遥かなりしは東の果て、大盟約世界に咲き散りし花びらの一つ、そが名をグエンディーナ。豊穣の名を冠されし陽光溢れん地。
 堅牢な山々、打ち砕きし大河、翻弄せし緑。
それは同時に屋根たる山々であり、命を運びし清流であり、命の源である緑でもある。

 かの地を訪れる者、皆口をそろえ、讃える。

おお、素晴らしきは豊穣の大陸と。


 遥か――それはあまりにも過去。
人々の記憶より忘れ去られし悲劇。
我は語ろう。

 人にあらざる者の流せし涙。
人々に恐怖をあたえし一族。
我は語ろう。

 悠久の時を経て、
悠久の時に身を委ね、
死を与えられず、忘却を許されず、存在し続ける我の記憶。
我は語ろう。


 翼持ちし鋼鉄の船、
煉獄の炎と殺戮の光を秘めし地獄の船、
時を渡り、理を越える永遠の船。
ヨークと呼ばれし我が導き、仕える者達。
豊穣のグエンディーナに降り立ち時巻き起こる悲劇。
人と魔が混じりし時、舞い降りる奇跡。

それは哀しくも、光り輝く記憶――

エルクゥと呼ばれし魔の一族と、一人の男の記憶――





魔法戦国群星伝

外伝:鬼の一族



  盟約暦589年:隆山

 心惑誘いしは漆黒の空。
 響き渡るは草中の虫。
 駆け抜けるは虚無の冷風。

 隆山。
 魔法王国グエンディーナ崩壊も、この山に囲まれた小さな宿場町にとっては別世界の話に過ぎなかった。山に囲まれた宿場町に戦略的価値を見出すほうが無理という話だろう。加えてここは大陸でもかなりの辺境に位置する。
 魔法王国崩壊直接の原因とも言える地方豪族の反乱の際もこの町を舞台にした戦闘は行われず、幾つかの奇襲部隊や隠密部隊、強襲部隊が通り過ぎただけだった。そういう意味で言えばこの町は勝者と言えるのだろう。彼らの落とす路銀は他でもない、隆山の財産となっていたのだから。
 その為、時の隆山を領地とする新興の一族、藤田家にとってもこの地はただの安全地帯に過ぎなかった。

 その夜、隆山の地に根付く多くの命が耳にする轟音。
それは確かな揺らぎを隆山の地に齎し、幾つかの脆い建物が倒壊をするほどにまで至った。
隆山の長はこの事態に大きな関心を持たず、明朝に幾人かの志願者で結成した調査隊を予想される音源地へ向かわせる事で事態は終結に向かうと信じて疑わなかった。

 だが、翌朝に出発した総勢12人からなる調査隊は一人として帰ってこなくなる。


  盟約暦589年:隆山山中

 閃光と衝撃。
 それはこの翼持つ船が目的の地にたどり着いた事を物語っている。

「……着いたか。」

 男の問いに、祈りをささげていた娘が僅かに肯く。
男の方を見ようともせず、祈りの姿勢を崩す事も無い。

「ではヨークの隠蔽を行え。落着地点が見つからないようにしておくのだ。」
「……。」

 相変わらず返事が返ってこない事に僅かな苛立ちを男は覚えていた。
男の本心で言えば今すぐにでもこの目の前の娘の首を捻り上げ、己の欲望の糧へと変えたい所なのだが、そうもいかない理由が男にはあった。

 目の前の娘……年は15程だろうか。
輝くような金色の髪を後ろに流しただけだが、その美しさは誰もが認めるところであった。

(皇族と言うだけで大した力も無い娘が)

 僅かに男は舌打ちをする。
男の心中での苛立ちの通り、彼女は彼らの一族の頂点――皇族――であった。
基本的に男が属するこの一族の掟は厳しい。
皇族への不平不満を口にするなどもってのほかである。

 だが男の苛立ちは僅かな舌打ちに表されてしまった。

「……なにか?」

 男自身も気づくかどうか怪しいほどに僅かな舌打ちであったが、聞き取った者もいるらしい。
跪き、祈りを続ける娘の傍らより、影の如く女が現れる。
存在を意識出来ない程にまで洗練された陰業術(おんぎょうじゅつ――気配消しに代表される忍びの技術)に戦慄を覚える男。だが素直に驚きを表に出すほど男は若くは無かった。

「……いや。」
「……ならばその殺気を止めなさい。祈りが乱れます。」

 女の声を受け、初めて自分が無意識の内に戦闘態勢をとっていた事に気づく。
それほどまでに目の前の女は強い。

「……失礼した。」
「……。」

 大人しく殺気を収める男をまるで哀れむかのごとく見つめる女。彼女もまた、祈りを捧げる娘とは別の意味で美しかった。
 漆黒の闇を束ねたかのような腰までの黒髪。その瞳は赤く、瞳孔はまるで猫の如く縦に裂けていた。やや細身とも思える華奢な体にゆったりとした衣を纏い、その姿は女神もかくやと言える。だが、その瞳に捕われた者がその美しさを讃える事は無いだろう。
 殺気、恐怖、冷徹。
 女の瞳に魅入られた者は一様にしてこれらの単語を連想する。まるで抜き身の刃のような、冷たく輝く赤い瞳。

 目の前の男も例外ではなかった。

「……では我は下船の準備を整えるとしよう。」
「……。」

 気圧されたかのように場を離れる男。
果たして気付いていたのだろうか。男は全身に冷や汗をかいていた事に。

「……ダリエリは己の力を過信しすぎているようね。」
「……。」
「我らの一族の男達を率いる長の立場なのですから、身のわきまえ方と言う物を知ってもらわないと……。」
「……。」

 女は誰にとも無く呟く。
先ほどダリエリと呼ばれた男には静粛を促しておきながら、彼女自身自らしてその禁を破っている。
 だが彼女は知っているのだ。
目の前で祈りを捧げている妹――リネットに話し掛けても返事が返ってこないことぐらい。
妹がヨークとの接続を解き、目を開けるには今しばしの時間が必要だろう。


 同刻:ヨーク船内

「どうやら着いたようだね。」
「……はい。」

 皇族のみが入る事を許される寝室の中で、二人の娘が目を覚ました。

「……どうやら転移は成功したみたいだね。力が抑えられてない。」
「……はい。」

 確かめるように掌を動かし、片方の娘が立ち上がった。
それを追うように、もう一人の娘も立ち上がる。

「……制御室に行かれるのですか?」
「ん? いや、二日以上寝てたんだし、ちょっと腹ごしらえをしないとね。」
「……では私は先に制御室へ参っております。」
「ああ、私もすぐに行くよ。」

 僅かな常夜灯の明かりの中、二人の娘は足音も無く部屋を出た。


「……っと。誰かと思えばダリエリかい。」
「これはアズエル様。お目覚めですか。」
「ああ。」

 食堂。
 と言っても有るのは人間達が口にするような物ではなく、一種類のドリンクのみだ。

「あんたも補給かい?」
「……いえ、他の者達はまだ起きていませんので。」

 男達の長らしい律儀な行動に肩をすくめる娘――アズエル。
そんな豪放な――言い換えれば適当な性格はダリエリにとっては心地よい物であった。
……もっとも彼女とて皇族の一員なので、敬う態度を崩す事は終始無かったが。

「……それでは失礼します。」
「ああ。」

 手をひらひらと振りながら、アズエルはドリンクポットを一つ取った。
大して喉は渇いていないのだが、体は無意識の内にそれを欲していたらしく、貪る様にして飲み干す。

「流石にそろそろ抑制が効かなくなってきたね……。」

 アズエル達の一族は基本的に食事を必要としない。その代わりに彼らが必要とするのは「輝き」である。命が肉体と言う名の器から砕け散る時の「輝き」。その「輝き」を糧にアズエル達の一族は生きてきた。
 アズエルが今飲んでいるこの液体は、その「輝き」に近い成分を含んだ物である。一種の代用食材なのだが、長期に渡る移動を余儀なくされたアズエル達の一族にとっては必需品ともなっていた。
 最も末の妹であるリネットなどは一族にしては珍しく争い事を好まぬ性格の為、この液体を愛飲しているのだが……。

「あとエディフェルとリズエル姉ぇ、それにリネットの分も持っていってやらないとねぇ……。」

 その気になれば一週間ほどの絶食にも平然と耐えられる一族なのだが、その辺りはアズエルの面倒見のよさと言う物なのだろう。


 エディフェルにとってみればそれは大した問題ではなかった。
彼女の求める物は殺戮であり、それによって齎される命の「輝き」なのであって、それ以外の事に関心が向く事はなかった。

「……もう飛べないのですか?」
「いえ、座標交換を行えないだけであって、それ以外の航行は可能です。」
「……申し訳ありません……。」

 まるで他人事のように答えるエディフェルと、僅かに硬い表情のリズエル。そのリズエルに対して怯える小動物のように縮こまっているリネット。

「修復には長い時間が必要です。それこそ百年単位の。」
「……ではもう魔界には戻れないのですか?」

 つまりは着地の衝撃で座標転移機関が損傷したと言う事だった。エディフェルにしてみれば何時壊れてもおかしくない物を騙し騙し使っていたのだから、別段驚くような事ではないと思っていた。
 屈み込み、視線を合わせないように俯いているリネットと無理やり視線を合わせるエディフェル。
その動きにますます怯えるリネットだったが、エディフェルの瞳を見た瞬間にその恐怖は霧散した。

「普通通りの位相空間へのゲート作成は行えます。」
「そう。でもそのやり方じゃ……。」
「『法則』の餌食となります。」

 良かった。自分ともっとも年の近い姉は怒っていないようだ。その瞳は殺戮の一族として名を馳せている者達の皇族としては信じられないほどに優しい。
 最もエディフェルにとってすれば興味の対象外であるので怒るに怒れないだけであって、それよりも妹が怯えているのを見ていられなかったと言うだけである。

「おっはよ……ってどうしたんだい?」
「アズエル姉さま……。」
「随分と送れたわね、アズエル。」

 場違いに能天気なアズエルの声にますます声が硬くなるリズエルだった。


  数刻後:隆山山中

「まったく、リズエル姉ぇもそんなにかりかりする事ないだろうに。」
「……リズエル姉さまは一族を守る義務がありますから……。」

 アズエルの呆れた様な声に律儀に返事をするエディフェル。
二人が立っているのはヨークの真上である。
 修復に時間が掛かる以上、ヨークを見つけられる訳には行かない。そこで地形補正を行い、手近な洞窟とヨークを結んだのである。洞窟の奥深くにまで進まない限り、ヨークが見つかる心配はまず無い。
今ごろヨーク船内では同胞達が目覚めている頃だろう。

「しっかし本当に『法則』の干渉を受ける事無くこっちに来れるとは思わなかったよ。」
「……はい。」

 本来魔族が人間たちの世界に移動する場合、凄まじいまでの制約が掛かる。上級魔族であっても人間と大して変わらないほどにまで力が押さえつけられるのだ。
 だがアズエル達のヨークは違った。
 内紛により一族壊滅の危機に直面した一族の血を途絶えさせぬ為に、今までの技術の集大成とも言える超常機構を作り出したのである。

「座標交換か……。いざ説明されてもさっぱりだったね。」
「……全部理解しているのはリネットだけでしょう。」

 暗に自分も理解していない旨を伝えつつ、エディフェルの意識は過去に遡っていた。


「座標交換?」
「そうです。」

 ヨーク船内――皇族たちの最後の砦とも言える――の中で、現族長の娘達である四姉妹は聞き慣れない単語に混乱していた。
 説明しているのはまだ若い一族の者である。

「『法則』はゲートを作り出した時に発動し、干渉を仕掛けます。これは言い方を変えればゲートを作らずに転移すれば『法則』は発動しないと言う事です。」
「……まあそうなりますね。」
「そこで作られたのがこの「座標交換誘導機構」です。ヨークの空間転移装置に接続させる事で完成となります。」

 目の前には銀色に輝く正八面体の物体。それが二つ。

「この装置を稼動させた場合、この二つの物体の半径訳200mの空間を入れ替えます。ゲートを開く事は無く、移動そのものも厳密には行われない為、その移動の際に法則が働く理由はありません」
「……。」

 今ひとつ理解できない上の姉達とは違い、末娘のリネットの表情は何時に無く冴えていた。
リネットは肉体能力に傾倒しがちな一族の中でも珍しく魔術に精通していた。そしてその魔術に秀でた瞳は確かに目の前の正八面体を捕らえ、目で見える以上の物を見ていた。

「これは魔術発動補助文字……こっちは符法術ですね。ここでは珍しい。……これは見たことが無いけれど……。」
「お見事です。これは術構成の高速化を促す補助魔法陣です。……絶対魔術に匹敵します。」
「……。」

 絶対魔術。その単語に息を呑む姉三人。
絶対魔術による「盟約」の力は絶対である。これから転移するであろう場所はその「盟約」の効果範囲内なのだ。

「……大丈夫です。この魔法式は殺傷を齎すものではないので「盟約」は発動しません。」
「その通りです。絶対魔術に近くとも、決して絶対魔術にはなり得ないものです。」
「……そうなのかい?」

 口にするのも恐ろしい、と言った様子でアズエルが尋ねる。

「……はい。……これなら可能かもしれません。」
「はい。これをヨークに蓄えられた大魔力で発動させます。」

 ヨークに蓄えられた魔力は下手な魔族を軽く凌駕する。魔力だけで言えば下手な魔王クラスすらも上回るだろう。

「でも制御は……。」
「はい。これだけの発動体を制御するには優れた資質が不可欠です。」
「では座標交換を制御出来るのはリネットだけと言う事ですね。」
「……。」

 抑揚の無いリズエルの声に身を固めるリネット。
一族としても、魔族としても珍しい温和な性格のリネット。それは同時に積極性や自主性の低さも内包している。
 ヨークを操るだけであればリズエルでも出来る。だが魔力制御の難度が飛躍的に上昇した今、制御出来るのは一族でもリネットに限られてしまう。

「……リネット。」
「……うん。」

 案の定俯いているリネットに嘆息するリズエル。それはアズエルも同様だ。明朗快活、小細工を好まない彼女にしてみれば、魔術の道に走るリネットは妹でなければ即攻撃の対象になったであろう。そういう意味で彼女は皇族の中でも最も一族らしいと言えた。

 眉根を寄せたまま表情を変えないアズエルとは対照的に、エディフェルは相変わらずの無表情だが、ゆっくりとリネットの肩に手を置く。

「……怖い?」
「……。」

 エディフェルは一族の中で唯一と言っても良い特殊能力者でもある。その力は魔術とは一線を画し、後の世に超能力と呼ばれるその力をエディフェルも持っていた。
 とは言っても彼女の力は限りなく弱く、相手の表層感情を僅かに読む事しか出来ない。彼女自身がこの能力で助けられた事は殆ど無い。彼女が相手の心を読む前に、大抵の相手は命の「輝き」を散らせている事が多いからだ。
 だが、彼女は何時に無くこの能力を持って生まれた事に感謝していた。

「……大丈夫。リネットなら出来るわ。」
「……エディフェル姉さま……。」

 彼女の心を占めているのは何よりも不安。
自分の双肩に一族全ての命が掛かると言う不安。
予行も無しに行わなくてはならない不安。
失敗は許されない不安。

「あなたしか出来ないの。でもあなたなら出来るわ。」
「……私しか……私なら……。」
「そう。あなただけ。」

 エディフェル個人の感情は今すぐにでも外に赴き、内乱の種とも言える一派の本陣を滅する事を望んでいる。だが彼女の本音は珍しい事に、感情のままに動く事を否定していた。

(珍しい……。)

 自分がこのような人間的な行動を取れるとは思わなかった。
 だが今の自分自身の行動に満足している自分もいる。それが不思議な事に……

(心地いい……何故?)

 だが疑問に答えることよりも、現実の方が優先されるのは何時の世も変わらない。
そしてエディフェルの行動は結果として現実を良き方向に進めたようだった。

「……判りました。……座標交換、成功させてみせます。」
「リネット!!」


「あの時は魔族らしからぬ事をしたもんだねぇ。」
「……そうですね。」

 あの事はエディフェル自身にとっても破棄すべき事実である。
自分は殺戮の一族の皇族なのだ。上に立つ者が弱みを見せるなど愚の骨頂でしかない。
そのようなものを見せて得られる物は造反と増長だけだ。

「まあリネットの事を考えるとそれでいいのかもしれないけどさ。」
「……。」

 別段リネットに家族愛などと言う物を感じた事は無い。
魔族にしては珍しく人間のような繁殖方法をとる一族だが、思考形態まで人間に近いとは終ぞ聞いた事が無い。情に溢れた変わり者はリネットだけで充分だ。
 最も、そのリネットのお陰で今この場に生きているのも事実なのだが……。

「しっかしまさか人間の地に力を失う事無く来れるなんてね。」
「……はい。」

 うっそりと微笑むアズエル。その赤い瞳に写るのはエディフェル。
笑みを浮かべ、歓喜を隠そうともせずに微笑むエディフェル。その笑みは美しく、儚い。

「あれだけの衝撃だ。確かめに来ない方がおかしいね。」
「……はい。」

 だがこの二人を美しいと思える人間はいるのだろうか。
少なくとも、グエンディーナの地に舞い降りた殺戮の一族と最初に出会った12人は恐怖しか覚える事は出来なかった。



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