魔法戦国群星伝





< 第五十八話 爪は砥がれる >






東鳩帝国 鶴来屋本店



東鳩帝国は帝都から北東の方角にしばし離れた郊外に降山という場所がある。
そもそも、特に何の特産があるわけでもないこの地が人々の集まる行楽地として栄えるようになった時期は、 東鳩帝国という後に乱世を収める事となる三華大国が一勇の誕生した前後と重なるとも云われる。
首都…すなわち帝都がこの降山の地の近郊に建設された事により、 この地の利便性が省みられるようになったというのが一般的な説ではあるが、 隆山が猪名川と並ぶ帝国二大景勝地へと発展するには一つの大店の興隆が背景にある事は明白であった。

祖父の代にその確固たる基盤を作り上げ、今現在さらに帝国全体に勢力を拡大しつつある多種複合旅籠大店 『鶴来屋』

今や、帝国の中枢にまで根を伸ばし、大貴族にも勝る資金力を蓄えたこの鶴来屋が若干二十代の女性により経営されている事は、 帝国人民には自明の理とも云われるほどの常識であった。
だが、この女会長を含む鶴来屋の支配者――柏木一族が先の魔王大乱で未曾有の活躍を示したことを知る者はまずいない。
ましてや、柏木一族が魔族に連なる家系であることを知る者は、 帝国魔導院『深き蒼の十字(ティーフブラウ・クロイツ)』や帝国情報局の最上層部が僅かに把握しているのみである。

たった今、鶴来屋の応接室で、お茶を啜っている活発そうな物腰と好奇心を瞳に宿した彼女は、その柏木一族の秘密を知る数少ない一人であった。


その彼女をほったらかしにしてこっち(?)に目線を向けながら手を振る女が一人。

「あはー、どうもー」

「……姉さん?」

「……柏木千鶴ですよ〜、覚えてますか皆さ〜ん」

「千鶴姉さん?」

傍らからの再三の問いかけにも反応することなく自らの行動に没頭していた鶴来屋会長柏木千鶴であったが、さすがに声に険が篭もり出した事に気がつき視線を妹の方に向けた。

「なあに? 楓」

「誰に向かって手を振ってるんですか? しかも滝の様に涙を流して」

「うふふ、ちょっと余りにも久しぶりだったからちょっと忘れられてたんじゃないかと思ってアピールしてたのよ」

「だから誰に…ですか?」

訝しげというよりむしろ諦めすら漂うその声に、千鶴はハンカチを取り出しながらパチパチを目を瞬いた。

「……あれ? だれだったかしら?」

右手に持ったハンカチで涙を拭きながら、左手を頬に当てて首を傾げるという器用な真似を平然とこなす長姉に楓ははぁ、ともう呼吸と変わらないまでに普遍的になってしまった溜息をついた。

「あーっと、話続けていいかしらねー」

不意に二人に飛ぶ声。
見れば、向かいのソファーに腰掛けた一人のショートカットの女性がチョイチョイと彼女らの前で右手を振っている。
その顔に張り付いた笑みが少しぎこちないのと、座り方がちょっと腰が引けているのはまあ仕方ないだろう、と楓は嘆息した。

千鶴の奇矯さを目の当たりにしたら誰だって逃げ腰になるものだ。こればっかりは慣れなきゃしょうがないのだが、そうそう慣れるものでもない。
なにより、産まれてこの方延々とこの姉に付き合ってるはずの自分こと柏木楓ですら、未だに慣れる事はない。
まあ、他人から見れば慣れているようにも見れるのだろうが…実際は単に諦めと呆れがかなりいい感じにブレンドされてるだけの話である。

ちなみに忘れる前に云っておくと、この引けてる女性は帝国情報総監 長岡志保。
別名、帝国府柏木家担当係。
柏木家の面々が知ったなら、千鶴と一緒にまとめるなと云わんばかりのいわくつきな隠語である。

兎にも角にも、影で何を言われてるかなんて、とんと気にした事などあろうはずのない(そのかわり知ってしまったなら地獄である)柏木千鶴は、珍しくも自分が変な事をしていたという自覚があったかのように誤魔化すような高笑いを響かせた。

「あら、ごめんなさい、おほほほほ」

「電波? 電波なの?」

「我が姉ながら、ちょっとそうかもと否定できません、はい」

それはそれでかなり恐いものがある『鶴来屋』の女会長の高周波に晒され、志保はちょっと泣きながら楓に囁き、楓も表向き表情を変えずに声だけ沈痛に同意する。

「と、とりあえず話は聞いててくれた?」

パチパチと目を瞬かせ、一瞬凝視。
それからパチリと両手を顔の前で合わせ、

「勿論ですよー志保さん。ねー、楓」

と、さり気なく眼差しに「どんな話?」という疑問系を浮かべてよこす姉。
ピシリッ、とこめかみに青筋が走る妹。
梓姉さんぐらい腕力があったらアイアンクローかまして壁にガンガン頭ぶつけてやるのに、と密かに生まれと育ちを後悔しながら楓は志保に向かって姉の代わりに答えた。

「とりあえず、大陸の情勢が抜き差しならない所まで来ている事は理解しました。つまり帝国は正式に柏木家の出陣を要請するのですね」

「そうそう、差しあたっては絶対魔術(アブソルート・マジック)の使い手を集める事が急務な訳で…」

絶対魔術(アブソルート・マジック)ぅ? 私はそんなの使えませんよ」

梓姉さん、助けてください

柏木家、対千鶴ツッコミ要員の梓の不在(厨房で忙しいのだ)に頭を抱えつつ心のうちで涙する楓。
ちなみに楓自身がツッコミ倒してもいいんだが、千鶴相手だと後が怖いので後先考えない梓しかまともに千鶴に意見できない。
さらに言うと楓が本気を出すと、その鋭利過ぎる舌鋒は確実に相手を再起不能にしてしまう、問答無用必殺兵器な代物なので、それはまた最終手段である。

「いやですよ、千鶴さん。別に千鶴さんがそんなもの使えないのは知ってますよぉ」

と、こめかみから伝う冷や汗がいみじくも内心を現しつつも、フォローの言葉をひねり出す志保。

「あは、やっぱりそうですよね。ちょっと勘違いしそうになりました」

もはや思考回路自体が勘違いしてるのに気が付いてませんね、と可聴領域ギリギリで呟く楓。

自分に向けられているのではないにも関わらず、ビシバシと肌に突き刺さる氷のような次妹の視線に こめかみどころか全身から冷や汗をたらす志保。
その凶悪な眼差しに動じないどころか気付いてもいない長姉の図太さに戦慄を覚えつつ、志保は言葉を続けた。

「えっと、つまりはですね――」

コンコン、というドアのノック音が志保の言葉を遮る。
どうぞ、という楓の声に、ドアが開き、ピコンと可愛いアンテナが震えた。

「こんにちは、志保さん」

志保のイメージではもはや異界と化していた空間に吹き込む一陣の涼風。志保は仏様の後光を目の当たりにしたような表情で、声のした方を振り返った。その視線の先には予想通りの面差しが。

やっほー、初音ちゃん。と、小さく手を振る志保。
応接室へと入ってきたのは柏木家の末妹 柏木初音。
柏木家最期の良心とも、偽善者名人位とも呼ばれる表裏の無い人柄が売りの少女である。
そして鶴来屋本店を訪れる客の間では一番人気の高い少女でもあった。

初音の方に顔を向け、視線で席につくように促した楓は、志保を振り返り静やかな声で訊ねる。

「ご指名通り、初音を呼びましたけど……そろそろその意図を教えて欲しいですね」

「はえ?」

自分が呼ばれたのが志保の指名だと聞かされ、驚いたように目をパチクリさせる初音の仕草に、思わず笑みを浮かべながら志保はそーいうこと、と楓に向かって頷いた。

「初音ちゃんには、ここ降山近郊に出現した灰燼の卵。その破壊を担当してもらいたいのよ」

「わたしが…ですか?」

楓の横にちょこんと座って、困惑した様に眉を寄せながら問い返す初音に、志保は先ほど千鶴たちに語った内容を繰り返す。

「【三華作戦(ドライエック・ブルーメ)】…この作戦で帝国はほぼ全戦力を降山西に投入することになったわ。同時に御音とカノンの総軍が大陸西。御音は山葉に出現した灰燼の卵を破壊にかかる。 そして水瀬公爵軍に護衛された魔王討伐隊がガディムの本拠『失われた聖地』へと強襲をかける。三華大国の総力を結集した三点同時攻勢作戦…これが【三華作戦(ドライエック・ブルーメ)】の概要よ」

ところが問題があってねえ、と歩く情報本舗は器用に肩を竦めてみせる。

「当の灰燼の卵。これが王城クラス…あ、いや、小さな山ほどもある巨大な代物でね。とても通常型の大筒じゃ破壊できそうもないの。帝国秘蔵の炸裂弾は前の猪名川会戦でほとんど在庫がなくなっちゃったし。そもそも今度は強襲作戦だから大筒みたいな大型機材を大量投入は出来ないって話なのよ」

「なるほど、そこで先ほどの絶対魔術(アブソルート・マジック)のお話ですか」

今度はちゃんと聞いていたらしい千鶴が、先ほどまでとは打って変わって柏木家当主としての威厳を漂わせた表情を貼り付けながら言う。

「そういう事。大本営は絶対魔術(アブソルート・マジック)の使用による灰燼の卵の破壊を作戦案に盛り込んだわ」

じっと自分を見つめる志保を前に、すう、と千鶴は人差し指を唇に這わせた。
紅色に染められた唇が、刹那、恐ろしいまでの冷たさをかもし出す。

「私たち『鬼』の力は人より強大な戦闘能力に過ぎません。それなのに、大規模破壊を必要としながら我々の元に訪れる……いえ、初音をここに呼んだ事でそれは明らかですね」

無形のプレッシャーにも身動ぎ一つせず、志保は薄く目を細めた。

「悪いけど、うちはあなた達柏木一族…いえ、エルクゥ種のすべてを把握しきっていると思ってくれて間違いないわ」

エルクゥの名が出た途端、部屋の温度が一気に下がる。
その名は決して外には伝わっていないはずだった柏木の血に連なる者の秘密。
だが、目の前の少女はあっさりとその名を口にしてしまった。

やがて、氷原の空気は解かれ、千鶴は諦めともつかない吐息を漏らす。

「やはり侮れませんね、あなたや来栖川さんは」

敵に回さずにすんで良かったです、と千鶴は自嘲気味に小さく口元に笑みを浮かべた。
そして、緊張の空気が解けた事に安堵の息をついている末妹を振り返り、

「力というものは、使うべきときを見誤らぬようにせねばならないと同時に、使うべき時は躊躇わず行使すべきものと心得ています。初音、貴方は自分の力の行使に同意しますか?」

一瞬だけ、初音は瞳を伏せ沈黙すると、眼差しをあげ決然とした声で告げた。

「それがみんなの日常を守ることに繋がるのなら、私は力を使うよ」

「そう」

妹の確固な意思に千鶴は優しく微笑んだ。
それを黙って見守っていた楓は、コクリと頷くと 「用意しておいて良かった」と、テーブルの下に置いていた白の包みを取り上げ、さっとその布の包みを取り払う。

「不肖私、柏木楓も非力ながら参陣させていただきます。初音の護衛も必要でしょうし、戦力は多い方がよろしいでしょう」

取りい出したるは、二振りの朱鞘。長太刀にしては短すぎ、脇差にしては長すぎる。その武器の名を小太刀という。

「『緋柳(ひりゅう)』に『緋樂(ひがく)』…倉掛古桐(くらかけこきり)の双子小太刀ね。ひゅう♪ 非力なんて先の大乱の撃墜王(エース)がとんでもない。『閃光』ここに再びかあ」

第一次魔王大乱で名を奏でられた楓の異名を口ずさみ、志保は思わず口笛を吹いた。
恐らくは柏木の者たちが快くこの戦いに参加してくれるであろうことは確信していたが、実際彼女たちの口からそれを聞くことは志保にふつふつと湧き上がる高揚感をもたらしていた。
特に彼女…柏木楓の参戦はありがたい。

先年、帝国を未曾有の混乱に巻き込んだ先の魔王大乱では、幾人もの英雄が誕生し活躍している。
だが、藤田浩之、柏木耕一、柳川裕也、来栖川綾香、姫川琴音といった対ラルヴァ戦で人ならざるまでの猛威を振るった面々を差し置いて、一番数多くのラルヴァを滅したのがこの柏木楓だった。
中でも魔王本拠地強襲戦におけるラルヴァ300鬼との乱戦での楓の活躍は、その戦いに参加した面々にいまだに『閃光』という異名とともに畏怖されている。
エルクゥ種族という人間を遥かに超える身体能力を持つ種の中でも、飛びぬけたスピードを誇るのが彼女であり、その高速を生かした戦いぶりは他を寄せ付けない。
少なくとも、武器・格闘戦闘における対多人数乱撃戦闘で、柏木楓にならぶものはそうそういないだろう。

朱鞘二振りを指し示すことで、参戦の意をこれ以上なく明確に伝えた楓は丁寧に切りそろえられたおさげ髪を振り、初音に視線を向ける。

「恐らく敵ラルヴァはその灰燼の卵を破壊する力を持つ者を集中的に狙うでしょう。ですが、梓姉さんも居ますし、貴方の身は私たちで守ります。安心して事を進めなさい、初音」

「うん、わかった」

ようやく事情を察知し、真剣な面持ちとなって頷く初音の前で、むーっと唸る女が一人。

「ちょっと、私もいるのよ。なんか名前抜けてなかった、楓?」

「勿論、千鶴姉さんも付いてます。……遺憾ながら」

「……なに? それどういう意味?」

「別に、深い意味はないわ、姉さん」

「あはははは」

何故か再び温度が下がっていく室温と、初音が漏らす乾いた笑い声に包まれながら、志保もとりあえず初音に合わせて笑ってみることにした。

「「あはははは」」


毎度毎度こっちの身が持たないわよっ! なんか、もーこいつらイヤあぁ!!









東鳩帝国 長瀬工房



――雪流れ 清水湧き立ち去る冬に 睨めど変わらぬ彼のマッドかな――


「何をブツブツ言ってるんだい? セリオ」

「いえ、少し辞世の句を詠んでいました」

しばし見つめあう、心持ちし人形とその父親。

「……うーん、まるで嫌味だねえ」

「嫌味です」

「そうなの? 大丈夫大丈夫、気にしてないから」

ヘラヘラと馬とも形容されるその面長の顔を崩しながら、どうにも見当外れな応えを返す長瀬源五郎。
彼こそが長年の喪失技巧だった魔術技巧と物質技巧の融合である魔導具の作成に成功した天才工学技術者…なのだ。一応。
これまた天才魔術師であり、魔法研究家である来栖川芹香との共同研究開発の結果とはいえ、失われた技巧を復活させた功績は計り知れない。
つまりは、目の前のこの顔がやたらと長いおっさんはこんなのでも確実に歴史に名を刻むであろう人物なのだ。

それはまだいいのです。

セリオは完全に無表情という表情を貼り付け、色の無い眼差しで源五郎に視線を合わせた。
彼女とよほど親しくない者でなければわからないほどの完璧な無表情。
その視線の先で、彼は鼻歌などを歌いながら彼女の目にはガラクタにしか見えないものを嬉々として弄くっていた。

そもそも天才には性格破綻者が多いと統計にも出ていますし。

あまり良くはないだろうと云うようなことを内心思考しながらセリオはパチパチと目蓋を瞬かせた。

問題なのは……この人が私の創造主であるということです…

こんなのが…

マルチさんの創造主なのはいいとして。


彼の父親である老執事は、彼がセリオを娘のように思っていると語った。セリオはその言葉に関しては決して理解しているとは云いがたかったが、この天才技術者が自分という個体に対して愛情と呼ばれる感情を向けてくれている事は認識している。
だが、とセリオは首を傾げざるを得ない。

どうにも、その愛情が娘に対するものとは思えないのですが……

「ほら、これが今回の目玉だ」

と、云いつつガラクタ…もとい闇にも似た漆黒の装身具を掲げる。
ゴツゴツと妙に大袈裟な黒のブーツ、太腿を覆うようなフットガード、半身を包む形状の胴鎧、他にも照準器とも思しきミラーシェイドのようなもの。横に上にと出っ張りのあるショルダーガード。どれもがそれぞれに何やら怪しい機能が付いていそうな代物であった。

「…なんでしょう、そのガラクタは」

「ガラクタじゃないぞ。これはセリオの戦闘用新型パーツだ。これを扱うためのね」

そう云って取り出したのは、2メートル近い長大な銃身を持った鉄の塊。

「……狙撃銃? いえ、それにしては口径が大きすぎますし…後部のこの機構は……魔導機構?」

「その通り。こいつは圧縮式重激力魔導銃砲『支配せし漆黒(ヘルシャフト・シュバルツ)』だ」

それはもう、自慢げにのたまう源五郎。
だがセリオは顔に困惑という表情を貼り付けながら訊ねた。

「ですが、人工物である私には魔術の使用は不可能のはずですが」

「それはどうかな? 私はそのモノが意思と魂を持つならば魔術という理を操ることは可能だと考えてる。有機物無機物の区別なくね。だから理論上はセリオも魔術は使えるはずだ」

「………現状では理解しかねます」

彼女らしい返答に小さく笑みを浮かべながら彼は頷いた。

「まあまだ構築中の理論だからね。それに今回のこれは君自身が魔術を使うわけじゃないよ。この戦闘パーツ…重陸戦用システムユニットにはマナ・カートリッジが装備されているからね」

さり気なく流された単語の中に聞き捨てならないモノを聞き取ったセリオは、まだ続きそうだった長瀬の言葉を遮って問いかける。

「マナ・カートリッジ…純性魔力の貯蔵を可能にしたのですか?」

「魔導武器へのエンチャント…魔力付与の応用だよ」

思わず沈黙するセリオ。
続いてその口から出た声は、何故か無感情ではなく、その視線はジト目のように見えた。

「…ここ数年、工房で毎週の様に爆発事故が起こってたのはその研究のせいですか」

「うん、そうだ。死人が出なかったのが不思議だったよ、ははは」

能天気に笑う源五郎に、セリオは思いっきり目に付く不安要素を指摘してみた。

「…まさか、このカートリッジ爆発するという事はないでしょうか」

「ああ、それは無きにしもあらず」

「…………」

物凄い目で睨まれて、さすがに冷汗を垂らしながら彼は抗弁した。

「だって、まだ実用試験してないからね」

「…だったらしてください」

「うん、だから今度の決戦に実験投入しようと……」

「却下します」

「…いや、そこをなんとか」

「拒否します」

「…もう一声」

「黙殺します」

「うー」

唇を尖らせて子供の様に不満の意を示す馬面に、セリオはことさら無機質な声で告げた。

「そもそも、今回の戦いでは私は来栖川公爵軍の暫定指揮を任されています。統合指揮を行なう坂下様の補助とはいえ、参謀としての役割を果たさねばなりません。 このような戦闘パーツは戦闘指揮行動の妨げになる恐れがあります。さらに暴発の危険性があるとなると、その装着は論外です」

「いや、それは大丈夫だよ」

そう云って、長瀬源五郎は表情を歪めた。
ひどく子供のようで、剣呑な歪み。

「これは身に纏うものだが、常に身に付けるものではない。装うものだが装備するものではない」

一瞬、訝しげに眼を細めたセリオは、ハッと自らの生みの親の顔を見つめた。

「それはインストレーションシステムのことですか?」

「いかにも」

またもや沈黙。
ニコニコと笑う長瀬。

セリオはどこか遠い目をしながら呟いた。

「……また性懲りも無く予算を無視したんですね。いい加減、使い込みで告発される恐れがあります…」

「まあいつものことだし、いいんじゃない?」

「…………」

やはりこの人が自分を創ったという事実は理解はできるが、絶対に納得はできないだろうとセリオは認識した。

そして思う。

……私やマルチさんも予算オーバーの代物だったんでしょうか……


今、改めて(初めてではない)憂鬱という感情を知るセリオさんだった。







「あ、それと云い忘れてたけど、これ一回使うと理軸回路がオーバーフロウするもんだから、連結してる君にまで影響でちゃうんだよ」

「…つまり?」

「使用すると君まで機能停止しちゃうから、使うのはいざって時だけだよ」

「……………」

セリオは思うのである。

これは絶対、娘に対する愛情なんかではないと…

…まあ、もしかしたら本当の娘にも同じ様な事をする人なのかもしれないが……


「……殴ってよろしいですか?」

「なんで?」










カノン皇国 御門城



脳味噌を使いすぎると質量が増えるんじゃないだろうか、と訝るほどに頭が重い。
ガンガンと頭の一番深いところから響くように鈍い痛みが押し寄せる。
視界がなんだかクルクル回ってるような気がする。
それに合わせて、意識と思考が過加速状態に入ってるかして恐ろしいほどに冴え渡っている。

ちょっとヤバイ。

「そりゃ、一週間で睡眠時間が二時間やもんな」

ゴツゴツと固めた拳で自分の頭を殴りながら保科智子は独りごちた。
外側から衝撃を加える事で、内からグワングワンと響いてくる鈍痛を相殺しているのだ。

ある意味全然理屈に合ってない。
だから、ヤバイって




カノン皇国の東に位置する御門城。
街道上の平城であるかの城に戦術的な意味はあまりない。
だが統治のための城であったことから、こと広さと使い勝手にかけては中々のものである。
故に、三華大国統合戦略指揮機関『大本営』――別名『戦女神の庭』の設置場所はかの城へと置かれることとなった。
位置的要因、そして先の三華大戦の混乱に乗じた美坂香里の守旧派放逐により所有者が不在となっていた事も大きな理由となるだろう。

『大本営』はまさにその誕生直後から、その能力の限界を振り絞る形での活動を行なってきたが、今回、【三華作戦】の実行準備はそれまでの激務を三倍したような凄まじい修羅場をこの御門城に演出していた。

喧騒どころか、阿鼻叫喚の御門城。

ところどころにぶっ倒れて眠りこけている者がいるところなど、大きな祭りの前夜を思わせる。

そして…今はまさに祭りの前夜だった。

我らが世界…即ちグエンディーナ大陸の存亡をかけた宴。


破滅の狂宴。


今は、その前夜なのである。






「カノンに運び込まれた物資の搬入経路、計画立ち上げたわよ」

淡い桃色の髪の毛を揺らしながら、一人の女性が部屋へと入ってきた。
スラリとした体型とそのスタイルは、彼女が掛け値無しの美人だということを示していたが、疲労が蓄積され色濃く陰の残る顔と、両脇に抱えた資料の束がそれを台無しにしていた。
否、それすらもなお、彼女の美貌に凄みを加える要素でしかないのかもしれない。


保科智子は腫れぼったい眼をどっかと資料の束を机の上に投げ置いた深山雪見に向けた。

「随分と遅れてもうたな。御音に配分する鉛弾と火薬は? 想定使用量、ちょい越えるぐらいしか集まらんかったんやろ? どないなっとる?」

「ああ、それならこの間カノンに入港した船団の輸送分から賄うことになったわ。それで使用予想量の5割強。実際にどれだけ銃弾が必要になるかわからないけど、とりあえずはこの程度の予備でガマンするしかないでしょう」

「まあ、五割増しならしゃあないか」

物事には妥協というモノが必然だ。
総てを欲すれば総てを失うはめに陥る。
もとより欲する総てのモノを用意することなど不可能である。
故に、人は…というより、何事かを統べる者は妥協点を探らねばならない。
統べるという事は、即ち最良の妥協点を見出すこととも云える。

「にしても、今回はドタバタが過ぎるなあ」

「それこそ仕方ないわ。ただでさえ時間制限付きの作戦な上に、さらに色々な問題から作戦の前倒しを重ねてるんだから…」

「無茶に無茶を重ねとるっちゅうわけか」

「そう言うこと。加えて言わせてもらうなら、対魔王討伐部隊の編成のお陰で各国軍勢の指揮系統の再編でさらに仕事が倍増してるわ。もう、死にそう」

「こら、寝るなや」

「うーん、死ぬ〜」

ぐったりと机に身を任せる雪見の姿に智子は同情と同意の篭った溜息を吐いた。
そして、倒れる彼女の脇に置かれた資料から、一枚だけ抜き出しレンズ越しにそれを眺める。

魔王討伐選抜部隊参加員名簿。

表紙に丸秘と打たれたそれに記されたずらずらと並ぶ名前の数、御音3名、カノン6名、帝国6名の計15名。
これが多いか少ないかはどうにも意見のしようがない。
問題は、それぞれの立場である。藤田浩之に美坂香里。この二人など一国の元首である。加えてぞろぞろと軍勢の指揮官クラスがこちらに参加しているのだ。指揮官のいなくなった部隊をどうするのかなど、その殆んどが大本営任せにされている。ただでさえ作戦準備に時間が足りないというのにとんでもない仕事を増やしてくれたものだ。

智子は沸々と湧き上がる怒りを自分の所の皇帝に帰ってきたらぶつけてやろうと考えながら、もう一度資料に眼を通した。

なんど見てもたいしたメンバーだと思う。
恐らくはこの十五名でやり方次第では万の軍勢に抗する事すら可能ではとすら思える。軍勢指揮のエキスパートとしては不本意な話だが。
智子はゆっくりと一人一人の名前と略歴をなぞっていく。


【藤田浩之――通称≪英雄帝(デアヘルト・カイザー)≫ 所有者に人外の力と魔の理に干渉する力を与える司外の聖剣『エクストリーム』の契約者―聖剣使い(エンハンスド)
【来栖川綾香――通称≪神拳公主(ゴートリック・ファウスト)≫ 打蹴変掴型近接戦闘技能者】
【姫川琴音――通称≪狂える妖精(クレイジー・フェアリー)≫ 超能力者】
【宮内レミィ――通称≪魔弾の射手(フライ・シュッツェ)≫ 魔導式銃器の使い手。銃神】
【柳川裕也――≪羅刹伯爵(グラーフ・トイフェル)≫ 人と鬼との混血種】

【柏木耕一――先の大乱にて鬼神と呼ばれた柏木一族の一員。鬼人種の最強血統】
【相沢祐一――通称≪魔剣(エビル・セイバー)≫ 魔導剣士】
【美坂香里――通称≪氷炎公主(クイーン・オブ・フレイム&アイス)≫ カノン皇国女王。魔導師】

【北川潤――無銘。カノン近衛騎士団長。刀術士】

【天野美汐――通称≪ザ・カード≫ 符法術師】

【倉田佐祐理――自称≪まじかる☆さゆりん≫(意味不明) 魔導師】
【川澄舞――通称≪剣舞(ソード・ダンサー)≫ 特殊能力と併用した剣術使い。魔物を討つ者(デモン・スローター)
【折原浩平――無銘。空間支配者(スフィア・クエスター)?(詳細不明)】

【上月澪――通称≪音無しの澪≫ 紙法術師】

【柚木詩子――無銘。妖糸使い…蜘蛛乃部の継】



「結局、御音の方はそない問題ないか。指揮官は折原君だけやし…問題はうちとカノンか」

智子は疲労と寝不足にぼやける頭を抑えながら呟いた。

帝国は六名中、琴音と耕一を除いた4名がそれぞれ部隊を率いている。カノンなど、全員が何らかの形で軍勢を率いていた。

「そっちの部隊編成は結局どうなったの?」

机へと突っ伏していた雪見が不意に問いかけてきた。
てっきり仮死状態になっていると思っていた智子が驚いて振り向くと、彼女は墓から這い出してきたような形相をこちらに向けていた。
自分も似たような顔しとるんやろうなあ、とさらに陰鬱になる。

「柳川伯爵軍の方は阿部君がおるからね。前から良く柳川の兄さんが姿を消してもうとったから、阿部君も指揮は慣れとる。葵ちゃんもおるしな。 レミィの銃兵隊も大体状況は同じや。シンディがおるからな。
綾香んところは一応セリオが臨時に指揮する事になっとるけど、来栖川軍自体を坂下勢に組み込んで坂下さんに統括指揮してもらう事にした。 藤田君の直卒軍は私が預かったわ」

「そっちは意外と収まったわね。こっちは…大変だわ。折原君の部隊は私が預かるとして問題はカノンよ。相沢子爵軍と倉田公爵軍はそれぞれ相沢祐馬前子爵が現役復帰したのと、倉田一弥次期公爵が引き継ぐとして…」

鬱陶しそうに目にかかる前髪を払いながら続ける。

「北川君の近衛騎士団。川澄さんの打撃騎士団(ストライク・ナイツ) 、天野さんの戦法師団…どうしても空きが出ちゃってね」

「そりゃ…確かに大変やん。どないしたん?」

少々言葉を失いながら、智子は訊いた。

「美坂の妹姫…栞嬢が総指揮官を務めるのは聞いたわよね。まあ士気を鼓舞するためのお飾りに近いんだけど…カノンの近衛騎士団はそのまま彼女の護衛に専念してもらうわ。 戦法師団は元々個々人の判断が重視されるから、何とか幹部達に纏めてもらう。本来の力を出せるかは定かじゃないけど…。それから打撃騎士団(ストライク・ナイツ)は相沢元子爵に任せる事になったみたい」

「相沢祐馬か…確か先年のカノン内乱で少数の兵で諸侯軍引っ掻き回したっちゅうトリックスターやな。実績あるのは確かやけど……うちのところもカノンも本来指揮下にない慣れん部隊の運用まで押し付けられてるんやから本来の力は発揮しにくいやろうなあ」

「まあ、山葉では御音がカノンをフォローすることはできるけど…問題はそっちの方じゃない? 数的にも劣勢だし」

「時間もないからこれ以上どうしようもないわ。後はやる事をやるだけ……元より猪名川会戦と違ってこっちからの強襲や。被害は覚悟しとかんと」

「多分…酷い戦いになるでしょうね」

しばし沈黙が二人の間を覆った。
やがて、ぽつりと雪見が口を開く。

「ここでやれる事は終ったわ。私も明日には御音に帰る」

「そやな、自分の部隊も準備せなあかんし」

チラリと智子を一瞥した雪見はそのままバタリと椅子から転げ落ち、ぶっ倒れた。

「寝るわ。仕事も終ったし、寝るったら寝てやるんだから。起こさないでよね。じゃ、おやすみ」

云うや否や、気絶するように意識を失う雪見嬢。

「あらま、ええ歳した女がまあなんちゅう……はぁ、私も寝よ、てか寝てやんねん。もう絶対起きたらへんねんから」

智子はブツブツと呟きながら、ふらふらと部屋を出て行った。
直後、どさりと倒れる音がする。


そこには静かな寝息が響き、ピクリとも動かない女の足が半開きになったドアに挟まっていた。












神なる魔の企みし宴の支度は既に整い、

それに抗する者たちの支度もまた整いつつある。



最後の戦いが近づいていた。



    続く





  あとがき


八岐「という訳で、今回はインターミッション的なお話」

楓「幕間というような話でもなかったと思いますけど」

八岐「まあ必要な話なのは確か。それにしても楓ちゃん…怖いよ」

楓「……私はあんなに険のある性格じゃありません」

八岐「……またまた〜」

楓「……刺しますよ(怒)」

八岐「……ごめんなさい」

楓「今回は許しましょう。私の出番もあったわけですし」

八岐「今後も活躍してもらいますよ。それでは次回予告〜」

楓「次回は茜さんのお話です」

八岐「それは自分を見つめ直すお話。第59話『笑顔をあなたに』……ONE編もあと二話だ」

楓「それではまた」




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