盟約暦589年:隆山より二日の街道

 不思議な一団だった。
軍隊にしては統一感が無く、巡業の一団にしては殺伐としすぎていた。
総勢二千人からなる人間の群がまさかただの観光旅行者と言うことはあるまい。
ましてや、この一団は全員が全員、何かしらの武装をしていた。

 ある者は剣を、
ある者は槍を、
またある者は斧を、
弓を携えた者も、
符法術の護符を懐に持つ者もいる。

 傭兵。
 それは今グエンディーナ大陸において最も稼げる仕事であった。
魔法王国グエンディーナが退廃と堕落によって歴史に埋もれて以来、この地で戦乱が途絶えた事は無い。暴力的な時代は暴力的な人間を必要とし、暴力は今のグエンディーナ大陸において「全て」だった。
もういくつあるか判らないほどに細かく分裂した豪族達はこぞって傭兵団を組織する事に躍起になっていた。
 大きな組織となって初めて機能する正規軍を持てるほど大きな力を持つ豪族は今の時代には皆無だった。仮にその様な豪族がいたとしても、周りの豪族の危機感が高まり、連合を作ると言う事に発展しかねない。正に膠着状態だった。

 恐らくは今目の前を黙々と歩いている集団も、そういった傭兵団なのだろう。
藤田家の領内を平然と歩いている事から、藤田家お抱えの用兵団であることまでは用意に想像がつく。
だがその一団を見て不審に思う者が殆どだろう。

 彼等は何故隆山に向かっているのか?


 隆山で戦闘が起こったことは無い。
 周りを山に囲まれ、藤田領以外からの街道は一様に険しい山道となっているため、攻めに辛く、守るに易い立地条件となっており、移動と橋頭堡の確保に多大な時間と費用を要する。
 それはこの領地を抱える藤田家にしても同じで、隆山を最後の補給地点としても、そこからは最低で十日以上山道を歩き続ける事になる。少数精鋭部隊であればまだ短縮も可能であろうが、後続の大部隊の到着が遅いようでは戦略的敗北は免れない。
 結果として、隆山に戦略的価値を見出すことは出来なかった。隆山で戦闘が起こった事は終ぞ無く、これからも無いだろう。誰もがそう確信していた。

 しかし現実は違った。
 藤田家にその報が届いたのは隆山に轟音が振り注いでから一週間と経っていなかった。その間に費やされた早馬は8頭。いかに時の隆山の長が焦っているのか容易に想像がつく数字である。
 隆山近隣の山村や農村が何者かによって壊滅させられていた。生存者は極めて少なく、生き残った住人からは「鬼が来た」と言う証言も得ている。至急、事態の解決と調査の一団の派遣を要請する――時の藤田家は隆山方面を除けば三つの豪族と領を境にしており、隆山に送る兵力など無かった。藤田家はこの事態を了解したものの、傭兵団の移動問題で時間が掛かる、として事態を先送りにしていた。

 だが事態は解決をしなければ消滅もしなかった。
 隆山より再度使者が送られてきた時には、隆山近隣にある村落の八割が壊滅していた。そして隆山そのものも一度襲撃を受け、町の五割以上が破壊されたと言う。
 ここに来て藤田家は遂に重い腰を上げ、傭兵団二千を派遣する事を決意する。

 この時代、一千単位の兵力はそれだけで貴重な存在だった。当時もっとも大きな豪族である来栖川家でさえこの当時は独自の兵力二千に傭兵団一万五千程であり、一万を越える兵力を持っている豪族は十指に足りた。そのような時勢で二千の兵力である。いかに藤田家がこの事態の早期解決を狙っていたかが良くわかる。

 傭兵団は二週間に藤田領前線を出立、半ば正反対に位置する隆山まであと二日の距離に迫っていた。この時点で始めの村落が襲われてから、既に一月が過ぎようとしていた。




魔法戦国群星伝

外伝:鬼の一族


  同年:隆山

 傭兵団が隆山入りした時、傭兵団の一員は一様に言葉を失った。
町は半ば壊滅状態であり、無事な建物を見つけるほうが難しい。未だあちこちから黒煙が立ち上っており、血の匂いが風に流されて傭兵達の間を縫っていく。

「おいおい、こりゃ戦争でもあったのか?」
「莫迦言え、どこから敵が来たんだよ?」
「生き残っている奴いるか?」
「これで誰も生き残ってなかったらそのまま帰れるな。」

 誰かの発した物騒な冗談に顔をしかめ、柏木次郎衛門は改めて辺りを見渡した。
仲間の卑下た冗談や心無い暴力的な言葉も、傭兵団に五年もいれば慣れたものだった。

「ひどいな。本当に戦闘があったみたいだ。」

 塀は破壊槌で打ち壊されたのか殆ど機能を失っており、建物の中には土台ごと吹き飛ばされている物もある。道にはいくつもなにか巨大なものが削り取っていった跡があり、町を流れる川の土手は粉砕、氾濫でも起きれば容易に街は水没してしまう事を物語っていた。

「……鬼じゃよ。」
「ん?」
「鬼が来たんじゃ。」
「あんたは町の生き残りかい?」

 気がつくと、何時の間にやら隣には見慣れぬ老人が立っていた。
町のあまりの破壊され様に驚きを通り越して呆れていたのか、接近に全く気がつかなかった自分に苦笑する。そんな風に人を見るなんて俺も随分とやさぐれたものだ――

「……町で宿屋を行っていた者じゃ。代表の方は何処かいの?」
「団長かい? 団長なら……ほら、あの男だよ。」

 次郎衛門が指差した先にいる目つきの鋭い男を見つけると、軽い挨拶を残して老人は去っていった。
団長はすぐに存在に気付いたのか、老人とすぐに話し込んでいる。恐らくは今日以降の宿の事だろう。

「やれやれ、久しぶりにゆったりとした布団で寝れると思ったのに、これじゃあ無理だねえ。」
「……そういう所はやっぱり女なんだな。」

 不意の背後からの見知った声に振り返りつつ、声の主に答える。

「なによ、私は爪先から頭のてっぺんまで正真正銘の女ですからね。」
「ほー、呪符で並み居る男どもを容赦無く黒焦げにする小田桐先生とは思えぬお言葉だ。」
「……どういう意味よ。」
「……いえ、お気になさらず。」

 こめかみを引き攣らせつつ符法術に用いる呪符を取り出す目の前の女性――名を小田桐桂子と言う――に無条件降伏の意を示し、次郎衛門はやはり女には勝てない男の性に苦笑していた。

 小田桐桂子は次郎衛門も所属するこの傭兵隊でも珍しい符法院出身者だ。桂子を除くと符法術を扱えるのは4人しかいない。もっとも、符法術士は基本的に符法院の独立戦闘部隊、「鈴音」に属しているのが大半なのだから、これだけ少ないのも当たり前だが。

 逆に魔導術は専門家が百人足らず、基礎のみを習得している者も含めれば部隊の三割近くにまで達する。最も魔導術の弱点である接近戦の弱さ、速射性の弱さ等を補助する為、全員が弓に代表される補助武器を携えているのが災いして、符法術師に比べると魔術師然とした様相の者は少ない。

「そんな事よりも。」
「ん?」
「……どう思う?」
「……なにが?」
「あのねぇ。」
「判っている。「鬼」だろ?」
「ええ。」

 桂子の危惧は符法術士らしいものであると言えよう。
 符法術も高等な位置に行くと、炎や風と言った直接的な攻撃手段以外にも式神に代表される使役獣を作り出す事が出来る。それらの中には伝説に登場する「鬼」に極めてよく似た者もいた筈だ。

「……本当に符法術で作り出したなら、確かにあんな事も可能かもね。」
「……冗談だろう?」

 桂子の指差す先には、僅かに残っている土台の跡――恐らく少し前には家があったのだろう――が無残な破壊の跡を示している。

「これくらい出来る術者なんて符法院にもそれこそ数えるぐらいしかいないけどね。」
「じゃあこれは符法院の連中がやったって事は無い訳か?」
「まだ判らないわ。 ……こんな事をする価値を符法院が見出すとは考え辛いしね。」
「……或いは……本当に鬼でも出たってか?」

 本当なら笑い飛ばすべき所なのだが、生憎とおの有様を見せ付けられては笑う事が出来ない。それは桂子も同様のようであった。

「まあ詳しくは今日の夜に団長が結論を出すでしょ。それまではどうせ自由行動だしね。あーあー、本当にお風呂、楽しみにしてたのになー。」
「……。」
「おーい桂子!! ちょっと来てくれ!」

 人十数人を挟んで団長の良く通る声が響く。どうやら団長も符法術の可能性と見ているようだ。
あらためて燦々たる有様の町を見やりつつ、ため息をつくしかない次郎衛門であった。



  同日夜:隆山

「……流石に少し酔ったかもな。」

 村に僅かに残された酒を振舞われ、見張りにあたる者以外でささやかな宴会がひらかれていた。例え華が無くてもそこは百戦錬磨の傭兵である。模擬用武器を使った賭け試合から女性団員の舞踏まで、楽しみは自分達で作り出す連中だ。

「しっかしもう少し静かに騒げないのかね?」

 まだ二十前の身である次郎衛門に一升を越える酒はきつい物があった。それもかなり高純度のアルコールらしく、実際歩く歩調もやや覚束無い。酔い覚ましに輪から一人離れて歩き出したものの、空を見上げれば燦然と満月が輝き、喧騒に隠れて虫達のささやかな演奏が響いている。

 ふらふらと所在無く――それでも気分は不思議と充実していたが――歩く次郎衛門の足は、自然と河原に向かっていった。いくら満月とは言え決して足元が見える訳でもなく、気付かぬ内に川底に足を踏み入れたとしても文句は言えない。しかしそれでもなぜか構わなかった。

「いかにも何か出そうな雰囲気だな……。」

 夜の川は昼のそれとはまた違った顔を見せる。
 昼の川が人々の生活の基点と言うのであれば、対して夜の川は物の怪の生活の基点だ。
元来川に住む妖は夜に動き出す物も多く、それでなくても夜の川は恐怖を誘う。

 なにせ何も見えないのだ。
 時たま月の光を受けて僅かに輝く以外は完全な漆黒の床となる。それも只の床ではなく、冷たく、そして一度捕らえたら離さない魔性の床だ。
 だからか、夜の河原には明かりを灯す都市も決して少なくはない。まるで妖が出るのを畏れるかのごとく、人がいなくても明かりが煌々と灯される。

 だがここには明かりと呼べる物は何も無かった。
 かつては宿屋が並ぶ通りであろう場所は無残な廃墟となり、時たま瓦礫に足を掬われる。
そのせいか、次郎衛門がその娘に気付くのはかなり距離が狭まってからの事だった。

「……?」
「……。」

 この村で娘に会うのは初めてだった。若い人間は根こそぎ鬼に殺されるか連れさらわれたらしく、村にいるのは年端もいかない子供か年寄りだけであった。

「……?」
「……。」

 まるで妖にでも会ったのか、と目を疑う次郎衛門だったが、確かに目の前にその少女はいた。
 年は次郎衛門より二つか三つ下だろうか、まだ幼さの残る顔立ちに、肩口でスッパリと切り揃えられた黒髪。そして瞳は……。

「紅い、瞳……?」
「……。」

 珍しい色だった。決していない訳ではないが、髪の毛の色を考えると珍しい組み合わせである。さらに次郎衛門を驚かせたのは、少女の着ている服だった。

「異国の服……か?」
「……。」

 白を基調とし、青や黒、朱色の刺繍が織り交ぜられた足首までの長衣。合わせ目の様式や素材は恐らくグエンディーナ大陸の物と対して変わらないだろうが、刺繍模様や小物等は完全に次郎衛門が始めて見る物だった。

「……。」
「……。」

 改めて娘の顔を見直し、次郎衛門は思わず声を上げた。と、同時に戦慄が走る。

「た、縦に裂けた黒目……妖かッ!?」
「……。」

 妖の一族の中には縦に裂けた瞳孔を持つものもいる。猫族等の昼夜関係なく動く妖に多い特徴だ。
 咄嗟に一歩さがり構えを取る次郎衛門。当たり前と言うか、愛刀は宴の席に置きっぱなしにしたままだ。決して素手での殴り合いに自信が無い訳ではないが、相手が常識の通じぬ妖である以上、勝つ事は……出来ないだろう。

「……。」
「……。」

 少女の姿をした妖は微動だにしない。一歩下がった時、僅かに瞳が動いたので次郎衛門を見ている事は確かだが、僅かに斜めに傾いた体は自然体のまま、少しも動く気配は無い。

「……。」
「……。」
「……。」
「……。」

 少女からは何も感情が読み取れない。全くの無表情、無感動だ。
同時に殺気に代表されるあらゆる「気」が感じられない。次郎衛門とて既に幾多の戦いを潜り抜けている。殺気を感じ取れないほど腕が無い訳でもない。

「……。」
「……。」
「……君は。」
「……。」

 僅かに構えを緩め――それでもいつでも対応出来るよう、拳は挙げたまま――、次郎衛門は声を絞り出す。

「……君は何者だ?」
「……。」

 少女から答えは無い。次郎衛門の問いを聞いているかどうかすらも怪しい程に表情が動かない。

「……異国の者か? ……それとも妖か?」
「……。」

 次郎衛門の頭の中には馬鹿げた考えが渦巻いていた。幽霊? 地獄の使者? それともただ口の効けない阿呆?
 どちらにしろ、警戒して構えを取っていた自分が莫迦らしいと言う考えに落ち着くのだが。

「……まあどれにしたって同じか。」
「……。」
「……俺の言葉は通じているのか?」
「……。」

 相変わらず答える素振りすら見せない少女だが、次郎衛門はなぜか確信できた。

「俺の言っている事は判る様だな。」
「……。」

 相変わらず答えは返ってこず、表情も変わらないが、それでも次郎衛門は言葉を続けた。

「例えお前が妖であろうと異国の娘であろうと、とにかくここは今鬼が出るとして危険な所だ。仲間がいるのであればそこに帰ったほうがいい。」
「……。」

 少女はどうやら答えるつもりは無いらしい。何時もの自分らしからぬ親切心が次郎衛門に怒りを忘れさせていた。

「いないのであれば俺達の所に来るといい。腕は立つ連中がそろっているから安全だ。」
「……。」

 それでもやはり少女は動かなかった。

「……じゃあ酔いも覚めたようだし、俺は帰るとする。俺たちの溜まり場はあそこだ。」
「……。」

 町の中心部、今も微かに聞こえる宴の喧騒の方を指差す。
だが、それでも少女は動かなかった。その瞳すらも次郎衛門から離れる事は無かった。

「……じゃあちゃんと安全な所にいろよ。」
「……。」

 なかば呆れて次郎衛門が元来た道を戻ろうと後ろを向く。一瞬背中から刺されるかとも思ったが、既に半ば自棄だった。

「……じゃあな。」
「……。」

 そして数歩、歩を進めた次郎衛門が振り向いた先に、少女の姿は無かった。




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