その作戦の概要が各将に明示された時、彼らが示した反応は一律に絶句であったという。
歴戦の指揮官である彼らだからこそ、
この作戦内容がいかな無茶をしているかが如実に見て取れたのだろう。
少なくとも、私は親友である赤毛の娘が見せた百面相をよく覚えている。

だが、意外にも彼らは反対することなくその作戦を諾々と受け入れた。
彼らの詳しい心理と考えはわからない。
ただ、

「まあ、毎度のことさ」

こう肩を竦めながら言ったのは、御音共和国の南明義という将である。
この発言を残した彼が、かつて革命戦争で川名みさき、深山雪見という二人の天才に最もこき使われた将である事が、彼女たちが今までどんな風にあの内戦を戦ってきたかという事を示しているのではないだろうか。
そして、その能力と無茶が革命戦争に勝利をもたらしたという事を。

ともあれ、三華三国による大作戦…
後に史上最大の作戦と呼ばれることになる【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】はこうして幕を開けたのだった。


東鳩帝国情報総監 長岡志保・回顧録より
















魔法戦国群星伝





< 第四十二話 双撃殲歌 >




御音共和国刺原州



「ね、ねぇ、ちょっと!? 大丈夫なの?」

長岡志保は今さらながら、興味本位でこの戦闘に同行した事を後悔し始めていた。
オロオロと落ち着き無く周囲を見渡す彼女に、傍らの青い髪の女性が大丈夫ですよ、と優しく諭すように言う。

「だ、大丈夫ったって……」

そんなにあっさりと保証されて安心できるほど、彼女は心素直な人間ではなかった。
縋るように御音側の同行者に眼をやるが、彼は彼で何処か捕らえどころのない微笑みを張りつけているだけで、こちらの不安など頓着する様子も無い。
そもそもこいつは誰なのよ? と志保はいかぶしげな視線を投げかける。
名前は氷上シュン。帝国情報部門のトップである自分がまったく正体を知らない人間だ。 だいたい御音のどこのポストについているのかさっぱりわからない。
怪しさ極まりない人物だ。
不安の極致という状況の中で、頼りにしたい二人はただただ微笑うのみ。
志保は心細げにため息をつくしかなかった。


ラルヴァ六芒星南西点・御音共和国中東集合団<ブラッディー・ブラック>
彼女たちがいるこの場所はその支配領域に奥深く斬り込んだ刺原州此橋。
無論、ラルヴァたちは自分たちの領域に入り込んできた軍勢を見逃すはずもない。
ブラッディー1から確認されているブラッディー30までが既に集結を開始しているだろう。
この無謀極まりない人間たちの軍隊を、喰らい殺すために……
ブラッディー5を始めとする幾つかの小グループは既に御音軍により壊滅させられているが、それでも四万鬼を超えるラルヴァが迫っている。
他にもまだ未確認の小グループが存在する可能性も高い。最後に実態調査がなされて後に召喚されたラルヴァも多数いるだろう。下手をすれば敵の総数は五万鬼を超えるかもしれないのだ。
長岡志保が恐怖に近い感情を抱くのも無理はなかった。

だいたい、作戦の不備をたった一個軍に押し付けようってのが間違いなのよ

仕舞いには大本営の面々の顔を思い浮かべ、ヤツ当たりまで始める始末だった。

だが、彼女の感想も常識から当てはめるなら決して間違ってはいない。
彼女の傍らで平然と微笑んでいる女性―水瀬秋子が非常識なのだ。




ラルヴァ包囲殲滅作戦【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】は、その内実を完成させていくにつけ、致命的な不都合が見え始めた。
ただでさえ、囮紛いにラルヴァを誘い、こちらの思惑通りに引きずりまわすことは難しい。
それを幾らなんでも六つのラルヴァ集合団全部を誘引するのは実現不可能と判断されたのだ。
決戦ポイントは帝国内に指定されている。対してラルヴァたちは御音やカノンなど、大陸の広範囲にわたって分布している。
遠すぎるのだ。必然的に後退戦闘を余儀なくされる誘引戦、ただでさえ困難な後退戦闘をこの長距離で実行するならば、囮役の担当部隊はまず耐え切れず壊滅する。
このままでは作戦自体が暗礁に乗り上げかねなかった。

ここで<奇天のみさき>は再び荒業に出る。
決戦ポイントから最も遠い地点に位置する二つのラルヴァ集合団。つまり

ラルヴァ六芒星南西点・御音共和国中東集合団<ブラッディー・ブラック>
ラルヴァ六芒星北西点・カノン皇国中東集合団<ミラージュ・ラプターズ>

の二個集合団は包囲殲滅戦の対象から排除するというのである。
無論眉を顰める者が多かった。川名みさきの無二のパートナーである深山雪見ですら、難しい表情で黙り込んだ。
異常なペースで魔界から召喚され続けているラルヴァたち。ここで二個もの集合団の残しては、結局数的優位を確保出来ないのでは? という懸念である。
そもそも全ラルヴァを殲滅するという作戦自体が虫のいい話なのだが、それが実現しそうだった現状で今さらそれに意識を向ける者は少ない。それに彼らの懸念も的を外している訳ではなかった。
この殲滅作戦が終了するまでに、ガディムの本拠を突き止め、全ラルヴァを駆逐した後、新たなラルヴァ達が召喚されるまでに、ガディム本拠を総軍で押し潰す。
もしラルヴァ集合団を二個も残したならば、それにかかりきりになっている間に新たなラルヴァの大軍が投入されてしまい兼ねない。そうなれば、ガディムとの最終決戦に充分な戦力を投入できないのではないか、という不安がどうしても拭い去れなかったのだ。

対し、みさきの返答は凶悪なものだった。

残りのラルヴァ集合団は【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】決行中に、別働少数部隊により各個に殲滅してもらう、と。


これには周囲も唖然とするしかなかった。
自然と非難の嵐がみさきを叩く。
話にならない。もし、少数部隊による各個殲滅が可能なら、これほど苦労はしていないと次々にみさきに詰問に近い疑問が投げかけられた。

ところが、カノン皇国の宰相 倉田佐祐理の一言からこの紛糾していた事態は反転する。

「ええっと、集合団を殲滅できる部隊なら、心当たりありますよー」






かくして、彼らは今、ここにいる。

かの軍勢の名を水瀬公爵軍。
一名を<完全なる青(パーフェクト・ブルー)>という。


もはや行ける伝説とすら云われる強さを誇る水瀬公爵軍。
その数一万四〇〇〇。
かつてたった一〇〇〇の兵で三倍の矢島機動騎士団を破った百花ヶ原会戦
そして僅か一万で五万の諸侯軍を撃滅した第二次ものみヶ原会戦

彼女とその軍勢は、常に自らを上回る兵力と相対しながら、常に相手を圧倒し続けた。
そして、今から始まる戦いは、それすらをも遥かに上回る壮絶極まりない戦となる。

ラルヴァの獣じみた吼声が聞こえはじめた。

「…来たね」

氷上という名の青年の声が静かに響く。
志保はごくりと生唾を飲み込んだ。







――同日


カノン皇国旧麻生伯爵領

乳白色の気体が彼らの周囲に立ち込めていた。
深く深く、視界の先は薄ぼやけてしまっている。
だが、ラルヴァの群れは気にする風もなくその中を突き進んだ。
その内にあるものは破壊の衝動。
ただ目前にいる敵を喰らい尽くすのみ

ただそれだけが彼らの存在意義、生存本能。
造られしモノとしての在り方、性。

彼らは躊躇なく霧の中を突き進んでいく。 逃げ惑う人間たちの影と気配を追いかけて……

その気配に決して追いつくことが出来ないという事を知らずに……







普段は落ち着いた雰囲気を醸し出している少女の眼差しは、今、険しさを湛えながら眼下へと向けられている。
朗々と響く多人数による呪の合唱。
山岳に響くそれは儚き幽玄の怨声にも聞き違えそうなほどの薄ら寒さを感じさせた。
立ち込める乳白色の霧が、足元の谷間へと立ち込めている。
恐らく、その霧すらも、この呪により生まれ出でたものだと、琴音は確信した。
その幻霧の中へと次々と姿を消していく…
黒色の人型にも似た、されど決して人にあらざる異形の魔物―ラルヴァと呼ばれる魔が

「これは…呪的迷界(スペル・ラビリンス)ですか?」

「ええ、その通りです」

透き通るような白衣を身に纏い、少し色の抜けた淡い緋色の髪の毛を肩口に切り揃えた少女が、すす、と琴音の傍らに立ち、答えた。

「陰陽符法院の迷封結界法の奥。名を《黄泉津比良坂の界( よもつひらさか  さかい)》と申します」

「黄泉津比良坂…黄泉の国へと繋がるという冥路ですか……」

「如何にも。この迷界へと足を踏み入れたものは、その身が朽ちるまで果て無き霧中を彷徨い続けます」

天野美汐は殊更冷たい表情を浮かべ、視線を眼下へと滑らせた。
朗々と続く呪の響き。
この幾重にも重なる呪の響きが、大迷界を創り上げ、着々と数万もの魔を誘い封じていく。


迷幻の谷。
その周囲に散開し、呪を唱え、この惑いの霧を生み出している白衣に白袴を身に纏った術師たち。

陰陽符法院戦法師団『鈴音』

一流の戦闘技術を習得した符術師三百余名を有する大陸唯一にして最強の魔術戦部隊。
その力は三万の軍勢にも匹敵すると噂されていた。

恐らくそれは、全くの誇張無き真実であろうと、琴音は染み入るような寒気とともに思う。
もし、自分がこの『鈴音』を三華大戦の初頭に潰しておかなければどうなっただろう。
少なくとも、三華大戦の行方に多大な影響を与えたことは間違いない。

確かに『鈴音』はたった一人の琴音という少女に敵わなかった。
だが、だからといって『鈴音』が無力というものではない。
あくまで彼らは戦場、つまり対集団戦に威力を発揮する戦力であり、一人の天才と相対せば、術師一人一人の実力が問われ、『鈴音』としての威力を発揮できない。
矛盾しているかもしれないが、これもまた現実というものである。

「それにしても……たった三百で三万を越すラルヴァたちを殲滅するとは……」

「これはあくまで不意打ちに過ぎませんよ」

と、美汐は特に誇ることもなく淡々と言った。

「同じ手はもう通用しないでしょう。魔術を扱うものが多少気を配っておくならば、直ぐに察知できる類の術ですし……まあ今回に関してはありったけの幻術をばら撒いてラルヴァたちを幻惑していますから、今のところまんまと迷界に飲まれていますね」

美汐の言う通り、ラルヴァたちは憑かれたように霧の中へと突進していく。
もはやカノン皇国のラルヴァ集合団<ミラージュ・ラプターズ>の大半が迷界へと飲み込まれていた。


「…総領」

不意に背後から声がかかった。
いつの間にか湧き出るように美汐と琴音の背後に現れた壮年の符術師が小声で囁く。

「どうしました?」

「迷界の門符、界門符に魔力の逆流が感じられました。恐らく内側から<黄泉津比良坂>を脱しようとする者がいるかと」

「気づかれましたか……まあこの術は大軍封殺用で大した結界強度はありませんし、一度存在を察知されたなら力ずくでも破られるでしょうが…」

「まだ迷界深くに踏み込んでいないラルヴァたちは現界へと戻ってしまうと思われます」

「数は?」

「既に<ミラージュ・ラプターズ>の大半は黄泉へと迷いました。恐らく、最後に入ったミラージュ1の3分の1近くが出てくるかと」

「約五百鬼ですか……まあ悪くはない数です。いいでしょう。総員に合戦準備を通告してください」

「はっ」

しばし諦観したように瞑目した美汐は傍らで沈黙するかつての好敵手を振り返った。

「お聞きになったとおりです。やはり楽な仕事という訳にはいきませんでしたね。これから少々荒事になりますが、琴音さんはどうなさいます? 貴方はあくまで観戦官という立場ですが…」

「無論、お手伝いさせていただきますよ」

ふわりと微笑んで言った琴音に、美汐はふっ、と瞼を閉じ、口元を小さく綻ばせた。

「ありがとうございます。琴音さんはお客様ですし、お手間をかけさせるつもりはなかったのですが」

そう言って再び見下ろした美汐の視線の先で、ちょうど大きな爆発音と共に突風が巻き起こり、谷に充満していた白霧が一気に吹き散らされる。
そして霧の後に残されたのは、黒き異形の軍団。

「……」

美汐の視線が一匹のラルヴァに合わされた。
黒き集団の中ですら一際目立つ、夜の漆黒。闇の暗黒。
頭一つ飛びぬけた巨体を震わして、周囲の魔力を震わして、咆哮する魔物。

「指揮個体」

琴音が忌みし者の名前を言うように囁いた。
美汐がなるほどと頷く。

「指揮個体…あれがグレーターラルヴァ、ラルヴァの上位種。このラルヴァ集合団<ミラージュ・ラプターズ>の指揮個体『ウーラガン』ですか」

指揮個体…グレーターラルヴァ。
先の魔王大乱においてその存在を明らかにしたラルヴァという魔物。そのラルヴァたちを統括するモノがグレーターラルヴァというラルヴァの高位種であった。
彼らはろくな知能を持たぬラルヴァと違い、自らで思考する。
その力は通常のラルヴァとは比較にならず、魔王大乱でも多数の犠牲者を出した強大な化け物であった。

その存在はこの第二次魔王大乱でも確認されており、各ラルヴァ集合団にそれぞれ1〜3鬼のグレーターが認められていた。
この<ミラージュ・ラプターズ>で確認されている指揮個体は一鬼。『ウーラガン』という個体名を与えられている。

「あれが…結界を破った張本人ですね」

そう美汐が呟いた瞬間、凄まじい咆哮を放っていた『ウーラガン』がピタリと動きを止め、赤色の眼が美汐の視線とぶつかった。
『ウーラガン』の赤眼が怒りを迸らせる。自分の配下であるラルヴァを壊滅させられた事への怒りか、はたまた自分を睥睨する彼女への怒りか。

美汐は真っ向から視線を受け止め、無言で眼差しを険しくすると、周囲によく通る声で決然と告げる。

「総員、戦闘状況へ移行! 全魔術使用自由! 近接白兵魔術戦の開始を宣告します!!」

命令が飛んだ次の瞬間、弾かれたように森の中から次々と白衣を纏った符術師たちが飛び出し、様々な武器や符を携えて黒色の集団へと疾風のように駆けていく。
迎え撃つようにラルヴァたちが咆哮。先行した符術師たちを援護するべく、後続の符術師から放たれた魔術が、ラルヴァの魔術防壁や攻撃魔術と干渉し、次々に爆裂した。

「スゴイ、これが魔術戦部隊の戦い…」

一瞬にして十数鬼のラルヴァが爆裂に飲まれ、ラルヴァの群れに飛び込んだ符術師たちが、その武器で符術で次々と黒魔たちを薙ぎ倒していくのを目の当たりにして、感歎の呟きを漏らす琴音を一瞥した美汐は、懐からなにやら取り出しながら声をかけた。

「私も出ます。琴音さんは…」

「お手伝いするといいましたよ」

取り出した棒の符を破り、一振りして滅魔薙刀『白鷹斬魔』へと変じた美汐は、静かに答えた。

「では参りましょう」


タッ、と軽い足音が響き、清なる白衣が宙を舞った。
白の袂を羽根のように翻し、翔ぶように岩肌を駆け降りる。

未だかすかに漂う霧の中を、緋袴の赤がフワリと閃いた。

斬魔の薙刀を振りかぶり、崖を駆け降りざまに眼下のラルヴァを斜撃一閃。
ザザ、と砂を滑る美汐の傍らで、袈裟懸けに両断されたラルヴァが灰化する。と同時に、美汐は手にした『白鷹斬魔』をクルリとまわし、持ち変えると槍のように投擲した。
白霧を切り裂いて翔んだ純白の刃が火炎を喚んでいたラルヴァの黒い胴体を串刺し、その勢いのまま背後の木の幹に縫いとめる。

一瞬、無手となった美汐に背後から2鬼のラルヴァが襲いかかった。
だが、その爪が届くか否かの刹那にガツン、という鈍い音が響き、ラルヴァたちの首が巨大な鉄球に激突したように唐突にへし折れ、木の葉が舞うように軽々と吹き飛ばされ動かなくなった。

超能力で援護してくれた琴音に感謝の一瞥を送り、素早く美汐は地を蹴る。
直後、それまで立っていた場所を一陣の突風が薙いだ。
必殺の一撃を回避され、悔しげに吼える黒魔を睨み、淡い緋色の髪の少女が囀るように口ずさむ。

一重二重(ひとえふたえ)と身を分かち、八重九重(やえ このえ)と斬り刻む 告げる! 告げる! 汝は刃 敵を微塵と切り裂く、死氣燦然の旋風なり!」

そして、突進してきたラルヴァを滑るようにかわし、すり抜け様に刀印を切りつつ四枚の呪符を飛ばす。

「《散乱旋符(さんらんせんぷ)  微塵斬躯(みじんざんく)》」

起動呪の解放とともに、ラルヴァの周囲に纏わりついた四符が散華。瞬時に斬撃の竜巻と化し、黒の悪魔を飲み込んだ。
文字通り微塵に切り刻まれたラルヴァが消滅するのを見向きもせず、美汐は戦場を見渡した。そして微かに安堵したように頷く。

流石は大陸に名を馳せる戦法師団『鈴音』である。魔術、体術ともにラルヴァを圧倒し、符術師たちは片っ端からラルヴァたちを駆逐していた。そこに300と500の数の差による不利など全く見当たらない。
だが、

「美汐さん!!」

声を張り上げ琴音が指差した方角を見た美汐は顔を顰めた。
彼女が見たのは松明のように燃える人型、胸を貫かれ白衣を真っ赤にそめた壮年の男。黒魔の足の下に踏み潰され動かない死体。

美汐は刹那、怒気をたぎらせ、駆け出しながら叫んだ。

「全員、『ウーラガン』から離れなさい! それは私が相手をします!」

「片腹痛イゾ、人間ノ小娘ェ!!」

『ウーラガン』は赤色の液体を滴らせながら、牙を剥き、大声で笑った。

「下手な人語は耳障りです」

美汐は抑揚のない声音で言い捨てた。
その平坦さが逆に強い嘲りの意図をグレーターに感じさせる。
『ウーラガン』は眼を剥いて唸った。

「黙レ、人間ゴトキガ何ヲホザクカァ!!」

そして背中の黒翼を大きく広げると、全身を震わせて咆哮した。

「グオオオオオオオオ!!!」

咆哮が大気を震わせ、魔力が一気に凝縮されていく。そして、次の瞬間、弾けたように空間が光り、数条の雷撃が駆け寄ってくる美汐めがけて放たれた。

美汐は素早く二枚の符を取り出し、切るように前方に飛ばす。
黄金色の線条は空中でその向きを変え、吸い込まれるように符へと直撃し、轟音と共に爆散した。
そのまま美汐は爆煙を突っ切り、何を思ったか白衣の袂を翻して跳躍する。

白霧の宙に緋袴の赤色が閃く。
その下で、魔物の異相が嘲りと殺戮への予感に浮かれ塗れた。

「ハハ、馬鹿メ隙ダラケダ、死ネ! ギォォオオオオオ!!!」

轟きが『ウーラガン』の目前の空に凝縮され、引き攣るような軋みが響く。
そして衝撃の塊が生み出され、頭上より襲い掛かろうとする美汐めがけて投げつけた。
美汐の後を追って走ってきた琴音が、それを目撃し顔を蒼ざめさせる。

「美汐さんっ!!」

だが、その悲鳴も虚しく無色の衝塊は空中の美汐を直撃した。


「ナニ!?」

「え!?」

『ウーラガン』と琴音は思わず声をあげた。
衝撃の塊は正確に美汐の身体を撃ち砕き、その身を粉々にした。
だが、粉砕されたはずの美汐の肉体が、瞬時に数十枚もの呪符へと変化し、はらはらと虚空に舞い落ちる。

「…未熟」

その静謐な声はすぐ傍らから聞こえた。
『ウーラガン』はゾッと身を凍らせながら反応するも、時既に遅し。
次の瞬間、脇腹に感じた凄まじい衝撃に、グレーターラルヴァは絶叫した。

「グッ!? グガアアアアアアアアアア!!」

いつの間にか『ウーラガン』の懐に飛び込み、掌底を抉り込むように巨体の脇腹に叩き込んでいる白衣の少女。
その掌と『ウーラガン』の肉体の間に在るのは一枚の符。

「在らざるべきもの、在るべきもの 全ては我が古志のままにあり 汝は韻を震わす鳴なれば、汝、縁を崩す壊となす」

符が光り、そして震え、鳴動する。

「ヤメ――」

「全ては始へと帰りけり 塵は塵へと…帰りけり」

そして告げる。
決定的な滅びを…

「《滅却殲符(めっきゃくせんぷ)  崩至鳴壊( ほうし めいかい)》」



   バシュン!

美汐の、静かな、そして厳かな声が響いた時、 極限まで熱した石に冷水を撒いた時のような軽い爆発音と共に断末魔の絶叫は唐突に途絶えた。

風に吹かれて黒い砂がさらさらと空へと散っていく。
そして……どう、という音とともに倒れた『ウーラガン』の右半身は抉られたように存在していなかった。
やがて、その死体は美汐が見下ろすその前で残った残骸を灰と化し、完全に消滅した。


「グレータークラスのラルヴァを一撃ですか」

多分に感嘆と畏れの入り混じった琴音の声に、美汐は振り返りながら死闘の興奮も無く淡々と答える。

「以前、友人に見せてもらった妖術をモデルに造ってみた分子結合崩壊の術です。直接接触しながら起動呪を解放しなければいけないのが欠点ですが、予想以上に上手くできました」

「オリジナルですか」

琴音が驚くのも無理はない。
今現在使われている魔術の殆んどが、盟約暦前の魔法時代に原型を作られたものだ。
それ以降の魔術は原則的に、これまであった魔術の改良がメインである。
盟約暦が始まって以来、新しく創製された魔術など、百を超えてはいないだろう。
いくらモデルの妖術があるからといって、妖術と魔術ではかなり魔術大系の異なるのだ。魔導術と符法術の差どころではない。大した参考にはなるまいに。だがそれにも関わらずあっさりと、しかもこれほど強力な魔術を造りあげた美汐の魔術センスに琴音は素直に感心した。
魔術を殆んど扱えないとはいえ、学術として魔術を探求する者の端くれとして、琴音は思わず尊敬の眼差しを美汐に向けた。

「……?」

妙に熱い視線を受けて何を思ったのか、美汐は誤魔化すようにコホンと咳払いをした。
そしてチラリと琴音の様子を窺うと、気を取り直したように白衣の襟を正して身繕いし、済ました顔で言った。

「さて、とりあえずは任務完了ですね。少々予定外の事もありましたが」

グレーター・ラルヴァとの死闘を少々と言ってのける少女に、琴音はもう一度呆れの吐息をついた。
笑みを浮かべながら。

美汐は琴音の笑みの意味に気づく事もなく、ふと顔をあげ南の空を見上げると、遠くを見つめながら呟いた。

「秋子さんの方はどうなっているでしょうね」








御音共和国刺原州



ラルヴァが赤い血を流したならば?

その地は紅の大海へと変わっていただろう。

ラルヴァがその屍を残したならば?

その地は黒き骸に覆い尽くされただろう。





「…………」

言葉も無い。
長岡志保にとって、そんな思いを抱くのは初めての体験だった。
ただただ絶句し、目の前の戦いの後を呆然と見つめる。
いや、実際は最初から最後まで言葉も無く戦場の行方を呆然と見つめているだけだった。

「…で…」

呆然と、何かを呟いた志保に、氷上は首を傾げて、

「で?」

「デタラメよー!!」

「うーん、同感」

頭を抱え、ブンブンと豪快に首を振って泣き叫ぶ志保に、にこにこ笑いながら青年は穏やかに相槌を打つ。

「さすがは世界最強と噂される『完全なる青(パーフェクト・ブルー)』……例え相手が人外だろうと問題なしか」

ラルヴァ六芒星南西点・御音共和国中東集合団<ブラッディー・ブラック>
その総数四万四千を数えたラルヴァの群れは、つい先ほど完全にして永劫にこの大盟約世界から消滅した。
水瀬公爵軍の手により、完膚なきまでに消滅した。


そして残る最後の二鬼。

<ブラッディー・ブラック>指揮個体。

個体名『パルミット』と『エタンダード』


青き軍勢に取り囲まれながらも、黒き二鬼は狂気の如き闘争本能を漲らせている。
だが、軍は動かず、ただ一人の女性が供も連れずに黒魔の前へと進み出た。

彼らにも感情はある。
恐怖という感情はある。

わずか二時間にも満たない時の流れの内に、率いる軍勢全てを撃滅されては、彼らとて抱くのは恐怖しかない。
だが、ラルヴァという存在が最も強く持つものは衝動。
破壊であり、殺戮である暴力へと渇望。

『パルミット』と『エタンダード』は自身の内に生まれた恐怖を、怒りへと変じさせた。
目の前に立つ、一人の青い髪の女に向けて、衝動を解放する。

吼える。

咆哮が法則を捻じ曲げ、力を具現化する。
凝縮する魔力が光を帯び、エネルギーの塊が誕生した。

だが、青い髪の女は動ずることなく二体のグレーターの前に佇むだけ。

グレーターは矮小なはずの人間が自分の力に怯えないことに苛立ち、さらに怒りの咆哮を高くする。
そして、まるで太陽のような輝きを発するまでに力を蓄えたエネルギー塊が弾けた。
それは黄金色の奔流となり青い髪の女を飲み込もうとする。

青い髪の女――水瀬秋子は慌てるでもなく、迫る光を一瞥した。

ふっ、と光は消えた。
まるで最初から存在しなかったかのように、エネルギーの奔流は唐突に消え去ってしまった。

唖然とする周囲を余所に、スタスタとグレーターに近寄る秋子。
そして、優しげに、まるで子守唄でも唄うような声音で囁いた。

「もういいでしょう…お眠りなさい」

その声が、大気の中に紛れて消えたと同時に、『パルミット』と『エタンダード』は跡形も無く消失した。
あっけなく、一瞬にして、どこかに転移してしまったかと疑うほど、簡単に……


消えてしまった。



秋子は微笑む。
この世界という舞台から退場した彼らを、見送るように。




「何よ…今の」

志保が恐怖すら含んだ声を漏らす横で、青年――氷上シュンは納得したように頷いた。

「全ては彼女の意のままに…か」

誰ともなく、あえて言うならば、傍らに居る存在に語りかけるように口ずさんだ。

「それほどまでの力を持ちながらもあえてその存在を変えない。あの人は眼は何を見ているんだろうね」

―たぶん、それは普通の人と同じじゃないかな―

「なるほど」

返ってきた答えに満足するように青年は穏やかに笑った。
だが、一瞬だけ、その身を陽炎のように透き通らせ姿を現した幼い容貌の少女は、その横顔を見てため息をつき、ふわりと消えた。

言外に含ませた意図に、氷上シュンは気がつかなかった。
いや、結局、彼は気づこうとしないのだ。
何もかもが手遅れになるまで。いや、手遅れになってさえ、依怙地に気づこうとしない。
ただ傷つくだけ。

自分もまた普通の人間に過ぎないと言うことに、眼を逸らすのだ。

幾度も、幾度も後悔しているはずなのに。

最近、それが今さらながら彼女の気に触る。
それが自分の変化によるものなのかは、よくわからない。

(あの人は変わらない。でも君は変わるべきなんだよ)

その呟きは誰の耳にも届かぬままに風の流れへと溶け込んでいった。










ラルヴァ集合団<ミラージュ・ラプターズ>並びに<ブラッディー・ブラック>殲滅完了
オペレーション【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】現在進行中



    続く





  あとがき


八岐「という訳で、今回は「輝く季節作戦」――こう書くと間抜けだ――の助攻編。天野君と秋子さんの大活躍〜」

栞「というよりデタラメです、秋子さん」

八岐「ははは(汗)」

栞「秋子さんだけで全部解決できちゃうんじゃないですか?」

八岐「それは云ってしまうと終ってしまう禁句です」

栞「えう〜。それにしても八岐さん」

八岐「はい?」

栞「あとがきの度に性格変わってません?」

八岐「……さてさて、次回予告いきましょう」

栞「ああー!! 無視ですか!? 無視するんですね!!」

八岐「うー、だってそんなこと云われても……」

栞「別に変えるなとは云いませんけど、無視しないでください! では次回予告行きましょう。次回は【輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)】始動編、ラルヴァ殲滅作戦開始です!」

八岐「第43話『ART OF WAR』 どうぞよろしく〜」


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