魔法戦国群星伝





< 第三十六話 翼の記憶 >




カノン皇国某所


空が蒼い。
蒼さが、目に沁みる。

俺は冬の空を見上げながら、蒼穹という言葉を何とはなしに思い浮かべた。




来栖川家別邸での戦いから一週間。
俺たちは今、カノン皇国東部のある城にいる。
最初の帝国軍の侵攻で城主を失った空き城だ。

ここで今から三華の首脳による極秘会談を行われようとしていた。

帝都へと侵入した俺―相沢祐一以下九名は、近衛鉄熊兵部隊の護衛(監視?)のもと、この城へと到着した。
もっとも神岸あかりの本来の護衛対象は帝国側のメンバー、藤田浩之・保科智子・長岡志保の三名であった。
帝国の文字通りの中枢である三人だ。

城では既に通達を受けて、名雪の独立魔導銃兵隊を連れた佐祐理さんと久瀬が、俺たちを待ちわびていた。
こちらも宰相である佐祐理さんに、情報を一手に管轄する久瀬侯爵とカノンの要である二人。


そして今

「あ! 茜ぇーー!!」

ぶんぶんと手を振りながら柚木詩子が城門から飛び出していく。その先には新たな一行の姿があった。
御音共和国大統領 小坂由起子。そして二人の女性の姿がある。前の会談の際に出会った人たちだ。深山雪見と里村茜。戦略の女神に謀略の魔女、まさに御音の中核を担う女性二人。
そして彼女らを守るように黄金と黒の毛並みを持つ巨獣がその背後に姿を現す。恐らくあれが『大地の剛虎(ベヒーモス・タイガー)』とかいう魔獣だろう。ならばあの魔獣の側にいる柔らかい雰囲気を纏った女性が『猫を手懐ける者(キャット・テイマー)』長森瑞佳か…。
彼らの護衛は強襲魔獣兵団ということらしい。

御音・カノン・東鳩と各国の国主と国家運営の中核である人物が集まった。

つまりは役者は揃い踏みといった所だな。

城のテラスからその様子を見ていた俺は、傍らで物珍しそうに御音の面々を眺めている北川の様子をそれとなく窺った。

あの夜にこいつが見せた貌…それを見た俺は結局言うべき言葉を見つけることができなかった。
だが、あれ以後、北川の様子は以前と全く変わりないように見える。
あの時見た魂の無い人形のような表情が単なる勘違いだったのかとすら思うほどに、北川はいつもどおり俺とバカをやって笑い、香里にちょっかいを出して殴られている。

……そう、何も変わっていない

そうやって自分も信じていない事を納得させていると、当の北川がいきなり口を開いた。

「すっげえでかい猫だな。あれがベヒーモスタイガーってやつだよな」

「ああ、大陸でも最強の魔獣って評判の……ちょっと待て、北川、今お前何ていった!?」

「あん? あれがベヒーモスタイガーだよなって――」

「いや、その前」

「その前? えっと、何て言ったっけ…すっげえでかい……猫」

「…猫」

そう…猫である。

俺と北川はタラリと汗を流してしばし見詰め合うと、ゆっくりと振り返った。その視線の先では…

「……ネコサンダオ〜」

俺はこれから起こるであろう騒動を、ありありと脳裏に思い浮かべられる事に絶望を覚えつつ、我が従姉妹を取り押さえるために腕をまくった。






御音一行到着から半日後、極秘首脳会談は開始された。

ところで首脳会談ともなれば、それぞれ参加者は正装に身を包み、双眸には強い意志を宿し、これから行われるであろう国同士の綱引きに勝利するためにこれ以上ないほどの生気に満ちた表情をしている。というのが普通ではある。
が、実際には、会議が始まった際、参加者のほとんどが服はもちろん身もボロボロ、心身ともに疲れきっており、とてもこれから国益を左右する会談へと望むような姿ではなかったという。

まあ、水瀬名雪に追いまわされた八匹のベヒーモスタイガーが城中を駆けずり回ったのだ。それも無理はない。

狂声(ネコサンマツンダオ〜等々)をあげながら迫る名雪にパニックになったベヒーモスタイガーたちは、それぞれ有数の固体戦闘能力者であるはずの三華の面々をあっさりと蹴飛ばしながら逃げ回ること三時間。止めようとした者、逃げようとした者の区別無く騒動に巻き込まれた。
その惨状は竜巻が通り過ぎた後の如しという言葉が伝わっている。

ところが、列席する参加者の悉くが笑っちゃうような酷い有様の中で、何故か小坂由起子と里村茜だけは、巻き添えを食う事もなく涼しげにしていたという。

なお、後世に至るまでこの騒動が小坂由起子の仕組んだものだったのでは? という陰謀説が根強く論説されている。
曰く、猫狂いである名雪の暴走を見込んで、強襲魔獣兵団を護衛として選んだのではないか。曰く、猫たちを暴れまわさせる事で他の参加者を大混乱に陥れ、疲弊させ、後の会談のイニシアティブを握るつもりだった。

無論、カノン側が水瀬名雪を連れてくるかどうかもわからず、実際来ていたからといって状況がどうなるかは定かではない。また御音の側も酷い目にあった者がいる(折原浩平が猫に踏み潰された。上月澪がこけたところを蹴飛ばさて目を回した。長森瑞佳が猫を止めようとしてどこかから飛んできた花瓶の水を引っかぶり風邪をひいた等々)のだから、あくまで邪推に過ぎないという説が色濃い。

だが、この後の首脳会談の推移を見れば、その説も頷きたくはなる。



会談は紛糾した。
それぞれの国益がかかっているのだ。幾らボロボロであろうと誰も引き下がりはしないし、容赦もしない。また参加者全員が史上に名を残す傑物揃い。会談の行方は容易ならない方向へと向かうと思われた。
が、やがて風の吹く方向は御音へと向いていく。

御音大統領 小坂由起子。伊達にこの会談参加者最年長ではなかった。
癖のある御音の主要メンバーを取りまとめる長年に渡る過酷な革命戦争の勝利者。幾多の裏切りや謀略を乗り越え、多くの政治巧者を捻じ伏せた彼女にとって、いかに切れ者揃いとはいえ、カノンも帝国もまだまだ子供でしかなかった。

結果、御音がこの会談で手にした戦果には目を見張るものがある。

東鳩帝国の侵攻政策の永久凍結の確約。
御音共和国への復興資金の無担保貸出に、今度の対ガディム戦争での全戦争資金の無償供与
長距離射程銃『フェルスノーン』の優先供与と開発技術の提供などなど。

言わば、御音の一人勝ちと言っても良かった。
元々、侵攻を受けたカノンと違い、御音は自国内での戦闘を行っておらず、戦争被害はさほど受けてはいない。
そこに加えて、今後カノンからの資金援助も引き続き享受する事もあり、今後の戦争で御音が失う財的資源は皆無に近い(ラルヴァによる被害は除く)。むしろ、復興資金が増える分、内戦の痛手から回復する時期は完全に早まるだろうとさえ言われた。
また、通常の火砲より確実に一世代新しい新式銃『フェルスノーン』も、カノンが数挺の試供品を手に入れただけという事を考えれば一人勝ちという言葉も頷ける。




こうして、御音が会談を有利に取りまとめつつも、ここに正式な三華大戦の終結が確認され、和議が成立した。
同時に小坂由起子、藤田浩之、美坂香里の三国主は、大陸全土に魔王ガディムの再臨を公表、三国協同による魔王討伐を行う事で合意する。

後のグエンディーナ三華連合国の基となる三華大国同盟の成立であった。
勿論、連合国云々は後世の話である。


さらに、会談では三国共同の戦争指導機関の設置も決定し、各国の軍首脳が集って今度の共同戦線の方向を位置付ける事となった。

この戦争指導機関には、カノンからは倉田佐祐理、帝国からは保科智子、御音からは深山雪見と川名みさきが参加が決定される。
それぞれが女性。それも有数の美女が揃い、さらにその一人一人がこの大盟約世界1000年の歴史でも類を見ない稀代の軍略家であった。

後に大盟約世界全域に其の名を轟かせる事となる三華連合参謀本部『大本営』…別名『戦女神の庭園(バルキリー・ガーデン)』誕生の瞬間だった。





§




「…茜」

何故か出ない声を無理矢理ひねり出し、弱弱しく呼びかける詩子に、茜は微笑んだ。

微笑んだのだ。

親友を心配させまいと。
詩子にしかわからないほど微かな辛さを滲ませて。
里村茜は微笑んだのだ。



慟哭が聞こえた。










柚木詩子は悩んでいた。
常に積極的に驀進する詩子にとって、悩みとは縁の薄いものだ。
それは考えなしという意味ではない。彼女はいつも決断している。それだけだ。

だが彼女とて悩む事はある。

そして彼女が悩むのは常に彼女の親友のことだ。

それは…どれだけ彼女が親友の事を大事にしているかの証でもあった。




城島司…彼は詩子のもう一人の親友であり、幼馴染。
詩子の初恋の人でもあり、失恋の相手でもあった。
まあ端的に言えば、自分の目から見ても彼ともう一人の幼馴染はお似合いだったという事だ。
互いに不器用で思いを通じさせる事は苦手だったが、それを見ているのも楽しかった。
不思議と、辛いと思うことはなかった。

彼らが参加した革命軍。その中でも詩子たち三人は常に共に在った。

だが、その心地よい日々も唐突におわりを告げる。



城島司が姿を消した。

革命戦争時のある負け戦で、司が死んだと聞かされた時の親友…里村茜の様子を詩子は今でも明瞭に覚えている。

それは、ただ生きているだけの人形

周りから見れば、詩子自身も普段の快活な性格は影を潜め、別人のようだったのだが、彼女は自分の事などまるで顧みてなどいなかった。
詩子は、ただひたすらに茜を気遣い、彼女を励ました。



詩子は自分がどれだけ無力だったかを決して忘れてはいない。



魂を失った人形のように黙々と働く茜を痛切な思いで見守りながらも詩子は戦った。
相手は王制軍でもあり、崩れ落ちそうになる心でもあった。

彼女の笑顔の裏にある痛みを悟っていた者は少ない。


だが、王制軍が敗北し、革命軍に勝利が訪れた時、唐突に状況は変化した。


新体制を創るに明け暮れたある日、茜は小坂由起子に呼び出される。
茜が由起子の下から戻った時、既に彼女は人形ではなくなっていた。
茜は詩子の前で、歓喜を滲ませて笑い、そして泣き崩れた。

もっとも、その理由を問うても茜は首を振るだけだったが。


だが、日々を重ねる毎に茜の様子は影を落としていった。
時折、こちらの胸を掻き毟るような悲痛な表情を浮かべ、苦痛に耐えるように寡黙を押し通した。
やがてそれは季節の移り変わりとともに薄れてゆき、彼女は以前のように感情を表すことなく、皆から一歩離れたスタンスを取り、黙々と仕事をこなすようになる。

だが、その様子は詩子から見て、以前とは決定的に違っていた。
司の死の直後のような魂すらも失ってしまった人形のような彼女とは決定的に違って見えた。
例え、無感情であろうと、氷の魔女と言われようと、茜はかつてのようなただ死んでいないだけの人形ではなく、確かに生きようとしているように見えた。

詩子は、ずっと、茜が徐々にとはいえ司の死を乗り越え、克服していっているのでは、と思っていた。
茜はやっと前を向いて小さくはあるが歩き始めたのだと思っていた。



今日、詩子は茜に会った時、その思い込みが徹底的に間違っていた事を思い知った。

親友である彼女にしかわからない、茜の心の綻び、苦痛。

詩子は彼女が立ち直っていたなんて幻想に過ぎなかった事を悟ってしまったのだ。
彼女は感情を、心を、すべてを凍らせていたに過ぎなかったのだ。

何がその凍れる茜を溶かしたのか、きっかけはわからない。
でも、彼女は今、苦しんでいる。
氷が溶けた事で、苦しんでいる事を思い出してしまった。
茜は誰かのせいで苦しんでいる。
いや、ずっと苦しんでいたんだ

親友の心を、苦しみを今まで悟れなかった自らを、柚木詩子は憎悪した。

柚木詩子は決意する。

その決意が形を成すのは、もうしばらく先の事である。





§





「あゆが!?」

驚いて振り返った祐一に、普段のおっとりとした気配を潜めた名雪が真剣な双眸を瞬かせる。

「うん、今お母さんから急使が来たの」

それはあゆの昏睡と祐一の帰還を求める伝書だった。
内容に眼を通すに連れて、祐一の表情が険しくなっていく。
それを見守っていた香里が彼らに告げた。

「相沢君、先に帰りなさい。名雪も付いていって。部隊の方はいいから」

命令とも取れるその言葉に祐一は感謝の視線を向けると、帰還の準備をまとめるべく部屋を飛び出していった。慌てて名雪も後を追う。

「あゆさんが……?」

心配そうに呟く妹に、香里はわざとそっけなく告げた。

「悪いけど栞はダメよ。こっちもゴタゴタしてるから貴女に抜けられると困るの。それに…大丈夫よ。相沢君を信じなさい」

はい、と頷く栞の頭を香里はポンポンと叩く。
それまで無言でいた北川が、姉妹の仲良さげな姿に目を細めた。




カノン皇国 水瀬城


ドタドタという騒がしい足音が、朝の水瀬城に響き渡る。

「あらあら、帰ってきたようですね」

秋子が仕事の手を休めて顔を上げたと同時に、蹴飛ばされたように執務室のドアが開かれる。

「秋子さん! あゆが倒れたって本当ですか!?」

入ってくるなり挨拶抜きに叫ぶ祐一。
彼の背後の廊下から「待ってよ祐一ぃ〜」というかすかな名雪の声が聞こえてくる。
秋子は頷いて立ち上がった。

「今、真琴が付きっきりで看病しています。昏睡状態のままなんですけど、ぴろさんがいうには命に関わるものではないらしいんですが」

「ぴろが? 原因は――」

「ぴろちゃんがいるの!?」

問い掛ける祐一を遮るように追いついてきた名雪が割り込んでくる。

「あゆちゃんの部屋だね!」

そしてそのまま眼の色を変えて飛び出していく。

「なっ!? まずい!!」

慌てて後を追いかけていった祐一に秋子は楽しそうに笑いながら「あらあら」と呟いた。





「…真琴」

「ん、なに?」

綺麗に整えられたベットで昏々と眠りつづける少女を傍らで見守っていた沢渡真琴は、いつになく不安そうなピロシキの声に視線を上に向ける。

「なにやら、不吉な気配がする……」

「不吉な気配?」

「何かこう……ぞくぞくっとするような、ヒゲがピリピリ痺れるような、そんないやぁな気配が近づいているような……」

「……あう?」

ヒゲをフルフルと震わせて顔色を青ざめさせるぴろの様子に、ピョコンと狐耳を飛び出させた真琴の鼓膜にそれは飛び込んできた。

「ネエエエエエエエエエエエエエエコオオオオオオ」

「な、何なのよぅ、この声ぇぇ!?」

「これは! まさか!?」

真琴が脅え、ぴろが悲鳴をあげかけた瞬間、ドップラー効果を発生させるほどのスピードで城内を疾駆した名雪はドアを文字通り蹴破り、完全に逝った眼で室内を見渡し、獲物を見つけた。

「ネコサン、ミツケタヨ〜」

「あう〜。なっなっ名雪〜!? ……カタカナは怖いわよぅ」

「ま、待て名雪殿! 我輩は抱き締め殺されるという死に方はあまり享受したくはなく、つまりだ、その、ま、待てと言うのだあああ」

「ネコサン、ダキシメタイヨ〜。ギュ〜ッテシタインダヨ〜」

「やめい!!」

バキィ

会心の一撃。

何とか追いついた祐一が思わず剣を納めた鞘で名雪の頭をドツく。

「ぬぇくぉすぁぁん〜」

名雪は白目を剥きながら、ヨロヨロと二、三歩ピロに近づき、力尽きて床に倒れた。
床に広がった青色の髪の毛が謎の物体感を醸し出している。

「あらあら」

何時の間にかドアのところに立っていた秋子さんがやっぱり楽しそうに呟いた。

「あ、秋子さんすみません、思わず……」

「仕方ありませんね、真琴」

未だ恐怖が抜けず、ピロと抱き合って震えている真琴に声を掛ける。

「ちょっと手伝って。部屋まで連れて行きます」

「あうぅ、わかった」

真琴はコクコクと慌てて頷き、倒れる名雪を背負うと秋子さんに促されて部屋を出て行った。

「ふぅ、まったく、あの娘だけには敵わん」

ゲッソリと疲れた様子で眠るあゆの枕元に座り込むピロ。
その様子に同情の苦笑を浮かべながら、祐一はさっきまで真琴が座っていた椅子に腰掛け、あゆの額を撫ぜた。

「なあぴろ、コイツ一体どうしたんだ?」

祐一の問いに答えず、黙ってあゆの寝顔を見つめていたピロは、暫くして祐一の顔を見上げて言った。

「……祐一殿。あゆ殿の正体には気付いておったか?」

「…? なんだよ、正体って」

「気付かなんだか…まあ、仕方あるまいて。美汐お嬢ですら気付かなかったのだからな」

「だから、あゆがどうしたんだよ?」

「論じるより見た方が早いだろう」

そう言うと、ピロは何事かボソボソと囁き始めた。

「ぴろしき?」

いかぶしげに目の前の猫の名を呼んだ祐一は、次に起こった事態に思わず立ち上がった。
あゆの体が燐光を放ちながらベッドより浮き上がり始めたのだ。
彼女に掛かっていた毛布がずり落ち、立ち上がった祐一の眼前にまで浮かび上がったあゆ。

「ぴろ!」

「慌てるな、単に浮遊の術をかけただけだ。本題はこれからぞ」

そう言うや否や、ピロは「うにゃあ!」と鳴く。
それと同時にあゆの身体を包む燐光が一際輝くを強くし、そして………

「つば…さ…?」

あゆの背中から光の粉を振りまいたように輝く一枚の翼が現れた。

「見ての通り、彼女には周りの眼を誤魔化す幻術が掛かっておったのだ。かなり巧妙な術だ。我輩ですら最初は違和感としてしかひっかからなかった。これでは本人ですら、自らの翼を認識する事は出来なかっただろうな…」

「…なんで…なんであゆに翼なんかがあるんだよ!」

呆然とあゆを見ながら叫ぶ祐一に、ぴろは厳かとも言える口調で告げた。

「彼女は去りし民の者だ」

「…なんだよ、去りし民って?」

祐一の視線がこちらに向くのを見て小さく頷いて見せたぴろはとうとうと語りはじめた。

「かつて……そう、盟約暦の遥か以前よりこの地上に存在した翼持ちし人類。翼人と呼ばれた者たちだ」

「翼…この翼が」

「そう、彼らは自由に天を舞い、あらゆる魔術を扱い、果ては奇跡と呼ばれる生命と再生を操作する力を自在に扱った。だが、彼らは自分達以外の種族を下等の存在と考え、疎み、蔑み、そして嫌悪した。自らを神の使いと称し、生命を操ったが故の傲慢、とでもいうべきか」

そこでぴろは言葉を切った。その様子を祐一は何故かこの猫が昔を懐かしんでいるように見えた。やがて間を置かずぴろは再び口を開く。

「やがて、彼ら翼人はとうとう世界そのものを厭うようになり、自ら新たなる世界を創造し、この世界から立ち去ったのだ。そして彼らは神の使い、生命を操るという伝説だけの存在となった」

あゆを覆っていた燐光が薄れ、翼はその姿を消した。ぴろがかけたのは一時的に幻術を停止させる術だったのだろう。同時にあゆの身体もゆっくりとベッドに横たわった。
祐一は床に落ちた毛布をあゆに掛け直しながらぴろに問い掛けた。

「……じゃあ、なんであゆはこの世界にいるんだ?」

「さあな。さすがにそれは我輩にもわからん。だが一つ言える事がある。……彼女の記憶喪失は、魔術による恣意的なものだ」

「な…に?」

その予想外の言葉に祐一は愕然と立ち尽くした。

「彼女が倒れた時に調べて気が付いた。元々魔術構成を見ると、彼女にかかっていたのは一部の記憶を封印するものだったようだ。 だが、それがなんらかの原因で、彼女の記憶全体を封印してしまったのだ。 あゆ殿の記憶がお主と出会う直前から始まっている事を考えると、お主と出会うその直前に何かあったのであろうな。 そして、その封印は、無意識に使った力の反動で揺らいでおる。今回の昏睡はそれが原因だ」

「じゃあ、あゆの目が覚めたら記憶が元に戻ってるのか?」

「いや、難しい。術自体がかなり強力なのだ。しかも記憶の一部だけを封印するという複雑な術が二重のバグを引き起こしている。このままではあゆ殿は眠ったまま目覚めることはない」

「ち、ちょっと待てよピロ。それじゃあ――」

「慌てるな。手段はちゃんとある」

焦って思わずぴろに迫ろうとした祐一はその言葉に安堵して、溜息をついた。

「そ…っか。よかった。……でも…」

祐一は言葉を切り、視線をじっとぴろに据え、

「なんであゆの記憶が封印なんかされてるんだ? 一体誰が……それに、あゆの翼…なんで片方だけなんだ? これじゃあ飛べないんじゃ」

「術は恐らく同族がかけたのであろう。理由は…祐一殿、恐らくお主だ。そしてあゆ殿の翼が片方だけしかない理由も…な」

「えっ?」

戸惑う祐一

「祐一殿、お前もまた記憶を持たない時期があったはずだ」

その言葉に祐一は息を呑み、ああ、と息を吐くように応えた。

「そしてその記憶の手がかりがお前の持つ剣にあると」

「……ああ。途切れた記憶が再開した時、持っていたのがこの剣だった。この剣は、記憶の空白の中で手に入れたんだ」

「剣を出してみよ」

言われた通り、祐一は腰に差した魔剣『ロストメモリー』を外し、ピロの前に置いた。
ピロは右前脚を剣身に添えると、小さく呪を唱え始める。

「………今ひとたび、汝の真の姿を現さん…アクセス」

ぴろが呪を唱え終え、最後に鍵呪を口ずさんだ瞬間、『ロストメモリー』が光に包まれる。
剣の形をした光は徐々にその姿を変えていく。光がほどかれていく。

そして光が象った形を見て祐一は目を見開いた。

「つば…さ…だと?」

先ほど、あゆの背中から伸びていた白く輝く片翼と同じものが剣の代わりにそこで輝いていた。

「そう…まさしく翼だ。魔剣『ロストメモリー』…その正体はあゆ殿の失われた左翼。それが姿を変えた代物だ」

「…う…あ」

「以前からお主の魔剣は見た事もない興味深い素材と注目していたが……あゆ殿が昨日その真の姿を見せた時に気が付いたよ。 お主の魔剣はあゆ殿たち翼人の写し身たる翼とまったく魔力構成を同じくするものだとな」

絶句している祐一を余所に、ぴろが説明を続ける。

「彼らの翼は、自身の魔力が半物質化した器官だ。彼らは時に自らの翼を断ち、それを自らの信頼する者に与える事があるという。もっとも、自らの分身である翼を断とうとする翼人などほとんど存在しないだろうがな」

「あゆは……それを俺に与えたのか…」

祐一と猫の視線が交わる。

「俺とあゆは…7年前に会っていたのか。俺が…俺が守れなかった人はあゆなのか?」

「さあな。全てはお前たちの記憶の彼方だ。祐一殿、お主記憶を取り戻したいか?」

唐突に問われ、祐一は沈黙した。やがて徐に口を開く。

「喪失は…取り戻さなきゃならない。でないと、俺は何時まで立っても自分の位置がわからない。前に進む事が出来ない。俺は……自分がどれだけ無力だったかを思い出さなきゃならないんだ」

「そう…か。まあ、あゆ殿の意識を戻すためには記憶の封印を解除する事が必要なのだがな」

ぴろは小さく頷くと、視線を輝く翼『ロストメモリー』へと移した。

「『ロストメモリー』、お主がそう名づけたのは正しく的を得ていたのだ。その翼はあゆ殿の失われた記憶そのもの。そして、お前とあゆ殿の思い出の結晶でもある」

「これが?」

「ああ。この翼はあゆ殿の記憶が封印される以前に彼女の身体から分かたれたモノ。そもそも彼らの翼とは彼らの存在の分身そのもの。記憶はこの翼に宿っている。そして、同時にこれは封印解除のきっかけだ」

囁きながら、ぴろがぽんぽんと翼を撫でる。途端、翼は元の白き剣へと姿を変えた。

「祐一よ、その剣をあゆ殿に突き立てろ」

「なっ!?」

思わず立ち上がった祐一に、ぴろは小さく笑いかけた。

「安心しろ、その剣は元々あゆ殿の身体の一部だ。彼女を傷つけることはない。もっとも、もはや剣として固定されている以上、彼女の翼に戻る事もないが」

「でも、なんでそんな事を」

「今言ったであろう。その剣は失われた記憶そのものだと。その剣にはあゆ殿が封印され、消去された記憶が残っている。その剣を突き立てることで、あゆ殿の混迷した意識に過去の記憶を戻し、記憶に整合性を与えることで意識を取り戻すはずだ」

「それは…あゆの記憶も戻るということか?」

「…そうだ…そしてお主の記憶もだ、祐一殿」

「俺の…?」

「連動しておるのだ、彼女とお前の記憶封印は。彼女とお主の記憶を封印した者は恐らく同一人物。しかも、片方の記憶が戻れば、もう片方の記憶が戻るように魔術構成に細工がしてある。まるで…お主たち二人が再会する事がわかっていたかのようにな」

「そりゃ…どういう意味だよ?」

「さあな。それは記憶が戻れば解かることだ」

祐一は口元を引き絞り、『ロストメモリー』を手にとった。7年の間、常に共にあった相棒。半身。そして、あゆの半身でもある白き翼。
そして未だ昏々と眠りにつくあゆに視線を戻す。


遂に…遂に捜し求めた喪失…失われた記憶が戻ってくるのだ。
それは…俺とあゆに何を齎すのだろう。

祐一は恐れ慄く心を抑え、白き魔剣を少女の身に突き立てた。




    続く





  あとがき

八岐「見通しが立たない内に始めると、困るんだよなぁ」

栞「見通しですか?」

八岐「そ。これまでは一応だけど話の筋は一本道だったんだけど、これからはあゆパートやONE組パート、北川くんパートと混雑渋滞状態。ちゃんとまとめられるのか心配だ」

栞「これからは皆さんの内面なんかも書かなければいけませんもんね。出来るんですか?」

八岐「いや、メッチャ難しいわ。何とか頑張ってみるけどね。さて、次回は過去の記憶編だわ」

栞「はい、第37話『翼の過去』 あゆさんが何故記憶を失ったか。何故この大盟約世界へと現れたのか。そしてあゆさんを取り巻く運命の正体とは……って作者さん。あゆさんと祐一さんの子供時代のパート。どうするか全然考えてないんでしょ。どうするんですか?」

八岐「だってよー。思いつかにゃーでよ。まあ、何とかなるきゃーち思うチョルんじゃわ」

栞「どこの言葉ですか…(汗)」

八岐「…はて?」

栞「…はぁ。それでは、綱渡り状態ですが、今後もどうかお付き合いいただけると嬉しいです」

八岐「それじゃー、どうも読んでいただいた方に感謝しつつさようならー」


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