かつて、絶対的な破壊の力が在った。

それは生命体が手にした究極の力。

多種にして多様、多岐にわたるその力たちは、その世界に置いては総称して絶対魔術(アブソルート・マジック)という名で呼ばれた。

個人が持つには大きすぎるその力たちは、大盟約の成立によりやがて朽ち果てるようにその姿を消していく。

まるで滅びを得たとでも云うように。

だが、しぶとくその存在を残し続けた力は確かにある。
新たに生まれる力すらある。
生来に備わった力なら、消え去ることはない。
種族として持ちたる力なら、連綿と受け継がれる。



今、このグエンディーナ大陸に姿を現した二つの存在もまた、そうした力の生き残りであった。


異界幻主≪カノン・ケロピー≫
光護冥翼天船≪ヨーク≫


二人の少女の喚び声に応え、この世界へと顕現した力の具現たちの放った光は、同じ破壊の存在へと突き刺さり、その猛威を解き放った。



ケロピーの放ったプラズマの螺旋奔流が、蠢く『灰燼の卵』の表層面に着弾。次の瞬間、プラズマは物質接触による爆裂反応を起こす。
爆発するエネルギーの爆流指向が魔術的操作プロセスに従って着弾位置に固定。上方に逃げたエネルギーを除いて全ての熱量が着弾位置に留まり、その最中にある『灰燼の卵』を鋼鉄をも飴のように溶かすだけの熱量を以って焼き尽くしていく。
その光の爆発は、まるで十字架のようにすら見えた。


ヨークが放った四四連の中性魔力素粒子の黒色光線は、また別の過程を辿る。
人々が魔力と呼ぶその元素は物理法則から完全に独立し、もう一つの世界法則たる魔道法則に支配され、生命体の意思力に反応する特異素子だ。
その魔力をさらに純化させ、素粒子化させたものを射出する荷重魔力粒子兵器。
四四条の魔力の光線は、その全てが寸分違わず『灰燼の卵』の本体に突き刺さった。
肉を焼き切り、蒸発させ、四四の大穴が穿たれる。だが、それでは終らない。
『灰燼の卵』を貫通した光たちは、まるで意思でも持っているかのように弧を描き反転。再び『灰燼の卵』へと襲い掛かった。
着弾から約15秒。魔力光線がその具現力を失って世界へと送還されたその後には、バラバラに切り刻まれ、大地にその肉片を降り注がせる破壊の卵の姿があった。



爆音、轟音――大気が戦慄き、鼓膜が弾けるほどに打ち響き、音階を突破した衝撃が収まったその場所にあったのは残骸。
全体の3分の2を消失し、残りの殆んども焼け焦げた肉の卵の姿だった。

耳を劈くような高音、空間に光跡を残し、大空を縦横無尽に蹂躙した黒の光線が消え去った跡に残されたのは残骸。
塔の如く聳え立つ巨大な肉塊の上部約5分の4を細切れに切り刻まれた肉の卵の姿だった。




人知を超えた滅びの余韻。

ラルヴァの大群が間近に迫っているという最中でありながら、誰もが言葉を失いその光景に目を奪われた。

歓喜の声はまだ無い。

まだ実感が湧くには時が足りなさすぎる。

その光景は人が即座に理解するにはあまりにも強大過ぎる。




「終わ…ったの?」

柏木千鶴はやや茫然としながらも、その凄まじい情景から目を離せなかった。
傍らで目を丸くした梓がカクカクと頷いているのが視界の端に映る。
あそこまで破壊し尽くされたのだ。これで終わりでなければ何だというのだ。

だが、何故なのだろう。

戦いに猛る狩猟者の魂は未だ歓喜の胎動を続けている。
今、まさに激突しようとしているラルヴァの軍勢の所為なのだろうか…

いや、違う気がする。
解かるのだ。
何も終っていないのだと…




「や、やっつけてしまったんですか?」

倉田一弥は緊張に乾ききった喉をゴクリと動かしながら誰に訊ねるわけでもなく呟く。

「だといいがな」

最後の相互間調整を図るために倉田の陣を訪れていた久瀬俊平は、無意識に唇を親指で擦りながら此方もまた意識するでもなく応えた。

あっけなさ過ぎる…
ヤツラは此方が絶対魔術を使う可能性を全く考えていなかったというのか?
馬鹿な、何らかの対抗策を用意していて然るべきだぞ。





そう

千鶴の悟った通り、それは終わりにあらず。

久瀬の考えた通り、然るべき対応はなされていた。






それは『破壊の卵』を破壊し尽くした衝撃が消え去って、僅か数秒の後。

山葉で/降山で

焼き尽くされた/切り刻まれた

灰燼の卵の残骸が、肉片が、

ゾワリと

蠢いたのは。




「(まだ……終ってはいません)」

十万を越す瞳が驚愕とともに一点に集まる中で、風に靡く黒髪をそのままに芹香は一人囁く。


「…ったく、どうやらやっかいな戦になりそうだぜ、こりゃ」

目の前で起こりつつある気が狂ったとしか思えないような現象に誰もが硬直するなかで、相沢祐馬は忌々しそうに呟いた。



「な、なんなんだよっ! あれはぁ!!」

誰かが泣きそうな声で叫んだ。
誰もが同じ事を思う。
悪夢の情景だ。
狂気の産物だ。

そんな話を聞かされて誰が信じるだろう。


破壊し尽くされた肉の卵が、おぞましく蠢き、ぬめり、膨れ上がり……

凄まじい速度で再生していくなどと……




僅か一分にも満たない間に、まるで時を巻き戻したかのように再生し元の状態に戻ってしまったその醜い肉塊の姿を見た時、誰もが悟った。

悟らざるを得なかった。


今、この時より、血の一滴まで振り絞らなくてはならない死闘が始まったのだと……




≪山葉降山の戦い≫…別名≪煉獄会戦≫と呼ばれる血みどろの戦いは、こうして幕を開けた。



















魔法戦国群星伝





< 第六十二話 希望たる破壊と絶望たる再生 >



御音共和国 山葉



天は高く晴れ上がり、空を斑に棚引く雲は薄く、蒼い空を透かしている。
ただ一点、白と蒼のストライプが途切れた場所。
そこだけが円を穿たれたように雲が途切れている。
それは天を貫く光の十字の残滓。
その真下には爽快な空を冒涜するように、赤黒い塊が胎動を続けていた。

雲をも消し去る滅びを受けながら、未だその場に存在し続ける悪夢の塊は、まるで哄笑するようにその全身を蠢かせている。



「けろぴーの力が効かない? ううん…なら!」

≪ケロピー≫の召喚者である水瀬名雪の茫然自失は刹那だけだった。
彼女はすぐさま我に返り、反応する。その対応は彼女の母のスタイルである即断と云っても良かった。
眠り姫(スリーピング・ビューティー)>状態の反作用と云ってもいい、半ば寝ているようにも見える緩慢な動作と意識を押し切り、高く一本に縛った髪を振り乱して名雪は決然と告げる。

「砲撃用魔力を再充填(リロード)開始! 法陣にアクセスして砲撃式理軸回路を書き換え(リライティブ)、統一射撃から交互射撃モードに変更する。サポートお願い!」

「ちょ、ちょっと待って下さい! それは連続砲撃を行なうって事ですか!?」

配下の魔導師の少女の裏返った声に、既に意識統一に入っていた名雪は振り向きもせず答える。

「そうだよ! 一撃で効かないなら何度でも! 一気に切れ目無しの火力で押し切る!!」

「無茶です! ただでさえ莫大な魔力消費量なのに! 連続で攻撃なんてしたら――」

「今は――!!」

名雪が叫ぶ。
途端、彼女から発せられた凄まじい魔力の渦に周囲の者達が圧倒される中で、名雪は束ねた髪を力の波動になびかせながら叫んだ。

「後ろを顧みてる暇なんてないんだよ!!」

彼女の叫びと同時に、渦巻く魔力が一気にバイパスを経由して幻獣に注ぎ込まれる。

ケロピーの口前に、突き出された両の手に、急速に純白の光が集っていく。

「ま、魔力再充填完了! 引き続き過充填開始!」

「照準固定! 再変更無し!」

カッと最期まで開くのを抵抗していた瞼が開かれる。

そして、振り上げられた右手が、大気を切り裂くように振り下ろされ、世界に仇名す破壊の卵に向かって指差された。

「≪カノン・ケロピー・プラズマブラスト=トリニティ・テスタメント・エターニア≫!! ファイアァッ!!」

少女の咆哮が戦場に響く。
集束した光が煌き、再び発射された。

爆音。
檄光。

だが、それは先程のものより多少小さい。

まず放たれたのは口前に集った白光。一条の螺旋は再生を果たした『灰燼の卵』に唸りを上げながら再び突き刺さった。
先程より威力は劣るとはいえ、その凄まじい熱量は『灰燼の卵』を焼き焦がしていく。

そして、右腕から光が溢れる。
第二撃の光旋は初撃の荒れ狂う光芒が途切れる間際に『灰燼の卵』に襲い掛かり、初撃のものと折り重なるように光の十字が誕生する。

そして第三撃。
早速再生を開始した肉塊を再び消滅の域に押しやるように次々に直撃していく超高熱のプラズマ。

第四撃。
全てが撃ち尽くされても終らない。
再び光を集めたケロピーの口前から再度プラズマブラストが撃ち放たれた。
既に右腕には光の渦が明滅しながら集い始めている。
そして左腕にも光が……




絶え間なく突き刺さる爆裂と大熱量。
それに対するは際限の無い再生。

一度焼き尽くされた肉片が、すぐさま膨れ上がり再生していく。
そこに再び光熱が吹き荒れ、卵を破壊していく。

再生と破壊。

同一にして相反するその性は、終わりの見えないを繰り広げ始めた。





歯を食いしばって凄まじい魔力の消費に耐えている名雪がいる陣地。
その少し前方に一人と一匹。もしくは二匹の姿があった。

「ぴ、ぴろー! 何なのよあれー! 反則よ、反則!! あんなのアリなの!?」

バタバタと両手足を喚かせて憤慨する沢渡真琴。
その声の奥底にある怖れを感じながら、彼女の頭の上に陣取っていたピロシキは険しい声音で告げる。

「本来『灰燼の卵』にあんな再生力などあろうはずがない」

「じゃあなんで!?」

「生命の操作、存在の再生を司ったのは翼の一族。その創造物であるガディムもまた再生の力を宿しているという事だ。 ガディムめ、『灰燼の卵』が生体爆弾である事を利用して過剰な再生力をあれに植え付けたのだ。
本来あそこまでの復元力は、その生命の形成を崩壊させてしまう。だが、『灰燼の卵』ならばそんな心配をする必要はない…考えおったな」

「じゃ、じゃあどうにもならないの!?」

「いや、再生を上回るだけの力をぶつければ……だが」

ぴろは低く唸った。

目の前で繰り広げられている想像を絶する力の放射は、確かに人間が放つ事の出来る力の限界に近い。
だが、その力ですら『灰燼の卵』の恐ろしいまでの再生力に一進一退を繰り返しており、果たしてこのまま押し切れるのか定かではない。

……これは最期の手段を考えておかねばならぬかもしれん。


そして、前方に津波の様に押し寄せてい来る黒い魔物たちの姿が映った。
まるでその全てが此方に向かってくるような錯覚に、真琴は思わず身震いする。
いや、それは錯覚ではない。
十万を越すラルヴァその全てがまさに此方に突進しているのだ。

「真琴! 彼奴らの狙いは『灰燼の卵』を攻撃する術者…名雪殿だ! 心せよ! 我らは最期の防波堤だ! 一匹たりともあの木偶人形ともを通してはならんぞ!」

「うん、わかってるわよぅ!」






東鳩帝国 降山盆地



こちら、帝国の戦場でも人々の正気を逆撫でするような光景が現出していた。

『灰燼の卵』の切り刻まれた本体がすぐさま再生したのを見て、一瞬驚いたように停止した≪ヨーク≫は、その後再びその艦舷に並んだ砲口から黒い光の線を連射し始めた。
生命の意思に反応する素子…魔力(マナ)。
≪ヨーク≫の、そして初音の意思が宿った黒き魔力の光条は、その意のままに空間を疾駆する。

『灰燼の卵』は未だにその間断なく放たれる黒光たちに裁断され続けていた。そして同時に切られた個所を接着させ瞬時の再生を繰り返していく。
それは、狂気の沙汰としか思えない、凄惨すぎる光景だった。



光の船の砲門から迸る光と共に戦場に響き渡る甲高い発射音の下、東鳩帝国軍の精鋭12万は素早く布陣を整えていた。



「確認できるラルヴァ全てが柏木殿の下に向かっています!!」

「見れば解かる! クソッ、やっぱり初音ちゃんを狙ってきおったか!」

保科智子は怒り狂った虎の如く咆哮した。

「全軍、ラルヴァが射程内に入り次第射撃開始! 全部撃ち殺せ!」

大地が割れ、崩れ落ちんばかりの轟音が、戦場を覆った。
火薬の爆発プロセスに順じて銃口より発射された万を越す銃弾は、突進してくるラルヴァたちに次々と着弾する。
地を覆う黒色に、銃弾のはずれる余裕などなかった。
面白いように鉛玉は、ラルヴァにぶち当たる。
そして完全球形の鉛玉は、ラルヴァの強靭な皮膚を食い破り、肉を爆ぜ散らし、骨格を粉砕していく。
頭蓋を割られ、倒れ伏すモノ。肩口の肉をこそぎ取られ、黒い羽根をもぎ取られるモノ。
多くのラルヴァが銃弾を喰らい、倒れ、灰と化し、それでもなお狂乱のままに突撃を続ける。

その光景は、猪名川での激戦を経験した猛者たちですら恐れ慄く鬼気迫る情景だった。


全身を冷汗が流れる不快な感触。
歪んだ表情はその感触故か、はたまた眼前の光景故か。

岡田カナエは声を張り上げて味方を叱咤しながらも、目の前の光景に身体が震えるのを抑える事が出来なかった。
そして、配下の兵士たちの根底にも、その恐怖がこびりついている事が良く解かる。

無理もない、と岡田は思う。

猪名川会戦の時とは、状況は似ているようであまりにも異なる。
この場には、敵の突進を前にして安心感を与えてくれる柵はなく、敵の行動を妨げる堀もない。

ラルヴァの黒群と、自分たちを隔てるものは何もないのだ。

これほどの恐怖はなく、同時にこれほど危険な状態はない。

オマケに自分を含めた兵士たちは完全に理解してしまっている。
自分たちが背負っているものは、まごう事なき大陸の存亡だという事を…
これでは退がる事などできようはずがない。
逃げることなんて出来るはずがない。

その余りに重い命運を前にして、誰が怖れを抱かずにいられよう。

「一々敵を狙うな! ただひたすら前に向かって撃ちなさい! 下手に狙うよりその方が当たるんだから!!」

自分の兵に、宮内勢や水瀬勢のような銃の腕前がない事を痛いほど承知していた岡田は、とにかく早く撃つ事を命じていた。
それは全面に弾をばら撒く弾幕効果を狙ったものだった。
効果は出ている。
何とか敵の突進を抑えているのだから効果は出ているのだろう。

ただ、それも時間の問題だった。

敵の数は前線からは把握できないほどに膨れ上がっている。
一面が黒色に覆われている。

その上…

岡田は思わず歯軋りした。

一〇〇鬼ほどのラルヴァが僅か3メートルほどの高さだが、確かに空を飛んでいた。

岡田は苛立ちのままに怒鳴りつける。

「天蓋結界はどうなってるのよ!!」




「なんでまだ発動せえへんねん!!」

総本陣では、ちょうど保科智子が同じような内容の言葉を叫んでいた。
その彼女に何かの魔導具に向かっていた参謀の一人が顔を真っ青にしながら振り返った。

「結界班のエニグマから返答がないんです…応答が返って来ないんです!!」

「なんやと!?」

その言葉を咀嚼した智子の顔は、その参謀と同じ様に青ざめていく。

「まさか…殺られたん…か。くそっ、同じ手は通用せえへんとでも云うつもりかっ…」

智子はギリギリと歯を軋らせた。
この戦いに予想を遥かに越えた苦闘の予感を感じ取る。

「後備部隊に通達。ラルヴァの迎撃準備を繰り上げや」

智子は震える両手を白くなるほど握り締めた。






東鳩帝国 降山盆地 天蓋結界陣



「下ランナ」

そう云って、全身を鈍い鋼の色で覆った二メートルを遥かに超す巨体は、無造作に右足を降ろした。
その金属の足の下で、恐怖に目を見開いた人間の頭部が風船の様に弾けた。

「まあ、そう云うなゼルダット」

ヒョロリと細長い身体、そして異様に長い手足の錆色の短髪を逆立てた男が、人型の金属の塊に向かって甲高い声で笑う。
その両手には、まるで玩具のように、人間の足が一本ずつ握られていた。

「ラルヴァどももあまり無駄遣いは出来んのだとよ。それに一方的にやられてばかりじゃ、見てるこっちも面白くねえ」

螺奸(ラカン)

無機質といえばこれ以上ないほどの無機質な声…否、音声が痩身の男のおしゃべりを閉ざす。

「命令ハ『灰燼ノ卵』ヲ守護シ、群ガル蝿ハ潰セ…ダ。我ハ、行ク」

「へいへい、好きにしな。だいたい人間の軍勢なんざ、頭を潰しゃ終わりなんだよ。解かってるよな、ゼルダット=アイゼン」

「自明ナリ」

相も変らぬ同僚の愛想の無さに鼻白む螺奸を置いて、鋼鉄の巨人ゼルダットはその巨重を感じさせぬ素早さで山を駆け降りていった。
残された螺奸は、両手の玩具を詰まらなげに放り捨てて呟く。

「さて、オレはどうするか…」

ひょろ長い手を組みながらしばし考え込んでいた男の卑しげな表情が笑いに歪む。

「やはり切り刻むなら女だな。けけ、男よりも女だ。さあ、腕を切り落としに行こう。目を刳り抜きに行こう。耳を削ぎ落としに行こう。はらわたを引きずり出してやろう。悲鳴と絶叫、そして鳴き声のオーケストラと行こうじゃねえか」





御音共和国 山葉



「そうよ! 都築隊を対空射撃に回せ! 効果ぁ!? そのまま見過ごせっての!? いいから早くしやがりなさい!」

怒鳴りつけるように命令を飛ばした稲木佐織は、銃隊列を飛び越そうとしているラルヴァの一群を、視線で射殺せるなら全鬼撃墜だろうという凄まじい形相で睨みつける。
帝国と同様に、こちら山葉でも天蓋結界はまったく発動する様子を見せなかった。

「後方に連絡して! 『我らラルヴァの進軍を阻止し切れず』…よ!」

あまりの不甲斐なさに脳味噌が沸騰しそうになる。
佐織はその小さな唇を血が滲むほどに噛み締める。

「総員、撃って撃って撃ちまくりなさい! 弾なんて幾らでもあるんだからね! せめて地面に足つけてる奴らは近づけるな!!」





「ちょ、ちょっとー、空なんかから来られたらどうすりゃいいのよぅ」

前線の激闘の様子を何度も生唾を飲み込みながら望んでいた真琴は、最前衛の隊列を飛び越えてくるラルヴァの一団を見ながら叫んだ。
前線を突破したラルヴァたちは、自分たちの背後で銃撃を繰り返す人間の兵士たちを振り返りもせず、真琴達の方目掛けて飛来してくる。
真琴が空を見上げているので、ずり落ちそうになるのを必死で堪えていたピロは、爪を立てないように苦戦しながら答える。

「大丈夫だ。帝国もだが、本陣から数百メートルの範囲は――」

ぴろが全てを云い終える前に、真琴の、そして御音・カノン軍の見ている最中で宙を行軍していたラルヴァたちが突然叩き落されたように地面に落ちてくる。
そこに、後方に陣を構えていた軍勢が取り囲むように襲い掛かり、ラルヴァを次々に討ち取っていく。

「見ての通り、局地天蓋結界を敷いておる。少なくとも名雪殿が空から襲われる事はないというわけだ」

ピロの声に返事は返ってこない。
真琴といえば、前方で繰り広げられている二人の女性の修羅のような奮迅に目を奪われていた。


衣装の全てを暗紫に塗り固めた一軍。
その先頭に立ち、巨大なハルバードを軽々と振り回しながら次々にラルヴァを狩り取っていく自分と同じツインテールの女性。
そして、彼女の後ろを付かず離れず付き添いながら、十字槍を流麗に操るもう一人の女性。

特攻乙女 七瀬留美と広瀬真希率いる七瀬突撃戦隊(アサルト・フォース)は思う存分、その打撃力を発揮しまくり、最前線を突破してきたラルヴァを片っ端から突き崩していく。



「すっごーい。これじゃあ、あたしたちに出番ないんじゃ――」

「そうもいくまい」

その見ているだけで武者震いしてしまうような七瀬たちの奮迅を前に、ややも興奮気味の真琴。
だが、ピロはあっさりと水を差すように告げた。

「討ち漏らしたラルヴァ…来るぞ!」

猫の云う通り、五鬼ほどの黒い巨体が名雪の本陣に目掛けて…つまり真琴たちに向かって来ていた。

「あの程度の数、楽勝よ」

グイッと印の形を組んだ両手を真横に突き出しながら、真琴が咆える。
そして、彼女の周囲の空間に青白い火の玉が浮き出るように連なるように現れ始める。

「絶対、名雪のところには通さないんだからね!」





山葉の戦場では人間たちは善戦していたと云ってもいい。
カノン皇国軍約七万五〇〇〇。
御音共和国軍約六万七〇〇〇

総数では帝国軍と変わらないが、深山雪見・川名みさき両将並びに住井護・稲木佐織の四人の将の指揮振りは際立っていた。
坂下好恵や保科智子が本来自分の配下ではない軍勢を抱え、本来の辣腕を振るいきれていないのに比べてその自在な統制は目を見張るものがある。
加えて、後方で最前線を突破してきたラルヴァたちを駆逐する部隊に関しては、山葉の方が完全に優位に立っている。
七瀬留美の突撃戦隊(アサルト・フォース)、長森瑞佳の強襲魔獣兵団、そして頭目は不在なものの、符法院の戦法師団『鈴音』、御音特別調査局実働部隊『サイレント・コア』が縦横無尽に駆け回り、絶対魔術を使用している術者に襲い掛かろうとするラルヴァたちを防いでいた。

無論、帝国側でも神岸あかりの『真紅の暴風(シャルラッフロート・シュトゥルム)』、セバスの来栖川特殊部隊『鋼』が奮闘していたものの、後方の劣勢は否めなかった。

自然、≪ヨーク≫に意識を繋げた無防備な状態の柏木初音に迫るラルヴァの数は増えることとなる。



東鳩帝国 降山盆地



柏木家が陣取った小高い丘からは、戦場の様子が良く見えた。

群がる黒雲。
絶える事無く火花散らし続ける銃火の帯。
その前衛を飛び越えてくる黒翼の魔。
鬼気迫る勢いで、黒の波を駆逐していく赤揃えの軍団――近衛鉄熊兵部隊『真紅の暴風(シャルラッフロート・シュトゥルム)』が暴れ狂っている。

そして、

その慈悲の欠片も無い赤色の顎を突破した

百を越えると思われるラルヴァたちが近づいてくる様が……




ザッ、と土を踏む音とともに一人の少女が歩き始める。

「…楓」

思わず柏木梓は一つ下の妹の名を呼ぶ。
梓の姿は、藍色。どこか大陸の道服と呼ばれる衣裳にも似た、軽快な装い。

楓は肩越しに振り返ると、二人の姉に向かって、

「姉さん達はここで初音を守っていてください」

「楓…あなたは?」

艶やかな黒髪を硝煙の匂う風にさらさらとなびかせながら、長姉 柏木千鶴が問う。
千鶴の姿は珍しくスカートではなくゆったりとした紺色のズボン。上は長袖の真っ白な貫頭衣だった。

彼女の視線は楓には無く、敵たる魔の方を睨みつけている。
その瞳は縦に切り裂かれ、その色は鮮やかな紅へと染まっていく。
そして、白の長袖からのぞくたおやかな両の手には、鉄をも紙の様に切り裂く鬼の爪が鋭い光を照り返していた。

空気から熱が急速に失われていく。
見えざる冷気が周囲を覆っていく。
その中心に佇む彼女はまさに夜叉。

普段は恐怖の対象である長姉の姿を頼もしく望みながら、柏木家三女 柏木楓は凛と答える。

「討って出ます」

楓の姿は二人と決定的に異なっていた。
見たことも無い、どこぞの民族衣装のような装い。
まるで祭典に望むようなその異装は、何故か彼女にはよく似合っていた。

そして、取り出だしたる二振りの小太刀。
それを両手に持ち、彼女はそのままさらりと両手を横に広げ、切っ先を下に向けた。

涼やかな鞘鳴りが響く。

触れるだけで全てを切り裂き、緋色の血を彩ると云う緋刀『倉掛古桐』―『緋柳』と『緋樂』
その鋭刃を包む緋鞘が、スルスルと刃を滑り、カランという音と共に小太刀より抜け落ちる。

少女の下げたる二振りの太刀は、まるで微笑むように白く輝いた。


「柏木楓…参ります!」


トン、という軽やかな踏み込みの音を奏で、先の大乱の撃墜王は、群がる悪魔の群れに向かって駆け出していった。




    続く





  あとがき


あゆ「やっと始まったね」

八岐「うむ、これで漸く本格的な戦いの始まりという事や」

あゆ「いきなり切札の絶対魔術が効かないって、どうなっちゃうのかな」

八岐「さあ。どうにかなるん違うか?」

あゆ「な、投げやりだね」

八岐「…そうか?」

あゆ「…よく思うんだけど…毎回、性格違わない?(今回関西弁だし)」

八岐「書いてる時の精神状態…は大袈裟やね。まあ気分やよ。一応自分やし……ある意味、素ぅや思わへん?」

あゆ「…そういうものなの?」

八岐「……さあ?」

あゆ「…………」

八岐「…………」

あゆ「な、なんかよく解からない会話になっちゃったね」

八岐「そやね」

あゆ「え、えっと話を戻すよ」

八岐「どーぞ」

あゆ「なんかまた知らない人が出てきてない?」

八岐「ああ、あれは前からちょくちょく名前が出とったガディムの魔将やん。ラルヴァやないんやけど、ガディムに魂売った連中やな。詳しい事はその内出るかもしらん」

あゆ「強いの?」

八岐「強いよ。グレーターラルヴァなんか所詮雑魚なんや。正直、人外レベルの力が無いと辛い」

あゆ「ふーん、じゃあ大変だ」

八岐「そう、大変や」

あゆ「という訳で次回は大変なんだよ」

八岐「おっ、あゆにしては上手い纏めの入り方やな」

あゆ「うぐっ、いいからちゃんとしてよっ」

八岐「はいはい、つーわけで、次回第63話『忌わしき者ども』 でわでわ」

あゆ「ありがとうございました。今日はこのへんで」




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