盟約暦790年:ヨーク

 警報。

 グエンディーナの地に降り立ってから初めての警報。
ヨークが己を破壊しかねない魔力と戦闘能力を保持した存在を感知した時にのみ発動する警報が鳴り響く。

 俄かに騒然となる船内で、只一人だけこの警報を予期していた者がいた。

「……来ましたね。」

 闇を束ねたかの如き漆黒の髪。
 そして鮮血の色に染まり上がった瞳。
 瞳孔は縦に裂け、氷の如き冷たさを備える。

 リズエル

 あの日からまだ三日しか経っていないにもかかわらず、彼女の体は完全に復活していた。
砕かれた骨は元の位置に戻り、機能を放棄した内蔵は全て復活している。
引き千切られた指も完全に再生し、その指先には鋭き爪が覗いていた。

 ゆらり

 まるで陽炎を伴うかのような動きの後、ヨークが示す光点の位置を確認する。

「集落跡…… いいでしょう。」

 漆黒の闇に包まれた部屋の中にあって、まるで暗闇など無いかのごとく歩み始め、小さな操作パネルの前にその身を運ぶ。

「全エルクゥに告ぐ。ヨークが定めし敵が集落跡に出現。全軍を持ってこれを排除する。」

 初めて。グエンディーナの地に降り立って始めて下した一斉攻撃令。それは指導者たるリズエルのみに許される暴挙。だがエルクゥ族にとっては最高の作戦ともいえる。

「目標は一人。総員、全力をもってこれを破壊せよ。」

 戦術など、それを上回る力の前には無力なのだから。





魔法戦国群星伝

外伝:鬼の一族



  同日:隆山

 ざっ……

 グエンディーナ人特有の黒い髪を後ろで束ね、赤銅色に日焼けした肌に麻の衣を纏い、死者の町に降り立つ一人の男。

 かつての名を柏木次郎衛門という。

「……。」

 誰一人として息つく者のいない瓦礫の町をゆったりとした足取りで進み、一つの場所でその足を止めた。

 そこは一つの河原。
宿場町であった隆山を貫く一本の川。

 約一年間人が手を加える事を放棄した結果、かつて多くの人々が涼みに来たであろう河原も、その砂利の上に雑草が幾重にも重なり、その役目を失っていた。

 かつて此処で運命の邂逅を果たした男女が一組。

 何も知らぬ一人の剣士であった自分と、冷徹な殺人鬼として名を馳せていた異界の娘。

 その娘も、今はいない。
いるのは異形の力を秘めた一人の男だけであり、絡み合う瞳も、交わりあう言葉も無かった。

 只一人、音も無く佇む男。
その瞳が開かれ、体中の肉という肉が脈動する。

「……来たか。」

 口元に確かな笑みを浮かべ、男は踵を返して河原を後にした。
目指すは隆山宿場町東門。


  同日:隆山東門

 隆山より東に続く街道は無い。
 隆山は南北に伸びる街道に出来た宿場町であり、東側は堅牢な山々が連なるだけである。

 だがその東門前に、一年前の再現とも取れる構図が出来上がっていた。

 戦力差1:200以上。
一年前は2000:40だった。単純計算で10000倍もの比率移動が起こっている。

「……。」

 だが一年前とは決定的に違う所があった。

「……。」
「……エルクゥ全員が出てきたか。」
「……突撃。」

 相手は的確な指揮系統を持つ名将に率いられた屈強な一団であった事と、

「グオオオオオオオオォォォォォォッッッッッ!!」

 此方の戦闘能力が一年前の比ではなくなっている事だった。



「……エディフェル……。」

 我先にと殺到する破壊の黒槌をまるで他人事のように眺めながら呟く。

「あの世でお前になんと言われるんだろうな……。」

 相手側の初撃が到達するのにあと五秒も無いだろう。
一年前と違い、敵の侵攻を妨げる物は何一つとしてない。

「お前の求める物はこんな物じゃなかったはずだ……。」

 東門入り口からゆらりとその身を起こし、一歩進み出る。

「だがもう戻る事は出来ない……。」

 その一歩で敵の初撃をかわし、次の瞬間にはその体を群の真っ只中に流していた。

「お前がいないこの世に未練は無い……。」

 既に回りに敵以外の存在を見る事など出来ぬほどに囲まれている。

「だがな……。」

 殺到する拳、牙、角。

「賢司の為…… リネットの為……。」

 それらを悉く紙一重でかわし、受け流す。

「お前が導き出した答え……。」

 不意に放たれる光。
光を受け、眩しげに殺気達がその動きを鈍らせる。

「お前が教えてくれた答え……。」

 輝くのは右腕。
固く握られるも、何一つとして光る物など無い筈の右腕。

「お前が示してくれた答え……。」

 不意に蘇る、あの赤い思い出。





『……エディフェル……私の名前。』

『それでも、私はあなたを失いたくなかった!』

『はい。古い言葉で「人」と言う意味です。』

『愛してます、次郎衛門……。』

『ほら……賢司、無事に……守れた……。』

『エルクゥと人……分かり合える。それを……教えてくれたの……あなたなんだから。』

『次郎衛門、愛してます。ずっと……ずっと……。』





『次郎衛門、愛してます。ずっと……ずっと……。』

「俺が此処にいるエルクゥ全員に示してやる!!」

カッ

「全員に刻み付けてやる!!」

 柏木次郎衛門と言う名の命の輝きが咆哮した瞬間、光が溢れ、想いは集った。



バシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!

「……なっ!?」

 戦いが始まってから一度もその場を動かずに、只戦局を見守るだけに留まっていたリズエルの顔が驚愕に歪む。

「……バカな! 一体何処から!?」

キイイイイィィィィィィィィンッ!!

 閃光と金属音を伴って振るわれる一振りの奇跡。それは確かに次郎衛門の右腕にあった。

「魔導術の詠唱など無かった筈だ! 符術を使った筈も無い!!」

 だが現に目の前でその奇跡が展開されている。

「奴の生まれ持った能力とでも言うのか!?」

 光を受けたエルクゥ達が自分の身に起こった事実を確認する事は出来ないだろう。
魔界でも屈指の強靭な肉体で知られるエルクゥが、まさしく紙の様に一刀両断にされる様など。

ゴオオオゥゥゥゥッッ!!

一閃、そして観音開きの扉が厳かに開くかのように溢れ出す光。

 光の中心。
その場を離れる事無く舞い踊る次郎衛門の右腕。
その腕には一振りの剣が収まっていた。

「くおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」

リイイイイイイイイィィィィンッ!!

 普通の刀よりはやや大振りだろうか。
 緩やかな弧を燦然と輝かせ、空気を切り裂き、視覚を切り裂き、正に神速に相応しい速度で血飛沫の舞を奏でる。

「エディフェル…… どうあっても私が間違っていると言うの!?」

 半ば叩き付ける様に呪詛の言葉を投げ、力を一気に解放する。

ゴウッ

 その瞬間、殺気に気付いたのか次郎衛門と確かに目が合う。開放した力に比例するように増えた体重で地面がギリギリと悲鳴を上げる。

ギリッ

 それはどちらの噛み締める音だったのだろうか。
だがそれ以上の変化は無い。指揮官であるリズエルは迂闊に前に出る訳に行かず、次郎衛門は次郎衛門で動けない状況にあった。

キイイイイィィィィィィィンッ!!

「があああぁぁぁぁぁっ!!」

 まだ人間の域に残っている叫び声と共に振るわれる光の奔流。
その一振りで数体のエルクゥを切り裂き、大地の糧と変えるも未だ回りに黒山が聳えている。

 なにしろ数が多すぎる。
先ほどから次郎衛門は一度も攻撃を受けていない。人間の姿を保ったまま戦い続けている以上、一撃が致命傷となる事は疑いようのない事実だろう。その為攻撃よりも防御に専念せねばならず、同時に接近攻撃手段しか持ち得ない状況は手数を必然的に減らしてしまう。

「うらあああぁぁぁぁぁぁっっ!!」

リイイイイィィィィィィンッ!!

 斬撃は一撃で敵の輝きを砕くも、全方位からの波状攻撃を捌けるほど次郎衛門の剣技は磨かれていない。エディフェルには及ばないまでも、並みのエルクゥを超える身のこなしで僅かな隙に一閃、周りの敵を一気に排除すると言う神経をすり減らす戦いを余儀なくされる。

リイイイイイィィィィィィィンッ!!

 金属とは思えぬ音を伴って振るわれた刃が真後ろより迫る一撃を根本から切り飛ばし、勢いに任せて横薙ぎに一閃、二体を一気に屠ると同時に空いた空間へ踏み込み、半ば崩れた体勢を利用して変形の袈裟切りで更に一体を塵に変え、そのまま大きく前に傾いた体勢に併せるように大幅な一歩を踏み込み横薙ぎに半周、真横に分断された一体を見る暇も無く残した足を引き寄せて屈んだ姿勢に一瞬で移行、次の瞬間には跳躍していた。

 この一瞬で五体のエルクゥが輝きを散らす。だが残りのエルクゥ全てを相手にするつもりは毛頭なかった。狙うのはあくまでリズエルのみ。

「リズエルーーッ!!」

 着地点は狙い過たずリズエルの真正面。リズエルが動かなければそのまま間合いの内となる。

「もらったぁ!!」

 リズエルが右腕を構えるが避ける気配は無い。ならば落下の勢いも乗せて一気に切る!!

(……殺気! 真下!!)

 突如舞い上がってくる殺気の塊に空中で姿勢を変え、真下に刃を構える。

ギリリリイイィィィィィィィィィッッッ!!

「グウウウウゥゥゥゥゥゥ……。」

「!! お前は……。」

 攻撃のお陰で軌道が変更され、リズエルとは離れた位置に次郎衛門と殺気の固まり、二人そろって着地する。

「お前は……!!」

「オオオオオオオォォォォォォォォッッ!!」

 咆哮。
それは明確な殺意と威圧、そして殺傷力を伴って次郎衛門を襲う。

「お前は……!!」

 だが次郎衛門の心を満たすのは恐怖ではなく怒り。
そして郷愁。喪失感。後悔。

「お前は…… ダリエリ!!」

ドゴオォォッ!

ギイイイイィィィィィンッ!!

 瞬間、二つの爆発音と争うかの如く中間点で金属音が響く。


「桂子を壊し、殺した貴様を……!」
「ガアァァァァッッ!!」

 振り払うように薙ぎ払った一撃を放ち、一瞬早く体勢を立て直したダリエリを牽制、僅かな隙に体勢を整える。

「貴様がっ! 貴様が俺の家族を!! 桂子を!!」
「グオオオォォォォォォッ!!」

 地を這うように一旦間合いを広げ、反動をつけたかのように上段から一閃。

「桂子の仇、皆の仇! その身に刻んでやる!!」
「ガアアァァァァァッ!!」

 焼け付くような輝きを伴って放たれた一撃に反応して一歩後退する。

「ちっ、流石に一撃で殺ると言う訳にはいかねぇようだな!」
「グウウゥゥゥッッ!」

 エディフェルよりダリエリの事は聞いている。
闘争心に忠実なエルクゥの男達を率いる事の出来る唯一の男。皇族に次ぐ地位を与えられたエルクゥの部隊長。

「くぅらぁっ!!」

イイィィィィィンッ!!

 その音は空気を切り裂く音だろうか、自然では存在し得ない風切り音を従えて追撃する刃を真横に回避し、流れるような動きで真横に振るわれる鉤爪。

ゴウゥゥッ!!

「くうぅぅぅぅっ!!」

 距離を取る為か大振りに振るわれた光の刃は運良く命中するも、その傷は軽微。

「ちっ…… 食らっちまったか。」
「グゥゥゥ……。」

 毒づく次郎衛門の左肩がみるみる赤く染まる。

「安心しな、エルクゥの再生能力なんざ既に無くなっている。」

 僅かに飛び散った鮮血で頬を赤く染め、壮絶な笑顔で次郎衛門が再び構えを取る。
今度は右腕一本のみの変則的な上段の構え。

「覚えておけ! 人はなぁっ!!」
「ガアアァァァッ!!」

 同時に突撃、まるで度胸試しのように振るわれたお互いの防御を捨てた一撃を殆ど同時に紙一重で回避し、次の瞬間には二撃を互いに繰り出す。

「テメェラが思っているほど!!」
「グウウゥゥゥッ!!」

 僅かに次郎衛門の方が早い。刀が持つ有効射程の広さと圧倒的な速度を武器にダリエリの体に次々と赤い花を散らせる。

「小さくも! 弱くも! 脆くもないんだよ!!」

 ギィィィィィィン!!

 止めとばかりに上段から振るわれた袈裟切りを、渾身の力を込めた鉤爪が受け止める。
彼我の距離は殆ど零に近い。これでは刀の持ち味を完全に生かす事は不可能と言える。
その為、次に次郎衛門がとった行動は当然と言えば当然と言える。

 すなわち後退。

 刹那、引き絞られたダリエリの右腕が弾かれたように突き出され、何も無い空間を砕く。

ゴウゥッ!!

「くっ!?」

(衝撃波!)

 圧倒的な速度とパワーが融合した時に生まれる衝撃の塊。それは基本的に高い魔力を持ち得ないエルクゥにとって唯一とも言える遠距離攻撃手段。
 しかし叩き付けるのはあくまで空気の塊である。いくら衝撃波を伴うとは言え威力限界が低く、彼我の距離が開けば開く程、その威力を加速度的に減少させてしまう。

 だが今の次郎衛門にとってそれは敗北の布石とも言えた。
後退する為僅かに浮いた上体。そこに叩き付けられる空気の塊。

 それは一瞬でもバランスを崩すのには充分な威力を持っていた。
目の前には死の砲弾と化したダリエリ。そして上体が崩れ、軸足が浮いている自身。

(くそっ、防御が間に合わねぇ!)

 輝くように巡る、これこそ走馬灯と言う物なのだろうか?





 それは過去、誰よりも信頼し、慕っていた姉の面影。
 それは過去、誰よりも大切で、親しかった家族の笑顔。
 それは過去、誰よりも依存し、助け合った相棒の後姿。

 そして―― 守れなかった初恋の相手。

 目の前に迫るのは――!!





「くおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっ!!!」

リイイイイイイイィィィィィィィィィィィンッ!!!

 その瞬間、世界の時間そのものが歩みを緩める。


 まさにスローモーションで見ているかのごとく減速した時間の中で、轟音と共に迫るダリエリの拳を紙一重で真下に避わし、刃を上向きにして深々とその腹に突き立てる。
 突撃の衝撃を利用して刀身の殆どを埋め込ませた刃は次の瞬間、閃光を放ちながら一気に跳ね、土煙と爆音を従えてダリエリの体を駆け抜けた。


 そして時間がゆっくりと歩みを戻す中、軽い音と共に地に降り立つ男。その手には命の輝きを従えた刃。

「……桂子。仇、取ったからな。」

 感慨にふけるのは一瞬。
次の瞬間にはリズエルの方に向き直り、その身を疾風と変える。
だがそこにあるのはまたも壁。三桁の数を未だ保つ漆黒の壁。

「邪魔だぁぁぁぁぁっ!!」

 その時、声が響き渡った。






「……接続。」

 それは突然響き渡った。

「全神経接続回路開放、完全同調完了。」

 隆山の地に響き渡る声。

「主動力炉緊急稼動、全ゲート緊急閉鎖。」

 響き渡る声に誰もが動きを止める。

「対衝撃外部隔壁展開、航行システム起動……オールグリーン。」

「この声は……!」

 リズエルの瞳が驚愕に開かれる。
慌てて周囲を見渡すも、声はまるで隆山の地そのものに降り注ぐが如く方向を定ませない。

「緊急浮上開始!!」

「リネット!!」

 そして、大地が鳴動し、爆ぜた。





「なんてでかさだ……。」


 それはその巨体を悠然と浮かばせていた。

 翼の様な部位は無く、銀色に輝くその身を上空100m程の地点に縫い付けるかのごとく留めている。だが少なくとも今隆山の地で戦いを繰り広げている者の誰もがその巨体を視界全てに納める事は敵わないだろう。

 それ程までに大きい。
着陸すれば宿場町である隆山の殆どを押し潰すだろう。だが落下の危険性など微塵も感じさせず、それは一年ぶりの日光を、その身全身を持って享受している。

「これが……《ヨーク》か……。」

 鋼鉄の鎧に身を包み、時空をも越える魔力と魔王に匹敵する戦闘力を秘めたエルクゥ族の切り札。

「エディフェルに聞いていたが、まさか此処までとは……。」

 誰もが目的を忘れ、その巨体を呆然と見上げる。

 だが声は続く。

「戦闘システム起動、地上掃射装備展開。」

「!! しまった!!」

 リズエルの中で未来が閃く。

「左右砲門全開放、魔力集積炉接続。」

「リネットは……!? 何処から……!?」

 感覚を全開にしてリネットの気配を探るも、声が届くであろう範囲内に自分以外の皇族の姿は無い。

「目標、直下に存在するエルクゥ族全て。」

「……!!」

 リズエルの瞳が見開かれる。だがそれはリズエルだけではない。エルクゥ達も目を見開き、その赤い瞳に明らかな恐怖を湛える。

「攻撃範囲内に皇族の存在を確認、ターゲットから削除。」

 巨大なその体躯の側面に44ずつ、合計で88の光が宿る。
圧倒的なまでに純粋な破壊の力。それはどの存在すらも破壊する魔力の光。

「同族殺害の禁忌に違反、皇族権限で無視する。」

「リネット、止めなさい! 貴女は同族を殺そうとしているのよ!?」

 空気がちりちりと帯電を始める。
圧倒的な魔力の高まりが空気まで変質させているのだろうか。

「ターゲット、ロック。」

 その声に全てのエルクゥ達がパニックに陥る。

「リネット、やめなさい! やめて!!」

「……リズエル姉様。これが、私の答えです。」

 その声はリズエルのみに聞こえたのだろうか。

「中性魔力粒子砲発射。」

「やめてぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」



 ゴウゥッ!!!

 



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