魔法戦国群星伝





< 第六十八話 歌の調べは再会の奏で >



御音共和国 千葉



ここ千葉での大陸の存亡を賭けた戦いもまた降山と同様、一気に激化していた。

特に前線後方での乱戦特化部隊――七瀬留美の突撃戦隊(アサルト・フォース)、長森瑞佳の強襲魔獣兵団、符法院の戦法師団『鈴音』、御音特別調査局実働部隊『サイレント・コア』といった部隊とラルヴァとの戦いは激烈なものとなっていた。

原因は一瞬の空白。

戦場をその始まりから彩っていた爆音、熱波、そして視界的大迫力の元凶…≪カノン・ケロピー≫が続けていたプラズマ火球の砲撃が唐突に止んだ事だった。

動揺は一瞬にして全軍に波及した。

カノン皇国軍総大将 美坂栞自ら前線に駆け込んでの督戦や、満身相違ながら一歩も退かず声を張り上げる久瀬俊平、東から西へ将兵を叱咤して回った深山雪見・川名みさきらを中心とした御音・カノン軍の将帥たちの奮闘で、本来ならこのまま崩壊してもおかしくなかった兵士たちの士気は思いのほか早く回復した。
だが、一時ゼロに近いまでに薄くなった弾幕は、容易にラルヴァの進軍を許してしまい、万を越えるラルヴァたちが前線を突破してしまったのだ。


そして最前線の奥…後方での戦いは一気に激戦と化し、なだれ込んできたラルヴァたちに対し各部隊は阿修羅の如く暴れ狂った。


中でも七瀬留美と長森瑞佳の『猫』たちの戦いたるや、凄まじいの一言だった。
彼女らの進む後は、屍血渡河。
七瀬のハルバードが一振りされるたびに、『猫』の牙が閃くたびに、ラルヴァが屍体へと加工され量産されていく。

「真希ぃ! 遅い! 遅れてるわーよっと!」

語尾が跳ね上がると同時に、右にぶん回されたハルバードに切断させたラルヴァの首が飛ぶ。
ハルバードはそのまま止まらず、周囲を囲もうとしたラルヴァたちの胴体を一閃とともに一斉に断ち割った。

「私はあんたと違って普通の女なの! 付いていくのがやっとなんだからちょっとは待ちなさい!! って聞いてないしぃぃ!!」

どうしたらあんな重いものをああも軽々と振り回せるのだろうかと思ってしまうような軽やかさでブンブンとハルバードを頭上に掲げて七瀬留美はラルヴァの群れへと突っ込んでいく。
七瀬の姿はあっさりと黒い巨体の波に消え、直後、乙女の咆哮とともに吹き飛ばされて宙に舞うラルヴァの屍が幾つも観測された。

自分の言葉通り、息を荒らげながら七瀬の後を追っていた広瀬真希は、そのぶち切れた戦い振りに呆れ果てたと云わんばかりに大きく溜息を付き、後ろを振り返る。
七瀬突撃戦隊の猛者たちが、隊長のテンションについていけずどこかゲッソリとした表情を浮かべていた。

「あの馬鹿、やばくなればなるほど活き活きして…どこが乙女だってーのよ」

燃える闘魂 七瀬留美…その漢っぷりは伝説となった。

「だれが漢じゃぁ!!」





「これは…少し忙しさが過ぎますね」

ふわり、と厚みのある三つ編みが浮かび、吹き寄せる爆風にたなびきそして重力に引かれて落ちる。
炸裂した魔術の爆風に乗って後方へと跳んだ里村茜は、バランス良く着地すると少し地面を滑って止まった。
背中越しにトン、と何かにぶつかる。
振り返るまでもない。
自分と背中合わせに剣を抜いて魔術の調べを奏でているのは長森瑞佳。
瑞佳の呪に乗せるように茜もまた唇を振るわせ始める。

事象が二人の奏でる呪の調べによって現世へと誘われる。

瑞佳の胸元に灯るのは仄かな橙色の光。
茜が掲げる両手に浮かぶのは水色の光。

二人の調べは同時に途切れ、そして引き金が引かれた。

「『焼燃乱舞(ヒート・ロンド)』!」
「『凍香散乱(ブルー・エンカウント)』」

生まれ出でるは炎華と氷華。

少女たちの両脇で、ラルヴァの黒体が燃え上がり、凍りつく。
完全に凍りついたラルヴァが甲高い音と共に砕け散った時、瑞佳と茜は左右へと飛び退いた。
爆炎が寸前まで二人の立っていた場所を撫でる。

「イクミ! ハルカ!」

名前を呼ばれた『猫』たちが、瑞佳の指し示すラルヴァの群れに飛び掛かり蹂躙を開始した。

ようやく少し息をつける。
周囲に迫っていたラルヴァもとりあえずは一掃された。
僅か数分の空白ではあろうけども、その僅かが今の彼女たちには貴重そのもの。
茜はしばらく一度も止まる事無く駆け回っていた身体を少しでも休めようと大きく息をついた。

三つ編みを重たげに所定の位置へと戻しながら、茜は首を傾ける。
そして瑞佳の姿を捉えた視界の端に、それは映った。

「瑞佳ッ!!」

それは彼女たちの張り詰めつづけた緊張が途切れた刹那の時。
空気が弾けたような茜の声が響く。
それが耳に飛び込むと同時に、押し潰されるような殺気を感じた瑞佳は背後を振り返った。

何もいない。
違う、上だ!

次の瞬間、隕石の様に落下してきた巨体の衝撃。瑞佳は思わず両腕で顔を庇いながら心の中で絶叫した。

天蓋結界の中を飛んで来たの!?

正確には僅か数十メートルを飛んだに過ぎない。
それもかなりムリをしての飛行だ。だが、頭上にまったく意識を向けていなかった彼女にとって、それは完全に奇襲となった。

混乱にも似た驚愕が瑞佳の思考を満たす。
そして刹那の判断が致命的に遅れた。

膨れ上がる魔力の波動。
その起動の瞬間を察し、瑞佳の意識が白く染まる。

「あ…」

近すぎる!? 避けられない!

顔前に掲げた両手の隙間から、破壊をもたらす赤い光が差し込んでくる。
それが解き放たれようとした刹那、いきなり光が揺らいだ。
同時に横殴りの爆発がラルヴァを押し包む。光越しに黒い巨体が揺らぐのが見えた。
瑞佳は咄嗟に横に身体を投げ出し、直後を熱線が通り過ぎる。
熱さを通り越し痛みを与える熱波が瑞佳の頬を叩いた。

「――ッゥ!!」

地面を転がりながらも瑞佳は何故ワンテンポ向こうの攻撃が遅れたのか理解した。
茜が放った魔術の直撃。
心の中で彼女に感謝を述べながら顔を上げ、敵を見る。
そして無意識にその名を叫んだ。

「グレーター!」

グレーターラルヴァ。ラルヴァの上位存在。
これは総力戦だ。会戦勃発当初からその存在はそれなりの数、出現している。
ただ、このタイミングは最悪だった。
ちょうど、周りから『猫』たちを解き放った直後…今、この場には自分と茜しかいない。

だが、自分の方に向かってくると思ったグレーターが此方を向かず、別の方に顔を向けたのを見て、瑞佳の顔がさらに青ざめた。
その紅瞳の視線の先にいるのは里村茜。
グレーターは横から邪魔をしてくれた彼女の方を殺意の優先対象と見なしたのだ。

「…くっ」

凶暴な視線に注視され、瑞佳に駆け寄ろうとしていた茜は思わず立ち竦み、後退る。
だが、その後退も三歩も進まずに止まらざるを得なくなった。
背後に再び重い着地音。
振り返った茜の目元が強張った。

グレーターラルヴァがもう一鬼。下卑びた笑みを浮かべながら自分をねめつけていたのを見て。


「やだっ! あ、茜ぇぇ!!」

瑞佳の取り乱した悲鳴が聞こえた。
ゆっくりと挟み込むようにグレーターが近づいてくる。
茜は唇を噛み締めながら、視線を左右に巡らせた。
ラルヴァたちは完全に茜を挟み込んでいる。
逃げれる体勢ではない。


「冗談では…ありません」


殺意が肌を突き抜け、鼓動を早くさせる。
じっとりと滲むそれは汗。

ジワジワと押し寄せるそれは恐怖。


一歩ずつ、ラルヴァが近寄ってくる。

一歩ずつ、死が迫って来る。


何も出来ない。

何をしても意味がないと…彼女の聡明な思考が告げていた。

聡明さなんて、なんの役にも立たなかった。


それは絶望の…到来。










――ユメを見ていたの――











「え?」


彼女の耳朶を、心地よい震動が震わせる。

それはあまりにも唐突で……咄嗟になんだか分からなかった。


……唄…なのですか?



思わず、心を覆う絶望も、思慮を破壊する恐怖も、身に迫った死すらも忘れ、茜は視線を泳がせた。










――覚めない夢を見ていたの――











そして必然のように見つけた。

自分の正面。

少し離れた向こう側。

いつからなのだろう。
一人の小さな女の子が佇んでいる。

白いワンピースに身を包んだ小さな女の子が佇んでいた。


いつからそこに居たのだろう。

泣いてしまいそうなほどに、あまりにも戦場に似合わない姿。
血に濡れた戦場という領域にあまりにもそぐわない穏やかな雰囲気。
彼女の周囲だけが、平穏に包まれている……そんな幻視さえ浮かぶ優しい歌声。










――苦しいユメ 辛いユメ 悲しいユメ――











茜は思わず状況も忘れて魅入った。

戦場に響く無骨な音楽の中で、透き通るような声が流れている。










――でも、それは本当は現実だとわかってる――











それは歌声。










――それは眼を逸らしてはいけない事――











それは少女の歌声。










――だから幸せなユメを見続けたいと目蓋を閉じる――











眼を優しげに閉じながら、少女が空に顔を向けながら静かに唄を歌っていた。










――心地よい闇の寝床でいつまでも眠りつづけたいと願う――











「茜! 茜! アカネアカネアカネぇぇ!!」

狂ったように自分の名前を繰り返し呼ぶ声。
瑞佳の悲鳴に茜の意識は現実へと帰る。
見れば瑞佳が泣きそうになりながら、剣を振りかぶって此方に走ってくる。

間に合わないのに…

茜は引き戻された死という現実を前にしてふっとそんなことを思ってしまう。
ただ、そうやって必死に泣き叫ぶ彼女が、とても愛しかった。

死をもたらすモノどもはもうすぐ其処に、見上げれば自分をねめつける紅瞳がもうすぐ側に。


逃げられないという事。










――でも覚えておいて いつでも世界はあなたたちを見守っているんだよ――











死が訪れようとしていた。
とても唐突で、理不尽な死だ。
でも死ぬという事はいつも唐突。いつだって理不尽。そんな事はよく知っている。
先生が死んだ時、それを知った。

それでも、今回だけは生き残らなければならなかったのに。
今回だけは生きて帰らなければならなかったのに。

あの人を……闇から連れ出すために……

でも…それも……無理のようだ。











――そして忘れないで いつでも誰かがあなたたちを見守っているんだよ――











「茜ぇぇぇ!!」

ごめんなさい、瑞佳。せっかく本当の友達になれたのに。

ごめんなさい、詩子。せっかく私に力をくれたのに。

茜はゆっくりと自分に死を与えるであろう悪鬼たちを睨みつけた。

最後まで足掻こう。それがどれだけ無駄な事だとしても……

自分を切り裂くであろう魔物が爪が振り上げられる。
自分を食い千切るであろう魔物の牙が閃き光る。


茜の双眸から、一雫の涙が零れた。


司…司……会いたい…会いたいです…このまま死ぬなんて嫌です!
貴方の笑顔をもう一度見たかったのに!
貴方にもう一度、見つめてもらいたかったのに!

貴方にもう一度だけ……茜と呼んでほしかったのに……

でも…でも… ごめんなさい、あなたを闇から連れ出すと偉そうに云ったけれど。
ごめんなさい…

「……つかさ」










――さあ、眼を覚まして 夢の空から――











ドン――ッ!!

鈍い衝撃。
身体を引き裂く死の衝撃…

だが、茜は自分の身体のどこにも痛みを感じていない事に気が付き…ぼぅとした意識のまま眼差しを上げた。

それは現実感のまるでない、あやふやで、信じられない情景。

左を見上げる…自分に食いつこうとしていたグレーターが、脳天から縦に胸まで断ち切られていた。その傷痕は凍りつき、血も噴き出ていない。
右を見上げる…自分を爪で引き裂こうとしていたグレーターが、その魔手を誰かに受け止められ驚愕の表情を浮かべている。その顔に次の瞬間巨大な氷の錐が突き刺さった。

後ろに倒れていくグレーターラルヴァの爪が、突き刺さっていた氷の楯から抜け落ちる。
氷の楯は砕け散り、茜に向かって氷片を撒き散らした。

冷たい、氷雨

火照った肌に、その冷たい感触が心地よい。
そして、その冷たさは茫然としていた茜を現世へと引き戻す。

誰かが居る。
自分の後ろ。
覆い被さるように……自分を抱き締めるように…

降りしきる雨から、彼女を守るように……










――大丈夫……きっと大丈夫だから――











理由の分からない怯えが、茜の心を満たした。
救いを求めるように、瑞佳を見る。
彼女は両膝を地面につき、呆けたように此方を見ている。正確には自分の後ろの人物を…

そっと、肩に手が置かれた。
ビクリ、と茜は思わず全身を震わせる。
身体中が痺れてしまったように動かせない。
頭の中が麻痺してしまったかのように何も考えられない。

でも、茜の身体は意識から離れてゆっくりと振り返る。
目の前に誰かが立っていた。
震える自分の身体を抱き締める。
震えは止まらない。でも、茜は震える心を叱咤し…顔を上げた。

「あ…ああ…」

真っ白に染まった意識。
真っ白に染まった世界。
真っ白に染まった視界にそれは映った。











――私はいつも、あなたたちを見守っているよ――











バツの悪そうに、困った様に、照れた様に、申し訳なさそうに……


微笑む大好きな人の…城島司の顔が……


何も云えず、何も考えられず、目を見開いて自分を見つめる少女に向かい、青年は口ずさむ。

「ごめん、茜…僕は…僕は帰ってきたよ」

涙が…涙が止まらない。

「待たせてすまない…茜」

「つ…かさ……つかさ……つかさッ! …つかさぁぁ!!」




あふれるように声が零れる。
飽きることなく繰り返す。
今まで云えなかった分を取り戻すように……

青年の胸に飛び込み、泣きじゃくる少女。

すべての縛めを解かれた少女の、それは涙。

青年は胸を濡らす熱い流れを心に刻みながら、少女をそっと抱き締めた。

もう、決して悲しませないと告げるように…




歌う少女は首を傾け、その様子を少しの間眺めると、穏やかな微笑みを浮かべながら最後の調べを…祝福の詞を風に乗せた。










――希望と未来を忘れないで 失わないで 私の愛しい子供たち――











それは、Tと呼ばれた影ではない、本当の城島司と里村茜――その二年越しの再会だった。




























「麗しの涙を流す少女を優しく抱きとめ微笑む青年……二人の間に何があったかは知らないが、これはとても感動的…という言葉によって表される光景だとは思わないかい、リュクセンティナ……リュクセンティナ・ファーフニル」

流れるせせらぎのような声で詠ったのは、銀色の髪を腰まで流した優男風の青年。
その言葉にフン、と面白くもなさそうに鼻を鳴らすのは小柄な少女。
燃えるような赤い髪を一つに纏め上げた少女の面差しは、野性味溢れた美貌を宿している。
だが、どちらかといえば、様々な感情に彩られそうなその面は、今は無表情に近い仮面を被っていた。

答えない少女を気にする風でもなく、青年は目を細め両手を横に広げると朗々と続ける。

「だが、どうだろう。この場面で少女と青年、どちらかがいきなり死んでしまったとしたら、これは悲劇なのだろうか、それとも喜劇なのだろうか……それを知りたくはないかい?」

「興味ないね」

素っ気無く言い捨てる少女に、青年はさすがに気分を害したように眉を顰める。

「リュクセンティナ・ファーフニル…君は以前からやる気というものが見られないね。これは一体どうした事だろう…もっとも君がやる気になってる所なぞ見たこともないけれど」

「興味ない…それだけだよ。人間をいくら殺そうが別段アタシは何も楽しかないんだ。あんなの殺して何が楽しいんだか…云われたからやる…それでいいだろ? フィスタム」

「何事も楽しんでやった方が人生も有意義だと思うけれどね」

「生憎とアタシはあんたらみたいに悪趣味じゃないんでね」

あくまで無愛想な相方の仕草。結局はいつもの事なのだろう…フィスタムと呼ばれた青年は肩を竦めると眼下を見下ろした。
彼ら二人がいるのは空。
局地天蓋結界が発動しているはずの空中だった。だが二人はそんな結界などまったく気にする風も無く宙に浮かんでいる。
そして、その真下には茜たちの姿。

「悪趣味と云われようがこれが僕の楽しみだ。そして永遠に楽しむために力を手に入れた。ガディム様に膝を付いてね。ならば後は楽しむだけじゃないか? ふふふ、リュクセンティナ・ファーフニル…君も更なる力を得たはずだ。望むと望まざるとね。ならば君は人生を損していると思うよ」

答えは無いし、最初から期待もしていない。
独り言のように彼は口ずさむ。
その顔に張り付いたのは愉悦に満ちた禍々しい笑み。

「思うにこれは再会の場面。待ち望んだ者との再会…その相手の顔がいきなり視界から消えてしまったら…消し飛んでしまったなら、あの少女はどのような表情を浮かべるんだろうねえ」

掲げた右手に光が宿る。
青ざめた殺意の光。

「さあ、その素晴らしい表情を僕に見せておくれ」

恍惚とした声音が流れる。

「……ッ!? 待て、フィスタム!!」

駆け上がる制止の叫び。
微かな空間の歪みの波動を感じ、閉じた目蓋をカッと見開いたリュクセンティナが咄嗟に叫ぶ。

だが、一歩遅い。

フィスタムの振り下ろした右手からは青い光の帯が城島司めがけて伸びようとし……
振り下ろした右手の前にいきなり出現した、金色に輝く光の幕に直撃して爆発した。

「あ? ギッ、ギャァァァァァァ!!!」

爆発はフィスタムを飲み込み、その白い右手を…秀麗な容姿を焼いていく。
爆風に顔を背けたリュクセンティナは人の気配を感じてバッと振り返った。
そして一人の青年が背後の空に浮かんでいるのを見つける。
ガディムの魔将…それが二人もいながらまったくその気配に直前まで気付かなかった。その事実に冷たい汗がリュクセンティナの褐色の肌の上を流れる。

自然な姿で空に佇む青年は静かに微笑みを浮かべていた。どこか底の知れない微笑みを…

あの笑い方…どこかで見たような…

リュクセンティナが二千年を越す膨大な記憶の海を探ろうとした時、青年が口を開いた。


「無粋だよ、君たち。彼らにとっては漸く訪れた光の中での再会。邪魔してもらっては困るんだ」

「チィ」

視界の端で、顔を焼かれたフィスタムが泣き叫びながら落ちていく。
空に浮かぶ事も放棄してしまったようだ。
一瞬迷った少女はその後を追った。



爆発は下にいた茜たちにも聞こえた。
ようやく落ち着いてきた茜と、その髪の毛を撫でていた司は空を仰いだ。
人影が三つ。
その内一つが落下してきている。そしてすぐに残りの二人もこちらに向かって降りてきていた。

「茜! 城島君!」

瑞佳が駆け寄ってくる。
再会の挨拶は後回しにして、司は視線を降りてくる人影に戻した。

「…氷上?」






激しい激突音とともにフィスタムの身体が地面に激突する。
左手と両膝を地面についてうずくまるフィスタムに、落下の衝撃は何らのダメージを与えたように見えない。
だが、フィスタムは焼け爛れた顔を右手で覆い、獣のような唸りをあげながら動こうとはしなかった。

「フィスタム! おい、大丈夫か?」

フワリと彼の傍らに降り立ったリュクセンティナはやや焦りを覚えながら声をかける。が…

「殺してやる…殺してやる…僕を…僕の顔を…焼きやがった…殺してやる!!」

「フィスタム!」

返事は返ってこない。完全に狂気に飲まれている。

「チィ!」

思わず苛立って舌打ち。
怒鳴りつけようと息を吸い込んだ瞬間、リュクセンティナは軽い着地音に振り返った。
青年があの微笑みを浮かべながら此方を見据えている。

その微笑みに、確かに記憶が震えた。

と、脇を駆け抜けていった突風にリュクセンティナの意識が我に返る。

「バカ、待て! フィスタム!!」

声は届かない。もはや、フィスタムはあの青年以外を認識していなかった。

「顔がねえ、顔が熱いんだ! 痛いんだ! やってくれたねえ、よくもやってくれたねえ。同じ苦しみを与えてあげるよぉ、その顔をぐちゃぐちゃに引き裂いてあげるよぉ。殺してあげるよぉ! 薄汚い人間がぁぁぁ!!」

飛び掛るフィスタムの両手が内側から膨れ上がり、爆ぜた。両腕がおぞましい咆哮をあげる巨大な顎へと変貌する。紅に引き裂かれたそこにはびっしりと鋭利な牙が収まっている。醜悪な…姿。
そして銀色の長髪が舞い上がり、次の瞬間、硬質化して一斉に青年めがけて襲い掛かった。

だが、全ての存在を絹を刺すように貫くはずの銀針の束は、青年の前に出現した花弁のような三枚の光幕に遮られ、焼ききられる。

それを見た瞬間、リュクセンティナの記憶を塞いでいた時間という蓋が外れた。
堰を切ってあふれ出てくる恐怖の記憶。

「あれは…ッ! 超高密度エネルギーの時空極安定物質化……こ、光輝装威術!? バカなっ!?」

死人も斯くやというほど顔を青くしたリュクセンティナの見る前で、青年は光の幕に手を差し入れる。
髪針を防がれたにも構わず、両手の顎を大きく広げ、フィスタムは青年に向かって走った。
光の花びらが形を崩し、青年の右手へと纏わりついていく。
次の瞬間、右手を覆い尽くした光は物質化し、一条の輝く光剣と化した。

「僕の餌になれぇぇ!!」

「それは御免こうむるよ」

穏やかな声音。
それが響くと同時にフィスタムの両手の顎が強制的に閉じられた。虚空から生まれ出でた光の環が、ぎらつく顎へとはめ込まれ、口輪と化す。
攻撃の手段を一瞬にして封じられ、唖然とするフィスタム。その懐にいつの間にか踏み込んでいた青年が笑いかけた。

「やあ、さようなら」

トスッ、と光剣の切っ先がフィスタムの胸に潜り込む。

「あえ?」

  ボン――ッ!

いきなり燃え上がった自分の身体にフィスタムは不思議そうな声を上げ、
次の瞬間、切っ先から流れ込んだ膨大なエネルギーにフィスタムは自分が死んだ事を理解する間もなく焼失した。

青年が右手を覆う光剣を消し、ゆっくりとリュクセンティナの方へと向き直る。
リュクセンティナは戦慄に震える声で呟いた。

「『魔人(デヴィル)』……。何故人間であるお前がまだ生きているんだ?」

魔人と呼ばれた青年――氷上シュンという名の青年の眼差しが一度、不思議そうに細められ、そして本当の笑みを混じえながら緩んだ。

「世界の因果に縛られた僕は、世界が亡びるまでこの世にあり続けるんだ。例え何千年を経ようがね」

答えを返し、そして楽しげに目を綻ばせながら少女に語りかける。

「…ふふふ、懐かしい字名を呼ぶのは誰かと思えば……よく見ればまた懐かしい顔だ。久しぶりだね、リュカ」

リュクセンティナは青年の口から自分の愛称が零れたのを聞き、反射的に身体を痙攣させた。
恐怖に身体が竦んでしまっている。

「まったく……千年前にこの世界に攻め込んできた酔狂な魔王の一人である君が、今やガディムの僕という訳か…落ちぶれたものだね『暴竜姫』」

「だ、誰の所為で落ちぶれたと思ってるんだい……」

「ふふ、そうだったね。千と百十年前、今回のガディムのように世界に穴を穿ち、攻め込んできた四人の魔王……それを徹底的に討ち滅ぼしたのは僕たちだ。リュカ、君は憎めないところがあったから前は見逃したけど……もし敵対するというのであれば、今度は容赦しないよ」

リュカは思わずブンブンと首を横に振った。
千年の月日が流れようと、あの恐怖は色濃く魂に刻まれている。
例えガディムに更なる力を与えられたこの身といえど、この化け物に勝てるとは思えなかった。

だが……

リュカはドクンと震えた体内の衝動に、思わず胸を抑えた。
それが自分の現実を思い出させる。

リュカは泣きそうに顔を歪めながら、右の胸を押えながら震える声で云う。

「いや…ダメだ。逆らえないんだよ、アタシらはね。ガディムに埋め込まれたこの魔核…力をくれるのは良いけど、定期的にヤツから力を注ぎ込まれなかったら覚醒して宿主を食らっちゃうんだ。そしてガディムの贄になっちまう。ガディムを殺っても一緒さ。どちらにしてももう、あたしはヤツの奴隷なんだよ!」

氷上は呆れたように溜息をつくと、やれやれといった口調で云った。

「まったく…誇り高い竜姫である君ともあろうものが、よく黙ってそんなものをつけたものだね」

「うるさい! 好きで付けられたんじゃない! 他の連中が力を欲して自分から魂を売ったのと違って、アタシは無理矢理…付けられたんだ! でなきゃ誰があんな気持ち悪いのに従うかい!! だいたいあんた等にさえ会わなきゃアタシがこんな目に会う必要もなかったんだ!!」


「馬鹿者、そもそもお前たちがこの世界に欲を出さねば我らも別段、お前と張り合うことなどなかったんだぞ」


激高した少女を揶揄するように、どこからともなく声が降り注ぐ。
これまた聞き覚えのある声に、リュカがゾッと身を竦ませた。
フワリと、その声の主が虚空の隙間から氷上の傍らへと降り立った。

「やあ、バルタザール。来たんだね」

「ああ、お前が来ていると聞いてな。ちと力を借りようと思うたのだ。お前というよりお前とともに在るあの方にだが」

「ス…『スピットファイア』バルタザール……あんたまで…いたの!?」

その姿を見て、リュカは思わず気絶しそうになった。
絶望がすべてを覆う。
もしかしたら気絶してしまってた方が精神的に楽だったかもしれない。

震える膝を抑えながら、リュカは彼らを怯えた瞳で睨みつけた。

この二人を前にして、生き残った敵はいない。絶対に殺される。
すべての敵対者を容赦なく殲滅してきた悪魔たち…。
『暴竜姫』と呼ばれ怖れられた自分を、完膚無きまでに打ちのめした狂魔術師たち。

彼女が知る、もっとも凄惨な死が、再び自分の前に立っていた。


燃えるような赤毛の少女の脅えきった様子に、氷上は決まり悪げに目を逸らし、バルタザールは苦笑した。

「そう脅えるな、リュカ。もし、お前が望むのなら、お前を犯しているその魔核とやら、我輩が取り除いてやってもいい」

「う、嘘を言うな! あんたらがそんな甘い事云うわけないだろ!!」

悲鳴そのもののリュカの声音に、氷上は彼にしてはとても珍しい情けない表情を浮かべ、その顔を右手で覆った。

「バルタザール、何だか僕ら、とても怖がられてるみたいだね」
「まあな、思い返せば昔は無茶苦茶やっておったからな。若気の至りというヤツか?」
「失礼だね。僕はまだまだ若いよ」
「外見だけだろう」

「ほ、本気なのか!? 敵であるあたしに…そんな事言うなんて……それに、ホントに取り除けるの? 魔核を…」

逃げる事も出来ず、さりとて襲い掛かる訳にもいかず立ち竦んでいたリュカは半ば自棄になりながら声をあげる。
バルタザールが不機嫌そうに髭を震わせて答える。

「お前なぞに嘘をいってどうする。だいたい出来るのかという問いは失敬だぞ。我輩を誰だと思っておる。これでも大魔法使い マーリンの唯一の弟子だぞ」
「あれ? 使い魔じゃなかったかい?」
「そうとも云うが…氷上、あまり茶々を入れるな。リュカよ、そこで大人しくしておれば、後で処理してやる。今は優先すべき事があるのでな」

少し呆けながらコクコクと頷くリュカから視線を外し、バルタザールは顔を動かした。
三人の男女―――城島司と里村茜、そして長森瑞佳が戸惑いを浮かべながら立っていた。

「氷上……君はいったい何者なんだ? それにあなたは確かカノンの……」

氷上とバルタザールは顔を見合わせた。
端で聞いていたリュカが驚いたように叫ぶ。

「お前たち、こいつらを知らないのか!?」

「知らないよ、竜のお姉ちゃん。彼らの事を知っている人たちは本当に少ないんだから」

鈴がなるような声が唐突に響いた。
すぐ隣から聞こえたその声に、リュカは思わず飛び退いた。
いつからそこに居たのか…
リュカのとなりに、白いワンピースを着た女の子がニコニコ笑いながら立っていた。

女の子は司たちに身体を向けると、笑顔をさらに綻ばせ、本当に嬉しそうに云った。

「こんにちは、瑞佳、茜、司…会えて嬉しいよ」

「あなたは……さっきの……」

マジマジと少女を見つめた茜は、不意に何かに気がついたように少女と隣の女性の顔を見比べた。

「瑞佳…あの子は…」

茜の言葉に瑞佳は少女から縛られたように眼を離せないまま呟いた。

「……あれは…わたし?」

少女はフワリと微笑む。

「そうだよ…わたしはみずか。わたしの事はもう知ってるよね」

知っている。
その言葉を聞いた瞬間、瑞佳と茜は何の理不尽さも感じずに頷いた。
そう、初めからすべてを知っていたかのように、疑問と困惑が解凍され、真実が意識の中に流れ出した。

「あなたは…わたしに…わたしたちに勇気をくれた人」
「居なくなってしまいそうだった大切な人を…抱き止める勇気をくれた人」
「あなたはわたしの心の写し身」
「あなたは私たちを見守ってくれていた存在」


「君は……」

司の呟きに、少女はふわりと一礼した。

「わたしはみずか。この人たちは、初め、わたしの事を世界の女神と呼び名づけたけどね。いわゆる、この大盟約世界の意思の具現…それがわたし」


「世界の女神と呼び名づけた? ……ま、まさか氷上…それにカノンの妖猫殿…君たちは…」


その言葉の意味する所…答えを導き出した司は、驚愕に打ち震える視線を氷上たちに向けた。
それを見ていたリュカは、本当に知らなかったのかと、信じられないとばかりに首を振った。

そう、信じられない。
あの悪魔のような連中の事を欠片も知らないという事が信じられない。
あらゆる敵を、完膚なきまでに引き裂き殺す≪葬送狂獣≫…『怒れる烈猫(スピットファイア)』バルタザール。
冷酷非情、赤い血の流れてない人間≪蒼血(ブルー・ブラッド)≫…そして忌むべき『魔人(デヴィル)』の名で呼ばれた狂魔術師……

この世界へと攻め込んだ自分たちの軍勢を、それこそゴミ屑のように蹴散らしたあのイカレた化け物ども。その間でも最悪の内に数えられるこの二人…。侵攻軍を全滅させた挙句、開けた穴を遡って魔界を…自分たち四人の魔王の領域を火の海に変えた破壊者たち。

当時、人間の間では彼らは悪魔として認識されていた。
そして、魔界では今でもその名は破壊の化身として刻まれている。

「そんな連中と知らずに付き合ってるだなんて…正気を疑うな、こいつら」

「他人を化け物みたいに云うな、リュカ」

自分で云って自分の言葉に恐怖を思い起こして身震いするリュカに、バルタザールは迷惑そうに顔を顰めた。
聞こえるとも無い小さな声でリュカは一人呟く。

「あんたらが焦土にしたアブシンベル絶滅砂界…未だに草木一本生えてないって聞くよ」

小さな猫はまるで子供の頃の悪戯を掘り返されたような顔をして、その言葉に聞こえないふりをした。
そして氷上の傍らからピョンと氷上の肩に飛び乗ると、司に向かって口を開き、告げた。

「貴公が知るとおり、我輩はカノン皇国水瀬家に居を構え、ピロシキという名で呼ばれる妖猫だ。
本名はバルタザール・ミャオ・クラナ・コーマ・ドラゴンクリエイト。古の血族、≪龍造≫の末裔。
そして大魔法使い マーリンの使い魔にして唯一の弟子……。
かつて世界と盟約を結び、世界のすべての生命に呪いをかけた十二の魔術師、始まりの盟約者たち…≪十二使徒(マジェスティック・トゥエルブ)≫が筆頭、≪第一使徒(アポステル・ファースト)≫――『猫の王(カッツェン・ケーニッヒ)』バルタザール……それが我輩の古き名だ」

続けて氷上が司をまっすぐに見つめながら朗々と紡ぐ。

「同じく僕も ≪十二使徒(マジェスティック・トゥエルブ)≫に並べられる魔術師だ。そして、世界に触れた代償として時の流れから置き去られた者。故に歴史の闇に身を隠した者。
消されし名持ち(イレイザー・ネーム)の≪第十二使徒(アポステル・トゥエルブ)≫――『隠者(ハーミット)』……それが僕の過去だよ」

「≪十二使徒(マジェスティック・トゥエルブ)≫…あの伝説の…」

普段は冷たい知性を宿した司の瞳は、今、揺れに揺れていた。
この世界に住む者ならば誰でも知っている盟約者…至高の賢者たち…古の伝説。それが目の前に二人もいる。
それどころか、その内の一人は親友と云ってもいい人間なのだ。
そして、世界の女神…この世界そのものと云ってもいい少女がすぐそこで微笑んでいる。

いかな冷静で知られる城島司とはいえ、動揺は大きい。
そして、我に返っていた茜と瑞佳もあまりの話の大きさに、茫然と普通の青年にしか見えない氷上と、ただの妖猫にしか見えないピロことバルタザールをポカンと口を開けて見比べる。


「女神よ…」

ピロ・バルタザールがそっと氷上の肩上から幼い少女を見下ろして呟いた。

みずかって呼んでね、と唇を動かしながら彼女は頷く。
その仕草にピロはすべての意図と状況が理解されている事を認識し、それ以上何も言わず小さく頷いた。


「今ここにあなたたちは集ったよ。わたしの子供たち…世界感応者――世界の楔――世界の思いを体現する者たち」

みずかは歌うように言葉を紡いだ。

「お願い、あなたたちの力を貸して…世界意思の代行者たち」


そして少女は振り返り、風を撫でるように右手を掲げ、指差した。

その指し示す先には破滅の具現『灰燼の卵』


「今、この時…この瞬間を以って…世界は告げる。盟約者たちよ、感応者たちよ…あれこそが世界の危機、世界の恐怖、わたしの中に生きとし生けるものたちの悪夢となるもの」


そしてみずかは神々しいままに言葉を奏でる。


「あれこそが≪世界の敵≫! それが世界の宣告!」




余韻を封じ込めるように、黄昏に沈む陽にも似た瞳が閉じ、


最後に


口づけを交わすように、唇が微かに震えた。




「さあ、盟約の力を今ここに…」



    続く





  あとがき



八岐「やっとこ正体を晒してくれましたなあ、氷上さんとピロさん」

あゆ「うぐー、ピロさんって凄い人だったんだー……ってバレバレだったという話も聞いたよ」

八岐「ま、まあそれなりにそれらしい証拠は散りばめて置いたから…バレても仕方ないかと」

あゆ「そこらへん、書いてる本人にはなかなか分からないからね。何せネタ全部知ってるんだし」

八岐「そう言う事」

あゆ「それにしても…」

八岐「うん?」

あゆ「なにか氷上君もぴろさんも物凄い云われようをしてるのは気のせいかな?」

八岐「なはは(汗)」

あゆ「なんというか……極悪人?」

八岐「歴史上、聖人のように思われていた人物も、実体はただの暴れん坊という事例も良くあるわけで…」

あゆ「……有り難味の欠片もないね」

八岐「まあ年月は人も猫も丸くするという事だ。ピロはすんげー短気だったし、氷上は敵と認識したらどこまででも残酷になれるヤバイ人という過去を持ってるし」

あゆ「………うぐぅ」

八岐「さて…次回でこの『灰燼の卵』編は終るはず」

あゆ「はず?」

八岐「うん、はず。次回六九話『四重奏』…よろしく〜」

あゆ「……はず?」




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