――藤田浩之帝都帰還の3ヵ月後
年明けて 盟約暦1096年
この戦争が膠着状態に入ってから約3ヶ月が経過していた。
戦線には大きな動きはない。
各将はそれぞれ交代で国境地帯に布陣している。
未だ両陣営ともに再侵攻を行えるような決定打を見つけられずにいた。
腹立たしいことに、以後の見通しも全く立っていなかった。
それが、当時の現状だった。
そして、直後に襲いくるはずの災厄の存在を知る者は皆無といってもよかったのだ。
東鳩帝国情報総監 長岡志保・回顧録より
魔法戦国群星伝
< 第二十八話 彼女はその小さな手をかざして>
カノン皇国 皇都雪門
一人の少女が人々が行き交う雑踏の中で佇んでいた。
その真摯な眼差しを一点に見据えて。
彼女の名前は月宮あゆ。
自称 薄倖の記憶喪失美少女である。
「止めないで…真琴ちゃん。これは…ボクの運命…ううん、使命なんだ」
小さく口ずさむあゆ。
その囁きには決して揺るがない強い意志が垣間見えた。
それでも真琴は翻意を促すべく口を開いた。
「あ、あうー、でも」
「でももストライキもないんだよ! やらなきゃいけないんだ! ボクがやらずに誰がやると思うの!?」
強く握り込んだ拳を振り下ろしながら叫ぶ。
そこには自分だけが成し遂げられるという、崇高とすら表現できそうな想いが込められていた。
「そりゃ…やるのはあゆぐらいだと思うけど…」
「なら……わかってるなら…もう止めないで、真琴ちゃん。ボクは…誰も巻き込みたくないんだ」
泣きそうな眼で背中越しに真琴を見つめる。そこに浮かんでいるのは相手を思いやる聖母の如き大いなる優しさ。
その瞳に見つめられる事に苦しさを覚え、真琴は眼を逸らす。
「そりゃ…巻き込まれたくなんてないわよぅ」
「そう…うん、それでいいんだよ。じゃあ、ボクは行くね。大丈夫、帰って来るから。ちゃんとみんなの元に…だから…待っててくれると嬉しいな。あはっ」
ムリに笑みを浮かべて見せるあゆ。悲痛な思いがその笑顔の裏に漂っている。もう…帰ってこられないかもしれないという…微かな恐怖。そして、それを甘受しても成し遂げるという強い決意が
「じゃあ…行って来るよ」
名残惜しげに真琴に背を向けたあゆは、全力で走り出そうとして大地を蹴り…………足首を引っ掴まれて顔面から地面に激突した。
ザッツ遠心力!
わざわざ足首を掴んでる所がワンダフル。
「うぐぅ、何するんだよ!!」
「何するんだようぐぅ、じゃありません。どこに行くつもりですか…あゆさん」
顔面を真っ赤にしての抗議のうぐぅに対して、それはそれは冷たい声がザクリと突き刺さる。
「え…っと、その……うぐぅ」
言葉に詰まるあゆに、彼女の足首を掴んでしゃがんでいた少女、天野美汐は疲れたように溜息を吐いて立ち上がった。
「まったく…また食い逃げですか」
彼女の視線の先、あゆが走り出そうとしていた前方では、たい焼きの屋台が美味しそうな匂いを漂わせていた。
美汐のまたという言葉に、あゆの食い逃げの回数が透けて見える。
彼女ら三人がいる場所は、雪門の城下街の繁華街の一角。
何事かと町の人々の視線が彼女らをなぞり、「ああ、またか」と過ぎ去っていく。
「はぁ、本当にどうしてそんなに食い逃げばかりするんですか」
「それは勿論、そこにたい焼き屋さんがあるからだよ」
我ながら素晴らしい名言だと満足げに頷くあゆ。
ピクリとこめかみに青筋を立てた美汐は、無言でニコニコと笑っている少女の額に懐から取り出した呪符を貼り付けた。
「うぐぅぅぅ!? し、痺れるぅぅぅ!?」
「…あゆって懲りないよねぇ」
痙攣しているあゆを呆れたようにつつく真琴を横目に、美汐はもう一度溜息を吐いた。
はぁ、相沢さんがポカポカこの子を叩きたくなるのがよくわかります。
「み、美汐さん。溜息ばかり吐いてるともっとオバサン臭くなっちゃうよ」
痺れながらも生来の親切さで忠告。「もっと」のお言葉が止めの一言。
美汐は無言でもう一枚呪符を貼り付ける。
「うぐぅぅぅ!? な、なんか寒いぃ! か、身体が凍ってくぅぅ!?」
カチンコチンになっていくあゆを真琴が呆れたようにつつく。
「…あゆって、ほんっとーに懲りないよねぇ」
「ウグゥ、真琴ちゃん、しみじみ言わないで…」
うぐぅを凍らせながらあゆは情けない声で呟いた。
§
「ほれほれ」
「うぐぅぅぅぅ!」
目の前を泳ぐたい焼きをカクカクと凍りながら捕まえようとするあゆ。
なかなか愉快な光景だ。
ケラケラと笑いながらたい焼きを見せびらかしている真琴を眺めながら、美汐は楽しげに微笑んだ。
「美汐さん…実は物凄く意地悪じゃない?」
寒いやら凍ってるやらたい焼きが食べられないやら、ガタガタ震えながらあゆが文句を言う。
もう泣きそうなご様子。
「失礼ですね。趣味が上品と言ってください」
平然とすまして言う親友に、少し真琴の笑顔が引き攣る。
「? どうしました、真琴?」
「う、ううん、何でもない」
フルフルと首を振る。獣は敵にまわしてはいけない相手に口答えするような愚かな真似はしないものだ。
そんな彼女たちを遠巻きにしていた人波が、突如ざわめく。
通りの向こうの方で喧騒が起こった。
「どうしたのでしょう?」
ふと騒ぎが起こってるらしい方角を、目を細めて見た瞬間、叫びが聞こえた。
「火事だ!!」
真琴と目が合う。コクリと二人は頷くと火事の起こった方へ走り出した。
一方あゆあゆ
「ちょっ、待っ…て、寒い、眠い、これなんとかして……うぐぅ、ぱとらっしゅ、もう疲れたよ」
なにやらお迎えが来てるご様子。
§
「うわぁ」
真琴の呆然とした呟きは、木材が燃える音に掻き消された。
彼女ら三人が見上げる先には4階建ての集合住宅が建っている。
そして今、燃えさかる炎がその建物を舐め尽くそうとしていた。
1階から出火したと思われる火事は、その火を上の階に伸ばそうとしている。
人々が火を消そうと奮闘しているが、どうにも無駄な努力に見えた。
「これは…ダメですね」
美汐は表情も険しく呟いた。生憎と燃えさかる炎を防ぐ術はあっても消す術はない。
水を操る術はない事もないが、それも充分な水源があればの話である。
せめて周囲の建造物への延焼は防ごうと結界を張るべく符を取り出した美汐は、傍らの少女の尋常ではない様子にその手を止めた。
「あゆさん!?」
炎が瞳の中で踊っていた。
燃えさかる紅。
すべてを灰と化す火炎の華。
その光景にあゆは心を奪われた。足が竦んだように動かない。なにか得体の知れないものが鎖となって身体中を縛り上げていくような感覚。
「お母さん…お父さん」
ふいに自分が無意識に零した言葉に、脳髄を揺さぶられたような衝撃を受ける。
なぜ…ボクはお母さんとお父さんの名前を呟いたの?
わからなかった。だが、その光景が失われた記憶を震わせた事は理解できた。
でも…そこまで出ながら、白く塗り込められた記憶は全く姿を現そうとはしない。
ただ…
「子供が! 子供がまだ中にいるのぉぉ!!」
ハッと悲鳴がした方を見る。
母親らしき女性が、炎渦巻く建物の中に飛び込もうとして抑えられている光景が映った。
「あゆさん!?」
身体を縛っていた呪縛が解ける。
あゆは走り出した。自分が何をしようとしているか、何も考えていない。ただ、じっとしてはいられなかった。
まるで、失われた記憶を求めるように、あゆは燃え上がる建物へと向かって走り出していた。
「あゆ!? あーもうっ!」
戸惑いと怒りの声をあげながらも、真琴は全く躊躇する事無くあゆの後を追う。
美汐が止める暇もなく、二人の姿は建物の中へと消えていった。
「なんという…無茶な」
呆気に取られていた美汐は、一際燃え上がった炎の熱風に我を取り戻す。
「くっ、仕方ありません」
既に二人が飛び込んだ入り口は炎に遮られている。
美汐は懐から符を取り出すと、耐熱耐火の符界を周囲に張り巡らせ、炎を突っ切り建物の中に飛び込んだ。
「真琴! あゆさん!」
名前を呼びながら階段を駆け上がる。
そして、人の気配を感じ、部屋に飛び込んだ美汐が目にしたのは、倒れた柱の下敷きになった男の子を助けようと奮闘する二人の姿だった。
「美汐ぉ! これ動かないよぅ」
泣きそうになりながら柱を持ち上げようとしている真琴の元に駆けより、一緒に隙間を開けようとする。だが動かない。
何か術で……と思ったものの、下敷きになってる子供を傷つけずに柱を破壊できるような術が思いつかない。
第一、この建物自体が強い衝撃に持ちそうに無い。
幸い炎はまだこの階まで移ってはいないものの、それも時間の問題だ。
だが、美汐が焦りを浮かべた瞬間――
どこからともなく現れた一匹の猫がトン、と倒れた柱に飛び乗った。
「ぴろ?」
猫は真琴の呼びかけを無視し、ふわりと一瞬毛を逆立てると、「うにゃぁ」と一声鳴いた。
その途端―――
「なっ!?」
「あぅー、ぴろ!」
「うぐぅ、す、凄い」
一瞬にして倒れた柱が塵と化し、崩れ落ちる。
「そんな、これは!?」
驚愕の声をあげる美汐にチラリと視線を向けたぴろはそっけなく言い放った。
「これが鳴壊だ。覚えておいて損はないぞ、お嬢」
その名を聞いた途端、美汐の目が大きく見開かれる。
「め、鳴壊ですって? 伝説でしか聞いた事のない分子結合崩壊の最上級妖術じゃないですか!? しかもいくら無機物が対象とはいえこれほど完全に…」
「あうー、美汐なに言ってるのか分からないわよぅ」
「うぐぅ、ぶんしけつごう?」
「お主たち――」
定位置――真琴の頭の上に飛び乗ったぴろが顔を顰めて騒いでいる少女たちに唸った。
「何をしている。その子を早く――」
「ああっ、そうでした」
慌てて倒れている子供の元に駆けより様子をみた美汐は顔を顰めた。
重量のある柱に押し潰されたために身体中の骨が損傷している。内蔵にも傷がついているかもしれない。
「動かすのは危険です。でもこのままでは…」
既に周囲には炎が忍び寄っている。呼吸も既にかなり苦しい。
皆の顔に焦りが浮かぶ。
その中で、あゆは真琴の頭の上に真剣な眼差しを向けた。
「ぴろさん…ボク…」
ピクリと眉を動かしたぴろはコクリと頷いて見せた。
「あゆ殿…うむ、やってみるといい」
「うん!」
「あゆさん? ぴろ、一体何を…」
「見ていれば分かる」
視線をあゆから動かさずにそっけなく言い放つぴろ。美汐は疑問を覚えながらも、信頼する友人の言葉を信じることにした。
すうっと瞼を閉じ、彼女はその小さな手をかざして何事かを口ずさみ始めた。それと同時にかざした手のひらがぽうっと光り始める。その光はまるで陽光のような温かさを感じさせた。
「―――今、汝のあるべき姿を誘いて、その痛々しき歪みを消し去らん。我は天に連なるもの、空の眷属……」
呪が囁かれるにつれ、手の光が輝きを増す。
「これは…まさかっ!」
今、目の前で発現しつつある魔術をまったく理解できなかった美汐は、ようやく一つの結論に達した。
「治癒魔術!? そんな!」
この状況を考えるならば、あゆが編んでいる魔術が治癒魔術である事は比較的容易に推理できたはずだ。
だが…美汐にとって治癒魔術など最も予想から離れた位置にある魔術だった。
無理もない。美汐でなくても多少にでも魔術に通じる者ならば、治癒魔術など想像すらしないだろう。
なぜなら…治癒魔術はこの大盟約世界において太古に喪失した魔術大系なのだから。そう…ある種族の決別と共に……。
ぴろしきは美汐の顔が驚愕に歪んでいることに然もあらんと小さく頷いた。
「ぴろ、彼女が使っているのは……」
あゆが燈す温かな光は、倒れ伏した男の子の身体を覆い尽くしている。
傍目にも、男の子の生気が戻り、状態が回復していくのが分かった
「うむ、あれは『根源再生』。この世界から使い手がいなくなったはずの神聖魔法…いや天使の奇跡と言った方が通りが良いか」
「何故、あゆさんがそんなものを…」
「我輩が教えた」
「教えたって…」
「うむ、奇跡は人間には絶対使えん。いや、今現在、大盟約世界・魔界に存在するあらゆる種族に発動できん代物だ。それをあのあゆ殿は教えただけで覚えおった」
否、思い出したとでもいうべきか。
ぴろは最後の言葉は表に出さず内に秘めた。
美汐はぴろの言葉を驚愕と共に受け止める。
確か…奇跡とはその血筋を鍵として発現させる魔術のはず。ぴろの言うことが確かなら…あゆさんは、あの伝説の去りし民の者ということに……。
いえ、それも確かに驚きですが……。
美汐は傍らでじっとあゆを見つめるぴろしきに疑念満ちた視線を向けた。
魔術大系を教えるという事は、その大系の理元構造を正確に理解していなければいけないはず。ならば……ぴろは奇跡の仕組みを正確に理解していたという事…。
辛うじてその存在が知られているだけの魔術を…いったいどうやって?
…魔導術の知識といい、これほどの魔術全般への造詣の深さはいったい……
美汐は自分が幼い頃からの友人であるこの猫の事を殆ど知らないことに気が付いた。
グエンディーナ大陸の妖魔を束ねる真琴の祖母 玉藻大姉の古い友人である事。水瀬家や陰陽符法院に昔から出入りしていること。真琴と自分を引き合わせてくれた事。
それ以外なにも知らない。
ぴろしき、貴方は……
「ふう、終わったよ」
あゆの声に美汐は思考の海から意識を現実に戻した。
未だ意識のない少年の傍らに跪き、状態を調べる。
「すごい…本当に治ってます。これはもう動かしても大丈夫ですね。急いでここを出ましょう」
だが少年を抱きかかえようとした美汐に真琴の悲鳴が届いた。
「あうぅー、ダメ。出れないよー、美汐」
振り返れば炎は既に部屋の入り口を完全に塞いでしまっていた。
恐らくその向こうは完全に炎に飲まれているだろう。符界を張れば炎には耐えられるかもしれないが、足場が燃えていては脱出も出来たものではない。
「あうー、熱いっ」
真琴の悲鳴を聞きながら美汐は思わず心中で毒づいた。
火のまわりが予想より早い。ダメ、これじゃあ逃げられませんっ
「くっ、結界を張ります。みんな――」
「ダメだ。炎と熱は防げても空気が無くなる。その前に建物が持たん。倒壊に巻き込まれるぞ」
ぴろの声に思わず反発する。
「ですが、このままでは!」
「手はある。皆、真琴の側に寄れ」
「何を――」
「早くしろ! 炎に巻かれるぞ!」
言葉を飲み込み、真琴の近くに寄り添う。あゆも男の子を抱えて身を寄せた。
「少し気分が悪くなるかもしれんが、我慢しろ」
そう前置きすると、ぴろは真琴の頭の上で小さく呪を唱え始めた。
「我、狭間の門を探り当て――」
「魔導術!?」
その呪に美汐が驚きの声をあげる。
この猫が妖術以外の魔術を使うのを初めて見たのだ。
以前、魔導術の理論は収得済みとは聞きましたが、本当に扱えるとは!
しかもこの術は……
「――連なる道を繋ぐ者なり。此方から彼方へ、彼方より此方へ 我が意思の前に壁も無く、堀も無く、立ち塞がるもの無し」
煙が充満する中、ぴろは小さく息を吸い込み、叫ぶ。
「跳躍」
「……え?」
美汐は目を瞬かせ、呆然と周りを見渡した。
肌を焦がすような熱さはもう感じられない。彼女たちの姿は一瞬にして建物の外に出現していた。
火事を見守っていた野次馬たちも呆然と、いきなり現れた美汐たちを見つめている。
その背後で、炎に包まれた建物が、轟音と共に崩れ落ちた。
見開いた目を真琴に向ける。ぽかんとしている真琴の頭の上で、ぴろがやれやれといった感じで毛づくろいをしていた。
「空間…転移? 冗談でしょう?」
無論、紛れもない事実と認識しながらも、美汐は呟かざるを得なかった。
ありとあらゆる魔術大系に置いて、秘奥にして最難に位置する空間転移。
それをこのネコは平然と成し遂げたのだ。
しかも……自分一匹だけならともかく、あの距離をこれだけの人数を抱えて、あっさりと……。
テレポートを自在に操る姫川琴音でも、自分以外の人間を加えて転移する事など不可能だろう。
しかもよほど魔術構成が安定していなければ、自分はともかく真琴やあゆ、そして気絶している男の子がこの強力な魔術の作用に耐えられないはず。
だが、あゆが少し目を回している以外は誰にも異常は見られない。
美汐はいまさらの様に悟った。
目の前のこの小さな猫が…稀代と呼ばれた自分を上回る魔術の使い手であると言う事を。
美汐は頬を引きつらせながら小さく苦笑いを浮かべた。
「き、今日は驚いてばかりですね、私」
その美汐の横では、男の子を抱えたままあゆがへたりこんでいた。
「うぐぅ、気持ち悪い」
向こうから男の子の母親が駆け寄ってくる。あゆはなんとか笑顔を浮かべながら男の子を母親に返した。
泣きながらあゆたちに何度も礼を言い、その若い母親は男の子を連れて立ち去っていった。
「…………」
「あゆ?」
立ち去っていった男の子と母親を手を振って見送っていた真琴は、無言のままのあゆをどうしたのかと顔を覗き込み、息を飲んだ。
あゆはポタポタと涙を流しながらじっとあの親子のことを見送っていた。
涙が止まらない。
母と子。あの光景がもう自分には得られないものだとわかり、声も無く涙が零れた。
そう。もうボクにはお父さんも、お母さんもいないから。
記憶は未だ戻らない。
だけど、その事だけはあゆには嘘ではないと確信出来た。
それが…悲しかった。
東鳩帝国 魔導師団本院地下ホール
「来い!」
小さい、だが意味の力が篭もった言葉が発せられ、地面に描かれた魔法陣が光を放つ。
光に照らされて召喚者の姿が浮かび上がった。
召喚者の名はヴォルフ・デラ・フェンリル。魔狼王と呼ばれる魔王の一人であり、今、帝国で客人として持て成されている男である。
魔法陣の光が収まると、そこには二つの人影が出現していた。
一人は全身をフードで覆いその姿を隠した小柄な人影。そのフードの奥には何も見通せない闇が広がっている。
もう一人は長い白髪を後ろで簡単に束ね、小柄な体型に見合わぬ長大な刀を携えた初老の女性。驚いた事に彼女は魔族ではなく、明らかに人間のようだった。
「伊世殿? アンタは呼んでないんだが」
魔狼王は困惑したように眉を傾ける。どうやら、この着流しの着物を纏った女性の方は予想外の出現だったらしい。
伊世と呼ばれた着流しの女は気にするなと言わんばかりに手をヒラヒラと振りよく通る重みのある声を響かせた。
「なに、久しぶりにこの世界に戻りたかったんでね。カゲロヒに無理に頼んだんだ」
勝手な事をして、と咎める魔狼王の視線を受けたカゲロヒと呼ばれた者は、そのフードの奥に隠れた表情に苦笑いを浮かべたような気配を見せた。
まあいいんだが、と溜息混じりに呟き、金色の目をカゲロヒに向けた。
「カゲロヒ、お前は小僧の様子を見てきてくれ。暫く音信不通だったからな」
「お前の下を飛び出したあの小童か。放って置けばよいものを」
フードの奥から聞こえてきた声は擦れた老人のものだった。
これでも魔狼王の片腕として、凄まじい力を秘めている魔将である。
「それは出来んよ。どうやらあの輩もこちらに来ているようなのでな」
「…まったく、お主は…。まあいい、適当に様子を窺ってくるわい。ああ、それとな、王よ」
「なんだ?」
「木偶の軍勢が数を減らしとるらしいぞ。どうやらお主が言う輩がこちらに来ておるのは、先遣の為のようだな」
「そうか、動き出したか、あの野郎」
「ここの連中には教えてやらんのか?」
「必要ないだろう。いま、この大陸にいる人間どもは恐ろしく有能だよ。いらぬことはしなくてもいい」
「ほう、そうなのか。まあ、儂には興味もないがな。…では儂は行くぞ」
「うん、頼む」
カゲロイは足元の影に沈むようにしてその姿を消した。
それを見送った魔狼王は傍らの女性に向き直った。
「伊世殿はこれからどうするんだ? 何か用があるんだろ」
「うむ、久々に友人の顔でも見ようと思っとる」
老女の言葉に魔狼王は少し眉の端を動かしてみせた。
「友人とは『彼女』の事か?」
「なんだいヴォルフ、お前さん知っとるのか?」
「直接は会ったことはない。だが昔『彼女』の旦那に惚気られたことがあったんでな」
懐かしげに目を細める魔狼王に珍しいものでも見たと言わんばかりに老女が問うた。
「そうか、純一郎と知り合いだったのか。しかし魔王ともあろう男が人間なんぞと何時知り合った?」
「ああ、確か十年前に小僧と大盟約世界に来た時だったよ」
「馬鹿弟子を連れて? 一体何のために?」
「なに、ちょっと小僧と引き逢わせたい人間がいたんだ」
「ふむ。しかしライツに会わせたい人間だと? あやつが御執心だったやつか。しかし一体どういうつもりだ? それが確かなら、あやつがお前の元を飛び出したのは結局お前の所為という事になるぞ」
「フフ、飛び出してもらわねば俺もわざわざ引き逢わせた甲斐がないというものだ。まあ、ちゃんと思惑通り動いてくれたがね。アンタに師事した事も含めてな」
「……まったく、何やら色々悪さを企んでおるようだね」
「悪さとは心外だな、ささやかな道楽だよ。百年越しのな」
「ふん、よくやるよ」
百年越しという言葉に呆れたように肩を竦めた老女は魔狼王に背を向けた。
「そう言えば小僧は『彼女』と一緒のところにいるらしいぞ」
「ほう、なら馬鹿弟子どもが集まっとるという事だな。まとめて少し鈍っていないか確かめてやろう」
心持声を弾ませながらドアを開いて部屋から出た伊世はすぐさま振り返った。
「ところでここは一体どこだい?」
「……外まで案内しよう」
続く
あとがき
栞「どうも、こんにちは。美坂栞です」
八岐「あれ? 浩平は?」
栞「はい。わたしのポケット経由で永遠の世界に」
八岐「………」
栞「だ、だって私全然出番ないし。何故かぴろさんの方が目立てるじゃないですか。猫よりも出番の少ないなんて…えぅ〜(泣」
八岐「出番ないことないよ。次回には出るし、君」
栞「え? 本当ですか」
八岐「ポケットを少し使いたかったんでね」
栞「…………」
八岐「ん? どうしたの?」
栞「わたしの存在価値ってもしかしてポケットだけなんですかぁぁぁぁ(泣)」
八岐「………おお!」
栞「言われてみればその通りじゃん、って顔して手を叩かないでくださいぃぃぃ(泣)」
八岐「さて次回予告に行こうか」
栞「えぅ、無視しないで下さい(泣) ううっ、ならばせめてあとがきで! ここはわたしが次回予告やります。いいですねっ!」
八岐「ど、どうぞ」
栞「次回第29話「災厄の影見えて」−とうとう新たなる、そして真の敵の姿が見え始めます。それから、それからですねー」
八岐「あとは次回という事で。それでは駄文にお付き合いいただきありがとうございました」
栞「えっ、もう終っちゃうんですか? えっと、次回もわたし頑張りますよー。それじゃあさようなら〜」
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