訳だ」
「ら、乱暴な」
「いいじゃん。お陰でとりあえず邪魔な連中はいなくなったぞ」

浩平の云う通り、最深部への通路を塞いでいたラルヴァたちは爆流に全身を焼き尽くされ、マトモに立ち塞がることの出来る個体はいなかった。
間一髪、火焔を避けていた浩之が、大剣を振り翳して全員に告げる。

「よし、ならまたぞろぞろ出てくる前にさっさと進むぞ」

浩之の言葉に従い、全員が奥の通路へと走った。追い縋ろうとする残りのラルヴァたちの前に美汐の喚び出した式神たちがイカヅチとともに立ち塞がった。

「おっしゃ、行くぞ…って、熱ぁぁぁ!!」

一番乗りとばかりに飛び込んだ浩平が、爆炎により茹で上げられた熱気のあまりの熱さに悲鳴をあげる。

「…馬鹿?」

それを見て、舞が真剣に首を傾げる。佐祐理はあははと乾いた笑いを漏らした。

「だぁぁ、何やってんだ折原。どいてろ!」

最後方から駆け寄ってきた祐一が怒声を上げつつ、剣を逆手に持ち返る。

「其は遥けき高みの神の座の あまねく息吹の小さき欠片 凍えし汝の最後の抱擁を此処に」

呪の調べが響き、祐一の手の中の『メモリーズ』が一条の槍と化す。

「≪葬冷烈氣(フリージング・ドライヴ)≫」

起動させた術式を『メモリーズ』に固定。そして、渾身の力を込めて『メモリーズ』を通路めがけて投擲した。
触れるだけで皮膚が張り付いてしまいそうな冷気を撒き散らしながら、投槍は通路を一直線にすっ飛んでいった。
自然と灼熱と化した空気が冷却される。

「うぎゃぁぁ、今度は冷てぇぇ!」
「知るかぁ! さっさと行くぞ」

祐一がなにやら喚いている浩平を引き摺りながら――というより吹流しのようにはためかせながら一番に奥へと走り込んでいった。
肩を竦めながら浩之が後を追い、舞と佐祐理も後に続く。そして、残る耕一、綾香、美汐、琴音も押し寄せるラルヴァ相手に奮戦する式神たちを背に通路の奥へと消えていった。

彼らの征く道は、深き漆黒の闇に閉ざされていた。まるで行く末を暗示するのだとでも言わんばかりに。

それでも彼らは、一片の躊躇も無く、闇の奥へと突き進むのだった。




 …続く







  あとがき


八岐「うー、お久しぶりです。執筆者の八岐です」

栞「アシスタント兼突っ込み役の美坂栞16歳です、こんにちは。ところで随分と間空きましたね」

八岐「い、いきなりですか(汗)」

栞「だってツッコミ役ですもん」

八岐「はぁ、そうですか。最近、ちょっと忙しいなって気分だったので」

栞「…気分ですか?」

八岐「気分です。というより本当はもっと忙しくないといけないのです」

栞「なに言ってるんですか?」

八岐「あはは、私にも分かりません」

栞「酔っ払ってますね、これ」

八岐「酒はやらんですよ、私」

栞「つまらない人生ですね」

八岐「はうぁ」

栞「ショックを受けるのは結構ですけど、次は早く出来るんですか?」

八岐「恐らくは。だいたい書けちゃってるので。でも、話は全然進みませんよ〜」

栞「ダメじゃないですか」

八岐「そうです、ダメなんです」

栞「り、力説してどうするんですかぁー」

八岐「そういうわけで、ちょくちょく間空くかもしれませんけど、よろしくお願いします」

栞「そして私の出番は後書きだけなのですの栞でした〜」


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