魔法戦国群星伝





< 第七十二話 CLASH POINT >






グエンディーナ大陸中央部 失われた聖地




冬の冷たさを和らげるように、空の彼方からこの地を優しく陽射しを投げかけていた太陽。
その太陽を、流れる雲が覆い隠す。
途切れる陽射し。
ただ、雲の隙間から差し込む数条の来光だけが、どこかこの寂寥たる地を慰めようとしていた。

幾千の黒魔たちの息吹が重なる。
彼らの紅眼が捉えるのは、ただ6名からなる人間たち。
彼らの吐き出す吐息は冬空の寒気に靄と成り果て、立ち込める。
十重二十重と塗り重ねられる凄まじい殺意が、空間を凝固させる。

そんな壊れた空気の焦点に、彼らは佇む。


「でさぁ、残ったのはいいけど、どうすりゃいいの?」

ニコニコとこの状況ですら笑みを絶やす事無く、柚木詩子は無邪気に訊ねた。

「ハーイ! みんな好き放題勝手にしやがれがヨロシイデース」

跳ね踊るかの如き能天気な声を上げ、元気良く右手を上げて主張するのは宮内レミィ。

「元よりそのつもりだ」
『賛成なの』
「あんたたち……」

かなり無茶苦茶な内容のレミィの言葉に平然と同意して見せる柳川裕也と上月澪に、香里は思わず掌で顔を覆い、たらりと一筋の汗をたらす。
その傍らで、北川が何か納得したように腕組みして頷いていた。

「なるほど、残った連中って大暴れしたいだけだったんだな」
「もしくは何も考えてないかね」
「あ、その何も考えてないのってアタシ〜?」

何故かとても嬉しそうに自分を指差す詩子。

「むう、そういえば俺も何も考えてなかったような…というより何時の間に俺ってば残る組に入ったんでしょう?」

あれ? とばかりに首を傾げる北川に、香里が急速に機嫌の角度を急勾配にしながらギロリと彼を睨みつける。

「何よ、行きたかったの?」

彼女自身は気がついていなかったが、その口調はどう聞いても拗ねてるようにしか聞こえない風情で。
だが、鈍さでは定評のある北川は、その根底に潜む感情を察知できるはずもなく、キョトンと目を瞬かせる。

だが、ある意味無心ゆえか。彼は向日葵が太陽に向かって顔を上げたように、ニパッと破顔して告げる。

「まさか」

それはなんの意図も思惑も無い、邪気の欠片もない笑顔で。
陽光そのままのような、真っ直ぐで、暖かな笑顔。
ただ、隣に居る事を当たり前と思わせてくれる笑み。

一瞬、まじまじとその笑みを直視してしまった香里は思わず顔に朱を散らし、焦ったように視線を逸らす。

「…ばか」


「おうおうおう、見ましたか、澪姐さん? 聞きましたか、澪姐さん?」
『ラブコメなの』

クネクネと不気味な踊りを踊りながら詩子が香里の周囲を踊りまわる。
ヒクリ、と香里の頬が盛大に引き攣り…

「だ、だ――」

誰がラブコメよー! という香里の魂の絶叫は、千を越えるラルヴァが一斉に放った咆哮に掻き消された。

それは戦いの始まりを告げる烽火。

真っ赤になって大声を張り上げていた香里は、いきなり横合いから伸びた腕に、腰を抱き寄せられる。
その行為に吃驚する間もなく、寸前まで自分が立っていた場所をラルヴァの爪が薙いでいくのを視界に映した香里は、罵声を飲み込んだ。
逸ったか、一鬼だけ突出して襲い掛かってきたそのラルヴァは天空からの孤を描いた斬撃で首と胴体を分け隔てられ、突撃の勢いのまま地面を転がる。
とりあえず目の前の危機が去り、一言云おうとして香里は首を捻じ曲げ、

「…ヴッ」

自分を抱き寄せている男――北川の横顔を思いっきり間近から見てしまい、思わず香里は濁音に濁った声を漏らす。
その声にハッと自分が何をしているか気付いた北川は、照れと恐怖が入り混じった顔で訊ねた。

「こ…殺す?」

グッと何かを言いかけてそれを飲み込む香里。視界の端に、さらに津波の様に押し寄せるラルヴァたちの姿が映っていた。
沸騰しそうな熱に掠れる声を何とか捻りだして、香里は北川に向かって投げつけるように云った。

「い、今だけよ!」
「おお、役得!」
「こ、こら!」

思わず怒鳴りつけようとした香里の耳に、その絶叫は叩き込まれた。

「頼むぜ、『絶』!」

ィ――――ィィン

自らの名を呼ばれ、応えるように『絶・龍征』の刀身が震えた。
北川は鳴き声をあげる妖刀を虚空にかざす。
その目前にはラルヴァの咆哮呪唱により具現した火炎球の弾幕。
そして―――風切り音が奏でられ、銀閃が宙に刻まれる。
呆気に取られる香里の目の前で、火炎球の弾雨は文字通り『絶』の斬撃に真っ二つに切り裂かれ、彼らの両脇を通り過ぎて後ろの門にぶち当たり、爆発した。
後方から吹き寄せる爆風に、香里の波打つ髪が前へと流れ、覆い隠された口元が言葉をこぼす。

「魔術を…切った?」
「こいつには多少だが魔力を退ける力があるんだわ。それを応用すればこんな芸当もできるって訳」

元の持ち主である自分も知らなかった妖刀の秘密をあっさりと告げられ、香里は目を見開いた。

「そんなこと―――」

何でアンタが知ってるのよ。

そう続けようとした語尾は、被さるように耳元で囁かれた言葉に押し留められる。

「あ、美坂。わりいけど、ちょっくら我慢な」
「え? な? キャ――」

視界が一瞬にしてブラックアウト。
辛うじて自分が抱き抱えられたまま宙を舞っている事を理解する。

北川は、周囲に迫っていたラルヴァたちを一太刀で斬殺。片手で香里を抱えたまま、ヒラリと跳躍して前を塞ぐラルヴァたちの頭上を飛び越え、囲みを突破した。


かくして押し寄せるラルヴァの群れは、一瞬にして彼ら六人を飲み込んでしまう。

六人はラルヴァの波に押し流され、図らずもなし崩し的にバラバラに分散した。
だが、それは少なくとも彼女ら二人に取ってしてなんらの不利ともならない。

宮内レミィ/柚木詩子

この二人に限って云うなら、周りに味方など居ない方が存分に力を発揮できるタイプの戦闘能力者だからだ。
共に、全周囲撃滅戦闘を得意とする見境無しのオールレンジクラッシャー。
そして、この状況は二人の能力を限界まで発揮できる狩猟の場。
片や、血に飢え、牙を閃かす高貴なる肉食獣。
片や、巣を張り、獲物の血を啜る無邪気なる女郎蜘蛛。

今此処に――第一次魔王大乱における柏木楓の戦いを上回る、対大集団撃滅乱撃戦闘が開幕した。






柔らかなブロンドの髪の毛が涼風にたゆたう。
ニィッと恍惚に満たされた笑みという名の亀裂。
だが、その瞳には一片の笑みも宿らず、まさに獲物を見定める獣の眼差し。

彼女が纏ったレザージャケットが翻る。覗き見えるは豊かな双丘、そしてその両脇に提げられたホルスター。
両手をクロスさせ、勿体つけるように、二挺の拳銃を抜き出す。そして突き出される両の手に握られる蒼と金の銃身。

――魔導式二丁拳銃『双后銃(ドッペル・ケーニギン)

右手に握られし蒼の銃を『悲愴なる碧玉(トラーギシュ・ザフィール)
左手に握られし金の銃を『幸運なる黄金(グリュックリヒ・ゴルト)』と呼ぶ。

かの魔銃を握りし彼女の名はレミィ・クリストファ・ヘレン・宮内。
魔弾の射手(フライ・シュッツェ)】の字名を持つ銃の女神。
今、彼女の手の内にあるは、無限の兵器。果てなく撃てる狂夢の具現。
そして眼前には獲物という名の有象無象。

血が滾り、歓喜が渦巻く。
レミィは感情のまま高らかに咆哮した。

「Let’s Hunting!!」

語尾の余韻は弾けた轟音に叩き伏せられ、狂気じみた笑みがマズルフラッシュに浮き上がる。
五月雨の如き光弾の雨が、彼女に襲い掛かろうとしていたラルヴァたちに突き刺さり、撃ち抜き、砕き、突き破り、叩き潰す。
一瞬にして十数発の弾を全身に喰らったラルヴァが原形をとどめぬ壊れた人形の様なボロくずとなって崩れ落ちる。
蒼と金色の銃身が眼前にて上下に重ねられ、銃口から魔弾精製の硝煙がゆらゆらと立ち昇る。
その煙の向こう側で、牙を剥く様に笑いながらレミィは声を弾ませた。

「At the ready Action♪」

その瞬間、双銃が大気を叩く轟音を発しながら、蒼と金の光跡を残し左右に広がった。180度にばら撒かれた弾丸がレミィを押し包むように迫るラルヴァを薙ぎ払う。
余韻を楽しむように一拍の間が流れる。
そして両腕を大きく横に広げたまま、彼女は前へと歩き出す。
銃口は地面に向かい、まるで糸に吊られた操り人形だ。だが、その足取りに人形の如き虚ろさは微塵も無い。
その歩みに気圧されたようにして、レミィの進路上にいたラルヴァたちが後退る。だが、背後を取った一匹が覆い被さるように彼女目掛けて飛び掛った。

人間の頭部など、ふれた瞬間風船のように破裂するはずの一撃。
だが、その一撃が届こうとした刹那、ユラリ、とレミィの体が反転する。それは両腕を広げたままのその動きはさながら扇が舞うようで。
ラルヴァの一撃は見事に透かされ、つんのめるようにたたらを踏んだ。
レミィのジャケットがフワリと翻り、一回転すれば目の前には背を向けたラルヴァの姿。
広げられた両手が正面に釘打たれたように固定された。そして連なる銃口と云う名の双眸が、静かに睨むは無防備なる獲物の命。
そして銃爪は躊躇なく無慈悲なままに絞られた。
発砲音は重なる二発。光弾は背中の肉を破砕し、背骨をへし折り、胸部の皮膚を突き破った。
血反吐を吐きながら絶叫と共にうつ伏せに倒れるラルヴァ。
レミィは言葉もなく、銃口を前へと揃えたまま苦しむラルヴァの元へと近づくと、無言のまま黒革のブーツの底でのたうつラルヴァの背中を踏みつけ、押さえつける。
そして右手の蒼銃を痙攣するラルヴァの後頭部に押し付けると無造作に再び銃爪を引いた。
くぐもった銃声が、いつの間にか訪れていた静寂を独り、震わせた。
黒い血飛沫と脳漿が弾け飛ぶ向こう側で、レミィは俯けた貌をもたげる。

「It isn't satisfied. It isn't satisfied. It isn't satisfied at all.
(足りない、足りない、全然足りないわ)
Welcome early. So. It is early! early! early! early!
(早くいらっしゃい。そう、早く、早く、早く、早くッ!)
Since the good nightmare is shown.」
(良いユメを見せてあげるから)

怯むラルヴァたちに向かって、狂ったような笑い声が放たれ、同時に黄金の獣が解放される。

「Dance and dance and it should be shot by my bullet.
(舞いなさい、踊りなさい、私の銃弾に撃たれなさい)
And throw out internal organs by saying and fall into ruin.
(臓腑をぶちまけ朽ち果てなさい。)
And see a good nightmare.
(そして良きユメを)
My dear game.」
(私の可愛い獲物たち)


そして歩き出す。悠然と、王座へと進み出る姫君を彷彿とさせる優雅な歩み。
さらさらと金色の髪をなびかせ、歩むその姿はまごう事なき高貴なる存在。
そしてその両手には傅く騎士の如き二挺の拳銃。
ただ、その表情だけが隔絶している。
ただ、表情だけは獣の笑み。

張り詰められた緊迫という縛鎖が限界を越え引き千切られる。
堤の決壊さながらに、周囲を囲んでいたラルヴァたちが弾かれたように襲い掛かる。
されど歩みは微塵も揺るがず。
眼差しは違える事無く前を刺す。
ただ、女神を守護する二挺の騎士が、自らの剣である銃弾を解き放った。

地を蹴り、その重厚なる質量のまま圧し掛かるようにレミィに飛び掛った5体のラルヴァが正確に眉間と心臓に3発ずつ喰らい撃ち落される。
途切れる事の無い発砲音。さながら爆竹の一斉点火を連想させる音波の連打。だが、その一弾一弾はこの上なく精密。一発の無駄弾無く群がるラルヴァどもを駆逐していく。

ドレスの裾を地へと翻すが如き滑るような足の運びのまま、銃口を眼前に並べて六連射。進行方向四メートル前方にいた三鬼のラルヴァが、頭部に二発ずつの光弾を喰らって脳漿を盛大にぶちまけて吹っ飛ぶ。
そしてすぐさま両手を左右に広げて12発、そのまま動きを止めずに左手を天空に向けて連射しつつ、振り返りもせず右手の蒼銃を脇から背後に差し向けて5発。
弾の数だけのラルヴァが、頭蓋を撃ち抜かれ、魔晶核を破壊され、衝撃に吹き飛びつつ塵と化す。

視界が一瞬にして赤へと染まった。
数百のラルヴァが一斉に咆哮している。呪唱咆哮。
虚空に灯る紅蓮の明り。燃え盛る火炎の紅球。
一際咆哮が高く震えた。同時に解き放たれる火球群。猛るような唸りをあげ、青白い火線を残しながらレミィ一人に向かって飛翔する紅球、その数四百。
ただ独りの人間を焼き尽くすには、過剰すぎるほどの獄炎だ。

そして――レミィの歩みが漸く止まる。
視界を覆い尽くす火炎の飛来に、口端の笑みが、狂笑と呼べるまでに切り裂かれる。

その瞬間、双の魔銃が火を吹いた。
光弾があまりの連射に光線の如く繋がって見える。全ての災厄を撃ち落す、それはまさに光の弾幕。
火山の噴火の如く撃ち出される光弾と、横殴りの流星雨と見間違わんばかりに降り注ぐ火球。
そして、それらは真正面から接触した。

――連鎖起爆。

一瞬にして世界が真紅に染め上げられる。
ラルヴァとレミィの中間点。唸りを上げて飛ぶ紅弾の悉くがそこを突破できず次々と爆発する。虚空に爆裂という名の真紅の花が雪崩れるように咲き誇る
銃口から絶え間なく吐き出される光弾が、火炎の球を片っ端から撃墜しているのだ。
爆散した火炎球の爆炎が、横たわる炎壁となり、ラルヴァとレミィの間を別つ。
秒間に五回以上の連続した炸裂音は、ラルヴァの咆哮すら掻き消し、辺りにいるすべての生物の聴力を飽和させる。
やがて……
光弾は押し寄せる火炎の雨すらも上回りはじめる。
迎撃の光弾は、撃ち落すべき火炎球をも圧倒し、聳え立つ炎壁を突破。未だ咆哮を続けていたラルヴァたちへと降り注ぎ始めた。
一瞬にして、五十近いラルヴァが胸部をぶち抜かれ、腹部を突き破られ、太腿部を切断されて、頭部を破砕されて倒れていく。
そのあまりの猛襲に、ラルヴァたちもたまらず呪唱咆哮を途切らせて弾丸の雨から逃れようと後退した。

火炎雨が収まった。
火勢を弱めた炎壁の中から焔を従えるようにして一人の女性が歩き出てくる。

まるで、弄ぶかのようにクルクルと両手の指で蒼と金色の銃を回しながら。
熱波の上昇気流が彼女の金髪を舞い上げ、火の粉がその輝きを際立たせる。
その雪のように白い肌もまた、薔薇のように照り返り、貌に浮かぶ笑みを彩っていた。

その笑みのまま、彼女は誘う。

「Always the dance of powder smoke having still started.
(硝煙のダンスはまだ始まったばかり)
please give me escort -- my dear game.」
(エスコートをお願いするわ…私の可愛い獲物たち)








暗色の繋ぎに覆われた肢体がヒラリヒラリと虚空を弾む。
小柄で、華奢で、儚いその身を弾ませながら、彼女はステップを踏むように走る。
暗色で身を固めながら、何故かその姿は光り輝くかのごとく眩しい。
それは彼女の浮かべる無邪気な微笑み故か、それともその笑顔どおりの心根か。

黒き悪魔たちの群れの中を、彼女は駆け抜けていた。
降り注ぐ爪、牙、火炎、氷結、雷撃。その何れをも、彼女を捉える事も掠る事すらも出来ない。
軽やかに飛び跳ね、身を捻り、トンボを切る彼女に触れる事すら出来ない。

小賢しくも逃げ回る人間の小娘に、幾百のラルヴァたちが取り囲むようにして追い縋る。

彼らには聞こえぬのか、微かに震える軋みの音が。
弦を奏でる波紋の音が。

詩子が跳ねるごとに、両腕を優雅に巡らすごとに、煌めく微かな照り返りを、ラルヴァたちは見逃していた。

傍目には、小柄な少女は徐々に追い込まれているように見える。
周囲は黒色に埋め尽くされ、もはや足の踏み場もないといった風情。
トン、と軽やかな踏音を響かせ、着地した彼女に四方からラルヴァが襲い掛かる。
詩子はまるでバネでも仕込んだかと思わせるほど羽根のような身軽さで、ラルヴァの巨体の頭上にまで飛び上がった。
だが、もはやチェックメイト。眼下はラルヴァに埋め尽くされ、下りる場所も無い。重力に引かれ、地に着いた瞬間その身を切り裂いてやろうとラルヴァたちがてぐすね引いて狂咆と涎を垂らしながら虚空の彼女を見上げる。

「あらま、ヤッバー」

その状況に今さら気がついたように詩子は間抜けた声を空に響かせた。

「でも、詩子ちゃんは早々簡単には捕まらないのです、おほん」

軽く手を口元に当てて咳払い。同時進行で宙でくるりと身を捻る。

「…ほいっと」

その瞬間、足から落ちかけていた詩子の体が虚空へと停止した。それは丁度、ラルヴァの爪が届かぬ程度の高さ。まるで眼下で呆けるラルヴァたちを嘲るような微妙な高さ。
愕然としたラルヴァたちだったが、すぐさま飛び上がろうと翼を広げ、または呪唱の咆哮を放ち始める。

「うーん、ダメダメ。ちょーっと遅いの、手遅れなのよね」

ニコリと言い捨て、詩子は軽やかに虚空を走り始めた。まるで空間を踏むようにして……いや、それは違う。彼女が走っているのは大気でも空間の上でもない。
いつの間にか虚空へと張り巡らされた細い糸。注意深く見極めてなお、辛うじて見えるかというぐらいの極細の銀糸。その上を詩子は疾走しているのだ。

「残念だけど、あんたたちみんなあたしの巣に絡まっちゃってるのよね。だからあんたたちは蜘蛛の巣に引っかかった哀れな羽虫……」

糸がしなる。
それに合わせて詩子は高々と舞った。
大きく広げられたその手に嵌められているのは、漆黒と金色の斑紋様の指抜きグローブ。
十指が旋律を奏でるように舞い踊る。其処から伸びるのは輝く銀糸。

「蜘蛛乃部―妖深技『茨巣』改めぇー」


キュイィィィィィィィ


何かが引き攣るような音が彼女の四方数百メートルのフィールドに一斉に鳴り響く。
途端、辺り一面を蠢いていたラルヴァたちの動きが、何かに絡まったように停止した。
ラルヴァたちは驚愕と共に自らの身を見下ろし、愕然とする。
気がつかぬうちに、全身に絡み付いている銀色の糸の存在を見て。

そして――詩子が着地と同時に両手を交差させながら地面へと振り下ろす。

「詩子ちゃんのバラバラ残酷祭りぃ!!」


プ―――――ッツン

それは、張り詰められた糸の断裂音。
いや、糸に絡まりし哀れにして愚かなるものたちの断絶。

その奏での余韻が風に紛れて消えた瞬間――

ズッ―――

何かが定位置から決定的にずれてしまった音。
うずくまる詩子を中心として、およそ五百メートル前後のフィールドに蠢いていたラルヴァたちの造形が一斉に崩れ始める。
そう、胴体が斜めに滑り落ちていく。
頭部が縦に割れていく。
腕がポロポロと輪切りになって落ちていく。
巨体がバラバラと小さな破片となって、崩れ落ちていく。


そして―――
ラルヴァの肉体たちは、自分が切り刻まれた事を漸く理解し――

一斉に黒色の血が充満した水風船が破裂した。
地表が莫大なる液体を吸い込み、血の泥地へと変貌する。

六百鬼近いラルヴァが一瞬にして細切れの肉片へと変身した瞬間だった。

凄まじい血臭と、片端から灰へと化していくラルヴァの真ん中で、詩子は戦場へと張り巡らせた糸を手元に戻しながら立ち上がった。


「よしよし、『茨巣』なんかより『詩子ちゃんのバラバラ残酷祭り』の方がカッコいいわよねえ」

柚木詩子――ネーミングセンスの欠片も無い女だった。






前者二人に対して、彼女――上月澪の方は少々途切れる事のない大量の敵に苦戦していた。
否、うんざりしていたと云うべきか。
澪は胸元にスケブを抱えながら、小さく詰まらなそうに溜息をついた。
その吐息は、周囲で立て続けて巻き起こる爆発音の濁流に押し流される。時より押し寄せる爆風と土煙にケホンケホンとくしゃみが漏れる。

佇む彼女の周囲をまるで燕が舞い飛ぶようにして五枚の紙が旋回していた。【迎撃】の文字が書かれたその紙は、回転しながら空中を高速移動してロングレンジから飛来する魔術攻撃を片っ端から叩き落している。
先ほどから彼女の周囲で繰り広げられている爆発の半分がこれだ。

これはまだ7,8メートルほど外周での出来事なのでガマンできない事もない。
だが、【迎撃】紙が撃ち漏らす魔術も多い。何しろ敵大多数に対してこちらは独りだ。飽和攻撃で来られるととてもではないが、全部を撃ち落すことなど不可能。
それら迎撃を突破した魔術群は、立ち尽くす澪の僅か2,3メートル外側で【護】と書かれた六枚の紙により形成された結界により、すべてが弾き返されている。
だが、引っ切り無しに飛び込んでくる魔術に、澪は完全に足止めを喰らってしまっていた。舞い上がる土煙で外の様子も窺い知れない。
近づいてくるラルヴァに関しては、事前にばら撒いていた【飛斬】と書かれた紙群が、一定の領域に踏み入ったものを自動的に切り刻んでいるので、不意を突かれるような接近戦闘は免れている。
だが、彼女自身は何もする事がなくなってしまい、憮然と襲い掛かってくる土煙と爆音に顔を顰めていた。

先ほどから攻撃紙を時たま放り投げてみるものの、ここからでは土煙と爆炎に視界を遮られ、効果が全くわからなくて詰まらないし、紙も勿体無い事もあるのでやめてしまっている。
余りに暇なので、書き書きと自分の思いを書いてみる。

『詰まらないの』

書いた文字を掲げてみて、はたと困った。
見てくれる人がいない。
ちょっと涙目になる澪。

ブンブンと首を横に振って、滲んだ涙を振り千切り、不貞腐れながらカキカキと新たな文字を書く。

『独り書きなの』

独り言の類似系新語であった。
書いてみて、またはたと気がついた。やっぱり見てくれる人がいない。

む…虚しいの

何か打ちのめされたように地面に両手をついてしまう。
ドーンと挫折している澪の真横でドカーンと一際大きな爆発音。そちらを見上げた澪が見たものは、そろそろ限界を超えかけ、ブスブスと黒い煙を吐き出し始めている【護】と書いた紙。
澪は袖口から取り出した筆をサラサラと目にもとまらぬ速さで手元の紙の上に走らせた。
新たに【護】と書かれた紙を煙を上げている紙の方に切るように投げる。新紙は風を切るように飛ぶと、フワリと虚空へと張り付いた。

補修なの……って、だから虚しいの

何か酷く地味な作業を行っているような気がして、さらにガクリと落ち込み崩れ落ちる。

これではいけないの。もっと行動的に頑張るの!

グっと拳を握り締めて立ち上がる。
なにやら決意を固めたご様子。

澪はいきなり手に持っていたスケブの紙をすべて破り捨て、宙へと放り投げる。
それだけではない。ごそごそと、ややゆったりめのローブを翻すと、いきなりさらに宙を舞う紙を数十倍する量の紙束を取り出し、追加するように上へとばら撒いた。
いったいどこにそれだけの紙を仕込んでいたのか。千枚に届こうかという紙の渦が、結界内に散らばり舞い踊る。
そして、澪の両手にはそれぞれ一本ずつの黒い筆。呪唱の代わりに術式を組み上げる魔法の文字を生み出す筆。
その筆が踊る。
素早く、優雅に、たおやかに。
虚空を踊る紙たちに、呪文を記し、命を吹き込んでいく。一枚一枚に、確かな力を刻んでいく。

『紙法術命魂具現法 紙鳳創画なの!』

誰も見てくれなかろうが、こればかりは書かねばならないお約束。
高々と術名を掲げた澪の周囲の紙が、上昇気流に巻き込まれたように一斉に舞い上がる。
バラバラに踊る紙たちは、やがて手を繋ぎ、輪となって踊り出す。楽しげに重なり、身を捻り、折りたたまれ虚空で踊る。
いつしか紙たちは一つへ集い、新たな姿を象り出す。
羽ばたく翼、打ち震わせる尾羽、それは高らかに鳴き轟く鳳の姿。

――紙の鳳凰


無数に蠢くラルヴァたちは見た。
爆炎を吹き飛ばし、天空へと舞い上がる純白の鳥の姿を。
そして、その背に乗る小さな少女の姿を。


やっちゃうの!

その声は大気に震えず、耳には聞こえないだろう。
だが、その声は意思となり、指針となって紙鳳を誘う。

紙鳳はバサリと一度大きく羽ばたくと、頭を真下に縊り下ろし一気に急降下。
地面に激突する寸前に首をもたげ地表スレスレに飛翔する。
紙鳳が通った直後、地面が爆発したかと思うほどの衝撃が、一直線に走った。
ゴミくずの様に吹き飛ばされ、叩き潰されるラルヴァたち。
そして、それだけでは終らない。
衝撃波の後に、連なるように襲い来た突風。其処には無数の小さな紙片が紛れていた。
まるで、白の疾風。紙の乱舞。
小さな紙片は鋭利な刃と化し、突風に飲み込まれたものたちの身体に容赦なくめり込んでいく。
ラルヴァたちの漆黒の巨体が一瞬にして真っ白に染め上げられた。全身を紙片に突き刺され、逆らうすべなく絶命していくラルヴァたち。
その遥か上空で、紙の鳳凰が優雅に羽ばたき、笛の音のような鳴声を奏でていた。






そして――――

腕組みをしたまま仁王立ちに立ち、動こうとしない男が一人。
触れただけで骨ごと切り裂かれそうな凄まじい鬼気を撒き散らしながら、その男は佇んでいた。

――柳川裕也。

ある一点を見つめたまま微動だにしないその男に、何故かラルヴァたちは襲いかかろうとしない。
ただ、周囲を囲んだままその様子を窺うように荒々しく臭い息を吐き出し、鈍い紅の瞳を蠢かせている。

と、柳川の引き絞られた口元が微かに吊り上がった。
元々さして開かれていない彼の眼差しが、さらに薄さを増し凄惨な光を宿す。

その彼が見つめる方角、その向こう側から誰かが歩いてくる。
柳川を囲むラルヴァたちは、その人影に屈するように両脇へと道を開けていく。
そして、黒き壁は途切れ、その男は現れた。

やや青みがかった短髪。顔に切れ目を入れただけのような細い眼光。口端には余裕に満ちた笑みを宿し、そのやや大柄な体躯を微かな呼吸音でリズムをとるように揺らしている。
まるで人間のような姿。
決して、見た目だけでは何らの脅威も覚えない。
そう、さながら、この柳川裕也という男のように。

男は無造作に手を振ると、背後に蔓延るものたちに告げた。

「貴様等は他の連中の相手をしていろ。こいつはオレの獲物だ」

その言葉に押しのけられるようにして、ラルヴァたちは後退り、踵を返して新たなる戦場へと向かって云った。
まるで引き潮のようにあっさりと周囲を囲むラルヴァたちはいなくなる。

男は、顎を上げ、やや見下ろすように柳川を見やると、ニヤリと顔を歪めて言った。

「よう、雑種」

ピクリ、と柳川の目尻が動く。

「雑種?」
「そうだろう? 人間とのな」
「なるほど、確かに雑種だな」

フン、と柳川は鼻で笑った。どうでもいい事だ。

「ずっと…この場に訪れてから意思を感じていた。そう、獲物を見定めるような視線と云い変えてもいい」
「そうだ…貴様等の中で楽しめそうな者を見定めていた…いや、違うな。貴様と、もう一人の男……鬼と呼ばれる者たちこそ、オレの標的。最初からそのつもりだった。尤も、オレの本命はもう一人の方だったんだがな」
「耕一か」

柳川は詰まらなそうにその名を呟く。
男は愉快げに笑い声を漏らすと続けた。

「そうだ、貴様のような雑魚ではなく、顕現させずになお漏れ出さずにはいられない強大な力を有するあの男、あの男こそ素晴らしい生命の灯火を散らすだろう。お前は、その前座という訳だ」
「命の炎の輝きを望む者…クククッ、そうか、やはりそうか」

込み上げる歓喜に、柳川は漏れ出る笑いをこらえ切れなかった。
滾る灼熱を押さえ込むように顔面を掌で覆う。
その指の隙間から、爛々と瞳が紅に染まっていくのが覗いた。
まるで鮮血のような紅が輝く。
ぶちまけられていた鬼気が集束し、柳川の身を包む。さながら陽炎のように大気が歪む。
凶悪に伸びきった牙を剥き出し、柳川は煮えたぎる思いのままに咆え叫ぶ。

「さあ、見せてみろ、純血の力を!!」

その叫びに答えたように、男の肉体がたわんだ。
途端に男の立つ地面が凄まじい悲鳴を上げた。男の体が鉄の塊と化したように大地に沈み込む。
手足が内側から爆発したように丸太の如き太さとなり、屈んだ背筋が拉げたと思った瞬間膨らみ伸びる。
肉を突き破るようにして、こめかみから硬質の何かが生え、後ろに向かって軋みを上げながら伸びていく――それは角だ。
肉体が変質し、変色し、別の生物へと変わっていく。

否、元の姿へと戻っていく。

触れるだけで裂けてしまいそうな牙の並びの隙間から、そのおぞましい声は発せられた。

「我が名はラギエリ……」

ゆっくりと、身を起こす。
それは二メートルを超えるかという巨体。そして、ラルヴァなど塵芥同然の威圧感…鬼気を発する真紅の目を持つ異形の者。

「そうだ。オレは貴様ら人間との雑種ではない、本物の……エルクゥ」

ギラリ、と紅の瞳を真っ赤に見開き、ラギエリは云う。

「否、オレはエルクゥを越えた者。真なる狩猟者…人とエルクゥの雑種よ、このオレに狩られる事を誇りとして…死ね!」


柳川は姿を変えない。
ただ、近づくだけで内側から燃え尽きてしまいそうなほどの濃密な鬼気を纏いながら、鉄をも切り裂く鬼の爪を伸ばす。

「狩られる? ククククッ、戯言を」

実に楽しい出来事が始まる。
そう、言わばガディムなどと戦うことより楽しい事が。

同族の…そう、かつて自分が敗北した時の耕一のように、エルクゥとしての力で自分を上回る者。

もはや、耕一と命をかけて戦う事は敵わない。本当の命のやり取りを行なう事は出来ない。
だが、望んでいた。
柳川という男はそれを望んでいたのだ。

擬似的とはいえ、その望みが今目の前に佇んでいる。
自分を狩ると言っている。

嘲笑するように口元を歪んだ。

「狩られるのは、貴様の方だ」

爪が大気を切り裂き、銀の軌跡を虚空に刻む。

それが望みし戦いの号砲となった。




  続く





  あとがき



八岐「うーん、だいぶ間が空いてしまいました」

栞「しかも、話は全然進んでませんねえ」

八岐「進んでないのよ。どうしましょ」

栞「どうしましょ、って私に云われても」

八岐「だよねー」

栞「うー、もっとしゃきっとして下さい」

八岐「ういっす。ペース落ちるのは見逃して下さい。その分、出来るだけしっかり仕上げますんで」

栞「ホントですかぁ?」

八岐「ああ、全然信用が無い……」



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