魔法戦国群星伝




< 第三十九話 翼の涙 >



相沢子爵家領内


良く晴れて空気が澄んだ朝。
白い雪が必要のない音を吸い取ってしまったような、静かな透き通った朝。
その日はそんな代わり映えのしない、だが穏やかないつもと同じ冬の日の朝だった。
夜中に降った雪も止み、朝日に照らされて輝く白雪が燐海となり大地を包んでいる。

「というわけで今日は森に遊びに行くぞー」

「うぐぅ、何が『というわけ』かわからないけど、うん♪ 行こう!」

「よし、俺も行く――ぐはぁ!?」

「祐馬、お前は執務があるだろう。サボるな」

さり気なく逃げ出そうとした所を捕まえられ、襟首から引きずられている祐馬を残し、祐一とあゆは元気良く雪の大地へと駆け出していった。

「お昼には帰ってきなさい」

「わかってる!」

「はーい、いってきまーす、奈津子さーん!」

振り返りもしない息子と、手と翼を器用に一緒にパタパタ振りながら走っていく居候の少女を見送った奈津子は、ペシと物悲しそうに見送っている夫の頭をはたいた。

「さあ、キリキリ働け! 書類も溜まってるんだ」

「へ〜い」


夫を追い立て、屋敷へと向かいかけた奈津子の足がふと止まった。
何が彼女を引きとめたのだろう…
後ろ髪を引かれたように奈津子は振り返る。

風が息吹いた。

舞い上がる粉雪。カーテンのような白い幕に遮られ、少女の姿が霞む。
まるで…雪に溶けてしまったかのように…
そして風が止み、白い幕が下りたとき、もう子供たちの姿は消え去っていた。

「奈津?」

じっと、子供たちが消えた方角を見つめている妻に祐馬はいかぶしげに声をかける。
奈津子は虚を突かれたように夫を振り返ると、「なんでもない」と小さく笑って首を振り、祐馬を促し屋敷へと歩き出した。
中に入る直前、最後にもう一度彼女は振り返る。

ただ、白い景色だけが広がっていた。

幻想のように



それは背中に白い翼をはためかせた小さな少女が現れてからちょうど一週間目の朝。
それは月宮あゆという家族が相沢家に加わってから、ちょうど一週間目の朝。

いつもと変わらない、冬の朝の風景だった。



本当に、いつもと変わらない朝だったのだ。









「――――うん、それでな。その従姉妹…名雪って名前なんだが…そいつがむちゃくちゃ猫が好きでさ」

「ふ〜ん、ボクも猫さん好きだよ」

「甘いな、甘すぎるぞあゆ! あいつのは猫さん命っていうか、猫さんのためなら死ねるってぐらいの猫好きだぞ。いわゆるお前がたいやきのためなら死ねるっていうのより凄いかもしれん」

「う、うぐぅ〜、それはすごいねぇ」

「うむ、凄いのだ……ってたいやきのために死ねるってのは否定しないのかい!!」

「へ? なんで?」

本気で首を傾げるあゆに、祐一は天を仰いだ。

調子に乗って毎日作るからこうなるんだよ。

内心で愚痴ってみる。

たいやきに感動するあゆの姿がよほど気に入ったのか、奈津子は毎日の様にたいやきをつくり、あゆにご馳走していた。
挙句にできたのが、たいやきドランカー月宮あゆだった。

―たいやきのために死ねる少女あゆあゆ。
―たいやき至上主義。
―パクス・タイヤキーナ。
―たいやきよ永遠なれ。
―うぐぅ死すともたいやき死せず!

「……祐一くん、なにブツブツたいやきって言ってるの? 別にそんなに繰り返さなくてもちゃんと奈津子さんはたいやきを作ってくれてるよ」

「いや、俺はもういい加減勘弁して欲しいんだが」

生憎と俺はタイヤキドランカーじゃねぇんだぁ! と内心涙ながらに絶叫する。
さすがに毎日は辛い辛い。

後年、彼女はたいやきのためには盗みも辞さないという凶悪犯となって現れるのだが、それはまた別のお話。



「そういえばさ、あゆ」

「ん?」

「お前、その羽根って飛べるのか?」

祐一は並んで歩く少女の、その背中にある白い翼に視線を注ぐ。
スキップを踏むように歩くあゆの背で、今は器用に折りたたまれているその白い羽根は、周囲の雪景色を相まって幻のような美しさを見せていた。
彼のその問いは、ともすればその羽根と少女に眼を奪われそうになる自分を紛らわすためのものだったのかもしれない。
無論、あゆはそんな少年の心の内など気づくはずもなく、素直に答える。

「飛べるよ」

「ホントかよ? だって、俺はお前が飛んでるところを見たことがないぞ。落ちてくるところなら見たけど」

「うぐぅ、あの時は慌ててて飛ぶのを忘れてただけだよっ」

呆れる。

祐一は、それはそれで問題だと思うなぁ、と半眼になってジロジロと彼女を見回した。

「ほ、本当だって! ほらほら」

その視線にタラリと冷汗を垂らしたあゆは、慌ててバサリと翼を広げる。
すると、あゆの身体がフワリと宙に浮き上がった。
そして、目を丸くする少年の頭上を得意げにふわふわと飛んで回ってみせる。

「ほら、本当でしょ」

「ぬう、ホントだ! 白だな」

「うぐぅ?」

一瞬、祐一の言っている事が解からず首を傾げたあゆは、次の瞬間真っ赤になってスカートの端を抑えて座り込むように着地した。

「うぐぅ〜、祐一くんのヘンタイ!!」

「なにを言う!? あゆがわざわざ見せるように飛んだんだろ?」

「そんなことしないよっ!!」

「なら不可抗力だ」

「うぐぅ、ふかこうりょくって?」

「つまり万事オッケーって事だ」

「オッケーじゃないよっ!」


止め処もなく屈託もない会話を繰り返しながら、彼らは雪の上を歩く。
二人分の足跡が、仲良く雪上に残される。
足跡が、並び、混ざり、前後し、重なる。
不意に一人の足跡が消えてしまったように無くなり、そしてまた戻る。

行く道に辿る足跡……だが帰る道に彼らの足跡が並ぶことはもう……













「ほら、ここだぞ」

「わぁー」

森の主。

あゆが抱いたものはそんな言葉だった。

祐一に連れられるがまま歩かされたあゆが見せられたのは、森の中で一箇所だけ開けた場所に生えている、大きな大きな見上げれるような大木。
白に覆われた世界のなかで、その大木はじっと、見つめるように小さな少年と少女を見下ろしていた。

「おっきいねー」

「これに登るとさ、街が見えるんだってさ。凄い景色だって父さんは言うんだけど、俺はまだ見たことないんだ」

「え? なんで見たことないの?」

「俺高いとこ、苦手なんだよ」

「へぇ〜、ボクは大丈夫だよ」

「そりゃそうだろう」

空を飛べるやつが高所恐怖症というのではどうしようもない。

「ちょっとボク登ってみるね」

そういうとあゆは翼を広げ、

「あっ! 祐一くん、後ろ向いててよ」

「なんで?」

「うぐぅっ!!」

スカートを抑えながら唸るあゆに祐一は渋々後ろを向いた。

「わかったわかった。ちぃ、覚えてたな」

「ちゃんと覚えてるよっ」

あゆは木の上に飛び上がろうと翼を広げた。だがその前にふとその大木を見上げてみる。
薄っすらと枝に白い化粧を施した大きな木。
今は緑の葉は覆い茂ってはいないが、春になれば緑の大木になるのだろうか。

あゆはコクリと小さく頷くと、何を思ったのか翼を畳んで自らの手足を使って大木の幹を登り始めた。
背後から祐一の声が飛ぶ。

「おーい、落ちるなよ」

「落ちないよっ」

「前科あり」

「うぐぅ」

そうこうしている内に、彼女はなんとか横に大きく張り出した大枝まで登りきり、ちょこんと腰を降ろした。
初めて木登りをしたにしては上手く登れたことに内心満足しながら、あゆは眼下の光景を見下ろした。

「うわぁ〜」

思わず感嘆の声があがる。
そこからは相沢子爵領のさほど大きくはないがよく整った町並みが一望できた。
織りなす家々の屋根。そして立ち昇る煙。
まるで箱庭のような、だが、紛れもない生活を感じさせる風景。

凄いや、こんな景色見たことない

そんな思いを抱き、ふと首を傾げる。

せっかく翼を持ってるのに、不思議だね。

そう…翼があるなら、こんな風景はいつでも見られたはず。
空を飛び、雲に乗り、天を歩く翼を持つ者ならば……

そっか…そういえばそうだよね。

翔んだ事がなかったのだ…今まで。
当たり前だ。これまでろくに外も歩いた事がなかったのに、空を翔んだことなどあるはずもない。

籠の中の鳥。

籠の中に閉じ込められた鳥は、高い高い空の上から見下ろす風景。そんな風景を見たことがない。

一度、思いっきり空を飛んでみたいな。

あゆは初めて見る俯瞰風景を前にして、翼の持ち主としてはごく当然の、だが彼女にとっては初めての羨望に…その心地よい想像に身を浸し眼を細めた。
そう…今の彼女は籠の中にいるのではない。
温かな家族のいる巣にいるのだから……これからはいつだって…空を……

「おい、あゆ、どうだ〜?」

「うん、凄いいい景色だよ! 祐一くんも来たら?」

彼女は、じっと遥か遠くを眺めながらそう言った。
その横顔は楽しそうな、だが今まで祐一が見たことの無い柔らかく、どこか大人びた表情に見えた。

葉も落ちた大きな木。白い薄化粧を纏ったその大木の枝の上で少女は座っている。
風に囁くように栗色の髪を棚引かせ、風に輝くように白い翼を翻し。
彼女は少年の空の上、ホンの少しの遠くの空に、小さな微笑みを浮かべながら座っていた。

少年の瞳は悴んでしまったかのようにその光景から逸らすことができなかった。

奇跡のような美しさ。

無論、10歳の少年がそんな言葉を思い浮かべた訳ではなかったが…だが、彼の抱いた思いはこの言葉に最も近かった。

祐一は、永遠にも等しい一瞬を彼女に魅入ることで費やしていた事に気がつき、誤魔化すように相変わらずの減らず口を叩こうとした。

その時だった。

祐一が、その奇跡のような光景の中に、あまりにも似合わない異物を見つけたのは。
あゆの頭上の枝。その上から彼女を見下ろす紫色の眼をした白い獣を見つけたのは。

祐一は一瞬声を詰まらせ、次の瞬間絶叫した。

「あゆ、上だぁ!!」

「え?」

その時、ザッと突風が吹いた。
舞い上がる粉雪の白幕。
祐一の声に導かれるまま上方を仰いだあゆが見たものはさらなる白色。
雪の白ではない、雲の白でもない、翼の白であるはずもない、異形の白を。

あゆが座る枝の、さらに上から飛び掛ってくるそれは全身を白に染め上げた獣。
悲鳴をあげる間もなく白獣はあゆに襲い掛かった


「あゆっ!!」






§








「見つけた」

森の中、一人歩く青年が独りごちた。
その背には月宮あゆと同じ翼が存在する。
彼は名をハティム・カミールという。月の宮探索のために大盟約世界へと降り立った翼人の一人だ。

三方に放たれし、白き毛皮を纏った翼人の使い魔。その内、彼の放ったものが一番早く月の宮を見つけたらしい。

ハティムは思わず周囲を窺った。人影は見当たらず彼一人だけ。
使い魔と離れすぎると感覚の共有が薄れるために、月の宮探索の指揮官である天城葛を残して三人の翼人は三方へと散って探索を行っている最中であった。

一瞬、発見の報告を行おうとしたハティムだったが、脳裏に一瞬さきほど天城葛に睨みつけられた事が走り、躊躇する。

元々あの男、最初から気にくわなかったんだ。それに俺が月の宮を捕まえたら、一番手柄じゃないか。

やがてハティムは雪の中を歩き出した。
天城葛の待つ方ではなく、月の宮のいるはずの方角へと




§





「ガァァァァァァ」

白の獣は牙を剥き、咆哮した。
真っ白な雪に溶け込むような白い獣。ただ牙の隙間からのぞく口内だけが血の様に紅い。

「あゆ、大丈夫か」

「う、うん、なんとか」

白獣が大木の天辺から襲い掛かってきたあの瞬間、あゆは咄嗟に枝から飛び降りて難を逃れた。
翼を広げ、祐一の下へと飛び降りる。
祐一は少女の身体を抱きかかえるように捕まえると、そのまま背後へと庇うように押しやり、後を追って雪の上に飛び降りた白獣を睨みつける。

「なんなんだよ、こいつは。こんな獣見たことないぞ!?」

「うぐぅ、あ、あれは……」

あゆは小刻みに震える身体を抑えるように、ギュッと抱き締めた。

あの獣…見たことがある。
そんな!? こんな…こんなところまで?
来た……とうとう来た。来てしまった……あれは……

「ボクを捕まえに来た追っ手」

あゆがそう呟いた瞬間、白獣が飛び掛ってくる。

「チィ!」

祐一は咄嗟にあゆを突き飛ばし、反動で自分も避けようとする。だが、標的を逃がされた白獣は怒りまかせに爪を閃かした。

「くぁ!」

祐一のまだ小さい右肩から血が迸る。

「祐一くん!!」

あゆの悲鳴を背に、祐一はすぐに体勢を整えて立ち上がる。
少女を安心させるため、大丈夫だと声をかけようとする祐一だったが、白獣はそんな余裕など与えるつもりは毛頭無かった。

自分の邪魔をしようとするもの、それは排除しなくてはならない。
白獣は完全に祐一を排除の対象と認識してしまっていた。

深い雪に足を取られることもなく突進してくる白獣。
祐一は必死に母から教わっていた魔導術を唱える。

「紅の灯火は爆裂となりて、死と焔を振り撒かん」

印を組む腕の向こうで、雪を蹴って飛び上がる白獣の姿が見えた。
目だけでその姿を追う。
頭上から迫り来る白。その前脚に鋭く伸びた銀爪が煌めく。
祐一は両手を掲げて叫んだ。

破華紅炎(フレイム・ダンク)!!」

ボン、という鈍い爆発音が白獣の腹で弾け、膨れ上がった火炎が白獣を吹き飛ばす。
だが、雪の大地に叩きつけられたはずの、魔術の直撃を食らったはずの白獣はすぐさま何事もなかったかのように立ち上がった。

「き、効かないのか? 幾ら初級の攻撃魔術だからって!」

「祐一くん、ダメ!! それは使い魔だから並の魔術じゃ効かないよっ!」

「使い魔だって?」

祐一は蒼ざめた。使い魔といえば魔術で一時的に現出した擬似魔法生命。符法術の式神をさらに具現固定化したモノだ。
多少魔術を使える程度のたった十歳の少年が敵う相手ではない。
それに…今の彼は武器すらもない徒手空拳なのだ。

自分を攻撃した少年に向かって唸り声をあげていた白獣が、チラリとあゆの方を見る。
視線に撃たれたあゆが、ビクッと身を凍らせ、ブルブルと震えながら後退る。
それを見た白獣は牙を剥いた。
あゆの目には、それがニヤリと笑ったように見えた。

「バカっ! あゆ!!」

ドンッ!

祐一は無謀にもあゆに飛びかかろうとした白獣に体当たりをかまして突き飛ばす。
だが白獣は瞬時に体勢を立て直し、右の前脚を翻し、天に向かって振り上げた。


ザシュ


「…あ」

「祐一くんっ!!」

三筋の血糸が虚空を飛び、雪に紅い斑を染める。
自らの身に起こったことを理解できずに立ちすくむ祐一。あゆの悲鳴が虚しく響く。
白獣は少年の胸を切り裂いただけで満足せず、そのまま立ち尽くす祐一の左肩に喰らいついた。
白い…銀に近い白さを得た牙が肉に食い込む。
白が血に濡れていく。
白い牙が、白い毛並みが、白い雪が、紅に……染まって…

「う…があああああああああ」

激痛がいまさらの様に祐一を襲った。
切り裂かれた胸が、牙の差し込まれた肩が、灼熱の溶岩の如き熱量を祐一の全身に走らせる。

獣の紫眼が細まる。
少年の悲鳴に満足したかのように、一瞬小さく唸り声をあげた獣は、少年の身体を牙を突き立てたまま振り回し、放り投げた。
小さな身体がバフンという軽い音とともに雪に叩きつけられる。

ほんの一瞬、静寂が戻る。

「ゆ、祐一君? …ああああ、祐一くん祐一くん祐一くん!!!」

半狂乱になって泣き叫び、倒れる祐一に駆け寄ろうとするあゆ。
だが、ゆっくりと振り返った白獣に遮られ、動きを固まらせる。
白獣はじりっじりっと焦らすようにあゆへと近づいてくる。

「あ……ああ」

あゆはぼろぼろと涙を零しながら、そのプレッシャーに耐え切れず後ろに下がる。
あゆは狂乱の波に押し流されそうになっていた。
血を滴らせながら迫る獣、倒れたまま動かない祐一。

小さな少女にはあまりにも過酷な状況に、あゆは何もかも放棄して崩れ落ちそうになる。

獣は、そんなあゆに近づいてくる。ゆっくりと、ゆっくりと…

だが…


「ま…てよ、けだもの」

擦れた声が雪原に響いた。

「ゆういち…くん」

あゆの瞳が信じられないとばかりに見開かれる。

血塗れの……少年が……白雪の上に……立ち上がる………

……足元を紅の泉へと変えながら…

もう…やめて…

思いが声にならない。

白獣が小五月蝿い邪魔者に止めを刺すべく、再度少年の方に振り向いた。

お願いもう…やめて…

白獣が吼える。咆哮する。牙を剥き、爪で雪を抉りながら…

やめて…死んじゃう…祐一くんが…死んじゃう!!

「祐一君! ダメ、逃げてぇぇぇぇ!」

血の気を失った少年の顔が歪む。

「うるさい! お前を見捨てて逃げたら…それこそ母さんや父さんに全殺しにされちまうだろ! お前こそさっさと逃げろ…あゆ……あゆっ!!」

爪に引き裂かれ、血まみれになった上半身、そして力無く垂れ下がった左腕を右手で押さえながら、祐一は声を張りあげ絶叫する。

「行けっていってんだぁ!!」

イヤだイヤだイヤだイヤだ!!

「いやぁぁぁ!!」

このままじゃ、祐一君が死んじゃう。嫌だ! そんなの嫌だ! もう嫌だよ、誰かがいなくなるのは……絶対に、絶対に嫌だぁ!!

白獣がゆっくりと動き出す。もはや急がない。獲物は抵抗する力もない。あとは……いたぶるだけだ。

それを見た時、あゆの心は定まった。
大切な大切な初めての友達。それが自分の所為で…自分を捕まえに来た者たちのせいで酷い目にあっている。

助けないと! 助けないと!

どうやって? 何をすればいい? ボクに何ができる?

簡単だ! 何でもいい! 助けられるならどんなことでも!

たとえ、自らの半身を引き裂いてでも……


…お母さん、力を貸して


「ボクの翼。ボクの半身。あのコの、祐一君の力となって…お願い」

声が恐怖で震える。だが幾ら震えようとももはや心は揺るがない。
あゆは意を決すると、震える両手で自分の左の翼を掴む。

一瞬、さっきの街並みのを見下ろす風景が脳裏を過ぎった。



ああ……一度、空を思いっきり飛んでみたかったなぁ。



そして…

「う…わああああ!」

力任せに一気に引き千切った。

「あああああああああああああああああ!!!!」

翼から羽根が舞う。
降り注ぐ雪の様に。
白く、白く、ただ白く羽根が舞う。

凄まじい激痛が怒涛の津波となって全身を駆け巡る。
虚脱感、喪失感、倦怠感。
だが、蝕んでくる負をなぎ払い、喉から噴き出る絶叫を歯を食いしばって押し留め、あゆは声を張り上げた。

「ボクの翼よ、汝その姿を武器となし、彼の人の剣と……ならん! お願い! 祐一君を助けて!」

もはや言葉の最後は呪ですらなく、ただの懇願だった。
だが、翼は最愛の友であり、半身であり、自分自身であった者のその願いを聞き届ける。

翼は光に包まれた。
そして一条の閃光となり、今まさに祐一に襲いかかろうとした白獣と祐一の間に突き刺さる。

「祐一君、それを!」

あゆの声が聞こえた。
体の動くままに、視界を埋め尽くす光に手を伸ばす。
何があった。掴む。ただ無心のままに掴む。
軽い…羽根の様に軽いそれを思いっきり光の中から引きずり出す!

「グォォォォォォォォォ!」

閃光に一瞬足を止めた白獣が踊りかかってくる。
だが、祐一はそれをどこか他人事のように眺めながら、光の中から引きずり出したそれを、横薙ぎに振るった。






ビシャリ


「……え?」

呆けたように呟いた祐一の背後で、冗談の様に横一文字に斬り裂かれた白獣が、二つの肉塊となり崩れ落ちた。

祐一は呆然と自分が握っているそれを見る。
それは……

「白い…剣」

それは剣。輝くように白い剣。雪のように、雲のように、羽根のように真っ白き剣。

それを握る拳が、何故か温かかった。





「祐一くん、祐一君、祐一くーん!」

涙で顔をクシャクシャにしたあゆが雪を巻き上げて駆け寄ってくる。

「あゆ」

「祐一くーん」

あゆは思いっきり祐一に飛びつき………あっさり回避され頭から雪に突っ込んだ。

「…………」

「…おい、あゆ? ……死んだ?」

「うぐぅぅぅ、死んでないよぉ!! 避けた! 祐一君が避けたぁ!!」

「おい、さすがに今飛びつかれたら本気で死ぬって」

まさにボロボロの状態の祐一は、そう言って苦笑いした。
あゆの顔が歪む。彼の痛みを自分が感じているように…

その時、祐一の表情が一変した。

「お前……なんてことを…」

その愕然と視線は、あゆの無残に引き千切られた左翼の痕に向いていた。

「大丈夫…だよ」

あゆは小さく笑いながら首を振った。

「こんなもの、大したことじゃないよ」

「何…言ってるんだよ…無茶苦茶だ…それじゃあもう…」

あゆは祐一の言葉を遮るようにもう一度首を振った。
その強い眼差しに祐一は押し留められたように口篭もる。

「さあ、祐一君、今ボクが治して……」

あゆは笑いながら立ち上がろうとし、視線を上げた途端それを眼にし、硬直した。

「あゆ?」

「ゆうい――」


ボゴン!


いきなり横殴りの衝撃が祐一を襲い、祐一は訳も分からぬまま雪の上を転がった。
弾き飛ばされた白い剣がクルクルと宙を舞い、雪の大地に突き刺さる。

「あ…ああ」

「よくも…やってくれたな、下等な人間風情が」

あゆは震えながら見上げる。額から流した血流で、半面を真っ赤に染めた翼を持つ男を…



    続く





  あとがき

ぐしゃぁぁ


栞「ひ、ひえぇぇぇぇ、その音はちょっと拙すぎませんかぁ?」

奈津子「うん? なにがだ?」

栞「な、なんか水っぽかったです」

奈津子「うん、水っぽい音がしたな」

栞「再起不能ですか?」

奈津子「かもしらん」

栞「えう〜」

奈津子「二度あることは三度あるというが、本当に三度も繰り返すとはな、呆れ果てて拳の速さが音速を三倍ほど上回ってしまった」

栞「それで『ぐしゃぁぁ』ですか」

奈津子「うん、『ぐしゃぁぁ』だ」

栞「えぅ〜。そ、それで過去編はまだ続くんですか?」

奈津子「もはや微塵も信用できんが、今度こそ次回で終ると言っていたよ。しかし本当にこいつは収拾能力がないようだな。今回で思い知らされた」

栞「本当ですね。最初は過去編を一回で終らせるつもりだったんですよ。それが気が付けば四話構成に……」

奈津子「まあ次回で終る事を奇跡に願うとしよう。さて、次回こそといいつづけて何回目かは忘れたが次回は第40話、過去の別れと今の再会」

栞「『farewell of WING and meet again』です。それではありがとうございました」

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