魔法戦国群星伝





< 第四十九話 凍りの夜 >




カノン皇国 スノーゲート城



ぽう、とぼやけるように夜を浮かび上がらせる白い月。
凍える夜は吐く息も白い。
ぼやりと景色を滲ませるこの優しい夜が、このすぐ後に一変するであろう事を誰が予測しえたか。
それを知る者は、ただ黒き魔、そして白衣と禍とした気配を纏いし男だけだった。







最初の被害者は偶々城の城壁の外を見回っていた兵士だった。
以前の鬼族の襲撃により、城の周囲の警戒は強化されていた。水瀬城をラルヴァが襲撃した事件も影響している。
だが、実際にそのラルヴァの襲撃を受けたとき、彼らはあまりにも無力だった。


「おい?」

ドサリ、という音に立ち止まった彼は、相棒の姿が横に無い事に気がつき足を止め、声をかける。
悪い予感はしなかった。
予感を予感と認識する前に、彼は絶命していたからだ。
顔面を強大な力で原型を止めないほどに潰されて。
最後に彼が見たものは、夜闇に浮かぶ、紅の瞳だった。


屍の放つ凄まじい血臭を、まるで香水のように芳しげに吸い込んだ白衣の男は、高々とそびえる城を見上げた。

「貴様らは適当に暴れてろ。精々暴れて邪魔者を引きつけておけ。俺はその間に獲物を捕らえておく。行け!」

その声が掛けられるや、低い唸り声とともに幾体もの漆黒の巨影が城壁を越え、城内へと飛び込んでいった。
男は足元に転がった哀れな死者の眼球を踏み潰し、楽しげに嗤う。

「くくく、久しぶりだぜ。血を味わうのはなぁ」

高らかに笑いながら、白衣の男は闇に紛れるように姿を消した。




§





チカチカと、一瞬だけ頭上に輝く魔術光が明滅した。

積み上げられた今度の戦いのための書類の束と格闘していた久瀬は、ふと顔を上げ頭上の魔術光を腕を振って脇に逸らす。
そして、視線を彼の前方右斜めへとゆっくり向けた。
彼の視線の先では、ちょうど川澄舞が立ち上がったところだった。勢いよく立ち上がった彼女は眼差しを鋭くして窓の外を睨む。
打撃騎士団の運用方針についての詰め合わせに彼の下を訪れていた彼女の突然の行動に、久瀬は大袈裟に溜息をついて見せた。

「君がそういう仕草をする時は、大概あまり良くない事が起こると聞いているのだが…」

その実に嫌そうな声は見事に舞の癇に触り、窓の外にむけられていた鋭い視線がぐい、と久瀬に向けられる。
と、舞が振り向いた瞬間、彼女の手元に何かが投げかけられた。
咄嗟に受けとり、掌の上の物体を覗き込む。

「…………」

飴玉だった。

「ちなみに君は戦う前に食べ物を与えると、さらに攻撃力を増すとも聞いている」

すまして言う久瀬。
刹那、怒りに視界が白く染まった。

馬鹿にしている。
この男は私が飴玉一個で飼い馴らされると本気で思っているのだろうか。
たかが…たかが飴玉一個で!?


舞は口をもぐもぐとさせながら、久瀬を睨みつけた。


なかなか甘くて美味しかった。


…………


飴玉に罪は無い。


食べ物を残すのはいけない。


だから食べないと仕方ない。


飴は嫌いじゃない。


恐らく、この男に馬鹿げた話を吹き込んだであろう相沢祐一に後で教育的指導を施す事を決意し、もごもごと口を動かしながらもう一度、思いっきり目先の男を睨みつける。

あまり様にならない。

どころかどこか拗ねてるようで可愛い。

久瀬は天敵の笑える姿にニヤニヤと笑うと、自身も書類を退けて立ち上がった。

「僕も行こう。僕にも分かるほど夜が震えている。どうやらやっかいな事態のようだ」

「ふぁふぃみふくまふぁん」

久瀬が肩を震わせるのを見て、舞はさらに不機嫌になり、ガリッと飴玉に歯を立てた。




§




ドン、と床を叩いた震動に、美坂香里は漸く潜り込んだベッドから跳ね起きた。
寝入りばなに叩き起こされ、機嫌が一気に悪化する。
唸りながら寝衣の上から上着を羽織ったとき、扉がノックされた。

「なにごと!?」

苛立ちを込めての叫びに返ってきた答えは彼女の予想を越えたものだった。

「グレーターラルヴァを含むラルヴァ多数が城内に侵入しました!! 現在応戦中です!」

眼を剥いて絶句した香里は、激しく舌打ちすると部屋から飛び出し、廊下の窓から眼下を覗いて再び絶句した。

炎が踊っている。そこは戦場だった。




§




「まったく、何でこんな場所を襲うんだ?」

北川は部下の近衛騎士団の兵士に指示を出しながら首を捻った。

眼前では五鬼ほどのラルヴァを近衛騎士団が囲んでいる。
他所でも暴れているようだが、その数は三〇を越さないだろう。
不意打ちだったが、決して致命的ではない。

北川は探るように戦闘から視線を外し、周囲を窺った。だが、別段奇妙な点は見られない。

明らかにおかしい。誰かの命を狙ってくるにはあまりにも貧相な戦力だ。
確かにグレーターラルヴァは強大だが、やっかいというほどの相手でもない。現に猪名川会戦ではかなり一方的に討ち取られている。
もし、連中が本気なら魔将クラスを送り込んできても不思議ではない。それがない以上何が目的なのか…

「おっと」

いきなり襲ってきた爆炎をステップを踏んで避け、剣閃を煌めかせて包囲を突破しようとしたラルヴァを切り伏せる。

その時だった。

脳裏にバチッと白い閃光が走る。

思わず北川は刀を振り下ろした形で凝固し、そしてバネに弾かれたように上空を振り仰いだ。

ほんの一瞬。

視野の端に、刹那だけ白い影が疾ったような気がした。


全身に痺れるような電気が走る。
北川はゾクリという肺腑から何かが湧き出す感触に、ゴクリと喉を鳴らした。

思考が朝の空気の如く冴え渡っていく。同時に霧が立ち込めたように白く染まっていく。

カチリ、と何かが体の中で切り替わった。


「だ、団長!!」

悲鳴のような…いや、悲鳴そのままの声が響いた。
突然空から降って来た黒の巨体…グレーターラルヴァが着地するや、兵士どもを蹴散らし、行く手をちょうど塞いだ北川に襲い掛かった。
自分に背を向けた北川を叩き伏せんと振り上げられた棍棒のようなグレーターラルヴァの腕。
幾人もの兵士たちを残骸へと変えたその腕が、唸りをあげて叩き降ろされた。


   ザス


それはまさしく肉を穿つ音。

あまりの光景に場が固まった。

ただ、ラルヴァの驚愕と激痛の絶叫が響き渡る。
振り返りもせず、ただ無造作に縦に差し向けられた妖刀の刀身が振り下ろされたラルヴァの腕を貫き通していた。

「…おまえ…邪魔だ」

そして彼は肩越しに振り返った。
その双眸を見たものはいない。ただ、間近から覗き込んだであろうラルヴァだけが、それを見たはずだ。
絶叫をあげていたラルヴァの悲鳴が唐突に途切れる。激痛に身を捩ろうとしていた体が凍りつく。
まるで、深遠を覗き込んでしまったように。

   ズズ

という音が聞こえた。
ラルヴァは裂けんばかりに口を開く。だが悲鳴は出ない。
ラルヴァの声帯はもはや音を発する事が出来ず、ただパクパクと口を開閉するだけだ。
ゆっくりと、腕を縦に切り裂かれていく激痛が、全ての感覚を断ち切ってしまっている。
そして、刃が肩口を抜けたとき、声を唐突に思い出したようにようやくラルヴァは悲鳴をあげる事が出来た。
ブラブラと手首より先だけで繋がる腕の残骸を抱え込むように、血を撒き散らしながら、泣き叫ぶ。

その悲鳴も、不意に途切れた。

「…黙って死ね」

そう言って大きく開かれた口から刀を突き入れられた事によって。
そのまま刀は無造作に縦に降ろされた。
バケツをぶちまけたように地面を濡らす大量の血液。

もはや、それは人型をしてはいない。顎から下を真一文字に断たれ、崩れ落ちる。
もはや見る影も無いグレーターラルヴァの残骸が灰へと化す情景を背に城内へと消えていく北川を、彼の部下たちは石化したように微動だに出来ず、ただ見送るだけしかなかった。




§





「なっ、名雪ぃ!!」

ちょうど寝ようかと部屋に戻ったところでこの騒ぎを聞きつけた祐一は、そこから一番近い部屋にいる、とりあえず寝ているであろう名雪を叩き起こそうと彼女の部屋に飛び込もうとした。
その瞬間だった。部屋の中から爆音が聞こえ、同時にドアが吹き飛ぶ。
咄嗟にドアの残骸を避け、部屋へと飛び込んだ祐一が見たものは…

「…うにゅ?」

煤塗れになりながら、寝ぼけてゴシゴシと目元を拭う従姉妹の姿だった。ちなみに擦ったもんだから、目の周りがさらに黒くなってパンダのようである。
イチゴ模様の寝衣も真っ黒けで見るも無残。

「あ、おはようございまふ〜」

ペコリと礼儀正しくお辞儀する名雪。
とりあえず従姉妹が無事だとわかり、頭痛を抑えながらも安堵の息を漏らしながら、何事が起こったのか部屋の様子を窺った。
見れば窓が吹き飛んでいる。外では戦闘が行なわれているらしい。どうやら、外の流れ弾がたまたまこの部屋に飛び込んだようだ。
祐一は部屋の惨状を見渡し、呆れた様にジト眼で従姉妹を見る。

「お前…なんで平気なわけ?」

「うにゅ?」

「まあ、起きれたというのは誉めてやろう」

「祐一、ひどい事言ってる?」

「…………」

とりあえずコメントは返さず、持っていた手拭を渡して顔を拭けという。
まだ寝ぼけ眼が覚めない名雪に、祐一は

「どうやらラルヴァが襲ってきたみたいだ。城内にも侵入してるらしい。とりあえず非戦闘員を逃がすから急いで用意しろ」

「ねえ、あゆちゃんたちは?」

ごしごしと顔を拭きながら緊張感などどこにもなく名雪が言う。
天井越しに階上を見上げ、あゆと真琴の部屋は上だからまだ大丈夫だろ、と言おうとした祐一は、不意に襲った感覚に口篭もった。
ジリジリとした焦燥が胸の奥から湧き出してくる。頭の中がジンジンと熱く、痛む。
一度芽生えたその感覚は、凶悪なウイルスのように一気に全身を侵していく。

それは、その感覚は不安。

それも、凄まじく激烈な不安感が…全身を侵食していく。


「祐一?」

みるみる顔を青ざめさせる祐一の様子に、名雪が思わず声をかける。
それにビクリと反応した祐一は、従姉妹の顔を見ると、

「ちょっと……あゆの部屋見てくる、後頼むわ」

と、怯えたようにすらみえる表情でそう言うと、後ろも見ずに飛び出していった。

「あ! ちょっと、祐一!」

そのあまりにも蒼白な顔に、名雪もすっかり眼が覚めて、慌てて追いかけようとする。
だが、自分の格好を思い出し、急いで衣裳台を開き……どう見てもかつて布だったもの、としか見えないお気に入りの服を摘み上げ、思わず泣きそうになった。




§





爆発した火炎球により中庭の木々が燃え上がる。
緋色の花を、その枝に満開とする木々の下で、激闘は続いていた。

「何事だ? これは…」

転移法術を使い、水瀬秋子より一足早くこの城へと戻ったぴろしきが見たものは、彼のよく知る風靡な庭ではなく、炎渦巻く見知らぬ場所だった。
炎と月に照らされ、戦いの場は陰影が閃く。

「ぬおっと」

足元の彼に気が付かず、退く兵士に踏み潰されそうになり、ぴろは慌ててその場を飛び退く。
そして頭上を見上げた彼は眼を剥いた。

「ラルヴァだと!?」

ギョロ、と紅眼が下を向く。だが一瞥しただけで、その視線は前へ向けられた。どうやら脅威とは認識されなかったらしい。
それも仕方ない。ラルヴァにとっての明確な脅威は前方から疾風のごとく迫っていたからだ。

夜と月と炎を背に、黒き疾風が地を蹴った。

ラルヴァの放つ無形の衝撃波を僅か数ミリで見切り、大木をも叩き潰す鋭利な爪の一閃をユラリと舞うように回転して避けて懐に飛び込む。
そして逆袈裟の太刀が黒の悪魔を切り伏せた。

ふと、ラルヴァを切った体勢のまま、川澄舞の視線が斜め下に落ちる。

「……猫さん」

「ひ、久しいな、舞殿」

「なんだ、貴公戻っていたのか」

間近からじーっと見つめられ、何故か滴る冷汗に塗れていたぴろはその声に呪縛を解かれたように振り返った。

「久瀬侯爵か、今戻ったところだが…何の騒ぎだ、これは?」

「わからん、グレーターラルヴァを含むラルヴァが三〇から四〇鬼ほどいきなり襲ってきたのだ。今駆逐している最中だ。何をしにやってきたかさっぱりわからん」

「近隣にはラルヴァは確認されておらなんだな。この間のように偶然襲ってきたとは考えにくいが……」

首を捻ったぴろに、久瀬は我知らずその一言を口にした。

「ああ、どうやらこいつらを指揮していたのは人型の魔族のようだからな。明らかに何かの意図を持って―――」

「ま、待て!? 今なんといった!? 人型の魔族だと!?」

炎に照り返され異様なほど輝く猫の瞳が、苛烈ともいえる光を放った。
その猫の様子にいかぶしげながらも久瀬は言う。

「ああ、何人もの人間が背中に黒色の翼を持った人間を見ている。明らかに人類種でない以上、魔族と断定しても――」

「ガディムは…ラルヴァ以外の眷属を生み出せないはずだぞ!?」

「そうなのか? 初耳だが、現にこうして確認されている」

顔色など分かるはずも無い別種族であるぴろの表情が、人間である久瀬や舞にも明らかにわかるように青ざめていく。
久瀬と舞が思わず顔を見合わせる下で、ぴろは呆然と呟いた。

「馬鹿な? 人型の魔族だと? 眷属以外の魔族を従属させているというのか?」

ありえない。

猫は断言した。

彼はガディムの正体を知っている。以前、友人である翼人からその創造計画内容について詳しく聞いていたからだ。
あゆや祐一から聞いた過去の話からもそれは確認した。
ガディムとは、翼人がこの大盟約世界を新たに創り直すために造り出した『複合有魂型魔造生命機巧』
月の宮の巫女の魂を取り込んだ聖魂統合体『世界浄化代行者』と呼ばれる世界破壊システム。

そう、システムだ。
ありえるはずはない。ガディムとは魔造機巧…即ちシステムであり、自身の意思を持たず、ただ目的遂行のために活動するマシンであり、生命ではない。
確かに目的遂行のために柔軟な選択を行なう事は出来るはずだ。世界を破壊するという目的の為にヤツは生み出されたのだから。
だが、定められた能力…つまり他種の存在を支配下に置くなどという事は機巧にとって絶対に無い選択だ。
いや、システムである以上、絶対に出来ないと云った方がいい。ただ破壊というプログラムに沿って動くだけの 存在が、プログラム外の行動を取れるはずが……


「ま…さか…」

その時、ぴろしきは唐突に悟った。
前提を間違えていたという事に…

なんという事だ! 我輩はなんという致命的な錯誤をしていたのだ!! 想定してしかるべきだったのに!!

ぴろは噴きあがる怒りに思わず咆哮した。

「おのれ、翼人どもめぇ!! ガディムが制御から外れている事に!! 自我を持ってしまっていた事に気がつかずに贄を捧げ続けておったなぁ!!!」

そうだ。
いつからかは分からないが、ガディムはすでにシステムではなく明らかに魔造生命体となっていたのだ。 魂を供物としてその力としている以上、自我を持つ可能性を考えるべきだったのに…ガディムという存在の正体を知るすべての者が、誰も気が付いていなかった。愚か過ぎる。

ガディムが自我を得ている事を考えれば、この襲撃の目的は容易に理解する事ができる。

…理解する事が…

「……しま…った」

そう、目的はあまりにも明らかだ。
自我を持とうとも、ガディムという存在の意味は破壊にある。だが、そのために行なう制約・頚木をガディムは完全に解き放ってしまっただろう。
もはや翼人すら破壊の対象なのかもしれない。
もし、ガディムが破壊のために更なる力を欲するなら……もはや与えられるものを待つ事などしないだろう。
自ら手に入れる。
自らの力をさらに高めるための餌。

月の宮の巫女を……


そうだ


「………あゆ殿が…あぶない!!」




§





まるで泥の中を進むような感覚。
祐一は、すぐ階上にある月宮あゆの部屋に到着するまで、そんな恐ろしいまでの焦燥感に全身を包まれていた。
何故、こんなに焦りを感じるのかわからない。
なにが不安なのかわからない。

だが、彼は自分が彼女の元へと急がないといけないという事を確信していた。

わからなくても確信していた。

そして…

その確信が間違っていなかった事を…

最悪の形で確認する事となった。


「あ、あゆーー!!」

何故か既に開いていたドアを潜り、まず眼に入ったのは割れた窓。
次に、入り口の横に倒れ伏す、沢渡真琴の苦痛に歪む表情。

そして、窓脇に亡霊のように佇む白の長衣をまとった、瘴気を醸し出す壮年の男。
その腕に捕まえられた、月宮あゆだった。

「ゆういち…くん」

ふらふらと、その瞳を祐一に向ける。
視線が交錯し、眼差しが交わる。
そして、ふっ、と彼女は意識を失った。

「あゆ!?」

男はチラリとこちらを見ると、見るものを必ず不愉快にさせるであろう歪んだ笑みを浮かべてみせた。

「よう、また会ったな。だが、遅い…くくっ、遅すぎだぜぇ」

「お、お前は高槻!!」

そう、それは以前、来栖川の別邸で遭遇した謎の男。
自らを高槻と名乗った人以外の存在。

「くくく、どうやら縁があるようだなあ、お前らとは。生憎と今回は前に言ってた件とは別件でな。今回は俺の用件でなくて、俺の主からの命令だ。このガキを連れて来いっていうな。 だが仕事でも貴様らの絶望した表情を拝めるとは、得した気分だぜ。そうは思わないかぁ? 
くはははは、まずは一度目の絶望だ。だが本命は二回目だ。次も楽しみにしてるぜぇ」

「一度目も二度目もあるか! ここでぶっ殺してやる!!」

「ははっ、怖いねえ。だがただの人間がほざくな。高貴なる存在である俺に対して不敬極まりない! だがまあ、今回は見逃してやる、お前らを殺すのはあの女を殺して絶望する姿を見せてもらってからだ、じゃあなあ」

そう言うや、高槻は祐一が剣を抜いて飛び掛る寸前、脇の壁を突き破り、あゆを抱えたまま姿を消した。

「くそっ!」

咄嗟に追いかけようとした祐一だが、背後から聞こえた呻き声に振り返った。

「真琴!?」

その声に倒れ伏していた真琴は薄っすらと眼をあけて祐一を見る。

「ゆ…ういち、あゆが…あゆが」

「真琴、お前は――」

「大丈夫、ちょっと打っただけだから、だから早くあゆを…」

「くっ」

一瞬躊躇した祐一だったが、涙を滲ませる真琴に力強く頷きかけ

「わかった。真琴、お前は動くなよ!」

そう言い残すと凄まじい形相を真琴の双眸に残し、高槻の後を追って姿を消した。

「…あゆ……祐一…」




§





失策だ。大失策だ。
こうなる事を予測してしかるべきだった。
もっと早くからあゆ殿の安全を図っておくべきだったのに…
こんな、こんな大事な事に事態が起こるまで気が付かなかったとは…
なんという愚か者なのだ、我輩はぁ!!

いや、まだだ。まだ、あゆ殿さえ守れれば最悪の事態は…


そして…あゆの部屋へと飛び込んだピロシキは、それがどうしようもなく甘い期待だった事を理解した。


壁に寄りかかり、座り込んで荒い息を吐いている沢渡真琴の姿を見て…

「真琴!!」

悲鳴のようなその声に、彼女は薄っすらと目を開け、声をかけたのが誰かを確認した。
ポロポロと泣き出す真琴。
安堵と苦痛と、そして悔しさに、緊張の糸が切れたのだ。

「ぴ、ぴろー! あゆが…あゆがさらわれて、それで祐一が追いかけて…」

「おぬしは!?」

「だ、大丈夫。ちょっと強く叩きつけられただけだから」

真琴の側に駆け寄り、怪我の具合を確かめる。幸いにも骨は折れていないようだ。

「それで、祐一殿は?」

「わかんない、あのあゆをさらった男を追っかけて、飛び出してっちゃった」

「どちらに!?」

あっち、と指差す方を見て、ぴろは頷いた。

「西館か」

「…ぴろ」

「大丈夫だ、大丈夫だ!」

消えてしまいそうな彼女の声音に、ぴろは自分に言い聞かせるように強く繰り返す。
そして、真琴にそこを動かないように言い含めると、開いた窓から飛び出して、4階の高さを諸共せず、庭に飛び降り駆け出した。
もはや勘としか云えないが、今の状況ではそれしか方法がなかった。

…先回り…出来るか!?




§





「名雪!? どうしたの!?」

戦闘準備を整え、現場へと駆けつけようとしていた香里は、焦ったように駆けて行く親友の姿を見つけて呼び止めた。

「わかんない、祐一が血相変えて飛び出してっちゃって…何かあるんだよ!」

本人も混乱しているのか、イマイチ言っている意味がわからない。
香里は一瞬、窓辺から外の様子を窺った。全体は把握できないが、当初に比べて喧騒は収まってきているように思える。

「なんだか知らないけど…私も行くわ」

本当なら現場に向かわないといけないのだが…彼女は名雪についていく事にした。

微かに、表情を歪める。

何故か、嫌な予感がしたのだ。

何か、全てが壊れてしまうような……

嫌な…予感






§







「畜生、どっちだ!?」

肌にビリビリと感じる瘴気の残り香を頼りに、高槻の後を追いかけた祐一は、長く暗い廊下へと飛び出し、左右を見回した。

闇の奥に、微かに白い影が見えた。

「――っ!」

床を蹴る。
祐一は息が切れるのも無視して全速力で駆けた。
暗闇が視界の両脇を飛ぶように過ぎていく。

そして、

「…い…たっ!」

白い影が一瞬こちらを振り返った。
その際に、脇に抱えた少女の姿が見える。

「あゆっ!!」

「祐一!?」

背後から名雪の声が聞こえた。
だが、振り返らない。そんな暇はない。
恐らく彼女からもあゆの姿が見えたのだろう。後ろから追いかけてくる気配があった。あれで足は速い。すぐ後を追いかけてくる。
声は聞こえないがもう一人気配がする。だが、どうでもいい。追いかけないと…捕まえないと…



取り戻さないと!



「くくく、あははははははは」


白の長衣が暗闇の中を翔ぶように走る。


嘲笑のごとき笑い声が疾走する闇の中で響き渡った。


「高槻ぃぃ!!」


怒りを、憎しみを込めて叫ぶ。
今また、自分の目前から失われようとしている。
守ろうと決めたのに
守るために力を手に入れたのに

いや、今度こそ。

今度こそ守る!

取り戻す!


そのために俺は、俺はぁ!!




だが




距離が縮まらない。




闇が巡る。




追いつかない。




白い衣を纏った狂人に。




そして、




延々と続く闇の奥にそれは佇んでいた。





影となり、気配を失い、焦げくすんだ瞳だけが獣のように闇の中で光っていた。

窓より白い月光が差し込む。

クセ毛の薄茶髪が仄かに照り返し、右手にぶら下げた妖刀『絶』の切先が妖しげに輝いていた。



半眼となり下を向いていた双眸が、ユラ、と上を向く。
それは一瞬だけだが、紛れもなく黄金色に光った。


その眼光に、気圧されたように高槻の疾走が弱まった。

「どけよ小僧! この小娘を傷モノにされたいかぁ!!」

ギョロ、と伸びた鋭利な爪をあゆの喉もとに当てる。
あゆは怯えきっているのか声も出さない。

背後から祐一たちが追いついてくる。

「北川っ、そいつを止め―――」

「どけって言ってる―――」












その時…誰の目にも、彼が嗤ったように見えた。












銀光が閃く。





そして―――










二人の身体を貫いて……












白衣の背中を突き抜ける……








銀の刃は……











悪夢と云う名の幻影だったのだろうか……










夜が







凍った






「き、北川ぁああああああ!」












それは……凍りつくような冷たい夜だった





    続く





  あとがき


詩子「わー、今回はシリアスー」

八岐「でも全編シリアスじゃないのがアタシらしいと言うかなんというか…」

詩子「まあ今回は雰囲気を優先してちゃっちゃとここは終わらせようよ」

八岐「そだね。では次回予告」

詩子「夜に閃いた一刃は、狂という名の深遠を覗かせる。その夜は何時よりか無尽に入ったひび割れを露とした夜だった」

八岐「次回第50話『SAW A CRECK IN NIGHT』 それではまた次のあとがきで」

詩子「バイバ〜イ」



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