魔法戦国群星伝





< 第四十三話 ART OF WAR >




――第一日目(ファースト・デイズ)

カノン/東鳩国境地帯




この時期に雪が降らんのは僥倖だな。

セバスチャンと呼ばれる、屈強な肉体を服の上からでも見て取れるその老人は、薄雲棚引く空を仰いだ。
空気は冴え渡り、風もまた芯に響く冷たさを秘めてはいるものの、空から雪の粉が降る様子はなかった。
雪が降り、加えて積もりなどすれば、軍勢の移動にどれほどの負担がかかるか想像もできない。
そうなればこの作戦は根底から瓦解する。
ふと、御音の軍師殿方は雪が降らぬを承知でこの作戦を立案なさったのかと、セバスは思い巡らした。

さもありなん。

セバスは深く首肯した。
天候を読むもまた戦略を巡らす者に必須の技能。
ともあれ天候は自在に操ることが不可能な天の配剤ゆえに、やはり僥倖と云えるのだろう、とセバスは天に感謝した。
なにしろこの作戦には帝国だけではなく大陸全土の命運がかかっているのだから。

「…組頭」

「む、申せ」

「準備整いましてございます」

「承知した。命令あらばすぐに行動にとりかかれ」

「はっ」

濃緑の衣裳を纏った配下が森へと溶け込み、姿を消す。

「佐藤殿の準備はどうじゃ?」

「すでに布陣を終えているとの事です」

「迅速だな。流石は『疾風』。ではこちらも燻り出しにかかるとするか。しかし……ここでグレーターなるラルヴァを討ち取っておけば楽なのじゃが」

「無理は禁物です。それに指揮個体を倒してもラルヴァが消えるわけではありません。むしろ統制が取れなくなり、此方の意図通りに動かなくなる可能性も――」

「わかっている。少し言うてみただけじゃ」


苦い顔で答え、セバスは南の方角を睨んだ。

さて、あの小さなお嬢ちゃんもそろそろ頑張っているころだな。

同じ影に戦う立場の人間でありながら、コロコロと面白いように表情を変える言葉を無くした少女の姿を思い出し、老人の顔が少し解れた。


「よし! 『鋼』、出るぞ!!」





東鳩帝国 帝城



ここ、帝都は帝城の大ホールは、現在臨時に仮設の指揮所が設けられていた。
三華連合参謀本部『大本営』こと『戦女神の庭(ヴァルキリー・ガーデン)』は、元々カノン皇国内にある御門城に本拠を置いていたが、このたび、当作戦が実行されるにあたり、決戦場となる猪名川に近いこの帝都へと本拠を移していた。


「帝国所属特務部隊『鋼』、<ウィスパー1>への強襲開始しました」
「御音特調実働部『サイレント・コア』、<チェイサーズ1>への強襲を開始しました」
「近衛兵団より報告。<ウィスパー・デビルス>の活性活動を確認。集合を開始しました」
「御音・住井勢より報告。布陣を完了。<バインド・チェイサーズ>の活動は現在確認中」


「大したものね」

例えるのが難しい光沢。あえて表現するならば虹色とでもいうような光の色をした玉。
およそ八つを数える虹色の水晶玉を前に、『戦女神の庭(ヴァルキリー・ガーデン)』に所属する参謀たちの声が飛び交うのを眺めながら、 美坂香里は感心したように言った。その内心は穏やかではない。

「ええ、遠距離通話用魔導法具…これが戦争に与える影響はトンデモないですねー。恐らくは戦争の形態そのものを変えかねません。もし、これが三華大戦中に帝国に配備されていたらと考えると、戦慄を禁じえません」

香里の呟きを聞いた倉田佐祐理が小声で答える。
これまで遠距離通話はかなり高位の魔術師同士、それもよほど相性が良くなければ成功しなかった。しかも魔力の消費も激しい。長時間の通話どころか、短い会話のやり取りを行えるか否かという代物だった。
その事を考えれば、魔術師でもない人間が自由に通話できるこの魔法具は画期的な発明と言えよう。
無論、製作者は来栖川芹香を中核とした帝国魔導院である。

香里は佐祐理の言葉に小さく頷くと、俄然忙しく動き始めた人々の流れを見ながら言った。

「戦争を変えるね。もしかしたらもう変わっているのかも。この無茶な作戦が、この道具一つで随分と現実化したんじゃない?」

「あははー、確かに」

「まったく……量産が出来ないっていうのがせめてもの……いえ、もはや帝国と敵対関係じゃない以上、量産化できないのはこちらとしても喜ぶべきことじゃないわね」

香里のいうとおり、この通信魔導法具「エニグマ」は特殊な材質の魔法金属を使うために量産など夢のまた夢だった。製造にとてつもない技量を必要としたことも大きい。
結局、「エニグマ」はラルヴァ誘引部隊の各指揮官に一つずつ渡されているのみである。 加えて、各指揮官に渡された「エニグマ」は言わば子機であり、ここ『大本営』に配された母機としか通話できない。
だが、これだけでも情報のやり取りにほとんどのタイムラグをなくすことができ、『大本営』から直接全部隊の動向を把握でき、統括できる。
その事実は作戦遂行に劇的な効果をもたらしていた。


「そういえば猪名川の方はどうなってるの?」

香里はこの作戦の決戦ポイントである地名を口にした。
猪名川はここ帝都から西に約一日半の場所を流れる中規模の清流である。
近くには温泉も湧き出ており、行楽地としても名高い。
実際の決戦ポイントとなる場所はその川から少し南に下った場所にある盆地であった。

「既に全物資の搬入は終了しているそうです。今は御音の工部省…例の戦闘工兵部隊「黒鍬組」が野戦築城を開始しています」

「もう済んでるの? よくもまあ、あれだけの代物をこれだけの短時間で…」

大したものね、と香里はもう一度繰り返した。
その表情にはたぶんに呆れが含まれている。

正直、ここまであっさりと成し遂げられるとは思ってませんでしたよー、と佐祐理はしみじみとした口調で答えた。

「直接仕事を一緒にして思い知りましたけど、あの雛山理緒さんという方の才は言語を絶します。まさに救世者の異名は伊達ではありませんよ。彼女一人で十万の兵に匹敵するといっても過言ではありませんねー」

佐祐理は紛れもない尊敬を込めて、言葉を紡いだ。

その時、指揮所内に一気にざわめきが広がった。


「住井勢、ラルヴァと接敵!! <バインド・チェイサーズ>全ラルヴァ集合を確認後、後退戦闘を開始するとの事です!」

「『鋼』より入電! 我攻撃に成功、現在<ウィスパー1>の追跡を受ける。作戦順調に進行中! これより近衛兵団と合流す!」


佐祐理はちろり、と舌で唇を濡らした。乾いた皮膚が濡れる。
無意識の行為。やはり気が張り詰めているらしい。

「本格的に始まったわね」

その香里の声にもかすかな緊張が含まれている事に気がつき、佐祐理はかすかに片目を細めた。
今、始まったのは馬鹿馬鹿しいほど大規模で、しかも重要な作戦だ。緊張しない方が可笑しい。
向こうに見える藤田浩之や深山雪見の表情も険しい。あの川名みさきですら笑顔を顰め、瞼をじっと閉じて座っている(実はお腹が膨れて眠ってしまっているのだが誰も気がついていない)。

オペレーション【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】…大盟約世界の戦史に燦然と輝くこととなるその作戦は、まだその端緒についたばかりだ。






東鳩帝国南西部 芳賀



「くそっ、こりゃキツイぜ」

住井護は周囲に聞こえないように小声で吐き捨てた。
今、住井勢は多少の齟齬が絡まり、苦戦を強いられていた。

作戦はまず、特殊部隊によるラルヴァ集合団のファースト・グループ、つまり指揮個体が属するグループを攻撃し、誘い出す事だった。
ラルヴァ集合団の中核であるファースト・グループが動き出せば、自然とそのラルヴァ集合団も同じ様に動き出す、と考えられたのだ。
そして、その考えは見事に当てはまっている。北側の近衛兵団では目論見通り作戦は進行していた。
だが、此方は完全に予定外の状況に陥っている。
住井勢が布陣を整える前に、ファースト・グループとは違う所属のラルヴァグループと接敵してしまったのだ。
上月澪率いる特殊部隊「サイレント・コア」が御音/東鳩国境地帯集合団<バインド・チェイサーズ>のファースト・グループ<チェイサー1>の誘引に成功した時、既に住井勢は乱戦気味の戦闘に突入してしまっていた。

「『大本営』に連絡! 後続の南勢を繰り上げて近くまで寄越してくれ! このままじゃ合流地点までの後退戦闘は維持できない!!」

銃声が豪雨のように鳴り響く中で、住井は声を張りあげた。
幸い、<チェイサー1>を始めとして集結してきたラルヴァたちを前にした時、既に接敵したラルヴァーグループはその大半を撃破しており、大事には至らなかった。
だが、住井には事前の予定通り、整然とした後退戦闘を行える余裕があるようには見えなかった。

「『大本営』より返信! そちらの要求を了承! 南勢は予定地点より西、<長谷部>に布陣予定。そこまで無事退去されたし!」

「長谷部か…そこまでなら何とか我慢できるか?」

「報告! 敵総数約三万五〇〇〇を超えました!」

だいたい集まったか。これならまだ姿の見えない残りのグループも付いて来るだろう。

素早く思考を巡らせた住井は全軍に向けて叫んだ。

「よし! 後退戦闘開始! 銃兵隊、弾幕切らすなよ!」






東鳩帝国北西部 岩切街道 千堂



帝国北部を走る岩切街道。
流石に石畳というわけにはいかないが、域内整備の行き届いた東鳩帝国らしく一万弱の軍勢が布陣していてもなお余裕を感じさせる。

矢島忠広は緊張した面持ちで西の空を見上げていた。
防御陣形を整えた重厚な兵士の壁が、彼の前には広がっている。
彼らが待つのはこちらへ向かっているはずの佐藤雅史率いる近衛兵団。そして、その近衛兵団が連れてくるラルヴァ集合団<ウィスパー・デビルス>だった。

『大本営』の戦術は大胆ながら慎重だった。
彼らは各誘引部隊の実力は信じていたが、信仰はしていない。
さすがに最初から最後まで同じ部隊で誘引を続ける事は不可能だと認識していた。
そこで最初の交戦部隊…つまり近衛兵団/住井勢とは別に帝国北部は岩切街道、帝国南部は西園寺街道にそれぞれ順番に数個軍団を配置していた。
ある程度後退戦闘を行い、順次戦闘を後続の部隊と交代していき、戦闘と機動の疲労を分散させようという狙いだった。
矢島機動騎士団は北部戦線の第二番手というわけである。


「見えました! <疾風旗>! 近衛兵団です!」

「佐藤のやつ、逃げ足も速いな」

思わず笑いを含んだ言葉を漏らす。
そして、素早く命令を発した。

「全銃兵隊、構え! 魔導師隊、魔術防壁の展開開始!」

矢島機動騎士団八〇〇〇が眠りから覚めたように胎動しはじめる。
その脇を戦闘による汚れに塗れた近衛兵団が通り抜けていく。

「矢島くん!」

馬に乗った佐藤雅史が、指示を飛ばしていた矢島の元に駆け寄ってきた。

「佐藤か、どうだった?」

「キツイよ。ただでさえ並みの人間より屈強だ。それを相手に後退戦闘だからね。せめてヤツらが銃を持ってないのが助かる程度だよ」

「もし持ってたら勝てないよ」

そうだね、と雅史はいつもの笑顔を浮かべてみせると、ふっ、と表情を引き締めていった。

「じゃあ気をつけて」

「ああ、まあ俺らはお前らほど持たないぜ。先に言っておいたからな、後で文句言うなよ。じゃあな、さっさと下がって休んどけ。直ぐにまた戦うはめになるぜ」

「了解したよ、それじゃあ」

そう軽やかに言い残すと雅史は自分の軍勢の後を追い、姿を消した。
その後姿を見送っていた矢島に部下から声がかかる。

「来ました! 来ましたよ!! 黒色黒翼、ラルヴァです!!」

「へへっ」

矢島は意外と余裕のある自分に驚きながら、ペロリと舌なめずりした。
正直、あの水瀬公爵軍と戦って、敗れて以来、戦いに関して良くも悪くも余裕を持てるようになった。
これ以上ないほど最強の軍と戦ったからだろうか。

まあ、負け戦もいい経験って訳だ。

矢島は苦笑気味に考えると、攻撃開始の命令を発するために息を吸い込んだ。

勿論、彼は二度と負け戦をやるつもりはない。





――第二日目(セカンド・デイズ)

東鳩帝国 帝城 仮指揮所



オペレーション【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】発動から一夜が明けた。
仮設指揮所に詰める面々も徹夜明けということで、目の下に隈を作っているものも多い。
だが、彼らはまだ自分たちがましだという事をよく理解している。
最前線で戦っているものたちはもっと酷い状況だろう。何しろ日中は殆んど走りづめで戦いづめだったのだから。
幸いにもラルヴァは闇を見通す目を持っているわけではないらしく、夜間は活動が鈍る。おかげでなんとか一昼夜戦いづめという事態は免れていた。
だが、日が昇ると同時に再び前日と同じ追いかけっこが開始されていた。
しかしそれも日が天頂を過ぎ、その色をオレンジ色へと変えていく頃、戦況は第二フェーズへと移行しようとしていた。

「矢島殿より報告! ラルヴァ集合団<ケーニヒス・ナハト>支配領域・<桜井>を無事通過。斉藤並びに近衛兵団も後続中! これより相沢勢と合流!」

「相沢祐一殿から報告。<ウィスパー・デビルス>の進攻停止を確認。<ウィスパー・デビルス>、帝国北西集合団<ケーニヒス・ナハト>との合流を開始したものと思われます。引き続き監視を行う、だそうです」

「北はいいわ。南はどうなってるの」

順調に進行している北と比べて、始めにケチのついた南部戦線は徐々にだが進行スケジュールが遅れ始めている。
南部誘引部隊からの連絡はまだない。此方から呼びかけているものの、返答はなし。返信する余裕もないほどの切羽詰った状況のようだ。
雪見は焦る内心を抑えて、あえて平静とした声音で問い掛ける。
作戦全体を司る立場である自分が動揺する様子など、間違ってもみせるわけにはいかなかった。

だがその後もなかなか判明しない状況に、焦燥を抑えきれなくなった雪見は思わず不安を口にした。

「直に日が暮れてしまう。それまで予定の地点まで辿り着かないとまずいわ」

肌の上を嫌な汗が流れていく。
作戦を立案してから彼女に圧し掛かっていた重圧が、一挙に重さを増したような気がした。
怯えにも似た不安が、雪見の心を塗り込めていく。
雪見は相も変らぬ自分の余裕のなさに罵声を浴びせたくなった。
周囲の人間は自分が常に冷静で、的確な判断を下せると信じ込んでいる。そんな事は幻想だと誰も気が付かない。
深山雪見という人間は、周りが考えているより遥かに弱い人間なのだ。
周囲の期待と信仰が、彼女が感じるプレッシャーをさらに強めていた。

雪見は揺れる心を抑えきれず、無意識に震える手で口元を抑えた。


「大丈夫だよ」

すぐ耳元から聞こえたその声は、すっと滑るように雪見の心に入り込んだ。
ハッと顔を上げた雪見の目に、親友の光のない瞳が飛び込んでくる。
そこに自分の顔は映っていない。だが、雪見にはその瞳に自分の全てを見守っていてくれるという安堵感を覚えた。
その暖かさにざわめいていた心が凪の海のように落ち着いていく。
彼女を覆い尽くそうとしていた暗雲が、何事もなかったかのように消え去っていく。
川名みさきはニコリと笑うと、屈託のない調子で囁いた。

「南くんや住井くんを信じよう。大丈夫、みんなはもっと困難な状況を乗り越えてきたんだから」

「そう…そうね」

そうなんだ。
いつだってそうなんだ。
『常智の雪見』? 大陸最高の戦略家? そんなことはない。意味だってない。
いつだって私はみさきに頼りきっている。
いつだって自分が押し潰されそうになった時、周りを見失いそうになった時、助けてくれるのはこのやんちゃな親友だった。
彼女の声が、彼女の言葉が、彼女の想いが、いつも私を私で居させてくれるんだ。

雪見は思う。

結局、私はみさきがいないと何にもできないのよね。

だが、その言葉は同時に川名みさきの思いでもあった。
つまるところ、この二人はお似合いの、そして最高のパートナーということなのだろう。
『常智奇天の双龍』……この字名はまさにこの互いを必要とし、互いの能力を相乗させている二人の作戦家に相応しいものだった。


「来ました!! 来栖川綾香殿からです! <バインド・チェイサーズ>の東鳩帝国南西集合団 <ルフト・ツイノーバ>支配領域への侵入を確認。これより両集合団の合流を監視する、との事です!」

「住井、南勢より連絡入りました! 我損害多数なれど、作戦目的を達成す!」


雪見はキュッと唇を結び、目を大きく見開いた。
思わず傍らを見る。
みさきが変わらぬ笑顔を浮かべていた。
雪見は感謝を込めてトンと親友の肩に手を置くと、

「倉田さん!」

大きく頷いき、向こうにいた倉田佐祐理に声をかけた。
その意を即座に理解し、佐祐理が命を下す。

「全軍にオペレーション【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】セカンドデイズ終了を通達します。
住井・南勢、並びに機動騎士団・近衛兵団は後方へ退避してください。相沢・斉藤・来栖川勢は現状待機、監視を続行してください。
明日、夜が明けると同時にラストデイズを通告します。
当初の作戦どおり通告と同時に相沢・来栖川両軍団は各ラルヴァ集合団に攻撃を開始。再び誘引を開始してください。保科さんは?」

「既に合流ポイント<高瀬>に到着済み。待機中です」

そうですか、と首肯してみせた佐祐理は雪見の方を振り返った。
佐祐理に頷き返した雪見は、自分に集まる視線を見渡して言った。

「これより私たちも決戦地<猪名川>へ向かいます。既に我が「黒鍬組」の手により陣地は完成、各部隊も布陣を開始し始めています。夜間行軍となります。街道上に照明松明並びに魔術燈火を多数配置していますが、充分気をつけてください。それでは…」

雪見は言葉を切って、視線を移した。
これまで黙って推移を見守っていた東鳩帝国皇帝 藤田浩之とカノン皇国 美坂香里が、片や了承とばかりにニヤリと笑い、片やどーぞ、とばかりに肩を竦めてみせた。

その仕草にふっと笑みを漏らした雪見は傍らの親友の顔を一瞬だけ一瞥し、決然とした声を仮指揮所に響かせた。

「全軍出撃!」






――第三日目(ラスト・デイズ)


東鳩帝国中西部 高瀬


名前あげるんも、良し悪しやなぁ。

保科智子は内心で苦笑混じりに毒づいた。

名声があがるのは結構だが、その名声に引き合うだけのやっかりな仕事を押し付けられるようになる。

「まっ、ええんやけどね。私にしか出来へんなんて言われたら、まあやらんとしゃあないやん」

結局満更でもないのだろう。
智子はそう、自分の本意を結論付けた。
つまりは自分はやっかいな仕事が好きなのだ。委員長なんていう面倒以外の何物でもない仕事を自分から好んでやっている人間なのだから。

「保科さん」

「ん? 佐藤くんか…まったく、アンタも物好きやな。援護はいらん言うたのに」

佐藤雅史はそれには答えず、ただ笑う。

智子の言うとおり、今、この<高瀬>には保科勢一万八〇〇〇の他に、近衛兵団でも比較的疲労と損害の少ない七〇〇〇の兵が布陣している。

「矢島くんや御音の連中は下がったのに…」

「彼らはひどい状況だったからね。とてもこれ以上戦えないよ。本人たちは不本意みたいだったけどね。僕の近衛は三万近くあったから、まだ余裕はあるよ」

それに…と雅史は刹那、目を笑みではない細め方をして言った。

「これから来るのは今、大陸にいるラルヴァ全部だ。幾ら『退き保科』といってもキツイでしょ?」

「そらまあ…な」

智子は頬を歪めて言った。
確かにこれから自分が相手にするのは、北部・南部両方から誘引されているラルヴァ四個集合団だ。これまで入っている情報を照らし合わせるとその数、二〇万は超えている。
今誘引を行っている相沢・斉藤・来栖川勢を含めてもこちらは四万八〇〇〇だ。正直、近衛兵団の七〇〇〇はありがたい事この上なしだ。

「うん、正直言うたら助かるわ。ありがと。ありがたく使わせてもらう。でも、私は使い方荒いで」

「それはもう充分承知してるよ」

「委員長、もうすぐ誘引部隊が到着する時間です」

笑い混じりに雅史が答えたその時、和やかな雰囲気を引き締めるように報告が届く。
既に数時間前に北部の相沢・斉藤勢と南部の来栖川勢は合流を果たしたとの連絡は届いている。
そして、それはつまり彼らを追撃していた全ラルヴァが同じ街道へと入ったという事だった。

カノン/東鳩国境地帯集合団 <ウィスパー・デビルス>
東鳩帝国北西集合団 <ケーニヒス・ナハト>
東鳩帝国南西集合団 <ルフト・ツイノーバ>
御音/東鳩国境地帯集合団 <バインド・チェイサーズ>

水瀬公爵軍と戦法師団「鈴音」により封殺されている二個集合団を除いた大陸に今、確認されている全てのラルヴァが融合した。

その数……二十二万七〇〇〇鬼


「智子!!」

街道の向こうからよく知る装束を纏った軍勢が近づいてくる。
そして、騎馬に跨った女性がこちらの名前を呼びながら駆け寄ってきた。

「お疲れさん! 大丈夫か、綾香!?」

「なんとかね」

多少の疲労を残しながらも、乱れた髪を振り乱して馬に乗る彼女の姿はなおも美しかった。

「ラルヴァは?」

「今、カノンの連中が引っ張ってる。むちゃくちゃたくさんいるわよ! スゴイって!!」

興奮したように捲くし立てる綾香を宥めるように、智子は後方を指差しながらいった。

「わかった。はよ、軍勢後ろに下げて体勢整えぇや。まだ休むには早いで」

「うん、あなたも佐藤くんも気をつけてね」

そう言い残すと、綾香は秋風の様にするすると軍勢を引き連れてその場を立ち去っていた。
その後姿が消える前に、智子たちの前方に戦塵が見え始める。

「来た来た! 来おったで! 佐藤君、はよ自分とこ戻り」

「了解」

こちらはまさに名の通り素早く、だが涼やかに駆け戻っていく雅史を見送り、智子は前方を睨みつけた。
雪の結晶をあしらった軍旗を掲げた軍勢、相沢勢と斉藤勢が凄まじい速度で近づいてくる。
もはや戦闘は行ってはおらず、ただ駆けるのみ。
当たり前だ。これから戦うのは自分たちなのだ。彼らはまた後方で軍勢を整え、再び戦う準備をすればいい。

保科・佐藤勢の脇をまず斎藤勢が通り抜け、そして相沢勢九〇〇〇が過ぎていく。
最後尾を走る白い翼のような剣を持った青年が叫んだ。

「連れてきたぜ、委員長さん!!」

「見たらわかるわ、あほぉ!!」

激戦に高揚しているのか、ケラケラと笑いながら青年が駆け去る。

そして―――


黒き雲霞の如き大軍が、その姿を現した。

保科智子は自分が笑っている事に気が付いていない。
その笑顔はまさに肉食獣が如く。

牙を剥いた獣が吼える。

「全銃兵隊、統制射撃開始!!  撃てぇぇ!!」





――狂騒の終着点――


黒き魔たちは怒り狂っていた。
追いかけても追いかけてもあの人間たちはまともに戦おうとしない。
一度戦いはじめても、こちらが押し潰そうとすればすぐ逃げ出す。

これでは欲望は満たされない。
血の匂いに酔う事ができない。
殺せない、殺せない、殺せない

故に、怒り狂っていた。
まるで……禁断症状に見舞われたように見境なく。
輪をかけて凶暴化していた。

いつのまにか、同族たちの数は増えていたが、彼らは気にしなかった。
ただ、あの生意気な人間たちを破壊できれば、欲望は満たされるのだ。
破壊という欲望を満たすことが彼らの存在意義。
破壊のために生み出された存在故に……

彼らは自分たちがどこに向かっているかも知ろうとはしなかった。



追いかける
追いかける

そして、彼らは逃げる人間たちの集団を追いかけ、盆地へと差し掛かった。
彼らは地名など知らないし、興味もない。
だが、あえてその地名を述べるならば、そこは<猪名川>と云った。


大地を黒く塗りつぶすだけの大軍。
総勢二十二万七〇〇〇ものラルヴァはそうして、<猪名川>へと雪崩れ込んだ。

彼らの目前で、いきなり逃走していた人間の集団が南北に分裂する。
そのおかげで、彼らに遮られて見えなかった、<猪名川>の東方が幕を開くようにその姿を現す。

それはまさに死と破壊の幕開けだった。


そこに在ったのは高々と組まれた柵の壁。
その壁の奥にズラリと並んだのは、彼らラルヴァとはまた違った黒色の塊。
鉄によって作られた人工物。


彼らはそれを知らない。
知識として持たない。

だが、彼らの中にそれを知るものがいたならば、その名をこう呼ぶだろう。

【大筒】と




「砲撃開始」

セリオという名の心を持った人形が宣告する。


そして、火薬と破壊と闘争の庭が、今此処に現出した。



    続く





  あとがき


八岐「という訳でラルヴァ包囲殲滅作戦の導入編です」

栞「三日間一気にやっちゃいましたね。大雑把というんでしょうか…」

八岐「細かくやるのもどうかと思うけど…」

栞「まあ言われればそうですね」

八岐「そうでしょ? さて次回予告いきましょう」

栞「……ねえ、八岐さん? 最初のほうに比べてあとがきに手を抜いてません?」

八岐「聞こえな〜い、聞こえない」

栞「……ダメ人間ですね」

八岐「次回予告ーー!!」

栞「はいはい、わかりました。次回はラルヴァ殲滅編。銃声と爆音と断末魔をBGMに、戯曲を踊るラルヴァたち」

八岐「次回第四四話『FINAL FIRE STRIKE』 どうぞ、ご期待のほどを〜」

栞「それでは、また次のあとがきで」

八岐「さよーならー」



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