今宵、月の女神の名のもとに
春に差し掛かった北国の夜。
暖かくなってきたとはいえ、夜は冷え込む。
閑散とした住宅街という雰囲気も、それに拍車をかけている。
その日、北川潤はバイト帰りであった。
疲れた体に鞭をうって、寒い夜を急ぎ足に通りすぎるつもりであった。
次の交差点を左に曲がり、あと10分ほどで自分の家だ。
交差点のコンビニが目印だ。
もう少し冷え込んでいたら、コンビニで暖を取っていたかもしれない。
しかし、今日のところはお預けだ。
北川の頭の中は、今は一つのことしか考えていなかった。
「今日の晩飯は何にしようかね。寒いから、鍋もいいかもな〜」
要するに、食欲が今の彼を動かしていた。
急ぎ足にコンビニを通り過ぎる。
その時、丁度コンビニから出てきた一人の少女が北川に声をかけた。
「北川さん?」
立ち止まり、振り向くとそこには一人の少女。
ショートカットの毛先を内側にカールした美少女である。
「美汐ちゃん?」
天野美汐であった。
北川も、美汐も偶然にも出会ったことを驚いているようだ。
「奇遇ですね。こんなところで出会うなんて」
「そうだな、出会い頭にぶつからなかっただけマシじゃないか?」
「それはどういう意味ですか?」
「いや、わからないんだったらいいよ」
美汐には美少女にぶつかる出会いというものがわからないらしい。
「んで、美汐ちゃんは何してるんだ?」
「何、と言われましても。コンビニに買い物に来ただけですけど」
「そっか、そうだよな」
決して美汐がこんな夜に出歩いていることが不思議とか、美汐がコンビニを利用することが驚きだとかは決して口にしてはいけないことのような気がした。
「北川さんは何を?」
「俺はバイト帰りだよ」
「そうですか。それでは、失礼します」
美汐の家は反対方向らしい。
北川の家とは反対方向に歩いていく。
「美汐ちゃん、送っていくよ」
「私の家はこちらですけど」
「ん〜、女の子を送っていくのはそれほど不自然なことじゃないよ」
ニカッと北川が笑う。
その、元々童顔の北川がより少年っぽくなってしまう笑顔に、つい毒気を抜かれてしまった。
「それでは、お願いしますね。私の家はあちらです」
「おう、了解。月夜の散歩洒落込みますか」
「ふふっ、それでしたら、月が綺麗なうちに行きましょう」
その笑顔は、年相応の少女のもので。
北川潤は思わずドキッとしてしまったり。
「そういやぁ、美汐ちゃんは何を買ったんだ?」
「ジュースと、お菓子です。少々お腹がすいてしまって」
「夜食は太るぞ〜」
「な、なんてことをいうんですか」
思わず体を手で隠し、頬を赤らめる美汐。
おお、割とかわいいじゃん。
「なはは、悪い悪い。しかしまぁ、お菓子が和菓子ってのも美汐ちゃんっぽいよな」
「どういう意味ですか?」
「いや、なんとなくだけどね。和風贔屓だろうと思ってさ」
「はぁ……」
腑に落ちない、という顔で美汐は首をかしげる。
「そういや、昨日真琴ちゃんと会ったよ」
「真琴とですか?」
「うん、昨日は相沢の家へ行ったからさ」
「そうですか。真琴はどうでしたか?」
「どうって、相変わらず元気元気。ありゃ、絶対月より太陽が似合うタイプだな」
「そうですね、そして、きっと春が似合うでしょう」
「言えてる言えてる。ってことは、これからは真琴ちゃんの季節か」
「そうですね。そろそろ春ですから」
北国の春は遅い。
しかし、あの天真爛漫な少女は、春がきっと好きだろう。
そう考えると美汐は頬が緩む。
親友と言える彼女が幸せそうな様子を見れば、きっと幸せが伝染していくだろうから。
「っ……」
その姿を想像すると、少し心が痛くなる。
その痛みは、以前よりは遥かに少なくはなっていたけれども。
「美汐ちゃん? どうかしたか?」
「いえ、どうもしてませんけど」
普段から、この痛みは外に出していない。
今回だって、外に出したつもりもなく、北川に気づかれるとは思っていなかった。
「そっか、でもさ、時々美汐ちゃんが無理してるように見えるから」
「無理なんかしてませんが」
「なんとなくだから、気にしないでくれ」
そうですか、とも言えず、美汐は下を向く。
しばらく、無言の時が進み、やがて美汐の家の近くへと差し掛かる。
「ここで結構です。それでは、失礼しますね」
「うん。あのさ、美汐ちゃん」
「なんでしょうか?」
「なんかあったら、俺でよければ言ってくれ」
「え?」
「やっぱ、無理してるように見えるからさ」
「そ、そんなことは」
「自分にまで嘘はつかないほうがいいぞ」
その言葉に息が詰まる。
どうしても、否定しきれない。
美汐はたしかに、真琴の姿をまぶしいと感じてしまっている以上。
その輝きが、決して自分の望む姿をしてくれない以上。
「き、北川さん……」
「ん?」
「っ……」
まだ、今はまだ言えない。
まだ、この幸せを壊したくないから。
まだ、この痛みを胸の中に隠しておきたい。
「それでは、なにかあった時は頼りにさせてもらいますね」
「おう、俺でよければ」
失礼します。と言い残し、美汐は家に入っていった。
北川は月を見上げる。
言ってよかったのだろうかと、後悔の念がこみ上げる。
しかし、彼女に感じていた気持ちは嘘ではないし、自分に嘘をつくなと言ったのは自分だ。
それなら、彼女に嘘をつくのはルール違反だろう。
「しっかし、どうして俺はこんなに美汐ちゃんを気にかけるのかね」
こと恋愛事には鈍い北川が、自分の気持ちに気づくまでには時間がかかるようだった。
踵をかえし、北川は冷える外気を感じながら、家路へと帰っていく。
自室の窓から、その姿を見ていた美汐は、その視線を月へと移す。
真琴を太陽と例えた北川。
それなら、私はなんだろう、と思わず考える美汐。
答えは簡単に導き出される。
きっと、自分は月なのだろう。
真琴と言う幸せな太陽をまぶしげに見ているのだから。
でも、私も自分で輝いてみたい。
光に照らされて光るのではなく、自らが光輝けるように。
そのためには、自分の痛みを解決しなくてはいけないだろうし、それができるかもわからない。
でも、それでも、もう自分は迷わないだろう。
そして、自分で輝けたその時は。
「私は、北川さんに恋をすることが、できる?」
自分の気持ちにまで嘘はつかず、そして、この痛みを解決できたその時こそ。
天野美汐という少女は、北川潤という少年に恋をすることができるだろう。
二人の心はとても近く、そして遠い。
お互いに自分の気持ちに気づかず、隠し、今はまだ平穏を生きていく。
二人の心を知るのは、二人が見上げた月だけであった。
八岐さん、80万ヒットおめでとうございます。
私初挑戦、北川×美汐を呼んでくださり、ありがとうございました。
幼馴染という設定をなくして二人をどうくっつけるか、ということを考えた結果です。
それでは、また次回お会いいたしましょう。