盟約暦790年:隆山

 光護冥翼天船『ヨーク』の側面に備え付けられた左右合計88の砲門。
その全てから奔流を吹き上げる其の様はさながら獲物を捕らえんと蠢く巨大な捕食生物のように見えたことだろう。

 その触手に色は無い。
この世界の物理法則全てを拒絶する漆黒の光は88それぞれが複雑な軌道を描き、どれ一つとして交わる事無く地上に降り注ぐ。


 そこに地獄絵図が生まれた。
 放たれた破滅の光を目の当たりにしたエルクゥ達に殺到する中性魔力素粒子光線は意志を持つかのごとく正確に目標を捕らえ、命の器のみを正確に貫いていく。慌てて回避に成功したとしても、物理法則に縛られない物ゆえの驚異的な軌跡を描いた追撃を回避するだけの能力をもつ者がこの場にいよう筈も無かった。

 器を砕かれ霧散したエルクゥ達には目もくれず、中性魔力素粒子の光は次なる獲物を一瞬で定めると速度を緩める事無く二人目の犠牲者を作り出す。88本の触手が誤る事無く残るエルクゥ全ての器のみを砕くまでに要した時間は僅かに五秒。

 だがその五秒はリズエルにとって見れば永遠にも等しい五秒だった。




魔法戦国群星伝

外伝:鬼の一族



「そんな……。」

 その瞳は驚愕に見開かれ、半開きになった口からかろうじて漏れたのは一言のみ。
僅か数秒で、数秒にして、今まで築き上げてきた物が全て壊れてしまった。全て失われてしまった。
エルクゥの皇族として、指導者として、多くの物を捨てて得た物が、数秒で全て失われてしまった。

「なぜ……。」
「答えを得ることに目を背けたからですよ。答えを放棄した姉様を私は許さない。」

 凛と響く幼き声。
驚愕に瞳を見開いたまま、今度は明確な方向より放たれた声の主に瞳を向ける。

「リネット……。」
「……次郎衛門、怪我は?」

 妹は驚くほど自分の近くにいた。
己の姿を魔法で隠し、声を拡大する術をもってその存在を示した。

「リネット……なのか?」
「はい。……怪我が治らない……貴方は……。」
「……ああ。」
「エルクゥである事を『捨てた』のですか?」

 どう言うことだ? エルクゥである事を捨てる? 何故皇族の肉体を持つ次郎衛門の傷が治らない?

「混乱しているふりをしても無駄ですよ、リズエル姉さま。貴女はもういつでも答えを出せる位置にいる筈なんですから。」
「……エルクゥを捨てる……そんな事が出来るはず無い!!」
「いえ、『出来ます』。現に私も、次郎衛門も既にエルクゥの特徴とはかけ離れた力を持っています。」

 確かに。もともとエルクゥとは思えぬほど体が弱いリネットはともかく、今の次郎衛門からエルクゥの力は殆ど感じられない。まるで……

「人間に戻った、とでも言うの!?」
「そうだ。俺は人間の『器』に其の形を戻した。」
「バカな……そんなこと出来るはずが無い!!」
「いえ、出来ます。これこそがエディフェル姉様の出した『答え』。」

 その言葉にリズエルの心が揺さぶられる。
それを認める事。それはリズエルの決定的な敗北を意味する。エルクゥの存在を否定する事になる。

「この事はヨークの内部記録にも残っています。……極秘にして皇族しか見る事は出来ませんが。」
「エルクゥの始祖の話!? それなら私も既に見ている!!」
「そう、エルクゥの始祖はある特殊な能力を持っていた。」

 次郎衛門とリネット、リズエル。既にこの場にいる三人が三人とも、此処から先の話を知っている。だがリズエルと次郎衛門にとっては推測の域を出る事の出来ない話だ。

「過去、エルクゥの始祖が魔界に降り立った時、その力は脆弱な物でしかなかった。」
「……。」
「ですがその始祖には特別な『力』があった。」
「今の俺が持っている力か。」
「はい。『器を操る力』とでも言いましょうか。」

 器。この単語の意味する所を知っているのは魔界広しと言えどもエルクゥぐらいのものだろう。人形を作り出すときや魔導生命を作り出す際に多くの魔族がその鱗片に触れる事はあっても、その本質まで辿り付き、器そのものを視認出来る種族は少ない。

「『器』の形は種族により様々な形を取ります。いえ、『器』の形が種族を分けると言った方が正しいでしょう。」
「でも『器』の形を変える事なんで出来ない! それが出来ると言う事は……!!」
「そう、寿命を操る事も出来るでしょう。」

 器に乗るのは命の『輝き』と言うそれは不安定な物だ。器に罅が入ればそれは容易に形を失い、砕け散る。

「『器を操る力』。それを用いて始祖は自らの肉体を魔界の生存競争に勝てる姿へと変貌させた。」
「それがエルクゥ……か。」
「はい。ですがそれは高い代償を伴う物でした。魔界でも飛びぬけて高い肉体能力を得た代償は、絶望的なまでの魔力の欠如と精神の単純化。」
「……。」
「ですがそれだけでは家畜化する恐れがあるとして、始祖はある爆弾を自分の『器』に隠しました。」
「爆弾?」
「はい。ここからは私の推測です。……爆弾は周囲の命の質が偏りすぎた時に起爆するように設定されていました。そしてそれが起爆した瞬間、『器』はそれと相反する姿に変貌するという物です。」

 それは余りにも飛躍しすぎた推測だった。だが同時に納得がいく存在が目の前にいる。

「既に三人もの力に偏った一族に囲まれ、私の中の爆弾は生まれる前から既に爆発していました。強靭な肉体を捨て、高い魔力とそれを自在に使いこなせる能力を備えた『器』に変形していた私は、生まれた時からエルクゥではありませんでした。」
「使いこなす能力…… 呪文の複数同時詠唱か。」
「はい…… エディフェル姉さまの時は単純に突然変異として片付けられたのでしょうが、恐らくはエディフェル姉さまの爆弾も爆発していたはずです。」
「心を読む力……か。そしてそれは……。」
「次郎衛門の体に取り込まれるのみならず、中途半端に爆発したままの爆弾は次郎衛門の体を爆発的に変容させました。」
「それがその『刀』だとでも言うの!?」

 次郎衛門の右腕に納まる輝く『刀』。次郎衛門の鼓動に合わせるように明滅し、大振りながらも次郎衛門の鍛え上げられた肉体と完全に調和している。

「はい。エルクゥの始祖に限りなく近い脆弱な肉体、低い魔力。それらを代償とするように人間は高い潜在能力を種族的に秘めています。」
「それがエルクゥの爆弾で変形した、と言う訳か。」
「人間も無意識的にですが『器』を操る力を秘めていると考えられます。潜在能力を昇華させ、人知を超えた力を振るう為に。」
「それは俺の中で一度はエルクゥとして覚醒した。」
「あれは次郎衛門が純粋な暴力の象徴としてエルクゥを選んでいたからだと思います。その結果、次郎衛門の『器』はエルクゥのそれに変化しました。」

 瞬間、リズエルの脳に戦慄が走る。
あれが…… あのバケモノが人間の潜在能力を全開にした象徴なのか?
既に無意識的にとはいえ人間の潜在能力の高さに気付いていた。死地で開花する爆発的戦闘能力。それを現実に目の当たりにすれば人間の潜在能力を見る事は容易だろう。
 だがリズエルがそれを認める事は『人間=始祖』の図式を成り立たせるに等しい委棄すべき事実だった為、半ば無意識的に目を背けてきた。

「ですが今は違います。次郎衛門は明確に『器を操る力』を使いこなし、人間の『器』のまま、その力を最大限に振るう事の出来る潜在能力を開花させました。」
「それが、その『刀』だと言うの……!?」
「ああ、エルクゥのが秘めた『器を操る力』と人間の高い潜在能力がかみ合ったからこそ出来た『輝きを食らう刀』。僅かに残ったエルクゥの『輝き』を視認する力をもって、正確に器のみを破壊する事が出来る。」
「認めないわ! そんなもの、認める訳には行かない!!」
「俺は元々剣士だからな。障害を排除する象徴として無意識の内に剣を作り出したんだろうよ。」
「そんな夢物語を私に信じろと!?」
「リズエル姉さま!!」

 振り解く様に両腕をかき乱し、圧倒的な殺意に濁った瞳が次郎衛門を捕らえる。

「エディフェルの力も全部この『刀』にくれてやったからな……。もうお前の心は読めないがこれだけは判る。」
「私から全てを奪ったお前を私は許さない! お前の力を私は認めない!!」
「アイツ等は真実から目を背けていた獣に堕落していた! 自分達が祖先を同じとする一族を食らっていると言う真実からな!! 今のお前もその獣達と同類だよ!!」

 僅かに低く取られた体勢が瞬きする間もなく霞む。

 ゴウッ!!!

 ギイィィィィィィィンッ!!

 音よりも早く突撃してきた一撃を真正面から刃で受け止め、刃の上を滑らせることによって受け流す。

「お前がエディフェルの答えを認めないんなら、その身に刻んでやるよ! 人間の力ってやつをな!!」

リイイィィィィィィィンッ!!

バシュウゥゥゥッッ!!

 閃光、そして一閃。
 だがその防御できる一撃をリズエルはあえて肩口から受け入れ、切られるに任せる。

「なっ……。」

 次郎衛門の瞳に驚愕の色が広がる。
 リズエルを袈裟切りにした閃光は器を砕く事無く、表面を切り裂くだけに終わっていた。

「ふふふっ…… 無駄よ。お前がどれだけの力を示そうとも、今の私には効かないの。」
「再生……だと!? 切られたすぐ側から…… ぐうっ!?」

 至近距離からの一撃。防御を完全に捨てた事による完璧な一撃を上体を逸らす事で微傷に留める。そして続く二撃、三撃を避け、刃で受け止め、勢いを利用して距離を取る。
食らったのは初撃のみ。奇跡とも言える損害の少なさと言えよう。

「エルクゥの限界を超えた再生能力…… まさか姉様!?」
「そう、輝きを食らうエウクゥは同族の輝きを取り込み、自らの力と変える事が出来る……。同族殺しを禁じる事でその力の暴走を止めていたのは、たった一人だけでも取り込めばこの通りだからなの……。」
「アズエル姉さまを…… 取り込んだ、と言うのですか……?」
「ええ、アズエルには悪い事をしたわ。あの子、私の事を完全に信用していたから、まさか私が禁忌を犯すつもりだったなんて最後までわからなかったでしょうね……。」

 その瞳に映るのは狂気。そして溢れる涙。それでいて口に浮かぶのは微笑。

「自分のやった事がわかってんのか!? お前は、エディフェルのみならず、もう一人の妹まで手にかけたんだぞ!?」
「ええ、それも次郎衛門、お前を殺すためにね!!」

 絶望的な笑みを涙で濡らしながら狂気に彩られた鉤爪が振るわれる。だが其の動きは今までとは違い直線的。

ギイイィィィィィンッ!!

「ああ…… 力が溢れる。躍動が止まらない。こんな事だったらエディフェルの輝きも取り込んでおけばよかった!」
「テメェ…… 何処までも堕ちる気か!」

 防御を捨てたその直線的な大振りを受ける訳には行かない。細腕ながらその一撃の衝撃で爆ぜる大地を見れば破壊力が容易に知れる。

「それもお前を殺し、リネットを取り返すため! ヨークの魔力と時空を超える力さえあれば再起などいくらでも出来る!! 全てを取り戻す事が出来る!!」
「正気の沙汰じゃねぇな!」
「ああっ、いっそリネットの輝きも取り込もうかしら。魔力に満ちた『器』に変形させれば私でもヨークを操れるかもしれない!」

 大振りな一撃を残像を伴うスピードで引き戻し、体全体を使って横に薙ぎ払う。
慌てて屈んだ真上を衝撃波が通り過ぎ、遠く背後にあった宿場町の瓦礫が積み木の様に吹き飛んだ。

「ぐうっ…… アズエルの力がそのまま上乗せされてるってのかよ!?」
「そう! 私の中でアズエルは生きる!! 私と一体化し、私の力となってその存在を示す!!」

 既に聴覚情報や視覚情報に頼る事は放棄していた。それらを超越した速度で迫る人知を超えた一撃を避ける手段はもはや経験と勘しかない。触れたら最後、衝撃で塵となる事が確定している鉤爪を悠長に目で追っている暇は無い。

「くそっ、再生速度が並じゃねぇ!!」
「はははっ、私を殺すことなんて不可能よ! 『器』を破壊できる其の『刀』の力をもってしても、私の再生速度がそれを上回る!!」

 既にリズエルは防御を完全に捨てている。我武者羅なまでに其の両腕を振るうだけだ。
だが其の一撃が振るわれる度に破壊エネルギーが山肌を砕き、瓦礫を塵に変える。

「今の私に負ける要因は何処にもない! 次郎衛門、エディフェルの所に連れて行ってあげる!!」
「くそったれがあッ!!」


 爆音、閃光、衝撃。
それらを慌てて作り出した簡易型対物理障壁越しに見やりながら、リネットは視覚すら超越した剣舞に見入っていた。

 後の事も顧みずに振るわれた横薙ぎをしゃがんで回避した次郎衛門の右腕が霞んだ一瞬、突き上げるようにして閃光がリズエルの右腕を切り裂く。
 だがそこに傷は出来ない。切り落とす前に再生してしまうのだ。

「再生速度に攻撃が追いつかない…… このままでは次郎衛門が押し負ける……。」

 絶望的事実を口にしながら、リネットの脳裏には現在自分が行う事の出来るありとあらゆる手段が検討されていた。

「そうですね。殺す事が出来ないのであれば……。」

 幸いにしてヨークと接続している今なら大規模な魔術でも問題無く行使する事が出来る。あれほどの再生能力を上回る事が出来る術など限られている。さらに周りを巻き込まないと言う限定が付けばたった一つしかない。

「もう幾人もの同族を殺しました。もう一人増やした所で私の罪は変わりません。」

 使う術の選択は完了した。人を手にかけると言う覚悟も出来ている。魔力は制御出来る限界以上に満ち溢れ、其の瞳は目標を明確に捕らえている。

 準備は万端。
あとは使う魔術の詠唱でミスを犯さなければいい。

「リズエル姉様…… 私は家族を殺した貴方を許す事が出来ない。全てを拒否した貴方を認める訳には行かない!!」

 前方に掲げられる両手。十の指がそれぞれ別々の意志を持つように複雑に蠢き、盟約の法則を歪め始める。

「行きます……!」

「Det……dykker………timer……」
「Jeg……hadde……absoluttet……energis」
「Dette er……to……bytter……」

 紡がれる三重奏の響き。
 リネットのみが持ちえる先天的能力。まるでもう二人、同じ声を持つ人間が隣にいるかのように響く完璧な三重奏。それはどんなに複雑な魔術でもその詠唱時間を飛躍的に短縮させ、複数の魔法を同時に詠唱する事が可能になると言うリネットだけの能力。
 この旋律を口ずさむのはこれで三度目。微細で精密な詠唱韻律を間違える事無く約一分の詠唱を唱え切らなくてはならない。だが既に詠唱韻律はリネットの中で完全に息づいていた。
 それは譜面を見る事無く楽器を操る楽師にも似ていると言えよう。たった三度だけとは言え、その韻律はリネットの記憶に、指に、喉に完璧な形で刻み込まれている。

「……evigett……og evinnelig……sa……sover……」
「York……brukt energis……for……til……timer……」
「……hooger……inne……romme……vil……」

「リネット!? この詠唱…… 座標交換ですって!?」
「座標交換…… そうか!!」

 響き渡る旋律と糸を紡ぐような指使いによって生まれた魔力の奔流。それは視認出来る程の密度にまで収束し、光を放ち始めていた。

「くっ、座標交換で私を消すつもりか!」

 瞬時に意図を察し、右腕を大きく振りかぶる。距離にして20m近い間があるが、今のリズエルにとっては充分な射程圏内と言える距離だ。脆いリネットの体など、衝撃波一発で木の葉のように舞い散らせる事が出来る。

「させるかよ!!」
「くっ!? 邪魔をするなぁ!!」

 右腕が振り下ろされる瞬間、顔面に強烈な一撃を浴びて体勢が崩れた。

「へっ、よくできた妹じゃねぇか! きっちり莫迦姉の暴走を止めてくれるなんてな!!」

 勝つ手段をリネットが持ちえる以上、次郎衛門は術の完成までリズエルの足を止めなくてはいけない。詠唱中の術者は基本的に無防備なのだ。

「どけぇ!!」
「断る!!」

 焦りか大雑把になりつつある連続攻撃を紙一重でかわしながら、それでいて次郎衛門の体は張り付いたようにリズエルから離れない。リズエルが次郎衛門を押しのけるか避けようとすると、その隙を狙って次郎衛門の足を止める一撃――それは傷を与えはしない――がリズエルの動きを阻止する。

「York……oker……min……」
「……deres……av……sovenet……」
「……sted……mor……ny……York……」

 既に詠唱は殆ど終わりに近づいている。詠唱の終わりがリズエルの負ける瞬間なのであれば、それはあと十秒もないだろう。

「var…………call…………」
「……elk………………ser…………」
「din…………bre………………energis……」

 だが突然減速を始める詠唱。それは止まりこそしないものの、明らかに詠唱の完了を先延ばしにしている動きと言える。

「リネット!?」
「詠唱の減速…… ははっ、そうか!」

 子守唄とも取れる速度にまで減速したリネットの詠唱の意味を感じ取り、リズエルの口から狂気めいた哄笑が漏れる。

「所詮は人との幻想を抱く貴女らしいわね、リネット!!」
「どう言うことだ!?」
「貴方よ、次郎衛門。貴方がいるからリネットは座標交換を発動させられないの!」

 言うや否や、動きが止まった次郎衛門の襟首を掴み、次の瞬間には抱き寄せるかのように其の体を密着させていた。

「座標交換はその術形式の関係上、目標を座標に取らなくてはならない。」
「な?」
「それはさまざまな弱点を抱えるの。高速移動する存在には不利な点や、目標を選択できない点、そしてこんな場合。」

 まるで恋人に囁く愛の言葉のように、その耳元から吐き出されるリズエルの言葉。その顔は勝ち誇り、狂気に満ち、そして泣いているようにも見える。

「今私を転移させると貴方まで巻き添えになる。それがリネットには耐えられないみたいね?」
「なん……だと?」

「der…………trenger……」
「……for…………」
「vinnning…………til…………」

 口にこそ出さない物の、リネットの幼い顔に浮かぶ汗がそれを肯定していた。

「またも形勢逆転ね、次郎衛門!!」
「へっ、俺を殺せばリネットの魔法が発動してお前は消えるんだ。どの道お前はこの世から消えるんだよ!」
「フフフ…… 無理ね。座標交換なんて高度な術を遅発させる事や条件起動トリガーを設置する事がそう簡単に出来ると思う?」
「……。」
「例え貴方を殺してからでも私はリネットを殺せるわ。そしてリネットの輝きを取り込めば座標転移で戻る事も出来る。」
「……。」
「私の勝ちよ、エディフェル!!」

「…………loomer………………」
「hav……………………dere…………」
「…………uendelig……」

「……リネット。」

 驚くほど、驚くほど冷静に、次郎衛門は自分の声を絞り出していた。それは術の崩壊寸前まで詠唱を減速させていたリネットにも伝わったのだろうか、半ば泣き顔になりながら、リネットが顔を上げる。

「構わない。俺ごとリズエルを座標転移させるんだ。」
「次郎衛門!? 貴方、正気なの!?」
「ああ、俺は正気だ。正直死ぬのは怖いがな。お前を野放しにしておくほうが俺は怖い。」
「ふざけないで! だったら先に貴方だけ死になさい!!」

シュッッ!!

キイィィィィンッ!!

 至近距離にあるため手首のみで振るわれた鉤爪を、見る事無く刃を立てて受け止める。だが鉤爪は折れる事無く、ましてや血が吹き出す事もない。

「ほらな。こんな歪んだ命を放って置く訳には行かない。『器』を見ることの出来るリネットなら判るだろ?」
「……air……gikk…………」
「くっ!」

シュッッ!!

ドシュッ!!

「ぐぅっ!?」
「リズエル、もう諦めろ。お前の負けだ。」

 振るわれた右腕。だがそれは次郎衛門に届く直前で静止していた。
抱き合う用にして重なる二人の体を、リズエルの背中から一本の刀が貫いていた。その切っ先はリズエルの胸を貫通し、次郎衛門の胸板に突き刺さっている。

 リネットの体は完全に縫いとめられていた。縫いとめるのは一振りの刀、受け止めるのは次郎衛門。

「これなら再生は起こらないはずだ。異物排出以上の力で俺が縫い止めている以上はな。」
「ぐうっ…… かはっ……」

「…mye…………kode……」
「magisk………til……」
「……trolldom……」

「俺の役目はもうこれで終わるんだ。隆山の地に巣食う鬼達を退治するって言う役目がな。」
「はっ、はなせぇ……!!」
「リズエルを消すには座標転移が一番の解決法なんだろ? だからお前はそれを選んだ。」

「同族殺しの罪を償わせる為にも、エディフェルの為にも、リズエルは消さなくてはいけない」

「俺の事は気にするな。エディフェルに会えると思えば死ぬのも少し楽しみになるさ。」

 エディフェルに会える。そうか、だからこの人は痛みを感じないんだ。
死を享受し、受け入れる覚悟が出来ている。だから痛みに顔を歪ませないんだ。
この人は…… そんなにエディフェル姉様を愛していたのか。

「name som Rinett」
「stivt berfir magisk」
「til York」

「リネット!? 止めなさい! 止めて!!」
「そう…… それでいい。……ああ、そうだ……。」

 ならば迷うのは止めよう。
姉様の愛したあの人の為に、あの人が愛した姉様の為に、リズエル姉様の為に、そして未来を託された私と小さな賢司の為に。

「……det heter……」
「……det heter……」
「……det heter……」

 溢れる魔力の奔流。輝く幾重にも重なった魔方陣。それらに包まれながら、リネットは最後の一言を紡ぎだした。

「「「……Arr。」」」


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