チラチラと、曇天の合間から降ってくる雪を見ながら思う。

    雪が好きだ。
    空から舞降りてくるそれは地上の悲しいものも、汚いものも、優しいものも、綺麗なものも、みんなみんな
   白く染めて、同じにしてくれるから。


    栞は改めて雪原に目を落とした。純白の雪原の中に人が倒れている。それも一人ではなく、複数。老いも若
   きも関係なく、男も女も区別なく、たくさんの人たちが物もいわず、ただただ雪原の中に穴を穿っていた。自
   分の他には動く者はいない。
    ここは戦場だった。辺りには今も弾痕が残り戦いの激しさを物語っている。それを巻き起こしたのは自分。
   それを思うといまさらながら寒気が走る。けっきょく生き残ったのは勝者たる自分のみ。しかし、勝ったから
   といってそれがどうしたというのだろう。得られたものは何も無い。それどころか自分は全てを失ってしまった。
    倒れ伏す人の群れを改めてみる。真琴、美汐、あゆ、名雪、香里、舞、佐祐理―皆が皆、己の全てを出し切っ
   て戦い、散っていった。それゆえに彼女達は美しく、だからこそ悲しい。栞は目を屍の中の一つに留めた。その
   姿を見ると、それだけで胸が締め付けられるような思いが体をめぐる。
    相沢祐一。それがその屍がかつて持っていた名前だった。




    うつぶせに倒れているためその表情を窺い知ることはできない。知ろうと思えば今すぐにでも確認すること
   ができるがそうしようとは思えなかった。それに、見なくてもどんな顔をしてるのかは簡単に想像できた。き
   っと笑ってるのだろう。彼は悔いをそのままにして逝けるような人ではなかった。だからわかる。彼は満足そ
   うな笑みを浮かべていることだろう。


   「祐一、さん」


    そっと名前を呟く。とうぜんながら返事は無い。それは悲しいことではあったが、そのまま悲哀にとらわれる
   わけにはいかなかった。それは祐一を悲しませるに違いないからだ。胸に空いた空洞はこの先埋まることは無い
   だろう。それほどの喪失感。たまらないほどの虚無感。
    それはとても苦しかったが、その痛みこそが相沢祐一という人間が自分にとってどれほど大切だったのかを証
   明してくれている。そう思えばその痛みは誇らしくすらあった。
    しかし置いて行かれたという思いは消えず、寂しさは募る。だから、もう一度名前を呼んだ。


   「祐一さん…」


    その言葉に反応して肩がピクリと動いたような気がした。だけどそれは目の錯覚。弱い自分が見せる幻。この
   世界における絶対の原則たる死を受け入れてなお動けるはずは無かった。もし、それから生還できるのならばそ
   れこそ奇跡の所業だった。


   「戦いとは、非情ですね」


    過去、数限りない人々が吐き出してきたであろう言葉を呟く。ビクリ、と先ほどよりも大きく体が動いたよう
   な気がしたが首を振り、気の迷いと振り払う。


   「でも、戦いは終わりました。 だからもう安心して逝ってください」
   「しぃーおぉーりぃー」


    地のそこから響いてくるような声が聞こえたような気がした。額に汗がにじむ。だが幻聴にきまっている。こ
   こに生きているものは自分しかいないのだから。


   「わたしはこの戦いを子々孫々まで語り継いでいくことにします。 そして戦いというものがどれほど無情で、悲惨
   なものなのかを伝えていきます。 だからもう眠ってください」


    ここで、言葉を区切る。そして、しばらく逡巡する素振りをしてから言った。


   「さようなら、また会える日まで」


    言うべきことは言った。伝えたいことも、もうない。栞は振り返り、戦場を後にし…


    ガシッ


    …ようとしたが、その足を思いっきりつかまれた。


   「しーおーりー?」


    ひきっ、と頬が引きつり冷や汗がにじむ。きしむ音が立ちそうなほどぎこちなく振り返るとそこには死んだはずの
   祐一が顔を上げて、とても優しげな笑みを浮かべていた。額に青筋立てながら。


   「ゆ、祐一さん」


    感動のあまり言葉に詰まり、浮かべる笑顔も引きつってしまう。


   「い、生き返ったんですね。 奇跡ですっ!」
   「確かに石の入った雪球おもいっきり頭に喰らって無事だったんだから奇跡だな」


    えぅー、目が笑っていません。
    優しげに微笑みながら、目だけが完全に据わっている祐一の顔は異様な迫力をかもし出していた。その背後では倒
   れていた他の面々が無言で起き上がっていた。全員、目が据わっている。


   「こ、この喜びを皆で分かち合おうではないですか。 人間が目指すべき理想はラブアンドピースですっ」
   「でも、正常な世の中が機能するためには信賞必罰が原則だよな?」


    こわいですぅー。
    背中いっぱいに嫌な汗をかきながら、栞は力いっぱい力説してみるが誰も共感してくれる様子は無かった。ただじ
   っとこちらをみつめてくる。


   「暴力というものは野蛮なものでしかないのだと思うのですよ。 文明人にあるまじき行為といいますかなんというか…」
   「でも人と人が分かりあうなら拳を交えるのもいいことだと思わないか?」


    震えるほどに握られた拳を目にして、栞の中で警鐘がなる。嫌な予感はデンジャーゾーンに達した。このままでは危険だ。


   「…で?」


    嫌な汗をダラダラかき黙っている栞に、異様に力がこもった声で祐一が問う。


   「ええっと、ごめんなさい」


    これが殺気なんだなー、と妙な実感を抱きながら栞は素直に謝った。だが、祐一はそれだけでは許さなかった。


   「一ヶ月アイス抜き」
   「ひ、酷すぎます」


    思わず抗議するが視線で黙らされた。


   「さらに今日、百花屋で全員に奢ること」
   「え、えぅー」


    栞はがっくりと膝をついた。







    争いは何も生み出さず、その結末には常に犠牲が付きまとう。
    その夜、カラになった財布の中身を見た栞はため息をつきながらそのことを学んだ。




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