魔法戦国群星伝




< 第四十五話 舞台終幕・宴の支度 >



東鳩帝国中部 猪名川


鉄の猛火が吹き荒れるたびに黒色の異形はその数を撃ち減らす。
魔術の激流に押し流され、塵芥と化し消滅する。

そこはまさに地獄の大釜。
火薬と鉄と魔術の庭。
死と狂気と破壊と消滅。
この猪名川の地は、まさにラルヴァにとっての滅界と成り果てた。



何故だ?

漆黒の翼を振るいながら、そのラルヴァは叫んだ。

何故人間ごときにこうも一方的に…!!

グレーター・ラルヴァ『シュロップシャー』は咆え叫ぶ。
その凶器そのものである巨大な腕をぶん、と薙ぎ払い、群がる人間どもを弾き飛ばした。
虚空に血帯が靡く。
その血の臭いに酔いしれるように、あるいは怒り狂うように『シュロップシャー』は吼えた。

雪見の号令と共に戦場へと投入された三華連合軍決戦部隊は狂ったように黒魔たちを薙ぎ倒していた。
彼らは、物理的に、精神的に磨耗したラルヴァたちがマトモに太刀打ちできるものたちではなかった。
鎧袖一触に蹴散らされ、駆逐されていくラルヴァ。

「グオオオオオオオオオオオ!!」

咆哮とともに紫色の魔力が爆発。小うるさい人間たちを十数人ほど消し飛ばす。
だが、周囲を見渡した『シュロップシャー』は愕然とした。自分が従えていたはずのラルヴァたちの姿はもう数えるほどにしか残っていない。
指揮個体『シュロップシャー』のラルヴァ集合団<バインド・チェイサーズ>……もはやその数は千の単位へと減少している。

『シュロップシャー』は自分めがけて振り下ろされた剣を右腕で受け止め、突き出された槍を左手で掴み、握りつぶす。

「コノ程度デ、我ヲ滅ボスツモリカッ!!」

小賢しくも剣で攻撃してきた人間には、その爪の一撃で輪切りにし、槍を突こうとした者を吐き出した炎塊で消し炭にする。

「死ネ、死ネ、死ネ、人間ドモォ! ヒ弱ナ貴様ラニ我ヲ滅ボセルハズモナイワ! 我ガ皆殺シニシテヤル! ハハハハハハハ」

暴れに暴れ、一〇〇を越す人間たちを葬り去り、高笑う『シュロップシャー』が最後に見た光景は、空より降ってくる一条の黒閃だった。


   シャキィィ……ンッ!


「ア?」

鍔鳴りの響きに、『シュロップシャー』は呆けたように立ちすくむ。

「…絶技・蒼月閃下」


いつの間にか、『シュロップシャー』の足元にしゃがみこんでいた黒衣の女は、そう小さく呟くと、すく、と立ち上がって踵を返し、提げていた剣を一振りして鞘へと戻した。
チン、という音が小さく響く。
その背後で、『シュロップシャー』の頭部から真一文字に縦線が入り、真っ二つに両断された巨体がドウ、と地面へと崩れ落ちた。


「…お見事」

獲物を先取りされた柳川が、やや離れたところから少し残念そうに声をかける。
舞は徐にそちらを見やると、無表情のままヌイ、と右手を突き出し

「…ぶい」

「…………」

柳川は無言で空を見上げた。
空は蒼かった。


「……ぶい」





§




これがアート・オブ・ウォーというやつか

坂下好恵は目の前で次々とラルヴァたちが駆逐されていく情景を眺めながら、戦慄を隠せなかった。
信じられないほど鮮やかに包囲の陣は完成した。
行き場を失ったラルヴァたちが、最後の突破を図るためにここ猪名川南面へと再び押し寄せていた。
だがそれも、もはや何の統制もとれていない烏合の衆。さすがに数は多いが既に東面で銃撃を行なっていた軍勢にも決戦部隊に続いての突撃命令が出されはじめている。これならば恐らく大した労力も無く殲滅できるだろう。

大した労力もなく…ね。

好恵は過去と現在を同時に視るかのように、ギッ、と凝視した。
かつて魔王大乱で、苦闘を余儀なくされたが故に、ラルヴァという存在と戦うことがどれほど大変かはよくわかっている。
そのラルヴァをこうもあっさりと、鮮やかに……無力な存在に変えるとは……
好恵はこの状況を作り出した面々に畏怖を覚えた。

   ドガン

思考が唐突に遮られる。
目の前に降って来た赤毛の熊だったものの残骸により。

「坂下さん!!」

神岸あかりの声が聞こえた。
言わんとしている事はすぐにわかった。
ノソリと影を落とす巨大な黒色。右手に掴んだ死体を無造作に投げ捨て、ニヤリとその鋭い牙を見せつけるように嗤う。

ラルヴァ集合団『ウィスパー・デビルス』の指揮個体が一鬼 個体名『ファルゴーレ』
その力、一鬼当千と怖れられたラルヴァの高位種。
このラルヴァが破滅へと一直線に落下していく戦場のなかで、彼らグレーター・ラルヴァたちだけが周囲の人間を殺しつづけている。
それこそ、自分たちだけで総てを破壊し尽くそうとでもせんばかりに。

「ふんっ」

好恵は慌てるでもなく、ただ忌々しげに鼻を鳴らすと、腰を落とし右足を心持ち後ろに退いた。左手をやや肘を曲げながら突き出し、右手の拳を握り込み引き絞る。

「来なさい、木偶人形」

その挑発に応えるように『ファルゴーレ』は吼えた。
ドン、という大地を蹴る音が響くと同時に、背中の黒翼を広げ、滑空気味に突進してくる。
そして、その丸太のような太さを誇る振りかぶり、ブン、という唸りを起こし殴りつける。
だが、好恵は地に根を生やしたように動かない。
大木の様にどっしりと迎え撃つ。


   ドン…ッ!!

鈍く、そして腹の底に響くような重い音が響いた。
女性としてはけっして小さくは無い好恵の身体が、ラルヴァより一際大きい『ファルゴーレ』の巨体に隠れたように重なっている。
一人と一鬼の姿は石像の様に固まったまま動かない。

「さ、坂下さん!?」

一部始終を目撃していた神岸あかりが、悲鳴じみた声をあげた。
その瞬間、『ファルゴーレ』の背中が爆発したように弾け飛ぶ。そして、断末魔の声すらあげられず、血反吐を吐きながら『ファルゴーレ』はゆっくりと崩れ落ちた。
ただ右の拳を繰り出した姿で佇む坂下好恵の姿だけが残る。

其れ正に一撃必殺。

好恵はゆっくりと構えを解き、サラサラと塵へと化していく『ファルゴーレ』を一瞥すると、フン、と小さく鼻を鳴らして呟いた。

「……ヌルイわ」




§




「ヘイ、マイシスター」

「なあに? ヘレン」

猫なで声のようなレミィの声に応えながら、シンディは嫌な予感に表情を歪めた。
その彼女たちの前では配下の兵達が引っ切り無しに銃撃を繰り返している。
言うなればもはや最高指揮官であるレミィ・宮内はやることがない。
つまり、彼女は退屈している。
…ということは?
レミィはいつの間にか取り出した銀色の長銃を右肩に担ぐと、パチリ、とウインクしてみせた。

「後はヨロシクネ〜」

「あっ、こら!!」

脱兎の様に駆け出すレミィの背中に一応叱りの声を飛ばすが、その鮮やかなブロンドの妹が止まるとはシンディも思っていない。
シンディはため息混じりに大きく息を吐くと、諦めたように後ろ髪を掻き揚げた。
絹糸のような髪が、硝煙の薫りの混じる風に靡いた。



§



ゼブラの閃光が戦場を駆け巡る。
5メートルを越す巨体が、その質量をまるで感じさせないような動きで、黒魔を引き裂き、踏み潰し、蹂躙していく。
その猛威は留まるところを知らない。

「グアオオオオオオンッ!!」

イクミは心地よさげに空に向けて吼える。
これほど存分に動き回れることは彼女たちにとっても久しぶりだった。その解放感がさらに彼女たちを凶悪な存在へと変えていく。

髭先に殺気を感じたイクミは咆哮をやめ、ギロリと殺気の主を睨みつけた。
虚空へと浮かぶ火球の束。五鬼ほどのラルヴァが声をあげ、魔力を高めている。
イクミは、自分めがけて飛んできた火球を助走もなしに飛び越すと、爆発を背景に常識外の跳躍力を見せ、着地ざまに体重の乗った一撃を食らわす。まず一鬼が脳漿を撒き散らして絶命。 さらに一秒かからず二鬼をその爪で切り刻んだ。
そして慌てて魔術を唱えようとする手前のラルヴァの首を駆け抜けに食い千切り、飛んで逃げようとする最後の獲物に飛び掛り虚空から引きずり下ろす。

と、足元のラルヴァを噛み殺したイクミがフイ、とその顔を上げた。
彼女の髭がビリビリと震える。

「グルルルゥゥ」

低く唸る。

彼女の本能が嗅ぎつける。
このラルヴァの灰の匂いが充満した戦場でなお、色濃く漂ってくる瘴気。
グイ、とその剽悍な鼻先を匂いの方向に向けた。

「グアオオオオンッ!!」

ドン、と周囲の大地が揺れたと錯覚させるほどの咆哮を放ち、彼女は駆け出した。
方角は北。彼女のマスターがいるはずの場所である。



§




   ドガァァァン

爆音とともに、これ以上なく頑丈に組まれたはずの高柵が吹き飛ぶ様を、倉田一弥は間近から目撃した。
爆煙が徐々にその濃さを薄れされ、煙幕のなかから黒い巨体がノッソリと姿を現す。
ギョロリとしたその血のような紅目で、慌てふためく周囲の人間をラルヴァは睨みつけた。

「グ、グレーター・ラルヴァ!?」

通常のラルヴァより一回り大きく、そして凶悪に研ぎ澄まされたその影が、その怪物が指揮個体である事を示していた。
ラルヴァ集合団『ルフト・ツイノーバ』指揮個体 『ザイドリッツ』
『ザイドリッツ』はその強大さを誇示するように、ゆっくりと獲物を吟味するかの如く周囲を睥睨する。

「銃兵隊、撃て!!」

一弥は咄嗟に叫んだ。
いくらグレーター・ラルヴァとはいえたった一鬼。周囲には銃を抱えた人間が山ほどいる。この至近距離からの銃弾の嵐にはグレーターとはいえ耐えられるはずもなかった。
だが、その想定は、黒魔の周囲に浮かび上がった魔術紋と、火花の束により粉砕された。

「なっ!? しまっ―― 対銃弾防御幕(アンチ・ブリッド・シェル)!」

至近距離から放たれた一〇〇発近い銃弾のことごとくが、『ザイドリッツ』の周囲に展開された対銃弾防御幕に弾き飛ばされる。
一弥はこの指揮個体が無傷で陣地へと乗り込めた理由を悟るべきだった。

「いけない! 総員退避! 下がれ!」

慌てて一弥は声を張り上げた。相手はグレーター・ラルヴァ。普通の人間がまともに戦っても被害が続出するだけだ。
彼の判断は正しく、そして遅かった。

「ゴオオオオオオオオッッ!!」

呪を兼ねた咆哮が鳴り響く。と、同時に高速回転する光の球が『ザイドリッツ』の頭上に出現する。
次の瞬間、光球から次々と閃光が放たれた。
降り注ぐ光の雨。全身を貫かれ、穴だらけになって倒れていく兵士たち。

「く、くそぉ!!」

その悲惨な光景に一弥は思わず腰の剣を抜き『ザイドリッツ』めがけて駆け出した。
背中を向けている『ザイドリッツ』に斬りかかる。
だが、

「わぁ!!」

いきなり振り返った『ザイドリッツ』の右手に剣身を掴まれ、そのまま持ち上げられると軽々と振り回された。
咄嗟に手を離して地面に叩きつけられることは免れたものの、彼の小柄な肉体は投げ飛ばされたように放り出され、地面を転がる。

そして、追い討ちをかけるように『ザイドリッツ』の頭上の光が収束した。

「しまっ―――」

迫り来る死の閃光に一弥は思わず目を瞑った。
だが、身体を貫く灼熱も、衝撃もやってこない。
一弥は恐る恐る瞼を開く、そして…

「ね、姉様!!」

彼の前に凛と佇む一人の女性。その姿は彼の姉、倉田佐祐理のものだった。
静かに掲げる右手の先には複雑な紋様の魔法陣が浮かんでいる。
高位魔術防壁。
その効果は絶大だった。一弥は周りの地面を見て愕然とする。
佐祐理と一弥の背後以外の地面は、抉られたように消え去っていた。まともに喰らっていたら跡形も残らなかったかもしれない。

突如、横面を叩くような衝撃と爆音が起こり、一弥はハッと顔をあげた。
あげた視線の先では、側面から次々と幾条もの光矢に直撃され、爆炎に飲み込まれる『ザイドリッツ』の姿。

「ふん、対銃弾防御幕と対魔術防壁を同時展開するか。伊達に高位種を名乗っているわけではないようだな」

その聞き覚えのある醒め切った声音に、一弥は思わず彼の名前を呼ぶ。

「く、久瀬さん!?」

魔術を放った体勢で、こちらを一瞥した久瀬俊平はそっけなく一弥に言い放つ。

「倉田公子、無茶と無謀は似て非なるものだ。理解したまえ、さもなくば死ぬぞ」

その言葉に便乗するように佐祐理も言う。

「あまり危ない事をしちゃだめだよ、一弥」

振り返らず、だが「めっ」と悪戯を嗜めるように佐祐理は弟を叱った。
その静かだが厳しい視線は爆炎のなかから無傷で姿を現したグレーター・ラルヴァに定められている。

バサリと暗色の戦衣の袂を翻し、ゆっくりと間合を詰めながら久瀬は言う。

「さて、魔物退治といきましょうか、倉田さん」

佐祐理の顔に笑みが零れた。
魔術障壁を解除し、法衣の裾をフワリと浮かせて応える。

「あははー、了解ですよーっ、久瀬さん」





§





ブロンドの髪を風に靡かせながら、レミィは戦場を疾駆した。
狩人が狙う獲物はただ一種、グレーター・ラルヴァ
人並み外れた遠方を見渡せる彼女の狙撃手としての眼が、さきほど捕らえた巨大な漆黒の魔物を狙い定める。
狙撃は最初から除外した。
対銃弾防御幕を展開しているだろう事は端から想像できる。


銃弾が放り込まれるフィールドを風の様に駆け抜け、混戦が繰り広げられている戦場へと駆け込む。
途端、四方八方からレミィめがけて殺気が放たれた。
あまりの心地よさに鼻歌でも歌いたくなる。

事実、レミィは鼻歌を歌いながら、華麗とも云える滑らかな動きで後ろ腰に吊るしたホルスターから愛銃『双后銃(ドッペルケーニギン・ピストーレ)』の片割れ『悲愴なる碧玉(トラーギシュ・ザフィール)』を抜き出した。

生憎『幸運なる金(グリュックリヒ・ゴルト)』の方は右手が塞がっているために今はホルスターの中。
右肩に担いだ『孤高なる銀(アインザーム・ズイルバー)』が陽光に煌めき鮮やかに光る。

抜き打ちざまに、薙ぎ払うように蒼銃を三連点射。
まともに狙いすらもつけずに撃ったはずの光弾は、ものの見事に10メートルほど先の三鬼のラルヴァの頭を吹き飛ばす。
そして、前方に立ち塞がったラルヴァの放つ光槍を、バレエダンサーのように優雅に回転してかわし、掻い潜るようにラルヴァの横に立つ。
いきなり視界から敵の姿が消失し、硬直するラルヴァ。レミィはそのこめかみに蒼い銃を突きつける。
だが、レミィは身体の動きとは全く別に、前方を睨んでいる。
そして…紅の唇を綻ばせた。

エモノヲミツケタ

睨みながら、笑いながら、引き金を引く。
ダンッ、という響く音とともに頭を半分吹き飛ばされたラルヴァが横殴りに倒れ伏した。
レミィはそれを一顧だにせず、前方を睨みつけたまま楽しげに唇を揺らがせた。
猛威を振るう魔力と怪力
漆黒の魔。

ラルヴァ集合団『ケーニヒス・ナハト』指揮個体 『ウーフー』

レミィは笑い声を収め、ゆっくりと左手の魔銃を掲げた。
視線と一直線になるように銃口を定め、トリガーを絞る。
一回、二回、三回。
三発の蒼い光弾が正確に『ウーフー』の頭部に直撃する。だが、光弾は黒魔の周囲に薄く広がった幕による掻き消された。

『ウーフー』の紅目がゆっくりとレミィに向く。
レミィの口元が吊り上がる。

「これは宣戦布告デス、デモンビースト!」

そして、もう一度引金を引く。同時に歩き出す。
再び一発の光弾が掻き消された時、レミィは大地を蹴った。
走り出しながら、視認不可能のクイックドロウで七発の光弾を放つ。
魔術防壁に波紋を残し、消える光弾。
『ウーフー』は小賢しいと言わんばかりに咆哮した。その黒の巨体の周囲に赤色の光の球がフワフワと十数個出現する。
それは次の瞬間、弓から放たれたようにレミィめがけて撃ち出された。
虚空にバラけた赤色光球は直接レミィを狙わず、駆ける彼女の全周囲に散らばった。そして一瞬、虚空に停止したと思うや否や、一斉に襲い掛かってくる。

全方位攻撃(オールレンジアタック)

トッ、と疾風と化していたレミィが慣性を無視したように急停止。バサリとそのブロンドだけが慣性に従い、彼女の面影を隠すと同時にレミィは右肩に担いだ銀の狙撃銃を空高く放り投げた。
そして、一瞬その両手に金と蒼の拳銃が現れ、瞬時に掻き消えた。
殆んど一回にしか聞こえなかった銃声、直後、レミィを飲み込むような爆音が響き、全方位から襲い掛かっていた赤色光球十六個が砕け散る。
愕然と立ち尽くす『ウーフー』の目前で、そしてバラバラと花火の火の粉のように降り注ぎ、虚空へと消える赤い光のシャワーの中で、レミィは後ろ腰のホルスターに双子の拳銃を納める。
そして、ニヤリと笑う彼女の右手に、さきほど放り投げた銀の長銃が落ちて収まる。

彼我の距離、僅か五メートル。

慌てて再び魔術を放とうとする『ウーフー』。

  ガッ

だが、その顎から意味のある言葉が出てくることは二度となかった。
驚愕、恐怖、混乱から紅の瞳が大きく見開かれる。
呪を吼えようと開けた瞬間、その瞳に似た紅色の口内に突き入れられた銀の筒。
一瞬にして間合を詰めたブロンドの女。まるでレイピアを突くかのような体勢で、右足を踏み込み、右手に持った狙撃銃を前のめりに突き出していた。右手の人差し指はトリガーに当てられている。
そして、銃口は『ウーフー』の喉奥へと差し込まれていた。
無論、体内に対銃弾防御幕は展開できない。

「ガ…グガ」

悲鳴とも、泣き声ともつかない弱弱しい声が聞こえた。
顔を覆う金色のシャワーの奥で、レミィの口元が笑みを彩る。そして、なんの慈悲も躊躇も無く白く長い人差し指が絞られた。

   ドン

くぐもった銃声。

そして、レミィの静かな声だけが戦場に零れ落ちた。

Good Nightmare(よき、ユメを)




§





「わわっ」

素っ頓狂な声をあげて、その少女は地面を転がった。
一見余裕がありそうにも見えるが、彼女自身は必死だ。一瞬でも気を抜けば文字通り死に兼ねない。

「いつっっ」

起き上がりざまに頭に走った激痛に、長森瑞佳は思わず声を上げた。さきほどかわしたと思った爪の一撃だが、避けきれていなかったらしい。
傷口から予想以上の血が流れ落ちてくる。
瑞佳は目に入りそうな血を拭いながら顔を上げた。視線の先ではひ弱なエモノをいたぶることに悦びを感じているかのようにグレーター・ラルヴァが嗤っている。

「ちょっと、ヤバいかな?」

ハッハッハ、と自棄気味に笑ってみる。
無論、危機的状況は変わらない。だが、気分は落ち着いた。不意打ちを食らったにしては我ながら立ち直りが早いと自己称賛。
でも、まわりに助けてくれそうな人も猫もいないのが大変だ。
普通の兵隊さんならたくさんいるが、自分同様役に立つとは思えない。

つい一瞬前、部隊の指揮を降していた長森瑞佳めがけていきなり現れた指揮個体『スパルヴィエロ』が余裕をひけらかすようにゆっくりと近づいてくる。

「ち、ちょっとどころじゃないかも」

血が止まらない。鈍痛が波の様に襲いかかってくる。黒魔の方もすぐに襲い掛かってきそうだ。
生憎と彼女は自分で戦うことに秀でているとはいえない。
並みのラルヴァだけでも危ないのにグレーター・ラルヴァが相手では絶望的だった。
だが、それでも彼女は諦めない。
剣を握り、呪と囀りながら立ち上がる。

だが、彼女の強い意志を嘲るように紅蓮の火球が嗤う『スパルヴィエロ』の眼前に出現する。

絶体絶命

だが、彼女の危機は黄と黒のイナヅマにより救われた。
まさしく閃光の様に現れたその巨体は、その閃光のまま『スパルヴィエロ』に飛び掛った。
その鋭利にして長大な牙を持って『スパルヴィエロ』の左腕に喰らいつき、引き千切る。

「ギャアアアアアアアアア」

醜き悲鳴が轟き渡る。
苦痛と混乱に、そして怒りのままに振り回された右腕を素早く避け、その獣は飛び退った。

「イ、イクミ!!」

「なーお」

駆け寄って抱きついてくる主に優しく鳴きかけ、その血に染まった半面を舐める。

「オノレェェ。ケダモノ如キガヨクモ我ヲ傷ツケタナァァァア!!」

憤怒も露わに『スパルヴィエロ』は絶叫した。

「殺オオオオオオオオオオオオスウウウ!!」

未だ霧散していなかった火球をさらに膨らまし、瑞佳とイクミめがけて投射した。

「ハハァ! 焼ケ死ネェエ!!」

空気そのものを燃やしながら、火炎は飛んだ。
だが、

「――――ォ!!」

「ナニィイイイ!?」

イクミが火球を睨みつけ、その巨大な顎と開いたと思った瞬間、紅蓮は吹き飛ばされたように掻き消された。
咆え声は聞こえない。無音にして無形の咆哮。

だが、それは紛れもなく大地を震わすと伝説にある『大地の剛虎(ベヒーモス・タイガー)』の咆哮だった。


「『ベヒーモス・タイガー』はな、魔を退ける咆哮を放てるんだと」

突然、背後から聞こえた声に『スパルヴィエロ』は硬直した。
声をかけられるまで、その存在にまったく気がつかなかったのだ。

「知らなかったみたいだな。だが無知は罪じゃない。次に覚えておけばいいんだからな。でもな……」

『スパルヴィエロ』の背後に立った青年は、普段の調子とはまったく違う淡々とした調子で語る。

「お前に次は無いな」

「ガアアアアアッ!!」

振り返りざまに残った右腕を叩きつけようとして『スパルヴィエロ』は再度固まった。

いない!?

「お前は長森を傷つけた」

その聞くだけで全身凍りつくような恐怖を与える冷たい声音は、またも『スパルヴィエロ』の背後から聞こえた。

「それは俺にとっては一番許せない罪だ。だから死ね」

ラルヴァの本能が絶叫する。

動くな! 動いたら消される!
動け! 動かなければ消されてしまう!!

『スパルヴィエロ』は相反する答えを出す本能の渦に混乱し、その苛烈な攻撃衝動の誘惑に殉じて動いた。

再度、身を捻り背後にいる人間を叩き殺そうとする。

だが、

「…?」

振り返ったものの、全身を覆う違和感に『スパルヴィエロ』は混乱した。
目の前には一人の青年がこちらを冷ややかな目で睨みつけている。

「グガ?」

『スパルヴィエロ』は視線を落とした。
自分の両足の爪先が見えない。踵だけが視界に映る。

『スパルヴィエロ』は首を捻った。

なぜ下半身は反対を向いたままなのだ?

ユルユルと視界がずれていく。
下を向いたために重心がずれてしまったのだ。
視界がズルズルと滑り落ちていく。

ドン、と地面に落ち、自分の下半身がまだ立っているのが視界に映ったところでようやく『スパルヴィエロ』は理解した。

そうか、上半身と下半身が両断されていたのか。

やっと訳のわからない事態が理解でき、『スパルヴィエロ』は嬉しくなった。
嬉しさのあまり笑い出しそうとして…笑うべき口がもう無い事に気がつく前に頭の方も消え去った。



灰と化したグレーターを一瞥し、折原浩平は振り返った。
その相貌は既にさきほどまでの冷徹さなど微塵もない。

「浩平!!」

「長森、怪我大丈夫か?」

パタパタと駆け寄ってくる瑞佳と、その巨体で微塵も足音をたてず主の傍らを歩く猫にきまりの悪そうな表情をみせる。
助けが遅れて、彼女に怪我を負わせてしまった事への自身への怒りが、少しだけ浩平を正直にしていた。

「あ、うん、全然大丈夫だ…よ…」

屈託なく答えようとした瑞佳の語尾が途切れる。
幼馴染の少年に抱き寄せられるように引っ張られ、目を白黒させて固まってしまう。

「こ、こっっ!?」

「…傷、けっこう深いじゃないか」

少女の前髪をかきあげ、額の傷痕を確かめるように顔を近づける。
まるで口づけするかのような体勢に、瑞佳の顔が真っ赤に染まった。

「あの、大丈夫だよ、ホントだよ。うん、全然痛くないも―――イタイイタイ!!」

傷口に触れられ、バタバタと両手を振って悲鳴をあげる。

「バカたれ」

悪態をつきながらも、浩平は取り出した布を瑞佳の傷に巻きつけ始めた。瑞佳ももう何も云わず、黙ってされるがままに、少し恥ずかしげに佇む。
ただ、猫だけが重なる二人の隣で、眠たそうに欠伸する。

戦場の喧騒は遠のき始めていた。



§





「赤熱の風は戯れのごとく吹き荒ぶ」

タタ、と軽やかなステップで地を蹴りながら呪文を唱え、腕を突き出し、起動呪を告げる。

「《風断絞赤(スローティア)》」

敵の魔術が撒き散らす爆風を傍らに、久瀬俊平は赤色の斬風を投げかける。
だが、それは大地に抉るような爪あとを残すも、ラルヴァには届かず虚しく呪幕に掻き消された。

「この程度では無理か」

淡々と呟きながら、魔術を飛ばすために止めた機動を再開。再度『ザイドリッツ』の魔術攻撃が背後で爆裂した。
やはり並みの魔術では通用しないようだ。
久瀬は爆風を背に駆けながら、どうやってコレを倒すべきか頭を捻った。

「久瀬さん!!」

誰かが彼を呼ぶ。そちらを向いた久瀬は思わず舌打ちした。
彼の左7メートルほどに、大胆にも立ち止まって、両手を高々と掲げる倉田佐祐理の姿。

「この人も無茶を…」

意を察し、呆れながら慌てて彼女に向かって駆け寄る
間一髪、彼女の前に滑り込み、魔術防壁を展開。
動きを止めた彼女めがけて『ザイドリッツ』が放った無形の衝撃波を受け止めた。

「その白銀の魂は我が心を癒し、崩しめる その猛き力は我が敵を灰燼と化す 汝の名は屠るモノ 純粋にして輝くモノ」

その久瀬の背後で倉田佐祐理が吹き上がる魔力の風に豊かな裾をなびかせながら、舞踊るように両手を虚空に振るう。
たおやかな白い手に光芒を宿し、光跡を残す。

「力は満ちた 我が判決は死を以って決す 天よ 魔よ 我が指先に集いて穿て!」

バン、と光が佐祐理の人差し指の先端に一気に集う。
そして、指針は指し示された。

「《繚乱穿孔(ブレイカー・ジャッジメント)》」

機関銃のごとく佐祐理の指先から放たれた光針が、あっさりと『ザイドリッツ』の魔術防壁を貫いて、次々とその黒き巨体に穴を穿つ。
一瞬にして穴だらけになる『ザイドリッツ』

「やったか?」

「いえ!! 急所を外れました。あれでは倒しきれてません!!」

悔しげに云う佐祐理の言葉通り、『ザイドリッツ』の憤怒を滾らせた紅目が爛々と光り、二人を睨みつけた。

「ちぃ、しぶとい!」

舌打ちした久瀬が、腰に差した剣を抜きながら駆け出した。

「僕が引きつけます。後はよろしく」

「く、久瀬さん!?」

貴方の方が無茶過ぎですっ! と心の内で叫びながらもその行為を無駄にせず素早く新たな呪を展開する。

「天空より来たれ、我と汝が怒りの具現よ 其は粛清 其は煉獄 墜としたらしめるは焦熱の一撃!」

佐祐理の涼やかな声音を背に、久瀬は走りながら剣を八双に振りかぶった。相沢祐一や川澄舞には敵うはずもないが、これでも腕には覚えがある。
『ザイドリッツ』が爆発的に力を漲らす。身体中に空いた穴から体液が噴き出るのもものともせず、大質量の一撃を振り下ろした。
その烈風のごとき豪腕を何とかギリギリでかわし、巨体の懐に飛び込む。
そして踏み込んだ右足を踏みしめ、上手く体重の乗った胴薙ぎを叩き込む。だが、浅い。

「くっ、思ったより硬い!」

刹那、殺気を感じて横っ飛びに大地を蹴りつつ、爆発そのもののような一撃を咄嗟に剣の腹で受け止めた。
だが、その一撃は鋼の剣を叩き折り、久瀬の痩身を吹き飛ばす。
なんとか地面に叩きつけられる事を避けるも、体勢が崩れる。脇腹に走った三本の爪痕から噴出すように血糸がしぶいた。

「……っ!」

思わずよろめく久瀬の視界に咆える『ザイドリッツ』の紅口が覗く。
そして、閃光が煌めく、と思った瞬間、銃声が響いた。
『ザイドリッツ』の横っ面に火花が走る。銃弾は対銃弾幕に弾かれたが、一瞬『ザイドリッツ』の注意が逸れた。
その一瞬は至宝の刹那。久瀬はなんとか地面に溝を穿ちながら疾る閃光の束を転がりながらも避ける。
咄嗟に銃を放ってくれた倉田一弥に心中で感謝しつつ、片膝を地に付けて起き上がり、その体勢のまま『ザイドリッツ』を怜悧な眼差しで突き刺しながら、呪を口ずさみ始めた。
既にラルヴァも大口を開け、呪である咆哮を発しはじめている。

久瀬が仕掛けたのは術の起動速度勝負だ。
まさに呪唱速度が死命を決す。

久瀬は滑らかに、だが並みの魔術師が目を回すほどの迅さで呪を唱え始めた。

「憂い、嘆きし大いなる御霊と、精霊! 言霊は汝を縛め、留める! その意思は慈悲と撹乱!」

グイ、と突き出す右腕に纏わりつくように仄かに具現化していく光の帯。
視線の向こうでは再び閃光が黒き相貌の眼前に集っていく。

だが、久瀬はかすかに口端を引き攣らせた。

此方の方が一瞬速い!!

「其は魔道を塞ぐ血栓! 其は意思を絡める蜘蛛の糸! 其は躯を縛る光の縛鎖なり!!」

殴りつけるように起動呪を叫ぶ。

「《光蛇神縛(バインド・オブ・レイザースネイク)》!!」

光の矢の如く、久瀬の右腕に浮かんでいた光帯が大気を切り裂き、伸びる。
そして、蛇の形をした光の鎖は『ザイドリッツ』の巨体を一瞬にして縛り上げた。
『ザイドリッツ』の喚んでいた閃光の束が霧散し消え去る。

「今だ! 倉田さん!!」

その叫びが鐘を鳴らしたように、倉田佐祐理の透き通るような呪が高らかに響いた。

「天を討つ 地を討つ 魔を討つ それは神の鉄槌! 神鳴る激怒よ、我が意志のままに落ちよ! 撃ち砕く者の名は大敵! すべてに仇名す者を討て!」

その白き法衣が、絹のような髪の毛が、渦巻く力に逆舞った。
そして掲げられた陶器の如き白手が、振り下ろされる。

「《天雷奔流(ライトニング・カスケイド)》!!」

傷口を押さえて立ち上がる久瀬の目に、天より降り注いだ雷光の奔流がラルヴァの黒き巨体を白く塗りつぶし、消滅させるのが見えた。
轟音と爆風が当たり一体を吹き荒ぶ。

そして、それが収まった時、『ザイドリッツ』がいた場所には深々と穿たれたクレーターだけが残っていた。

ふう、と息を吐いている佐祐理と、彼女に駆け寄る弟の姿を一瞬だけ視野に映して確認し、久瀬は戦場を見渡した。
その表情には傷の苦痛も死闘の後の興奮も微塵も見られない。
クールを自称する彼らしい姿だった。

「どうやら…そろそろ終わりのようだな」

悲鳴・怒号・銃声・打撃音
そんな戦場音楽が、今、潮を引くように静まり始めていた。




§



猪名川の地にラルヴァたちが雪崩れ込んだ時、彼らの統括者である指揮個体は総勢八鬼を数えた。
うち二鬼、『トゥルビーネ』と『フレッチア』は大筒に撃ちだされた砲弾の直撃を受け消滅した。
そして『シュロップシャー』『ザイドリッツ』『スパルヴィエロ』『ファルゴーレ』『ウーフー』の五鬼も、戦場の各地で討ち取られる。

そして

「残ったのはお前だけだな」

大仰な剣を携えた目つきの悪い男が言った。
指揮個体『アンブロジーニ』はゆっくりと振り返る。人間の男がいったセリフの意味は嫌でもよくわかった。
残った指揮個体は自分だけ。いや、二二万七〇〇〇鬼を数えた眷属ラルヴァすらももはや見当たらない。彼ら人間の敵は、今、この戦場の上には自分だけしか残っていない。

「オ前ガ……皇帝カ」

血の滴る両の腕をぶら下げながら問う魔物に藤田浩之は首を竦めた。それが答えだ。

「先ニ我ラガ主ヲ傷ツケタ人間ノ王。エンハンスド・ソードの使い手。貴様ヲ殺セバ、我ラガ此処デ滅セレラタ事モ帳消シニ出来ヨウ」

「そうなのか? 俺も偉くなったもんだ。ラルヴァにも評価されてんだから」

『アンブロジーニ』の言葉に浩之はニヤニヤと笑った。

「でもよお、俺もやられるつもりはないぜ」

そう飄々と言ってのけると、その手にはいつの間にか大剣が握られていた。
『アンブロジーニ』はもう言を重ねる事無く、吼えた。
呪唱咆哮…巨大な光の槍が虚空に浮かび上がる。

「ガッ!!」

切るような咆声と共に、光槍が飛んだ。
軌跡を残し、一直線に浩之に襲い掛かる。
だが、光槍が彼を貫こうとした瞬間、浩之が左手を突き出す。
次の瞬間、目の当たりにした光景に『アンブロジーニ』は絶句した。
差し上げられた左の掌の直前で、ピタリ、と虚空に停止する光の槍。
そして、次の瞬間光槍はほどかれたようにその端から消えてゆき、その存在を消失した。

「魔術防壁デハナイ!? マ、魔術ソノモノニ直接外部カラ干渉シテ消シタノカ!?」 

一度起動した術を外部から乗っ取る事などどんな魔術師にもできるわけがない。
それをこの男は平然とやってのけた。
皇帝は淡々と口ずさんだ。

「その剣に選ばれ者、神に等しき力を得る。其の者、魔術の理を視触する」

「ソレガ…!!」

「何でもアリ、それが聖剣『エクストリーム』の加護、そして聖剣使い…エンハンスドの力だ」

自分でも呆れたように言い放つと、次の瞬間、浩之の姿は『アンブロジーニ』の後方にあった。
グルグルと回転する視界に、ようやく『アンブロジーニ』は自分が首を飛ばされた事に気がつく。
それはまさに人の範疇を越えた速度。鬼…エルクゥ種族に匹敵する速度だった。

ボテ、と地面を転がりながら『アンブロジーニ』は呆然と呟く。

「馬鹿ナ。聖剣ガ使イ手ヲ人外ノ存在ニ変エルトハ云エ、コレホドノ…コレホドノ…」

言葉が途切れ、黒魔の頭部は消失した。
浩之はヤレヤレとばかりに面倒そうに剣を収めると、ゆっくりと戦場を見渡した。
荒涼とした風の吹く中を、スス、と深山雪見が歩いてくるのが見えた。

微風に淡い桃色の髪の毛を揺らがせながら、彼の前へと立った雪見は、淡々と告げる。

「ラルヴァの掃討、完了しましたわ。オペレーション【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】、唯今を以って終幕しました」

浩之は答えず、無言のまま空を見上げた。
蒼穹の空には一千切りの雲もなく、痛々しいほどに晴れ上がっていた。
ただ、硝煙と血と粉塵の香りだけを残し、史上最大と云われることになる作戦は終了した。


ラルヴァ二十二万七〇〇〇鬼は完全に、この大盟約世界の上から消滅した。

だが、混沌の王の姿はまだ見えない。

戦争はまだ、その終わりを見せてはいなかった。



その全貌すらも










グエンディーナ大陸中央部 失われた聖地






いったいどれだけ歩いたのだろう
まるで迷宮の中を彷徨っているかのように
いや、まさに迷宮なのかもしれない
迷い込んでしまったのかもしれない
入り込んでしまったのかもしれない

永久に出られぬ深遠へと繋がる洞穴へと



フイに、視界が開ける
今まで、自分が地面の上を歩いていたのかも確信できなかったのに
フイに、視界が開ける

闇が…視えた

静か過ぎる空間
広すぎる空間

闇の…空間

動悸が跳ね上がり、呼吸が苦しくなる。胸が痛くなる。頭が割れそうになる。

ナンダナンダナンダナンダ

厭だ

厭だ厭だ厭だ!!!

こんなところに居たくない!

とても…厭だ!



それでも…進む

任務?

いや、違う。これは、恐怖。恐怖故に進む。何故?

ワ・カ・ラ・ナ・イ


そしてミタ


駄々広い空間
その中にポツリと男がいる。立っている。
見るからにどす黒い何かを内在している事が見て取れる醜悪な気配を漂わせた…男

だが、それがどうしたのだ。

それよりも、そんなものよりも

アレは

かしずく男の前に在るモノは…


ナンダ?



直視できない。
生命としての本能が拒絶する。

なんだ?

アレハナンダ?

深遠なる底なしの闇。
その闇の中で爛々と紅の瞳だけが光を抱いている。

呼吸が出来ない。
いくら吸い込んでも酸素が入ってこない。

意識が…流される。消し飛ばされる。融かされる。





漆黒



身体全体を覆うような翼

黒い羽根

十六枚の世界を覆い尽くす闇色の翼


一六翼真の黒色



これは…ナンダ?

わかっている

わかりきっている


これこそが




死というモノの具現

絶対死



ダメだ!!

殺される

ここにいたら殺される!!

この空間
この闇すべてがアレそのものなのだ



死ぬ! 死ぬ! 死ぬ!

殺される! 潰される! 喰われてしまう!!

逃げないと!
逃げないと!

逃げないと殺される!!

存在そのものを消されてしまう!!

アレの胎内から逃げ出さなくては!!

俺そのものの存在が殺されて、喰われてしまう!!

死んでしまう!!


転げるように、逃げ出す
どこに?
わからない
だが、逃げ出す

恐怖から
絶望から
死から
抹消から

逃げ出す!!


逃げ出すその背に




「――宴の支度は整いました――」



男の声が聞こえた。







    続く





  あとがき

八岐「という訳でようやくラルヴァ殲滅戦終了しました」

紅葉「本編で容量使い過ぎたからあとがきは短く云う話ですえ」

八岐「わかってますって、さっさと行きましょう」

紅葉「はいな、次回からは御音奈落編(?)……凍るような暗闇の中で、彼は一人の少年と再会する」

八岐「次回第46話『再会は闇の奥で』…どぞ、よろしく」

紅葉「でわまたあとがきで〜」


SS感想板へ

inserted by FC2 system