東鳩帝国 降山盆地



そこに佇む彼女の面差しを、果たして少女と呼べたものだろうか。
彼女の表情はさながら阿修羅のごとき、荒々しさと静寂さを湛えている。
少女特有の可愛げなどあったためしも無いと云うように。
その精悍とも呼べる、だが実際は意外と形の整った彼女の横顔を、一滴の汗が流れ落ちていく。

キリキリと引き絞られていく眼光。
もはや、彼女の意識には空を覇する黒き閃光も、黒魔の群れの奥で蠢く肉塊も、ラルヴァたちの咆哮も、兵士たちが放つ銃声も、消え去っていた。

同じ戦いの場でありながら、まったく周りの戦いから離隔してしまった戦場。

他の存在を排し、彼我のみとなった空間。

ただ、敵と味方が居るだけであり、
彼我の闘気が渦巻くのみ。


敵の名はゼルダット=アイゼン。
その巨体の全てを鈍く輝く金属で構成する鋼鉄の魔将。


対峙するは二人の少女。

無情の仮面を被りし少女の名はセリオ。
彼女は人形。
戦女神の仮名を持つ、心持ちし人形――HMX−13セリオ。

静寂と裂帛の気配を併せ持つ少女の名は坂下好恵。
敵と同じアイゼンの字名を持つ少女。
戦場に咲く鋼鉄の華。


一人の巨人と二人の少女――今、相討たん。










魔法戦国群星伝





< 第六十五話 鋼鉄たる者 >



東鳩帝国 降山盆地



微かな穿孔で、全てが弾け散ってしまいそうなほどピンと張り詰めた空気。
その決して長くは無い均衡を破ったのはセリオだった。

さっとゼルダットに向け、伸ばした左腕。
それが二の腕から外れ、肘奥へ移動。同時に腕の中からせり出してきたのは黒い銃身。

「交戦規定オールクリア。対象を脅威度最上位Sと認定。戦闘パターンを全力撃滅に移行します」

セリオの静やかな声が響くと同時に、彼女の左腕の中で金属の軋む音が響いた。

「攻撃開始」

その言葉を銃爪としたように、左腕から突き出した銃身が轟音を発する。
反動で跳ね上がる左腕を右手を抑えつけながら、さらに発砲。

爆音と共に発射された弾丸は二発。
大気の壁を力任せに砕きながら飛んだそれは、初弾が左胸、二弾目は左肩に命中する。が、弾丸はその硬い金属表面を貫けず甲高い音を残して弾かれた。

意味の無い攻撃?
否、それは戦いの号令となった。


銃声が鳴り響くと同時に、坂下が走る。

「ああああああああっ!!」

迸る咆哮。
その吠声に違わぬ限界まで引き絞られた一撃が、右上段蹴りとなって炸裂した。
爆音とも間違えかねない衝撃が、巨人の側頭部で爆発する。
グラリ、とゼルダットの巨体が揺らいだ。
それが視界の端に映る。
衝撃の余韻が全身に走る。
ビン――ッと坂下好恵の全身に、さらに気が張り詰めた。

畳み掛ける!!

蹴りを繰り出した右足が大地を踏みしめるや、身を屈めるようにたわめ、さらに渾身の一撃。
弧を描き、遠心力まで加わった左後ろ回し蹴りが、追い討ちを掛けるように斜めに揺らいだゼルダットのこめかみに突き刺さる。
響き渡るは金床を思い切りハンマーで叩いたような凄まじい激突音。

「ぐぅっ」

だが、唸り声を漏らしたのは坂下の方だった。
歯が食い縛られ、軋む音が微かに鳴った。
眼光が細く歪む。

渾身の一撃が、会心の手ごたえで入ったにも関わらず、まったくダメージを与えた気がしない。
それどころか、蹴りを入れた両足に痺れるような痛みが走る。

血の気が失せるのが解かった。


拙い!


完全に意識と身体の動きが剥離する。
痺れる両足は、彼女の脳から発せられた命令に、泣きたくなるほど反応が遅れた。
ここは完全にゼルダットの内懐。
敵の領域内。
そこから脱するタイミングを、坂下好恵は完全に逃した。


「ちぃっ!!」

全面に膨れ上がるプレッシャー。
それは大気の層を破壊しながら繰り出される鋼鉄の拳。
漠然と思い描いていた拳速を遥かに越える速さに、坂下はゾッと青ざめながらも必死に右手でいなす。


途端、血飛沫が弾けた。

苦痛に歪む坂下の頬に、紅の斑が彩られる、


受け流し自体は完璧だったものの、拳の想像を絶するの威力による摩擦と衝撃で手の平の皮が千切れ跳んだのだ。

「がっ!」

その拳の威力は、微かに接触しただけにも関わらず、右手ごと坂下の身体を吹き飛ばしかけた。
倒れはしなかったものの、体勢はこれ以上無いほどに崩れきる。
必死に大地に足を踏み縛り、身体を戻そうとした彼女が目の当たりにしたのは、両手を組んで高々と振り上げる巨人の姿。


「右脚銃器固定解除」

真っ白となった坂下の意識の端にセリオの抑揚の無い声が飛び込む。同時にポン、という小さな爆発音。

右脚部に内蔵された短筒が射出され、セリオの右手に収まる。
それを左手を添えながら振り回し気味に素早く肩口まで持ち上げ、ゼルダットに向けるや否や一瞬にして狙いを定め銃爪を引いた。

一際大きい銃声。
体勢を崩した坂下に追撃をかけようとしていたゼルダットの頭部が殴られたように仰け反る。
だが、ゼルダットがそのまま倒れる事は無く、そのまま反動でもつけたように組んだ両手を叩き落した。

爆弾でも炸裂したかと気違うような爆発。
ゼルダットの一撃が地面に接触した瞬間、大地が噴きあがり爆散した。
辛うじて、セリオの作った隙を逃さず直撃を避けた坂下だったが、爆発の勢いに吹き飛ばされ顔を両手で庇いながら何とか転がりながら着地。

「クソッ! なんて力だっ!!」

土煙に汚れた顔を拭いながら、坂下が唸った。
マトモに喰らえば原形すらも残らないと、彼女は嫌になりそうな確信を抱いた。
やがて、風に吹き払われる爆煙の中から歩み出してきたゼルダットを見て、セリオも呟く。

「破衝神術を施した真鉄製特殊弾丸を使用したのですが…」

銃弾の突き刺さった額には、やや小さな傷と曇りが浮かんでいるのみ。

「効果は無しですか」

「無駄ダ。我ガ身体ハ何物ヲモ貫ケン。如何ナル刃モ、如何ナル魔術モ我ニハ通ジヌ。故ニ我ハ無敵」

ゼルダットの無機質な音声が、嘲笑うような響きを放った。

セリオは無言で手に収めた短筒を仕舞うと、腰に差した鉄棒を抜き出し片手で一振り。
鉄棒は一瞬にして彼女の身長ほどに伸びる。
さらにセリオはそれを両手で握ると勢いをつけて回した。

  ジャキ―――ィンッ!

高らかな奏でと共に、鉄棍の先より凶々しい反りを映えさせ鎌の刃が現れる。

「良キ得物ダ。ダガ無駄ダ。無論、鋼鉄ノ華、貴様ノ拳モナ。武器モ通ジヌ我ガ身体ニ、素手デ敵ウト思ウノカ?」

坂下は振り払うように右手を薙いだ。裂けた皮膚から滴る血が赤い飛沫となって散る。

「今は出来る出来ないじゃないんだ。やるかやらないか…だよ」

揺らぎもしないその声に乗せ、ギュッと血塗れの右手を握り込む。
傷口を抉る痛覚を彼女は無視して云い捨てた。


「貴様をぶち殺す! それだけだ!」


シャン、と採魂の鎌が鳴った。
それを合図に坂下が地を蹴り、疾る。
セリオが鎌を振りかぶり、空を跳ぶ。

右と左。巨人を挟み込む位置から彼女たちは動いた。

ゼルダットの妖瞳が左右を見る。
そして素早く判断を下す。
この場合、危険なのは人形の鎌。恐らくは魔導武具の類であるだろうあの鎌ならば、気勢が乗れば自分の鋼を切り裂く事も出来るかもしれない。

ゼルダットの顔が鎌を振り翳すセリオを見た。
その撃ち抜くような眼差しに、セリオの自己防衛発条回路に火花が走った。
身体操作が自動反応に切り替わり、セリオが思考するより早く体が反応。咄嗟にその身が捩られる。

直後、砲弾が突き抜けたような風圧が彼女を襲った。


「跳んだだと!?」

坂下の驚愕の声が迸る。
これまでろくに動きを見せなかったゼルダット。
故に彼女たちはこの巨人の動きを見誤っていた。

あの一瞬で、ゼルダットはセリオに向かって間合を詰め、対空砲撃の如き昇蹴を放ったのだ。
その身のこなしは少なくともセリオや坂下に引けを取らない、その巨重をまったく感じさせない動きだった。
だが軽やかなのは身のこなしだけ。その攻撃はまさに砲弾そのものだ。
辛うじてその一撃を躱したセリオは風圧に翻弄されながらも、その身体機能を駆使して姿勢を制御。そのまま同じ空中にあるゼルダットの胴体に鎌を走らせた。


その瞬間、それまで常に冷静の仮面を外す事の無いはずのセリオの表情が強張った。


「惜シカッタナ」

呟くゼルダットの右手の中で、掴まれた鎌の刃が砕け散った。

次の瞬間、右手を捕まえられたセリオはその怪力のままに地面に向かって叩きつけられる。

「……ッ!!」

激突音。同時に何かが砕ける音。

「やめ――」

坂下の声は届かない。

地面に叩きつけられ、跳ね上がったセリオの身体は後続して着地したゼルダットの大木のような右脚の蹴りに、毬のように跳ね飛んだ。

「セリオオオオオオッ!! きっ…さまぁぁぁぁ!!」

坂下の怒号が響き渡る。
瞬間、坂下の身体は弾丸となった。
瞬く間も与えず、ゼルダットの巨体に飛び掛った坂下はその突進力を左の肘、一点に掻き集めた。


「くっ―――らえぇぇぇぇえええええ!!」


  ド―――ガァッ!!


刹那、全ての戦いの潮流が静止した。

坂下好恵の一撃は―――
見事、ゼルダットの腹腔…鋼の皮膚にのめり込んでいた。


「グッ」

鋼鉄の巨人が微かな呻き声を漏らす。

その呻きは彼女の意識に希望となって流れ込む。

いける!


「だッ――あああああああッ!!」

確かな手ごたえと共に、坂下はさらに左足を踏み込んだ。
ドン、という地響きと共に左足が踏みしめられ、弓の様に限界まで引き絞られた右の拳が―――

「コ…ザカシイィィ!!」


  メキャッ!


感情の波が無いはずの無機質な音声が、咆哮となって打ち震えた。
その声が坂下の耳朶を震わせた時、同時に異様な響きが体内から聞こえた気がした。
気がつけばグニャリと曲がっている視界。
世界が歪んでいる。
そして自覚した。
肺の中の空気が、異の中の内用物が、いや内臓そのものが口から飛び出すような凄まじい衝撃を。
彼女の中で刹那、時が停止した。

そして、理解する。

自分の上半身に、あの砲弾のような鋼鉄の拳がめり込んでいる事を…

時が解凍される。
途端、ぶれる視界。

自分が錐揉みしながら宙をすっ飛んでいた事に、坂下は地面に叩きつけられて漸く気がついた。
ダン、ダン、と二度ほどバウンドし、嫌になるほど転がってようやく停止した。

「ガッ…アッ…アアアアアアアッ!!」

耐え切れず、絶叫に近い悲鳴をあげる。
全身が引き千切られたような激痛。
坂下は身悶えするように、地面を転がった。
そして堪らず、込み上げてきたものをぶちまける。

赤黒い血塊が、視界一杯に広がった。


「ご無事…ですか? 坂下様」

坂下は咳き込みながら顔も上げられず視線だけ上に上げた。
ボロボロのセリオの姿が映る。
服は擦り切れ、顔も誇りまみれ。どことなく立ってる姿もぎこちない。
多分、自分も変わらぬ酷い有様なのだろう。
整わぬ呼吸を荒らげながら、

「肋骨三本ほど粉々だ。下手…コフッ…すれば内臓も破裂してるかもしれん。だが…」

坂下はよろよろと立ち上がりながら云った。

「両手両足は幸い無事だ。まだ戦える……畜生、あの鉄クズをスクラップにするまで倒れるものかっ!!」

遥か遠くになってしまった敵の姿を上目に睨みつけながら、彼女は唸るように咆哮する。
そして乱れた呼吸を整えながらチラリとセリオを見やり訊ねた。

「そっちは?」

「坂下様と似たようなモノです。機能34パーセント劣化。骨格フレームにも歪みが発生しています」

「そう…それにしても鬼人並みだな、あの怪力。二人とも良くバラバラに千切れ飛ばなかったと誉めるべきか」

口元を紅く濡らした血を袖で拭いながら、自嘲するが如く呟く。
その彼女を観察するように注視しながら、セリオは

「私はともかく、坂下様の怪我がその程度なのは驚愕しました」

「そういうのは驚いた顔をして云え……いや、やめてその顔。あんたがやると怖い」

「そうですか」

ややも残念といった雰囲気が語尾に篭もる。
が、続いて発せられた言葉はいつもの彼女の通り、抑揚の無い冷静な声音。

「驚異的なのはあの動きです。物理的に考えて、あの巨重でのあの身のこなしは不可能なはずですが……この際常識は置きましょう。 あのゼルダットという魔族の速さは我々と同位…いえ、こちらのダメージを考えると向こうの方がもう上回っているでしょう。 さらにあの攻撃力。もう一度受けたならば、私は機能停止。坂下様も良くて再起不能でしょう」

「…そう」

「大丈夫です。一撃で死ななければ恐らく止めは差してくれます」

「…何が大丈夫なの…」

溜息混じりの一言はあっさり無視してセリオは続けた。

「加えてこちらの攻撃は殆ど効果を認められません。 先ほど私が放った神術弾がまったく作用しなかったのを考えますと、彼のヴェッフェ・アイゼン族の体表面金属が、かなり強度の抗魔属性を有するという伝承はまったく間違いないのでしょう」

「つまり魔導師がいても変わりなしか。と言っても、今は私とあなただけ……さて、手はある? 名参謀」

漏れ出る囁きは淡々として感情の揺らぎが無い。
坂下の見つめる先には鋼鉄の巨人。
特に慌てるでもなく、こちらへと歩いてくるゼルダットの姿が見える。
もはや、自分の圧勝を疑いもしないその威容。


「あります」

と、云ったセリオの口元が微かに震えた。

「ですが成功率は零ではないという程度です」

「さっき云っただろう? 出来る出来ないじゃなくて、やるかやらないかだとね」

そのどこか吹っ切ったような口調に、セリオは初めからその言葉を予測していたように解かりましたと頷いた。

「これまでの戦闘データから解析するに、あの身体を破壊できる武器を私は有しています」

「あるのか?」

「はい、ですが問題が幾つか。その武器には信用性がまるで無い事、使用後に私が完全機能凍結してしまう事、それらはこの際無視するとして――」
「おいおい」
「まずその武器を稼動するまでに時間がかかる事。それと今の私の状態では、まず停止物体にしか攻撃を命中させる事は不可能です」

しばしの沈黙の後、坂下がポツリと呟く。

「つまり、件の武器は一発だけ、しかもちゃんと機能するかも不確か。さらにその武器を上手くヤツに当てるために、私はあのデカぶつを時間まで足止めし、尚且つ向こうが攻撃されると解かっても動けない状態にさせなきゃならないという事か?」

「ご理解が早くて助かります」

その慇懃な言葉に、坂下の目元が僅かに歪む。

「無茶に無謀を重ね合わせてるな。それに…正直、やれる自信は無いよ。あのデカぶつ、何をやったとしても殆ど効く気がしない」

声音に微かに滲むのは無力感。
闘志は未だ萎えてはいない。鋼鉄の意志は破砕されてはいない。
だが、湧き上がる不安と不信は徐々に彼女を蝕みつつある。
自分が信じて鍛え上げた技と肉体が、全く通用しないと思い知らされたその苦痛をセリオは理解できない。
だが、今はその不安を無視してもらわなければならなかった。
故にセリオは云う。

「坂下様」

「なにさ」

「綾香様なら、あの程度の敵、余裕で叩きのめしてしまいますよ」

坂下はむっと口を噤んだ。
怒りでもなく、諦めでもなく……ただ少し不愉快そうな視線をセリオに突き刺す。
セリオは何ら動じることなく、それを受け止めた。
ふっと口元に苦笑が滲む。

「……あんた、本当に性格悪いわよ」

「お褒めいただき光栄です」

褒めてないわ、と特にどうでもいいという風に言い捨てると、坂下は額にへばりついた前髪をさっと払った。

「…まったく、そんな風に云われたらやるしかないじゃない」

その口元には不敵な綻びが。
睨む眼差しの先には、鋼鉄の巨人。
それに向かって歩き始めながら、問う。

「で? どれだけ時間を稼げばいいの?」

「92秒…ですが、私の機能状態が不安定ですので、誤差7秒を省みてください」

「一分半強……永久たる瞬間ってやつかしら。長いわね」

「お願いします」

振り返りもせず、さっと彼女は右手を振った。

「了解。あんたの信頼、受け取ったわ」




「最期ノ相談ハ済ンダノカ?」

対峙する少女に向かい、ゼルダットは聞く。
少女はそれには応えず、いらだたしげに吐き捨てた。

「貴様のそう云う余裕ぶった態度……誰かみたいで頭に来るんだ。今度こそ泡食わせてやるよ」

「フン、無駄ナ事ダ」

「云ってなさい! このポンコツが!」

全身を駆け巡る激痛を身体の軋みを完全に無視して、坂下好恵はゼルダット目掛けて駆け出した。






「信頼ですか…まだ私には理解できません」

自身の状態を詳しく意識容量に組み込みながら、セリオは小さく呟いた。
単に他に選択肢がなかったから、彼女に無謀な要求を通告したのだと思う。
だが…通常考えるならば、坂下の能力ではあの魔族を相手にダメージを与える事は不可能だと認識している。
それでも、自分は彼女に要求した。
これが信頼なのだろうか…

セリオは巡る思考を停止した。
今、考えるべき命題ではない。
今はただひたすらに敵を滅する手段を嵩じるのみ。

「あの玩具に頼るのは非常に不本意なのですが…」

長瀬源五郎のお遊びに結局は頼る事になるのを思考すると、ノイズが走る。
これはもしかしたら、不愉快という感情なのかもしれない。

「それに、今の状態では私も機能凍結では済まない可能性もありますね」

最悪の場合、発射の衝撃で身体が四散してしまうかもしれない。
尤も、その発射の前に例のものが自爆してしまわなければの話であるが。

考え始めれば、幾らでも不定要素は湧き出てくる。故にセリオはそれらを思考から排し、実行プロセスへと進行した。


「プロジェクト・サーチ―――リミット・オン―――オールクリア」

セリオの各基部から低い唸り声のような駆動音が響き始める。

「魔導回路過加速開始――対暴走制御機構開放――位置座標固定・転送―――オールセット」

その最後の言葉が途切れると共に、セリオの身体が微かな燐光を放ちながら浮き上がる。
それは魔力の光。それが調和を持って対流していく。
彼女の両手が左右に広げられ、なだらかな髪の毛が舞うようにたなびく。
まるで降臨する女神のような姿となった彼女は口ずさむ。

それは鍵呪(キーワード)

自身の最強たる姿を喚び寄せる引き金(トリガー)


カッ、とセリオの瞳が見開き、叫ぶ。

「インストレーション・システムコール! ≪漆黒者(シュバルツァー)≫!!」


言葉が風に吹き消されると同時に音が掻き消え、光来が降り注ぐ。
一際強く人形の少女の姿が輝いた時、彼女の身体を粒子がまとわり始める。
その姿は光を纏う戦乙女。
やがてその光芒は、徐々に光輝から黒光へと色を変えていく。
同時に光は形を取り始めた。
まずは脚部―彼女の両足を包んだ黒光は、硝子が割れるような音とともに具現化。漆黒の硬質長靴となって彼女の脚部を覆う。
続いてベルト―腹部を覆うようにさり気ない意匠が施された漆黒の金属が具現化。そこに括り付けられた様々な異物が、ジャラリと鳴る。
そのまま途切れる事無く、胸鎧・手甲・肩甲が光から生まれ出でてセリオの身体を覆い隠した。
最後に額に夜空の如き漆黒のサークレットが輝くのを締めとなし、光は収束した。

同時に宙へと浮かんでいたセリオの身体も、軽やかに地に降り立つ。

「シュバルツ・ユニット、転送終了――全ユニット問題無し――位置座標変更回避―― 最終移送(ラスト・アポート)開始!」

唄うように口ずさみながら、彼女は両手を高々と差し上げた。
その手の中に集まる粒子。
煌めく粒子は集い、長大な何かを象っていく。
光が形を成した瞬間、ガラスが砕け散るように輝く破片を撒き散らしながら四散した。

そして――
光芒の中から、それは現れ出でた。

一瞬、セリオのしなやかな身体が沈み込む。
彼女が受け取り、両の手で支え持つは重厚なる黒の兵器。
降り注ぐ陽光を拒絶するような漆黒。
複雑、そしてイビツな造型を形づくる基底部。そこから伸びるのは長大なる砲身。

無言のままに其処に在る此れを『支配せし漆黒(ヘルシャフト・シュバルツ)』と呼ぶ。


セリオは掲げ持つそれをブン、と振り下ろした。
押し分けられた大気が土煙を上げてそよぐ。
基底部の左右に取り付けられた取っ手を握り、セリオは抱え込むようにそれを前方へと向けた。
と、同時に、牢の扉を閉めるようなガシャンという重々しい音が立て続けに鳴り響く。
見れば、それの基底部が漆黒のベルトと接合していた。

「システム、並びに魔力漕との接続完了。魔力注入、並びに極限圧縮を開始。完了まで65秒」

カシュンッ、という軽い音と共に、彼女のベルトに付属する紫色をしたカプセルから次々に色が消えていく。
口ずさむ彼女の視線と漆黒の砲口が見つめる先には二つの人影。
まだ、時間は有り余るほどに…
それは永遠にも感じられる65秒。






攻撃を仕掛けたのは坂下の方からだった。
攻撃は最大の防御。
常に正しい言葉ではないが、この場合は至極当てはまる。
今の坂下に、相手の攻撃を凌いで時間を稼ぐなどという余裕はまるでなかった。

決して同じ位置に留まらず、動きつづける。それは本来の彼女のスタイルとは外れていたが、この際そんな事に拘泥は出来ない。
いつも通りに後の先を図りヤツの攻撃を待ち受けなどすれば、一撃で粉砕されかねない。
一撃必殺…彼女の格闘家としての形を構成するその言葉は、今回は向こうのものだった。

「チョコマカト…マルデ鬱陶シイ蝿ダナ」

絶え間なく繰り出される手数に、ダメージは無いものの行動を阻害され、やや気分を害したゼルダットが嘲るように告げる。
だが、坂下には五月蝿いと抗弁する事も出来ない。
一撃を繰り出すごとに…いや、一歩進むごとに、息を吐くたびに、残り少ない体力が根こそぎえぐり取られていくのがひしひしと伝わってくるのだ。
そして、絶え間なく体中を粉々にしたような激痛が全身を走り続ける。
このままでは、一分半自分の体が動きつづけることさえ出来ないのではないかという疑問すら浮かぶ。

「ソレデ勝テルトデモ思ッテイルノカ? ソノヨウナ戦イ方デ、我ガ満足スルト思ッテイルノカ? 不愉快ダ! 貴様ノ鋼鉄ノ字…所詮ハ<ハリボテ>カッ!!」

その音声にはハッキリと怒りが篭もっている事がわかった。
まるで期待していた遊興が、想像以上に詰まらないものだったとでも云うように。

「モウヨイ、飽イタワ」

それまで、どちらかと言えば受けにまわっていたゼルダットの巨身が動いた。
そして瀑布の如き圧倒的な攻撃が始まった。

余計な小細工は不要。
鋼鉄の巨人にとって、そんなものは必要ないとでも云うように、攻撃はすべてが直線的で、重く、速い。
それでいながら、その攻撃に隙は無く、坂下は一気に防戦一方となった。
そして遂に、ブン、と振り回された腕が掠り、坂下の身体が揺らいだ。
ゼルダットは告げた。

「ヤハリソノ程度カ、鋼鉄ノ華ヨ。ナラバ、貴様ヲ殺シ、サッサト他ノ人間ヲ殺シニ行クトシヨウ。強者トノ戦イ程デハ無イガ、殺戮モマタ娯楽ヨ」

そして、終わりとばかりにゼルダットは右手を広げ、グイと後ろに振りかぶる。

「潰レロ」

呟くや、巨体が疾った。
巨重が突進力と合いまり、凄まじい破壊力を生み出す。
それはまさに大質量の砲弾。
ドン、と踏み込んだ右足の下の地面が一瞬の莫大な重みに耐え切れず粉砕される。
大気を圧し潰しながら、鋼鉄の掌が放たれた。


ゼルダットには見えなかった。
伏せ気味だった坂下の表情を。
その口元に浮かぶ、不敵な歪みを。


そして、彼は理解しなかった。
それが、彼女の待ち望んだ瞬間だと。


豪腕の一撃、それが直撃する刹那。坂下の身体はそれまでの倍する動きで残像すら残して躱す。
そして、必殺の一撃の勢いのまま突っ込むゼルダットの腕を掻い潜り、彼女の放ったのは前蹴り。
カウンターとして入ったその蹴りが当たったのは、ゼルダットの右膝関節。
坂下の人間と言う脆弱な器をグチャグチャに殴り潰すはずだったゼルダットの一撃は、その威力に坂下の渾身の一撃を上乗せする形で、自身の右膝へと集束した。

 バ――――キィン!!

その音はまさしく鋼の砕ける音。
甲高く轟く破音に、鋼鉄の巨人が初めて発する悲鳴が重なった。

「グッ!? ……オオオオオオオオ!!」

ゼルダットの右膝は完全に逆方向に折れ、断ち切られていた。
そして紡がれるは少女の虎のごとき吼声。

「黙って聞いてりゃ好き勝手云ってくれるじゃないか! 私は貴様の楽しみのために戦ってるんじゃない! そんなに味わわされたいのなら食らわせてやる! この鋼鉄の華の一撃って奴をねッ!!」

片膝をへし折られ、崩れ落ちてくる鋼鉄の巨体を前に、坂下は右足を引いて身体を開く。
身体の奥底に残った力の最後の一滴まで振り絞るように、呼気がすぼまっていく。
彼女を取り巻く大気が歪んだ。
すべての気が一点に収束していく。
ギリギリと小刻みに震えさえしながら引き絞り、引き絞り、限界まで振り絞った血に染まった右拳。
二本の脚が、まるで大地に根付いたように踏みしめられた。
捻られた身体。全ての力が集約される。
食いしばった口元から、一筋の鮮血が伝わった。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

その瞬間、坂下好恵という少女は、ただ『右正拳突き』というただ、それだけの存在となった。



ふっと、刹那だけ途切れた意識が戻る。
何故か右頬に当る冷ややかで硬い感触。
そして、気がつく。
それはゼルダットの金属の肌。自分がゼルダットの巨体に頬を添えるほど密着している事を理解する。

「ガ…フッ」

頭上から、茫然としたうめきが聞こえた。
同時に、全身に激痛が走り、彼女ははっきりと意識を覚醒させた。

そして見た。

自分の右拳が、ゼルダットの腹腔を突き破っている事を…
それも、肩までめり込むほどに……

彼女の一撃は、巨人の身体を貫通していた。


その意味を理解する間も無く、喜ぶ間もなく、坂下は思い出す。

彼女は拳を引き抜き、身を投げ出しながら空に向かって絶叫した。



「セリオオオオオオオ!!」




「魔力圧縮完了――魔導圧縮弾装填――マナ・カートリッジ並びに圧縮システム強制排出」

ドン、という爆発音とともに『支配せし漆黒(ヘルシャフト・シュバルツ)』の基底部からごっそりとタンクのような物が外れ、吹き飛ばされた。
紫色の蒸気が濛々と立ち昇る。

「照準をセット完了――反動吸収装備稼動」

甲高い金属音とともに、彼女のブーツの靴底から杭が突き出て、彼女の身体を地面に固定する。
同時に踵の部分からも支えとなる杭が斜めに延び、固定を補助。
それだけでなく、ベルト、胸鎧、肩甲からも次々に漆黒の伸縮杭が伸び、大地に突き刺さる。
最後に、漆黒のサークレットが輝き、彼女の身体を薄い光の膜が覆った。

「全反動吸収装備の稼動を確認――魔導回路過加速限界突破――全過程終了……砲撃準備完了」

あくまで淡々とそして朗々と流れていた人形の声が途切れた。
そして、セリオの眼差しが開く。
聴覚に飛び込むのは、坂下の絶叫。
視覚に映るのは、動きの止まった鋼鉄の巨人。

彼女の唇がトリガーを紡いだ。

「圧縮式重激力魔導銃砲『支配せし漆黒(ヘルシャフト・シュバルツ)』……発射(フォイア)!」

音も無く砲身より撃ち放たれたのは漆黒の弾頭。
そして、弾頭が飛び出た瞬間、爆発と何ら変わらぬ凄まじい衝撃波が発生した。
彼女を支える衝撃吸収システムが、次々に耐え切れず破砕していく。
セリオは自分が後方に吹き飛ぶ事を認識した。
その最期の瞬間に見届ける。

漆黒の弾頭がゼルダットの胸部を貫く所を……



一瞬の静寂。

次の瞬間、ゼルダットの全身が内から噴き出る黒き激光に包まれる。

「オオオオオオオオオオオオ!!?」

弾頭内に極限圧縮された魔力が、一気に破壊エネルギーとなって噴出。
黒が…漆黒がゼルダットの全身を覆っていく、蝕んでいく。

「ガアアアアッ! コンナ…オノレッ、我ガ力ヲォォオ、グアアアアアアアア!!」

激光が刹那収まった。

そして―――

身を投げ出し、距離を取っていた坂下が息を飲む目の前で――

ゼルダットは漆黒の光に飲まれ爆発、四散した。


吹き荒ぶ風。
全身を心地よい冷たさで撫でていく風に吹かれながら、坂下はじっと見下ろした。

すり鉢状に穿たれた大地。
そこにはもはや何も存在せず、ただ一片、鈍く光る鋼の破片が突き刺さっていた。


それを拾い、しばし透かし見るように破片を眺めた坂下は、おもむろにそれを懐に仕舞うと、戦場の跡を背に身を翻した。




「システムに致命的は損傷を認めず。すみません、このままスリープモードに移行します」

「ああ、ご苦労様」

「機能停止…機能停止……………」

両足、そして左手が根元から千切れ飛び、埃まみれになって倒れるセリオ。
その、もはやどう見ても残骸にしか見えない姿を見下ろしながら、坂下は小さく溜息をついた。
顧みれば自分も生きてるのが不思議なぐらいだ。

ゼルダットの一撃で、体内はぐちゃぐちゃ。奴の右膝を蹴り折った左足は間違いなく粉々に砕けている。よくこれで最後の一撃を繰り出せたものだ。自分自身で信じられない。
そして当の右手……正直眼を背けたくなる状態だ。拳から所々、折れた骨が皮膚を突き破ってしまっている。指も関節が幾つ増えたのか解からない。肩もまったく動かない。外れてるだけならまだいいが…

坂下は疲れたように呟いた。

「もう、使えないかもな、右手」


白む視界の端に、戦いが勝利に終ったと知った部下の生き残りが駆け寄ってくるのが見えた。
途端、漸く戦闘が終った事を体が認識したのか、気が抜けたように膝から崩れ落ちる。
慌てて自分を支えようとする彼らに、坂下は切れ切れに伝えた。

「悪いが私もセリオもこれ以上、指揮が可能な状態じゃない。保科に連絡して指示に従え、いいな!?」

残った力を振り絞り、手近の男の襟首を掴む寄せながら言い放つと、坂下は耐え切れぬように昏倒した。
沈む意識の中で彼女は唇を噛み締める。

この苦しい戦況で、自分とセリオが離脱する事が、どれだけ帝国軍の不利になるか、彼女には痛いほど理解できていた。


保科! すまない…なんとか、耐えて…くれぇッ


言葉は、声にならず掻き消える。
誰にも届かぬまま……

坂下好恵の意識は、奈落の底へと沈んでいった。




勝利を得た果てにあったものは――
それは更なる苦境だった。






    続く





  あとがき


八岐「書いた〜書いたよ〜」

あゆ「…書いたねー」

八岐「一戦闘でこれだけ分量書いたの初めてだよ〜」

あゆ「30KB越えたね」

八岐「もう戦闘だけにこれだけの量書けねー」

あゆ「……知ってるよ。そんなこと云いながら次も同じぐらい書いてるんだよね」

八岐「……えへへ」

あゆ「もう…うぐぅって感じだよ」

八岐「いや、それは意味解からん」

あゆ「解からなくていいもん。ところで今回、また何かネタ使ってるんだよね」

八岐「うむ、原形はまったく残っていないが、ゾイド・ゼロのセリフ使ってたりする」

あゆ「…ほんっとーに原形残ってないや。セリフだけ?」

八岐「うん、セリオのセリフ」

あゆ「そのセリフもちょっと違うし」

八岐「違うのです」

あゆ「うぐぅだね」

八岐「だから解からんって」

あゆ「だから解かんなくていいよ。で、次回は?」

八岐「久瀬だ」

あゆ「……君って僕みたいな正ヒロイン完全に無視して、サブキャラばっかりだ! 今回だって二人とも厳密にはヒロインじゃないし!」

八岐「意識してやってる訳じゃないのが我ながら凄いと思う」

あゆ「まったくもってうぐぅだよ!!」

八岐「だから……ええい、もういいや。次回予告! 第66話『その眼差しは愚か者たる汝を見下す』……なんちゅうサブタイトル!」

あゆ「それではまた次回のあとがきで」

八岐「お読みいただいた方々に感謝を残し、さようなら〜」



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