少女達の恋愛譚





 親友の相沢美綺の様子がおかしいと上原奏が気付いたのは、つい最近のことだ。まぁいつだってみさきちのやることは全く理解できない奇行ばかりだが、今回の「おかしい」はそれと少し趣が異なる。

 授業中に話を聴かない、ノートをとらないはいつものことだけど、最近は上の空であることが多い。いつも楽しいこと、自分の興味のひくものを探す好奇心に溢れる瞳はなぜか中空を彷徨い、ようするに本当に意味もなく呆としているのだ。

 そのくせ何かの拍子に我に返るらしく、授業が終わればいつものように自分を引き連れて不思議探検や取材に出かけてあちらこちらに迷惑をかけ、私がフォローをするはめになっていた。

 みさきちの「おかしい」に気が付いてる人は、だからおそらくきっと絶対自分だけだと思う。

「いやぁ〜危なかったぁ。でも、確かな収穫はあり、だね! やっぱりあの噂は本当なのかもっ」

 今日もいつも通り自分の好奇心を満足させた上機嫌なみさきちがくるくると回りながら前を歩く。窓から差し込む斜陽を飛び跳ねて渡るように。
 ここに通うお嬢様な同級生たちなら絶対にしないような歩き方。自分がやれば目を回して尻餅をつくところだ。スカートがめくれてパンツが見えてるし、危ないなぁとは思うけど注意はしない。そんなことはもう数え切れないほどやってきたし。

「みさきち、もう止めようよ。正直今日のは危なかったし」

 本日は生徒の間で広まっている、坂水先生に関するある噂の真相を確かめるべく奔走していた。その噂というのが、その、あまり口にするには憚れるものなのだが、とにかく奔走していたのだ。
 その途中、運悪く聞き込みをしているところを坂水先生本人に見つかってしまい、問い詰められてしまったのだ。不幸中の幸いか、内容は聞かれてなかったから何とかやり過ごせたけど。

「何言ってるのぉ、奏。真実を明らかにして報道する。これすなわちジャーナリストの使命だよ」

 その自信がどこから出てくるのか不思議だ。時々羨ましいとさえ思う。大抵は頭痛の種になって私を悩ませるのだけど。しかしそれ以前に、ただでさえ坂水先生には睨まれてるのだからわざわざ近づくようなことはしてほしくない。
 そんな私の心配をよそにみさきちは次の戦略展開をプランニングしていた。

「でもこれ以上生徒から情報を聞き出すのは無理かなぁ。情報を提供してくれそうな子には全員声かけちゃったし」
「やっぱりやめようよ。これ以上はさすがに間違いだった時にごめんなさいじゃすまなくなっちゃうよ」

 というか本気でシャレにならない気がする。情報を仕入れるということはつまり、情報提供者にもある程度の疑惑を渡してしまうことになるから。

「一割の真実のために九割のデマに翻弄される。だけど知ることを止められない者達。いやぁー、アタシ達って業な生き物だよねぇ」
「人の話を聞けー、みさきちっ。そもそもそんな業は知らない。達ってつけるな、達って」

 これで授業中はまるまるアンニュイしていたというのだから恐れ入る。しかも今日は溜息まで吐いていたのだ。数年を一緒に過ごしてきたけど、もしかしたらみさきちは二重人格なのかもしれない。本当にそう思ってしまうくらいに別人だ。

「ねぇ、みさきち……」

 訳を聞いてみたいと思った。相沢美綺が見た目通りに傍迷惑で、他人の気持ちを慮らない人間でないことは自分が誰よりも知っている。春先のソフトボール大 会のときだってそうだった。酷いことをしているように見えて、あれは誰よりも理事長のことを思っての行動だったはずだ。実際あれ以来理事長に刺々しさがな くなりはじめ、今では随分接しやすくなった。

「ん? 何かにゃ?」

 屈託ない笑顔で美綺がこちらを振り向いた。
 そんな美綺が傍目からは分からないように悩んでるのなら、力になってあげたいと思う。

「えっと、何かあるなら相談してね」

 でも直接は聞かない。美綺がそれを隠している以上、私にできるのはせめて相談しやすいように促すことだけ。
 そんな私の言葉を聞いてキョトンとした美綺は一瞬――本当に瞬きするほどの間――優しい笑みを浮かべて、

「えー、本当に? いやー、実はもう一つ確かめてみたいと思ってたことがあるんだよね。森をさ迷い歩く旧日本兵を見たって子がいてね、」

 そんな風に誤魔化された。
 ならそれはきっとまだ言えないことなんだと、そう思う。

「はいはい。今度は誰から聞いてきたのかなぁ、全くもう。あっ、滝沢先生」

 向こうの角から滝沢先生が顔を出した。玄関の開く音が聞こえたし、今帰ってきたのかな。

「上原と、みさきちか。今から夕食か」
「はい。滝沢先生は?」
「んー、これからまた図書室だなぁ。明日の講義の調べ物が残ってるんだ」

 そう言って片手に持った教材を掲げてみせる。いかにも大変そうな口ぶりだけど、口の端に笑みが浮かんでいるところからして言うほど苦ではないのだろう。 歴史上の事件の裏側から成り立ちや因果関係など、教科書に載ってないことを話すときの滝沢先生はいつも楽しそうで、それは既に調べるところから始まってい るみたいだ。
 そういえば美術史を語る暁先生もこんな顔をしてる。著名な芸術家の失恋のエピソードとか、その人となりについてとか。本当に美術が好きなんだと思う。全然授業に関係ない話になるほど熱がこもっていくその話し方が大好きだった。
 なんて、滝沢先生の前でまで考えることは暁先生のことなんて。なんだか本当に恋する乙女そのままで恥ずかしい。

「そういえばみさきち、また何かしたのか? さっき坂水先生とすれ違ったとき、何かブツブツと言ってたけど」
「ぇ、いやぁー、アタシ別に何もしてないし。いつものことじゃないかなぁ」

 今坂水先生にがここにやってきたりしたら、みさきちの悪事(かどうかはわからないけど)があっという間にばれそうだ。みさきちのためにも、そうなったほうがいい気がする。

「いや、その動揺ぶりはまた何かやった証拠だ。何をやらかしたんだ?」
「あ、あのあのあの、滝沢先生。みさきちは表向き何もやってないというかやってないわけではないけど多分確たる証拠はないはずというか」
「で、上原も巻き込んで何かやったと、そういうことなんだな」

 わわわわわ、もしかして言わなくてもいいこと言っちゃった!?

「あははは、うーん、かなっぺは本当に隠し事できないね。でもそれがかなっぺの良いところだ」

 みさきちに慰められるのはすごく納得がいかないいかないよっ。

「まぁ、センセになら言ってもいいかな。あのね、実はさっきまでね」

 と、先ほどまで奔走していたことを楽しげに語りだす。私としてはもうちょっと罪悪感とかそうゆうのを持ってほしい。

「なんと、本当かっ。全くみさきちはけしからん生徒だ」

 表向き憤慨しているように見えて全身で「仲間はずれにされたーっ」と主張している滝沢先生も先生だ。やっぱりこの二人はすごく息が合ってる。

「今度そうゆうことをやるときは僕も誘え。悪巧みは割と得意な方だ」
「ふふふ、センセもワルだねぇ」
「いえいえ、みさきちほどでは」

 なんだかまた色々と嫌なことに巻き込まれそうだなぁ、主に私が。すごく邪悪な笑いだし。みさきちが二人いるみたいで心労が二倍どころか二乗しそうな予感が……。

「教師の僕がいるだけで色々とやり方に幅が出てくるんだよ。特に隠蔽しやすい」
「えー、でもセンセって全然センセらしくないしさ。それにセンセは生徒寄りだからそれはどうだろうな?」
「ぐわっ、そんなに僕には教師の威厳がないのか」
「うん、欠片も。微塵も。一芥も」

 テンポのよいやりとりの応酬。なんとなく入っていきづらい空気が……?
「あれ?」と疑問が口をついて出そうになった。ふと、何か違和感みたいなものを感じた。
 いつも通り楽しげに会話を展開しているみさきちと滝沢先生。なのに二人の様子を「おかしい」と思えてしまうのはどうしてだろう? そろりそろりと近づいたり離れたり、お互いの間合いを計り合うような。これって緊張感?

「よし、そろそろ僕は行くよ」
「えっと、うん、そうだね。アタシたちも早く行かないと美味しいのなくなっちゃうし」
「あまり食べ過ぎるなよ、みさきち。僕の分がなくなるからな」
「オッケー。じゃあセンセが好きなものから優先的に食べていくよ」

「こいつぅ」と笑顔で怒る先生からやはり「にゃははは」と笑顔でみさきちが逃げ出した。
やっぱり勘違いかもしれないけど、それは本当に「逃げた」ように見えた。

「あぁ、みさきち! 失礼します、滝沢先生」

 失礼にならない程度に忙しないお辞儀をしてみさきちの後を追いかけた。
 角を曲がって見えなくなっていたみさきちは前方をぼんやりと歩いていた。それはさっきまで鳴りを潜めていた、ここ数日見る隙だらけなみさきちだった。
 やっぱり自分が覚えた違和感は間違いじゃないのかな? 滝沢先生に関係しているのかな?
 すぐに追いついた私は少しだけ高鳴る鼓動を抑えて聞いてみた。

「ねぇ、美綺。もしかしなくても、悩んでるのって滝沢先生のこと?」
「ひぇ?」

 実に分かりやすく動揺してくれた。平静を装おうとして目が泳ぐなんて美綺らしい。わざわざ口をパクパクとさせて動揺してるし。

「……やっぱり分かっちゃった? 」
「親友のことだからね」

 結局何かを誤魔化すことなくすんなり白状してくれた。いつもこれくらい素直だと私も助かるのに。

「最近物思いに耽るときがあったけどそのせいだったんだね」
「あはは、そうなんだ。自分じゃあそんなつもりなかったのになぁ」
「うん。今思い返してみれば歴史の授業中が一番そうだったかもしれないし」

 わずかに頬を赤らめて照れるみさきちは毎朝鏡の中でみる自分みたいで、それはつまり恋する女の子の顔だ。嬉しそうに緩んでいるけど、ひょっとして暁先生のことを思っているときの私もそうなのかな……?

「でもそうゆうことなら言ってくれればよかったのに。別に隠すようなことじゃ……」
「いやぁ、別に隠そうと思ったわけじゃないけど」

 少しきつく見えるように(みさきちには全然通じたことがないけど)じっと見詰めるとバツの悪そうにみさきちは視線を逸らした。

「だってセンセはアタシのこと女の子って見てないもん。アタシの気持ち知られちゃったらきっとギクシャクしちゃうからさ。だったら秘密にしておこうかなぁ、なんて」

 それに、と困ったように苦笑を浮かべて、

「ただでさえ暁ちんのことで奏は色々悩んでるわけだし。おんなじようなことで相談しても奏の負担になるだけでしょ」
「そんなことないよ」

 私のことを気遣ってくれていたのは嬉しいけど、でも全然嬉しくなかった。それじゃあまるで私が何もできない役立たずな子みたいだから。私はいつだって美綺のために何かしてあげたいと思ってるのに。

「私は美綺のこと本当に思ってるんだからね。頭良くないからうまいこと言ってあげられないし自分のこともうまくいってないけど、相談に乗るくらいはできるんだからねっ」

 親友なんだから、とは言わないでおいた。恥ずかしいし、私が美綺のこと思ってるんだってことが伝わればそれでいいから。
 それは美綺も分かってくれたみたいだ。

「えへへ、うん。ありがと」

 お礼を言ったみさきちは大きく伸びをして少しだけ晴れやかな笑顔を見せてくれた。

「いやぁ、なんだか気付かれちゃったと思ったら少しすっきりしたかなぁ。なんで最初から言わなかったんだろう」

 でも、とまた表情が沈んだ。

「かなっぺに分かったってことはセンセにも気付かれちゃったかなぁ。アタシ変じゃなかった?」

 気弱な表情を見せるみさきちが少しおかしくて、いつも自分がされているみたいにからかってみたくなった。

「大丈夫。みさきちはいつだって変だから。きっと気づかれてないって」
「ぶぅ、かなっぺがイジワルだぁ」

 拗ねるみさきちがおかしくて私は笑い出して、それにつられるようにやっぱりみさきちも声を出して笑った。ここ数日ご無沙汰だった美綺の心からの笑顔だった。

「大丈夫だよ。私、みさきちと滝沢先生は本当にお似合いだって、ずっと前から思ってたんだから。みさきちが滝沢先生を好きになって、『あぁ、やっぱり』って感じだし」
「えええっ!? そ、そうかなぁ?」
「うん、ホントホント。そうかぁ、みさきちにもようやく春が来たんだね」

 親友としてそれは本当に嬉しかった。心から応援したいと思った。

「もうどんどんアタックアタックだよ。積極的が一番なんだから」
「いやぁ、それをかなっぺが言うのはどうなんだろう。うーん、でも積極的にかぁ。アタシの場合女の子に見られてないっていうのが問題なんだよねぇ」
「うーん、そか。見る目を変えないと駄目だね。見る目、見る、目……うぅ」

 考えだして思わず絶望。女の子として見てもらえてないのは、私も一緒なのだ。しかも私の場合、好意を持っていることだって知られているし……。

「だ、大丈夫。暁ちんはちゃんと奏を女の子として扱ってるから。ほら、すごく優しくしてくれてるし」
「でもそれって小さな女の子に対するそれっぽいよ?」

 なんだかどんどん思考がネガティブな方向に……。
 あうあう。ごめんみさきち。相談に乗るはずがこんな落ち込んじゃって。

「ま、まぁ、アタシのほうはなんとか自分で考えてみるからさ。ほらほら、元気出して」
「うー、ごめんねみさきち〜」

 結局みさきちに手を引かれてしまう自分が少しだけ情けない。私がもうちょっとしっかりしていればみさきちの役に立ったり、暁先生に、その、ちゃんと女の子として見てもらえたりするのかなぁ?

「ね、奏」
「なぁに、みさきち……」
「それなら一緒に頑張ろうよ。恋する女の子同士さ。一人じゃちょっと心細いかもしれないけど、二人ならきっともっと頑張れるよ」
「みさきち……」
「そうすれば絶対振り向いてくれる。そう信じて頑張ろう。そうでもしなきゃ恋なんてやってられないよ」

 思わぬみさきちの言葉にちょっとぽかんとしてしまった。でも、確かにそのとおりだ。

「うん……そうだね。頑張ろう、みさきちっ」
「よし。そうと決まれば早速作戦を練らなくちゃっ」

 ……何か、突然聞き捨てならない言葉が耳に入った気がする。

「え、ええっ? 作戦って何!?」
「決まってるじゃなーい。センセを落とすための作戦だよ。さあ、あの夕日に向かって走るぞ、かなっぺ!」
「ちょっとちょっとみさきち、ご飯食べに行くんじゃなかったのーーっ!?」

 やっぱり駆け出すみさきちの後を慌てて追いかける。
 裾が翻ったけど無視した。そうでなきゃみさきちに追いつけない。本当に走りたいなら、他の事なんか気にせず走った方がいい。
 まだまだ恋愛成就までの道のりは遠そうだけど、美綺と一緒ならそれも悪くないんだきっと。
 手を振って急かす美綺に私は笑顔で飛び込んで行った。









後書き

はじめまして、しがない物書きクロトンです。
今回は雪蛙さんとの合作として投稿させていただきました。
このSSは雪蛙さんが完成間近で投げたものを、私が軽く追加+修正したものになります。
たったこれだけで合作扱いにしてもらっていいのだろうか? とも思いましたが、せっかくなので名前をいれさせていただくことにしました。
私が言うのも何ですが、読んでくださった方に限りない多謝を。



すっかりご無沙汰気味の雪蛙です。性懲りもなくSSを送りつけてしまいました。
前回は『Quartett!!』、今回は『かにしの』。もはや自分でも何をやりたいのか分かりませんな(笑)。
上記の通り、このSSは『かにしの』をやり終わった勢いで書き始め、ガス欠と本編の設定矛盾の発見にあえなくお蔵入りしていたものです。
いつ削除しようか考えているころ「完成してなくてもいいから」と言われクロトンさんに読んでいただき、冗談で言った「続き書きます?」の一言になぜか乗り気になったクロトンさんは3時間でこれを書き上げました。
友人としてもうちょっと才能の使いどころを考えた方が、と諫言するべきか悩みます(笑)。
彼の手がなければ日の目を見なかったわけで、きっと合作として名を連ねる権利があるのだと思います。
7,8割は雪蛙が占めてるけどねっ(負け惜しみ)。
あまり長くなるのもあれなのでこのへんで。
読んでいただきありがとうございました。





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