魔法戦国群星伝





< 第三十二話 Grasp VS Sword >



東鳩帝国 帝都郊外 来栖川家別邸


来栖川公爵家が帝都に構える別邸。さすがに帝国最大の貴族の屋敷だけあってその大きさには眼を見張るものがある。
城館(シャトー)とでも呼ぶべきその巨大な屋敷は部屋数百以上の三階建て。初めて訪れた者なら迷いそうなほど広大だ。そして見上げるような高い天井は屋敷内にいるものに大きな開放感と圧迫感を同時に与えている。
この屋敷の主である来栖川綾香とある意味において招かれし客人である川澄舞が対峙する、石畳に覆われたフロアも、屋敷内に幾つかあるひらけた空間の一つであった。

「向こうも始めたみたいね」

チラリと視線を隣――対峙する柳川と祐一の方に走らせた綾香は、舞を向き直ると目を細めた。
舞は見る目から獲物を狙う目へと変わったように感じてこちらも意識を集中する。

「じゃあ、こっちも始めましょうか」

ぶわっと風が舞い上がるように綾香の黒髪がざわめいた。
ガシィンと両手に装着した真鋼製――仙術で精製された栴帝国渡来の魔法金属――の手甲を打ち鳴らし、獣が咆哮するが如く高らかに名乗りをあげる。

「来栖川公爵家当主代行 『神拳公主(ゴートリク・ファウスト)』…来栖川綾香 参る!!」

「……川澄舞」

こちらは静かに名乗り返しながらスラリと『神薙』を抜き放った。

帝国最高の拳士とカノン最高の剣士。それぞれが優美かつ尖鋭なる技を以って知られる戦いの使徒。静と動という纏いし気配の違いはあれど、互いに戦姫と称えられる者同士、待ち受けるものは壮絶な戦いしかなかった。

片や雪降る夜を思わせる静謐なる眼差しで、片や運命の者に巡り合えたかのような熱い眼差しでしばし無言のまま睨み合う。
やがて、何をきっかけにしてか、舞は剣を右手に下げ、綾香も構えもせず、二人は無造作に互いに向かって歩き始めた。



    ダダン!


次の瞬間、床を蹴る音がフロアに鳴り響き、二人は一気にトップスピードに駆け上がった。


一気に間合まで踏み込んだ綾香は左足を踏ん張り一瞬でスピードを殺し、舞の顔めがけて振りかぶり気味の右正拳を飛ばす。
だがヒットした、と思った瞬間、舞の上体がフッと沈んだ。

かわされたっ!?

舞は潜るように体勢を低くして大きく前に一歩踏み込んでいた。
そして剣の切っ先で石床を紙の様に切り裂きながら、バネで弾かれたように身体を伸び上げ、剣を振り上げる。

間合いは最悪。

だが綾香は回避された右正拳の勢いを利用し、身体を捻ってかわした。間一髪、『神薙』の剣尖が大気を断ち割りながら僅かに頬を掠める。
戦闘モードにスイッチが入り、ぶっ飛んでる意識の片隅で―よくもまあ避けれたもんだわ―などと思いつつ、メインの思考は次の行動を身体に命令していた。
即ち、必殺の一撃の直後には致命的な隙が待っている。

急速な動きでぶれる視界の片隅で綾香はそれをしっかりと捕らえた。

胴ががら空きよ!

剣を振り上げたために胴体が無防備になった舞に、柔らかな肢体をしならせ、鞭の如き左回し蹴りを叩き込む。…が、



    ガシィィィ



「くぁっ!」

綾香は予想だにしない左足への衝撃に思わず声を上げた。

それ一撃で必殺の威力を秘めた蹴りが舞の身体を弾き飛ばす寸前、剣を持ったまま叩き落とされた右肘と振り上げられた右膝により挟み潰されたのだ。

凄まじいまでに峻烈な攻勢防御の技。

幸い、足甲をしていたために重大なダメージは受けてはいなかったが、それでもかなりの衝撃で痺れが走る。

だが痛がっている余裕などありはしない。激痛で乱れた意識にいきなり冷や水がぶっ掛けられる感覚。
ゾッと肌が泡立った。
本能に任せて必死に左足を引き、思いっきり上体を後ろに逸らす。刹那の後、目前を大気を切り裂いて刺突が通り過ぎた。
剣風に切断された綾香の髪の毛がサラサラと宙を舞う中で、剣の切先が微かに上がるのが見えた。
血の気が引いた。
無理な体勢からそれこそ無理やり身体を捻り、独楽のようにスピンしながら横っ飛ぶ。
刺突から縦断へと変化した舞の剣を辛うじて回避する。
剣が石床をばっくりと断ち割るのを横目に右手を地面に着き、そのまま後方に跳んでバク転…ザザァと床を滑りながら着地した。

ゆっくりと剣を引き抜きこちらを見据える川澄舞。

最初の斬撃で斬られた傷からいまさらのようにつつーと左頬を血が滴り落ちる。

頬を拭い、拳についた血を無意識にペロリと舐めながら綾香はかつてないほどの高揚感に凶暴な笑みを浮かべた。

舞がゆっくりと綾香の方に歩いてくる。
綾香はそれを見ながらピクリとも動かない。

4歩目。距離が4メートルまで縮まった瞬間、舞の黒衣の姿がぶれた。
漆黒の風と化し、音もなく4メートルの距離を一瞬にして無にする。
そして繰り出されるは烈風の如き右の袈裟斬り。

そこでようやく綾香が動いた。

予備動作なく左手が電光の反応速度をみせ、左手の手甲で削ぐように剣戟をいなす。

だが、舞の攻撃は止まらなかった。

閃光が…煌めいた

周りにギャラリーがいたとしても、まったくその光跡を捕らえられないであろう神速の連撃

だが、極限にまで研ぎ澄まされた綾香の感覚は、その全てを知覚し反応する。

左袈裟、右横薙ぎ、そして唐竹。物理法則など無視するかのように殆んど同時に襲いくる斬撃を、両手に嵌めた手甲で逸らし、いなし、そして弾き飛ばした。

弾かれた勢いで僅かに舞の剣が宙を泳ぐ。

そして微かに、ほんの微かに舞の体勢が揺らいだ。
普通なら何の問題にもならないほどの微小の間。
だが、それは来栖川綾香という相手を前にしたとき、これ以上無いほどの致命的な隙だった。

「…っ!!」

舞は小さく息を飲んだ。

気が付けば目の前に綾香の秀麗な顔。
それもほんの少し近づけばくちづけすら出来そうな距離に。

綾香の小さな唇に白い牙が零れた。

ザッと血の気が引く。
いつの間にか胸に綾香の右拳が当てられていた。
舞がそれを認識した時、身体はすでに反応し、後ろに向かって跳び退ろうとしていた。
だが、それはほんの少しだけ遅すぎる反応だった。


    ドガン!!


石床を踏み砕いた綾香の右足から響いた爆音と同時に舞の体がくの字となって吹き飛ぶ。

『寸剄』と呼ばれる超接近戦における必殺技。

視界の向こうで舞が床に叩きつけられのが見えた。

「チィッ!!」

だが技を決めたはずの綾香の口から舌打ちが漏れる。

「やって…くれるじゃない」

綾香は脇腹に走った灼熱感に表情を歪めた。
見れば折れた刃が脇腹に刺さっている。

あの刹那、『寸剄』を喰らった舞は吹き飛ばされた瞬間、ブーツの爪先に仕込んだ刃を綾香の腹部に突き刺していたのだ。

痛みを堪えながら刃を抜く。幸い、大したことのない傷だ、出血も少ない。だがあの状況から反撃し、こちらの必殺技の威力を殺したという事実に綾香は戦慄を覚えた。

「……強い。それも半端じゃなく」

綾香は引き抜いた刃の破片を投げ捨てながら呟いた。
その声にはかつてないほどの強敵に巡り会えた歓喜が込められている。

暗器まで使うなんて、お座敷剣法じゃありえないわね。相手が人ではなく魔物と相対する剣だからこそ常道を無視しているわけか。
ふふっ、恐ろしく実戦的だわ。
でも、そこには醜さなんか微塵も感じさせない。
荒々しさと繊細さ、力強さと優美さ、刹那の煌めきと最後まで諦めない執念深さを兼ね備えた戦姫の舞踏…
まさに剣舞(ソード・ダンス)の名に相応しいじゃない…


冷風を思わせる冷たい興奮が綾香を支配していく。
四肢の隅々まで自分の意識が通っていく。
今こそ自分の身体を極限まで使いこなせそうな気がする。
これこそ、待ち望んだ最高の戦いだ。
綾香は綻ぶ顔を抑えようとせず咆哮した。

「さあ、来なさい!! 川澄舞っ!! ……ソードダンサァァーー!!!」




綾香の叫びに応えるように、舞は『神薙』を杖代わりにしてヨロヨロと立ち上がった。

……肋骨三本

自分のダメージを確かめ僅かに眉間に皺が寄る。激痛で身体が軋んだ。

……かなりの重症、これ以上時間をかければ体が思うように動かなくなる。なら…

舞は決意を込めた静かな眼差しを以って、構えを取る綾香を睨みつけた。

「……次の一撃で決める!」


    タン!


軽い踏み切り音
床を蹴り、まるで空を翔ぶかのような前傾姿勢で舞は突進した。

綾香は舞の動きを確認し、僅かに拳の握りを緩めた。感覚が恐ろしく尖っていくのがわかる。

斬撃をかわし、交差法で攻撃を叩き込む! 

右掌・膝・肘とどの打撃でも出せるようにさらに冴えていく感覚すべてを舞に向ける。
その瞬間…綾香の視界から舞の姿が唐突に消えた。

「跳んだ?」

跳ね上がった舞の身体が捻りを加えながら綾香の頭上を越える。

綾香の精神が凶暴な思考に犯される。

それは歓喜であり落胆だった。

不用意な跳躍。それは動作の自在性を最悪なまでに阻害する。

それは最後の最後で致命的な選択をした好敵手への勝利の歓喜と戦いの結末への落胆だった。

「おバカ! それで後ろが取れるとでも……っ!?」

だが、着地する瞬間を狙うべく、必殺の一撃を叩きこまんと身体を捻じって振り向いた綾香は絶句した。

いない!?

自分の頭上を飛び越えたはずの舞の姿が視界のどこにも存在しなかった。
刹那、電撃の如き予感が全身を駆け巡り、頭上を振り仰ぐ。

「なっ!?」

そして綾香は目を疑い呆然とした。
舞は綾香の頭の上にいた。
さながら天地を逆にしたように逆さまとなって、何もない空間(‘‘‘‘‘‘)を踏みしめていた。
それも、今まさに放たれようとして引き絞られた矢のように、膝を折り、身体を沈めて。

「……絶技・月雨(ツキサメ)

神託にも似た囁きが響く。同時に舞が虚空を蹴り、『神薙』が煌めいた。



綾香の視界が赤く染まる。
血飛沫が飛び散る……。
そして綾香の目の前で、黒のジャケットの裾をフワリと浮かせながら舞が軽やかに着地した。
それは紅雫が斑に滲んだ黒き天使の聖画の如く。

…綺麗

まったき白へと漂白された意識の中で、ただそれだけが言葉となって染み渡った。

激痛が走る。意識が現実へと引き戻された。
膝が笑い、支えを失った体が床へと崩れ落ちる。
激痛に綾香は右手を胸に当てた。身体を斜めに走る斬痕。滴り落ちる真っ赤な血。
だが……

「……避けられた」

淡々とした舞の言葉に綾香は苦笑いを浮かべながら無言で頷いた。
あの刹那、ほんの僅かな反応が運命を分った。
綾香の人の範疇を越えるまでに研ぎ澄まされた反応速度と、死に至る傷を負わせまいとする舞の僅かな技の鈍りが致命的なダメージを逃れさせていた。
この傷なら無理をすればまだ戦える……そう、無理をすれば。

舞は立ち上がると綾香を振り返った。
静かに向き合う二人。
やがて綾香が目元を緩めながら言った。

「まだやる? 川澄さん」

舞は疲れたようにフルフルと首を振り、落ちていた鞘を拾うと『神薙』を収めた。

「……もう、あまり動けない。それに……これ以上やるとどちらか、もしかしたら両方死ぬ殺し合いになる」

「そうね。私はそこまでやりたい気もするけど……。まあしゃあないか、私もちょっとこれ以上やると血が足りなくなりそうだし、相打ちってことでいいわね?」

コクンと頷く舞に朗らかな笑みを贈った綾香だったが、その笑みが苦笑にかわる。

「でも、最後のあれなに? 反則だわね、空間を踏むなんて。あれも貴女の『力』?」

「……はちみつくまさん」

「?? なにそれ、『イエス』ってこと?」

「……はちみつくまさん」

「ふ〜ん、面白いわね、それ」

面白そうにコロコロと笑う綾香を不思議そうに見ていた舞はかすかに表情を柔らかくした。

「でも、もうちょっとやりたかったなあ、こんな状況じゃなかったら最後までやれたのに」

何の屈託もなく楽しそうに言う綾香に、舞の緩んでいた表情が強張る。

……この人、少し危ない。

「まあいいや、今度もっかい相手してよね、川澄さん。試合でいいからさ、貴女ほどの相手は滅多にいないのよ」

「……舞」

「へ?」

「……舞でいい。川澄じゃなくて」

キョトンとしていた綾香の顔が満面の笑みに変わり、舞の背中をバンバンと叩く。

「ふふっ、わかったわ、舞。じゃあ私は綾香って呼んで」

「……はちみつくまさん」

背中を叩かれるたびに折れた肋骨にビシビシと響く。舞は迷惑そうに眉をしかめながらも、何故か嫌な感じはしなかった。

ケラケラと笑う綾香とむっつりとされるがままになっている舞。二人の間についさっきまで敵同士として戦っていた様子など微塵も感じさせなかった。
さながら…前から友人のように





「さてっと、そういえばあちらはどうなってるかしら……」



傍らで行われているはずの戦いに目を向けた綾香と舞は驚きに目を見張った。

彼女達が戦いを始める前に見た光景、それが全く変わらぬままにそこにあった。
いや、厳密に言えば両者の構えは微妙に当初と異なり、立っていた場所も初めの場所とは数メートルずれている。
それは熾烈な神経戦が繰り広げられている証だった。





やや前傾に重心を寄せた抜刀術の構え。
かつて相沢祐一が皆伝を受けた流派における攻性抜刀術『楠葛(くすかずら)
通常の抜刀術は後の先、つまり相手の攻撃に反応し対応する返し技だ。だがこの『楠葛(くすかずら)』はそういった抜刀術とは根本的に異なる、自分から仕掛けられる先の先を打てる抜刀術だった。
それにも関わらず、祐一は動けずにいた。
彼の向かいには羅刹伯爵 柳川裕也がいる。

見事だった。見事なまでに完璧な構え。
やや左半身となり、背を丸めて、軽く開いた両手を顔の前に添え出す。両足は猫のような爪先立ちとなっている。
これ以上ないほどに洗練され、研ぎ澄まされた無刀取りの構え。
無刀取り――ありとあらゆる戦闘流派においての奥義ともいうべき技巧。無手を以って武器を征するカウンターストライク。
恐らくは我流であろう柳川のそれに一片の隙も存在しなかった。

こりゃ、ミスったな。

祐一は素直に自分の選択ミスを認めた。
少なくとも無刀取りの使い手と知っていれば抜刀術で片付けようとは思わなかっただろう。
数ミリほど重心を右足に移す。それに合わせて柳川の両手が僅かに開いた。

凄いな、太刀筋まで読むか。

微妙な筋肉の動きや呼吸、身に纏う気の流れから繰り出される斬撃の軌道を察知しているのだ。抜刀術のように太刀筋が限定される技は至極読みやすいだろう。
これほどの相手とあいまみえるのは祐一としても自分の師匠以外では初めてだった。

まずったな。これじゃ仕掛けられないぞ。

仕掛けられないのは柳川も同様だった。
こちらは祐一と比べてもっと分が悪い。無刀取りは完全な待ちの技だからだ。
だが、下手にこの構えを解いて攻撃を仕掛けても敗北は必至だ。
経験、知識、そして本能がまったく同じ答えを出している。
すなわち、ヤツの間合に踏み入った途端、こちらの身体は真っ二つになる。
いや、この現状では殺し合いをしない事が暗黙の了解となっているからそこまでひどい事にはならないだろうが、それでものっぴきならない状況なのは確かだった。
それにしても、と柳川は思い返した。

よくもまあ、こいつと川澄舞を一人で相手にしたものだ。あの時耕一の乱入がなければ危なかったな。運が良かったのか悪かったのか。

さて、と思考を目の前の状況に戻して相沢祐一の様子を探った。
この研ぎ澄まされた状況でしかわからないであろう微かな気配のブレが相手から感じられた。
この膠着状態に恐らく自分でも気が付かないほどの苛立ちを感じはじめているのだろう。
このままでは足止めを食ったままになる。この場だけを愉しんでいる自分とは違い、先に進まなければならない祐一の焦燥を思い、内心でニヤリと笑った。

少し揺さぶってみるか。

今自分が立つ場所は相沢祐一の間合いの外。例え彼が技を繰り出したとしても絶対に返せるだけのギリギリの線。
だが柳川はあえてそこから踏み込んだ。
ザザッと足を滑らせる。
ミリ単位の攻防を繰り広げていた中で、いきなり30センチも踏み込んでみせる。
もはや結界といってもいい、祐一の抜刀の間合い。そこに一気に侵入する。

誘いだった。

無論、そこは完全に祐一の間合いの中。致命傷を負わないギリギリの線を見極めて踏み込んだといっても、腕の一本は斬り飛ばされるだろう。
その代わり祐一は強烈なカウンターを喰らってジ・エンド。
普通の人間なら考えもしない乱暴極まりない策だ。
エルクゥの再生力を当てにした捨て身の戦法。

だが、祐一は一瞬柄に添えた右手に力を入れたもののそのまま刀を抜こうとはしなかった。

くくっ、自制したか。

揺さぶりが効かなかったにも関わらず、それを逆に喜びながら柳川はじりじりと摺り足で後ろへと下がった。
さすがにこれ以上、間合いの中に入っているのは心臓に悪い。
柳川はしばらくこの神経戦を愉しむことにした。

「畜生」

祐一は小さく毒づいた。
みようによっては遊ばれている感もある。
苛立ちや焦り、その他諸々の感情を押さえつけ、平静を保つ。
ここらへんの精神制御は得意なモノだ。
だが、今の状況では何かアクションを起こさない限り、ずっとこの状態が動かないだろう。
それは、彼にとってあまり愉快な事実ではなかった。


このままじゃ埒が空かない………………やるか


祐一は決断する。これ以上、ここで遊んでいる暇はない。
少しデタラメだが…知った事か!というのが感想だった。
祐一は呼気を窄めた。
膠着状態にも見える熾烈な神経戦を楽しんでいた柳川は、相手の明らかな気配の変化を捉え、半眼となった。

来るか!

待ち望んでいた瞬間に、柳川の意識が歓喜に震えた。
全身を緊張で震わせ、臨戦態勢へと立ち上げる。

その眼前で、祐一の姿が消失した。

迅い!!

まるで瞬間移動したかのように柳川の眼前に現れた祐一は、刀へと変じた『ロスト・メモリー』の鯉口を既に切っていた。
想像を遥かに上回る迅さに一瞬、柳川の頭が真っ白になる。だが、修練を積み上げた身体は見事に反応していた。

内へと凝縮していた鬼気を瞬間開放。爆発的に増大した質量により足元の床が破砕音とともに窪む。そして限界まで引き絞られた弓が放たれるが如く柳川の反応速度は極大にまで加速した。

意識を置いてけぼりにして柳川の身体は電光のように間合へと踏み込み、祐一の抜き手を弾く。
鞘から抜き打たれ、体に届く寸前だった『ロストメモリー』はクルクルと中空に舞った。
そのままの勢いでカウンターの当身を喰らわす。

殺った!

勝利の確信とともに突き出された必殺の拳。

…だがその拳は居合を弾かれ死に体となっていたはずの祐一に掠ることもなく空を切る。
そしてそれに唖然とする暇もなく、柳川の視界がグルリと回った。

ドダン!!

受身もとれず背中から地面に叩きつけられ、柳川の呼吸が一瞬止まる。

ザシュッ

宙を舞っていた『ロストメモリー』が倒れる彼の顔の横に突き刺さった。
その音に柳川は我を取り戻す。

……祐一の左手が自分の首根っこを押えていた。

「まいった」

自分の声が擦れていたことに柳川は不機嫌になった。

これでは負けた事に動揺しているみたいではないか。

だが祐一は気にする風もなく立ち上がり、『ロストメモリー』を鞘に納める。

「アクセス」

祐一が小さく呟いた。
『ロストメモリー』が光を帯び、また剣へと姿を戻す。

「…祐一」

その声に振り返った祐一は、並んでこちらを見ている舞と綾香の姿を見て彼女たちの勝負の行方を悟った。

「舞、怪我は大丈夫か?」

「…無理しなければ」

「そうか、じゃあここで待ってろ」

そう言い残すとビシッッとVサインを決めた。舞もコクコクと頷いてVサインを返す
それを見て笑顔を浮かべ、祐一は香里たちの後を追ってフロアから走り去った。



暫く無言で大の字になっていた柳川は綾香が覗き込んでいることに気が付き不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「完敗だった」

「見てたわ」

綾香の後ろに舞が立っているのを見て、柳川も彼女達の決着がどうなったかを理解する。

「最後、俺がどうなったか教えてくれ」

一瞬戸惑った綾香だったが、柳川が単に確認したいだけなのを理解して喋り出した。

「刀が飛んだ瞬間、懐に入りこんだ貴方を相沢が投げ飛ばしたのよ。左手で突っ込んでくる貴方を引っ掴んでそのままクルリとね」

「完全に無刀取りは決まっていたタイミングだった。最後の当身は決まらなかったのは何故だ?」

それは綾香に問い掛けた言葉ではなく自分に向けたものだった。

「避けてたわよ、普通に」

「馬鹿な…明らかに死に体だったんだぞ。避けられるタイミングじゃなかったといったはずだ。例え銃弾を見切れる達人だとて、アレは躱せない」

「でも、現に――」

困惑したように反論する綾香を遮るように、柳川は舞に視線を向けた。

「ヤツは……いったい何だ? 魔導剣の使い手として知られているが、あの腕は尋常ではないぞ」

じっとその視線を見返していた舞は、やがてポツリと言った。

「…祐一が最後に見せた技。あれは『夢想剣』」

「夢想剣? 聞いた事がないな」

「いえ、私は聞いた事があるわ。一度師匠に聞いた事がある」

柳川は綾香の声に驚愕が含まれていることに気付き、視線を綾香に向けた。

「間を完全に支配するとかなんとか。師匠は武術の一つの到達点とか言っていたわね」

こちらをじっと見つめる舞の眼に気付き、視線を返しながら続ける。

「『夢想剣』を編み出した女傑、深陰流剣術開祖 上泉伊世。あらゆる武術の筆頭たちに絶対不敗と恐れられた剣聖。八年ほどまえに行方不明になったって聞いたんだけど」

「上泉伊世が姿を消す前に、その技の全てを教えた少年。深陰流剣術継承者…それが祐一」

舞の言葉に綾香は息を飲んだ。

噂では聞いてたけど、あいつがそうだったのか。

やがて、柳川はポツリと漏らした。
「絶対不敗の剣をマスターし、その上に魔の理すらも手の内に修める…か。魔剣(エビル・セイバー)……化け物だな、アレは」












カノン皇国 水瀬城


際限のない仕事に一段落をつけて与えられた自室に戻った水瀬秋子は、部屋に一歩踏み込んだところで違和感を感じて立ち止まった。

「どなたです?」

半ば相手を確信しながらの問いに返ってきたのは、夜光に煌めく刀閃だった。

神速にして針の穴をも穿つ正確無比な一撃。
恐らく、この世界で避けれる者はいないであろう一閃は、あっさりと空を切った。

「あらあら」

刀を振るった侵入者は、背後から聞こえたその声に一瞬ビクリと身を震わせると、やがて楽しげに笑い出した。

「ふふふ、さすがだね秋子。アタシが正直敵わないと思うのはおまえぐらいだよ」

「会う度に斬りかかられては、いい加減慣れてしまいますよ」

月の光が差し込み、侵入者の姿が浮かび上がる。
一人の小柄な老女が、その身には長大すぎると思われる刀を鞘に収めていた。
その鋭利な眼差しが秋子を射抜く。
長い白髪を棚引かせるその姿に秋子は懐かしそうに目を細めた。

「でも久方ぶりだったので少し驚いてしまいました……お久しぶりです。上泉先生」





「娘は元気かい?」

「ええ、おかげさまで、大きくなりました」

お前さん似かい? と問う老女に秋子は「どうでしょう」と微笑みながら頬に手を当てた。
その仕草をみて、一人納得したようにゆっくりと瞼を閉じ、そして開いた。

「相変わらず独り身を続けているようだね。もう一度連れ添うつもりはないのかい?」

「はい、あの人以上の人はいませんから」

「そうか」

老女は頷くと、湯呑みを啜った。

「確かに純一郎は面白い男だったがね」

「はい、面白い人でした」

秋子は少し懐かしそうに眼を細めて虚空を見上げた。
その様子を上泉伊世は普段は決して見せない母親の如き優しい眼差しで見守る。
だが秋子の視線がこちらに向くのを察知し、眼差しを閉じて再び湯飲みに口をつけた。
その仕草をわかっているのかいないのか、秋子が屈託のない様子で訊ねる。

「先生こそ、6年も顔も見せないで、どちらにいらっしゃったんですか?」

「なに、ちと魔界へな」

「魔界…ですか」

小首を傾げた秋子に、伊世は口元に皺を寄せて言った。

「そこで面白い男に会った。その男の下に世話になっとったんだが…そうそう、聞いたのはこの間だが、そやつ純一郎と知り合いだったらしい」

「ヴォルフさんという方ですか?」

「うん?」

知っておるのか? と眼で問いかける伊世に、秋子はええ、と頷いた。

「あの人がそれは楽しそうに、その方の事を話していました。ほんの数日話しただけだったと言ってましたけど」

「そうか」

「その方の息子さんの事も話してましたけど、確か香里ちゃんと…あっ、香里ちゃん覚えてますよね」

「おまえの娘と同い年だったね」

「はい、その香里ちゃんがその子を凄く気に入ってたとか」

ふむ、と伊世は内心で頷いた。

ヴォルフが言っておった小僧に会わせたかった者とは、皇王の娘だったか。どういうつもりか知らんが。

老人は百年越しの道楽と言ったヴォルフの顔を思い出し、ふと小さく息をついた。

「その子には会われました?」

「会ったよ。色々あってね、弟子に取った」

やはり、と納得したように頬に手を当てる秋子に「何がだい?」と訊き返す。
秋子は少しだけ躊躇うと、一人の名前を出した。

「北川潤さん」

「わかったか」

「歩き方で……先生や祐一さんに少し似ていましたから」

未熟だなと呟き、いやと老人は頭を振った。

相手がこの水瀬秋子では技量を測られても仕方がないか。

「ですが、北川さんは正真正銘の人間でしたよ」

「遺伝子の書換と意味の再構成という魔法技術を知っておるか?」

相手の眼が軽く見開かれるのを見ながら続けた。

「無茶をやったものだ。だが、どうしても人間でなければならんとほざきおってな。確かにヤツの言い分もわかるのだがね」

何のために…とは訊こうとせず、秋子は沈黙を守った。訊かずともわかることだからだ。

「で? 馬鹿弟子二人は?」

「今、帝国の方に行っています」

「ふん、行き違いだったか。まあいいけどね」

「先生はこれからどうなされるおつもりですか?」

「さあな、おまえに会いに戻ったようなものだからな」

「なら暫くごゆっくりしていってください。あまりお構いもできませんが」

「厄介になるよ。とはいえあまりゆっくりもできそうにないがね」

老人は夜を見通そうとでもいうように窓の外に目を向けた。





    続く





  あとがき

栞「今回もひたすらに戦ってばっかりでしたね」

八岐「しばらくはこんな感じですよ。でも思ったよりも容量が増えてしまいました」

栞「舞さんの所ですか?」

八岐「うん、すっきりしないんで色々と書き換えてたらどんどん増えちゃって。動かない祐一や柳川と比べて書きやすかったのもあるんだけどね」

栞「祐一さんは書きにくかったんですか?」

八岐「下手に抜刀術なんかにしたもんだから、舞みたいに飛んだり跳ねたり出来ないし、下手に魔術も撃てないしで全然でしたね」

栞「…考えなしの結果ですか」

八岐「いや、ずばり言われるとこっちも…」

栞「はいはい。では次回予告行きましょう」

八岐「…………」

栞「あれ? どうしたんですか?」

八岐「いや、次回どうしようかな、と思って」

栞「……まだ考えてなかったんですか? 次回予告できないじゃないですか!!」

八岐「いや、考えてない訳じゃないんだけど」

栞「じゃあ、何なんですか?」

八岐「いや、別に…それじゃあ次回は第33話『Battle with Fairy again』…まあ内容は題名どおりかな?」

栞「……なんか無茶苦茶怪しいんですけど、その次回予告本当でしょうね…」

八岐「あははーっ」

栞「じとー……」

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