魔法戦国群星伝








これは勘というものなのでしょうか?

彼女は自問する。

いいえ違う。これはあらゆる状況を分析した結果、出てきた結論のはず。

……でも、分からない。結論に至ったプロセスを説明できない。これでは納得させられない…いえ、私自身が納得できない。そんなものは論理的ではない。論理で構成される私が論理的でない結論を下す事は出来ない。

でも…それでも…私の中の何かが、間違いないと叫んでいる。

彷徨う結論、それは……。











< 第二十二話 乱戦貫途・切開峠道・闇乃迷路 >




西園平原 来栖川勢



「別働隊?」

御音・東鳩両軍とも西園平原に布陣を済ませ、すぐにでも戦闘が始まろうというこの切羽詰った時にセリオが言い出した説に、綾香は驚愕に飛び上がりそうになった。
だが言い出したセリオのあまり自信なさげな態度に落ち着きを取り戻す。どうやらセリオも確信があって言い出したわけではないらしい。

「セリオ、その説にはいくつか無理があるわ。一つは御音の現状の国力、五万という数以上を戦闘に送り込むことは無謀どころではないわ。国が破産するか、もう一回革命が起こるかね。もう一つ、わざわざ別働隊を編成するなんて無駄じゃない? 逐次投入の愚を犯すことになるわ」

「別ルートで帝国領内に侵入することは……無理ですね」

「そういうこと」

現在、御音共和国と東鳩帝国を結ぶ街道は幾つかあるのだが、万単位の軍勢を動かせるような街道はここ西園街道しか存在しない。別ルートで軍を進めようとすれば険しい山岳地帯と深い森に遮られてしまう。つまり御音共和国軍はここを通るしかないのだ。

「ですが……私は別働隊の可能性を否定できません」

「…………」

綾香はセリオの頑なな態度にう〜んと唸り声を上げた。

この子が理由もなくこんな風に言うのはめずらしいわね。

しばらく唸っていた綾香は懐から小さなベルを取り出し、チリンと鳴らした。

「セバス、いる?」

「ここにおりますぞ、お嬢様」

どこから現れたのか、何時の間にか執事服に身を包んだ一人の屈強な老人が綾香の傍らに控えていた。

「セバス、『鋼』を今すぐ動かしたいんだけど…できる?」

来栖川公爵軍私設特殊部隊『鋼』−帝国情報局が例外的に認めている唯一の私的特務情報機関であり、規模は小さいものの能力は総本山である情報局すら上回っていると言われる。
その『鋼』を、先々代来栖川公爵のころから率いているのがコードネーム「セバスチャン」こと、長瀬源四郎だった。

「勿論でございます。して、用向きは?」

「御音領内、特に国境近辺に草を放ってちょうだい。なんらかの動きがあればすぐ連絡を」

「承知いたしました」

そう言い残すと、セバスチャンは再び闇の中に姿を消した。

「綾香さま」

「まあ、なんだ。セリオの言葉は信用することにしてるのよ、わたしは」

照れたように言う綾香にセリオが微かに笑みのようなものを漏らす。
それを見逃さなかった綾香は嬉しそうに笑みを浮かべる。綾香は自分で感情が無いと言い放つこの人形の少女が、たびたび漏らす感情を見るのがたまらなく好きだった。

「申し上げます。敵の前衛部隊が進軍を開始しました」

「わかったわ」

頷いて見せた綾香の表情にもはや笑みはなかった。

「とりあえずは目の前の敵よ。いいわね、セリオ」

「はい、綾香さま」








西園平原 中央部

「おらおら! どけぇーー」

妙齢の女性とは思えない蛮声と共に疾駆する七瀬留美は、周囲に群がる敵兵を愛用の大薙刀を振り回して蹴散らしながら、敵本陣目掛けて突進していた。

戦場は今、大乱戦の様相を呈している。


原因はこの人、『特攻乙女』こと七瀬留美の暴走であった。


最初に軍勢を進めたのは御音軍だった。もっとも、この攻勢は様子見であり、殆んど威力偵察に近いものであったのだが。
対する帝国軍も来栖川綾香が大人しくセリオの進言を受け入れて――つまり敵の足止めをもっぱらの作戦目的とした――配下の部隊に必要以上の反撃を戒めていた。

それが逆に両軍にとって仇となった。

敵の反撃が少ないと見て取った七瀬は、当初の予定を忘却の彼方へと押しやり、本気で攻撃を始めてしまう。その挙句、最終的に自分が先頭になっての突撃まで敢行し、七瀬の両翼に布陣していた中崎・南森両軍までが引きずられて敵との本格的な交戦を始めてしまったのだ。
だれもが予想だにしてなかった展開に、戦場は大混乱に陥った。
実は敵味方に関わらず稲木佐織・来栖川綾香の思惑は膠着状態を作り出す事で一致していたのだが、そんな状態など、今この地のどこにも見当たらなかった。

そんな最中、七瀬は少数の部隊を率いて大乱戦の中央を一直線に疾駆していた。
目的は来栖川綾香の本陣。
幸か不幸か、綾香はその好戦的な性格からか、本陣を最前線に近い所に置いていた。
ある意味、七瀬の攻撃はツボをついていたと言ってもいい。佐織の方針を無視していたとはいえ――これはこれで、これ以上無い致命的なミスだが――彼女の暴走は純粋に戦術面から見た場合、恐ろしいまでに効果を発揮していた。それは七瀬留美が指揮官として、最も有効な攻撃点を見極める能力を並外れて有しているという事実を如実に示している。
ものみヶ原会戦で、東鳩帝国軍が全軍を挙げてようやく実現した<オペレーション・ヤック>とほぼ同様の展開を、多少強引とはいえ、独力で現出させたのだ。その戦術眼と突撃能力には凄まじさすら窺える。
もっとも、結局事態が最後まで<オペレーション・ヤック>と似たような展開を辿ったのは、ある意味皮肉とも言えるのかもしれないが……








西園平原 来栖川勢本陣

群がる敵を蹴散らして、来栖川本陣に突入した七瀬は、その場にいる連中に向かって大声を張り上げた。

「来栖川綾香ぁ!! この真の乙女、七瀬留美がわざわざあんたの首を取りに来てやったわよ!! 勝負しなさい!」

「ふふ、また威勢のいいのが来たわねぇ」

もはや時代遅れとなりつつあった一騎打ちの申し出に、綾香は楽しげに笑った。

「綾香さま。ここは私が…」

前に出ようとするセリオを片手で制しながら声を弾ませて言い放つ。

「セーリオー。あたしの獲物を横取りしようなんて十年早いわよー」

「……わかりました。でも、あまりいたぶってはあの方が可哀相ですのでほどほどになさったほうがよろしいかと」

「…あんたね、あたしをなんだと思ってるわけ?」

「……申し上げてよろしいのでしょうか?」

「………やっぱいいわ」

目の前の自分を無視してじゃれ合ってる二人に、痺れを切らして七瀬が怒鳴る。

「だぁぁー!! いつまで待たせるのよッ」

「ああ、ごめんごめん」

謝りながらスタスタと前に出る。

「ちょっと、丸腰じゃない!」

舐められてる、と思った七瀬は目を吊り上げて叫んだ。だが、綾香は口元に笑みを浮かべながら告げる。

「あなた、あたしのことをよく知らないみたいね。『神拳公主(ゴートリク・ファウスト)』の字名は飾りじゃないのよ」

右足を引き、半身となって構えを取る。そこに豹の如き危険な気配を感じて、七瀬は無意識に大薙刀を強く握り締めた。

「さあ、遊びを始めましょうか。七瀬留美さん」









西園平原 中央戦線

「ちょっと、どうなってるのよ。こら! 南森!!」

敵味方完全に入り混じって戦っている状態の中で、同僚の南森を見つけた御音共和国軍の将軍 広瀬真希は周囲の騒乱に負けないような怒声を張り上げた。

「留美はどこにいったのよ、留美は!!」

襟首を捕まえられた南森は悲鳴を上げながらもなんとか答える。

「な、七瀬さんなら敵の本陣の方に……」

「あっ、あの突撃バカがぁーー!!」

「ぐげっ」

怒り狂った広瀬に地面に叩きつけられた南森がカエルのような声をあげる。

「南森! あんた、中崎のバカを探して」

「ちょ、広瀬はどうするんだ?」

「あたしはあの特攻バカを連れ戻してくるわ! だからあんた達は部隊を早く掌握し直してあたし達の撤退を援護しなさい、わかったわね!!」

「わ、わかった」

南森は転がるように駆け去っていった。それを忌々しげに一瞥した広瀬は自分の部隊を率いて敵本陣に向け走り出した。









西園平原 来栖川勢本陣

「でぇぇぇやあっ!」

掛け声と共に、凄まじい勢いで大薙刀が振り回される。
触れれば文字通り粉砕されそうな一撃は、あっさりと空を切った。

「頑張るわねぇ、疲れないの?」

余裕の笑みを浮かべながら、リズムよくステップを踏む来栖川綾香の対面には、汗だくとなって息をつく七瀬留美がふらつく足元を必死に抑えようとしていた。

「ま…だまだ余裕よ」

そうは言ったものの、内心では「洒落になんないわよーっ」と悲鳴をあげていた。
得意の大薙刀でもって斬りかかったものの、綾香はその斬撃全てを紙一重でスイスイと交わして見せた。意地になって振り回しまくった挙句、この状態である。
綾香にその気があればすぐにでもやられていただろう。
七瀬は相手の総大将さえ倒せば楽勝で勝てる、などと考えていた自分の甘さに唇を噛み締めた。

「あんまり余裕には見えないんだけどねぇ」

クスクスと笑う綾香に七瀬の怒声が叩きつけられる。

「うっ、うるさーーい!」

一閃。

一気に間合いを詰めての大気を唸らせる凄まじい袈裟斬り。

横にステップして避けようとした綾香の目が微かに吊り上がる。

フェイント?

まさしくフェイントだった。斜めの斬撃が、慣性を無理やり無視して、力任せに横薙ぎの一撃へと変化する。

「殺ったぁ!」

響く七瀬の歓喜の声。

ボワッ


空気を弾く音とともに、斬撃に呷られ、地煙が巻き上がる。だが……。

「なっ、いな!?」

手ごたえ無く振り抜かれた薙刀の感触、そして七瀬の目が見開かれる。

目の前にいたはずの綾香の姿が消えていた。

「あっぶな〜い。今のは惜しかったわよ」

背後から聞こえてきた声に、咄嗟に後ろを見た七瀬は凍りついた。

振り抜かれた大薙刀。その大きな刀身の上に軽やかにすらりと佇む女性の姿。
信じられない光景を呆然見つめる。視線が交わる。見下ろすその眼は笑っていた。


「あ……ああああああ!!」

思わず絶叫しながら薙刀を振り上げる。綾香はフワリとトンボを切ると大地に舞い降り、にこやかに微笑んだ。

「ふふ、力持ちねえ。凄い凄い。でも…」

七瀬は見た。来栖川綾香の瞳が、ただ視る眼から、喰らう眼に変わるところを……。

「いい加減そろそろ終わらせましょうか」

そして聞いた。その声音が玩具にじゃれつく子猫の鳴声から、獲物を狩らんとする女豹の唸り声に変わるのを……

思わず一歩退いた七瀬。その僅かな怯みを見逃さなかった綾香は間合いを詰めるため地面を蹴った。

だが―


パシュン


次の瞬間、綾香の足元に銃弾が突き刺さり、綾香は後ろに跳びのいた。

「なに?」

「こらぁ! なにしてんのよ、この突貫バカ娘!」

「真希?」

銃声がした方に振り向いた七瀬は、部隊を率いて突進してくる広瀬真希に目を丸くした。

「銃兵隊、援護射撃!」

「真希! 邪魔しないでよ!!」

「なに意地張ってるのよ、このバカ!」

「バカバカいうなぁ!!」

既に周囲は、素早く反応したセリオが指揮する来栖川本陣部隊と広瀬隊とが戦いを繰り広げている。

「ちぃ、邪魔が入ったわね」

とにかく、あの七瀬留美だけは討ち取る。

綾香は広瀬との言い争いを続ける七瀬目がけて飛びかかった。

「留美! よそ見するなっ!」

血相を変えた広瀬の叫びと迫り来る殺気に、七瀬は咄嗟に振り返り、大薙刀の柄で綾香の鉈のような上段蹴りを受け止める。

「うわぁぁ!」

だが、綾香の一撃は大薙刀を易々とへし折り、七瀬を弾き飛ばした。

背中から地面に叩きつけられた七瀬に容赦なく追撃をかける綾香。

「留美!!」

止めが刺される寸前、馬に乗って突撃してきた広瀬が剣で斬りかかり、綾香の攻撃を遮る。


圧巻はそこからだった。


瞬時に剣筋を見切った綾香は、振り下ろされる剣の腹を軽く掌で叩いた。ただ撫でただけのような仕草。だがその途端、なんと真希の剣がバキンという音と共にへし折れる。

「なっ!?」

クルクルと宙を舞う折れた剣身を思わず目で追いながら、あまりの事に広瀬は一瞬呆けてしまう。
勿論、その隙を見逃す綾香ではない。
両手を大地に着き、馬上の広瀬目がけて足から飛び上がる。
スルスルと目前に伸び上がってきた二本のスラリとした足に、ハッと我に返った広瀬は咄嗟に右腕で庇った。
首を挟もうとした綾香の両足は、差し入れられた右腕を挟み込む。だが、綾香は構わず動きを止めない。
囁きが広瀬の耳に飛び込んだ。

「…螺旋鉄槌」

その瞬間、綾香が全身を、広瀬の右腕を捕まえたまま独楽の様に一気に捻る。広瀬はたまらず馬上から引きずり降ろされる。同時にベギィという鈍い音が響く。
広瀬の右腕の骨が砕けた音だった。
だが、まだ終わらない。右腕を破壊されながら凄まじい勢いで地面に叩きつけられる。高さも充分、さらに二人分の体重と投げ飛ばされた勢いが加わった強力な一撃。

「がっ!!」

胸から叩きつけられ意識が弾ける。明らかに鈍い音が身体の中から響いたのがわかる。
だが、悲鳴も出せずに馬上から叩き落とされた広瀬は、再び七瀬に襲い掛かろうとする綾香を目にし、止まった息を無理やり吐き出して叫んだ。

「じ、銃兵隊! 撃てぇ!!」

その声を聞いた銃兵数名が綾香目がけて銃をぶっ放す。

「留美!! 撤退…早くっ!!」

綾香が銃弾を避けて大きく後ろに退いた隙に、広瀬は激痛に遠のく意識を必死に保ちながら、起き上がった七瀬に呼びかける。一瞬躊躇した七瀬だったが、悔しげに頷くと「撤退!」と叫びつつ広瀬に駆け寄り、激痛で動けない広瀬を抱き上げ広瀬の馬に騎乗すると一目散に駆け出した。その馬上で広瀬が苦しげにうめく。

「ちょっと、真希? 大丈夫なの、ねぇ…返事してよ! 真希ぃぃ!?」

七瀬の悲鳴のような呼び声に、広瀬からの応えはなかった。






「あちゃー、逃がしちゃった。これは拙いなぁ」

「綾香さまが遊びすぎたからです」

セリオの咎めるような視線に綾香は気まずそうに頭を掻いた。

「う〜、ごめん」

「……まあしかたありません。綾香さまですし」

「セリオー、あんたねぇ」

綾香の雰囲気が危険なものにかわるのを察知したセリオは素早く話題を変える。

「早々に混乱状態にある部隊を掌握し直します。とにかく無茶苦茶になってしまいましたから」

「そうね、お願い」

すました顔で立ち去るセリオに少し悔しげな視線を送った綾香は「う〜ん、暴れ足りないな」と物騒な呟きを残し、全軍の指揮に戻っていった。









西園平原 御音第二軍団総本陣

「あ・れ・ほ・ど・言ったのにぃぃ!! もーーー、無茶苦茶ぁぁ!!」

もう半泣き状態で喚きたてる稲木佐織の前で、七瀬留美は小さくなって俯いていた。

第二軍団の副司令官である住井護は南明義と共に事態収拾のために走り回っており本陣には今、彼女達二人しかいなかった。

「ううっ、ごめんなさい」

ハァーーーと深ぁーい溜息をついた佐織は疲れきった口調で言った。

「で、広瀬さんの容態は?」

その質問に七瀬はさらに身を縮めた。

「右腕粉砕骨折に肋骨3本骨折、下手したら内臓に傷がついてるかもって。暫くは絶対安静みたい」

「はぁ、感謝しなさいよ。彼女がいなかったら七瀬さん、ほんとにヤバかったんだから」

「うん」

意気消沈し切って、普段の元気を完全に喪失している七瀬に苦笑を浮かべた佐織は、バンバンと七瀬の背中を叩いた。

「ほら、元気だして。これからまだまだ忙しいんだから、そんなウジウジされちゃ叶わないわ」

「うん、わかった」

ぎこちないながらもなんとか笑みを浮かべて見せた七瀬だったが、次の瞬間ものすごい形相で絶叫する。

「ギャアアアアアアーーーーーー」

いきなり眼前で絶叫され、ビックリして二・三歩後ろに後ずさった佐織は原因を発見して頭を押えた。

「………柚木さん、繭ちゃんの真似はやめときなさいって」

「えへへ、ちょっとやってみたかったのよねぇ♪」

七瀬の髪の毛にぶら下っていた少女―柚木詩子はぴょこんと手を放すとニコニコしながら上機嫌に言う。
七瀬の方はもうなんやかんやで、精神的負荷が許容限界を越えてしまったかして、ぶっ倒れて昏倒していた。

まあ、このまま休ませてあげたほうがいいかな。

ある意味見捨てているようなことを考えながらぼんやりと七瀬を見下ろしていた佐織は、気を取り直して詩子の方に向き直った。
大統領府特別調査局長 里村茜の側近にして諜報部長 柚木詩子。
彼女が現れたからにはなんらかの進展があったはずだ。

佐織の考えを読み取ったように詩子は言った。

「第一軍団は明日中に巳間峠を越えて帝国領内に侵入するよ」

佐織は軽く驚きの声をあげた。予定では四日後のはずだったが。

「予定よりだいぶ早いじゃない」

「うん、早い早い。繭ちゃん頑張ってたもんねー。だからこっちも頑張ってちょうだい」

「へ〜い、なんとか頑張ってみるわよ」

現在の部隊の惨状を思い出し、佐織は深々と溜息をついた。









巳間峠

「みゅー、頑張れぇ」

可愛い掛け声に応えるように巨大な白い魔獣がその巨体をもって小さな山道の脇にそびえる大木を次々となぎ倒していく。
それに続いて、黒い装束に身を固めた人々が素早く倒木を処理していき、山道を大きな道へと舗装していった。


ここ西園平原より南に位置する巳間峠は御音・東鳩の国境山岳地帯でも有数の難所と呼ばれ、旅なれた旅人や、腕利きの猟師ぐらいしか使う者のいなかった山道である。
それが今や、数万の軍勢を軽々と通せるほどに切り開かれていた。


御音共和国軍特別戦闘工兵隊−通称「黒鍬組」。

彼らの手にかかれば、如何なる険しい小道も幾時もかからずに整備された街道へと変貌する。
平時には椎名華穂が統括する工部省の中軸として活躍し、御音共和国の急激な復興の一因となっている。
そして辺りを走り回っているだけにしか見えない少女こそ黒鍬組組長 椎名繭であった。

「相変わらず繭は何をやっているのか、いまいち分からんぞ」

「なんで? 繭はちゃんと頑張ってるじゃない」

「そうか?」

「そうだよ」

工事の進行状況を視察に来ていた御音共和国軍最高司令官兼第一軍団長 折原浩平は首を傾げながらも、工事が順調に進んでいることを確認し「ふむ」と頷いた。

「でも、凄いよね。道がないなら作っちゃえ、なんて。普通は思いつかないよ」

彼の視察に同行していた長森瑞佳の感心したような口ぶりに浩平は肩をすくめた。

「まあ、みさき先輩だからな」

そう、この第二軍団を囮として敵兵力を誘引。そして第一軍団を全く敵の予期していない場所から本拠地・帝都へと侵攻させるという作戦『にわか雨』は御音共和国軍が誇る盲目の作戦家 川名みさきの原案だった。
革命軍時代から親友である深山雪見とのコンビで、革命戦争の勝利を決定付けた大作戦『演劇作戦(プロジェクト・シアター)』を始めとした数々の作戦を生みだし革命軍を勝利に導いている。
みさきは常人では思いつかないような作戦が次々と溢れるように出てくることから『奇天のみさき』と呼ばれ、対して深山雪見はみさきが考えた奇抜な作戦を実用可能な段階まで持ってくるという卓越した実務能力と共に、正道かつ重厚な作戦を練り上げる事から『正智の雪見』の名を冠する。
この御音最高の作戦家であり指揮官でもある名コンビを御音の人々は感嘆と共に『正智奇天の双龍』と謳っている。
今回の作戦も、みさきが構想し、雪見が総仕上げをした二人の合作だった。


「まあどちらにしろ、これで明日の午後には帝国領内に侵攻開始だ。へへッ、奴ら驚くぜ」

楽しそうに笑う浩平の横顔を眺めていた長森瑞佳は、その表情がまるで悪戯を成功させた時のように性悪なものになっていることに気づき苦笑を浮かべた。







御音共和国首都 中崎


首都中崎の政治中枢 大統領府には表向きには存在しない地下階がある。

その地下にある小さな執務室。
この部屋の主こそ、御音共和国のもっとも深き暗部を司る組織の長だった。

革命軍時代、王制軍の要人を暗殺し、革命軍内部の裏切り者を粛清、そして共和国成立時、小坂由起子と対立する革命軍指導者たちを次々と闇に葬ったとされる特務機関。
その組織の実在を知るものは少ない。
御音大統領と特別調査局長を除けばその組織に属する影の者たちだけである。

だがその影の者たちも、自分達の上司が名目上『T』と呼ばれること意外何も知らない。
その名の由来は、彼が長を務める組織の頭文字から取られていると言われるが、それも定かではない。



御音共和国最高機密組織……名を(タクティクス)機関という。





静寂なる闇の中に『T』は在た。まるで自身が闇そのものであるかのように…。
部屋に灯りが燈る。光に照らされた男の眼光には何処か虚無が漂っていた。

「参りました、ミスター」

あえて感情を殺したような、抑揚のない声音で来訪を告げたのは一人の女性。
編み込まれた長い髪の毛が、光を帯びて薄く輝いた。

御音大統領府特別調査局局長 里村茜。


「どうやら第一軍団が発見されたらしい」

果たして、人間の発するものかと疑いすら抱く、感情の篭らない声音。
それを聞くたびに、茜の心は震える。だが、彼女はそれを決して表に出さず、無言で続きを聞く。
それにしても彼の情報の速さはどうしたものだろう。

「すぐに実働部を第二軍団に派遣してくれ。理由は分かるね、里村君」

「稲木さんへの暗殺の危険…ですか?」

少し声が震えてしまった…

この人に里村と呼ばれることも未だに慣れない。もう数年にもなるのに……。

頷く男に分かりましたと応えながら、茜は男の瞳をそっと見つめる。



寂しい眼で……

悲しい眼で……

……すがるような眼で。



いったい幾度目になるだろう。彼の眼をそうやって見つめるのは……


彼女は彼の瞳を見つめ、彼は彼女の瞳を見つめ返す。


だが、決して視線は交わらない。


返ってくるのは、いつもと変わらぬ虚無を湛えた瞳だった。




茜が部屋を辞すると、辺りは再び闇に沈んだ。








「闇は決して悪い物ではない。闇は温かく人を包んでくれる…例えば安らかな眠りを与えるのも闇だ。だが、君はあえて凍える闇の中に身を置いている」

男は傍らから聞こえてきた声に振り向きもせず答えた。

「今になってそんな事を言うとは……何かあったのか、氷上君」

闇の中から一人の青年の姿が浮かび上がる。


氷上シュン

御音共和国の闇であるT機関の長『T』…その側近として暗躍する青年である。


氷上シュンは男の問いには答えず、茜が出て行ったドアを眺めた。

「…彼女はいつもここに来るたびに泣いているね」

無言の男を肩越しに見やり、氷上は問い掛けた。

「君はいつまでこの闇の中にいるつもりなんだい?」

「……今日はいやに意見するんだね」

冷ややかな声の中に微妙に含まれた皮肉の響きに、氷上はふと思い出したように沈黙すると、小さく肩を竦めた。

「確かに……道を指し示すのは僕の主義には反するね」

そう言うと、氷上はしばし男の瞳を見つめた。無言の時が過ぎる。やがて微かに、傍目には分からぬほど微かに首を振り、氷上は部屋を辞した。




§



コツリコツリと足音が響く。
まるで無限に続くような錯覚を覚える足音。

いや、それは錯覚ではないのかもしれない。それを彼−氷上シュンは理解している。


自分の足音を聞きながら、今更のような心の揺らぎに、彼は思わず小さく言葉を紡いだ。

「絶望を復讐に変え…その復讐が終わった今、彼に残ったのは虚無だけなのか」

誰ともなく呟く氷上に虚空から返事が返ってくる。

「同じ復讐という闇に居た浩平は今、前を向いているのに、どうしてあの子は虚ろの中にいるんだろう?」

足音が止まる。

「少しずつ何処かがずれてしまった…ただそれだけだよ。誰が悪いのでもない。それに、まだ彼はここにいる…」

そう…全てを失い消えていったあの少年とは違う。

しばし今ではない過去の残映に思いを巡らせ、心を沈ませながら氷上は虚空を仰いだ。
いつの間にか虚空に小さな女の子の姿が浮かんでいた。
氷上は様々な感情が入り交ざった視線を少女に向ける。

「みずか…と呼ぶべきかな?」

少女は肯定もせず、否定もせず無言で視線を返す。
氷上はそれを肯定と受け取り、少し微笑いながら問い掛けた。

「君が現れるとは珍しいね」

みずかははにかむよう眼を細め、虚空でクルリと回ってみせた。

「私は…いつでも、どこにでもいるんだよ」

まるで全てを見透かすかのような、それとも何も見ていないかのような眼をして言葉を紡ぐ。

「そうだったね」

何かを思い起こすかのように瞳を閉じた氷上の隣にフワリと浮かんだみずかは、その透明な視線を彼が出てきた部屋に向ける。

「あの子は…またあの時のように拒絶するの?」

いや、と首を振り氷上は傍らの少女に語りかける。

「彼らがほんの少し前に歩を踏み出すことができたなら、彼はあの冷たい闇―ココロの黒洞から解き放たれるだろう。そう…既に側にあるものに彼が気づく事ができたなら、気づかせる事ができたなら」

「何に気付けばいいの?」

「絆……だよ、みずか」

少女はフッと透明な視線を此処ではない何処かに向けた。

「絆……あなたはそれをあの子に気付かせてあげないの?」

氷上は目を細め、空虚な微笑みを浮かべるとゆっくりと歩き始めた。

「僕はただ時を漂うだけ、人に手を貸すことはできても、人の手を引くこと、人の背を押すことはできない」

「ずっとそうしてきたんだもんね」

「そしてこれからも、だね」

みずかは歩き去る青年の背を見送りながら小さく囁いた。

「それはどうかな…だってあなたは優し過ぎるんだもん」

その囁きは氷上には届かず、彼の足音に掻き消えた。

ただ硬い足音が遠ざかっていく。

「シュン」

誰とも無く響く呼び声。

「もうすぐ来るよ…災厄が」

足音が止まる。

「宴が…始まるよ」

振り返った氷上の視線の先に少女の姿はもうなかった。

「災厄……宴が始まる?」




    続く



    あとがき

八岐「さてさて、やっとこ御音が戦にもストーリーにも本格参戦しました」

浩平「と、いう良い所で打ち切り―」

八岐「するかぁぁぁぁ!」

浩平「なんだよ、楽にしてやろうと思ったのに」

八岐「それは盲腸で苦しんでるから安楽死させてあげようってなもんだぞ」

浩平「あんまり例え話上手くないんだから止めとけよ。でも苦しいのは確かなんだな?」

八岐「だってさあ、登場人物まだ出てないヤツまで数えたら50人越えるんだぜ?」

浩平「はっはっは、そりゃ凄えや」

八岐「…笑ってやがるし。しかし、小さいみずかまで出しちまったしなあ」

浩平「勢いで出したのか?」

八岐「いや、大盟約世界と名づけた時から彼女は出すつもりだった。御音側の重要人物で、世界全体に関わる人物でもあるのだ!」

浩平「のだ!って力説されてもなあ。まあ、確かに妖しげな言動してるけど…」

八岐「あれは、後半への布石だな。せっせと種を蒔いてるのだ!」

浩平「だから、のだ!!って力説させれもなあ。あんまり蒔きすぎると腐るぞ」

八岐「…………ぐは」

浩平「だから、それ俺のセリフ……」

八岐「さて次回は第23話「気がつけば下り坂」…ぼちぼちとしか展開が進まないのだ!(汗)」

浩平「だから、のだ! は…もおいいや(嘆息)。さて…次回の初登場キャラは…澪だ!!」

八岐「それでは、駄文にお付き合いいただきありがとうございました」


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