川澄舞は考える。





自分は今までそんなことに特に注意を払ったことは無いと思う。

起きて
食べて
飲んで
寝て

そして――――――――――――――――――突き上げる使命感のまま戦う。

それだけあれば生きていける。他にすることと言えば学校に行くくらいのものだ。
たまに可愛い動物さんなんかを眺められさえすればもう完璧だろう。

他に何かを欲しいとも
こうありたいとも
周りがどうであろうとも
外で何が起きようとも

そして――――――――――――――――――他がどうであろうとも構わない。

まるで鏡のような湖面のように揺れない。ざわめかない。
それだけだ。いつからこうだったかはもう憶えてないけど、まぁそんなものなのだろうと思う。
別に今までこれで何の問題も起きなかったのだから。






だが最近は考える。
川澄舞は考える。
特にどうというわけでも、なにかを感じるわけでもない。
ただ少し気にかかるだけだ。

「―――――――?」

しかし考えても今一よく分からない。それに―――――――――多分これは、自分だけで考えても判るようなものではないような気がする。

――――――自分に分からないのならば他人に聞くしかないだろう――――――

川澄舞がそう判断した高校2年の秋、最初の対象に選んだのは、最近できた比較的一緒に居ることの多いたった一人の友人だった。










「佐祐理…ちょっと思いついたことなんだけれど、食べながらでいいから聞いて欲しい。」

「あはは〜っ いくらでもいいですよ?」

「ひょっとして、と思うんだけど」

「はい」















「私は無愛想なの?」
















『些細に不解で偉大な自省』

                             企画・原案・執筆 エイト



自由な時間というものは一概にして早く過ぎ去ってしまうように感じるものだ。
それは学校という空間で過ごす時間の内、もっとも長い自由時間である昼休みにおいても言える。
人々は限られた短い時間の中であたかも自分達に可能な範囲以上の多くのことを無理矢理為そうとしているかのように足音、喧騒、そして大抵は連れ立った人影達を校舎に忙しげに響かせていく。
彼女達が今いる階段の踊り場という場所は、ちょうど上階と下階とを一度に見渡せ、階段自体を移動している人々も含めた彼らの活動を観察しようと思えば容易にできる位置にある。
この2人が別にそうするわけではないのだが、客観的に観てもこの踊り場の雰囲気とそのほか全てのそれとは非常に対照的だった。

ただ『凍って』いる。

あたかも時間軸正方向への流れが超自然的な理由で遮られたかのように、その空間にある目に見える全ての物質の動きが止まっていた。
そこには人が二人。
長い黒髪をそのままストレートに垂らした少女―川澄舞―と、彼女に「佐祐理」と呼ばれた淡い髪を空色のリボンで優しく装飾している少女―倉田佐祐理―がレジャーシートを尻にひいて、結構量のある(だが半分ほどはもう片付けられてある)弁当を前に座っていた。
彼女達は昼休みには最近ここで昼食をとるようにしているらしい。舞にとってはどうでも良かったのだが、佐祐理の『お弁当はこうして食べた方が美味しいから』という一言が発端でこうなったのだ。
そうして占有した領地で、今異変が起こっている。
舞の方は、己の発した問に対する答えをじっと待ち続け―――それこそ箸を置き、食べるのをやめてまで待ち続け―――目の前に座っている友人の目を見つめながら座っていたのだが、対する佐祐理の方はと言えば、言葉そのままに固まっていた。手にした箸で摘んでいる玉子焼き―――誰かの為にお弁当を作り始めてからまだまだ日の浅い佐祐理だが、今日のは会心の出来だった―――が空しく宙で踊る―――いや動きが止まっているのだからこれは単なる比喩表現ではあるが。

その空間が停止したまま、そこを包む外部の時間は容赦なく流れる。
舞は何度か声をかけてみようとは思ったのだが、その度に相手に失礼なのでは無いかと思い直し、断念してまた辛抱強く待ち続ける。
横を通る誰かが時々奇異な目をこちらに向けて来るが、そんなことは今の舞のとってはさほど気になることではなかった。
ただこの身に感じられるのはシート越しに伝わる冷ややかなリノリウムの感触と――――――微動だにしない佐祐理のみだった。


だが、物事はいつまでもそのままであることは許されない。
その言葉どおりやがて、時間は元のように針を刻み出すこととなった。

きっかけは一つの音だった。
かすかに何かが当たる音。柔らかい物同士の優しい音。近くにいてもそう聞き取れるような音ではなかっただろう。
しかしそれは、舞が発したさっきの言葉から初めて響いた音だった。
その音に反応して、ようやく佐祐理は浮かしていた手を正座している自分の太股へと慌てて引き戻す。
時間にして実に12分と7秒。よくもまあ腕が攣らなかったものである。

「…佐祐理…」

舞はそんな彼女に一言声をかけた。玉子焼きが弁当の上に落ちたと言うつもりだったのだが、それを遮るように佐祐理の口から流れたのは、

「あ…あぁっ、ごめんなさいです。ちょっと…その、驚いてしまいまして…」

という言葉だった。

驚く? 私の質問に何か驚くようなところがあったのだろうか? 普通の質問だと思うのだが…。

舞の疑問をよそに、少し気を取り直した佐祐理は(まだ声が普通と違う―――つまり少し上擦ってはいたが)逆に聞き返してきた。

「今まで気付いてなかったん…いえ! そうじゃありません! えっと、うん、どうしてそう―――自分に愛想が無いと、思うようになったんですか?」

しばらく黙った後、口の近くを流れる自分の長い髪を手でどけながら舞は佐祐理が落とした玉子焼きをひょいと自分の箸で掴んで口の中へ運び、2・3回もごもごと咀嚼する。ただ口に入れた訳ではない、きっかけが何なのだったか思い出す時間が欲しかったのだ。
しかしその努力にかかわらず、明確に原因を思い浮かべることは出来なかった。
仕方なくそれ以上噛まずに口の中のものを飲み込み、口を開く。

「…分からない」

本当に…

(…何故そう思うようになったのだろうか?)

「ふぇ、そうですかぁ…」

佐祐理が微かに表情を翳らす。
しかし大本の原因が分からないにしても、舞にはある種の違和感というものは感じられていた。
そうそれは…

「でも何か特別なことがあった訳じゃないんだけれど…なんと言うか…目」

「目、ですか?」

「どうも他の人がその…私を…」

空中で箸を持ったまま両手をひらひらさせ、身振り手振りで何とか己の持つイメージを説明しようとするが、それは何の意味を表す様子もなく空しく空中を舞うばかりだった。舞の表現力では到底精緻な描写は不可能である。
それに気付いた舞は諦めて手を膝の上に下ろし、先を続ける。

「避けているということなんだと思う」

「ええと…」

「こういう事に関しては、私の目から見ても他の人たちとも仲良くしている佐祐理に聞いたほうがいいと思って」

「はぇ〜…ありがとうございます…」

とりあえずそう返したものの、佐祐理はそのまま口を閉じてしまった。
いや、何かを言いたそうにはしているのだが言葉が喉で引っかかって止まっているような…とにかくそんな表情だ。
だが、また辛抱強く答えを待ち続ける舞を前にしてそんなことを続けるわけにもいかず、こちらの表情を伺いながらやっとのことでその口を開ける。

「…確かに舞は周りにニコニコ笑いを振りまくような人ではないですけど…」

一度口を開けば調子が出てくるのだろう。幾分流暢な口調で後を続ける。

「でも佐祐理は舞が優しい女の子だってことを知ってますから、わかる人はちゃんとわかってると思います。だから、そんなに気にすることではないと思いますよ?」

「そう…?」

そう確かめてくる舞の表情を見た佐祐理は嬉しそうに大きく頷く。

「はい! 頼りにはならないかもしれませんけど、この佐祐理が保障しますよー? でも、もちろん全く無視というのもあまりいい印象を与えないと思いますけどね?」

いつもの調子が戻ったようだ。自分が言い出してからの佐佑理の雰囲気が少し違うことにいぶかしんでいた舞だったが、その様子を見て安心した。そして―――――――――

(必要以上に気にすることはないのか)

それに対して特別意識すればいいのではない。ただ普通にしていればいいのだろう。
佐祐理が言うならそういう事なのだ。彼女は『私以外のこと』に関しては自分なんかよりよっぽど理解できている筈なのだから。

舞がそう納得した所で、突然佐祐理が思い出したように手を叩き、

「あ、そうですそうです。ちょうど舞に差し上げようと思っていたものがあったんです」

と言って横の手さげ袋に手を突っ込み綺麗に梱包された包みを取り出して舞に差し出した。

「はいどうぞ」

「…?」

訝しげに包みを受け取りそれを開く。中から出てきたのは…

「リボン?」

一本の赤いリボン。それが満面の笑みに包まれた佐祐理が舞に渡したものだった。

「あははーっ そうです。舞に似合うと思って一時間もかけて佐祐理が選んだんですよーっ?」

だがその努力も舞相手では余り意味を成さない。

「…どうすればいいの? これ」

端を摘んで目の高さまで持ち上げ、プラプラと左右に揺らしながら問いかけてくる。
佐祐理もそれを予期していたのか、さっと立ち上がって舞に、

「ちょっと貸してください」

と言い、舞が素直に渡したそれを受け取ってそのまま後に回り、

「少し動かないで下さいねーっ?」

と舞の髪を手櫛で梳き、要領よく整える。
舞はその間何をされているのかも分からずに、そのまま座っている。

「完成ですっ!」

最後にぽんっと舞の頭を叩き、佐祐理がそう宣言した。
舞は自分の頭に手を回しどういう結果になったのかを確認しようとするが、頬にかかっていた髪が殆どなくなった事位しか分からない。

「はーい、とくとご覧あれーっ」

すると佐祐理がさっきのバッグの中から手鏡を取り出しこちらへ向けてきた。

そこに映っていた舞とさっきの舞との違いは、そのまま垂れ下がっていた長い黒髪を先ほどのリボンで後ろで一つにまとめただけ。それなのにずいぶんと違ったスッキリとした雰囲気が出る。

(…これはいい。食べる時に髪が邪魔にならなくなる)

舞は後れ毛をいじりながらフッと笑った。

「気に入ってくれましたか? 佐祐理も嬉しいです」

元々嬉しそうだった顔をますます綻ばせる。


その時チャイムが校舎内に鳴り響いた。
学生にとって深夜以外で最も睡魔に襲われる時間、食後初めての授業の開始まであと10分を告げる調べである。
ささやかな自由は終わった。周りの生徒達の歩調が早くなり、その人影もだんだん少なくなっていく。
そして2人の目の前には―――――――――食べかけの弁当が半分。
両者の額に汗が流れる。
いつもならとうに食べ終わっているのだが、話していたせいですっかり食が止まってしまっていたのだ。

「た・・・大変です! 急いで片付けないと…!」

佐佑理が慌てて箸を置き、弁当を包んでいたナフキンを手にとる。

「待って…」

だが舞がそれを遮るように箸をおかずの中へさし入れながら、口でも止める。

「…最後までちゃんと食べたい…」

「でも…」

佐佑理は腕時計と弁当との間でうろうろと視線を行ったり来たりさせながら困ったようにうめく。
こうしている間にも秒針が容赦なく時を刻んでいく。あの時間が止まっていたと感じた間にもやはり時間とは流れていたんですねぇというどうでもいい考えが佐佑理の頭を過ぎった。

「急ぐから…」

舞はなおも食い下がる。
舞は頑固だ、簡単には自分の考えを変えはしないだろう。
だがこのままでは状況は悪化するだけだ。
そう判断したのか、とうとう根負けしたかのように佐佑理は苦笑しながらさっき置いた箸をもう一度手にとり、空いた手でぐっと拳を握り締めて宣言した。

「分かりました! 佐佑理も精一杯協力させて頂きます!」

こうなったら一蓮托生です。
そうして、しまいかけた弁当箱を改めて突付きだす。
一方の舞はというと既に佐佑理の返事を最後まで聞きもせず黙々と食べ物を口にしていた。リボンの効果もあいまってか、かなりのスピードだ。
両方ともわき目も振らず運び、噛み、嚥下する。
時間との戦いだ。
だがそんな一心不乱の様子の中、舞の頭にはある疑問がかすかに蠢いていた。

(でも…どうしてあんなことを思うようになったのだろうか?)

今となってはその内容よりもこちらの方が気にかかる問題となっていた。
だがしかし、別段気になることではない。何しろ本題の疑問そのものには答えてもらったのだし、それに今の状況においてはあまり重要なことではないからだ。



舞は思う。



今重要なことは…










何より今日食べた卵焼きはこれでまだ三つ目だという事だ。




















「ああ。まったくもってその通りだな。お前は無口で、その上無愛想で、我侭で、仏頂面で、もう形容する言葉が町内の福引で外れくじ引いたとき並に付いてくるオマケ位に変わった奴だぞ?」

なんの遠慮も無い言葉が舞の耳朶を打つ。それを聞いた舞はかなりムッとして押し黙った。
…まぁ元々口数少なく、表情を殆ど変えない性質ではあったが。

(そこまで言わなくてもいいのに…)

佐祐理とはやっぱり違う…やはりこの一見いい加減に見える男に聞いたのは間違いだったのだろうか?
舞はこの目の前の男に聞いてみたのを若干後悔した。










話は少し遡る。

あのリボンをもらった時から一年強、舞が日頃の日課として深夜の校舎に一人佇んでいるときだった。

日中とはうって変わって冷え切った世界。人工の明かり一つ無い暗闇。
舞はただ月の光のみを浴びてそこに立っている
一人、だ。ずっと昔から続いてきた一人であること。
どうというわけではない、気が付けばそうだったのだからこのことに対して何かを思うことすらない。
ただ一人だというだけだ。いや―――――――――『相手』はちゃんと存在する。ずいぶん昔からある意味一緒にここで何度も邂逅してきた『相手』が…。
だが今夜はまだ現れてはいないようだ。いつ何処に現れるかは定かではないが、出るとすればここだということは―――――――――うん、間違いない。

「よぉ。毎晩せいが出るな」

突然静寂を破り、男の声がガランとした廊下に響く。
だが舞はピクリとも動かない。
もちろん気付いていなかったわけではない。むしろ予測していた位だ。

「おいおい、返事くらいしろよ。…そーかそーか、じゃあいらないんだなこれは」

その声がする方から金属が触れ合う音がする。その音にようやく舞は振り返った。

「どうした? やっぱり欲しいのか?」

片手に木刀を持った男が目の前の高さに缶ジュースをもう片手に二つ持ち、そこで左右に揺らしながらニヤリと口元を歪ませ、意地悪い口調と表情で言ってくる。
しばし見つめ合う2人。
字面だけ捉えればまるで恋人同士のようだが、内実そんなものではないことはこの両者が一番良く分かっている。どちらが先に折れるか…要するに我慢比べと言うヤツだ。
そしてとうとう片方が根負けする。

「…欲しい」

堪りかねた舞がそう言った。まぁ、ここ何回かの睨めっこで、先に折れるのはいつも舞のほうではあったが。

「素直でよろしい」

そう言って男が片方をゆっくりと投げてくる。舞は両手でそれをしっかと受け止めた。
暖かい。いやむしろ熱いくらいなのだが、冷え切った手に血を通わせるかのごとく沁みて来る熱が何とも心地良い。
しばし目を閉じてその温もりを感じた後、指に力を入れてプルトップを引き上げ、今度はその暖かさを喉で味わった。
強い甘みと共に口内に流れ込んでくる少しどろりとした液体と少量の固体―――――――――この「お汁粉ドリンク」は、甘い物は嫌いじゃない舞にとって、そしてこの冷たい冬の夜に飲むとしても正に至福の液体だった………少なくとも目の前でこの男が飲んでいるものよりは。



この男。
名前は確か相沢祐一。
何日か前からここで出会い、危険だからと舞が言うのにも関らず、結局毎晩ここへと通うようになった男だ。
いやそれだけではない、初めて来た次の日からの昼食を共に食べる間柄でもある。どうやらこの新年からの舞の一つ下の転校生であるらしく、学校で舞を見かけてついてきたところを佐祐理が誘ったのだ。
だけど昼食時の人数が増えることは…舞にとっては余り嬉しくない。弁当のおかずの割り振りが減ってしまうからだ。佐祐理は多めに作ってくると言っているが、初めて佐祐理のお弁当を食べてから今まで一年以上ずっと独占できたのに…という思いもあいまって面白くはない。

ふと横目でちらと祐一の方を見ると、ちょうど祐一は缶を垂直に掲げ最後の一滴を飲み干そうとするところだった。規則正しく喉がうごめき、体内へと液体を流し込んでいく。
そしてようやく祐一は缶から口を離す。

「っはぁ〜」

それと同時に大きく口を開けて一気に口の中の空気を下品に吐き出した。それに混じってか、その飲み物の匂いが舞のところまで漂ってくる
舞は顔をしかめながら、祐一へと一言呟いた。

「よく…」

「ん?」

祐一が舞の言葉に、こちらへと視線を向けてくる。

「よく、そんな物が飲める…」

その視線の先にある祐一の手の中のものには、『無糖ブラックコーヒー』と銘打たれている。
祐一が差し入れを始めて持ってきたときに舞も飲んだのだが…正直思い出したくない。
…苦いものは好きじゃない。

「これは大人の飲み物だからな。舞みたいなお子様には無理なんだよ」

皮肉っぽく口の端を歪ませてそう言ってくる。
…年下に言われたくないという気もするが、飲めないことは事実なので何も言い返せない。
少しムッとしながらもう一度『お汁粉』に口をつけた。

…本当に変わった人間だと思う。学年が違うので普段の生活がどんなものかは知らないけど、相手によって態度を変えるようには見えないからいつもこんな感じなのだろうと思う。
いつも強引であけすけで図々しくて…

だが意外にも舞は、祐一には不快感を持ってはいなかった。ただ―――

舞は思う。

いつもは2人だけだった昼食に一人加わるだけで―――その―――

(楽しくはなった…)

今まであの冷たい踊り場は静かだった。
だが祐一が加わっただけで、廊下や教室に負けないほどの賑やかさを得る事となったのだ。

舞は、騒がしいことは好きな方ではない。
しかし何故かこの喧騒に対しては、佐祐理と共に過ごすようになってからこの一年の間に感じていた何か―――判らない、それが何なのか―――を更に一層強く感じるようになったのは事実だった。

そしてその何かの延長線上にあるあの感じ…佐祐理と出会ったとき位から感じ続け、この何日かで更に強くなった『気にかかること』―――――――――



「祐一…話がある…」

気が付いたときには缶を口から離し、その疑問を聞くべく口を開いていた。

「えっ? 話? 俺に?」

虚を突かれたように驚いた表情を見せる。
 
「珍しいな、言ってみろよ」

そして祐一は舞のほうに顔を乗り出してきた。それはそうだろう、舞の方から話を切り出してくることなど出会ってからは恐らく初めてのことだったからだ。

「ひょっとして、と思うのだけど」

何故こんなことを聞くのか分からない。答えを期待していたわけでもない。

「うん」

舞は一度佐祐理に問うた質問を、少々形を変えて口にした。






「私ってちょっぴり無口なんだろうか?」










………………………そして返ってきたのが今の答えだ。

衝動的に持っている得物で殴り飛ばしてやろうかという感情が舞の中に沸き立つが、すんでのところで自省する。

祐一の言うことにいちいち腹を立てていても仕方がない。
いつもこの調子なのだこの男は。少しでも―――――――――少しでも真面目に考えた自分がバカらしくなってくる。

そう結論付けて舞いはようやく心を落ち着けたが、それにしてもやはり面と向かって『変』と言われると―――――――――暗い谷底に落ち込んだような気持ちになる。

(やっぱり変なのか…私は…)

薄々そう思っていたからこそのこの質問な訳なのだが、改めて目の前に突きつけられると、どうにも『自分ってどうしようも無いんじゃないのか』というネガティブな思いに囚われてしまうものだ。
表面上の顔にはその色は微塵も出さなかったものの、舞は心もち頭を垂れて落胆を示した。

そんな舞を見かねてか、それとも単にそう思っただけなのかは判らないが、手の中の空き缶を空中に放り投げるようにして弄んでいた祐一は、

「まあ、世の中じゃそれを個性って言うからな。別に誰に迷惑かけているわけでも無いんだし、気にすることもないんじゃないのかな」

と助け舟を出した。


『気にすることもない』

それを聞いたとたん舞はスッと顔を上げて祐一の方を見つめた。

「な…何だよ」

祐一はそれに気圧されたかのように返す。だが舞は何も答えないまま見つめ続けた。

舞の中こそ驚きに満ちていたのだ。
この言葉は、そう、あの時に佐祐理が言った言葉がそのままだった。
それをここでまた。まさかこの祐一から聞くことになろうとは…。もっとおちゃらけた人間として祐一を捉えていた舞は少し―――――――――いや、大きく祐一に対する感情を変化させた。


『祐一が言ったこと』、『佐祐理が言ったこと』。
どちらの言葉も『こんな私』を気にかけてくれている。
言い方自体はまるで違うけれども、そこに流れてるものはきっと同じなのだろう。
まだ出会って日が浅いのに、私は二人に対してなんとも思ってないのに―――――――――


「…え…ええっと…お前ってそんなこと気にするようには見えないから、俺まさかそんな質問が来るとは思ってなかった…よっ…と!」

舞が喋らず動かない状況に居心地の悪さを感じたのか、祐一は手にした空き缶を少し離れた廊下の端に置いてあるゴミ箱へと投げ入れながら話題を変えようとした。

缶が飛ぶ。
静かな闇と月の光の中をキラキラと舞ながら。

祐一の目も、舞の目も、それを追って一つに収束し光を結ぶ………………


だがそれは目標へは届かずにゴミ箱の縁へと当たり、派手に乾いた金属音を発しながら廊下を転げ周った。今まで静謐に包まれていた空間を何の遠慮も呵責もなく騒音が侵していく。

「あちゃ…ミスったか…」

缶は壁に当たって跳ね返り、暫く回転して動きを止めた。缶の表面に描かれたキャラクターの顔がちょうど上になり、こちらを見上げている。
…まるで失敗したことをあざ笑っているような、ヘコみだらけにされて事を恨んでいるような…そんな顔に見える。

「っかしーなぁ、腕落ちたか…?」

祐一はそれを軽く受け流し、『ヤレヤレ』とでも言うように手を仰ぎ、それを拾おうとそちらに向かって歩き出した。

だがその後ろで舞は―――――――――缶を投げて失敗し、音が響いただけ。それだけの筈なのに―――――――――その音を聞いて唐突に悟っていた。


なぜ? なぜこんなことが気になるの? 
なぜ佐祐理にこんなことを聞いたの? なぜまた祐一にこんなことを聞いたの?
なぜ私は『他に対して心を傾かせる』ようになったの?

佐祐理だからだ。祐一だからだ。
2人は私が初めて――――――違う、長らく忘れていて久しぶりに思い出した――――――『他の事』だったからだ。

まるで今この静まり返った場に響いた音のように、2人は私の波一つ無い心の湖に飛び込み、波紋を湖面全体に広げた石だったのだ。
それがきっかけで2人を含む私の周りを包むもの、それに対する私の心の動き…。佐祐理によって気付かされ、祐一によってそれを確認させられた。
私はこの2人が現れることによって初めて周りの存在を感知できるようになったのだ。
そうでなければ私は佐祐理と昼食を取りたいとも思わなかっただろうし、祐一に何を言われても腹を立てることなどなかっただろう。
もとより自分は変では無いのかと考えることもなかっただろう。
他人の目を気にするようになったことなどその付属に過ぎない。

もしそうでなかったとすると…今もうこの気持ちをはっきりと掴んでしまった私にとっては絶えられないほど恐ろしい。
それまでの自分…一人だった自分が酷く惨めに感じられた。

『私は二人に対してなんとも思ってない』? まさか! 
私は思っている。想っている。
2人を! 強く!強く!
それがなんなのかは私には言葉には出来ないけれど、とにかくそうだ!


舞は心なしか体温が上がるのを感じていた。いや体だけではない、心の中までこの手の中にある缶を初めて持った時のような暖かさをもった快感と喜びに満ち溢れてもいた。
それまでの舞には覚えの無い感覚。体の中から何かが湧き上がってくるような――――――。


「祐一…」

とっさに声が出る。

「ん?」

祐一が振り向く。ちょうど自分が投げたものを拾おうとしていたようで、腰をかがめかけた所だった。
だが舞はそれ以上何も言えない。
なぜなら舞の頭の中はもう自分では収拾のつかない感情が吹き荒れており、実際自分がどうして声をかけたのか分からないほどだったからだ。
声をかけたいこと、言いたいこと、何も形にならずに金魚のように口を開け閉めするだけ。体中に力が入り、全身がこわばる。
もどかしい。喉の奥まで言葉画出てるような気がするのに、それから先には全く進もうとせずただ震えるばかりだ。
その緊張にもう耐えられなくなったその瞬間、

「…早くしてくれないか…? この体勢はひどく疲れるのだが…」

同じように祐一が足を震わせながら情け無いことを言ってきた。
それを聞いた舞は思わずぷっと噴き出し、それで緊張が解けたように脱力する。

(人が必死なのに…でも、この気のおけなさが私を変えたのかもしれない。)

そう考えながら舞はようやく言葉をまとめ、それを発するために口を開く――――――



だがその時。
転がっていた缶がカタカタと音を立てながら再び動き出した。
それに伴い窓ガラスも、空気までもが震えだす。

辺りに満ちる緊張感。
張り詰めるような緊張感。
慣れ親しんだ緊張感――――――

来たのだ。

「祐一…」

再び繰り返す。だがその呼びかけの中に込められていた意志はもうさっきとは違うものだった。瞬時に声も心も落ちついたものとなる。
祐一も周りの異常な雰囲気を感じたのか、もう完全に立ち上がってしきりに視線を振りまく。

「来たのか? 魔物が」

舞はそれに答える代わりに携えていた長剣を両手で掴んで構え、『準備』を整える。祐一もそれを察し、舞と背中合わせになるようにして注意を払いながら持って来た得物を自分なりに構えた。

今夜も訪れたこの時間。
舞にとってはいつもの作業、まるで工場のルーチン・ワーク。
傍目にはそうだったが、その内面は昨日とは全く違っていた。
もう舞の心は鏡の湖面のままではない、大きいものではないが常に――――――揺れ、形を変えている。

確かにこれは舞の使命だ。相変わらず心の奥底から使命感が沸いてくる。

『…るからっ…一人で戦っ…』

…だが今はもうそれだけでは無い。

舞は僅かに後へと下がり、目を閉じながら背中と背中を合わせた。

「お、おいっ! 何やってんだよ?」

祐一がそう言ってくるが、そのまま体重を預ける。
体に、そして心に暖かさを感じる。祐一も体をそのままにしてくれ、振り払おうともしない。
舞は同時に自分のポニーテールの付け根にも手を伸ばした。これ自体に温かみがあるわけではないが、そこにこめられた佐祐理の舞に対する想いは朽ちていない。

これが私に新しい力を与えてくれる。
不思議だ。今まで魔物と戦う時にこんな気落ちになったことは無い。
いつ死ぬとも知れないのに…いや、これまでは『一人で生き、運が悪ければ勝手に死ぬ』とさえ思っていた。他の何にも、そして多分自分にさえ執着がなかったのだろうから心も落ち着いたものだった。
だが今はこの静けさとは別の穏やかさに心が満たされている。以前のそれが高い所で遠くを眺めているようなものとすれば、今のそれは暖かい羽毛のクッションに包まれているような感じだ。

本当に…何故こんな簡単なことに今まで気付かなかったのだろう?
舞は自分の間抜けさがおかしくなり、クスッと笑った。



(だからもう私は――――――――――――――――――)






その時廊下の向こうから感じられる明確な気配が一際大きくなる。
舞ははじき出されたように体を起こし目を開け、そちらへ向かって剣を振り上げ駆け出した。



一つの思いを胸に秘め。







(いつか返そう、2人に『あの言葉』を)




後書き
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