夕暮れの告白

 


 よく晴れたある日の授業中、北川潤は悩んでいた。彼だって思春期の男らしく悩み事の一つくらいはある。その悩みとは、恋の悩み。今、彼は一人の少女に恋をしているのだ。その視線の先には頭脳明晰で容姿端麗な一人の少女、美坂香里がいた。その容姿は可愛い、というより綺麗と言える容姿で、落ち着いた雰囲気とあいまってかなりの男が熱をあげている。

 北川が始めて香里と出会ったのはもう二年前以上、入学のとき。初めて入った教室にはたった一人だけ少女がいた。その少女が香里だ。そのとき北川は香里に何か、壊れそうな、儚いものがあるように感じた。それが、北川の第一印象だ。香里は北川が入ってきたことに気が付いたのか、その視線が北川を捕らえた。その時のことを今でも北川は覚えていた。

 ありきたりの自己紹介を交わして、友達になって。それから、香里の親友だという水瀬名雪とも知り合った。

 話していれば、儚さなど全く感じなかった。それよりも、強さを感じたくらいだ。だが、儚さがときおり現れる。最もひどかったのが今年の一月くらいだ。それがどうしてなのかは今でもわからない。だが、それは今年の二月以降はすっかり影を潜め、香里は前よりも生き生きとしているようだった。

 その儚さの原因が何なのか、北川は聞けなかった。そんなことを直接は聞けないし、聞いてしまうのが怖かったのかもしれない。だが、北川は香里を笑わせたかった。それが何故なのか気づいたのは出会って一年になるころだ。
 
 北川潤は、美坂香里に完全に惚れてしまったのだということに。

 それから北川は香里を外に誘い出したり、学校で話し掛けたりと、彼なりのアプローチを繰り返してきた。だが、それに香里が答える様子は全くなかった。

 


 そんな二人を心配、というか茶化している二人がいる。相沢祐一と水瀬名雪だ。二人は恋人同士で、香里と北川の親友。当然、北川の気持ちも知っているし、名雪は香里が北川を悪く思っていないことも知っていた。だからこそ、歯がゆい。なぜくっつかないのか、お互いの気持ちを知っている二人はなんとなくやきもきしていた。

 その日の昼休み、祐一と名雪は中庭でお弁当を食べていた。名雪が作ってくれるのは嬉しい。だが、毎朝起こさなくてはいけない祐一にしてみれば朝の労力二倍という感じである。

「お、美味いぞ、この出汁巻き卵」
「えへへ、ありがと」

 二人は雑談に話を咲かせていた。その雑談が共通の友人でからかうべき存在の香里と北川に向かう。

「香里と北川君なんだけどさ」
「あん?」
「どうすればいいと思う?」
「あの二人、どうしてくっつかないんだ?」
「それがわかんないんだよ……」
「あの二人がくっつけば、面白いんだけどなぁ」
「面白いって、祐一……」
 
 名雪が苦笑する。

「だってそうだろ?そしたら、美坂チームは安泰だし……」
「そうだけどさ」
「いや、待てよ」
「どうしたの?」
「ふふふ、いい作戦を思いついただけだ」
「なになに?教えてよ」
「名雪の協力も必要だし、説明しておくか」

 祐一の作戦は簡単な話で、四人で何処かへ遊びに行くというものだった。

「でも香里は来るかなぁ?」
「だからこそ、俺達美坂チームで行くんじゃないか」
「あ、なるほどね。皆で行くって言えば香里も断らなさそうだし」
「さすが我が恋人だ」
「えへへ。でも、こんなことが恋人の証なの?」
「なぬ、俺の愛が理解できないのか?」
「理解できないことはないけど〜。もっと愛を感じたいな〜」
「わかった、帰ったら体で表現してやろう」
「わ、祐一のえっち」

 だんだん話が変な方向に向かっていってしまったが、これで『美坂チームのダブルデート大作戦(祐一命名)』が可決された。その日の夜に何かあったのか、次の日の二人は2限目途中で入室という大遅刻だった。ちなみに、名雪の肌が妙に艶やかだったことを記しておく。

 


 遅刻した二人が弁当を持っているはずもなく、また、自称学食のプロの北川が学食に新メニューが入ったというので美坂チーム四人で学食に来ていた。そして、ここで祐一はダブルデート大作戦を実行に移すことにした。

「なぁ、香里、北川。今週末ヒマか?」
「とりあえずヒマだけど?」
「俺も、バイトはないな」

 どうやら二人ともヒマなようだった。
 そして、この時点で祐一が美坂チームで遊びに行こうと誘おうとしているとわかってしまった。

「じゃ、今度の週末――」
「何処に行くつもり?」

 祐一が言い終わらないうちに香里が切り返した。

「ぐぉ、まだ言い終わってないのに」
「どうでもいいでしょ。内容はわかったんだから」
「それでも、言わせて欲しかった」

 そこはかとなく祐一がへこんでるようだが、そんなことは美坂チームでは無視が決定済みである。

「えっとね、皆で遊びに行こうっていうのはあってるけど、まだどこに行くかは決めてないの」
「ふーん。候補もないのか?」
「あるにはあるんだけど」

 えへへ、と名雪が笑う。何処に行くかは名雪はまだ知らない。祐一は考えているようだが、名雪にはまだ教えてくれていなかった。しかし、祐一はまだへこんでいる。

「それで、香里は行きたい場所あるの?」
「そうねぇ……四人で遊ぶのも久しぶりだし楽しみなんだけど。思いつかないわ」
「俺は、何処でもいいぞ」

 と、ここで先ほどへこんでいた祐一が復活した。

「実は、遊園地に行こうかと思ってるんだが」
「遊園地?どこ、そこ」
「名雪がこの前、近くの街にできたって言ってたじゃないか」
「ああ、そういえばそうだったね」
「全く、お前の天然ボケは治らないな」
「そんなことないよー」
「あー、いちゃつくのは勝手だが、話を続けてもらえないか」
「何を言う、北川。こんなのはいちゃついてるうちに入らないぞ」
「え、そうなの?」

 名雪が首をかしげる。

「いちゃつくというのはだな、もっとこう愛を滲ませたようにだな――」
「もうそろそろいいかしら?」

 香里が突っ込まなければ永遠にいちゃついていそうな雰囲気だった。

「第一、遊園地なら二人の方がいいんじゃないの?」
「えっと、それは……」

 名雪が言い淀む。ダブルデートに持ち込むことは香里にばらしては意味がなくなってしまう。

「甘いぞ、香里。ああいう所は大勢で行った方が楽しめるじゃないか」
「それもそうだなぁ」
「それに、私も香里と北川君についてきて欲しいし」

 北川は同意した。お祭り男な北川は皆で遊ぶ方が楽しめると思ったのだ。
 名雪は名雪で、楽しむつもりなのだ。デートではないかもしれないが、二人がついてきたほうが楽しめるに決まっている。遊園地は祐一と行ってもあまり楽しめないかもしれないから。

「わかったわ。で、待ち合わせは?」
「日曜日の10時に駅前ってとこだな」
「まぁ、そんなとこだな」
「楽しみだよ〜」

 約束を取り付けたところで祐一は1番の問題を思い出した。

「香里、俺達遅刻するかもしれないから」
「祐一、遅刻するの?」
「お前が起きれないからだろうが……」
「まぁ、水瀬が起きれないことは知ってるし」
「30分くらいはみた方がいいかもね」
「北川君も香里もひどいこと言ってない?」
「水瀬、気にするな」
「まぁ、言葉通りってとこかしら?」
「う〜、祐一も何か言ってよ〜」
「……毎朝苦労してるから何も言えない……」
「祐一までひどいこと言ってる」
「全然そんなことないぞ」
 
 その後も名雪をからかったり、祐一と名雪を北川と香里が冷やかしたりと、四人はそれぞれ楽しみながら昼休みを楽しんだ。

 教室への帰り道、祐一は名雪だけに聞こえるようにひそひそと話し始めた。

「名雪、今日の放課後一緒に帰れないから」
「いいけど、どうして?」
「北川にはダブルデートのことを話しておこうと思ってな」
「じゃあ、わたしが一緒でもいいんじゃない?」
「いや、まあそうなんだが、ここは男同士の話ってやつだ」
「そうなの?じゃあ、久しぶりに香里と百華屋に行こうかな」
「そうしてくれると助かる」

 名雪の許可も得た祐一は、その後の授業も聞かず、何かを考えているようだった。

 


 そして、放課後。

「北川君、放課後だよ」
「相沢、鳥肌が立つから水瀬のマネはやめろ」
「なんだよ、ノリが悪いな。今日商店街に行くぞ」
「相沢とか?」
「おう、たまには男と遊びたくてな」
「まぁ、いいけどな。バイトもないし」

 相沢祐一、男の友人はものすごく少ない男であった。

「香里、今日百華屋いかない?」
「あら、今日は相沢君と一緒じゃないの?」
「なんか、男同士の話があるんだって」

 そう言って名雪が教室の入り口に視線をやる。そこには、今まさに出て行こうとしている祐一と北川がいた。

「そう。言っておくけどおごらないわよ」
「う〜ん、祐一じゃないから仕方ないよ」
「相沢君も大変ね」

 香里は鞄をもって立ち上がり、考える。

(あの二人が話って、何かしら。大方、相沢君が考えたロクでもないことなんだろうけど)

 さすが、と言うべきか、美坂チームのリーダーはなかなかに鋭かった。

「名雪、行くわよ」
「わ、待ってよ〜」

 


 今日は別に土曜日でもなければテスト終りでもない。だが、それでも学生というのは遊びに貪欲なものである。商店街はこの街で唯一と言っても過言ではない、学校帰りの遊びのスポットだ。当然のことながら、平日でも込み合うというものである。

「相沢、今日は何処に行くんだ?ゲーセンか?」
「いや、ちょっと話があるからどっか適当にはいらないか?」
「じゃあ、百華屋でいいか?」
「いや、そこは今日名雪と香里が来るからマズイ」
「?そっか、じゃああそこはどうだ?」

 北川が指を指したのはMのマークでおなじみのファーストフードだった。

「いいな、この街に来てから一度も食ってなかったんだ」
「お前、本当に高校生か?」

 この街に来てもう数ヶ月は立っているはずである。

「秋子さんの料理を食べてると、行く気なくすんだよ……」
「秋子さんって、水瀬のお母さんか?飯、美味しいらしいな」
「美味しい。そこらへんのレストランのシェフなら泣いて謝るくらい」
「いいな、俺も今度食いたいぜ」
「……そーかい」

 北川が食べに来ると言っても秋子さんなら一秒で了承だろう。娘の男友達にもかかわらず、「名雪と祐一さんのお友達ですから」ですませるだろう。
 なんにせよ、こいつに秋子さんの料理はもったいない。祐一は来いとも来るなとも言わなかった。

「で、話って何だよ」

 二人ともセットを頼み、適当に座ると、北川がポテトをくわえながら聞いてきた。

「今度の遊園地なんだが」
「おお、あれか。美坂チームで遊びに行くのも久しぶりだからな、楽しみだぜ」

 この男、人がいいのかバカなのか。祐一の思惑にはこれっぽっちも気づいていなかった。

「いや、だから――」
「あそこは色々そろってるらしいからなぁ。まずはジェットコースターだろ、それから、ゴーカートにも乗りたいし」
「その前に話を――」
「フリーフォールも乗りたいな。あそこの目玉ってたしか、でっかい塔みたいなやつの自由落下だった気がするし」
「人の話を聞け!!」
「うぉっ、いきなり大声出すなよ」
「お前が人の話を聞かないからだろ」
「そうだっけ?」

 訂正、やっぱりバカだ。
 祐一は北川に真のバカの烙印を押した。

「それで、今回の遊園地には目的があってな」
「なんだそれ?」
「お前、香里のこと好きなんだろ?」
「あ、ああ。なんで知ってるんだ?」

 北川が香里を好きなのは誰もが知っていることだ。ばれてないと思っているのは本人だけである。

「見てればモロバレだろうが。今回は美坂チームで遊びに行くってのとはちょっと違うんだ」
「そうなのか?俺とお前と、水瀬に美坂。どう考えても美坂チームで遊びに行くって感じだと思うけど」
「俺は名雪と乗るだろ?そしたら、香里は誰と乗るんだ?」
「……俺か?」
「正解だ。要するにダブルデートだな」
「気づかなかった……」

 北川潤はそんなことこれっぽっちも気づいていなかった。

「そういうわけで、お前は香里にいいとこ見せて、できたら告ってしまえ」
「うー、あー」
「どうした?」
「いや、ダブルデートって考えると、なんか緊張してきて」
「お前、香里とデートしたことないのか?」
「二人で出かけたことくらいあるぞ」
「だったら、別に大丈夫じゃないか?」
「そうだけどさ」
「いいから、お前はいい雰囲気を作って香里に告ってしまえばいいんだよ」
「わ、わかった」
「ま、お膳立てはしてやるから、お前もビシッと決めてやれ」
「よ、よし、相沢、俺も男だ。思いっきり告ってやる」
「その意気だ、北川」
「今回は名雪も協力してくれてるんだ、感謝しろ」
「水瀬もか……」

 面白くなってきたとは決して口にしない祐一であった。

「ちなみに、今回の作戦を『美坂チームのダブルデート大作戦』と名づける」
「相沢、どうでもいいがお前ネーミングセンスないな」
「なに?お前はこれ以上いい作戦名があるというのか!?」
「いや、無いけど」

 というか、名づけるつもりもなかったりして。

「はぁ、今日の話はそれだったんだな」
「そうなんだが、もう一つ話があってな」
「ん?なんだ?」

 祐一が少し恥ずかしそうに、聞きにくそうに、北川に切り出した。

「あのさ、その……アクセサリーショップってどこにあるんだ?」

 


 喫茶『百華屋』。水瀬名雪御用達の店である。彼女の恋人である相沢祐一はいくらこの店の売上に貢献したであろうか。
 おきまりのイチゴサンデーを頼み、目の前の親友を見る。自分とは違い、落ち着いた雰囲気。ウェーブのかかった髪が綺麗で、親友の贔屓目を引いたとしても十分に美人で通用する容姿。それもそのはず、もう一人の親友だけでなく、かなりの男が彼女に想いをよせているのだから。

「ねぇ、香里」
「なによ?」
「北川君のこと、好き?」
「な、な、何言ってるのよ」

 顔を赤らめて慌てる香里。

「えー、好きじゃないの?」
「べ、べつになんとも思ってないわよ」

 言葉とは裏腹に、その態度は脈ありと見るに十分な状況証拠だった。

「そっかー、好きじゃないんだー」
「何よ、私は北川君が好きじゃなきゃいけないの?」
「そんなことないけど。北川君も人気あるし」
「え?そうなの?」
「そうだよ。北川君って優しいし、面白いし、いるだけで楽しくなるような天性のムードメーカーでしょ?」
「まぁ、ね」
「行事のたびに色々やってるし、意外と面倒くさいことも進んでやってくれるし」
「え、ええ」
「結構、北川君が気に入ってる人、多いよ?」

 名雪の言葉に、香里は焦っていたが、一息で心を落ち着かせると、名雪に言われたことを思い浮かべて、結論を出す。

「そんなこと、ないわよ、うん」
「なんで〜?」
「第一、バカだし、いるだけで楽しいっていうのは、犬見たいなもんじゃない。そう、恋愛対象じゃなく、慕われてるって感じよ、きっと」
「そうかなぁ?」
「あら、相沢君がいるのに、名雪は北川君が気になるの?」
「そ、そんなことのないよ〜、わたしは祐一一筋だよ〜」
「相沢君に報告しちゃおうかしら。名雪は北川君が気になるみたいだって」
「う〜、だめだよ〜」
「はいはい、大丈夫よ。名雪が相沢君のこと好きだってことは、みんな知ってるんだから」

 名雪は香里を煽ろうと考えていたが、いつのまにか香里にやり込められていた。

 


 そして、待ちに待った日曜日。久しぶりに皆で遊びに行くということで、楽しみにしていた北川だったが、ダブルデートであることを知らされて少し緊張気味だった。そのおかげか、今日は学校でもないのに朝7時に目が覚めてしまった。

 時間もあることだし、今日は気合を入れた。まずは、朝からシャワーを浴びて髪型のセット。そして、着ていく服も決めていた。お気に入りのジーパン。北川はそれほどシルバーで飾るのが好きではないので、原色系のちょっと派手めなTシャツで明るくしてみた。

 かなりゆっくりと支度をした北川だが、約束の駅前には30分前についてしまった。

(告白って、どうしたらいいんだ?いや、好きだっていうだけだろ?そうか、付き合って欲しいって言わなきゃいけないのか)

 香里への告白シーンで悩んでいる北川。その様子はなんとなく、いつもと違って見えた。

(OKもらったら、その場でキスとかしていいのか?いや、断られるかもしれないんだぞ?)

 いや、にやにやしたり、落ち込んだり、いつもと違っていたのではなく、いつもより変だった。

「北川君?何変な顔してるの?」
「うぉぉ!?」
「あなた、バカ?」
「いや、びっくりしただけだ。来るの早いな」
「もう五分前よ?それほど早くないわよ」
「そうなのか?」

 北川が気づかないうちにもう時間がたっていた。

「ねぇ、今日名雪たち、ちゃんと来れると思う?」
「相沢が起こすんだから、大丈夫だろ」
「そうかしら?あたしは無理だと思うけど」
「う〜ん、水瀬だからな」
「でしょ?あの子、日曜日はお昼まで寝るらしいし」
「学校の登校時間より遅いんだぜ?さすがに来るさ」
「あら、賭ける?」
「ジュース一本だな」
「いいわよ。そうね、10時1分までにこなかったらでいいかしら?」
「なんだよ、その1分は」
「余裕のハンデ」
「さいですか……」

 その頃、水瀬家前。

「名雪、どうしてお前はそんなに起きれないんだ?」
「ねむいんだお〜。しかたないんだお〜」
「いいから、さっさと靴を履け!もう北川たち来てるぞ!」
「う〜、ねてたいんだお〜」
「寝るな!」

 祐一が強めに名雪の頭を殴りつける。

「いたい」

 名雪は頭を押さえて涙目になる。あんまり痛そうに見えないのだが。

「お、目が覚めたみたいだな」
「ひどいよ、祐一」
「こうでもしないと起きないだろ。ほら、さっさと行くぞ」
「わ、もうこんな時間」
「だから急ぐんだ」
「う〜、100メートル7秒で走っても間に合わないよ……」
「世界新でも無理なのか……って、とにかく急ぐぞ!」
「わかったよ〜。行くよ、祐一」
「ばか、俺はそんなに早くは走れないぞ〜」

 先行する名雪を頑張って追う祐一であった。

「あたしの時計では10時1分になったけど?」
「俺の時計は10時2分だ」
「あたしの勝ちね」
「くそ、時計を五分くらい遅らせておくんだった」
「そんなことしてもあたしの勝ちは変わらないわよ」

 時計を見ながら香里が嬉しそうに、北川が残念そうに言う。

「水瀬を信じてたのに〜」
「時間については、あの子を信じない方がいいわ」
「今度から俺もそうする」
「じゃ、ジュース買ってきて」
「え?今か?」
「喉が渇いたのよ。いいでしょ?」

 身長差からか、ちょっと上目遣いに北川を見上げる香里。
 そんな香里の言うことに逆らえるはずの無い北川は、いそいそと自動販売機へ向かっていった。
 ちょっとばかり、高まる鼓動を押さえつける意味を含めて。

 


 祐一が息を切らせて走りつくと、そこにはジュースを飲んでいる香里と、飲み干した缶コーヒーの空き缶を片手にへらへら笑っている北川と、あんなに早く走ったのに息も切らさず反省した様子も無い笑顔の名雪がいた。
 息を整える暇も無く、祐一に向かってきたのは罵倒の言葉だった。

「相沢君、遅いわよ」
「そうだそうだ、遅いぞ。おかげで美坂にジュース奢らされたじゃないか」
「祐一、遅いよ。遅すぎだよ。わたし、五分くらい待っちゃったよ」

 言いたいことをいう三人。何故か名雪が一番ひどい気がする。
 祐一の言葉が返ってこないので三人は少し心配になり、顔を見合わせる。そして、代表で香里が話し掛ける。

「相沢君、どうかしたの?」

 香里が祐一の顔を覗き込むが少し汗をかいている程度で顔色が悪いようには見えない。
 ただ、やたらと息が荒かった。

「どうやら、疲れてるだけのようね。少し休憩させましょ」

 祐一はベンチに腰掛け少し時間を置くと、なんとか息を整えた。

「いや、名雪の奴が全力で走ったもんだから、こっちも出来るだけ全力疾走しちまって」
「ま、名雪が原因だってことはわかってるけど」
「ん〜、相沢を責めるのは酷かもしれないな」

 香里と北川が同情する中、名雪だけは違う意見のようだった。

「祐一が遅いんだよ」
「元はと言えばお前が寝坊したからいけないんだろ」
「あ、やっぱり寝坊したのね」
「俺は水瀬を信じてたのに」
「う〜」

 どうやら名雪は三人に反論できないようだ。寝坊癖があるというのは自覚しているようだ。

「ま、いいわ。次の電車が来ちゃうし、そろそろ行きましょ」

 香里の号令で皆は歩き出した。祐一は道中、ずっと名雪が悪い、俺は悪くないと自分の正当性を主張し続けていた。

 祐一たちの街から電車で五駅という、少々離れた街に目的の遊園地はあった。
 遊園地は週末ということで込み合っていると思っていた四人だったが、思ったほど人がいるようには見えなかった。
 一日フリーパスを買った四人は、早速中に入る。自然と、その足取りは軽いものになっていた。

「割と空いてるな」
「もっと混んでると思ってたよ〜」
「アトラクションにも並んでる様子は見えないな」
「これから増えて来るのかもしれないけどね」

 祐一、名雪、北川、香里の順でそれぞれの感想を言う。

「で、どれに乗る?」
「まずはあれだろ!」

 香里の声に真っ先に反応した北川が指を指したのはこの遊園地に四つあると言うジェットコースターの一つだった。
 ちなみに、このジェットコースターは直線でコースを捻ってGを与えるものである。

「ま、妥当よね」
「そうだね〜、まずはジェットコースターだよ」

 女性二人が賛同する中、祐一が引きつった笑顔を浮かべる。

「俺、パス」
「あら、どうして?」
「俺、高いところはダメなんだ」

 祐一は重度の高所恐怖症だった。
 名雪が北川たちにもついてきて欲しいと思った理由である。名雪は普通にこの手のアトラクションが好きなのだが、祐一の高所恐怖症を知っているためデートで来ようとは思わなかったのだ。

「俺はいいから、三人で乗ってきてくれ」
「え、でも……」

 香里は祐一が乗れないことを気にしているようだった。

「気にするな。いいから乗って来い」

 いいからいいから、と手を振る祐一を残し、三人はジェットコースターに乗り込む。せっかく乗るんだから楽しもう、と言う北川の意見を採用し、三人はしっかりとジェットコースターを楽しむのだった。

 その後は祐一の乗れそうなアトラクションも混ぜつつ、昼までに3つのアトラクションを回った。

 シューティングスター。高いところに行かないというので祐一も乗れた。

「これってどういう乗り物なんだ?」

 高いところに行かないというので安心していた祐一であったが、アトラクションが動き出すと引きつった声になる。

「な、え?お、う、うあ〜」
  
 このアトラクションは星を象った乗り物が円形に並べられていて円運動を開始、その後星が縦回転するものである。
 この縦回転がわりと凶悪で、目が回るわ腰のベルトで腹が押さえつけられるわ、祐一はこのアトラクションは二度と乗らないと誓った。

 シャトルループ。四つあるジェットコースターの二つ目である。

「これって、あそこまでいくのよね」

 ジェットコースターの座席に座りながら、ループの頂上を見上げる香里。
 左右に揺さぶられることはないけど、ループで逆さまになるなら一つ目より怖いんじゃないかしら。

 ゆっくり後ろへカートが持ち上げられ、まるで弓を絞るように持ち上げられる。

「あ、意外と高い」

 そして、発射、ループ。

「え、きゃ、きゃぁぁ〜」

 勢いを殺すように、前の坂部分に上る。そのままバック、後ろからループ。

「ちょ、ちょっと、後ろなんてアリ!?」

 これが二回。香里はかつてない絶叫を思いっきり上げるのだった。

 ドラムロール。円形の乗り物の内側に乗り込み、ただ突っ立っているだけの乗り物だが、一度回りだすと遠心力でぴったりと貼り付けられるという乗り物である。
 円の外側を背に乗り込むと、合図のブザーがなる。

「にょ、にょおおおお〜」

 その性質上、他の乗り物より回転が速く、名雪はちょっとだけ目を回した。

 

 お昼になると、どこも込み合いそうだったので、4人は早めの昼食を取ることにした。
 適当にホットドックを買って食べていた四人は自然とアトラクションの話を始める。

「なんでここって絶叫系ばっかなんだ?」
「あら、メリーゴーランドもあるわよ?」
「相沢がメリーゴーランドに……くっ……」

 北川はメリーゴーランドに乗る男子高校生を想像し、笑いをこらえた。

「祐一、さすがにメリーゴーランドは一緒に乗りたくないよ。ゴメン」
「誰も乗るなんて言ってない。っていうか絶対乗らない」

 名雪の中では祐一がメリーゴーランドに乗るのが決定されていたようなので、慌てて突っ込む。

「それで、午後からはどうするの?」
「アトラクション全制覇っていうのはどうだ?」

 香里の号令に、北川が一番に答える。

「それだと、時間が足りないよ」
「名雪の言う通りね」
「ま、その辺はゆっくり道すがら考えようぜ」

 残りのホットドックを口に放り込み、先導するように祐一は歩き始めた。

 


 午後、まずはお化け屋敷に入り、ゴーカート、フリーフォールと乗り継いだ。
 どうやら混み始めたらしく、午前中のようにすぐに乗れるわけではなかったが、それでも四人はアトラクションを思いっきり楽しんだ。
 お化け屋敷で北川が香里に抱きつかれて頬を緩めた隙に鉄拳が飛んできたとか、ゴーカートレースで祐一と北川が足を引っ張り合っているうちに名雪が勝ってしまったとかのエピソードをはさみつつ、そろそろ最後に乗るものを決めなくてはいけない時間になってしまった。

 時間は夕暮れ時。今日は楽しかったと皆が帰り始める頃である。

「香里、ちょっといいか?」

 祐一が香里を呼び出し、前を歩く名雪と北川から距離をとって話し始める。

「なによ?」
「いや、実はな。北川と観覧車に乗ってきてくれないかと思って」
「なんでよ。相沢君は乗れないでしょ?」
「そうなんだが、その……名雪と二人にしてくれないか?」
「へー、相沢君、なにするつもり?」
「べ、べつに今日はまだいちゃついてないとか、そういうことは考えてないぞ」
「ま、いいけど」

 そう言い残し、前を歩く名雪と北川に話し掛ける。

「北川君、観覧車に乗るわよ」
「え?おう、いいぜ」
「香里、わたしは?」
「名雪は相沢君と一緒にいなさい。観覧車に乗れないでしょ」
「うん、わかったよ」

 

 北川を伴って観覧車へ向かう香里を見ながら、祐一と名雪はほくそえむ。

「北川の奴、ちゃんとお膳立てしたのわかったかな」
「どうだろうね。でも、観覧車だよ?そういう雰囲気にするための乗り物だよ」
「激しく間違った見解だと思うが、そうなって当たり前だな」

 北川と香里が乗り込むのを確認すると、祐一は近くのベンチに名雪を促す。

「今日は楽しかったか?」
「うん、楽しかったよ」
「そっか……」

 祐一は空を見上げる。星空じゃないけど、良い夕焼けだ。うん、なかなかロマンチックになった。

「あのさ、名雪」
「ん?」
「その……ずっと一緒にいるって約束したよな」
「うんっ」

 名雪と向き合い、じっと瞳をみつめる。嬉しそうな名雪の笑顔は、不思議とこっちまで幸せになってくる。

「その証、約束の誓いに。俺は名雪にこれを送る」

 そう言ってポケットから取り出したのは小さな箱。その箱を開けると、小さなシルバーの指輪が入っていた。細いリングと、小さなハートをあしらった可愛らしい指輪だった。

「これからも、ずっと一緒にいて欲しい」
「あ……うん。わたし、ずっと祐一といる。でも、いいの?これもらったら、祐一のこともう絶対離さないよ?」
「何言ってんだ、俺だって離すつもりなんかない」
「そうだね……」

 指輪を取り出し、名雪の薬指にはめる。名雪は指輪をはめた手を目の前に掲げ、感慨深げに指輪を眺めた。

「いいデザインだね」
「だろ。俺は一目で気に入ったからな」
「大切にするよ。ありがと」
「今度はペアなんかもいいかもな」
「そうだねっ」

 祐一が送ってくれた、大切な指輪。また、思い出が一つ増えた。
 この先もずっとずっと二人で思い出を作っていこう。そう改めて思えるほど、心から喜びがこみ上げてくる。そして、そのあふれる想いのままに、一言。

「祐一、大好きだよっ」
「ああ、俺もだ」

 


 観覧車の中は夕焼けの赤い光を受けて、幻想的な雰囲気を出している。
 人一倍鈍い北川とはいえ、祐一がお膳立てしてくれたことを理解していた。
 観覧車がゆっくりと回り、告白のタイミングを待っていた北川だったが、言うべき言葉が見つからず、ただ沈黙の時が流れていく。

「あの二人、何してるのかしらね」
「あ、さ、さぁ?なんかキザったらしいこと言ってるんだろ」

 とはいえ、指輪を買いたいからと言われてアクセサリーショップまで案内したのは自分だ。今ごろあれを送っているのは間違いないと思いながらも、とりあえず北川はごまかした。

「なぁ、美坂」
「なによ?」

 香里の視線が北川を捕らえる。その目に囚われた北川は、思わず目を背ける。
 自分はもう、この目から逃げ出したくないと思っていたのに。しっかりと、気持ちを告げるって、そう決めたのに。

「どうしたの?北川君?」

 再び香里を見たら、今度こそ想いを告げる。改めて決心して、北川は顔を上げた。

「美坂」
「だから、なによ?」

 また、目を背けたくなる。友達のままで、ぬるま湯に漬かっていたい気持ちに囚われる。
 でも、もう逃げないって決めた。

「俺は、美坂が好きだ」

 昨日の夜から考えていた告白の言葉とは裏腹に、出てきたのはそんなそっけない言葉。でも、言った。言ってやった。
 香里が目を見開く。思いっきり不意打ちのような告白だったから。
 それでも、一度堰を切った言葉はもう戻らないし、足りない言葉を紡ぎだしていく。

「俺は、美坂と一緒にいたい。俺は、美坂に笑っていて欲しい」
「き、北川君……」
「俺と、付き合って欲しい」

 しばらく、沈黙。頭を垂れて、じっと下を見つめる香里。
 今までラブレターを貰った事だってあるし、告白されたことは確かにあったけど。ここまで、思いっきり心に響く告白は、今までで初めてだった。
 
 あたしは、どうなの?北川君は、あたしのことが好き。あたしは、北川君のことが好き?

 簡単だ、好きじゃなければ、心に響く告白とは感じない。告白されてからずっと、歓喜がただただ溢れている。
 それでも、自分が幸せになれるのか、わからない。だから、言わなくちゃいけない。

「北川君、聞いて欲しいことがあるの」
「あ、ああ」
「栞のことよ」
「栞ちゃん?たしか、美坂の妹さんだったよな」
「そう、あたしの大切な妹。栞はね、病気だったのよ。それも、不治の病」
「へ?病気って……」
「もう心配はないわ。たまに調子を崩すこともあるけど、もう命に関わることも無いし」
「そっか、よかったよ」

 心の底から安心したような笑顔。いつでも素直に他人を気遣えるやさしさ。
 彼のやさしさにすべてを預けてもいいのかもと思うほど、心が軋む。 

「でもね、治る前、あたしは栞にひどいことをしたの。栞は次の誕生日は迎えられないだろうって言われてたわ。それを知ったあたしはクリスマスにそのことを栞に告げて、栞のことを忘れることにした」
「忘れるって、それ……」
「ええ、とても酷いことよ。でも、あたしは弱いから。とても、栞の死を受け入れることなんて出来なかったから。初めから妹なんかいなかったことにして、少しでもつらさを紛らわそうとしてたの。それが、あたしの罪。このことがある限り、あたしは幸せになれるか、自分でもわからない」

 何も、言えなかった。香里の抱えていた問題に気づかず、能天気に笑っていた自分自身が嫌になる。香里のことが好きだったのに。親友だと思っていたのに。あの儚さを感じていたのにも関わらず、自分は何も知らなかった。知ろうともしてなかった。

「美坂はそんなに辛い思いを抱えていたんだな」
「そうね、辛かったわ。でも、あたしのしたことを思えば、当然じゃない?」
「あのさぁ、そんなふうに言うなよ。確かに美坂は栞ちゃんにひどいことをしたよ。そりゃ、まちがいないさ」
「え、ええ。わかってるわよ」
「でもさ、何も一人で抱え込もうなんてもう考えるな」
「でも、あたしは……」
「栞ちゃんだって引け目に感じて欲しいなんて思わないだろうし、幸せを願ってるはずさ」
「そう、よね」
「だから、美坂。俺は、一生を掛けても美坂香里を幸せにする」
「北川君……」

 思わず溢れる涙をこらえず、香里は泣き出した。
 その優しさは香里の傷の痛みを和らげる。でも、まだ美坂香里は自分を許せない。

「まぁ、なんだな。美坂が話してくれて嬉しかったよ」
「そうなの?あたし、最低なのよ」
「あんまり自分を追い詰めるなよ」
「でも、あたしは――」
「美坂!」

 なおも言い張ろうとする香里だったが、北川の声に言葉を失う。

「もう、一人で悩むなよ。一人で抱え込むなよ。俺が一緒に支えるから」

 それは、ささやかな北川の主張で。これ以上香里に悲しみを背負わせたくなくて。
 香里は感じるその優しさが、どうしようもなく心地よく、そして痛かった。
 もう、溢れる涙は止まらず、でも、まだ言わなくてはいけない事が残っている。

 彼の気持ちに答えるか否かを。

「ありがとう、ありがとう、北川君。でも、もう少しだけ待って欲しいの」
「え?もう少しって?」
「もう少しだけ、友達でいて」
「お、おう、わかった」
「もう少しだけ……」

 そう言ってそれきり香里は口を開かなかった。北川が聞けなかった言葉の先を飲み込み、心に刻む。

 もう少しだけ、罪を感じていたい。あなたの優しさに全てを預けるその前に。あなたのためにもう少し、強くならなくちゃいけないから。

 


 観覧車を降りると、そこには幸せそうな名雪と祐一がいた。
 当然、何をしていたかは北川にもわかっていたので、あとでからかってやろうとは心に決めていたが。

「おう、北川、どうだった?」
「……どうだったんだろう?」

 はて、あの返事は自分にとってよかったのか悪かったのか。友達でいたいと言わたことは降られたということだが、もう少し、というのはまだ望みがあるということで。

「まぁいいや、今度きっちり聞かせてもらうからな」
「あ、ああ」

 正直に話していい内容かわからない。だから、北川はとっさに話をそらすことにした。

「それより、相沢はどうだったんだよ。渡したんだろ、指輪」
「ああ、まぁな」

 頬を掻き、少し照れたような表情をした祐一だが、聞こえてきた女同士の会話に完璧な羞恥の表情を浮かべる。

「香里〜、祐一から指輪もらっちゃった」
「え?指輪もらったの?」
「うん、素敵な言葉といっしょにね」
「あら、どんな言葉なのかしら?」
「えっとね――」
「だぁぁ、名雪、それは言うな!もう帰るぞ!」

 思わず言いそうになった名雪を全力で止め、不思議そうに首をかしげる名雪の手をつかみ、強引に歩いていく。

「言っちゃダメなの?」
「ダメです。絶対ダメです」

 でも、香里と北川にはいずれ知られてしまうんだろう。
 その時のことを思うと、頬が緩み、そして思うのだ。
 からかわれることが嬉しいなんて、完璧な末期症状だろ、と。

「ほら、北川君、帰るわよ」
「おおう、待ってくれ」

 前を歩く名雪と祐一を追いかけるように、香里と北川が歩いていく。
 どんどんと先に言ってしまう親友同士をうらやましいと感じつつ、二人はそれぞれ思うのだ。

 いつかは追いついてみせるから、と。
 ま、ペースは人それぞれだよな、と。

 いつの日か、幸せになれるそのときを願って。

 



あとがき
 え〜、大分後れましたが、なんとか完成しました。
 なんかこう、前作より随分とボリュームアップしちゃいました。
 北×香のつもりだったけど、美坂チームものですよね。
 それでは、読んでくれてありがとうこざいました。次はどんな話にしようかなぁ?
 

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