盟約暦590年:藤田領

 その村に次郎衛門とエディフェルが住み着いてから、三季が過ぎようとしていた。

 村人には各地を旅して腰を落ち着ける場所を探していたと説明し、村外れの一軒の廃屋を修理した。
剣の腕が立ち、さらにその気さくな性格もあって、次郎衛門はたちまち村に溶け込んだ。
 普段は畑仕事や狩猟に精を出し、力仕事にも自ら進んで従事する。
それは村落と言う一つの共同体から見れば頼もしい一員と言えるだろう。

 同様にエディフェルも多少の時間はかかったものの、村の一員としての機能を始めた。
村人には次郎衛門から異国の出身と言う説明もあり、エディフェルと言う奇妙な名前や文化風習に対する完全な知識欠如にも村人は大らかだった。
 昼は山菜取りに従事し、それが無い日は村の子供達に文字を教えていた。
 この時代、文字が読める人間が農村にいることはまず無かった。満足な教育機関は都市部にしか存在せず、さらに費用も嵩んだ教育機関の恩恵に肖れるのは一部の富裕層の特権とも言えた。
 さらにエディフェルは初期の算数や歌等も村人に広めた。それは満足に石高計算もままならぬ農村にとっては願っても無い事であるし、エディフェルの歌う異国(最も本当は魔界だが)の歌は多くの村人を魅了した。

 次郎衛門は元々人間であった故か人間と同じような食生活で命を維持できたが、エディフェルはそうもいかない。彼女はれっきとしたエルクゥであり「輝き」を得なくてはまともに生きていけない。それは人間以外の「輝き」で補完する事は出来たがやはり限界があった。
 その為、次郎衛門もエディフェルも幾度か村を離れ、人知れず力を振るう事となる。
その矛先は多くの場合、山賊や追剥ぎに絞られた。いくら人殺しに慣れた集団とは言え、所詮人外の力を振るうエディフェルの敵では無い。

「まあこれなら大騒ぎになる事も無いだろう?」
「悪人だけを狩る……か。いくら生きるためとは言え……。」

 エディフェルの言い分も次郎衛門には理解できる話だった。
 彼女は今人間として生きているのであり、結果として同族を殺めて生き長らえている。闘争本能に大きな差が出る種族とは言え、やはり自らが殺した人間と自分たちの住む村落の住人が重なるのだろう。一族を根絶やしにせんが為、同族殺しを厳しく禁じているエルクゥとしては複雑な心境なのは想像に難くない。
 だがこの時代、豪族は相次ぐ戦乱によって領地の治安維持が困難な状態であり、戦乱は多くの根無し草を生み出していた。
 自分の身は自分で守るしかない時代なのである。旅人は常に護身に武器を携えるか、護衛を雇っていたし、護衛を専門とする傭兵もいた。
 次郎衛門の居た傭兵隊も幾度かそのような仕事に付き山賊の類を追い返した事は合ったが、殺すまでに進める事は殆ど無かった。彼等とて充分な数の護衛がいるとわかれば直に逃げたし、隊長を含め殺人狂と言える人間は居ない部隊だったのだ。最も其の部隊の仲間も、もう生き残っているのは次郎衛門だけになったが――

 村人達に頼み、次郎衛門は隆山の宿場町跡からかき集めた遺品で墓を裏山に築き上げた。次郎衛門の第二の家族とも言えた傭兵部隊全員の墓だ。殺されずに連れ浚われた者達も幾人かはいるだろうが、その者達も纏めて弔った。
 エディフェルに砕かれた自分の愛刀もそこに入れた。

「何故?」
「……傭兵部隊に居た柏木次郎衛門はもう死んだんだ。ここにいるのはエルクゥと人間のどちらでもない、村人の柏木次郎衛門なんだよ。」
「……?」

 例え心を読む事が出来るエディフェルで有ろうとこの心は理解出来ないであろう。今までの家族との記憶を封印する事の決意。新しい生に縋り、自分だけが生き延びた悔恨。そして新たな生活を始める不安。それらを全て墓の中に仕舞い込む。

 それは次郎衛門なりのけじめのつけ方だった。






魔法戦国群星伝

外伝:鬼の一族




 全体でも五十に満たない小さな集落の外れ。
 半ば森に隠れるようにしてその家はあった。

 背後に大きな森を背負いながらも表は丁寧に整えられており、正面には家屋の数倍近い面積の庭が広がっている。
 その庭に面した縁側にエディフェルは座り込んでいた。
柱に身を預け、庭中を駆け回る村の子供達をぼんやりと眺めている。

 その下腹部は大きく膨らんでいた。

 このところエディフェルは外に出ていない。慎ましやかな我が家から出ることも無く、日がな一日中こうして縁側に座り、村の子供達に勉強を教えていたり、子供達が遊ぶのを眺めている。
 村に居る出産経験者の話ではあと一週間もしないと言う。確かにもう八ヶ月は過ぎているのだから何時生まれてもおかしくは無い。そのため、今も裏では村にいる産婆経験者が幾人か集まってエディフェルの家事を手伝っているはずだ。

 もともと料理や掃除等は全くの未経験者であるエディフェルであるが、村人に教えられてからは素晴らしいまでの速度で上達していった。もともと手先が器用なのもあるが、何より気配りが利き、教えた事以上の物を習得する鋭さと、心を読む不可視の力があった。その為か村人達も喜んで教えに走り、今ではそこいらの主婦顔負けの腕前になっている。

(そう言えば初めて作った料理。次郎衛門が真っ赤になって「美味い」って言ってくれたっけ)

 縁側に腰掛け、暖かい日差しの中でうっとりと微笑むエディフェル。つい一年前までは殺戮に明け暮れる日々だった娘が、今ではこうやって人として命を育んでいる。そのあまりの変わり様を改めて思い起こし、苦笑と共に膨らんだ下腹部をさする。

(早く、あなたの顔が見たいな……)

 その想いは届いたのだろうか。

ピシッ

ドクン

「? ……!! 痛っ……!!」

 走る痛み。突然心拍数が跳ね上がり、滝のように汗が流れ始める。目が霞み、耳鳴りがする。
こんな事は今まで切り抜けてきた数々の修羅場でも経験した事が無かった。

「あれ? エディフェル姉ちゃんどうしたの?」
「……っ!!」
「エディフェル姉ちゃん?」
「……お、お願い……おばさん達を呼んできて……。」

 庭先で預かっていた子供達が突然蹲ったエディフェルに駆け寄る。
 脂汗を滲ませながら、痛みなど無いかのように微笑み、何とか声を絞り出す。

「痛っ……うぅ……。」

 どこか遠くで子供たちの声が聞こえる。ますます痛みは激しくなり、波はその感覚を狭めている。

「エディフェル!? ああ、こりゃ多分事だね。こらあんた達! 今すぐ竃に火を入れてきな! それと誰か村に行って足立さんとこのお爺ちゃん呼んで! あの人医術の心得あるはずだよ。あと勿論次郎衛門さんも!!」

 俄かに周りが騒がしくなる中、「次郎衛門」と言う単語を聞いて、自然に痛みが和らぐ事に苦笑を禁じえないエディフェルだった。


 その日、一晩掛りでエディフェル初めての出産は終わり、一人の男の子がこの世に生を受ける。





  同年:藤田領

「じゃあ行ってくる。」
「ええ、行ってらっしゃい。」
「ほら、賢司もお父さんに行ってらっしゃいは?」
「……ぁー。」
「ははっ、じゃあ行ってくるぞ、賢司。」
「……ぁー。」

 まだ四足で歩く事も叶わない乳飲み子であるが、僅かに動いた小さな指に手を掛け、次郎衛門は今日も仕事に出て行った。長い冬を越し、今は種蒔きの時期真っ盛りである。
 村の中央にある巨大な桜の木の下で花見をした時は、次郎衛門の酒の強さに皆が驚いていた。

(さてと……)

 乳飲み子を抱えている以上、外に出ることは禁止されている。だから今日も子供達と勉強会だ。
もう一通りの文字は皆書ける様になった。今度は漢字とかを教えないと……。

「エディフェルねえちゃーん!!」
「はーい! もうみんな集まったー!?」

 庭から子供たちの声が響く。さて、今日は何を教えようか……。

「……ぁー。」
「ああ、ごめんね賢司。じゃあ行こうか?」

 親バカと呼ばれるかもしれないが、賢司の賢さには驚かされる事が多い。もしかすると私の力を受け継いでいるのかもしれない……。

(まさか……エルウゥの力も?)

 人として生きている上でエルクゥの力に頼った事は無い。
 逆に「輝き」を求める習性が疎ましく思う事が幾度も有る。それは次郎衛門を見ている時にもだ。

(エルクゥは獰猛過ぎる)

 それは人としてそろそろ一年が過ぎようとしているエディフェルの出した結論であり、悲しき現実であった。今もきっと姉達は殺戮を繰り返しているだろう……それにリネットも……。

(リネット……今ごろはどうしているのでしょう?)

 今なら解る。リネットに抱いていた感情は、紛れも無い「愛」だと。家族を想い、慈しむ心だと確信できる。
 だからこその後悔もある。家族である妹を見捨て、ひとりで我儘を通したのだ。きっと妹は泣いた事だろう。責任感の強いリズエルや直情家なアズエルの重圧を一人で背負う事になってしまっている事だろう。
 だがもうリネットを守る事は出来ない。ヨークに戻る事はおろか、隆山の地に戻る事も叶わないだろう。山を幾つも隔てたこの地でひっそりと暮らす。それを決断したのは自分ではないか。

(そうよね)

 改めて自分に言い聞かせ、エディフェルの思考は現実に戻った。この時が止まったかのような村で、ゆったりと身を朽ち果てさせるのもいいかもしれない。きっと次郎衛門も同じ考えだろう。

 だが、その願いも叶わなくなる。


「じゃあ次の漢字は……。」
「……あれ? エディフェル姉ちゃん、誰か来たよ?」
「え?」

 エディフェルと次郎衛門の家は村からやや外れた所にある。その為目の前の道を歩く人間は大抵この家に用があることになる。
 ……どうやらそのようだ。一人の見慣れぬ旅装束の人間がこっちに向かってきている。

(……あれは――!!)

 子供たちの視力では「誰か」でも、エディフェルの鋭敏な視力は確かに来訪者を捕らえていた。

(そんな……なぜここに!?)

 ギリッ

 無意識的に歯が食いしばられ、封印して久しいエルクゥの肉に力が宿る。血は加速度的に脈動を早め、視界が薄ぼんやりと赤く染まる。

 が、

(……くっ、駄目、此処には子供達や賢司がいる!)

「エディフェル姉ちゃん?」
「……え? ああ、ごめんね。じゃあお客さんも来る事だし……。」

 自制。
 強敵を目の前にした事による衝動を抑え、ややぎこちない動きでエディフェルは答える。

「今日の勉強は終わりにして……。」

(駄目、それでは子供達が巻き添えになる)

 ここで終わりにすると、子供達は庭を舞台に遊び始めるだろう。それでは来訪者か自分が振るう力の巻き添えになる。ならば……

「……今日は川で姫川さんが魚を獲ってるのを手伝いに行こうか?」
「うん!」

(よかった……。これなら子供達も巻き添えを食わない)

 川に行くには今来訪者が歩いている道とは別の道を使う。これなら目の前も通り過ぎずに済む。だまって横を通り過ぎるのを許すほど甘い相手ではないのだ。

 ゆっくりとした動作で縁側に寝そべっている我が子を抱きかかえ、緊張感や危機感が薄れる事にほっとする。

(この子だけは…… なんとしても私が守る)

「……そうですよね。リズエル姉さん。」
「……久しぶりね。」

(次郎衛門……)

 無表情でマント状の旅装束を取り払い、艶やかな黒髪の美女――リズエルは答えた。


   同日:エディフェル

「一体どう言うつもりなのかしら?」
「……どう言うつもり、とは?」

 じりじりと殺気を高める姉に怯えたかのようにぐずり始めた賢司をあやしつつ、リズエルは何事も無いかのように問う。

(いきなり殺す、と言う訳でもなさそうだし……)

「ヨークを離れ、人間として暮らすとは……。」
「あまつさえ、子供まで……ですか?」

 珍しく姉の心が読める。
 リズエルの心を読むことが出来たのは久方ぶりだ。この一族を率いる姉は心を閉ざし、いつもなら読もうとしても全くの深淵しか読み取る事が出来ない。それが今ではまるでリネットを相手にしているかのように流れ込んで来ている。

「……そうね。一族を裏切るの?」
「……裏切ったつもりはありません。私が捨てただけです。」

 リズエルの表情が強張る。
 目の前で愛しそうに子をあやす妹は、何も無かったかのように答えている。

「皇族がそのような事をして許される訳が無いでしょう!」
「静かに。賢司が怯えます。」
「……。」

 恫喝のつもりで言い放った言葉に動じる事無く答えるエディフェル。
逆に気圧されたのはリズエルの方であった。

(なんなの……!?)

 そもそもエディフェルはリズエルの方を見ようともしていない。縁側に座り、抱いた子を楽しそうにあやすばかりだ。その動きには余裕すら見え、逆にそれがリズエルの心を苛立たせる。

「リズエル姉さん。」
「……なんですか?」

 主導権は完全にエディフェルが握っている。リズエルもそれは理解しているし、それを覆す戦術もあるだろう。だがそれはまだ有効な手札とは成りえない。

「言いたい事は解ります。……それにここに来た理由も。」
「……。」
「……答えは共に「否」です。」
「死ぬわよ?」
「……死ぬつもりもありません。」

 一度は消えた殺気が再び膨れ上がる。それは明確な波動となってエディフェルの頬を撃った。

「その気を収めて頂けませんか? 賢司が怯えます。」
「……もう一度聞くわ。答えは?」

 既に戦いは始まっている。精神的優位に立っているエディフェルに対する切り札と成りえるのはリズエルの強さ。純粋な戦闘能力。
 「否」と言う答えはエディフェルの死を意味している。それはリズエルは勿論エディフェルとて知っている変えようの無い事実。

「例えその先にあるのが「死」だとしても、私は「否」と答えます。……次郎衛門と賢司の為に。」
「……そう、残念ね。」

ゴウッ

 風が狂い、白銀が舞った。


  同日:次郎衛門

「!! ……この気……エディフェル!?」

 鋤を大地に突き立てた瞬間、突風に乗って流れ来る殺気に次郎衛門は顔を上げた。

「おや? ……なんか雲行きが怪しくなってないか?」
「お? 次郎衛門、どうしたんだ?」

 村人の幾人かも事態の変わり様に気がついたようだ。一様に顔をあげ、空を見上げている。
見れば晴れ渡っていた空は何時の間にか重苦しい雲に覆われ、湿った風が雨の到来を予感させていた。

「……。」
「次郎衛門?」
「……すいません! ちょっと用事を思い出しまして!!」
「お、おい!?」

 手にした鋤を放り出し、村人たちの声を尻目に次郎衛門は殺気の元――それは間違いなく自分の家からだ――へ向かって走り出した。



   同日:エディフェル

ゴウッ!!

ギイイイイィィィィン!!

 空気を切り裂き襲い来る四本の剣。それは地上に存在するどの剣よりも軽く、鋭い。
そしてそれをいなす剣もまた、鋭さと強靭さを備えた四本の剣だった。

「……。」
「……エディフェル……貴女を殺します。」

 庭先に爆発的な土煙が上がり、煙が上がりきる前には既に白刃が閃いていた。

バシュッ!!

ギンッ!!

「……くっ。」
「……。」

 通り過ぎ様に一撃。音速を超えた一撃は鎌鼬を発生させ、エディフェルの服を切り裂く。
だが微傷。この程度の傷など直に再生してしまう。

「決して腕は鈍っている訳ではないようね……。」
「負けるつもりはありません。」

 だがエディフェルは一歩も動かない。彼女の戦闘方法は極めて単純だ。速度で押し切る。それだけだが、音を、常識を超えるその速度は何者にも勝る武器となる。
 だが彼女は戦いが始まってからと言うもの、一歩も動いていない。まるで床に縛り付けられているかのようにその場を動かず、竜巻の如く襲い来るリズエルの攻撃をいなしている。

「何時ものように速度で押し切るのではないの?」
「……。」

 通り抜けざまの一撃と共に浴びせられるリズエルの無機質な声を無視する。もっとも仮に答えようともリズエルの姿は既に見えない。
 目で追おうにも早すぎるのだ。リズエルとてエディフェルには及ばぬものの、その速度は人間の限界を遥かに高い次元で超越している。

「……今避ければ賢司に当るでしょう?」
「……。」

 さも当然、と言った様子で答えるエディフェル。
足元に横たわっている当の賢司はリズエルの殺気に当てられ、火が付いたように泣いている。

「……ごめんね。もう少し待ってね?」
「……戦いの最中に余所見をするなんて!」

 怒りに任せ、直線的な攻撃をするリズエル。だがそれは余りにも隙が大きすぎた。

ゴウッッッ!!

ギイィィィィィィィッ!!

 死角からの一撃。
 だが感情に翻弄され、直線的になった一撃を食らうほどエディフェルは甘くなかった。
首を切り落とさんと後方側面から迫る斬撃を手首の返しのみで受け流す。

「姉さんには解らないでしょう。子供を想う母親の気持が。」
「それがどうしたと!?」

 続けさまに閃く白刃を悉く受け流すエディフェル。その怒りに任せての直線的な攻撃を避けられぬほど彼女は弱くも無かった。

「私も判らなかった……。でも次郎衛門が教えてくれたの。」
「エルクゥは魔族よ! 人間と相容れぬ存在であるのは自明の理でしょう!」
「相容れるわ。私にはそれがわかる。」
「何故!!」

 既にリズエルの起こす烈風で周囲は土煙にまみれ、視界などなきに等しい。だが二人のエルクゥは視界など既に無用であるほどに強く、戦い慣れていた。

「次郎衛門は元人間のエルクゥ。そして私は純粋なエルクゥ。でも二人の間に生まれた賢司は男なのに人間の姿をしている。」
「それが!!」
「姉さん、わからないの!?」

ゴウッ!!

ギンッ!! ドンッ!!

 大振りとなった一撃を弾き、出来た隙めがけて絶叫と共に打ち込まれたエディフェルの拳は、吸い込まれるようにリズエルの胸板を捕らえ、一撃でリズエルを壁に叩き付ける。

「ぐうっ……。」
「人はエルクゥと相容れる事の出来る存在。それを賢司は証明して見せた!」
「……。」
「エルクゥであってもその女は極めて人に近い姿を取る。だが男は違う。」
「……。」
「なのに何故賢司は人間の姿なの!?」
「……まさか……。」

 エディフェルの言葉の真意に愕然となるリズエル。目が見開かれ、腕は落ち、腰が上がっている。

「そう。もう私は確信を得たわ。エルクゥと人は「同じ」なのよ。」
「莫迦な。そんな事はありえないはずよ!」
「ありえるわ。例え有り得なくても、賢司が証明している。」
「……。」
「姉さん、ここは退いて。私はヨークに戻るつもりは無いわ。人とエルクゥが相容れるのであれば、私は人として生きます!」
「……駄目よ!」
「姉さん!!」
「駄目よ! 駄目!!」

 再び戦闘態勢戻るリズエル。
好機は逸した。だがその動きは目に見えて鈍り、単純になっている。

「貴女は自分の立場を判って言っているの!? エルクゥの一族でも最も高貴な皇族なのよ!?」
「皇族!? それがなんだというの!!」
「皇族は一族を率いなくてはならない! 一族を守る義務があるのよ!!」
「守る!? 何から!?」

 リズエルの振るう爪の速度が僅かずつ上がる。まるで自分の言葉が力となるかのごとく鋭く、素早くなっていく。

「盟約が守護するこの世界に於いて私達に敵う存在はいないわ!! そこで姉さんは一体何から一族を守ると言うの!?」
「人間よ! 貴女は人間の強さに無知すぎる!!」
「知っているわ! 私は人間だから!!」
「エディフェル……貴女は!」

 爆音、そして閃く無数の白刃。

ゴウッ!!

ギリィィィン!!

「……判りました。……エルクゥの皇族エディフェルは死んだ。」
「姉さん?」
「ここにいるのは一人の人間の女! 私が今戦っているのは人間!!」
「姉さん! 何故!! 何故受け入れないの!?」
「黙れ人間!!」

シュッ……ゴウッ!!

キンッ!!

 正しく神速の名に相応しい速度での真後ろからの攻撃。だがエディフェルとて熟練の戦士だ。その程度の奇襲に負ける事は無い。その場を動かずに素早く体を捻って避ける。

ゴウッッ!!

ギンッ!!

 勢いを利用した右腕の一撃。防御体勢に入るエディフェルの脳裏に警報が響く。

(これは……フェイント!?)

「もらった!!」
「くっ!!」

 細かく振られた右腕を命中する直前で収め、その捻りを利用して左腕が真横に凪ぐ。
その手には何も無い。だがエルクゥ族の鉤爪は正に一撃必殺の刃と言えよう。
 地を抉り、床板を剥ぎ、空気を切り裂き、迫り来る必殺の一撃を半歩下がる事でいなす。

バシュゥゥゥッ!!

「……くっ。」
「……堕ちろ。」

 鮮やかに舞い散るは赤。染まるは殺戮の一族に相応しき腕(かいな)。
エディフェルの胸が赤く染まり、次の瞬間には噴水の如く血が吹き出す。
フェイントで引き戻されていた右腕が地を這うように迫る。

(まだ避けれる!)

 だが、

(……賢司!?)

 それは初撃の前に床に下ろした息子。姉の、敵の攻撃の軌道上に横たわる息子。
避ければ賢司が死ぬ。避けなければ賢司もろとも切り裂かれる。

(どうすれば!?)

 次の瞬間を待たずして、既にエディフェルの体は動いていた。
一瞬、命を刈り取る存在である姉と目が合う。

「そうよ……エディフェルは死んだの……ここにいるのはエディフェルじゃないの……。」

 まるで呪文のように呟きながら振るわれる右腕。
その瞳は哀しいまでに、赤。

(姉さん……気付いて!!)

ゴウゥッ!!

バシュュュュッッ!!

花開く、朱色の光。


   同日:次郎衛門

「エディフェル!!」

 次郎衛門がたどり着いた瞬間、その瞳に写る光景は、

リズエルの右腕が、エディフェルを貫く、瞬間であった。



「……く……かはっ……。」
「な……。」
「……ぁー。」
「よか……った……無事…………ね。」

 右手の一撃を賢司が食らわない方法。それは単純にして明快な答えだった。
両腕で我が子を掻き抱き、そのまま背を向け、体を丸める。
エルクゥ一族の中でも最速を誇るエディフェルだからこそ出来た荒業。
それは確かに賢司を守り、賢司にその爪が届く事は無かった。
 
 だが、

「エディフェル!! エディフェル!!」
「あ……あなた……。」
「エディフェル……。」
「ほら……賢司、無事に……守れた……。」

 口から赤い筋を滴らせ、誇らしげに賢司を差し出すエディフェル。賢司は何が起こったのか判らぬまま、そっと次郎衛門の腕に抱かれる。

「ごめん……なさい…………一緒に……暮らせ……なく……。」
「大丈夫だ! 前エディフェルが俺にやったみたいにすれば……。」
「ううん、無理……ごほっ。」

 吐き出される赤い塊。

「そ、そんな……。」
「もう……私の器は砕ける……「輝き」が散り……私は死ぬ……。」
「駄目だ! 俺を、賢司を置いていくのか!?」
「……ふふっ、次郎衛門……。」
「……エディフェル?」

 その瞳に光は無い。赤い瞳は濁り、そこに映す物はただ、虚無。

「リズエルを……姉さんを……許してあげて…………あの人も……皇族の責任に……翻弄された……かわいそうな……人だから……。」
「そ、そんな……。」

 許せるわけが無い。目の前の女性を、妻を、全てを失っても手に入れた輝きを奪った、目の前のエルクゥを。許せる訳が無い。

「泣かないで……エルクゥと人……分かり合える。それを……教えてくれたの……あなたなんだから……。」
「エディフェル……。」

 止め様が無かった。妻と共に抱いた息子が、始めて見る父親の涙を不思議そうに見上げる。

「だから……未来で……きっと……また…………会える……から……。」
「駄目だ! 今じゃなきゃ駄目だ!! 賢司をどうするんだよ!! 俺と賢司の二人だけで……生きるなんて……さみし……すぎる……。」
「大丈夫……ずっと……ずっと…………一緒だから……。」
「くっ……。」
「だから……ね? 賢司……おかあさん……少しの間、お別れしよ?」
「だぁー……?」

 その腕にはすでに我が子を抱く力も残っていない。

「あなた……最後の……我儘だけど…………。」
「くっ……ああ、なんだ? 無理に声に出さなくてもいいさ。」

 心の声を聞けるんだから。きっと賢司だって聞ける。

「じろうえもん……。」
「ああ。」
「…………あい……して……ずっ……と……。」

(次郎衛門、愛してます。ずっと……ずっと……)

(ずっと…… ずっと……)











そして



一つの



器が



砕けた。















「……エディフェル?」

 胸に抱いたエディフェルから漏れる光。
儚く、脆く、そして美しい光。
一瞬の僅かな輝き。それは確かに輝き、そして散った。

「はは……止めてくれよ。エルクゥは「輝き」を食らうなんてさ、冗談はよしてくれよ……。」

 散り行く光は確かに次郎衛門の体に吸い込まれ、次郎衛門の体を満たしていく。

「なあ、エディフェル。まだ死んだんじゃないよな? エルクゥの再生能力で明日にはまた一緒なんだよな?」

 だが聞こえない返事。聞こえない鼓動。
その体は驚くほど重く、冷たい。

「だぁ……まま……。」

 母親を小さな手で叩く息子。二人を抱きしめ、声を掛け続ける男。
リズエルには理解できない……理解してはいけない光景だった。

「エディフェル……私は……。」

 目を伏せ、力なく項垂れるリズエル。
だがここにいる必要はもう無い。エディフェルという名の妹は既に死に、一人の人間を手にかけただけだ。
 改めて自分に言い聞かせ、立ち去ろうとする。


「待て――!」
「!!」

 初めて。
初めてリズエルは殺気で恐怖を覚えた。恐怖を齎す一族にいながら、初めて恐怖を覚えた。

「今、なんて考えた……?」
「!! ……ま、まさかエディフェルの能力が……?」

 ゆらり

 まるで陽炎の如く立ち上がる男。かつて妻だったモノは床に寝かされ、息子が小さな体全体を使って揺すっている。

「お前は……自分の妹を……家族を……なんだと……。」
「……くぅっ!」

 男より放たれる明確な意思を感じ取り、本能的に後ずさるリズエル。
男の一言一言が明確にリズエルの問いに答え、彼女を追い詰めていく。

(なんて殺気――!!)

「なんだとおもってるんだぁっ――!!」
「くっ、エルクゥ化するというのか!?」

ゴウッ!!

 瞬間、一つの竜巻が生まれた。






「オオオオオオオオオオオォォォッッッッッッッ!!」


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