魔法戦国群星伝





< 第四十一話 VALKYRIE GARDEN >




御音共和国刺原州


黒色の群影が胎動し、それ目掛けて雷光の如き火閃の束が煌めく。
硝煙立ち込めるその場所の名は戦場。

遥か上空から俯瞰するならば、黒雲にも見える蠢きが、その黒色を漣の如く広げていくのがよく観えただろう。



「敵ラルヴァ、さらに増加中! 四百! ご、五百! さらに五十の増加を確認!」

「敵戦力すでに五〇〇〇を突破! このままでは弾幕突破されてしまいますっ!」

「これは…ブラッディー5の総数を上回っています。近隣のブラッディー7と8も集まってきているとしか…」

「あっそう」

御音共和国の将の一人である南明義は悲鳴のような報告に、気の抜けた返事を返した。
事前に受けた情報では、敵…つまりラルヴァの戦力は<ブラッディー・ブラック>と呼称されるラルヴァ集合団の、ここ刺原州で活動を確認されたグループ…ブラッディー5の約一五〇〇鬼と目されていた。
それが接触交戦を開始した途端に何処ともなくラルヴァが出現しだしたのだ。
恐らく他地域に群棲していたグループも呼び寄せられてきたのだろう。
たまったものではなかった。
南隊の戦力は三〇〇〇。既に敵の戦力の方が多くなってしまっている。
まあ、まだやりようによってはどうとでもなる段階だが、初めて人外の存在と戦争をする彼以外の幕僚、兵士の心的不安定さは予想以上に大きい。
南から言わせれば、人間相手の方がよっぽど厄介なのだが……

「将軍、一時撤退を…」

「おいおい、馬鹿言うなよ」

南は半眼となって進言した幕僚をねめつけた。

「まだ近隣の避難は済んでないんだぜ? 俺たちゃもうちょいここで粘らんとダメなのよ」

「しかし! このままでは!」

「あー大丈夫、大丈夫」

銃声の轟音の響きを背景に、南はパタパタと仰ぐように掌を翻しながら言った。

「さっき七瀬さんから連絡があって……」

「左翼! ラルヴァ数鬼が戦列を突破!」

「おっと構うな! 左翼前衛に銃火を集中しろ、穴があいたら一気に押し寄せてくるぞ。入り込んだやつは槍隊で囲んで潰せ」

フラフラと虚空を漂っていた手を、すっ、と前線に指し示し、素早く命を発して、乱れかけた戦況を押し留める。だが、南は周囲に分からぬ程度に眉を寄せた。

流石にそろそろ限界か? もうちょい自由に部隊を動かせるならやりようはあるんだけどなあ。まあ、ここらへんの住民が避難するまでの時間稼ぎだから仕方ないっちゃ、仕方ないんだが…

困ったように南が小さくため息をついた瞬間、さらに一際高く怒号が響く。

「報告! さきほどの戦列内での戦闘で魔導師数名が負傷! 左翼の魔力防壁が減衰してます!」

「ダメです! 敵魔術攻撃を消去しきれてません。余波が防壁内にまで影響を――!」

「左翼統制射撃乱れてます! 敵の突撃を阻止しきれません! このままでは左翼を全面突破されてしまいます!」

「あたっ、そりゃ拙い」

これには南の顔も険しくなった。
このままでは戦線は崩壊、乱戦に突入する。
乱戦となったら、こちらの優位条件である統制射撃が効果を発揮できない。
一体一体が並みの人間を凌駕するラルヴァを相手に、乱戦に突入することは即敗走に直結しかねない。

「それは出来るだけ避けたいなぁ」

困ったようにポリポリと髪の毛を掻き毟った南は、ひょい、と右手を振って命令を下した。

「仕方ない、予備を左翼につぎ込め」

「え? しかし…」

「今欲しいのはとにかく時間だ。後のことは考えなくていいさ」

南はゆっくりと諭すように言うと、ほれ、と促すように顎を振る。

「早くしろ。マジで突破されちまう」

「はっ」

予備隊…南の本陣で待機していた南隊の最後の戦力が劣勢の左翼に向かう。
その直後だった。

「ラルヴァ数鬼さらに戦列を突破!」

「後続は!?」

「銃兵隊の集中射撃で抑えました!」

「ならよし」

「よくありません! ラルヴァこっちに来ます!」

「……げ、まじ?」

さすがに泰然自若としていられず、南は立ち上がった。
本陣からは折れた槍を肩口に突き刺したまま、こちらに向かって突進してくる黒色の巨体がよく見えた。

心底困った風に深い深いため息をつくと、

「俺ってあんまり剣とか使えないんだよね」

いや〜参った、といった感じで腰に差した剣を抜く南。
毎度の事ながら、なんでこの人はこんなにお気楽なんだろう。と疑問符を浮かべながらも、迫り来る脅威と対するべく剣を抜く幕僚たち。
そうこうしている間にも突進を阻止しようとする兵士たちを振りきりながらラルヴァの巨体が目前へと迫った。
丸太のような腕を振り上げ、咆哮する。

その瞬間、

   ガツン!!

凄まじい轟音と共に、どこからともなく飛んできたハルバードがラルヴァの顔面にめり込んだ。
断末魔の悲鳴すらあげられず吹っ飛び倒れるラルヴァ。

「ごめ〜ん、遅くなった」

「いや、ギリギリ大丈夫っすよ…七瀬さん」

振り返って言った南の言葉に、大薙刀を肩に担いだ七瀬留美が莞爾と笑う。
そしてその得物を振り翳し、吼えた。

「おっしゃー、総員突撃開始! 前へ進めぇぇ!!」

一勢を引き連れた七瀬留美が先頭を突っ切り、最前線へと突進していく。
それを見送った南は一言。

「う〜ん、さすがは七瀬さん。いい乙女っぷりだぁ」

「馬鹿ね。あれは漢っぷりがいいっていうのよ」

背後から聞こえた、呆れと、どこか誇らしげな気配の混じった声に南は苦笑を滲ませ答えた。

「こりゃまた広瀬さん。また七瀬さんのお守ですかい?」

「誰がお守よ!! まったく、他人に言われたくないわね。そんなのは自分でわかってりゃいいのよ!」

またまた身も蓋もないことを…、と内心で笑いながら南は、軽やかに部下が引いてきた自分の馬に跨ると、

「さてと、七瀬さんだけ突っ込ませるわけにはいかないからねぃ。俺も出るけど、広瀬さんは?」

「ふん、行くわよ。だってお守だもん」

「まーまー、拗ねなさんなって」

と二人が喋っている間に七瀬隊は迂回してラルヴァ達の側面から襲い掛かっている。

「おあっと、早く行かないと終っちまう。出るぞ!」

「ほら、私たちも行くわよ!!」

徐々にラルヴァ勢に押され始めていた南隊も、七瀬隊の参戦に意気軒昂となり勢いを取り戻している。
そして、その目前では大薙刀をぶん回してラルヴァを片っ端から薙ぎ倒していく七瀬留美を先頭に、七瀬隊がラルヴァ勢を蹴散らし始めていた。


現在、グエンディーナ大陸で繰り広げられているガディム軍と三華同盟軍の戦い。
これは各地で行われている幾多の戦い、そのほんの一幕である。





カノン皇国東部域 御門城 大本営


「結局な、問題は数やねん。数」

石畳の堅い廊下で吹き込む風の冷たさに少し目を細めながら、保科智子は傍らを歩く少女に語りかけた。

「はあ」

触角のような前髪を揺らして相槌を返す少女の横顔をチラリと眺め、智子は続けた。

「個々の戦闘を見たらみんなようやっとる。押しとる言うてもええ。一部では撃破すらしとる。それでもあかんのや。 どうしてもこっちの投入する戦力が少ないから決定的な勝利に結びつかんねん。ラルヴァの方はどんどん魔界から召喚されよるから際限なしや。限があらへん」

「ラルヴァが大陸のあちこちに一度に現れたのも、原因ですね」

「そや。おかげでこっちも兵力を分散せなあかんくなった。住民の避難かて人手と手間が倍増や。総兵力やったらまだこっちが勝っとんのに、各戦場で数負けしとるのはその所為や。 ったく、前ん時はけっこう一ヶ所に集まっとったから楽やってんけどなぁ」

「そうですねぇ」

ただの貧乏な(とても貧乏なとも言う)町娘だった自分が国の中枢に関わる羽目になったあの魔王大乱を思い出しながら、しみじみと彼女―雛山理緒は頷いた。

ガディムがこの大盟約世界に再臨してから、つまり第二次魔王大乱が勃発してからそろそろ一ヶ月が経過しようとしている。
すでにガディムの降臨より先行して大盟約世界へと送り込まれ続けていたラルヴァは、ガディム降臨とともに活動を開始。周囲の都市・村落への攻撃し始めた。
三華の各情報機関が分析した結果、現在のところラルヴァは幾つかのグループ…集合団に分かれていることが判明。
これらの集合団はグエンディーナ大陸の各所に、六芒星を描くように点在していた。
それぞれ、

最北点―カノン/東鳩国境地帯集合団 <ウィスパー・デビルス>
北東点―東鳩帝国北西集合団 <ケーニヒス・ナハト>
南東点―東鳩帝国南西集合団 <ルフト・ツイノーバ>
最南点―御音/東鳩国境地帯集合団 <バインド・チェイサーズ>
南西点―御音共和国中東集合団 <ブラッディー・ブラック>
北西点―カノン皇国中東集合団 <ミラージュ・ラプターズ>

と、呼称されている。


ラルヴァ集合団、その正確な戦力は不明。
それぞれ四万から五万と思われるが、確認作業の困難さと、総数の変動が激しく厳密な把握は難しかった。



――ラルヴァはただ破壊するのみ

先の魔王大乱の際に評されたラルヴァの行動パターンはこの第二次魔王大乱でも同様だった。
当初、ごく一部の地域に押し固まっていたラルヴァたちは、やがて真円を押し広げるがごとく、徐々に集団の行動範囲を広げていった。
その途中にある村落や都市は問答無用で襲撃され、破壊し尽くされる。
結局、三華が最初に行った軍事行動は、ラルヴァ集団の周囲に点在する居住区からの住民の避難と、ラルヴァの侵攻を押し留めることだった。

「でも……このままじゃいつか増えつづけるラルヴァに数で圧倒されてしまいます。今のうちになんとかしなきゃいけないんですよね」

どこかコマネズミのような印象を与えながらも、すっとした真っ直ぐな視線を向ける理緒を智子は頼もしげな眼差しで見返した。

「そりゃそうや。そのために、アンタにもこっちに来てもらったんやから」

理緒はその言葉に小さく苦笑を浮かべると、ホントは前線に居たかったんですけどね、と呟いた。

これまで一個軍団の長として、最前線で活躍していた彼女だったが、今回の対ガディム戦を機に前線を離れ、大本営の戦争計画指揮官に就任している。
この魔王軍来襲という災厄を前にして、雛山理緒という稀代の人材を前線で遊ばせておく余裕は三華にはなかった。
実際、雛山理緒が戦争計画の全般を任されるようになって以降、軍勢の運用効率が以前と比べても数割アップしている現状を見れば、この判断は正解だったといえるだろう。
理緒自身は多少不満だったようだが、ろくに準備も出来ないままにガディムの侵攻に晒されたにしては被害が最小に食い止められている現状も、彼女の手腕なくばもっと収拾のつかない状態になっていただろう。

ちなみに雛山軍団の方は彼女の弟である雛山良太が後を引き継いでいる。



少し寂しげな理緒の様子にすまなそうに瞼を瞬かせた智子は、ため息まじりに呟いた。

「一番の良策は元凶を潰す事。つまりはガディムをやっつけてまえばええんやけど…」

「居場所…まだ特定できてないんですか?」

「まだやな。それなりに候補は絞っとるみたいやけど……確証はとれてへんみたいや」

不確定な情報やったらこっちも迂闊に動けへんしなぁ、と少し疲労の感じさせる声音で智子は呟いた。

「まあ、ガディムをどうこう出来へん以上、ラルヴァをどうにかせなあかん。それがうちらの役目っちゅう訳や」

少し足早に進めていた歩みを止め、ある部屋のドアの前に立つと、智子は理緒を振り返って肩を竦めるように言った。

「って事で、かの御音共和国の至宝たる『奇天のみさき』がこれまたおもろい作戦を練り上げたってな話や。まあ、聞いてみようやないか」

そう言ってドアを開いた智子と理緒の視界に3人の女性が映る。

三華連合参謀本部『大本営』…その異名である『バルキリー・ガーデン』の代名詞ともいえる戦女神たち…

蜂蜜色の透き通った髪の毛を白滝のように靡かせながら、傍らの女性と談笑している彼女は名を倉田佐祐理。
その佐祐理の相手をしているのは桜色の髪の毛をストレートに下ろし、少し鋭い目つきを今は和ませている深山雪見。
テーブルに突っ伏しながら、むにゃむにゃと幸せそうな寝顔で昼寝に勤しんでいるのが川名みさきだった。
その情景はどこか穏やかで、ある意味『庭園』の名に相応しくも見える。

「なんっちゅうか…和やかやなぁ」

苦笑を浮かべながら入ってくる智子と目を瞬かせながらキョロキョロと顔を巡らしている理緒に、雪見は談笑を中断して薄っすらと片目を細める。

「変に堅苦しくないほうがいいでしょ? さて、とりあえずのメンバーは揃ったかしら?」

「あははー、そうですねー」

「うふふ〜、まだ腹六分目だよ〜」

幸せそうな寝言を呟くみさきに、みんなの何ともいえない視線が集まった。

「ほら、みさき、起きなさい。まったく、夢の中まで食べてるんじゃないの」

「にゅ〜、んん? あれ? 雪ちゃん……わたしの「レ・セルブレス」どこにいっちゃったの?」

「な、何よ、そのれ・せるなんたらって…」

「えっとねぇ。仔牛の脳味噌料理」

「……何喰ってるのよ、あんたは」

「えー、美味しいよ〜」

「夢の中の話でしょ」

「う〜」

「そろそろええかな、お二人さん」

いつの間にか席についていた智子が笑いを噛み殺しながら言った。

「例の対ラルヴァ作戦とやらを聞きたいんやけど」

バツが悪そうに視線を泳がせる雪見と、まったく動じることなくニコニコと笑っているみさきの対比がなかなか面白い。
あははー、という笑い声が間を取り持つように響く。

「とりあえず、大まかな作戦原案を作ってみたわ。まだ骨組みだけど目を通してちょうだい」

冊子の束を受け取った佐祐理がフレームの無い眼鏡をかけながら、ふと思いついたように訊ねた。

「これは川名さんの発案ですか?」

「ええ、一応みさきと私で形にしてみたんだけど」

「あの、倉田さん? 眼鏡なんてなさってたんですか?」

「あははー、気分ですよーっ。ちょっと知的に見えるでしょう」

「はぁ」

困惑気味に頷く理緒の横で、智子が、同じ眼鏡でなんでこうも印象ちゃうんかな、と内心首を傾げながら端目で佐祐理の様子を見るとはなしに見つめた。
そして、視線を手元に落とす。

しばらく無言で智子、佐祐理、理緒の三人は資料に目を通した。
冊子を捲る音と、みさきが出された茶菓子を猛スピードで消費していく音だけが響く。

だが読み進めるにつれて三人の表情が険しくなっていった。

「はぇ〜」

佐祐理の口からため息とも感嘆ともつかない吐息が漏れた。
智子は眉を顰めて眉間を指で擦っている理緒をチラリと見て、パタンと冊子を置いた。
そのまま外した眼鏡を懐から取り出した清潔そうな布で拭きながら、考え込むように沈黙した。

恐らく湧き上がった困惑を整理しなおしていたのだろう。
智子はしばらく眼鏡を拭いていたが、やがて布を仕舞い、眼鏡をかけなおし、レンズ越しにも厳しい視線を雪見に向け、小さくも強い声音で問い掛けた。

「なあ、率直に聞くけど……本気か?」

その言葉を予期していたように雪見は不敵な表情を浮かべながら「ええ」と一言言ってのけた。

「正直言って机上の空論としか思えませんよ」

佐祐理の普段と変わらぬ笑みを浮かべながらも、笑っていない目が雪見とみさきを射抜く。
理緒はまだ眉間を擦って考えに耽っていた。

「勿論、問題点は色々あるし、細部に関してはこれから煮詰めていかないとだめだけど…基本ベースはこれしかないと思ってる」

「六つあるラルヴァ集合団。これを一箇所に誘い集めて全軍を以って包囲殲滅する」

雪見の後を受けてみさきが口を開く。
少し眠たげだった光のないみさきの眼差しが、智子にはすっと冷え込んだような気がした。

「そして、私たちは以前、同様の作戦を成功させているんだよ」

「……演劇作戦(プロジェクト・シアター)…ですか」

雛山理緒が資料から顔をあげもせず、ぽつりと呟いた。

「なるほど…革命戦争の最終決戦。御音王国軍を完全包囲撃滅した奇跡の大作戦『演劇作戦(プロジェクト・シアター)』……これはみさきさんと雪見さんの合作でしたね」

「しかしなぁ。二番煎じが成功するか? だいたい今回は御音国内だけの狭いフィールドやない。大陸全土にラルヴァは広がっとる。しかも六つもグループが別れとるんや。難易度が桁違いや。正直条件厳しいで……」

「無理かな?」

自身の策を否定気味に指摘されているにも関わらず、どこか笑いを含んだように言うみさきに、佐祐理は戸惑いながらも作戦の骨子を思い浮かべながら言った。

「…確かに無理と言い切ることはできませんね。作戦の屋台骨はしっかりしてますし、予定通りに進めば成功するかもしれません。ですが…智子さんの仰る通り条件が厳しすぎます」

「条件ね……それで、必要なものは何なのかしら」

必要なモノと問われて佐祐理は考え込んだ。
細かすぎる作戦要求に、大胆すぎる大枠。まさに机上でしか成功しないような作戦だ。机上では 全てが此方の思う通りに進むからこそ作戦は成功するように見える。だが実際は思い通りに進むことなどありえない。そもそも立案された作戦通りの戦力から揃わない方が普通だ。そのうえ今回要求されているモノは非常識と云ってもいい。

「そうですね。まずは大量の軍勢ですね。各地に分散したラルヴァ集合団を誘い出し、それを一箇所に集めて包囲殲滅するにはかなりの大軍を必要とします。一〇万程度では利きません。
第二に兵士の質です。ただでさえ後退戦闘中心になる誘引戦です。それも相手はあのラルヴァ。戦闘経験の少ない兵士が耐え切れるものではありません。殲滅戦だって簡単じゃありません。指揮官の思い通りに自在に動かせる事ができるような歴戦の強兵でないと…すぐに作戦は破錠します。
第三に指揮官です。自ずと緻密になるであろうこの作戦。しかもミスを許容する余裕があまりありません。指揮官の責任は重大です。軍勢を自分の手足のように自在に進退でき、しかも困難極まりない作戦要求に応える事が出来る能力を持った指揮官。それをこの場合両手の指を越すぐらい揃えなければいけません。
そうですね。この三つを完全にクリアできない限りは、全く成功の可能性はないでしょう」

自分でつらつらと言葉を並べて佐祐理は思わず笑った。

「あははー、ハッキリ言って、これは将や作戦家ならば一度は夢想する理想の戦力ですよーっ。それこそ仮想の上でしか存在しえない力。リアリティのない夢の果てにあるモノと云っても……過言で…は……」

笑い飛ばすように連ねていた言葉が徐々に弱まり、佐祐理の笑顔が固まってしまう。

「……んな」

佐祐理と同様の事に気がついた智子もなんと言っていいかわからないという混乱した表情でみさきと雪見を見つめた。
雪見は肩を竦めながら薄く笑った。

「そういうこと。今、私たちの手の中にある戦力は……まさに作戦家にとって究極かつ理想の戦力そのものと云ってもいいものなのよ」

「御音・カノン・東鳩を合わせて三〇万を越す兵力。その三〇万の殆んどが御音革命戦争や三華大戦を潜りぬけた歴戦の兵士なんだよ。そして、世界中のどこに出しても…歴史上のどの時代に現れたとしても、まず間違いなく一流より上に属するであろう部隊指揮官がそれこそ両の手の指だけじゃなくて、足の指まで数えないといけないぐらいにぞろぞろと揃ってる…」

佐祐理と智子は半ば絶句しながら顔を見合わせた。
自分たちが握っていた力は勿論把握していたが、改めて指摘されて今さらながらそれがどんな代物だったかを気がつかされたのだ。
それにしても、イマイチ実感が湧かない。

佐祐理は少し呆然としながらも、思わず言った。

「はぇ〜、それって世界でも征服できちゃうんじゃないですかぁ!?」

「やろうと思えば、まあやれんことはないなぁ」

智子はなんとも言えない顔で呟いた。
いきなり何でも望みの叶う魔神の出てくる壺でも持たされた気分だ。

「わかるわよ。いきなり夢想が現実だって気がついてもね。実感なんかできないわ。でも……生憎とラルヴァを殲滅するにはそれが必要なのよ」

雪見はそう言うと、まだ考えに耽っている理緒に顔を向けた。

「そう…そして三〇万…これだけの数の軍勢を動かすのにどれだけの労力が必要か……。それに…それだけじゃない。包囲殲滅を完全に達成するには……」

一瞬、キュッと唇を結ぶと、雪見は理緒に訊ねた。

「雛山さん…聞くわ……出来る?」

雪見の問いかけは簡潔だった。
兵力があるからといってそれがすぐに実用的な戦力に直結するわけではない。
雪見の問いかけは、三〇万の兵力を戦力として運用できるのか?
そしてその三〇万の戦力をこの大作戦の筋書き通りに動かすことが出来るのか?
そして、この作戦の締めである包囲殲滅を成功させるための物資を揃え、投入出来るのか?

要は戦争計画全般を担う彼女…雛山理緒に、この作戦が実行できるのかを訊ねたのだ。


理緒はピタリとさきほどから続けていた眉間を指で揉むという動作を止めた。
そしてピンと触角のようになった前髪を指先で弾くと

「さっきから色々と想定や計算をやってみたんですが…」

その言葉に智子が軽く目を見張った。

ほう…私らみたいな先入観を持たずに、最初から実行するために何が必要か、どうやり繰りするかのシミュレーションをやっとった訳か……
しかもこの短い時間で…

その智子の称賛と畏怖の入り混じった視線の先で、理緒は悠然と口を開き、

「結論から言えば可能です。……というより」

一度、言葉を切り、面持ちをあげて自分を見つめる女性たちの顔を見回すと、口元に薄く不敵な笑みを浮かべ言い放った。

「…私ならやれます」

「ほう」という感嘆のため息が漏れた。
ともすれば傲慢とすら聞こえかねない言葉だったが、その何の衒いもない声音には雪見たちもただただ頼もしく思うしかない。

「すごいね、理緒ちゃん。今のカッコよかったよ〜」

「えっ!? いや、あの、そんなつもりでは…あは」

自分の云ってしまったセリフを思い出し、顔を真っ赤にして恥ずかしがる理緒に柔らかい笑みを向けながら、雪見は言った。

「じゃあ、この作戦…採用という事でOKかしら?」

「あははー、そうですね、反対する理由はありませんし……それに…包囲殲滅作戦…軍に関わる人間なら一度はやってみたい作戦ですしねー」

「そうやな。私も成功の可能性が高い言うんやったら、ちょっとやってみたい言う誘惑には勝てへんわ」

苦笑を滲ませ、賛成の手を挙げた智子は雪見とみさきに訊ねた。

「それで? 作戦名はどないするん? また演劇作戦(プロジェクト・シアター)っちゅうわけにはいかんやろ」

演劇作戦(プロジェクト・シアター)第二幕……そうだね、オペレーション<ストラーレン・ヤーレスツァイト>なんてのはどうかな」

理緒の瞳が楽しげに細まる。

「オペレーション<ストラーレン・ヤーレスツァイト>……作戦名は<輝く季節へ>…ですか」

腕を組んで眼鏡の奥の瞼を閉じた智子の口元が不敵な笑みを象り、佐祐理が徐に眼鏡を畳む。

「ふふ、なかなかええんとちゃう?」

「あははー」

それじゃあ、と雪見は流れるような動作で立ち上がると、居並ぶ戦女神たちを見渡した。

「三華連合参謀本部『大本営』はラルヴァ完全包囲殲滅作戦こと作戦名<輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)>の採用を決定します。これより同作戦を実行可能な段階に練り上げなければなりません。各方面への働きかけ、研究、検討を始めましょう」






東鳩帝国 帝城



「なるほど、<輝く季節(ストラーレン・ヤーレスツァイト)>ね、結構結構」

大仰にうんうんと腕組みをしながら頷いて見せた東鳩帝国皇帝 藤田浩之は次の瞬間ギロリとその凶悪な目つきで目の前に立つ深山雪見と川名みさきを睨みつけ、

「…で、だ。なんなんだよこりゃ!」

資料の束をバラバラと捲って見せ、バン、と投げ返した。

「なに…って、この作戦に必要な物資だよ」

「そりゃわかってるがな」

屈託なく答えるみさきに勢いを削がれながらも言い返そうとした浩之を遮り、雪見がそっけなく言ってのける。

「対ガディム戦において、帝国は優先的に物資を供与する。これは停戦条約及び三華同盟規約にも明示してありますよ」

「勿論覚えてるよ。だがこれは……無茶苦茶だ。第一これを使う手間を考えたら絶対魔術(アブソルート・マジック)を使用した方が経済的にも効率的にも絶対にいいだろうが!」

苦虫を潰したような表情で、浩之は立ち上がって机の上に手をつくと、続けた。

「カノンにはあの水瀬名雪がいるし、こっちにだって絶対魔術(アブソルート・マジック)を使えるヤツはいる。わざわざ面倒な事をしなくてもいいだろう?」

「永遠の盟約……この問題がある以上、絶対魔術(アブソルート・マジック)は使えません」

冬の朝の空気の如き雪見の言葉に浩之は、はんっ、と鼻を鳴らすと、小賢しい教師の間違いを正すような口調で言い放った。

「永遠の盟約ね。魔術による大量虐殺を阻止するために成立した世界の呪いか! だがな、あれは肉体からの魂の喪失、すなわち『死』に反応して発動するという話だ。そして…ラルヴァには魂がない」

「無魂型魔造生命体…だね」

みさきが補足するように呟く。

「そうだ。ラルヴァという存在は生物ではなく魔法で生み出された木偶人形。しかもマルチやセリオみたいに心だって持ってない。やつらにあるのは死ではなく消滅。これじゃあ永遠の盟約は発動しないんじゃないのか?」

「そうね、確かに盟約が発動する可能性は低いわ」

そうだろう、と首肯する浩之の表情が雪見の次の一言で険を帯びた。

「でも、それはあくまで可能性に過ぎない。盟約が発動する可能性は0ではないのよ。盟約の全貌を私たちは正確に理解しているわけではない。それどころか、ラルヴァだってその全ての生態・秘密を解き明かした訳じゃないのよ? あなたは一国の元首でありながら百%の確証なく、自分の国、それに同盟国である私たち御音とカノンを消滅の危険に晒すつもりなの?」

氷のような冷たさを秘めた声音に応えるように、浩之の眼差しが凍るような光を帯びる。
そして口元に冷笑を浮かべた。

「詭弁だな」

「…………」

みさきは一瞬、雪見と浩之の間の空間に氷の火花が散ったような感覚を受けた。

「……だが」

浩之は氷気の眼差しを遮るように瞼を閉ざし、首を竦めながら両手を挙げた。

「一理ある事も確かだ。降参するよ」

「…………」

雪見の口元が皮肉げに歪み、みさきは小さくため息をついた。
それを気にする風もなく皇帝は続けた。

「まっ、確かに賭ける対象がグエンディーナの全人類ってのはリスクが大きすぎる。しかしなあ……」

浩之は泣き笑いのような情けない表情を浮かべて頭を掻いた。

「これ、全部うちが出すのか? そりゃちょっと厳しすぎるぜ」

「あら? 今、貴方たち東鳩帝国が秘密裏に建造中の鉄甲船群…あれに設置予定の新型を供出してくれたらいいじゃない? それで数は揃うんじゃないの?」

何食わぬ顔で、さり気なくとんでもない事を言った雪見に対して、ビクン、と浩之の片眉が跳ね上がる。
ニコニコと笑っているみさきと、口元に微笑を浮かべている雪見を見比べるように眺めて、彼はふう、とため息をついた。

「ったく、敵わねーなぁ。わかったよ、わかりました。要求どおり必要な物資はちゃんと用意するよ。それでいいだろ?」

「結構です。皇帝陛下」






「聞いた? みさき。『詭弁だな』ですってよ」

浩之との交渉を行っていた応接室を出たところで、雪見はそれまでの不敵な表情を一変させ、一気に不機嫌になった。
舌打ちするように言う雪見に、みさきは、雪ちゃんご機嫌斜めだぁ、と内心苦笑を浮かべた。
確かにこちらの思惑を言外に指摘されたならば、気分はよくないだろう。
みさきは宥めるような調子で言った。

「聞いたよ。牽制かけてきたね、あの人」

「あれで貸し作ったつもりかしらね。まあ、あれぐらい強気でないと皇帝なんかにはなれないんでしょうけどね」

「でも、雪ちゃんも悪だよ〜」

「何でよ」

みさきの手をしっかりと握って歩き出しながら、彼女はそっけなく聞きかえした。

「別に絶対魔術(アブソルート・マジック)を使っても良かったのに、わざわざアレを供出させて……そりゃ一言言いたくなるよ。もう詩子ちゃんには何基かちょろまかすように命令してあるんでしょ?」

「当たり前でしょ? 新型よ、新型!! かっぱらって解体だの研究だのしないかぎり幾ら経っても帝国に技術力は追いつかないわよ」

それに、といいながら雪見は前髪を掻きあげた。

絶対魔術(アブソルート・マジック)は使わなくて済むなら使わない方がいいのは事実よ。だいたいこの間、水瀬さんがものみヶ原で使ったときだって、後でかなり厳しい苦情が舞い込んだらしいじゃない」

「ああ、妖族から随分と怒られたみたいだね」

水瀬名雪がものみヶ原会戦の際に絶対魔術(アブソルート・マジック)で白穂山を吹き飛ばした後、妖族からカノン皇国にやや強めの抗議が舞い込んだ。
ものみヶ原のすぐ南にものみヶ丘という場所がある。そこは現在、妖族を束ねる大妖 玉藻の住まう隠れ里へ繋がるゲートが存在する場所だったのだが、絶対魔術(アブソルート・マジック)の余波で空間が乱れ、実害は出なかったもののかなり冷汗をかかされたらしい。
以前から水瀬家と玉藻に交流があったために多少の嗜め程度で済んでいたのだが。


「とにかく絶対魔術(アブソルート・マジック)は地形やら自然環境を根こそぎ変えかねないからね。出来るだけ使わない方がいいわ。だから、アレを出させるのは必要不可欠なの。そりゃあ、帝国の技術力を盗むのに現物が欲しかったのも確かだけど」

当の帝国の本拠地にいながら平然とスゴイ内容のセリフを大声で言う雪見に、みさきは止める風でもなくニコニコと笑う。

「大体、なんだかんだ言ったって、向こうもこっちの思惑をわかってて了承したんだから文句を言われる筋合いはないわよ」

「パワーバランスが崩れるのはあの人も本意じゃないだろうしね」

パワーバランス…それは深山雪見、川名みさきの懸念は、御音上層部に纏わりつく懸念だった。
現在は御音とカノン、そして帝国の関係は比較的良好。同盟内の位置も対等で差はない。
だが、漫然と時を過ごしていたならば、その関係も簡単に崩れていくものなのだ。

現在三華三国のパワーバランスは上手く天秤を保っている。だが、それがひとたび崩れたならば三華同盟内での立場に優劣が出来るだろう。
たとえ、三華の首脳部が対等な関係を望んだとしても、である。国家間の関係とはそうしたものだ。
だからそこ、御音は国力を上げる努力を惜しんではいけない。この対ガディム戦争の最中であろうとも。

御音が他国に優するものは、現在のところ、軍事力だけである。
革命戦争という激戦を潜り抜けた歴戦の兵士、老練な指揮官、不帰不断たる指導者層。そのすべてが戦争というものを知り尽くしたプロフェッショナルだ。
以前、セリオをして最強と言わしめた御音共和国軍。その骨子はここにある。

だが、それも雪見などに言わせれば、いずれ胡散霧消してしまうアドバンテージだ。
兵がいくら強かろうと、平和が続けば鈍ってしまう。
帝国の豊かな土地を背景にした国力と、魔導院を中心とした魔法技術、長瀬源五郎を筆頭とした高度な技術力の蓄積。どれも御音にはないものだ。
カノンですらも、先の三華大戦での諸侯権力の崩壊を背景に、新体制を確立。それまでの非効率な面を排し、急速に国力を伸ばしつつある。また妖族との繋がり、陰陽符法院との結びつきも大きい。
さらには三華の中で海外との交易を物凄い勢いで推し進めているのがカノンだった。相沢祐馬元子爵を中心とした外交官の活躍で、海外貿易に関しては帝国をも上回る利益を上げている。
だが、内戦で荒廃した御音共和国は全てが遅れていた。海外への進出は皆無。国力は衰退し、技術力は停滞。魔法に関しては教育機関が機能していなかったために魔術師の絶対数が他の二国と比べてかなり少ない。
藤田浩之が、御音の狙いを知りつつも黙殺したのは、三華同盟のバランスが崩れることを恐れたためであった。
既に三華三国は互いに協調し合いつつ成長していくように、国家運営の方向性は定まってしまっている。
今さら再度統一戦争を起こせるような状態ではない。そこでどこか一国が衰退するなら、諸に他の二国にも影響が出始めてくる。
尤も、まだ同盟は端を発したばかりであり、他国を斬り捨てようと思うなら、まだ間に合う段階だった。
その中で藤田浩之が雪見たちの思惑に無言で乗っているのは、御音が確実に成長する事が望めるからこそ、でもある。
御音は今、投資に値する国であることは確かなのだ。

無論、浩之も優位性を簡単には譲り渡したりはしない。
例の鉄甲船に搭載する備品に関しては情報封鎖は厳命していなかったものの、当の鉄甲船そのものに関しては、御音もカノンもその正確な情報は入手出来ていなかった。
後々海外に影響力を伸ばすつもりの浩之にとって、切札とも言える鉄甲船群であるからして、それも当たり前といえば当たり前だったが。

結局、一番大切なのは、三華が極端な差を持たず国力を伸ばしていく事。
まあそれに比べたら、多少技術力を盗まれたり戦争に金がかかるぐらいは浩之にすれば対した事ではなかった。

たとえ個人的な付き合いは友人同士になれるとしても、所属する国家というものは例え同盟を結んだとしても常に緊張状態にある。
互いの生存と反映を認め合った三華同盟といえど、このような鞘当や裏の駆け引きは避けられないものだった。



「とりあえず、物資に関しては確約を得たわ。後は作戦を完全な形に練り上げるだけね」

「色々と不都合な点や、無理だとわかった側面が出てきてるしね。大変だよ」

みさきはこれからの面倒さを思いつつ、そろそろお腹が減ったなぁと、これから何を食べるかへと思考を移していった。
それを横目で見ながら、雪見はふと思う。

みさきを帝国に預けたら、食費で財政赤字になんないかしら……





    続く





  あとがき


栞「うわっ、今度は戦争ですか」

八岐「まあ一応ファンタジー戦記モノらしいからね、このSSも」

栞「らしいって……また曖昧な。それで? 今後はどうなるんです?」

八岐「しばらくはこの<輝く季節>編だねぇ。それで次回だけど」

栞「作戦開始ですか?」

八岐「うん、ちょっと違うけど、そうだよ」

栞「また曖昧ですねぇ。もう次回予告行っちゃいましょう」

八岐「はいはい、それでは次回第41話『双撃殲歌』 お話の序盤に琴音ちゃんに潰された美汐ちゃんの率いる戦法師団『鈴音』の登場と相成ります」

栞「ああ、そういえばそんなのがありましたね」

八岐「覚えてない人も多いだろうねぇ(苦笑) ま、とりあえず美汐ちゃん活躍の巻ということで」

栞「次回もよろしく〜」

八岐「さいなら〜」


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