魔法戦国群星伝





< 第四十八話 破滅の足音 >




カノン皇国 スノーゲート城



「やはり…とでも云うべきか」

久瀬俊平侯爵は報告書の束を置き、立ち上がると窓辺まで歩み、ギィと窓枠に手を当てて押し開く。
芯を貫くような寒風が舞い込み、彼の身体と思考を冷たく冷やす。

以前から行なっていたガディム本拠の探索は、多くの犠牲を払いながらも特定へと漕ぎつけた。
その地の名は《失われた聖地》
大陸のまさに中心に位置するその地は高々と聳え立つ山々に囲まれ、忌まわしき地というイメージを抜きにしても、周囲から隔絶した人のあまり立ち入らぬ土地だった。

さすがに風が体に堪え、窓を閉める。とりあえずは少し疲労が溜り、ボヤリとしていた頭も醒めた。

…さて、ガディムの本拠が確認できた以上あとは全軍を以って押し潰すだけだが――

「長官、よろしいですか?」

その言葉が久瀬を思索から現実に引き戻した。
なんだ? と聞き返しながら顔を向けると、部下の一人が顔に困惑という表情を貼り付けて立っていた。

「実は…」

彼の報告を聞くに連れ、久瀬の眉根が険しく寄せられていく。
総てを聞き終えても、久瀬はしばらく微動だにしなかった。

「…長官?」

「…すまないが、陛下…いや、重臣全員を集めてくれ……嫌な予感がする」

その緊張した声音に部下が慌てて出て行くのを見送った久瀬は、座り込むと両手を組み、額に当てて俯いた。

「すんなりとはいかないと思ってはいたが……事態は思ったよりも深刻かもしれないな」

閉じたつもりだった窓が、風に吹かれてパタリと開く。
寒風が久瀬の前髪を微かに乱した。だが、彼はそれを気にする風もなく、ただ風だけが大気の中をそよいでいた。







東鳩帝国 帝城



「何故、あたしたち情報局が早々と《失われた聖地》に的を絞っていたか分かる?」

どこか手持ち無沙汰にクルクルと指先で持っていたペンを回していた長岡志保は、待ちくたびれたように傍らに座る琴音に問い掛けた。

「…いえ」

イマイチ、質問が意図するものを理解できず姫川琴音は首を振った。

「そうね…じゃあ、《失われた聖地》の持ち主は?」

いきなり質問が変わった。相も変わらず会話の先が読めない人だ、と琴音は内心苦笑した。
問いかけの答えは知っていた。良くも悪くも有名な話だ。

「…FARGOという宗教団体でしたよね」

「FARGOの来歴については?」

ポンポンと言葉を投げかけてくる志保に、琴音は志保の意図を考える間もなくなり、反射的に答えた。

「…いえ、詳しい事は何も…」

「まあ、それもそうか…普通は知らないわよね」

そう言ってウンウンと頷き両手を組んだ膝の上で絡める。

「…元々彼らは翼人信仰者の集まりだったみたいね。人数も小規模、やってることも別に大した事じゃなかったみたい。ちょっとお祈りするぐらいのね。
それが何を間違ったか、いきなり終末思想の狂的集団に変貌しちゃったの。しかもその規模も一気に巨大化してね。どうやらその時の教祖が随分と組織構築能力に優れてたみたいね」

「はあ」

やっぱり何が云いたいのかわからず、首を傾げながら相槌を打つ琴音に、志保はクスリと笑いかけた。

「さて、宗教団体って事は彼らも神様を崇めてたって事。で、その神様はいったいなんでしょう」

「え? 翼人信仰じゃなかったんですか?」

「なくなっちゃったのよ。なんでかわかんないけどさあ。それでその神様よ、問題は。聞いて驚け…」

驚いた。

まったく予想もしなかったその名前に琴音は思わず椅子を蹴飛ばすように立ち上がる。

「ガディム…ですって!?」

「FAR GADIM ONLY ―ただ遥けきガディムのみ―」

瞳を閉じ、聖句を唱えるようにその言葉を言うと、志保は半分眼を開けて、

「そう、彼らの目的は世界の浄化、そのために彼らの神を降臨させ――この場合はガディムね―― 世界を滅ぼすつもりだったらしいわ。一種の破滅信仰ね。神様が魔界の王ってのは俗っぽいと思うけど」

「そんなことって…」

「目的を達する前に壊滅しちゃったけどね。でも、その目的は今適えられようとしている」

「この戦いの裏にFARGOの意図が絡んでると?」

琴音は慌てて問い返した。もしそうなら、この戦争は一気にその様相を変えかねない。
だが、志保はさすがに呆れた様に、

「そこまでは云わないわよ。FARGOは完全に潰れてる。何せ永遠の盟約によって消滅したんだから。今のところ、彼らの遺志を継ぐ者も確認してないわ。でも因果の根っこがそこに通じているのは確か…」

「それはどういう意味ですか?」

「先の魔王大乱。あれで、何で宮廷魔導師団がやらかした超高位魔族―いわゆる魔王の召喚実験の対象がよりにもよってガディムだったのでしょう」

ピッ、と人差し指を立て、志保は続けた。

「答えは手元にあった召喚法がガディムのモノだったから。どうやら対FARGO殲滅作戦のあと、《失われた聖地》で当時の帝国宮廷魔導師団がFARGOが造りかけてた召喚魔法陣の理軸設計図を入手してたらしいのよ。 それをどっかの馬鹿が見つけ出してきて、実験に使った挙句失敗したのが前回の魔王大乱というわけ。まあ、今回の戦も前の魔王大乱の続きである以上、この戦争はFARGOの置き土産ってわけ。迷惑よね」

「はあ。あのそれで、つまり《失われた聖地》はガディム自身の聖地みたいなものだと言いたいんですか?」

琴音はようやく今の話が最初の問いかけに繋がっている事に気がつき、同時に逸れていた話の筋道を修正して聞き返した。

「ああ、そうね、そう言う事。だから、けっこう早くからあそこに注目してたんだけど、どうやらビンゴだったみたいね」

だいぶ話が逸れていた事を自覚しながら、それを反省する様子も見せず、志保はテーブルの上に置かれていたお菓子を摘み上げ、ぽい、と口に放り込む。

「ま、本拠地が見つかったのはいいとして、問題はこっちよ。芹香さんは?」

もぐもぐと咀嚼しながら、聞き取りにくい声で問う志保に、一瞬視線を扉に向けた琴音が答えた。

「今、参られました」

その言葉が引き金になったように―――待ってたのかもしれない―――黒いローブを纏い、黒の高帽子を被った全身黒尽くめの女魔導師が音もなく扉を開き部屋へと入ってきた。
その背後には、影というには存在感の在り過ぎる男、魔狼王ヴォルフ・デラ・フェンリルが付き従っていた。

「(遅れてすみません)」

と囁く芹香に欠伸混じりの不機嫌な視線を志保に突きつける魔狼王。
どうにもこの魔族と志保は相性が悪かった。
尤も、志保が一方的にこの男をおっさん呼ばわりしているのが原因だが。
それを表すように、魔狼王のジト目に頓着するでもなく、志保は

「いらっしゃい、早速だけど芹香さんに見てもらいたかったのはこれなのよ」

そう言って、志保は挨拶もソコソコに十数枚の写真をテーブルに広げた。
芹香は楚々と椅子に着席すると、写真を何枚か手にとって覗き込む。
その写真には毒々しい色合いの赤黒い物体が映っていた。周囲の景色と比べるに、かなりの巨大なモノにも見える。

「ドーム? いえ、肉の塊にも見えますけど」

気持ち悪そうに眉を顰めながら呟いた琴音の言葉が、写真に写された物体の形状を言い表わしていた。

「こっちが帝都郊外の降山から西に15キロほど下った場所で撮られたモノ。こちらが御音共和国の山葉という場所で撮影されたモノよ。どちらもつい一月前までは何もなかったのにいつの間にか出現していたらしいわ。 大きさは…大体この城ぐらいはあるわね」

「大きい…ですね」

「問題は、これが現れた場所にラルヴァの活動が確認されたってこと。見て、写真にも小さいけどラルヴァらしきものが写ってるでしょ?  安易だけどこれはガディム関係のモノと考えて間違いないと思う。でもこれがまるで何だかわからないのよねー。で、博識の芹香さんに来てもらったんだけど……何これ?」

だが、興味深げにじっと写真を覗きこんでいた芹香は、やや残念そうに首を振った。

「そっか、芹香さんでもわか―――」

「これは『灰燼の卵』だな」

落胆しかけた志保を、ヴォルフの言葉が遮る。

「知ってるの、魔王のおっさん」

おっさん、という言葉に一瞬、こめかみがピクリと震えるが、もはや諦めたのかそれについては何も言わず、ヴォルフは写真をコツコツと指先で叩いた。

「魔界では有名な代物だよ、珍しくもあるがな。生体型極大魔力反応システム、まあ簡単に言えばこれは…爆弾だ」

「「爆弾!?」」

声をはもらせる琴音と志保に、ヴォルフは楽しげに牙を剥きながら怖い笑みを見せる。

「それも凄まじく強力な…だ。お前達が『絶対魔術(アブソルート・マジック)』と呼ぶ魔術と同じようなモノと考えていいと思うぜ。これも、魔術で造りあげられたものだからな。しかも面白いな」

「な、何が面白いのよ」

実に楽しそうに言う魔狼王に、志保は若干ビビリながら尋ねる。
その志保に魔王はビックリ箱を渡すように言った。

「この『灰燼の卵』が配置されている場所だ」

「場所?」

その問いにああ、と頷き、魔狼王は広げてあった地図を指差した。

「ここと、ここ…山葉とか言ったか。両方ともこのグエンディーナ大陸の大龍脈溜…つまりは龍脈の要だ。で、ここを『灰燼の卵』でドカンと吹き飛ばせばどうなると思う?」

「「どうなるの(ですか?)」」

魔狼王は口元を笑みに歪めながら、眉を寄せて難しい表情を装って言った。

「沈んじまうんだ」

「「…何が?」」

「このグエンディーナ大陸が…だ」

「…………」

「…………」

沈黙する二人。

「はっはっはっはっ…」

笑う魔狼王。

「…………」

「…………」

「なにーーーー!!」

「わははは」

動転する志保と琴音に、やっぱり無責任に笑う魔狼王。

一人冷静だった芹香が、パニクってる二人を横目にヴォルフに尋ねた。

「(ですが、そんなことをすれば『永遠の盟約』が発動するのでは? 以前、ヴォルフさんは魔界の者でもこの世界にいる以上、この世界の法則に囚われるとおっしゃいましたよね)」

普段から小僧たらしい人間の女が慌てまくってるのを楽しげに眺めていたヴォルフは、マスターの質問に笑いを収めて答える。

「そうだ。だが、逆に云えば、この大盟約世界にいなければ『永遠の盟約』には囚われん。魔界との穴が固定されている以上、魔界との行き来は簡単だ。『灰燼の卵』を爆発させても、すぐに魔界に帰れば『永遠の盟約』からも逃げられるという寸法だろう。魔界と穴を直結させたのはどうやら力を維持するだけが目的ではなかったようだな、小賢しい」

なるほど、とばかりに眼をパチクリさせる芹香。
その時、一人の兵士がドアを突き破らん勢いで部屋へと入ってきた。

「情報総監!!」

「な、なに?」

動転していたところにいきなり呼ばれて志保はどもりながら答える。

「皇帝陛下が至急顔を出せと! ラルヴァがまた大陸各所で発見され出したとの事です。これから対策会議を開くと――」

「わかったわ、すぐ行く」

彼女はすぐに表情を引き締めて落ち着きを取り戻す。

「ふん、ガディムの野郎もやる気だな」

と、チラリと兵士が入ってきた方を一瞥して魔狼王が言った。
そして彼は性悪に口元を歪めると、漸く落ち着いた志保をもう一度蹴落とすべく、その一言を言い放つ。

「『灰燼の卵』、破壊するなら急いだほうがいいぜ。写真を見た感じではもうすぐ育ち切るぞ。ありゃあと半月ほどでドカンだ」

「…ぐげ!?」

唖然としてカエルみたいな濁声を漏らした志保に、ヴォルフは腹を抱えて爆笑した。

「ヴォルフさん、笑ってる場合じゃないのに」

「(この人はこういう人ですから)」

呆れたように呟いた琴音に、そううっとりしながら囁く芹香。
琴音はなんだかなあ、という視線で三人を見渡し、ため息をついた。






カノン皇国 御門城 大本営


「灰燼の卵ね…また厄介な…」

件の写真は彼女ら「バルキリー・ガーデン」の下へともたらされていた。無論、そこに写された巨大な異物の詳細と共に…
また、新たにこの『灰燼の卵』の出現した場所に派遣された探索部隊からの情報も到着している。
保科智子はブンブンと頭を振っていた。襲いくる眠気と淀む思考をはっきりさせようとしたのだろう。成功したかは定かではない。

「それぞれ『灰燼の卵』の周囲には五万を越すラルヴァが確認された…ですか…このラルヴァの数は最低の数値ですよね」

訊ねる倉田佐祐理に智子はコクリというよりガックリといった感じで頷き、「予想やけど十万ぐらいいてもおかしないと思う」と付け加えた。

「二ヶ所合わせて二十万かあ。これってこの間の猪名川会戦と大して変わらないね」

「散々苦労してやっと二十万のラルヴァを叩き潰して、すぐにまた二十万? 冗談じゃないわよ」

無邪気に言った川名みさきの言葉に、うんざりと深山雪見が両手を広げた。

「で、でも考え様によっては一気に四十万のラルヴァを相手にしなくてすんだんじゃないのかと……」

あははー、理緒さんそれは前向きでいいですねー。と佐祐理が一人疲れた様子も見せずに笑う。いや、みさきも元気一杯に「そうだねえ」とのーてんきにニコニコ笑う。
発言した当の雛山理緒を含めた残りの三人は顔を見合わせて溜息をついた。

「それで? 新たに各地で出没し出したラルヴァと《失われた聖地》の情報を知りたいんだけど」

雪見は笑い声と溜息に覆われたこの場を仕切りなおすように問い掛けた。智子は頷いて口を開く。その声は多少力を取り戻していた。

「さっきも話したように、大陸の各所でまたちらほらとラルヴァの姿が発見され出しとる。 とはいえまだそんなに多くはない。情報をすり合わせた結果、精々総数で五万から八万ほどやと見られとる… それもだいぶ各地にバラついとるから脅威度はまだ低い。それでも被害は出だしとるけどな」

こっちも問題やな、と智子は自分の三つ編みを左手で弄りながら言った。

「それから《失われた聖地》やけど……ほとんど情報はあらへん」

ざわ、とざわめく空気に間をはさませず、智子は続ける。

「派遣した探索部隊が軒並み全滅して還ってこうへんねん。情報部の方でも未帰還者続出らしい」

「ラルヴァの数が並ではない……いえ、それでも帰ってこないとは異常ですねー」

佐祐理が思考をまとめるように呟く。智子は同意を示しながら言う

「そやな。グレーター相手でも誰一人帰ってこうへんいうのはありえへん。 そや、御音で一人だけ聖地の中まで入って戻ってきた情報部員がおったやろ。そいつの報告書読んだ?」

「はい、でも中身は支離滅裂で…」

現在唯一の帰還者とも云うべきその情報部員はよほどの恐怖を味わったようで、聖地の中での出来事を論理的に思い出すことは出来ないとの事だった。断片的な情景だけが、報告書という形で挙がっている。

「でも…面白い事が書いてあったね」

みさきがポツリと言った。面白い事ってなんや? と智子が興味深げに訊ねる。

「みんなはガディムらしき存在ばかり気にかけるけど、もう一人その場に居たっていう男…明らかにラルヴァじゃないんでしょ? かなり高位の配下の魔族じゃないかな」

「それはどういう――」

意味ですが、と言おうとして理緒は口篭もった。そしてその意味を自分で悟る。

「まさか、グレーターラルヴァ以上の力を持つ魔族がガディムの配下にいるという事ですか!?」

「前回の魔王大乱ではグレーター以外の魔族は確認されとらん。 けど、今回は魔将クラスの魔族がおっても不思議とちゃうんちゃうか?」

「やっかいですね」

佐祐理が唸る。

「《失われた聖地》にはガディムに加えて魔将クラスの魔族か…それもその一人だけと考えない方がいいでしょうね。それに本拠地だもの、通常のラルヴァだってそれなりに数は揃ってると見ていいでしょうね」

雪見もまた難しい顔をして忌々しそうにまとめる。

「で? どうする? とにかく最優先は半月経たずにこの大陸を沈めるっていう『灰燼の卵』だけど……」

言外に他の問題にも言及する。

「ガディムをこのまま野放しにしておくのは危険すぎますよー」

「じゃあ、『灰燼の卵』二つと《失われた聖地》の三ヶ所同時攻撃だね」

「あ、あっさり言うわね、みさき」

屈託なく言い放った親友に雪見がタラリと汗を伝わせる。

「でも、他にないやろ。時間もないし」

「ですが…各地に出没しているラルヴァに関してはどうするんです?」

「優先度の問題や。後回ししかないやろ。いや、ガディムを倒せばどうとでもなる事柄や」

「でも!!」

珍しく理緒が声を荒らげた。

「それで被害を受ける民衆はどうするんです?  彼らにとってラルヴァに殺される事も大陸ごと海に沈むのも全てを失うという意味では一緒なんですよ!」

「それでもや」

昏い瞳に見据えられ、理緒は言葉を失った。

「うちらの立ってる場所はそういう所やねん。小より大をとらなあかん、けったくそ悪いけどなあ!!」

行き場のない苛立ちを吐き捨てる智子に、皆は―みさきですらも―温度のない、あえて感情を消した瞳で見守る。

「まわせる分の兵力はまわす。でも最優先は『灰燼の卵』や。聞きな」

「…はい」

理緒は俯きながらもしっかりとした声で答えた。
よし、と頷く智子に雪見が訊ねる。

「《失われた聖地》の方はどうするの?」

少し苦しそうに智子は唸り、チラリとみさきを見る。

「優先は『灰燼の卵』。ガディムを倒せるのは軍勢ではなく個人チームだね」

「つまりは、戦力は全て『灰燼の卵』にまわして、ガディムの方には前の魔王大乱みたいに魔王討伐部隊を送り込むって事?」

「でも…《失われた聖地》にもラルヴァはたくさんいるんですよねー。いくら強くてもラルヴァの大軍相手では…」

不安そうに言う佐祐理に脳味噌をフル回転させていた智子は、少し自信なさげに、

「水瀬公爵に頼むほかないやろなあ」

「最小の戦力で最大の効果を…ってわけ? まあ妥当だわ。水瀬公爵軍の護衛で魔王討伐部隊を《失われた聖地》に送り込む。ラルヴァの大軍は水瀬公爵軍にひきつけてもらうって事でどう?」

「うん、それでいいと思うよ」

みさきの同意とともに佐祐理と理緒も頷く。

「あ、それと質問なんですけど」

慌てたように声をあげた理緒に視線が集まる。

「『灰燼の卵』…あんな大きなモノ、どうやって壊すんですか?」

「あははー、決まってるじゃないですかーっ」

笑いながら佐祐理が自信満々に胸を張る。
そして、佐祐理と顔を見合わせてニコニコと笑ったみさきが一言告げた。

「『絶対魔術(アブソルート・マジック)』だよ、理緒ちゃん」




こうして三華三国による、三ヵ所同時急襲作戦の実施が決定された。

作戦名は【三華作戦(ドライエック・ブルーメ)】と命名さる。








ものみヶ丘


ぼう、と静けさを纏った闇の中に、ぼっと一つの火が燈った。
やがて連なるように幾つもの火が燈る。
その灯りに照らされるように、一匹の猫の姿が浮かび上がった。

「このような場所にまで足を運ばれるとは、珍しおすな」

甲高い、だがその底に上品さを押し秘めた声が灯りの照らぬ闇の奥から響いてくる。

「事態が事態ゆえ、不精を囲う訳にも参らぬ」

猫は詰まらなそうに、だが真摯な響きを込めて闇の奥へと声を飛ばす。

再び、燃え上がるような音と共に火が燈った。
闇の奥が照らされ、楚々と身を置く一人の女が現れる。
幾重にも重ねた彩り鮮やかな衣。その裾より僅かに見えるその細き手は白。ユラ、と揺れる灯りに陰影を映すその面も白。
ただ、その端にて結われし糸の様に細き髪の色は金色。それも異国の者の金髪とは明らかに違う、柔らかな金毛だった。

「その事態とやらは、わらわも存じております」

女はその元より細い切れ筋の眼をさらに細めてじっと猫を見据えた。

「されば猫殿。ぬしはわらわに何を申し立てに来たのかえ?」

「事態をご存知なら解からいでか」

猫は淡々と言う。

「事は既に大陸全土の住み人に関わる。妖族とて例外にあらず」

ふむ、と女は吐息をついた。その妖艶さは仕草の端々から滲み出る。吐いた息すら甘いのではないかと勘ぐりたくなる。
無論、猫には意味が無い。女も別に意図してその妖艶さを醸し出している訳でもない。いうなればそういう存在というだけの話。
猫は付き合いが長いので、それについて思うことは無い。

「さても面倒な事よのう。この地が沈む…考えるだけでも頭が痛む。さりとてわらわたち妖族は人と干渉せぬ事でこの地に暮らしてきた。今さら人の差配に従えと言わはりますか?」

「人の指図に従えなどとは言わぬよ。第一人間たちもそのような事など思わぬだろう。今の政を統べる者達は賢明よ。我輩が知る限りでも最もな」

「買うておりますなぁ、猫殿。古は生粋の人嫌いであったぬしも変おうたものじゃ」

ほほほ、と口元を隠して笑う女に、猫はバツが悪そうに髭を震わすと言い訳気味に口ずさむ。

「ただ我輩は今の彼らが好ましいと思うだけ。別段、人間種が好きだ嫌いだというつもりは昔より無い。それよりお主の方が昔より人間びいきであったではないか、玉藻殿」

「無論嫌いではあらしゃいませぬ。ただ馴れ合いはしたくないだけじゃ。同じくいいように使役されることものう」

このグエンディーナ大陸に住まう妖族の長 玉藻大姉はそう言って流し目を下した。
その視線に猫はつつ、と目を逸らす。
やはりこの狐は苦手だと、猫は隠れてため息を吐いた。遥か昔よりの知人だが、どうにも会うごとに気まずい思いにさせられる。決して嫌いという訳ではない。むしろ好ましいと思ってすらいるが、苦手意識だけは拭いされなかった。

「おや、今日はまた客人が多いことよ」

不意に視線を巡らした玉藻が呟く。
すると、猫が振り返るより前に彼の背後の襖が誰の手も借りずに開かれた。
その奥より一人の女が現れ、ススと猫の隣まで進み出る。
その後ろでやはり音もなく襖が閉まった。

「これは神室の娘、そなたまで来やるとは…」

玉藻が驚きとも呆れともつかぬ声で女に声をかける。
女は闇をも和ます微笑みを浮かべ、妖族の長に挨拶した。

「お久しぶりです、大姉様。それと…今は神室ではなく水瀬です」

そうでしたな、と玉藻はまたも目を細めた。ただその眼差しは自分の娘を見るように優しい。
彼女―水瀬秋子はフワ、と礼すると猫の横へと座した。

「真琴は元気ですか? あの娘、まったく顔を見せやらん。そなたの家がよほど気に入ってしまったようじゃの」

いえ、そのような、と静かに微笑む秋子にぷい、と怒ってみせる。その眼は笑みを浮かべていたが。

「さて、神室の娘よ。そなたの用も猫殿と同じじゃな?」

「はい」

玉藻は先程から無言の猫をねめつけるように一瞥して、拗ねたように言い放った。

「さても猫殿、わらわがこの娘に甘い事を見越しての所業かの?」

「いずれ了承するのであれば、時は早い方が宜しかろう。だいたい我輩はねちねちとお主に苛められる趣味などないわ」

「つれないのう。古き友人の遊びに付き合ってはくれんのかえ?」

「真っ平ごめんだな。まあ、お主とて秋子殿と久々に会えたのだから、斟酌なされよ」

そっけなく言った猫にむす、と顔を顰める玉藻。その二人を見比べて、秋子はふふ、と口元を抑えた。

「仕方ないのう。さてさて、この件、どうするかの? 汝等の意見、聞かしてたもれ」

機嫌を直し微苦笑を浮かべた玉藻が視線を秋子たちから逸らし、面を左手に向ける。
その声が響くや、秋子達の右隣の襖がすす、と開いた。
その奥に控えた者たちの姿を見た猫はかすかに目を見開いた。

一人は白と灰色の法衣を纏った人型。しかしその背には鳥の羽があり、その頭もまた鴉の首。烏天狗と呼ばれる妖族。
一人は獣。稲光の如き黄金の毛並みを纏った高貴なる佇まい。その面は細く、それでいて精悍で同時に落ち着きを醸し出していた。それは雷獣と呼ばれる雷の化身。
一人は混沌。猿の面に狸の胴、トラの四肢、蛇の尾を持つその姿は雑として、同時に深となす。忌まわしくもまた老成した気配が大樹の如き静寂を纏っていた。それは鵺という名の混合種。

霧生に嵯峨未、そして戸張…大陸の三大妖揃い踏みか

驚く猫を横目に三妖は告げる。

「我ら、大姉様の意思のままに」

「既に妖族八万鬼、戦支度は整うてござる」

「住処が荒らされるとなれば、我らもまた討って出るべきかと」

「よろし」

三妖の言にユラ、と満足げに頷き玉藻は猫と秋子に視線を向け、

「という訳じゃ」

と笑った。

「やはりおぬしは人が悪い」

最初から味方するつもりでありながら、さも乗り気でないように見せて自分をいたぶる。
やはりこの狐は苦手だと、猫は憮然と思った。

「ご助力、ありがとうございます、大姉様」

「勘違いしなや、秋子」

と、一瞬女は切れ目を吊り上げた。

「これは同時にわらわ達の危機でもある。妖族が立つはそなたら人の為ではないぞえ」

「勿論、承知しております」

「まあ、念押しじゃ。そなたはよく弁えておる。さて、猫殿、秋子、そなたらはもう戻るのかえ?」

「はい、あまり時間の余裕がありませんから」

「そうかえ、残念じゃが仕方ないのう。しからば秋子よ、総てが終った後娘を連れて遊びに来やれ。それから、あの馬鹿孫娘も連れてきてたもれ」

言って女は笑って付け加える。

「猫殿も遊びに来られよ、存分に遊んでやるぞ」

「結構」

ぴろがウンザリと言うや否や音もなく灯火が消えた。
皆の姿が闇へと帰る。

ほほほ、という楽しげな笑い声を背に、ぴろしきと秋子はその座を辞した。







カノン皇国


闇夜に浮かぶ白き月。
その月影に照らされる漆黒のモノども
群れ動く彼らの中で、ただ一人の男だけが白の長衣を纏っていた。
さても白とはかの如く禍々しき色であったろうか…

男は酷く歪んだ笑みを浮かべると、ザッ、と手を振った。
合図と共に黒の群れがざわりと羽ばたき、一斉に動き出す。

彼らの向かう先に在るは白き城砦。

その名はカノン皇国 皇の城 スノーゲート。




今、再び絶望の刻が迫っていた。

まだ、誰もそれを知る者はいない。



    続く





  あとがき


八岐「という訳で事態は大陸存亡の危機!」

詩子「ベタな展開だねー」

八岐「ぐはぁ」

詩子「あ、吐血した」

八岐「…と、とりあえず状況は最終決戦に向けて走り出したということで」

詩子「問題山積みなのに」

八岐「ははは、まだ積むぞ」

詩子「次はカノン?」

八岐「そういう事です。次回の舞台は水瀬城。襲い来る黒い影の目的は。月と夜が見守る中で繰り広げられる狂気」

詩子「第49話『凍りの夜』…こうご期待って…期待されてるのー?」

八岐「…笑って訊くなよ」



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